私の考える最高の戦術

高橋駿平(4年/テクニカル/武蔵高校)


目次
  1. 1.はじめに
  2. 2.現代におけるマンマーク
  3. 3.CBマンマーク
  1. a.歪なフィールドでの10vs10
  2. b.カウンターとの接続
  3. c.相手の適応
  4. d.マンマークを行う選手の適性
  1. 4.さいごに
  2. 5.さいごにのその2(お世話になった方たちへ)
  3. 6.さいごにのその3(テクニカルの後輩たちへ)

はじめに

どうも、テクニカルスタッフの高橋駿平です。

ア式での思い出をつらつらと書くのもいいですが、それはみんなが書いてくれると思うので、どうせなら少しテクニカルっぽいことでも書こうと思います。

ア式のテクニカルというのは、自チームと相手チームの戦術について考え、構築し、説明し、実行の手伝いをする、というのが主な業務です。
その過程で、狂ったようにサッカーを見ますし、その中でも自分は、時に選手以上にサッカーについて考えていた、という自負さえあります。

今回は、私がテクニカルとして、サッカーを見た中で、「こんなサッカー面白いし、やって見る価値があるのではないか」と思ったことを書こうと思います。

著作権や特許はないというのが、戦術のいいところです。パクリ放題ですし、そのパクリがさらなる新戦術の芽となるのです。

私は、もちろんその戦術の長所を肯定しますし、それを最も享受してきたうちの1人です。それでも、もし世界のどこかで、私のfeelingsを見て、実行に移そうと考えた人間が1人でもいるならば、一声かけてくれると嬉しいです。これは間違いなく私のエゴです。

現代における「マンマーク」

端的に言いましょう。私の考える最高の戦術は、「CBマンマーク」です。

「マンマーク」とは、「ある自チームの選手Aが、相手チームの選手Bを、試合を通してマークし続ける」ことを指します。

プロの世界では、「オールコートマンツーマン」なんてものがあります。1,2人の選手を除いた全員が、相手の決まった選手についていくという戦術です。

最近では、昨年、ELでリヴァプール、レヴァークーゼンなどを蹂躙したアタランタが記憶に新しいでしょう。他にも、一時のリーズ、Jリーグではミシャ率いるコンサドーレなどが採用していました。もちろん、システムや個々の役割はチームごとに異なりますが、意外と「オールコートマンツーマン」を採用するチームは存在するのです。

なぜ、「オールコートマンツーマン」が実行されるのか。答えはシンプル、シンプルだからです。

試合を通して、ついて行く、「見る」選手が1人というのは、超絶シンプルなのです。より選手の立場に立つと、「あんま考えなくてもいい」ことほど嬉しいことはないのです。

あえて難しい言葉を使うと、「認知的負担」を最小にできることがメリットなのです。

一方で、「オールコートマンツーマン」を採用するチームが限定的であることにも理由があります。答えは、デメリットが大きいからです。

前述のように、「オールコートマンツーマン」は、認知的負担を最小化します。一方で、「肉体(心肺)的負担」は大きくなります。サッカーは動的なスポーツです。相手は必ず動きます。予想できない相手の動きについて行くのに体力が必要なのは、自明でしょう。
また、主導権を握れないこともデメリットです。マンツーマンによる守備は、常に相手の動きに合わせて動く「リアクション」に基づいています。展開の早い現代サッカーでは、コンマ何秒の差がゲームを動かします。相手選手の「アクション」に対する「リアクション」が遅れれば、その差は失点につながる場合があります。この差はどのような状況下においても100%生じるため、常にある程度のリスクが存在していることは、チームにとってデメリットとなります。

一方、個人の「マンマーク」というのは、大きな戦術の中で、小さく行われることは度々あります。例えば、アンカーの選手が、クリエイティビティ溢れる相手のトップ下、いわゆる「No.10」をマンマークする、なんていうことはよくあります。
また、少年サッカーでよく行われる戦術でもあります。少年サッカーは、個人能力への依存度が高い傾向にあるため、マンマークがより有効なのです。私の高校の友人は、小学生の時に監督に命じられて、相手選手の10番のマンマークを実行しました。10番が靴紐を結んでいる時すら横にベッタリとくっつき続けた結果、泣かせてしまったそうです。その10番は、高校サッカーで目覚ましい活躍を見せ、今はJリーグでサッカーをしています。
私に最も衝撃を与えたのは、2018年の高校サッカー決勝、流経大柏高校の三本木選手が、得点王であった前橋育英の飯島選手に対して行った「マンマーク」です。スタンドからそれを見て、当時戦術に疎かった私でも、効果的なことがわかりました。

