本音
大石浩哉(1年/テクニカル/浜松北高校)
「ああ 辞めたくないよな」
そんな声が聞こえてくる。サッカーから離れていた高校時代、それでも心は未練で一杯だった。このままサッカーを辞めて、サッカーから離れてしまうのが嫌だった。そんなとき、あの歌詞を、あのメロディーを思い出した。
生い立ちを述べると自分の文章力からして、冗長になってつまらなくなるのが目に見えているから簡潔に。
幼稚園のとき、園庭で週1回行われていたサッカースクールに親の勧めで入ったのがすべての始まり。そこから中三まで約10年ずっとサッカーと一緒だった。小学校の時も中学校の時も何度もやめようかと悩んだ。それでもサッカーを続けて、一旦高校で離れたのにまた戻ってきた。何がそこまで自分を惹きつけるのか、それはいまだにわかっていない。でもその答えの一端はやはりあの曲にあると思う。
サッカーに打ち込んだ中学時代。といってもおよそ二年の活動のうち合計一年を怪我で棒に振った。悔しかった。「ああ 辞めちまおうかな」何度もそう考えた。それでも部活の仲間とサッカーをするのが楽しくて、怪我をしている間も部活に顔を出して手伝いをしていた。部室の埃と土が混ざったような独特のにおいは鮮明に思い出せる。中学時代は生徒会でもお世話になった一つ上のキャプテンに憧れていた。めちゃくちゃイケメンでサッカーも上手かったから、「天は二物を与えず」は嘘だと思い知った。
初めての公式戦だった1年生大会で、10番をもらってやる気に満ち溢れていたのに、直前の練習試合で鎖骨を骨折した。この時の事は忘れられない。地元のある中学のグラウンド。右サイドでボールを受けた自分は縦に突破した。前にいるディフェンスに気を取られていたので背後から近づく怪しい影に気付かなかった。一瞬何が起きたのか理解できなかったが、後ろから人が覆いかぶさってきて押し倒されたことだけは分かった。転んだ自分に慈悲な味方DFは「たて!!」と叫ぶ、何とか立ち上がってあげたクロスは皮肉にも最高のボールでアシストになった。そんなことはどうでもいい、痛い。それしか感じなかった。
公立中のグラウンドあるある、ピッチの中にマウンド、のせいである。もうおわかりいただけただろうか、後ろから追いかけてきた相手DFは、マウンドの傾斜につまずいて転び、自分に覆いかぶさってきたのだ。二人分の体重を受け止めた可哀そうな鎖骨は簡単に折れた。足も速くなく身長もない自分を、顧問が10番に選んだ理由はいまだに不明だが、期待に応えることはできず、1年生大会はずっと傍観していた。チームが県でベスト8まで進出したのもだいぶダメージが大きかった。自分がいなくてもこのチームは十分に戦える、そう見せつけられてしまった。
この期間に、復帰後上手くなるにはどうしたらいいのか考えて、ヨーロッパサッカーを見始め、戦術をかじり始めたことが、後にテクニカルスタッフとして入部するきっかけだったのかもしれない。もう一つ、部活の応援でコールリーダーをやり始めたのもこの時期だった。恥じらいもなく声を出せる方だし、Jリーグの試合もそこそこ見に行っていたので自発的に始めた。先輩や保護者からわりと好評で嬉しかったけれど、それすなわち自分が試合に出場できていないということなので複雑な感情だった。
自分の学年は部員が30人とそこら辺の公立中にしては異常に部員が多く、問題も多くて顧問には本当に迷惑をかけた。そんななかで副キャプテンをやるのはとても大変で何度も投げ出しそうになったが、今思えばいい思い出だ。あれ、あいつ部活いないな、と思えば、また何かやらかして部活禁止か。と納得する日々、そうそうないことだと思う。
そして三年になった。1年生大会での怪我以降、公式戦では怪我で欠場か途中出場だった。あのとき怪我をしていなかったら、そう考えなかったことは無いが、たらればである。
中学サッカー生活はコロナウイルスによって、最後の大会も満足に実施できないまま終わってしまった。この三年間に意味はあったのか。ずっとそう考えていた。そんなときあの歌に出会った。1番好きなアーティストが高校サッカー選手権の応援歌を担当し、その歌詞に救われた。本音でぶつかり合った三年間を肯定してくれたような気がする。サッカーをしていると誰かと一体になったような気分になれる。「僕ら」になれるような気がする。
高校生活はサッカーとは無縁だった。部活動紹介で出てきたサッカー部の先輩たちを見て感じた、何か違うなというちょっとした感覚のずれでサッカー部に入部するのを辞めたから、サッカーと関わることがなくなってしまった。結局、自由参加で部活の雰囲気が面白かった囲碁部に入部した。入部当初は先輩や友人から、「サッカーボールの色と碁石の色が一緒だから?」とかよくわからないことを複数人に言われた。なんだか意味がわからなくて面白かったから、大学に入った今では、高校時代に囲碁部に入った理由として使っている。あのときの先輩、ありがとうございます。
