去年の経験
「今日の失敗は明日の成功があって初めて意味を持つ」とある人は言う。
だから今の自分にはまだ過去の苦い経験を肯定化することはできない。
それでも、過去の苦い経験を振り返って整理しておくことは明日の成功のためにもとても重要だと思う。だから振り返っておく。少し長くなってしまったけど読んで欲しい。
2019年シーズンはとても苦しいシーズンだった。チームとしても1部残留を果たせず2部降格となってしまったが、自分は、リーグ戦に出場することはおろか、ベンチにさえ一度も入ることができなかった。
「東大まで来てサッカー部にいること」に意味があるのかという、いわゆる「機会損失」について考えさせられたシーズンだった。
2018年後期リーグの最終節。日野さんが累積警告で出場停止、大和さん・槇さんが怪我で離脱、大谷が足をつるという多くの偶然が重なって、ラスト8分ながら初めてリーグ戦のピッチに立つことができた。
2019シーズンはもっと公式戦に出たいと思った。中沖さんの代が引退してからの10月のカテゴリー分けではAチームに入ることができ、その思いは強くなった。
けれど、2019年2月1日、スタートアップ合宿の前日、新シーズンのカテゴリーが発表されてBチームに落ちた。
落とされて初めて自分の甘さに気付かされた。Aチームにいた頃の自分の心構えをすごく後悔した。
自分はそれまで何回かAチームに入ったことがあったが、その度に割と早くBチームに落とされていた。だから本来は危機感を持ちながら取り組まなければいけなかったはずなのに、心のどこかで「もう落ちないだろう」と思ってしまっていた。別に練習で特別良いプレーをしていたわけでもなければ、下手なりの積極性を見せていたわけでもないのに、そう思ってしまっていた。
落とされるまでそんな自分の甘さに全然気が付かず、落とされた瞬間にたくさんの後悔が襲ってきた。
落ちた当初、Bチームのメンバーに対する要求なんて挙げだしたらキリがないから、周りばかりに目を向けるのではなく自分のことだけに集中しようと思っていた。
だから、ゲンが凄く周りに対して厳しく要求しているのを見て、Bチーム全体のことを気にしてくれていて凄く有り難かったと同時に、もっと自分のことに集中すれば変なストレスも感じずにうまくいくだろうに、と思っていた。
でも今振り返ってみて、もっとゲンのように周りを巻き込むべきだったのではないかとも思っている。
今自分はAチームにいるが、上手い人と一緒にプレーしていると成功体験を積む機会も多いし、考えるスピードなども自然と上がっている気がする。
だから、周りに対するストレスを感じることを覚悟して、もっともっと周りに対して要求して全体として上手くなっていくことを目指すべきだったのではないかと今感じている。
落ちてすぐの頃は、すぐに上がってやると意気込んでいた。けれどセカンドの試合(Aチームのスタメン以外で行う試合)や木曜練で呼んでもらえてもなかなか上手くアピールできなかった。
次第にセカンドの試合では、雰囲気が良くなかったのもあるが、正直ビビるようになった。今更失うものなんて何にもないはずだったのにミスすることを怖がっていた。
そんなことをしているうちに、アピールに成功した宮坂や松波がAに上がっていった。
特に(3週間くらいで落ちてきたけど)宮坂がAチームに上がったことは凄く自分を焦らせた。
五月祭の日にアウェーで行われた、朝鮮大とのセカンドの試合では、自分が左、宮坂が右のSBだったけれど、右の宮坂より良いプレーをしなきゃと変に意識をしてしまい、全然試合に入れていなかった。今までで一番駄目なくらいの出来だった。
情けなくて、みんなの前でどんな顔をしていたら良いか分からなくて一人で先に帰った。歩くのが遅すぎて大谷と西に追いつかれ、慰められた瞬間に涙が出たこともよく覚えている。その時二人に若干引かれたことも。苦しいけど一緒に頑張っていこうと言ってくれたことも。
この時期に、自分の中で考えを変えた。
「アピールすることばかりに意識がとらわれて上手くいかなくなっている。一旦Bチームの中で地に足をつけて良いプレーすることを意識しよう」と。
これが本当に良くなかったと思っている。このマインドのせいで、ぬるま湯も慣れれば適温になる的な感じでBチームの緩さに慣れてしまうことになった。
また、同じ時期に藤岡さんとご飯に行った。その時藤岡さんは、
