アンダー・プレッシャー

吉田彩伽(4年/スタッフ/四天王寺高校)


引退して3か月が経ちました。
星くん、非常にご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございませんでした。


最後のベンチ入りは武蔵大学との試合、気持ち良い試合で幸せだった。

そういえば自分が入部した日の試合も武蔵大学戦。

入部に思いを馳せる。

入学当初、コロナ禍でサーオリとかがなかったこともあり、声がかかった新歓にふらっと参加するのを繰り返していた。
私はわりとぼんやりした人で、中高はしっかり者の親友に引っ張ってもらっていた。そのため大学では「しっかりした人になりたい」とかいう漠然とした目標を抱えていた。
そんなこんなで、国際交流系サークルに入って、半年くらい普通に楽しんだ。

ただ、コロナでいまいち交流も取れなくてなんとなく今いるサークル違うかもと思ってた秋頃、上クラの紗羅さんから声がかかってア式の新歓にふらっと参加。いつの間にか試合見学までたどり着いた。

最後はその武蔵大学との試合に4-0で勝ち、そのまま勢いで入部を決めてしまった。

マネージャーなんて向いてる質じゃないし中高は週2の部活だったから体育会系合うかな。
サッカーはワールドカップも見た記憶ない、ボールとゴールと「クリロナ」しか知らない。
また前のサークルみたいに、気が変わったら早めに辞めよう。

沙羅さんに「すぐ辞めるかもしれません」と保険だけかけておいて入部届を出した。



1年、”やりたいことをやりたいだけやる期”に突入。
トレーナー、ホームページ、GSS、面白そうと思ったもの全部に関わりに行く。先輩のもとで成長していく感じが楽しかった。
マネージャーとは何たるか、マネージャーの仕事のイメージ、がほぼ真っ白で入部したので、毎週木曜の育成シフトで優花さんと沙羅さんの動きを凝視して真似っこする(マネだけに)ことに必死だった。
WOWOWヘビーユーザーの父がCLを見るのに便乗して横からたくさん口を挟んだ。
玄さんに熱心にカバーシャドウを教えてもらったこともあった。

そうしているうちに、どんどん部の仲間入りしていけた。

コロナのせいで外部練習ばかりだったから、遠いグラウンドにたくさん行ったけどそれも苦じゃなかった。
関東の電車にいっぱい乗れて楽しかったのかもしれない。レッズランドへの道中での、久野さんと秀樹さんの会話が面白かったのかもしれない。


すぐに2年になって、後輩が入ってきた。”ちょっと頼れるお姉さんになりたい期”に突入。
3年や4年の先輩をさしおいて、自分が後輩に教えよう!と意気込む。桃ちゃんが慕ってくれたのは本当にありがたいことだった。

この年、ア式は負けることが多かった。
炎天下の日に、奥多摩近くまで行って試合をして負けた。
チームの雰囲気も重くて、大声でカタパルト回収しますとは言えなかったので、コソコソ個々人のところへ行って回収した。
マネージャーとしても、もどかしい気持ちだった。

そしてかなさんの退部と同時に、トレーナー長をかなさんから引き継ぐことになった。
本当はだいぶ不安だった。そもそも自分自身のトレーナーの仕事に自信が持てなかったからだ。まだ知識もそんなに無い上に経験もほとんど無い。


そして、3年生になり”部のため期”。
よく先輩スタッフのfeelingsで一番モチベーションを保つのが難しいと言われていたので構えてスタート。幸いGSSのリーダーになったからかモチベや目標でそんなに困ることは無かったように思う。

だけど、あまりチームのために何もできなかった。行動することができなかった。

2年から続いたトレーナー案件はたでぃさんが辞めてしまったことでほぼ完全に暗礁に乗り上げた。
冷静に振り返るとだいぶ暗中模索だったように感じる。
みつかとかヤジとか新家に手伝ってもらって始まった新体制は、選手からは反対の声があり、後輩スタッフ達も振り回してしまった。

