サッカーのない未来
島智哉(4年/MF/湘南高校)
プレーヤーとして完全に試合に復帰する前に、最近長期離脱する選手もいたのでこの怪我をしていた期間に思っていたことを書こうと思いました。 そしたらギリギリ(もしかしたらもう出てるかも)になりました。ただの怠惰です。
2023年5月13日 都立大戦 左膝半月板損傷
2024年1月 5日 オフ中のトレーニングにて 右膝半月板損傷
なんと不運だったのだろう。
今となってはこれ以上の感想はない。怪我の原因には接触や習慣的な疲労の蓄積などがあるが、自分の場合のこの怪我の大きな原因は生まれつきの半月板の形だった。円盤上半月板と いう小さな衝撃でも損傷しやすい体を持っており、それがたまたまこのタイミングで、たま たま連続して損傷してしまったのだ。もちろん身体の使い方などの影響もあるだろうが、ただただ不運だったと思うことにしている。
最初の怪我で膝が曲がらなくなってしまった時、これは長い離脱になるかもと覚悟はしていたが手術と完全復帰までに 6 ヶ月かかると言われた時は流石に衝撃を受けた。 もし、あの試合の翌日にセカンドの試合に出ると言われていなければ無理をしないで途中でやめていたかもしれない。もし、あの試合の中でコーナキックを蹴らなければ、トドメとなってしまったロングボールを蹴らなければ無事に前半を終えられたかもしれない。そんなタラレバを考えながら手術の準備をした。
唯一ラッキーだったのは大学 3 年の夏というタイミングで就活の2文字が目の前にあったことだろう。怪我をしてしまったことはしょうがないし、復帰するまでは就活を進めよう。そういうメンタルの保ち方がまだできたし、結果として第一志望の企業に内定することができたのはせめてもの救いだった。
しかし、都立大戦の翌日にセカンドの試合に呼ばれていた自分以外の 2 人は A チームに定着し、田中に至ってはリーグ戦にデビューもしていた。自分が怪我をしなかった世界線を考えても無駄であることは分かっていながらも、もしもの世界を考えずにはいられなかった。 怪我が治って最初の練習復帰は当時の 4 年生が引退した翌週で、知らないうちに一つ上の 代と一緒にプレーできる最後の試合を迎えていた。結局陵平さんのいる間に A チームに絡むことはほとんどできなかったし、竹内と一緒に出た試合はごくわずかだった。さまざまな悔いが残るがラストシーズンがまるまる残っていたし、そこでシーズンを通じてリーグ戦に関わることを目標にすることでリハビリを乗り越え、じっくり時期を待った。2023 年の後半で出られたのは成蹊リーグ時期の4試合だけで当時の 1 年とはそこで初めて一緒に試合に出た。4年の引退後で最高学年の 3 年が自分だけであり、正直疎外感もあったが潤やヤジが OB コーチにいたし、年内は育成でコンディションを上げて年が明けてからが勝負だと思っていたからこの時期はモチベーション高くサッカーに向き合えたと思う。
冬オフに突入すると、コンディションをシーズン開始時に十分に上げた状態にするためにほぼ毎日ジムやグラウンドに足を運んだ。新監督になった徹さんのサッカーを理解するために A の練習映像もみた。ラストシーズンのために、やり切ったと言えるようにサッカーと向き合おうとしたつもりだ。
そんな矢先に 2 度目の半月板損傷をした。冬オフも終盤に差し掛かり、チームでのトレーニングが始まる直前の時期だった。怪我をしたその日は少し痛む程度で2、3 日休めば治るかな程度に思っていたが翌朝には膝は曲がりにくくなり、そこでようやくまずいかもと自覚し た。冬オフ後のチームの始動日には足を引きずりながら何をやってるんだろうと思いながら グラウンドへ出たのを覚えている。冬オフ中にベトナムの地で笹森にオートバイで突っ込んだ裕次郎が冬オフ直後に怪我で離脱したタイミングで A に上がれるチャンスがあったとコーチ陣から聞いたときにははチャンスを悉く潰している自分に呆れと怒りで苛立ちを感じていた。
この怪我は前回のように膝が全く曲がらないものではなかったために保存療法を最初選択し、短い時期での復帰を目指したが結局ジョグより先に進めず 2 月の終わりに手術をして全治 6 ヶ月を繰り返すことになった。手術が決まると同時に自分の復帰時期も見え、部活をやめることがチラついた。というよりもやめるという決断が自然であるように思えた。 段々と手術が近づくにつれ、部活を続けるよりもやめる選択肢が大きくなっていた。どうせ 復帰できるのは 7-8 月。引退までの十数試合全て出られればいい方だな、さらに怪我をして 10 試合も出れないかもな。そんなことばかりが頭をよぎり、そのために半年間を費やすことに対して、果たしてそれは最善の選択なのだろうかと悩んだ。実際、高校時代のサッカー 部同期やア式の先輩などに相談もした。しかし、ア式の同期には相談ができなかった。陶山も連絡をくれたし、希一と章、北川はお見舞いにきてくれた。