思い出
吉田恵梨(4年/スタッフ/高崎女子高校)
引退してから2ヶ月が経った。
引退した直後は高揚感と開放感が混ざり合っていて、平日の夜に家にいるだけでも新鮮で変な感じだったのに、今はもうあんなにグラウンドに通っていたことが信じられなくなっている。
LINEと同じくらいの頻度で開いていたSlackのチャンネルもすっかり見なくなって、根津駅の出口で部室の方に曲がっちゃうことも無くなった。
時間が経てば経つほど、部活で過ごした時間はいい思い出になっていくのを実感する。
農グラや御殿下の夜の景色、マネージャーの先輩後輩と沢山話した女子部屋、楽しそうだった日曜のリカバリー。他にもいっぱい。
とにかく楽しげできらきらした思い出たちがぼんやりと浮かんでくる。
でも一方で、それだけじゃないということもよく分かっている。
去年の今頃は部活のことを沢山考えていたし、一昨年の今頃は部活を続けるかどうかということでさえ悩んでいた。
去年の今頃は部活のことを沢山考えていたし、
良い思い出だけ書けばいいなと一度は思ったけれど、まあせっかくの機会だし、卒部feelingsってそういうものだし。
今まではかっこいい先輩たちが実は秘めていた後悔や悩みや葛藤に卒部feelingsを読んで驚かされてきたけれど、年次が近づくごとにその先輩の苦悩を少しは理解できてきて、とうとう自分もそんな卒部feelingsを書こうとしている。
最後に辛かった自慢をしたいわけでも本音を吐露したいわけでもなんでもなく、ただこうやって書かないと自分の部活生活を正しく残しておけないと思ってしまうからだ。
そしてなにより、こうでもしないと自分を自分で認めてあげられないなと思ってしまうからだ。
記憶が薄れる前に、少し抵抗はあるけれどいい思い出だけじゃない3年間を書き記しておきたいと思う。
2021年冬。
ア式との出会いは、たまたまその時一緒にいた大学の友達からの一言だった。
「なんか同クラの人からサッカー部の勧誘がきてるんだけど、こういうのって一応返した方がいいのかな」
「あー、まあ断ってスタンプくらい送っといた方が親切かもね」
と言いかけたところでふと思う。サッカー?
「あれえりちゃんってサッカー好きだったよね。」
友達も気づいてくれたから、自分もうんうんと話を聞いてみた。
「マネージャー」はさすがにやるようなタイプじゃないなあ、と考えていたけれど、なんとなく一旦興味ある子がいるって返信してもらうことにした。
あの時友達が声かけてくれなかったら、一緒にいなかったら、裕次郎がちゃんとスタッフ新歓に協力してくれていなかったら全く接点がなかったと思う。
1年生の同クラの女子に個人チャットで勧誘をするという秋新歓のお家芸、みんな半信半疑でやったりやってなかったりしてると思うけど、意外と侮れない。
当時はまだコロナ禍の真っ只中で、大学の学外活動の規制も厳しく、春に入った2つのサークルはどちらもオンラインの活動がほとんどだった。仕事をこなすスキルは身についたけれど、オンラインのレクなんかは気が乗らないことも多くて、結局暇で単調な大学生活になってしまった。Sセメは勉強だったり初めての一人暮らしに必死になったりしているうちに過ぎていったけれど、ある程度要領をつかんだAセメはだいぶ空っぽだった。
そんなこともあってあんまり向いていないと思いつつも「マネージャー」の勧誘に少し乗ってみることにした。
どう思っていたかは記憶が定かじゃないけれど、とりあえず見学に行ってみるだけ行ってみようくらいの気持ちだった。
東大前に集合と言われて、初めて南北線なるものを知って、向かったときは死ぬほど緊張していたのを覚えている。普段あんまり緊張はしないほうだったから、それだけはすごく覚えている。
迎え入れてくれた桃の優しさと温かさと、同期のみんなの楽しそうな感じ。たまたま一緒の見学だった志織のいい子そうな雰囲気。
2回目の見学にも行ってみることにした。
せっかくだから試合をみたいとリクエストして、オフ前ぎりぎりに見学を入れてもらった。アウェーの國學院戦で、たまプラーザにスーツで向かった。今思えば遠いところにスーツでいくなんてとんでもない行動力で、当時会った先輩には「これはさすがに入るでしょ」とか言われた記憶がある。
