サッカーの地平線を広げる-プロローグ-
プロローグ兼注意書き
ご無沙汰しております。新3年岡部惇貴です。私は2024年2月頭から、2024年3月中旬までスペインにサッカーを見るために留学していました。この文章は私が滞在した33日間の日記です。この貴重な体験を忘れないように、日記にしてとっておこうと考えていました。そのため、この日記は自分のために書いています。正しくない日本語、他人に見せるにはとても拙い文章。そんな点が多々見られます。というか全てがそうです。できるだけ自分の思ったことがそのまま反映されるように、そのような形になっています。読んでいただけると、1ヶ月私が何をしていたのかが事細かにわかると思います。余りに事細かに書きすぎて、大量になってしまいました。この量を全て読み切れる人はおそらくいないでしょうね。読み切った人がいたらぜひ教えて欲しいです。よっぽど暇なのですね、その言葉を送ります。
なぜfeelingsで公開することになったのか。それはシンプルにfeelingsを書く題材が他に無かったからです。正確には無くはないのですが、気持ちが乗らなくて書けていませんでした。その点、この日記は気持ちも含まれているし、ちょうどいいかなと思いました。ずっと遊んでいると思われるのも嫌だったので。そして、ずっと私は日常系ほのぼのfeelingsが書きたいと思っていました。卒部feelingsで内容が重い文章をたくさん読んで疲れていると思うので、今こそちょうどいいですよね。そんな中で、日記というほのぼの系の境地を逃すわけにはいきませんでした。きっと外国なんてネタの宝庫でしょう。だから、サッカーのことについては意識的に避けて書きます。サッカーのことについて聞きたい人は普通に話しましょう。求めている答えが帰ってくるか知りませんけど。feelingsにするにあたって、流石に公開するならと思い、一人称を私に統一しました。気持ち悪くて仕方がないです。誰かこの問題の正解を教えてください。
また、公開時期について。新歓の大事な時期に、こんな文章を晒していいのでしょうか。そんな疑問はあります。しかし、feelings担当者の方曰く、「ア式に入ってもこんな自由にしている人がいるよ、というロールモデルになるからいいんじゃない」だそうです。確かに新入生は3月暇ですもんね。ぜひ読んでください。ア式は自分次第でこんな面白いことができます。
なぜこの留学をしたか。さすがにそれは説明したほうがいいですよね。サッカーのことを避けると言いましたが、これだけは書いておきます。
私は今サッカーを知っていくことが、サッカー生活において1番の楽しみになっています。それこそプレーして相手をかわしたり、ゴールするよりも。これが全ての始まりになっています。
東大ア式蹴球部にはサッカー面において素晴らしい頭脳を持った先輩方が沢山います。それこそ山口遼さんから始まり、俊哉さん、オカピさん、高口さんと言った感じで。ア式を代々コーチとして支えてきた面々です。指導者をするには当然選手たちよりサッカーを理解していなくてはなりません。上に挙げさせて頂いた方々は、選手をやっている内に自分は敵わないと特に感じさせられた人たちです。人は自分は敵わないと感じたとき、自信を失います。その瞬間は投げ出したくもなるでしょう。ただ時間が経つにつれ、ほとんどの人はそれを認めて、それを忘れて行動しているでしょう。ア式の部員がプロに本気でなろうと思っている人がほとんどいないように。でもそのほとんどの人は小さな頃、サッカー選手になるという夢を心のどこかに1度は抱いていたはずです。私の場合は、サッカー選手になるという夢だけでなく、サッカーを知るというその行為でも自信の喪失が起きてしまったのです。ただ、ア式でプレイヤーをする皆さんはまだサッカーを続けていますよね?テクの皆さんだってそうです。プレイヤーを諦めたと思っているかもしれないけども、サッカーはやめていません。それは単純にサッカーが好きだからでしょう。やっと冒頭の部分に戻ってきましたね。そうです。同じように私もサッカーを知ることが好きで、楽しくて、続けていました。ただ、サッカーをプレーすることとサッカーを知ることは決定的な違いがあると思います。それは評価軸の広さの度合いです。
