整理
3月某日。天気晴れ。大阪市南部。
区役所でマイナンバーカードを受け取る。
その後は長居公園を横切り、某靴屋に入る。裏に穴の空いたスニーカーに変わる靴を買う。満足して家付近まで戻るも、特にやることがないことに気づいてそのまま放浪の自転車旅に出かける。とりあえず校区をぐるりと1週。3年ぶりのラーメン屋で昼食を済ませたのちに、我が庭である天王寺へと向かう。天王寺に到着してもペダルを漕ぐ足は止まらない。そのまま谷町筋を北上。5分程すると左手に母校が聳え立っている。中に入ることはなく、そのままUターンして谷町筋を南下。帰りは少し脇道に外れて天王寺の外れにある、受験期に通っていた塾の前を通る。最後は一番馴染みのあるルートで家まで戻る。全て合わせると3時間ほどは自転車を漕ぎ続けていたことになる。
終始感じていたのは、気持ちよさと懐かしさと寂しさ。そして、時間の移り変わり。数年の受験期と1年の東京での生活の間に行かなかったところを改めて訪れることは、昔を思い出し今と比較することに繋がった。過去との比較は、今の状況を整理しこれからの自分のことを考える手がかりになる。ここでは大阪で見たことを基に最近の自分を整理していく。3,4月のことを中心に書いてるので少し時間のズレがあるかもしれないが、ご了承ください。
まずは大阪で見たもの。
変わるもの。
自転車を漕いで気づいた。数年前にはあった空き家は取り壊され、パーキングエリアになっていた。知らぬ間に建設されたマンション。リニューアル工事で閉店していたスーパー。小学校の頃から工事されていた道路が開通していたことに感動した。
変わらぬもの。
街の雰囲気。街並みが多少変わってもこれは変わってはいなかった。言葉にできない落ち着いた感じ。住宅街であるが建物は東京ほどは密集しておらず、人は若干少なめ。けど、2車線の通りを車はそれなりに走っている。1人で散歩する老人の方々とたまに現れる中学生。小学校とそこから湧き出る声。5年前、長居公園に走りに行った時の道の右手にある寺も、左手にある大豪邸も、中高でお世話になった整骨院も。それらは自分の中の記憶と同じように残っていた。5年前はなんとも思わなくて猛スピードで駆け抜けた景色は今となってはとても貴重なものに思えた。天王寺もまた同様。私が毎日のように通っていた時とほとんど何も変わっていないように感じた。ハルカスもてんしばもキューズモールも、当然だけどそこにあった。さらには母校の周辺も。学校の中では、後輩が部活に打ち込んでいた。所々、私の学生時代と変わらぬ学ランを着た学生が見られた。外もほとんど変わっていない。谷町筋の車通りの多さ。部活後によく行っていたファミマ。母校近辺は本当に何も変わっていなかった。少なくとも私には気づかなかった。
少し脇道にそれる。
変わるもの。
人生において変化に対して様々な感情を抱くのは、なんだか昔の日本人っぽい。日本人は古くから移り行くものに風情を感じていたらしい。鴨長明は、河の流れは同じ様に見えるが、水は絶えず流れておりその水は常に変わっていることを例に出して人生の無常を述べた。琵琶法師は、盛者必衰から無常の儚さを語った。私が変わったことに寂しさを覚え、変わっていないことに安心感と懐かしさを覚えるのはこれと似たような部分があるということなのかもしれない。こんなことを考えてしまう自分のことをとても堅く古臭く感じる一方、自分の中にもこういう一面があることに少し驚く。
変わらないもの。
正確には、「まだ」変わっていないもの、あるいは、変わっていることに「気づかない」もの。宇宙ですら絶えず膨張しているのだから、この世で変わらずにいるものなんて多分ないのだろう。
個人的には変わっていないものを見ると安心感を覚えることが多い。やはり人間には安定したものに頼りたい本能が備わっているということなのかもしれない。
話を元に戻す。大阪へのあっという間の帰省を終えて東京に戻ってきた。そこにあったのは。
変わらぬもの。
日常。駅では人は相変わらず忙しなく動いている。電車は同じ時間にやってくる。街ではある大学生のグループが騒いでいる。太陽は東から昇って西に沈むし、星は変わらず夜空に輝いている。
これは私についても同様である。日常。太陽が落ちる時間帯にサッカーをしているという日常。日中は日によって様々な活動をしているが、その後の行動パターンは変わらない。東大前の出口を出てすぐに右に2回曲がり、タクシーが待機している静かな道を進んで、東大の中でも指折りで影の薄い門からキャンパスに入る。部室は門のすぐそばで、入ると大抵はすでに先輩が誰かしらはいる。「お疲れっす。」と挨拶をし、自分は黙々と練習の準備をする。
私はこの日常が好きだ。なんとも言えない安心感がある。後は、サッカーをすることができているということにも。
その変わらない日常の中にあるのは。
変わるもの。
体。最近は、部全体としてフィジカルが足りないとして筋トレをするという流れになっている。自分も例外ではない。トレーニングを始めてから今の所順調に筋肉は着いてきている実感がある。目に見える変化があるのは嬉しいものだ。筋骨隆々の先輩Hに筋トレのことを聞く楽しみ。DL(怪我人)メニューで最近復帰したやる気120%の先輩Sとの無限腕立て伏せ。聞いたらなんでも教えてくれる同期のフィジコD。恵まれた環境で自分はさらに強くなる。
