The Sun Also Rises

 清水怜雄那(1/テクニカル/麻布高校)


feelingsを書き始めたのは、ア式に入って1ヶ月たたないくらい。入部式の前あたりだったと思う。その時はいつ提出するかも知らず、ただひたすら入部に至った経緯とか、高校時代のこととかを書いていた。feelingsの提出期限は結局8月中旬となった。ほとんどの同期はしっかり提出期限内で提出し、遅れた数人も僕以外は9月中旬には出し終わっていた。そんな中で、僕は929日に二十歳になり、チームは一橋戦に快勝し、9月がとっくに終わってしまったのに全然提出できそうな気配がない。同期の中でもかなり最初の方から書いていた気がするが、ずっとダラダラと書いていたせいでただ長いだけの一貫性のかけらもない文章になったので全て書き直すことにした。
 
タイトルはヘミングウェイの処女作から引用した。日本語タイトルでは、「日はまた昇る」と訳され、暗闇に再び光が降り注ぐような、希望を与えるような印象を覚える。しかし実際の内容はというと、快楽に溺れ、堕落した若者たちを描いたものであり、タイトルの意味は、空虚な日常が明日もまたやってくるというような意味である。
 
もし僕がア式に入っていなかったら、何か没頭できるものを見つけていなかったら、ヘミングウェイがその小説で描いた若者のように、不毛な11日をすごしていたかもしれない。大学に入って改めて実感したのは、自分を律して、興味のないことを実直に頑張れる人間ではないということだ。週に三日くらいはサークルなどに行って他の日でバイトや進振りの勉強をしようかな、などと考えていた自分が恐ろしい。空いた日があれば、友達と街に出て遊んでいただろう。
 
しかし、幸運なことに僕はこの部活に、サッカーに出会うことができた。
 
僕はア式に入るまで、中高でサッカーをやったことがない。それもあって大勢の部員と違い最初からア式に入るつもりではなかった。
 
僕とサッカーの関わりは、休み時間の校庭サッカーや授業でのサッカー、海外サッカーを見ることだけだった。戦術とか、フォーメーションとかには自然と興味が湧いていったので、YouTubeTwitterでマッチレビューや戦術ブログ、分析記事などを見たりして次第に知識がある程度ついていった。リヴァプールが好きだったので、リヴァプールに関してはユース年代の選手も見るようになった。高3の10月くらいのカタールワールドカップは本当に最高だった。今でも思い出すスペイン戦と、あの決勝をリアルタイムで見ることができたのも、学校での校庭サッカーが過去最高に盛り上がったのも最高の思い出である。たぶんそういう遊ぶ時間の積み重ねで浪人したけど。浪人の時もサッカーは見続けた。自由な時間が増えたので、それまでよりも若干深くサッカーを見るようになった。
 
長い時間を費やしてきたいろんな趣味が既にあったので、サッカーにそれ以上は深く関わることはないだろうなと思っていた。
 
テクニカルという存在があるということはTwitterに流れてきて知った。サッカーに詳しくなれることにとても魅力を感じた。でも、拘束時間長いことから元々部活に入るつもりがなかったので、テント列ではア式を見に行くことはなかった。そしたらたまたまオリ合宿でサッカーが好きな奴らとリヴァプールブライトンを見た。そこで既にア式に入ると決めていた佳吾からア式のテクニカルをおすすめされ、後日サーオリでア式を見にいった。そこには麻布の先輩でテクニカルの人が2人もいた。しかもそのうち1人の錦谷さんはサッカー未経験で入った人だった。同時期に色々なサークルを見ていたが、人と人とのつながりがなく、コミットしがいのあるようなサークルは少なかった。大学生活を捧げられるものを探していた。実はその点で、ボート部も結構いいなと思ったりしていた。
 
ア式への入部を決めたのは、初めて試合を見た日である。
 
初めて見たのは、421日の日本大学部理学部戦。今でも鮮明に覚えている。前半で2-0点決められてとても厳しい状況で始まった後半。前半とは選手たちの雰囲気が変わり、2点返した。逆転への口火をきる洸さんのゴール。同点に追いついた希一さんのゴール。その時の応援部員の熱狂。勝てるぞという雰囲気が漂う中、アディショナルタイムにPKを獲得。しかし、PKを決めることはできずそのまま試合は終了してしまった。
 
勝てなかったという悔しさはあるものの、何もしていない自分にとって勝敗はそこまで重要じゃなかった。試合の空気感に強く魅かれた。こんなに熱くなれるのか。まだチームの一員じゃないのに。今までは僕の中でのサッカーは、試合を見て自分の好きなチームが勝つか負けるかだけだった。自分がこのチームで勝利に貢献し、達成感を味わいたいと強く思った。
 
それからはできる限り練習に行った。何かする仕事があるわけではないが、結構グラウンドにいた。とにかくフットボール理解を深めたいと思った。
 
ア式には、それに最適な環境が揃っている。今までの先輩方が築いてくれたものである。サッカーをやったことがなくても、これだけピッチ内に関わることができる環境はない。分析のためのツールもほとんど揃っている。そして、なんといっても一番は、徹さんや高口さん、章さんを始めとした、自分とは比べ物にならないほどサッカー理解の深い人と身近に話せることである。
 