サッカーをプレーするにあたって、評価軸は割と限定的であると思います。評価されたものはプロになれるし、されないものはなれない。もちろん人によって基本、評価軸は異なりますが、ア式の中で今すぐJ1で活躍できる選手がいると思う人間はいないでしょう。
一方、サッカーを知ることに関しては、評価軸の幅はプレーと比べると、格段に広いです。ネット上では、「○○はこういうところがある、だから私とは違う」、「○○は価値観が合わない」、「○○とは違って、私はこう思う」というような意見が多々見られます。こういう意見はむしろプロの世界で活動していない人の方がプロの世界を見て発信していることの方が多いと思います(日本では特に)。Jで活躍しているスタッフより、先ほど挙げさせていただいた4人やネット上の人の方がサッカーを知っているのではないか?ということを思ったりもすることがあります。ア式のようなレベルのチームにも、ネット上にも、そういった可能性を考えさせてくれる人が何人もいることは、評価軸が沢山あることの証明だと思います。プロのスタッフももちろん評価されて、その地位にいるわけですからね。もちろん、そんな単純な話ではないことは理解しているつもりです。ここでは、評価軸が多様であるということを言いたかっただけなので、悪しからず。
だから私はサッカーを知るという夢はまだ、夢のままで良いのではと思いました。彼らに敵わなくてもいいんだと思うようになりました。それはもちろん評価軸が多様だからです。
ア式のサッカーという評価軸ではその4人を超えることは至難の業でしょう。山口遼さんに至ってはその源流みたいな人なので。高口さんはその直系みたいな感じだし、俊哉さんもきっとそこを元に勉強してきたのでしょう。オカピさんは少し異なるかもしれません。本性はレッドブルだと思います。ア式自体も、今は監督が変わり、全く同じではないですが、その流れに再び近づいています。
だからこそ、いち早くア式を出る必要がありました。違う評価軸で自分を作っていくためです。もう彼らをこの評価軸で超えようとはもう微塵も思っていません。
いち早くア式を出るという部分の中の、いち早くの部分について話しましょう。
幸か不幸か、私はア式で2年間過ごしてきました。
幸の部分からいくと、サッカーを知る楽しさを知れたことです。東大に入ってなかったら、この楽しさを知らず、平凡な人生を歩んでいたことでしょう。このような深い思考をすることもなかったはずです。
不幸な部分は根がア式のサッカーになってしまったことです。いわゆる洗脳状態。プレイヤーとして身につけてきたものがある分、取り払う、疑うことが難しいです。やはりそこは東大。理論が通っています。どこかに穴がある理論ならすぐに取っ払うことはできます。しかし、遼さんが積み上げてきたものは半端ではありません。これじゃん、こういうことじゃん、これでしかないやん、そのような思考に何度陥ったことでしょうか。ア式という評価軸ではもう勝てませんね。
だからこそいち早く抜け出すことが必要でした。
抜け出すならア式を辞めればいいじゃないかということになりますよね。でも私はそうしませんでした。
他のチームでやっても、上手くいっても彼らと同等の積み重ねを行うだけです。何ならア式は素晴らしい環境下にあります。こんな環境でやれているアマチュアチームは数えられるレベルでしょう。なので、そこでやっている(やっていた)4人に差は離されていく一方でしょう。ア式というハイレベルな人間たちがいるこの環境を離れるわけにはいきません。大切な友人たちもいますしね。なのでこの案は無しということになります。
また、彼らとは単純にサッカーにしっかり向き合ってきた年数も元々の地頭も違います。私が本当に向き合ってこられたのはたったのここ1年のことです。だからこそ違うことをしなくてはいけませんでした。選手をまだやっているのはそれも大きいです。ですが実際に必要なのはもっと大きい規模での違うことです。去年の夏、私は日本各地の指導者の方々にお話を伺いに行きました。これも学びのある経験でしたが、もちろん4人もやっていると思います。なので考えることはもう本場に行くしかありませんでした。本場のサッカーを観て、違う評価軸を見つけに行く、ということでした。きっと、日本の指導者の全員ができる経験ではないでしょう。彼らとの差を埋めるために、行こうと思いました。さっき『オカピさんは少し異なるかもしれません。本性はレッドブルだと思います。』と書きました。オカピさんはア式ではない評価軸を知っています。知っている上で、ア式の選手たちとア式の会話をしていました。このア式ではない評価軸を学んだのは、オーストリア留学の時ではないのかなと勝手に思っています。海外に行くヒントを得たのはここです。