「マンマーク」の役割を担う選手は、守備能力に長けていることがほとんどです。
個人の「マンマーク」により、相手の中心選手の能力を最小化します。彼の長所を、相手のストロングを潰すために効果的に使用する、という考え方です。

また同時に、実行する選手がクレバーであればあるほど良いという側面もあります。
現代サッカーでは、どの状況下においてもついて行く、なんてことはないのです。状況ごとについて行くかどうかを判断できる、その頭脳がこの役割には重要なのです。

ここまで「マンマーク」について整理してきましたが、私には大きな違和感があります。

「オールコートマンツーマン」では、その単純さ、認知的負担の少なさが魅力的でした。一方、個人の「マンマーク」では、選手の賢さが重要なキーとなるのです。

ここに矛盾があると思います。「バカでもわかる『マンマーク』」だったはずなのに、「バカにはわからない『マンマーク』」になっているのです。

チーム戦術と個人戦術という差異が、ここまで正反対の結論を導き出す要因だとは考えられません。加えて、個人の「マンマーク」は、その分空いたスペースを他の味方に負担させるという点で、当事者はチーム全体であり、単なる個人戦術ではなく、チーム戦術であると考えることもできます。

この矛盾が、私の「CBマンマーク」というアイデアの原点です。認知的負担を減らしつつ、相手選手の大きな効果を最小化する。「バカが、天才を抑える」のです。

CBマンマーク

戦術の内容に移りましょう。

繰り返しますが、「CBマンマーク」です。
少し詳しく説明すると、「自チームFWが、相手チームCBをマンマークする」という戦術です。戦術の核は基本これだけです。余計なケーススタディは選手に伝えたくありません。

歪なフィールドでの10vs10

「CBマンマーク」は、重要な点を厳選した言い方をすると、「歪なフィールドの中で10vs10を行う」ことです。

(ここからは、具体例として、戦術を実行するチームは、4-4-2のシステムで守備を行う赤いチームであり、他方の攻撃側は4-3-3を採用する青いチームであるとします。また、 赤のLCFが、青のRCBをマンマークするとします。)

LCFがRCBをマークすることで、守備側から見た左サイド前方には、不自然な形の使えない(使いにくい)スペースが生まれます(下図黄色+緑)。攻撃チームはできるだけリスクを犯さずにビルドアップを行いたいので、わざわざこのスペースを使おうとすることは少ないでしょう。

サッカーの守備では「ぼかし」という言葉があるように、「使えなさそう」という感覚がプレーに及ぼす影響は非常に大きいです。LCFがそのスペースに立ち尽くすのではなく、相手のRCBについて行くという目的があれば、余った歪なフィールドで10vs10でサッカーを行えます。歪なフィールドでサッカーを行う際、有利なのは守備側です。この理由は、後々説明しますが、直感的にわかる方も多いと思います。

また、左サイドには微かなスペースが空きます(上図緑)。ここを攻撃側が使用することもできますが、オレンジのスペースを経由できないため、緑のスペースを使う際はGKからの「飛ばしのパス」となります。
「飛ばしのパス」は、移動距離が長く、キッカーはその方向を向いていないと(相手選手にへそを向けた/正対した状態では)蹴ることは難しいです。シンプルに攻撃側が使用を控えることに加え、使用した時は、比較的長いボールの移動時間の中で、守備側はLSMが反応することで、より狭いスペースに相手を追い込むことができます。

結果として、上図黄色のスペースで、10vs10が行われると考えることができるのです。

ここで、少し細かい話をします。

一般的にビルドアップは、「複数の選択肢を確保する」ところから始まります。相手と同じ人数でサッカーをしている中で、瞬間的な数的優位を作り出しながら前進して行くのです。

逆に言えば、相手のビルドアップを封じる策は、「相手の選択肢を潰す、増やさせない」ことであると言えます。

また、ビルドアップには、スペースも必要です。一般的に、守備チームはボールを起点に、陣形を動かし、圧縮します。圧縮した分、逆サイドにはスペースが生じますし、圧縮が組織的に行えなえれば、ボールサイドや中盤にスペースが生じます。このように発生したスペースを使って前進して行くのです。
選択肢の話と同様に、「スペースをなくすこと」が守備のキーであると言えます。特に、最小限の力で最大限のスペースを消すことほど嬉しいことはありません。