練習に行けば常に毎回、新しい知識が得られた。プレイヤー経験のない僕にとって、ア式に入るまではサッカーの分析とは、4-4-2だとか4-3-3だとか、フォーメーションと人の配置の噛み合わせよる議論でしかなかった。相手がこういう配置をしているから、こういう配置に修正したら数的優位ができて前進できるよね、というような話である。しかし、それだけを知ってそれを語るのは(そもそも語れてもいなかったし)、現場ではなんの意味もなさなかった。パスや、ポジショニングなどには原則があり、それに基づいてサッカーのプレーは選手によって選択される。そのための技術として、「正対」などがある。そういう原則に基づいて起こった細かい事象の上に、フォーメーションなどといった俯瞰的な議論があり、細かい事象が互いに影響しあうことでサッカーは成り立っていると知った。プレー経験のない自分にとっては、この視点は全く新しいものであり、YouTubeなどで見かけるだけだった正対などの単語が、意味あるものとして新しく僕の中に入ってきた。
 
こうして勉強も二の次になり、ずっとア式のことを考えるようになった。
 
これが遊んで過ごす大学生活と何が違うのかと言われると、違わないのかもしれない。実際に遊んでいる時間もある。勉強をしていないのだったら、本質的に変わらないと言われるのもその通りだ。
 
しかし、ただ遊び歩いているだけでは得られることの無いだろう、渇きと焦燥感がこの生活にはある。
 
憂鬱な授業が終わると、駒場から本郷に向かう。50分くらいかかる。交通費だってかかる。そして練習後も部室に長く残る。部活に入ってからは、高校同期とかと遊ぶ時間も減っていった。もっと楽な過ごし方もできただろう。それでもなお、この生活を選ぶのはそれらを得るためである。
 
練習や試合での一つ一つのプレーの意図を探り、現象を理解したいと強く思う。一滴でも多くの知識や見方を吸収し、自分の中での視座が少しだけ高くなった瞬間、その一瞬は喉が潤うのである。この喜びを、僕はア式に入って知ってしまった。練習を見始めて、どんどん新しいことが入ってくることの喜びに取り憑かれてしまった。
 
しかし、新たにわかるようになるものがあるほど、逆に、自分の解像度が低い部分が浮き彫りになってくる。だから再び、新たな一滴を求めて、サッカーを見るのである。
 
同時に焦燥感が募る。この組織における存在意義についての思索からくるものだ。
 
今年のシーズンの話をしよう。1年である僕が試合においてできることは少なかった。言い方が良くなかった。1年であることは関係ない。サッカー理解が足りないだけである。
 
スカウティングは、メイン担当をしてない以上ほぼやっていないようなものである。そして自分がメインでやったとして、勝敗に大きく影響を与えることができる自信もなかった。高口さんや章さんの提言で、Aのアシスタントコーチのようなものをやらせてもらえることになったが、細かいことで支えることしかできなかった。もっと価値を出していかなくてはならなかったと反省する。振り返りミーティングを初めて担当した時も、「最初にしては良い」程度の出来だった。悔しいが、その時の僕にできる限界ではあった。
 
サッカーは最低限プレイヤーがいれば成り立つ。指示系統として徹さんがいて、その横には高口さんや潤さんがいる。そういう環境で自分がいる意味はチームにとってほぼなかった。
 
そんな中、希一さんが僕に守備のポジショニングなどについて聞いてくれたことは自分のできることが少し増えた気がして嬉しかった。シーズンの最後の方は、その時の自分の実力の中で、できることは全てした。4年の引退試合の1点目、今年ア式がやってきたことが全て詰まったかのようなゴールだった。人生で一番印象に残り、嬉しかったゴールになった。そして快勝し最高の試合となって涙腺が緩んだが、思い切り泣くことができなかったのは、自分なんかが泣ける立場にないと思ってしまったから。
 
あっという間に僕のサッカー人生の最初のシーズンは終わった。これをもう一年繰り返すなど、あってはならない。1年目の僕に、色々経験する機会を与えてくれた高口さんや章さん、今までア式のテクニカルを大きくし、環境を築いてきてくれたテクニカルの先輩方、意見に耳を傾けてくれたプレイヤーを裏切るわけにはいかない。もっと自分が理解を深め、もっと選手に頼られるようにならなくてはいけない。
 
時間の進みの速さもまた、焦燥感をさらに強める要因である。毎週ある試合のせいなのだろうか、それとも次から次へと自分のサッカー観がアップデートされるせいであろうか、ありえないくらい時間が進むのが早かった。本当にすぐに4年生は引退してしまった。浪人期の時間の進み方とありえないくらい違う。
 
この感じで時間が流れていくとすると、大学の4年という期間の短さを痛感する。そして僕はア式を引退すれば、もうサッカーに直接的に関わることはないだろう。つまり、自分のフットボール理解の頭打ちは3年後なのである。その上、僕はプレイヤーとしての経験はなく、半年前にピッチ上に飛び込んだばかりである。今までの偉大な先輩方より、サッカーを人生において考えてきた時間が圧倒的に短い。しかし3年後、引退するときに、やり切ったと思えるほどに、迷いなく自分でサッカーを語れるほどに、理解を深めることができていないと自分の中で納得ができるわけがない。全てを捧げ、努力し尽くして、3年後、自分のとても短いサッカー人生を締めくくりたい。
 
渇きと焦燥感。これらの感情が、僕のエンジンとなり、体をグラウンドへと向かわせるのである。
 
 
 
大学に入って、ここまで何かに没頭した生活ができていること。これはとても幸せなことである。ヘミングウェイが描いた若者たちが酒に溺れるように、僕はア式に溺れている。
 
そして、自分がどんなに、ア式での時間を長く過ごしたいと思っても、フットボール理解を追求する時間が欲しいと思っても、無情にも時は流れる。
 
血眼になってどんなに遅くまでサッカーを見た日でも、日はまた昇る。しかしそこに待っているのは、空虚とは程遠い、素晴らしい日常である。

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