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バッハの旋律を夜に聴いたせいです。
中田佳吾(1年/DF/富山中部高校)
『無限大なゆーめのーあとー、何もない世の中じゃ〜』
いやになるほど聞いたアラームの音で目を覚ます。体起こす前に天井でチェスを1局、これは幼少期からの日課である。朝御飯を食べながら天気予報を見る。今日は晴れ時々ヤドクガエルのようだ。傘と素数を数える準備をしなければならないと思い、少し憂鬱な朝だ。身なりを整えて、家を出る。隣人である男の科学者と目が合ったので会釈。彼の秘密はいつも怒っていることらしい。たしかにたまに肌が緑になっている。2分足らずで駅につき大学へ向かう。真っ先に書籍部へ向かいジャンプ購入を目論む。先週発売したものがあった。どうやら合併号だったらしい。むしゃくしゃしたので、カバンにあった檸檬を書籍の山の上に置いて出た。きっと爆発していることだろう。授業を適当に受け、食堂へ。今日の授業は物を浮かせる魔法を学ぶものであった。語尾をしっかり「オーサ」と言うことがポイントだった。食堂ではチェリーパイを食べた。隣の麦わら帽子と赤い服を身につけた男がめちゃくちゃまずいとか言っていた。断じてそんなことはなく、めちゃくちゃうまい。良き時間になったため部活に向かう。渋谷で定食屋に入り、ステーキ定食を頼む。焼き方は勿論「弱火でじっくり」だ。奥の部屋に通されて暫くしてから出ると地下の半蔵門線のホームにつく。電車で本郷に向かう。炭酸抜きコーラとおじやを食べてから、5時半から7時までサッカーをして、その後筋トレ。腹が減ったため部員のみんなで旬悦に行った。滅多に入ることのできない飲食店であったので非常に幸運だった。定番メニューの「にんにく鳥の親子丼」を食べた。おばさんは厨房でオーロラの立つ透明なスープを作っていたので次きた時飲むことにしよう。先輩に奢っていただけた。一人暮らしの私にはとても助かる。「ずっと後輩のままがいい〜」と切実に思う。家に帰る道中に橋の下でサックスを吹く男をみた。心に迫るような音で圧倒された。いいものを見れたと満足し、幸福感を抱きながら就寝した。
とりあえず私がいつも過ごしているような一日を書いてみた。大体4ヵ月間は変わらずこんな生活をしている。お前は情景描写からfeelings をはじめろとのお達しがあったためこのような形で始めた。私はそれなりにfeelingsを読み漁っているのだが、結局のところ何を書けばいいのかはわからない。こういう時は定義に立ち返るのが1番だと思い、HPを見てみる。
「feelingsとは、ア式部員が日々感じていることなどを思いのままに更新していく部員ブログです。」
おおそれならば、これから私の好きな漫画十選などを書いてfeelingsを終えてもなんら可笑しなことにはならないということである。しかしここで私の、臆病な自尊心と尊大な羞恥心が邪魔をする。私は外れた道を見つけることはできても、道を外れることはできないのである。危ない橋を見つけてもそれを渡ることはできず、材質を石に変えて、尚且つ叩きながら歩もうとするのである。結果私は、過去の作品群と同じように、自分とサッカーとの関わりについてfeelingsを書くしかないという現実に気づいてしまった。なので書こうと思う。
私にとってサッカーとはなんであろうか。年中から始めて、かれこれ15年。NARUTO-ナルト-の連載期間と同じくらいプレイヤーとしてサッカーをしてきている。ここまで長く続けていると、ただ22人で一つの球を蹴り合うというもの以上のものがサッカーにはある気がする。
私にとってサッカーとはなんであろうか。公式戦があれば前日のうちから心身共に、準備をする。サッカーのために、日常を変えるのである。そしてそれが自分の日常となっていく。サッカーは自分の日常にあるべきものとして組み込まれて行く。
私にとってサッカーとはなんであろうか。私の肉体やメンタルコントロールを鍛えあげてくれたのはまさにサッカーである。私の思考、感情の師が漫画であれば、肉体、精神の師は紛れもなくサッカーである。サッカーが私を育ててくれたのである。
私にとってサッカーとはなんであろうか。15年もの間サッカーを続けている私であるが、胸を張ってサッカーを愛している、と言える時期は高三の秋から今に至るまでの一年足らずである。それまでは特に愛していたわけではない。だがしかし、サッカーを続けてきた。
私にとってサッカーとはなんであろうか。この問いを考えてるうちに村へ散歩に出た。大体こういう時は「町」なのであろうが、私にとってそれは「村」である。整然と稲が植えられた田んぼに囲まれ、おおよそ曲がり道なぞは見えることのない、真っ直ぐな畦道を歩く。帰省したからといって、特段することもない。照りつける直射日光の下、目的もなく歩き続ける。この暑さであるため、人にも動物にも虫にもすれ違うことはなかった。東京では味わうことのない、自然的な静けさの中、私はふと呟いていた。
