OGAWARA解体新書

1回目のfeelingsが回ってきた。正直言ってみんなのクオリティーが高すぎて何を書けばいいか全然思いつかない。だから今回は自分のことについて書いていこうと思う。しばしお付き合いを。

まず俺の苗字と名前。小川原 元陽。これを初見で読めた人は今までに一人もいない。正解はオガワラ モトアキ。これで済めばいいのだが、この苗字がまためんどくさいのである。これをちゃんと覚えてくれる人がほとんどいない。みんな間違える。多くの人が勝手に脳内で小笠原に変換してしまう。中には大河原(ア式 1年 K.K)だの河村だの予想をはるかに上回る斬新な間違い方をしてくれる猛者もいる。だからみんなにはOGAと呼んでもらうことにしている。


そんな俺を代表する特徴が「アゴ」である。自分としてはそんなに気にしていなかったが、どうやら俺のアゴは出ているらしい。このことに気づいたのは高校1年の時にサッカー部の仲間に言われた時である。それからというもの、高校3年間、日々俺のアゴはいじられてきた。(まさか大学1年になってまでいじられることになるとは思ってなかった。)一時期はそんなに俺のアゴは出ているのかと気になって「顎 指圧マッサージ 矯正」と調べて日々アゴの矯正を試みた時期もあったが、今となってはアゴは俺のチャーミングポイントである。通りすがりに触るなりして可愛がって欲しい。ただ一つだけ言っておきたいことがある。この前あるやつに「お前って一芸持ってていいよな。何かあればとりあえずアゴでなんとかなるじゃん」と言われたことがあるが、俺は出したくて出してるわけじゃない。出ちゃうんだ。


まあこんなどうでもいい話はさておき、俺のア式でのこれまでを書いていきたいと思う。


1年の浪人を経て東大に合格して喜びに浸る中、俺は4年間の大学生活をどのように過ごそうか考えていた。テニサーに入って大学デビュー?意識高い系サークルに入って頑張っちゃう?とまあ正直に言ってア式という選択肢はあまり考えてなかった。しかしア式への扉を開ける一歩目となったのはテント列だった。まず待ち構えていたのが運動会。予想通りみんなガタイがよく、かっこいい。しかもどの部活も真剣に取り組んでて実績もあり、魅力的。でも俺は部活に明け暮れる生活はもうごめんだと思って運動会のテント列を後にした。次に片っ端からテニサーやイベサーのテント列に入った。可愛い人やかっこいい人がいっぱいいた。キラキラしてた。説明を聞いた。楽しそうだと思う一方、何か虚無感みたいなものを感じた。「楽しそうだけど飽きそう」。正直な感想がこれだった。別にサークルに入って全力で青春を楽しんでいる人たちを否定しているわけではない。ただ俺の性格にはサークルが合わなかっただけだ。この時点で俺自身の進路は運動会一本に絞られた。そして新歓期にア式へ体験練習に行ったことで入部を決意した。久々にボールを全力で追いかけたその時間はあまりにも楽しかった。やっぱり俺はサッカー好きなんだなと思った。そして入部した。



ア式蹴球部は学生主体という面白い環境の中で運営されてる。これには最初驚いた。そんな体制で本当に運営できてるの?サッカーもちゃんとした指導者つけないと上手くならなくない?と思ったが俺の間違いだった。運営は上級生が主体となって責任持ってやってるし、監督やコーチの人たちのサッカー観はとても面白く練習も綿密に考えられていたし、選手間でコミュニケーションをとって切磋琢磨していた。めちゃくちゃすげえなと思った。ア式に入って本当に良かった。

入部当初の正直な感想を言うと、みんなうますぎ。上級生は言うまでもなく、1年生のテクニックには正直びびった。よくよく聞いたらみんな高校時代はサッカー部のキャプテンだったり、エースだった奴らばかり。高校最後の試合もベンチで見ることしかできなかった俺はやっていけるのかとても不安になった。でもやると決めたからには頑張ろう。そんなことを思う中、練習がスタート。最初の1ヶ月は1年生チームとして全体とは別メニューで練習していたが、明らかに1年の中で1番俺が下手くそだった。悔しかった。それからは練習後は毎日自主練した。中には俺の自主練に付き合ってくれるやつもいた。1ヶ月がすぎ1年生チームが解散し、いよいよカテゴリーが分けられる。俺のカテゴリーは案の定一番下だった。そうなるだろうとわかっていたがやっぱり悔しい。でも一番下のカテゴリーからのスタートはやる気を一層高めてくれた。そして夏休みが始まる頃にそのやる気を買ってくれたのか、コーチがB1へカテゴリーを上げてくれた。素直にめちゃくちゃ嬉しかった。だけどここからがしんどかった。B1では俺のプレースピードがトロすぎて全く通用しない。練習後は落ち込む日々。1、2ヶ月頑張ってみたものの結局カテゴリーを下げられてしまった。納得のカテゴリー降格。でも他の1年はもう公式戦にだって出ているのに俺は何してるんだとむちゃくちゃ自分が情けなかった。そこから現在まではB2でプレーしているが、一刻も早くカテゴリーを上げて公式戦に出たい。そんな思いを抱えて日々頑張っている。



ア式1年 小川原元陽


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