LCFが、RCBをマンマークすることで、「選択肢とスペースを効果的に減らすことができる」と考えます。

ビルドアップにおいて、重要なスペースは、自陣中央だと考えます。
このスペースからビルドアップは始まりますし、全方向から相手の迫り来る中盤とは違って、ある程度余裕を持ってボールを持てるスペースであるから、また右左前と選択肢が多く持てる場所だからです。前述の通り、本来リスクの少ないスペースのはずなので、ここを失った攻撃側にかかるストレスは相当なものです。

先ほど、「歪なフィールドにおいては、守備側が有利だ」と指摘しましたが、この理由について、選択肢とスペースの文脈から説明してみます。

①攻撃側の、選べる選択肢と使用できるスペースが少ない

フィールドが歪になれば、中央でボールを持っても、左右のスペース、選択肢に非対称性が生まれます。ゴールが真ん中にあるサッカーにおいて、左右の選択肢とスペースが非対称であることは非常にストレスです。選手目線で言うと、中央よりタッチラインよりでボールを持っている感覚、あるいは自然と相手に限定されているような感覚となります。逆に、対称性のあるスペースと選択肢を確保しようとすると、その位置はフィールドの中央とはズレていきます(その場所の延長線上にゴールがなくなります)。サッカーも含めたスポーツの合理性は、2つのゴールを結んだ線において、左右対称であることだと考えます。選手自身の持つスペースの価値と、サッカーというゲーム自体におけるスペースの価値が一致していることこそが、合理性なのです。

②狭いフィールドではボール保持が難しい
歪かどうかと言うより、そもそもプレーするフィールドが狭ければ、ボール保持の難易度が上がります。ポゼッションの練習も、グリッドが小さい方が難しいでしょう。理由としては、まず、スペースと選択肢が少なくなるからです。スペースが小さくなるのは言うまでもないでしょう。選択肢に関しては、狭いフィールドにおいては相手が守れたりぼかしたりする範囲が広がるため、フリーになる選手が減少するという論理です。2つ目に、相手との距離が近いことです。フィールドが狭くなると、相対的に相手との距離が近くなるため、判断までの時間が短くなります。そもそもフリーになれる選手も少ないため、探すこと自体も難易度が上がります。探すことも、判断することも難易度が上昇するため、ボール保持しにくくなるのです。

③そもそもの敵陣守備の目的と合致する
前述の通り、守備の目的は選択肢とスペースを奪うことです。守備チームがプレスをかける時は、基本的に相手をサイドに追い込みます。サイドの方が中央よりも確保できる選択肢とスペースが少なく、守備者は相手の次のプレー(方向)を予測しやすいためです。このことは、攻撃チームを歪なフィールドに追い込んでいることと本質的には一致します。具体例を挙げましょう。相手のプレスによって右サイドに追い込まれた攻撃チームの選手は、ボールをゆっくり持つ余裕もなく、逆サイドへの大きなロングボールをけるのは不可能に近いです。この時、攻撃チームにとって、逆サイドのスペースは使えないものとして消されるのです。このスペースを除いた歪なフィールドが完成するのです。

そんなわけで、歪なフィールドを形成することで、守備者に有利な10vs10を実現できるのです。

カウンターとの接続

「CBマンマーク」は、攻撃におけるメリットもあります。

マンマークを行うFWの選手には、ぜひチームで一番攻撃性能の高い選手、個人技で局面を打開できる選手を置いて欲しいと思います。

と言うのも、マンマークを行うFWの選手は、一人でカウンターを完結させるチャンスがあるからです。その選手は相手のCBと常に1対1のシチュエーションを形成しています。ボールを奪った味方から、パスを受けたならばすぐに1on1が始まります。
ドリブルなどの個人技に長け、質的優位をとることができるFWの選手ならば、この状況を打開し、相手陣でのボール保持に繋げてくれるかもしれません。
もっとよければ、シュートを放ち、CKを獲得できるかもしれません。
もっともっとよければ、得点を奪ってくれるかもしれません。

