空の青さを知るために
杉山士恩(1年/MF/開成高校)
はじめまして。1年プレイヤーの杉山士恩です。出身は開成高校、ポジションは主にWGです。
どうして大学までサッカーを続けるの? サッカーが好きだから。
週6でサッカーをしていて、遊びたくならないの? 遊びたい。でも、サッカーが好きだからいい。
サッカーを続けて何になるの? わからない。でも、サッカーが好きだから続ける。
大学でサッカーをしている人なら、誰もが嫌というほど浴びせられてきた質問だろう。私はいつも決まって「サッカーが好きだから」と答えてきた。しかし今一度考えてみると、この答えはあまりにも漠然としている。どうして好きなのか。どこが好きなのか。そう聞かれると、すぐには答えられない。入部を決めた手前、引くに引けなくなって、「好きだから」と自分に言い聞かせているだけなのかもしれない、とも思う。
だとすれば、「サッカーが好きだから」という答えは、その場しのぎの言葉でしかない。
なぜ大学でサッカーを続けるのか。これまでのサッカー人生を振り返りながら、改めてこの問いと向き合ってみたい。
私は、サッカーをしていた父の影響で、3歳からボールを蹴り始めた。小学校低学年までは地元の弱小少年団でキャプテンを務めた。高学年から中1までは新設チームの1期生として、チームの土台作りを担いながら、10番を背負わせてもらった。
中2からは中高のサッカー部に入った。決して強豪ではないが、弱すぎもしない。そんな立ち位置のチームだった。中学時代は地区予選を突破しても、都大会の初戦で敗れることが多かった。高校に上がると周りの学校が力をつけ、都大会に出ることすらできなくなった。
その中で、私はスタメンとして起用してもらった。高2で迎えた、自分たちにとって最後のインハイ予選と選手権予選では、10番や11番を背負った。そして、多くの同期にとって引退の舞台となる高2の新人戦。負ければ終わりという状況の中で、私たちは4ヶ月にわたって勝ち進んだ。しかし、都ベスト16まであと一歩のところで敗れ、中高4年間の部活動に幕を下ろした。
こうして振り返ると、この15年間には、勝って喜んだ思い出も、負けて仲間と涙を流した思い出も山ほどある。しかし、ここであることに気づく。大きく挫折した思い出が、一つもないのだ。
それは、周りに自分より上手い選手がいなかったからでも、人よりメンタルが強かったからでもない。挫折することから逃げていたのだ。挫折して心が傷つくのが怖かった。そのまま大好きなサッカーまで嫌いになってしまうかもしれない、という恐怖があった。だから、自分より明らかに上の存在が現れるたびに、目を背けてきた。
小6の頃、FC東京のセレクションを受けた。結果は一次試験で不合格。しかし、あまり悔しくはなかった。応募者100人超の中から受かるのは1人か2人だと、受ける前から知っていたからだ。たった一度のセレクションで受からなくても仕方ない。運が悪かっただけだ。そう思っていた。
中1の頃には、監督に勧められて都内の強豪クラブのセレクションを受けた。会場には、そのクラブの下部組織の選手たちが大勢いた。練習が始まると、彼らだけでチームを組み、息の合った連携で他の受験者を圧倒していった。それを見て私は、「どうせ内部の選手を上げるための、形だけのセレクションなのだろう。受からなくて当然だ」と自分に言い聞かせた。
だが実際には、彼ら一人ひとりと比べても、自分の技術が劣っているのは明らかだった。私はその事実から目を背け、都合のいい理由をつけて、挫折から逃げたのだ。
大海に出るチャンスはあった。私は大海を知らなかったのではない。知っていながら目を背け、現実に蓋をしていたのだ。井の中の蛙は大海を知らない。しかし私は、大海を知りながら、自分から井戸の中に閉じこもっていた。
ここで最初の問いに立ち返る。なぜ大学でサッカーを続けるのか。
逃げていたのは、挫折からだけではなかった。「今日はこのくらいでいいや」「どうせあと少しで引退だし」。はっきり自覚していたわけではないが、何かと理由をつけては、本気で頑張ることからも逃げていた。そんな自分にうっすら気づいて嫌気がさしていたのに、その気持ちからさえ目を背けていた。
私は、そんな自分を変えたかったのだと思う。
ア式には、自分よりはるかに上手い先輩方がたくさんいる。その先輩方が週6で真剣にサッカーに向き合い、それでも簡単には勝てない強豪校がひしめくリーグで戦っている。今の自分にとって、ここはまさに大海だ。一人で放り出されれば、まったくの無力だろう。それでも今度こそ、その現実から目を背けずに挑みたい。それが、今の私が出せる答えだ。
とはいえ、15年かけて染みついた考え方は、そう簡単には変わらない。大海の広さを前にすれば、また都合のいい理由を探して逃げ出してしまうかもしれない。
「井の中の蛙大海を知らず」。この言葉には続きがある。
「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る」。
一つの場所で物事を突き詰めた者は、その点において誰よりも深く知っている、という意味だ。
井戸に閉じこもったうえに、その井戸から見える空の青さすら、私は見ようとしていなかった。
そこで、捉え方を変えてみる。かつて私にとって井戸は、逃げ込む場所だった。目の前の大海を、自分が飛び込む「井戸」だと決めてしまうのだ。井戸には逃げ場がない。だからこそ、その中で死に物狂いで頂点を目指すしかない。そして蛙は、井戸の中でこそ最も力を発揮する。
今の自分にとって最初の井戸は、ア式というチームだ。その次は都2部というリーグ(昇格すれば都1部)、そしてその先には、ア式が目指す関東リーグがある。井戸の頂点に立ち、一回り大きな井戸へ移り、また頂点を目指す。それを繰り返した先で、ふと自分の井戸を見渡してみる。するとそこは、一つの大きな海になっているかもしれない。
「どうして大学までサッカーを続けるの?」
次にそう聞かれても、私はやはり「サッカーが好きだから」と答えると思う。ただしそれは、もうその場しのぎの言葉ではない。好きだからこそ、これまでは挫折から逃げてきた。これからは、好きだからこそ逃げない。
この先、今よりもずっと困難な壁にぶつかるのは間違いない。それでも構わない。私は、どんな井戸にでも飛び込む蛙なのだから。
次にそう聞かれても、私はやはり「サッカーが好きだから」と答えると思う。ただしそれは、もうその場しのぎの言葉ではない。好きだからこそ、これまでは挫折から逃げてきた。これからは、好きだからこそ逃げない。
この先、今よりもずっと困難な壁にぶつかるのは間違いない。それでも構わない。私は、どんな井戸にでも飛び込む蛙なのだから。
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