「嗚呼、サッカーがしてえ」
帰省して、することもなく、徒然な日々。そこで1番に思い浮かんだのはサッカーであった。そして急に私にとってのサッカーの答えが出た気がするのである。
私にとってサッカーとは「罪な女性」である。自分に振り向くことは滅多にない。正解よりも不正解の選択肢の方が多く、正解を選んでも、不正解になり得る。しかし、ごくたまに自分に振り向くことがあり、それだけで彼女を追ってしまうのである。世界で最も多くの人を男女問わず魅了する。彼女の一挙手一投足に人々は怒り、喜び、涙する。一度彼女に関われば、一度彼女に魅了されてしまえば、いつまでも離れることはできない。彼女の人たらし、特に男たらしっぷりには、ココ・シャネルやマリリン・モンロー、和泉式部もびっくりである。彼女と接していない時も彼女のことに頭を悩ませる。しかし、彼女を追うことを辞められない。私にとってサッカーとはそんな存在である。
字面にするとなかなか気持ち悪いものがあるが、私はこれが1番上手くサッカーを表せていると思う。6月ごろに同期が、「向こう1年は生きていけるゴラッソを決めた。」という事を言っていた。私もそのような気持ちになることはある。まだサッカーを続けようと、続けたいと思うプレーがたまにできる。そういうプレーができると、サッカーが自分に振り向いてくれた気がする。そして性懲りも無く、サッカーに打ち込む。プレイヤーはサッカーに「沼っている」のである。
また彼女を追い続けていると、素晴らしい人々に出会える。私の交友関係は8割方サッカーで出会った人々である。普通に生きていれば絶対に関わらなかったような人々とサッカーは交流させてくれる。私の知人はサッカーを一緒に見ることで彼氏を作っていたりもする。サッカーは世界で最も大きな人脈のハブ空港である。
大学に来てまで、部活でサッカーをしている者達は、尋常じゃないレベルでサッカーを愛してしまっている者達である。かくいう私もそうである。先述したように、高三まで私はサッカーを愛しているとはいえなかった。いや、愛していることに気づいていなかったのである。自分の気持ちというものは気付きにくい、いや気付きたくないものである。しかし一度気付いてしまえば、そこから目を離すことはできやしないのである。
「一度愛されてしまえば、愛してしまえばもう忘れられることなどできないんだよ。」
夏目友人帳の言葉である。私はサッカーを、彼女を生涯忘れられることはできないだろう。しかしプレイヤーとして、彼女を振り向かせることができるのは、残りこの四年間しかないのである。はたからみれば、大学生にもなって、一人の女性を追い続けるという行為はとち狂っているとしかいえない。だが、追っている身としては幸福感に満ち溢れている。また自分に対して振り向いてくれるかもしれない。まだ生きる活力を与えてくれる良いプレーができるかもしれない。彼女を追うには十分すぎる理由である。
これこそが私にとってサッカーとはなんたるかの答えであり、ア式でサッカーをする理由である。
どうであろうか。feelings らしいfeelings がかけたのではないだろうか。最初の日常から逃げずに読み続けた方々には感謝の言葉を送りたい。そしてどれだけfeelings を読んでも上手いfeelings をかけるとは限らないことを学ぶことができた。いつかは好きな漫画十選を胸を張って自分のfeelingsとして提出できるように日々邁進し続けようと思う。
一人の女性を残り3年間ちょっと追い続けるストーリーを暖かく見守ってくれれば幸いである。そしてア式のfeelings を読んで私と同じく、彼女を愛してしまう者が生まれればもっと幸いである。
パタン。パソコンを閉じる音が部屋にこだまする。カーテンを開けて外をみる。今日は虚もいないようで、死神代行の仕事もしなくてよさそうだ。夜空に浮かぶ北斗七星と自分の胸に刻まれている北斗七星が見比べる。我が生涯にはまだ多くの悔いがあるのでまだ死ねないな。胸をさすりながらそう思い、明日のア式の練習のためを思って、布団に入り、目を閉じる。
(一行目へ)
ー中田 佳吾の次回作にご期待くださいー
〈参考文献〉
デジモンアドベンチャー
クイーンズギャンビット
ジョジョ奇妙な冒険第6部
アベンジャーズ
檸檬
ハリーポッター 賢者の石
ONE PIECE
HUNTER×HUNTERグラップラー刃牙
トリコ
ずっと後輩のままがいい〜
BLUE GIANT
山月記
夏目友人帳
BLEACH
北斗の拳
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