そして双青戦。
わかりやすく京大のマネージャーと比較されて悔しかった。3年にもなって、情けなかった。

それから双青戦に限らず他の大学のマネージャーたちの姿を見たり、同じ大学の他の部活のマネージャーたちと話したりするたびに、自分が悔やまれた。
この子達が試行錯誤しながらも選手のサポートをしているのに自分は何も貢献するための行動をとっていない。


最後の一年、テーマは「勝つ」とした。

純粋な勝ちたい気持ちに加えて、勝ちのために自ずとすべき行動ができるだろう、それを全うしようと考えた。

日々の練習サポートはもうほぼ完璧で余裕だった。
細かい部分を後輩に伝えていくだけ。

そしてヨネが来て、トレーナー周りを全部片してくれた。その手があったかという気持ちだった。本当に助かったと思った。

双青戦では去年の反省を活かしてリベンジを果たす。

4年最後のベンチ入りは、朝からオカピなど何人かが「え、あやかさんラストベンチ?」とか声かけてくれて気合入った。
念入りに準備していたものの、思ってたより気温が上がってきたためアップ中の水がやや温くなってしまった。「温い」の声がほんの少しだけ聞こえてきてやっちまったなと思ったけど、まあ満足。
晴れていて気温も良い。やり忘れたこともない。誠二郎がゴールを決めてくれた。結果、1-0で勝利。
自分の理想の終わり方で良かったなと思った。これで有終の美としよう。

そして最後の大東戦。

前日に親しい友達に上げたストーリーを見て、何人かの友人達は、本当にお疲れ様!最後頑張って!引退おめでとう!などとメッセージをくれた。
ア式にいない友人達は私が物凄い頑張ってると思っている。


この前の卒論発表では、先生がゼミ生みんなに「満足してますか?論文そのものと、自分の人生にとっての論文についてそれぞれで」と聞いた。口頭諮問はこれだけ。
「論文自体は至らない部分がたくさんあると思うので、満足していないです。
でも、自分にとっての論文という点では、満足しています。経済に入ったら卒論無しで卒業できると思っていたので、卒論をちゃんと書き切ることができて良かったです。」
みんなそんな感じの答えだった。

ア式についてはどうか?

ア式の中でももっと他にやれることがあったと思ってしまう。その点では満足できていない。最後の年、ピッチ外の活動にそれまでほど精力的になれなかった。正直ア式に貢献できたとあまり自信を持って言えない。
一方、高校までの自分のぼんやり具合に比べると今の自分は遥かにしっかりしていると思う(feelingsは本当にごめんなさい)。入部前の漠然とした目標は達成できた。


後者で満足していたら十分なはずなのだけれど、ア式についてはなぜか前者がすごく滲む。


大東戦は1-1で引き分けに終わった。
そして試合に出た選手達が応援の方に挨拶しに来た。
後輩達中心に4年の応援歌を歌ってくれた時、実は涙が込み上げてきた。

あまり寂しいとかではなかった。
小学5年まで続けたバレエを辞めてしまったときと似た感覚。あの時は泣くことはなかったけど、受験を言い訳に辞めてしまったと感じている。

その時とは少し違って、何故か報われた気がした。

あぁ、これでア式での生活は終わり。
ア式でのすべての体験を新たな糧にして今後も心豊かに生きていきたい。




さて、少し晴れ晴れしいシメではなく申し訳ないので、最後に、ア式での記憶をいくつか書き残しておきたい。

最後の最後にみらいがゴールを決めて、みんなで大喜びした時

金曜練で旭がシュートを決めれなかった時

農グラ応援でズミさんの個人応援歌を流した時

フットボール大会が終わって片付けてる間もサッカーボール蹴ってる人達

男泣きをしていた先輩後輩

水深10cmくらいありそうなどしゃ降りの中、サッカーをしようという信じられない心意気の人達

真夏に70超えてもサッカーしてるOBと内輪を片手に涼しい建物から見守る皆


サッカーに夢中になっている選手達、
真剣な眼差しで応援するスタッフ達、
みんながきらきらして見える時、
勝って笑顔に満ち足りる時、
何よりもア式の醍醐味だった。



関わってくださった皆様、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。


吉田彩伽

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