ここで考え直すのが、テセウスの船筋トレver。筋トレをして細胞の破壊と再生を繰り返し、今ある筋肉がなくなって新たに大量の筋肉が体を覆った時、そこにいるのは「まるで別人」を超えた「全くの別人」。それまででは勝てなかった相手に勝てるし、できなかったことができる。自分はまだまだその領域には程遠い。
変わること。
技術。OBコーチのY先輩に「下手。練習して。」と言われ続けてだいたい2ヶ月が過ぎたか。全くもってその通り。2月とかは割と練習してたし、ちょっとは上手くなったのだろうか?まだまだ足りないのは分かってます。でも、同期の丸々としたテクニカルスタッフYに「お前下手になった??」とか言われるとイラっとくる。
サッカーの技術は筋トレと違って、数値化しにくく目に見えにくい。トラップの置き所は個人によって変わる。自分が思い通りのプレーができるようになるまでボールを蹴り続ける。時間はかかりそうだが、そこは根気。
変わること。
頭。ア式に入ってサッカーについて様々なことを教わってきた。1年やってみたが、自分はまだサッカーのことをまだまだ全然知らないし、その奥深さに気が遠くなる思いをしてきた。しかし、監督が代わってからさらに色々なことが新しくもたらされた。新たなOBコーチも色々なことを教えてくれる。新たな情報を受け取り、頭のアップデートを日々繰り返す。一つ意識して一つ忘れてしまいながらも、なんとか少しずつ前進している。
変わらないこと。
情熱。サッカーへのモチベーション。元々サッカーは好きだ。受験期(特に浪人期)にそこに新たな火が焚き付けられた。夜遅くに予備校から帰ってくると付いていたテレビ。そこに映ってるのは弟が見ているCLの試合。サッカーをしなくなった者を惹きつけるには十分だっただろう。さらにはカタールワールドカップ。時期もあってほとんど試合は見れなかったが、日本のドイツ戦はフルで観た。格上相手からもぎ取った逆転。あの試合を観て、心が昂らない人などいるのだろうか?僕の場合は心の奥のそのまた奥に閉じ込められていた何かが疼いた。サッカーがしたいと。
今でもその気持ちは変わらない。ごくたまに、練習ダルいなぁって思う日もあるけど、人間ってそういうものだと信じてる。でも結局は、心の中の芯の部分はなにも変わってないと思うことがある。
変わること。
季節。東京にきてから季節が一つ巡った。冬の寒さは徐々になくなっていき、半袖でも練習できる日が増えてきた。去年の今頃、新しい生活に心躍らせたときと同じ気温の雰囲気にもはや懐かしさを覚える。
季節が巡ったということは、学年が一つ上がったということ。一つ下の学年の新入生が入部してくる。育成練の人数が増える喜びと上手い新入生に立場を追いやられないかという不安に襲われる。
季節は止まらない。次はあの憎たらしいほどの暑さに向かっていく。そしてその暑さが終わる頃には今の最高学年は引退し、再び寒い冬が訪れる。私は考える。そのようにして季節が巡った時、自分はどうなっているのだろうか?自分が思い描くような成長を遂げているのか?
変わらないもの。
カテゴリー。僕は入部してからずっと育成チーム(Bチーム)にいる。Aチームに上がりたいと思ってから数ヶ月が経つ。自分の同期や去年育成チームで一緒にプレーしていた方々が続々とAチームに上がってしまった。彼らの飛躍を羨望する一方で、それが自分ではないことが悔しい。少し前に一緒の試合に出られる機会があったのだが、彼らはちゃんと上手かった。よく育成とセカンドは差がそんなにないと言ってくれる人がいるけど、セカンドはちゃんと上手い。トップチームはそのさらに上を行く。彼らの練習や試合を見て何が違うのかを考えるのは、最近始まった試み。たまに、自分がここに入ったら何ができるのかという観点で試合を見るが、正直、まだいいプレーをしている自分の姿を想像することもできない。
OBコーチのY先輩は2年の6月に初めてAに上がったらしいし、別のOBコーチのJ先輩は途中入部で、1年ちょっとでAに上がったらしい。私もそのくらいを目安にAチームに上がりたい。結局は日々の練習が一番大事だし、積み重ねるし続けるしかない。本当に怪我とかしてる場合ではない。
少し話は変わるが、3月に入ってから広報の仕事で画像を作ることが増えた。色んな人の写真を選び編集していて、写っている選手がとてもかっこよく見える。そこには同期の姿もある。自分もいつかは編集される側に回りたいと思うようになってきた。意外なところで見つけた新たなモチベーション。
さらに今後を見据えてみる。そこにあるものは。
変えなければならないもの。
意識。もっとサッカーのことを考える。プレーのことも。ピッチ外のことも。もっとサッカーを知る。それを実行できるようになる。技術的に上手くなる。できることを増やす。
成し遂げること。
目標。現在はスタメン奪取。そして勝つ。
道のりは険しい。
それでも成し遂げる。
いつか。必ず。
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