記憶

柳町英理(4年/スタッフ/聖心女子学院高校)


グラウンドに響くみんなの声。止め忘れてボトルから溢れ出る水道の水。手をついて座るとちょっと痛い人工芝の感触。ボール拾いに走るとカチャカチャ鳴る鍵の音。

入部した頃は何もかもが新鮮で楽しかった。けれど2年目になった頃から、これがただただ永遠に繰り返されるだけに思えて、自分がなんのために部活に来ているのかが分からなくなった。慣れとは怖いものだ。先輩方の半分も仕事ができていなかったのに、全てを知った気になって、グラウンド業務の仕事が楽しいとは思えなくなっていった。でも、同期や先輩、後輩と話す時間だけは好きで、それだけが私が部活に行く理由だった。

そもそも、大学入学当初の私に、マネージャーという選択肢は全く無く、友達に誘われ、あまり深く考えずに入部したのが良くなかったのかもしれない。なんとなく入って、なんとなく日々を過ごして、それで自分がア式にいる意味なんて見つかるわけもなく、そうやって毎日を消化していた。それでも、そんな風な私にグラウンドで話しかけてくれた先輩方や同期たちのおかげで続けられていたのだと思う。部活楽しい?グラウンド業務で何が楽しい?と聞かれることもよくあったが、その度に言葉に詰まった。マネージャーの先輩にやりがいや続ける理由を聞いたりもしてみたが、先輩方の答えに感心するばかりで、自分にしっくりくるものは見つからなかった。いくら考えてもその答えは見つからず、だからといって辞めるという決断をする勇気もなく、きっと私がマネージャーというものに向いていないからで、いくら考えても無駄なんだというところに落ち着き、ア式にいる意味について、考えることを放棄するようになっていった。

そして、2年の冬の合宿。解散後に同期のマネージャーたちとファミレスに行った。合宿で長い時間部活に向き合うと、適当にやり過ごしていたこれまでのツケが回ってきて、やっぱり自分がなんでア式を続けているのかが分からなくなった。でも、あの時みんなと真剣に話せたからこそ、あれ以来辞めたいと思う度、もうちょっとだけ頑張ってみようという気持ちになれたのだと思う。本当にみんなが同期で良かった。シフトが被ることは少なかったけど、引退前最後の1週間は、毎日みんなとシフトで会えて、いつもと変わらず文句を言いながら部活ができて楽しかったです。本当にありがとう。

そんなこともあり、合宿後は、大好きな先輩方と部活ができるのもあと少しだし、もうちょっと、もうちょっと、と辞めるのを引き伸ばしていたら、いつの間にかシーズンも終わって、最後の1年に差し掛かっていた。その間も、特に自分が部活にいる意味が見つかったわけではなかった。

そして、リーグ戦初戦のアウェイ成蹊戦。日和と2人で入ったベンチから、必死に戦う選手たちの姿を見て、心の底から勝ってほしいと願い、祈るような気持ちだった。部活を続けてきて良かったと思った。

今思えば、それまではチームの勝ち負けをどこか他人事のように感じてしまっていたのかもしれない。もちろん毎試合、勝って欲しかったし、応援していたけれど、自分事ではなかった。けれど最後の年は、自分が出ているわけでもないのに、試合後に会う人にその日の勝敗を思わず話してしまうようになっていた。勝ったら本当に嬉しかったし、負けたらめちゃくちゃ悔しかった。だから、試合を特等席とも言える場所から見られるベンチの仕事が大好きだった。

初めて公式戦のベンチに入った時のことは正直忘れてしまったけれど、最初の年は失敗しないかと怖くて緊張したし、ずっと怯えていた。先輩方のような働きができない自分が入るのは迷惑な気もして、ベンチのシフトに入るのが嫌だった。今も大したことはできないし、ミスもしちゃうけど、試合で選手が頑張る姿を一番近くで見られるベンチの仕事がどんどん好きになっていき、シフトが待ち遠しいとすら思うようになっていた。ベンチから見える景色とラントレが一番だと思う。

最後の1年は、私のア式生活の中で最も楽しい時間だった。部活に行くのが楽しくて、単純作業に思えた業務も、行く度に新しい発見があるように思った。就活で瀕死の時にいっぱい話を聞いてくれた最高の同期たちや部活に真摯に向き合っていて見習うとこばかりのかわいい後輩たち。みんなと過ごす部活での時間が大好きだった。そんな日々もあっという間に過ぎて、引退試合。朝の育成練に始まり、日和と2人で最後のベンチ。御殿下での全ての瞬間を思い出す。

ア式にいる意味が見つからず、モチベーションを無くしていた時、代わりはいくらでもいるし、自分である必要はないのではないかと感じてしまっていた。でも、今思えばそれは当たり前で、大抵そんなことばかりだし、とても傲慢な考えだったように思う。中学や高校の部活の時は、そんなことを考えたことはなくて、結局、楽しいから続けていただけだった。それがスタッフという役割に変わったからといって、その向き合い方まで変える必要はなかったのではないかと思う。部活に入るという選択をしたあの日の自分を信じて、能動的に楽しめば良かったのだ。

永遠に繰り返されるように思えたア式生活も、日常では無くなっていく。
みんなで1個ずつアイシング用の氷を作ったり、文句を言いながらカタパルトを回収したり、疲労度を聞きに行ったり、大好きなマネ部屋で何時間もおしゃべりしたり。
全てが大切な記憶。

4年間本当にありがとうございました。深夜にこれを書きながら、先輩方、同期、後輩たち、みんなのおかげでア式生活を良い記憶として振り返れているのだと実感しています。いっぱいお世話になりました。

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