雨も降る寒い日だった。みつかさんがコートを貸してくれて、試合にでている選手の話を沢山してくれた。間近でサッカーをみたことがなかったからそれだけで少し感動した。桃と英理と沢山話してとにかく楽しかったのも覚えている。
当時家とバイト先の往復ばかりで大学でも限られた子としか会ってなかった私は、単純にこうやってみんなでオフラインで集まれて、沢山の人と関われる環境が羨ましいなと思っていたと思う。
1年の11月くらいに、オフに入るタイミングで入部を決めた。
それからの半年くらいは多分最初のfeelings(怖くて読み返せないけど)に書いた通りだと思うけれど、ただただ先輩の真似っこをして過ごしていた。初めてのマネージャー業務は、思っていたよりも大変で、思っていたよりも自分は向いていなかった。
先輩の指示頼みで、今思えば迷惑ばかりをかけていたと思うけれど、やさしくて頼れるマネの先輩方のおかげで私は平和ボケしながら楽しさとやってる感を享受していた。
ただ先輩や同期と話しているときやマネージャーとしてそれなりに働いているときは「楽しいな」と思えていたけれど、果たして自分に向いているのかなとか、これから4年まで続くかなという悩みは尽きなかった。
それまでずっと「スポーツするならプレーヤー側でしょ!」と思っていた私にとって、選手をサポートするマネージャーの精神性はなかなか馴染みづらいものだった。今思えばア式のマネージャーはそこまでマネマネしてないし、やりがいを感じられる仕事はいくらでも転がっていたのに、それに気付けるのはもっと後だった。自分の中の先入観とまだ大して仕事ができない自分の状況が絶妙にマッチして、やっぱり自分のやることじゃないなという気持ちが強まっていた。
同じようなことを思う後輩の子がいるかもしれないし、同じような理由で入部を断念する新入生の子がいるかもしれない。でもまあそれだけで諦めるのは少し勿体無いかな、どうなんだろう。それを乗り越える葛藤と得られるものを天秤にかけたら、やっぱり得られるものの方が多かったと引退した今は思う。
あともし続ける覚悟があるなら、目を背けるよりいっそのことア式に染まってみるといいかもしれない。私はそれがしばらくできず、やめようか迷いながら目を背けていたことを後悔している。「その水になじめない魚だけが、その水について考え続ける」とはまさにこのことかもしれない。まあ多分、違和感や疑問を捨てちゃいけない側面だってあるけれど、楽になりたいなら染まった方が早いのは間違いないと思う。
だから自分のア式生活を大きく2つに分けるなら、辞めないと決めてからが後半になると思う。
2年の冬か3年の春くらい。
遅過ぎて申し訳ないけれど、その頃からやっと覚悟を持てるようになった。
よくいうのは「1年は新しいことばかりで楽しい、2年は後輩ができて面白い、3年はそういうのがなくなって辞める人が多い」というスタッフのモチベーションの話。
自分の場合1年の冬に遅れて入ったから、琴葉はもう同期みたいな気分だったし、2年目を通り越して3年目になったような、あるいは長い1年目が続いていたような感じで、悩み抜いて結局決断もできずに開き直ったようなものだった。
開き直ったのにも今思えばいくつか理由がある。
遅過ぎて申し訳ないけれど、
まず1個はさっき書いたマネの仕事の広さにようやく気づけたこと。
2つ目は甘い話の少ない本郷生活がスタートしたこと。
3つ目はなんだかんだ部に愛着が湧いていたこと。
3つ目はなんだかんだ部に愛着が湧いていたこと。
マネの仕事は、それまで先輩に言われてグリッドを作って水を補給するくらいだったけれど、少し余裕が出てきて周りを見渡してみると先輩方は私の知らない仕事も沢山こなしていた。ボール拾いやボトルの補充ひとつとっても、タイミングや置く場所は絶妙で、私は自分で判断してできないことばっかりだとようやく気づいた。
かといって自分には元々の素質がないこともわかっていたから、地道に頑張る他なかった。具体的には先輩がどういうタイミングでどういう仕事をしているかを見て覚えて、頭の中に入れていくこと。そして先輩がなんで今そこにいるのか、なんで今はボトルをいじらないのかとか聞いてみること。先輩が無意識にやっていることを意識的にでもやれるように頭の中に蓄積していった。
そうやっていくと段々自分で考えて「この練習のときはここに立っておこう」とか「次のメニュー前にこの仕事をしていこう」とか気付けるようになっていった。
