辛い時、宝物
たいして長くはないけれど自分は今まで生きてきて、何度か人生の選択を迫られることがありました。
まだ自分の中で整理がついていないから、それぞれの選択の内容やそれが正しかったと思えているかどうかは伏せておくとして、全ての選択に共通していると自信を持って言えることが1つだけあります。
それは、「仲間」の存在が自分を救ってくれたこと。
くさいからあんま言うのは恥ずかしいけれど本当にそう思っています。自分が得ることができた「仲間」は、1つは、高校サッカー部。2つめは大学サッカー部。自分の支えとなっている2つの仲間について書きます。
まず高校。こいつらとは、下手したら家族より長い時間一緒にいて、どんな理不尽も苦しい走りも処罰もこいつらと支え合って乗り越えてきました。
自分が高校1年の時、ある理由から毎日苦痛で退部を考えていた時期があり、精神的に不安定になり朝練の後に1人ぼろぼろ泣いていることもありました。理由を理解して優しく声を掛けてくれた先輩や同期には感謝してもしきれません。その人達にとっては、大したことをしたつもりではないかもしれないけれど、本当に救われて、今の自分があるのはあの時辞めずにすんだからだと思っています。
選手権で負けて泣きじゃくってる時、試合に出れなかったやつも怪我をしてしまったやつも皆んなが純粋な気持ちで、泣きながら声を掛けてくれて、悔しさと申し訳なさと感謝とがこみ上げてきて止まらなかったのを覚えています。
例を挙げたらきりがないけれど、あいつらは、僕の宝物です。大学サッカーを続けてるやつ、もう引退して就職したやつ、同じく浪人を重ねたやつ、結婚しそうな彼女がいるやつ、彼女出来たことないやつ、色々います。中には、不慮の事故でもう会うことの出来なくなってしまったやつもいます。そいつが頑張れと言ってくれていたから、そいつの両親が応援してくれているから、他のやつらが場所は違えど頑張っているから、自分は自分でした選択の中で頑張れます。僕のかけがえのない支え①です。
①と書きましたが、当然大事な②があります。東大ア式蹴球部の仲間です。
プロを目指すわけではないけれど大学でもサッカーを本気でやりたい、携わりたいと考えて入部したやつがほとんどです。1、2年生の時、制度のことで振り回されて、嫌な記憶を持つやつも、そうして辞めていってしまったやつも多くいます。
あの時期、僕の意見に賛同してくれて、一緒に考えて行動してくれた同期や先輩後輩には頭が上がりません。違った意見を持ちながらも突き放さず向き合ってくれた人にも感謝しています。僕なんかに協力してくれた仲間には返しきれない恩があります。まだ、終わってはいないけれど。
最近、ある事でぶち下がってた時、それを知らなくても、例えばセットプレーでヘディングクリアしただけでナイス!と口を揃えて言ってくれるイレブン。小さなことだけど本当に救われました。
毎日一緒にいて悩みを聞いてくれるやつ、不満言いながらもなんだかんだ真面目なやつ、くだらないことで場を盛り上げてくれる先輩、対戦相手や自チームの分析をして試合前の不安を和らげ成長させてくれるスタッフ、憎らしくもかわいい後輩、本当に様々です。
そいつ自身も悩みを抱えながら戦っている同期や、不遇の扱いを受けている先輩、彼らは自分のこともありながら人のために頑張れと応援してくれます。本当に尊敬しています。この人達みんながいるから、自分は努力し続けられます。これも俺の宝物であり支えです。
特に同期、こいつらが頑張ってて手を抜けるわけがない。頑張れと言ってくれて頑張らないわけがない。試合中、どんなに苦しくてもこいつらの声が聞こえてきたら足を止められるわけがない。本当に感謝してるし大好きです。オフ、遊びいこーぜ。
形は様々ですが自分は本当に色々な人に支えられています。この人達がいるから、自分のした選択の中で精神的に苦しくても前を向けるし、自分もこの人達のそんな存在になれたらいいなと思っています。
だから週末、自分を支えてくれた、支えてくれている人達の為にバカみたいに走り続けます。
魂込めて戦います。暁星魂も東大魂も。
3年 中沖隼
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