もちろん、相手はそのFWを警戒し、リスク管理としてDFを2人残しておくでしょう。FWが警戒度の高い選手であれば、3人ほど残しておくかもしれません。
それは、守備を行うチームにおいて非常にポジティブなことです。シンプルに相手が攻撃にかける人数が減少するからです。
この議論は、CKに守備時に前残りの選手を置くかどうかの議論に非常に類似しています。前残りを1人おけば、CKで中に入ってくる相手の選手の人数は1人減るのです。

また、前残りしている選手がいれば、相手はコの字型でボールを回すのが難しくなります。安全だと思って行うパックパスのリスクが上昇するからです。

相手の適応

もし、対戦相手が、CBマンマークの戦術に気づいたとしましょう。この時、彼らはどのような反応をするでしょうか。考えられる限り、予測してみます。

まず、もっとも楽観的な予測から。楽観的といえど、もっとも可能性の高い反応ではないかと思います。

相手はテンパります。歪なフィールドで行われる不利な10vs10に気づかず、知らず知らずのうちに、自チームが使用できる選択肢とスペースが限定されているというパターンです。
この「初見殺し」が非常に有効です。デザインされたカオスの中で、彼らは頭を悩ませます。
CBがマンマークをいやがって移動することも考えられますが、その際、CBは、自分のポジションを空けるという経験したことのない違和感に襲われます。保守的な判断を取る方が一般的でしょう。

ここからは相手が戦術に気づき、一定の対策を講じてきた時の予測です。

まず考えられるのは、マンマークされているCBの近くに、他の選手が移動すること。監督からの指示なく、選手がフィールド上でアドリブで判断する時は、これが最も起きそうな状況です。

他の選手がそこに移動してくるのは、「デッドスペース」を活用するためです。しかし、そこでボールを受ける選手はバックパスを行えず、かつ近くにマンマークを行っている相手選手がいるという状況でプレーすることになります。単に中央後方でプレーすることよりも、かかるストレスが大きくなります。

また、この「デッドスペース」を行う選手は、ボランチであることが予想されます。後方のビルドアップの手助けに入る選手は、SBよりもボランチであることが一般的だからです。

ボランチがサポートに入ってポジションを下げれば、対応する守備側のラインは上がります。ボランチに前を向いてフリーでボールを持たせないだけの状況を作れば、守備側は一気にプレスを開始し、相手を追い込むことができます。

次に、相手が戦術に気づいた上で、システムやポジションの変更をしてきた時です。

マンマークにつかれていたCBの選手がポジションを変えてきたとします。
そもそも、CBが本職の選手が他のポジションでのプレーを余儀なくされただけでも守備側にメリットはあります。攻撃側はチームの最適配置、最大攻撃値を発揮できないからです。
CBのポジションに、他の選手が入ります。
その際、「CBマンマーク」を行うチームは、マンマークの対象を、代わりにCBのポジションに入った選手に、変えます。

この時に注目して欲しいのは、「指示の工数」です。「指示の工数」とは、選手に伝える指示の要素がいくつかを示します。

CBマンマークを行うチームにおける指示の工数は1です。マンマークを行うFWの選手に、マークする対象を変えろという指示だけでいいからです。
一方、攻撃側のチームにおける指示の工数は2以上です。マンマークを受けているCBの選手の移動に関する指示で工数で1、代わりにそのポジションに入る選手への指示で工数が1かかるためです。

具体例で説明します。
攻撃チームをA、守備(CBマンマークを行う)チームをBとします。Aでマンマークを受ける選手をA1、代わりにそのポジションに入る選手をA2、Bにおいてマンマークを実行する選手をB1とします。
この時、Bにおける指示は、
「B1!マンマークの対象をA1からA2に変えろ!」
というものだけです。
一方、Aにおける指示は、
「A1!CBからボランチにポジションを変えろ!」
「A2!CBのポジションに入れ!」
という2つになります。

「指示の工数」の差は、一見大したことないように見えますが、戦術を考える上で、またそれを選手に伝える上で、大きな差を生みます。判断までのスピードと、実行するまでのスピードの双方に影響を与えるのです。

試合中の修正にかかる「指示の工数」が少なく、その分修正が行いやすい守備者の方が有利だと考えられます。端的にいうと、守備者の方が、より簡単な指示で修正が行える、ということです。