そうしたことは嬉しかったが、 イシコの引退しないでほしいという連絡には何故か腹が立って冷たく連絡を返した。ごめんね、イシコ。ア式の同期には引き止められるような気がしたし、それを真正面から受け止める余裕がなかったのだと思う。自分の大学生活でやりたかったことがサッカーに関して全く叶わないことがわかり、その未来を受け入れられなかった。選手としての自分の価値がほとんど無になり、今までのことが無駄のように思えてしまったのだ。同期以外に連絡をすることでサッカーを諦める選択肢を肯定して欲しかったのかもしれない。今年で 23 になるし、 中高の同級生が就職するタイミングだったことも、この年でサッカーをする意味について 考えてしまう一因だったのだろう。手術して数日経つまでの期間は早めに引退して長く海外にでも行こうかなどと考えていた。プレーヤーを辞めて自分はサッカー以外のどこに楽しみ を見出していくのだろうと、サッカーから離れた先の未来について考えていたのだ。
復帰をしようと思ったきっかけは何でもない手術後数日経った日の夜だった。病室で眠り につこうと目を閉じている間に大学 2 年のあたりの練習試合の光景が頭の中で再生された。 ただの練習試合のただのワンプレーが、サッカーでしか味わえない高揚が頭の中で再生された。その事実が復帰に向けて背中を押してくれた。ただもう少し試合に出て、もう少しピッチで活躍がしたい。サッカーに執着するだけの理由はそれで十分だと思えた。当初のシーズン目標はもう叶わないけれど、それも一つのサッカー人生であり、それを受け入れてまたピッチに立ちたいと強く思えた。
復帰をしようと心を決めてからはシンプルだった。復帰へのプロセスは知っている。それが 面倒であることも知っていたがそれは大した障壁ではなかった。3 月の追いコンで皓太にコ ーチをやらないかと提案され、プレーヤーとしてのリハビリをしながらコーチで時間を取られることはきついと思うこともあったが、この期間の生活は一つのいい経験だったように 思える。コーチ陣も思ったより悩んでいることが分かったし、人に何かを伝えることの難しさも感じた。その分 OB コーチをしていた先輩たちの凄さを改めて感じた。選手復帰を目指しながらコーチをする人間は今までいなかったから同期や後輩にどのように思われていたのかは分からないけれど、自分なりに伝えたいことをなるべく伝えるようにしたし、リハビリも疎かにしたつもりはない。この期間にリーグ戦前期の帝京戦で馬がサイドバックで出場した際には羨ましいと感じたし、チームが中々波に乗れないリーグ戦に関われない歯痒 さも感じる。この感情を忘れずに、これからの 3 ヶ月がこのリハビリ期間を肯定してくれることに期待しよう。
長期離脱をすることになった選手が最近いるが、そういう選手にはぜひサッカーのない生活について一度考えることをおすすめしたい。自分自身は就職活動と2度目の手術で部活 を離れるかもと考えていた時期によく考えていたのだが、どうしてもサッカーの関わる期間は有限である。ある人は高校で、ある人は大学の途中で、サッカーを辞めるタイミングは様々であるが、来年の今頃毎日グラウンドに足を運べる同期は OB コーチをする面々とサ ッカー小僧の北川くらいであろう。そして彼らも数年後には社会に出て、週に最大でも1、 2 度しかボールに触らないのが普通の生活に馴染んでいくのが当然であり、気付かずにサッカーから少しずつ離れざるを得ないはずだ。指導者や分析官などの道に進みサッカーと関わり続けることもできるが、そうでない世界がスタンダードでその世界が目の前に迫ってきている事実は避けられない。そしてそのサッカーのない世界は今まで生きてきた以上に長い期間である。サッカーから離れた世界で自分が何をしたいのか、何をして生きていたいのか、 そうしたことを考えることは自分の将来の指針の一つになると思うし、どう生きたいかという漠然とした問は。答えが分からなくても考えることに意味があるのはないだろうか。サ ッカーを辞めたいと思うことがあるかもしれないが、大学生活が東大生にとっては競技サッ カーに打ち込めるほぼ最後のチャンスであり、だからこそサッカーのない生活を考えるこ とで逆に今サッカーできていることに夢中になれると思うし、毎日を惰性で過ごしていい はずがないことを実感できると思う。大学生は自分の裁量で時間を使えるからこそ、私はサッカーに使いたいと感じたし、残りの 3 ヶ月はサッカーに悔いのないように向き合い、引退後の半年間で旅行などで悠々自適な生活をすれば十分だと考えた。これが自分にとって一 番意味のある大学生活に思えたのだ。
自分自身、潤の卒部 feelingsにも後押ししてもらった。今は大変だろうが、馬にも頑張って欲しい。
あともう少し、頑張ろう
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