それまでのグラウンド業務とは段々変わっていって、ある意味大変になっていたけれど私にとってはよりやりがいが生まれていった。
向いていないしやりがいを感じられないかも!と思っていたグラウンド業務が全然そんなことないと気づけたのが1つ目の開き直った理由。
2つ目は単純に、部活以外の選択肢が段々魅力的じゃないと思い始めたこと。入学当初から特に2年の途中くらいまでは、部活以外にもサークルやバイト、長期インターンや海外旅行などなど部活をやっていたらまともにできないことがいっぱいあふれていた。隣の芝は青い。今ならそう思えるけど、当時の私はそれなりに友達のことを羨んでいた。時間を自由に使えて、大学生のうちしかできないことをしている。なんなら将来に繋がりそう。せっかく東大にきて、部活に週3、4日を費やしていることは正しいんだろうか。
そういう他の選択肢があったことも、いつ部活を離れても仕方ないなという自分の気持ちを正当化していた。
ただ2Aになってからはみんな学部の勉強で忙しくなって、自分もテストを乗り越えるだけで必死になっていった。それに本郷にきてからは駒場を拠点としているサークルは割と解体されて、サークルに行かなくなる友達も増えた。なんならそういう子たちはこぞって就活にのめり込んでいって、嘘でも部活という居場所があって週何回かは息抜きができる感じがいいなと思うまでになっていった。
それともつながるけれど、やっぱり部活が自分の居場所だなと思ったり、同期のことが好きになっていたりしていたのが1番大きかったかもしれない。いきなりここを離れるのはやっぱり寂しいし、引退までいることには必ず意味があるだろうと思えてきた。
そんなこんなで開き直った私は、マネージャーとして精進しようというターンに入った。さっき書いたやり方で、少しずつではあるけれど変わっていけている実感があった。
1個上の選手の先輩は結構マネージャーの仕事をよくみてくれていて、何人かから「最近頑張っているね」と声をかけられたのも覚えている。すごく嬉しかった。
みつかさんがいつかに「ちゃんと見てくれている人はいるよ」と言っていたけれど本当にその通りで、頑張っている人をちゃんと見ている人がいる場所だ。そう思えたのはア式への愛着を確固たるものにしてくれたと思う。これからもそういう部活であってほしいし、受け売りで申し訳ないけれど後輩の子たちには同じ言葉を送りたい。
ちなみに最上級生になってからはそれができる側になろうと少し意識して、slackでは「あんまり目立たないけれど誰かがやらなきゃいけないことを頑張ってくれている人」に重点的にスタンプを押したりしていた。地味すぎて多分なににもなっていないので、ここで成仏させてください。頑張っている後輩たち、本当に立派。
話を戻すと、このあたりの時期に書いたのが2個目のFeelingsだったと思う。(怖くて読み返せないけれど)とにかく頑張ろう、という感じの決意だった。
選手はよく集合とかで「頭を切らさない」と言われるけれど、マネージャーも全く同じだなと思う。常に考えて、求められている動きを果たさなければいけない。4年になっても、「今日の練習のあそこでスムーズに動けなかったな」とか「あの練習が次またあったらボトルの位置は変えなきゃ」とか思っていたくらいで高みを目指そうとするとキリがない仕事だ。
まあそんな感じで取り組んでいるうちにあっという間に3年生になっていた。
元々遅れて入ったから本当にあっという間で、心の準備もできないうちに上級生になっていた。
誤解を恐れずにいえば、この3年になってからの半年くらいはア式生活の中で1番楽しかった。
上級生と言いつつも1個上の頼れる先輩がまだまだいて、何も感じずに甘えたまま過ごせたからかもしれない。
あとアウェーで勝ったときはとっても嬉しくて、ものすごくいい思い出になっている。
特に配信の仕事で行った玉川戦かな。終了間際にギリギリで勝利した瞬間は本当に嬉しかった。
配信も、1年生のときに外側からみていた時は「大変そうだな〜」くらいにしか思っていなかったけれど、実際に当事者になってみると良い仕事だった。保護者の方やOB、当日来れない部員と試合を繋げられるというのは重要な役割を担っている。
3年の夏頃に、みつかさんからグラウンド業務長を引き継いだ。
私たちの1個上のマネージャーは沢山いて存在感があって、本当に頼れる先輩方ばかりだったから、引退したあとはどうしようという雰囲気があった。