マンマークを行う選手の適性

前述の通り、CBマンマークを行う選手は、「攻撃がスペシャルな選手」であることが望ましいです。カウンターとの接続がうまくいくためです。

また、言い方は悪いですが、「守備が下手な選手」であると、相対的にチームにもたらすメリットは大きいでしょう。その選手に難解な守備タスクを与え、攻撃性能の低下を招くより、単純な役割を与え、それに徹させる方がチームとしての総合力は上がるはずです。

先日、柿谷曜一朗選手がサッカー選手を引退しました。
彼は引退会見で、こんな発言をしていました。

「いまはミーティングでも、ようわからん戦術があまりにも山盛りで出てくる。それについていくのがしんどいし、試合のために練習を見直すとか、僕のイメージからすると、そんなのはサッカーちゃうやろうと。サカつくやん、みたいな感じなんですよ。ミーティングなんかどうでもいいから、ボールをまず止めて相手を抜く。それができてからの話や、という感覚で育ったから、サッカーがホンマに難しくなって」

彼のように、戦術に縛られて本来の最大出力が出せなくなる可能性がある選手は必ずいます。

奇しくも、そのような選手は「攻撃にスペシャルな選手」である可能性が非常に高いです。このような、圧倒的10番というような、チームのエースに、ぜひCBマンマークという役割を与えたいと思います。

結論

ここまで、私の考える「CBマンマーク」戦術の正当性について、長く、小難しく、複雑に書いてしまったわけですが(東大生のよくないところ)、できるだけ簡単にまとめてみようと思います。

サッカーにおける「CBマンマーク」戦術は、試してみる価値があると思う。理由は以下である。
①選手に伝える指示内容が、「(該当する相手CBの選手)にマークしろ」というだけで、非常にシンプルである。
②「CBマンマーク」により、使用しづらい「デッドスペース」が生まれ、歪なフィールドの中で攻撃側は不利な戦いを強いられる。
③「CBマンマーク」は、相手の攻撃を牽制するとともに、守備者にカウンターのチャンスを必然的に与える。「CBマンマーク」を行う選手が、攻撃においてスペシャルであると、なお良い。
④相手の修正に対応しやすい。「指示の工数」が少ないため、修正までのスピードが、相手よりも相対的に短くなる。

さいごに

以上が私の考える「最高の戦術」です。机上の空論感が否めませんが、それでも意外と行けるんじゃないかと思っています。
ロングボールを多用するチームが多い、というリーグの特徴を踏まえ、私は、東大ア式では、提案すらできませんでしたが、条件がそろえばやってみる価値があると思います。
実践ができなかったという点で、私はこの戦術に対する批判に反論する余地もありませんが、少しでも面白いと思った方がいれば嬉しいです。
また、最初にも言いましたが、ちょっとでも採用したチームがいればご連絡ください。もちろん結果も気になりますし、後は満足感を得たいのです。

さいごにのその2(関わってくれた方たちへ)

関わっていただいた方たちへ感謝を述べたいと思います。

陵平さん。
陵平さんと、一緒にサッカーをできたのは、僕の誇りです。陵平さんからは、一番「勝利に貪欲になること」を学びました。「勝つためには何をすべきか」を常に念頭に置いて物事を考えるのは僕の大切な価値観となりました。本当にありがとうございました。
僕の、連絡先を持っている有名人ランキング1位は、間違いなく陵平さんです(笑)。サッカー界での成功を祈っております。

徹さん。
1年だけでしたが、徹さんからは非常に多くの学びを得ました。僕の、3年間で蓄積したはずが、どこかぽろっと抜け落ちていたサッカーの要素を、徹さんが見事に言語化したことで、よりサッカーというゲームを深く理解できた1年でした。本当にありがとうございました。
ア式のことをよろしくお願いします。

LB会の方々。
テクニカルがここまで発展できたのは、LB会の方たちのご支援があったからです。特に藤原さんは、テクニカルへご理解を示していただき、ご支援だけでなく沢山の交流の場を設けていただきました。藤原さんがいらっしゃらなければ、テクニカルは、ここまでやっていけなかったと思います。感謝申し上げます。

先輩方。
お世話になりました。テクニカルの基礎を作ってくださりありがとうございました。

後輩へ。
一緒にサッカーをしてくれて、ありがとうございました。テクニカルは任せました。

同期へ。
サッカーに真剣な人たちばかりで最高に刺激を受けました。ありがとうございました。
真路、すぎ、折田、島、FBを聞いてくれてありがとう。すぎの武蔵戦でのゴールは一生忘れません。