一応なぜスペインなのかという説明もしておきます。まず単純にスペインのサッカーが好きなのがあります。また、世界の中でも育成(指導者育成も)はトップクラスに整備されていて、学ぶイメージが持てたからです。ですが1番の理由は、スペインの実情にあります。実はロングボールが飛び交うサッカーも存在するらしいのです。あんなに国としてどんなサッカーをやるか分かりやすいのに、その中に違う評価軸も存在するようです。その理由が知りたくなりました。
少し戻ります。あれ?違う評価軸でやるのに、何で差とか言っているの?と思った方いますかね。ただ、抜け出して違う評価軸を作ったからといって、4人と私が同じラインに立てるわけではありません。評価軸の中で成熟度があるからです。違う評価軸の人が議論をする際、一方が納得して終わることがあります。それは一方の成熟度がもう一方の成熟度に優ったということを表しています。成熟度が同等なら、どちらも自分の意見を貫き通して、決着がつかないからです。恐らくそれはどちらも正解なのだと思います。サッカーは多種多様ですから。なぜ同じラインに立っていないかは、彼らと私には成熟度において圧倒的な差があるからということになります。先ほど述べていた差は成熟度の話でした。
もちろん、今現在、自分のアイデア(評価軸)が全くないわけではありません。むしろどんどん湧き出てきて、常に楽しいです。ただ、成熟度が低かったり、まだ考えられてない側面などが沢山あります。だからまだ私は彼らと議論するレベルにないのです。成熟度が低いレベルで議論を始めると、0から根本的に考えが変えられてしまう可能性があります。考えられていない側面の話を聞くと、その考えが正解でしかないように聞こえてしまいます。私は自分自身が完全に0から納得しないと、先に進めないめんどくさい性格です。つまり、人から聞いた考えで、何となく納得した気になるのが許せないのです。その結果、とりあえず聞いてみるということができません。議論をしたいのです。そんなんいいから話聞けよという人はすいません、無理なのです。そっちの方が早く学べるよという意見もあるかもしれません。でも、その違和感が無理なのです。私がサッカーを知りたいと言いながら、ア式関連の人たちとサッカーの話をする回数が多くなかった理由はこれです。論破されて自分がア式の評価軸に染まってしまったら、私の夢は潰えるのです。
結局のところ、私は彼らの成熟度を超えたいとは思っています。しかし、まあ無理だとも思っています。そして、凄い人たちだと思って尊敬しています。彼らの理論は本当に本当にすごいです。人の考えをパクるのが嫌だという性格のせいで、私は相当回り道をしています。人の考えを学んで、取り入れて、それを自分の中で解釈して発展させられるほどの能力の高い人間ではありません。多分高口さんはそれができる人間なのでしょう。一方何度も言うように、私はその考えに飲み込まれてしまうのでしょう。さらに運悪く、私の1番身近にあるその考えがア式の評価軸だったのです。苦難の道ですね。挑戦しがいがあると思います。
長くなってしまいました。まとめたいと思います。なぜこの留学をしたかの話でしたね。
・ア式以外の評価軸の観察
・自分自身の評価軸の成熟化
・人と議論できるようになる
これがこの留学をした理由です。これの目的を達成するために留学が必要だと思いました。最終的に私がしたいことは評価軸を成熟化させ、それを試すことです。その糧となるような時間にしたいと思います。
実はこのプロローグは帰りの飛行機の中で書いています。プロローグを最後に書くことあるのですね。私が留学に行く前の気持ちを1つずつ思い出しながら、紐解いていったら、しっかり言語化できました。上に書いてある思考を、ここ1年くらい少しずつしてきたのです。今までこの留学について、色んな人に聞かれました。なぜ行くのか。全員に曖昧な回答をしたと思います。大体の人はサッカーを知りたいから行くのですと言われたことでしょう。その言葉の裏側はこういうことでした。
それでは、本編をお楽しみください。
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