私の不合理

Feelingsを書き始めようとして、伝えたいことが思いつかないことに驚愕した。
しかし、すぐに驚くことではないと思い直す。
私には、常にア式を続けることへの迷いがあるのだから。

私は、主に自チーム分析を担当するテクニカルスタッフである。2年前の春、分析やパソコン作業が好きであること、また運動会の組織に所属したいことから、最適の選択だと考え入部した。実際、望まない仕事はほとんどさせられず、他の部員のみんなにも良くしてもらい、かわいい後輩もできた。恵まれていると思う。

だが、私に体力がないこと、勉強が最優先であること、という2つの(周知の)事実に基づいて考えると、私がア式に所属することは非合理的である。まず、体力・筋力がなさ過ぎて役に立たない場面が多いばかりか、頻繁に体調不良で仕事に穴を空け迷惑をかけてしまうことが多いという、ア式にとっての不利益がある。そして当然、時間や体力はア式に割いた分勉強や遊びに割けなくなるという、私にとっての不利益がある。

以上から明らかなように、ア式に所属し続けることの利点は定量化が難しい。他方、欠点は定量化可能で分かりやすい。時間は(十分にゆっくり運動する限り)時計を見ればわかるし、体力もア式で主観的に9段階評価している通りある程度数字で表せる。そうすると、冷静にア式を続けるかどうか考えたとき、目につくのは欠点ばかりなのだ。やめるのが合理的だという結論に、数えきれないほど至った。

しかし、そんな自問自答を何度もしているのにも関わらず、私はア式を続けている。その結果から、どうやら無意識下で利点が欠点を上回っているらしいことが逆算的にわかる。それを踏まえて続けている理由を考え直してみると、どうやら私は自覚している以上に、ア式の仲間、主に同期が大切らしい。みんなが好きだから活躍を見ていたいと思うし、応援したいと思うし、分析で力になりたいと思う。それは自覚していたが、それが目に見える不利益よりも大きいとは思わなかった。定量化できないものを大きい、と形容するのは主義に反するのだが、そう言う他ないので仕方ない。


ここまで独白的な文章を散々書いてきて今更だが、やっと伝えたいことが見つかった。私は、同期のみんなに感謝したい。ア式部員にも合理主義が過ぎると言われる私が、不合理に思える選択をするほどに大切な仲間など、なかなか見つからないだろう。面と向かって同期に感謝してるよ、とか言っても、絶対嘘だ!とか言われるのが目に見える。しかし、ここまで論理的に書けばさすがに信じてもらえるだろう。私はみんなが大切だ。自分が思っている以上に。

ア式を続けるという判断は、今でも非合理的だと思っている。だから、いつ判断がひっくり返るかは私にもわからない。明日ひっくり返るかもしれないし、最後までその時は来ないかもしれない。だが、続けている限りは仲間の、同期のために、全力を尽くしたいと思っている。それは献身的で非合理的な判断なんかではなく、仲間が成功すると私が嬉しいから、という利己的で合理的な判断だ。だから、この宣言は最後まで継続する可能性が高いと言っておこう。

同期へ。そういうわけだから、これからもよろしく頼むよ!

体力温存第一
3年 石﨑梨理

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