業務長になってからは一層そういうことを考えるようになった。
ただ本当に楽しいシーズンで、後期は特に劇的な勝利も多く、部員として楽しんで過ごしているうちにあっという間に10月になっていた。
先輩たちが引退するのは本当に寂しかった。
引退試合の日に改めて、これからどうしようと不安になった。
自分の引退のときはそんなに泣きそうになかったけれど、1年前の引退試合は少し泣きそうだった。
私たちの1個上のマネージャーは沢山いて存在感があって、
ただ本当に楽しいシーズンで、後期は特に劇的な勝利も多く、
引退試合の日に改めて、これからどうしようと不安になった。
自分の引退のときはそんなに泣きそうになかったけれど、
部活生活をやっぱり3つに分けるなら、ここからがまた別の1年。
楽しいような険しいような、やりがいがあったけれど後悔も沢山残る1年だった。きっとこの1年があることが、ア式が自分にとって良い思い出だけに留まらない理由だと思う。
楽しいような険しいような、
先輩方が引退すると、マネージャーの数は半減して、部活の雰囲気も少しずつ変わっていった。
シフトはそれまで通り回せるはずもなく、1回のシフトの人数を減らしたりシフトの回数を増やしたりして対応した。一周回ってやる気は十分だった。「人数が減るのは悪いことだけじゃない。一人一人が主体性を持って成長できるチャンスでもあると思う」そう代替わり前後のMTGでも伝えた。本心だった。自分こそ成長していこうという気持ち。1,2年生だった頃の自分がいたなら伝えたい言葉だった。
リョウヘイさんが退いたあとはオカピさんがコーチを務めた。
オフまではなんとか今まで通りを維持しようという気持ちで、グラウンドにも通い詰めた。部活以外のことも忙しい時期で、正直そこまで記憶がないけれど、とにかく一生懸命だった。
オフまではなんとか今まで通りを維持しようという気持ちで、
オカピさんからテツさんに代わると、部内の雰囲気も変わっていった。
わかりやすく言うと「変えていこう!」という雰囲気。現役のテクからも発言力のある人が増えていった。自分たちの代への期待感もかなりあったと思う。
その変革の風潮の中、マネージャーも例外ではなかった。オフ前から合宿のあとまで、さまざまな意見をもらった。この頃言われたことをはっきり覚えているし、その全部に対応できなかったことも、対応しようとしきれなかったこともよく覚えている。3年間でやり残したことがあるとすれば、その半分くらいはこのシーズンオフの間に新体制を整えることだったと思う。自分の力不足を痛感させられた。そして、過去の自分と今までのア式への印象から大きくはみ出すことができなかった。とにかく自分は自分として頑張るしかなかった。自分がいつしか先輩の背中をみて学べたように、そんな先輩に自分もなりたいともがくだけだった。
それでも冬は明けて、シーズンの開幕が近づいた。
一時期とはまた雰囲気が変わり、マネージャーとしてはシーズン前の緊張感を邪魔せず、盛り立て、背中を押せるようにするのが1番の役目になった。ベンチは英理にだいぶ任せきりになってしまったけれど、本当に頑張ってくれた。英理、本当にありがとう。
一時期とはまた雰囲気が変わり、
そういうみんなの努力があって、そして新しく入ってくれた素敵なメンバーを迎え入れて、なんとか無事にラストシーズンを迎えられた。
ここからはまさにあっという間だった。
冬にはマネージャーのことであれこれと考えを巡らしていたが、そういう余裕もなくなり、とにかくリーグ戦の緊張感に耐えるグラウンド業務を作らなければならなかった。そして裏のテーマは「引き継ぐこと、伝えること」。
仕事をしっかりと引き継いで、余裕をもって色々なことを教えたい。先輩方がそうしてきたように、自分もラストシーズンをしっかり先輩らしく過ごしたいと気合を入れていた。
冬にはマネージャーのことであれこれと考えを巡らしていたが、
この半年はどうだっただろう。
引き継げたとは思うけれど、もっともっとやれることがあったと思えてならない。選手と同じくらい情熱を持って、勝利に向かってやっているつもりだったけれど、100%だったかといわれるとわからない。
もっとユニット活動でも引っ張っていけていたら、もっとグラウンド業務で細かくアドバイスできていたら、もっと試合に出る選手の側にいられていたら。