杉崎さんへ。
本当にお世話になりました。僕のサッカーへの向き合い方、考え方は全て杉崎さんの影響を最も受けて形成されました。自分のテクニカルとしての成長は、杉崎さんのおかげです。

色々な方達のサポートを受けて、4年間やってこれました。
皆さん本当にありがとうございました。

さいごにのその3(テクニカルの後輩たちへ)

これからのテクニカルを頼みます。

というのと、他に伝えたかったことを少し。

「伝える」ことに意識を向けて欲しいと思います。
それは、MTGでの話し方もそうだし、スライドや動画の作り方も、そして何よりFBなどで選手に伝える時に。

選手はプレーをしながら、そんなに沢山のことを考えられません。これは、選手をバカにしているのではなくて、彼らは考えすぎないほうが間違いなく良いプレーができるという話です。

彼らが、試合中に考え過ぎずに済む、そんな「魔法の言葉」を考えてあげてください。その「魔法の言葉」を考えるのに、とんでもなく頭を使ってください。それがテクニカルの仕事だ、というのが僕の4年間の結論です。
「魔法の言葉」は選手によって異なります。折田には刺さっても、真路には刺さんない、なんてことはしょっちゅうありました。選手ごとに考えてあげてください。そのために、選手たちととんでもなく喋ってください。柿谷のような選手を、活かす術を全力で考えてください。

君たちは、勝たせなければいけないチームを持っています。
サッカーに詳しくなるのは言うまでもないですが、それを活かすために、チームが勝つために、知識を伝える方法に頭を悩ませてください。

ちょっと心構えみたいなものをさいごに。

勝ったら選手のおかげ。負けたらテクニカルのせい。そんなもんです。
負けたら、選手より悔しがってください。
理解できない選手ではなく、理解させられなかった自分を責めてください。
ただし、試合に勝ったら、自分で自分を褒めましょう。テクニカルの仲間も、おそらくあなたを褒めてくれるでしょう。他のテクニカルのおかげで勝ったら、あなたはその人を褒めたあげましょう。
目立つことは少ないかもしれませんが、テクニカルは大事なア式の一部です。
誇りを持ちましょう。

相談にはいつでも乗ります。

これからのテクニカルを、
いや、これからのア式を頼みます。

ここまで読んでくれた人は少ないだろうけど、もしいるならば自分自身の話にちょっとだけお付き合いください。

結局、サッカーに狂わされた人生だった。

小学生の時にサッカーを始め、中高でも当然のようにサッカーを生活の中心に置き、サッカー以外の選択肢を消すことをためらわなかった。
大学で、心臓の疾患が判明し、それでもサッカーに毒された私は、相変わらずサッカーを選んだ。
この一連の選択を後悔していない。後悔の余地もない。
おそらく同期たちは、卒部feelingsに、「サッカーをやめたくなった」という内容を書くだろう。彼らなりの苦労と悩みがあったのだと思う。

あえて言う。私の方が、サッカーへの愛が強いと思う。「やめたい」なんて1ミリも思ったこともない。サッカーで味わった悔しさは、サッカー以外では返せない。サッカーにおける復讐が、私がサッカーを続ける理由だったし、復讐の達成感は何にも変えがたかった。

もし、「あなた」がサッカーを諦めて、テクニカルでもやろうかな、なんて思っているなら、考え直した方がいい。
選択を否定するのではない。ただ、「あなた」はサッカーをプレイするべきだ。サッカーが好きなら、まず。その足でボールを蹴り、その手で敵のユニフォームを引っ張り、その頭で考える。多分、そうじゃないと得られない栄養がある。おかげで、私は不健康である。

それでも、サッカーが狂おしいほど好きで、「サッカーがしたい」なら、「あなた」はテクニカルを選ぶべきだろう。
こんなに興味深い役割はない。環境も充実している。復讐は十分に果たせる。「あなた」は十分な栄養は得られないだろうけど、人に栄養を作ってあげるのも意外と悪くない。心地いい不健康である。

「あなた」の選択のおかげで、今の私は不健康である。まあ元々健康じゃないんだけれども。

全く、幸せである。

サッカーに狂わされたんだ、全部、何もかも。大犯罪者である。

狂わされた分、誰かを狂わせなきゃやってられない。

また違う「あなた」が、狂わされること、
また一人、被害者が増えることを願って。

高橋駿平

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