「全員が全員、リーグ戦に出場することを目指す必要はないと思う。そんなの、Bチームの人にとっては現実的じゃないかもしれないし。例えば、GSSをあれだけ頑張っていたヤマケンは子どもたちにとってヒーローだし、ああいう活躍の仕方がリーグ戦に出てた人より劣るとも思わない」
みたいなことを言っていた。
この言葉で、自分の中で変なスイッチが入ってしまった。Aチームを、リーグ戦の出場を目指さなくてもいいんだ、みたいな。
そのあとに藤岡さんが続けた、
「まあ赤木には、たとえ現実的でないとしても頑張って欲しいけどね。赤木が公式戦に出ている姿を見たらスクールの子たちはきっと喜ぶだろうから」
っていう言葉は全然頭に入っていなかった。
こうして、「リーグ戦に出場すること」に対するモチベーションは次第に無くなっていったし、なくなっていくことをなんとなく仕方ないことみたいに捉えている自分もいた。
去年、この時期にfeelingsが回ってきて、全然自分の現状について書けなくて、結局GSSのことしか書けなかった。
一方で、リーグ戦でのチームの勝利を喜べない自分や、松波が出て活躍している姿を素直に応援出来ない自分もいた。
「人が出ているのを素直に応援できないくせに自分は向上心が湧かない」状態が続いた。
「なんやねんお前」って自分でも思っていた。
このままでは駄目だとは思っていて、藤山さんにもそれとなく相談したし、4年間の多くの時間をBチームで過ごした、京大サッカー部の高校の先輩にも話を聞いたりした。
でも、お二人には申し訳ないが、お二人の話は全然響いてこなかった。
話を聞いて、「よっしゃ、頑張ろ!」ともなれなければ、スパッと「辞めよう!」ともなれなかった。
結局は自分の中でなんらかの気持ちが湧いて来なければ駄目なんだなと改めて感じた。
そして自分のことなのに、この先どうするべきか全然決められない自分が凄く嫌だった。
そんなメンタルで迎えた、後期リーグの最終戦の週の金曜練、すなわち一個上の代の最後の金曜練での些細な出来事が自分は忘れられない。
その日、Aのメンバーが足りず、Bから数名借りるということになった。
今までそうした時に大抵自分は呼ばれてきたのでこの日も呼ばれるのかなと思っていたら、西と嶋崎が呼ばれた。
この前、この話を西にしたら、「単純にポジションバランスの問題だろ笑」って言われたけど、自分としては、自分が呼ばれず、嶋崎が呼ばれたことが凄くショックだった。
嶋崎とは家も近く、毎週何回も夜ご飯を一緒に食べ、またGSSでも幼稚園生クラスのコーチを一緒にやる間柄だ。それまであまり意識したことはなかったが、気付かぬうちにコイツには負けたくないと思っていたようだった。
GSSでは疲労軽減のため、リーグ戦のメンバーに入った時にはスクールを休んでいい、というルールがある。
もし来期、自分がBのままで、嶋崎がAに上がってリーグ戦のメンバーに選ばれようものなら、嶋崎は休んで、自分一人で幼稚園生クラスのコーチをすることになる。
幼稚園生に、「シマサキコーチはいないのに、アカギコーチはなんでいるの?」
なんて聞かれるのは屈辱だな、なんてことも考えた。これ俺も頑張って絶対上がるしかないじゃん、って思えた。
こんな小さなことがきっかけで、もう一度しっかり本腰を据えて、リーグ戦目指して頑張ってみようと思えた。
一個上が引退したタイミングで運良くAチームに上がることができ、下手でも積極性だけは持ってやっていこうと思っていた。
だから、嶋崎が積極性を出せずに1週間でBに落ちた時は結構ムカついた。「お前何今更ビビってんねん、こっちのモチベにも関わるんだわ」ってなった。これは正直今も思ってる。
冬オフ前は、ともあきとか、上手い人とサッカーをすることを単純に本当に楽しめていた。ロンドからもう凄く楽しかった。もっとやれるみたいな気持ちを感じ、そんなに悔しさみたいな気持ちを感じることなく冬オフに入れた。
けれど冬オフが明けた今は、気づけば練習試合は2本目から途中出場することが当たり前となり、木曜の紅白戦ではサブ組が定位置となってしまっている。サッカー自体は変わらず楽しめているが、悔しさを感じることが凄く多い。
自分に実力があれば、PK戦をすることなんてなく2番を自分の番号にすることができただろうし。
まだ自分は何にも成し遂げられていない。このままじゃ終われない。