1年生の間は、本当に暇だったのでだいぶしっかりと勉強していた。おそらくこの期間がなかったら東大には入れていなかったと思う。正直友達付き合いも悪く1年のときはノリの悪いやつだったと思う。そんな生活に、自分もどこか空虚さを感じていた。このままの生活につまらなさを感じたので、2年になって何かに挑戦しようと決めた。サッカー部に入らなかった理由の一端には、中学のころのような忙しさはもう懲りた、と思っていたからというものもある。しかし、結局のところ高校に入ってもすることがない状況に嫌気がさして自ら忙しい道に突き進んだ。生徒会長選挙に立候補して当選した。1年時に生徒会役員だったわけでもないので、立候補を決めたときはだいぶ勢いでした面も大きかったが今となっては全く後悔していない。行事などに積極的に関与しながら過ごす日々にはやりがいも多くたくさんのことを学んだ。いろんな立場の人の間を取り持って調整する仕事には精神的負担もあったが、あのバンドがささえてくれた。そうして3年の秋まで行事に心血を注いで生活していた。最後のうんどう会(誤字ではなく母校ではなぜかひらがな表記が使用されている)が終わってしまうとやはり空虚さが胸をいっぱいに満たした。空虚さなのにいっぱいとはこれ如何に、と思うかもしれないが要は空気でお腹いっぱいみたいな苦しさを感じていた。余計よくわからない。だが大学に入ったらこの空虚さを埋めたいという気持ちだけは確かだった。
ここで冒頭に戻る。
これまで打ち込んでいたものが消えて、自分の心から聞こえてきた「本音」は「辞めたくない」、つまりもう一度サッカーに関わりたい、という思いだった。誰かと一体になれればなんでも良かったわけではない。サッカーから1度離れて気づいたことだが、サッカーほど不確実性と複雑性に満ち溢れているものはない。技術の向上や戦術理解の向上によって、少しでも確実性を上げ、複雑さを解き明かそうとするのが好きなのだと気づいた。そこでサークルも含めていろいろと調べていたとき、ア式のテクニカルスタッフの存在について知った。なぜかはわからないけどわくわくして、すぐにここが自分の居場所だと思った。こんなに面白そうなことをやっている団体は他に無いと思った。やるからには遊びで終わりたくない、そんな気持ちが大きかった。正直大学に入る前も大学でくらいゆっくり生活したい、そう思っていた。でも結局こうなっているから口ではあれこれいいながらも自分はワーカホリックなのかもしれない。
そして入部して三か月が経った今、再びあのメロディーが蘇って自分に何かを伝えようとしている。
テクニカルスタッフの存在意義とは?
どんな心持ちでサッカーと、プレイヤーと向き合えばいいのか?
入部からの数か月で抱いたこれらの疑問を解決するヒントをもらったような気がする。
「柄にもなく熱いメールや 火花の散る喧嘩もしたね 馴れ合いじゃない 面倒でいい そして僕・君じゃなく “僕ら”になる」
この歌詞にア式のテクとしてのこれからの在り方の一端を見た。これからテクニカルスタッフとして、主には、個人分析でプレイヤーと関わっていく中でこの姿勢を大切にしたい。ときには意見をぶつけ合うこともあるかもしれない。そこで面倒に思って妥協してしまわずに、お互い納得するまですり合わせる。そうでなければ、プレイヤーとテクニカルスタッフの距離はずっと遠いままで、ア式というチームが“僕ら”になることはないと思う。選手の痛みも悩みも知って、ア式としての大きな目標に挑みつづけたい。自分たちはプレイヤーではないから、時には「好き勝手いいよな」なんて思われるかもしれない。それでも、単にサッカーが好きだからテクニカルスタッフをしているだけじゃない、プレイヤーと同じ目線に立って、同じ目標を目指しているんだっていうことが伝わるくらいに、熱意を見せて、実力を伸ばしていきたい。そんな決意を抱かせてくれた。
人生の転機にはいつもあのバンドが自分を支えてくれた。サッカーと同じくらいあのバンドが好きだ。これからもずっとそうだろう。毎日のように聞いて毎日のように力をもらっている。サッカーを見ることが大好きなボーカルが作っている曲だからだろうか、こんなにも心に響くのは。あのバンドは結成から何度も運命のいたずらのような危機に瀕してきた。それでも音楽を届けることを辞めずに続けてくれた。だからこそ、苦しい時に寄り添ってくれる曲が多い。そんな大好きなバンドみたいに、自分もア式という居場所を誰にとってもサッカーが楽しめる場所にしていきたい。サッカーを辞めずにサッカーは楽しいんだって発信していきたい。ア式が日本一価値のあるサッカークラブであるためには、まず所属する部員にとって一番価値のある場所であることが必要だと思うから。
これからのテクニカルスタッフとしての四年間、必ずしも順風満帆ではないと思う。直線でなくても、最短距離でなくても、斜め曲線でもいいから一歩ずつ、自分の好きな音楽に頼りながら前進していきたい。進学先を東京にした理由の9割9分はライブに行きやすいからだっていう、自分の気持ちに素直になって、悩んだり病んだりしたときはライブに行って人生の栄養を補給しながら大学生活を送りたい。ア式音楽バランスを保つなんて妥協的なことは言わずに、どっちも全力で楽しみたい。
P.S.
ここまでさんざんあのバンドって呼んできた、1番好きなバンドはsumikaだ。今年はWOWOWでCL、ELのイメージソングも担当するのでぜひ聞いてほしい、そしてあわよくば、次のワールドカップのイメージソングも担当してくれたら、なんて。
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