まだまだやめられない

上田知祥(1年/MF/栄光学園高校)


1年プレーヤー/ポジションMF 上田知祥です。


双青戦が終わり、feelingsを書いている。双青戦は出場することはできたが、訪れたシュート機会も決めきることは出来ずに引き分けに終わってしまった。普段に増して結果が強く希求される試合で勝てなかった悔しさを感じている。来年の双青戦は京都であるので、上のカテゴリーで試合に出て勝利したい。


そもそも、なぜ僕は東大ア式蹴球部に所属しているのだろうか。


僕は6歳の時にボールを蹴り始めた。地元の少年団に入り、友人と楽しくサッカーをしていた。僕の近所の友達はみな同じ小学校に通い同じチームでプレーしていたので、とても仲がよかった。彼らはとてもうまく、一緒に練習していてもよくドリブルで抜かれた。先日大学サッカーの練習試合でこの友達の一人と対戦することができたときは、懐かしく様々な感情を覚えた。サッカーを続けていてよかったと思えた瞬間でもあった。僕は当時DFをやっていたが、もともと得意だったGKも少しやっていた。6年間楽しくボールを蹴り続けることができた。


中学生になってサッカー部に入った。中学からはAチーム、Bチームなど分かれていて、Aチームにはなかなか入ることができなかった。高校に上がっても、Aチームでプレーする機会はあまりなく、遠藤先輩や同期の鈴木武尊が活躍しているのを見ているだけだった。先輩が引退した後も自分が怪我をしてしまったこともあり、試合に出ることができないまま時間が過ぎていった。練習の積み上げが現れたのかもしれない。高2の終わりにやっと、Aチームに昇格して、試合に少しずつ絡み始めた。なぜかはわからないがこのころには、DFからMFへとポジションが変わっていた。


5月には高校総体の予選があった。1回戦に先発で出場したのだが、人生で一番緊張した試合だった。自分はやっと試合に出ることができるようになった立場なのに、チームを負けさせてしまったら...というネガティブな感情であふれていた。結果としてこの試合は僕なりに活躍することができて、チームの一員になれたと感じた試合でもあった。試合に勝利した後は何物にも代えがたいくらいうれしかった。


7月に入り、選手権予選が幕を開けた。この試合で高校サッカーが終わるかもしれないという経験したことのない恐怖を感じながら戦った。6月の試合で負傷した鈴木武尊を欠いたままの戦いで戦力的にも苦しかった。一回戦と二回戦に勝利して三回戦に進んだ。三回戦の相手はかなり格上で奮闘したものの、結果は0-2で敗北。あと一勝していれば鈴木武尊も復帰できたので何としても勝ちたかった。友人や保護者、先輩もたくさん観戦に訪れてくれた試合で本当に悔しかった。応援されると大きくパワーが生まれることを肌で実感した。


程なくして、サッカー部を引退した。7月末までやり切った。ここからは文字通り切り替えて、受験勉強を頑張った。日々の勉強を積み重ねていた周囲の友人と違い、僕は危機的な成績だったが、別のモチベーションも得て、何とか現役で合格することができた。正直、選手権予選の緊張具合を思えば、入試はあまり緊張せずに臨むことができた。間違いなく、サッカーで培ったメンタルのおかげで最大限の実力を発揮することができた。


なぜなのかはわからないが、僕は合格発表の翌日にア式のYoutubeを見ていた。もう一度サッカーをやりたいと感じていたのだろうか。それとも最後の試合の終わり方にまだ未練を持っていたからだろうか。いずれにせよ、そこからは流れ着くように東大ア式に入部していた。


東大ア式はボールを繋ぐ戦術を採用している。明確なコンセプトを持つチームで練習するのは初めてで、とても新鮮な気持ちで今サッカーに取り組めている。ボールを繋ぐからこそ、中盤でのボールの受け方はとても大切で、日々試行錯誤しながらトレーニングを重ねている。あれほど嫌いだった走りのトレーニングも毎日のように走っていると成長を感じて、以前より前向きに取り組めている。


最後に僕が尊敬する友人について書きたい。鈴木武尊は中学から、ずっとキャプテンをやっている。僕にとってのキャプテンはずっと彼だ。また、彼はサッカーの実力だけでなく人間性も素晴らしい。彼が負傷してしまったことで、最後の選手権予選で同じピッチに立つことは叶わなかった。今彼はAチームでスタメンとして試合に出ている一方、僕はAチームではない。大学で再び同じチームでボールを蹴っているのは不思議な気持ちだ。いつの日か再び同じ試合でプレーする日を当面の目標に僕はボールを蹴り続けたい。

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