(リーグ戦で活躍することが何かを成し遂げたと言えるかどうかは置いといて)
長々書いたこのfeelingsは、まだ何の意味も持っていない。
だから、もっと楽しんで、もっと上手くなって、試合に出てチームに貢献したい。1部昇格に貢献したい。
最後に、ここまでネガティブな書き口でBチームについて書いたが、去年のBチームは凄く好きだった。
双青戦での上野のまぐれゴール、夏合宿でセカンドに勝ったこと、伊地知の頭突き、サタデーで大東相手に久野が終了間際に決めた時に井上さんが駆け寄る光景、最後の慶応との試合での上野の不細工な涙。
安定感はなかったけれど、活気と劇的さはあった。
何より、寺山さん、藤山さん、小椿さんには感謝が絶えないです。ともひろさんは今後もよろしくお願いします。
今シーズンの目標;笑いのゲーゲンプレスを極める
新4年 赤木雅実
だから今の自分にはまだ過去の苦い経験を肯定化することはできない。
それでも、過去の苦い経験を振り返って整理しておくことは明日の成功のためにもとても重要だと思う。だから振り返っておく。少し長くなってしまったけど読んで欲しい。
2019年シーズンはとても苦しいシーズンだった。チームとしても1部残留を果たせず2部降格となってしまったが、自分は、リーグ戦に出場することはおろか、ベンチにさえ一度も入ることができなかった。
「東大まで来てサッカー部にいること」に意味があるのかという、いわゆる「機会損失」について考えさせられたシーズンだった。
2018年後期リーグの最終節。日野さんが累積警告で出場停止、大和さん・槇さんが怪我で離脱、大谷が足をつるという多くの偶然が重なって、ラスト8分ながら初めてリーグ戦のピッチに立つことができた。
2019シーズンはもっと公式戦に出たいと思った。中沖さんの代が引退してからの10月のカテゴリー分けではAチームに入ることができ、その思いは強くなった。
けれど、2019年2月1日、スタートアップ合宿の前日、新シーズンのカテゴリーが発表されてBチームに落ちた。
落とされて初めて自分の甘さに気付かされた。Aチームにいた頃の自分の心構えをすごく後悔した。
自分はそれまで何回かAチームに入ったことがあったが、その度に割と早くBチームに落とされていた。だから本来は危機感を持ちながら取り組まなければいけなかったはずなのに、心のどこかで「もう落ちないだろう」と思ってしまっていた。別に練習で特別良いプレーをしていたわけでもなければ、下手なりの積極性を見せていたわけでもないのに、そう思ってしまっていた。
落とされるまでそんな自分の甘さに全然気が付かず、落とされた瞬間にたくさんの後悔が襲ってきた。
落ちた当初、Bチームのメンバーに対する要求なんて挙げだしたらキリがないから、周りばかりに目を向けるのではなく自分のことだけに集中しようと思っていた。
だから、ゲンが凄く周りに対して厳しく要求しているのを見て、Bチーム全体のことを気にしてくれていて凄く有り難かったと同時に、もっと自分のことに集中すれば変なストレスも感じずにうまくいくだろうに、と思っていた。
でも今振り返ってみて、もっとゲンのように周りを巻き込むべきだったのではないかとも思っている。
今自分はAチームにいるが、上手い人と一緒にプレーしていると成功体験を積む機会も多いし、考えるスピードなども自然と上がっている気がする。
だから、周りに対するストレスを感じることを覚悟して、もっともっと周りに対して要求して全体として上手くなっていくことを目指すべきだったのではないかと今感じている。
落ちてすぐの頃は、すぐに上がってやると意気込んでいた。けれどセカンドの試合(Aチームのスタメン以外で行う試合)や木曜練で呼んでもらえてもなかなか上手くアピールできなかった。
次第にセカンドの試合では、雰囲気が良くなかったのもあるが、正直ビビるようになった。今更失うものなんて何にもないはずだったのにミスすることを怖がっていた。
そんなことをしているうちに、アピールに成功した宮坂や松波がAに上がっていった。
特に(3週間くらいで落ちてきたけど)宮坂がAチームに上がったことは凄く自分を焦らせた。
五月祭の日にアウェーで行われた、朝鮮大とのセカンドの試合では、自分が左、宮坂が右のSBだったけれど、右の宮坂より良いプレーをしなきゃと変に意識をしてしまい、全然試合に入れていなかった。今までで一番駄目なくらいの出来だった。