そう思えてならない。
そんな無力感がやっぱり拭えない。
引退の2週間くらい前、私はなんだかものすごく虚しくなってしまった。
引退の直前になって「あの仕事はこうしたほうがいいな」とか、「もっとこういうふうにメニューを仕切った方がいいな」とか思えてきて、あと何回も同じ練習はないのに、とか思ったらものすごく自分が情けなくなった。
もう終わるとなるとあれこれ思いつくのか、今まで後回しにしすぎていたのか。
引き継げたとは思うけれど、
そんな無力感がやっぱり拭えない。
引退の2週間くらい前、
ラストの1週間は、理子が同期のマネージャーと多くシフトを組んでくれた。同期とはほとんどシフトに一緒に入ったことがなかったけど、バラバラでも3年間同じようにやってきたんだなと言うのがわかって嬉しかった。
間違いなく3年間で1番楽しい1週間だった。
最後の試合は内心とんでもなく不安で応援してるだけなのに吐きそうな気持ちだったけれど、1点目が決まった瞬間全部を忘れるくらい嬉しかった。
それから同期が沢山活躍して、夢みたいに綺麗な勝利。
もっとずっと続いてほしいなと思えるような幸せな時間。応援として参加したけれど、みんなとひとつになれているのがよく分かった。
本当によかった。
もっとずっと続いてほしいなと思えるような幸せな時間。
綺麗な勝利は、自分の虚しさと悔しさを吹き飛ばすようなものだった。
試合後にマネの後輩の子たちが寂しがってくれて、なんて可愛いの!と思いながら、こうやってみんながいてくれるなら自分のやってきたことも少しは部のためになったかなあと思えた。
そんな達成感と勝利の嬉しさがしばらく胸を占めた。
でもやっぱり無力感と悔しさが残る。
後悔のない部活生活などないかもしれないし、今はもう3年間を認めてあげることしかできないけれど。
決してネガティブになっているわけではないけれど、そんな一言では表しきれない感情が今部活に対して思っている全てだと思う。
でも確実に言えるのは、私は思い出以上のものをア式と、関わった全ての人にもらったということ。ただの楽しい3年間ではなかったことに、きっと価値はあっただろうと思う。
長くなっちゃったけど、そんな感じでした。
いつか部活のことを思い出したくなったときは、読み返そうと思います。
なにかしら糧になると信じて。
いつか部活のことを思い出したくなったときは、
あともしこの文章がどこかの新入生のところに届いていたら。
ア式に入ることをおすすめしたいです。
あんまり魅力を伝える文章は書けなかったかもしれないけれど、全力でおすすめします。
部活以外のことはほとんど経験してないから、相対的にどうとか言うことはできないけれど、ア式で過ごした3年間は私にとっては本当に良いものでした。
ア式に入ることをおすすめしたいです。
あんまり魅力を伝える文章は書けなかったかもしれないけれど、
特にマネージャーは色々不安だったりすると思うけれど、少しでも楽しそう!という気がするなら飛び込んでみてほしいです。飛び込んだあとはきっとなんとかしてくれる先輩や同期がいると思うので。
ぜひ。
この文章を書いてからまた長らく寝かせてしまって、気づけば引退から4ヶ月も経ってしまった。読み返しながら「ああ確かに、こんなこともあったなあ」と思うまでに記憶は退化してきている。
最近は久しぶりに会う友達が多いのだけれど、そういう子の趣味やハマっているものを聞いたあとで必ず、自分にはそういうものがそれほどないと気づく。それを伝えると、「じゃあえりちゃんはなにに集中力を使っているの」という鋭いリアクションをくれた子もいた。もはや引退後は本当に何もないから嫌になるけど、少しズルをして過去のことを思い出す。そうするとやっぱり部活のことをよく考えていたし、部活のことで頭を悩ませたり喜んだり、なにより部活の人と楽しんだことでいっぱいだったなと思う。そしてそれを思うたびに、私はそんな大学生活だったことにだいぶ満足しているんだなとも実感する。そしてこれからも部活の人と会える楽しみが少しずつどこかにあるのだと思うと嬉しい。頑張ろう。
お世話になったみなさま、本当にありがとうございました。
これからも応援しています。
これからも応援しています。
吉田恵梨
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