情けなくて、みんなの前でどんな顔をしていたら良いか分からなくて一人で先に帰った。歩くのが遅すぎて大谷と西に追いつかれ、慰められた瞬間に涙が出たこともよく覚えている。その時二人に若干引かれたことも。苦しいけど一緒に頑張っていこうと言ってくれたことも。
この時期に、自分の中で考えを変えた。
「アピールすることばかりに意識がとらわれて上手くいかなくなっている。一旦Bチームの中で地に足をつけて良いプレーすることを意識しよう」と。
これが本当に良くなかったと思っている。このマインドのせいで、ぬるま湯も慣れれば適温になる的な感じでBチームの緩さに慣れてしまうことになった。
また、同じ時期に藤岡さんとご飯に行った。その時藤岡さんは、
「全員が全員、リーグ戦に出場することを目指す必要はないと思う。そんなの、Bチームの人にとっては現実的じゃないかもしれないし。例えば、GSSをあれだけ頑張っていたヤマケンは子どもたちにとってヒーローだし、ああいう活躍の仕方がリーグ戦に出てた人より劣るとも思わない」
みたいなことを言っていた。
この言葉で、自分の中で変なスイッチが入ってしまった。Aチームを、リーグ戦の出場を目指さなくてもいいんだ、みたいな。
そのあとに藤岡さんが続けた、
「まあ赤木には、たとえ現実的でないとしても頑張って欲しいけどね。赤木が公式戦に出ている姿を見たらスクールの子たちはきっと喜ぶだろうから」
っていう言葉は全然頭に入っていなかった。
こうして、「リーグ戦に出場すること」に対するモチベーションは次第に無くなっていったし、なくなっていくことをなんとなく仕方ないことみたいに捉えている自分もいた。
去年、この時期にfeelingsが回ってきて、全然自分の現状について書けなくて、結局GSSのことしか書けなかった。
一方で、リーグ戦でのチームの勝利を喜べない自分や、松波が出て活躍している姿を素直に応援出来ない自分もいた。
「人が出ているのを素直に応援できないくせに自分は向上心が湧かない」状態が続いた。
「なんやねんお前」って自分でも思っていた。
このままでは駄目だとは思っていて、藤山さんにもそれとなく相談したし、4年間の多くの時間をBチームで過ごした、京大サッカー部の高校の先輩にも話を聞いたりした。
でも、お二人には申し訳ないが、お二人の話は全然響いてこなかった。
話を聞いて、「よっしゃ、頑張ろ!」ともなれなければ、スパッと「辞めよう!」ともなれなかった。
結局は自分の中でなんらかの気持ちが湧いて来なければ駄目なんだなと改めて感じた。
そして自分のことなのに、この先どうするべきか全然決められない自分が凄く嫌だった。
そんなメンタルで迎えた、後期リーグの最終戦の週の金曜練、すなわち一個上の代の最後の金曜練での些細な出来事が自分は忘れられない。
その日、Aのメンバーが足りず、Bから数名借りるということになった。
今までそうした時に大抵自分は呼ばれてきたのでこの日も呼ばれるのかなと思っていたら、西と嶋崎が呼ばれた。
この前、この話を西にしたら、「単純にポジションバランスの問題だろ笑」って言われたけど、自分としては、自分が呼ばれず、嶋崎が呼ばれたことが凄くショックだった。
嶋崎とは家も近く、毎週何回も夜ご飯を一緒に食べ、またGSSでも幼稚園生クラスのコーチを一緒にやる間柄だ。それまであまり意識したことはなかったが、気付かぬうちにコイツには負けたくないと思っていたようだった。
GSSでは疲労軽減のため、リーグ戦のメンバーに入った時にはスクールを休んでいい、というルールがある。
もし来期、自分がBのままで、嶋崎がAに上がってリーグ戦のメンバーに選ばれようものなら、嶋崎は休んで、自分一人で幼稚園生クラスのコーチをすることになる。
幼稚園生に、「シマサキコーチはいないのに、アカギコーチはなんでいるの?」
なんて聞かれるのは屈辱だな、なんてことも考えた。これ俺も頑張って絶対上がるしかないじゃん、って思えた。
こんな小さなことがきっかけで、もう一度しっかり本腰を据えて、リーグ戦目指して頑張ってみようと思えた。
一個上が引退したタイミングで運良くAチームに上がることができ、下手でも積極性だけは持ってやっていこうと思っていた。
だから、嶋崎が積極性を出せずに1週間でBに落ちた時は結構ムカついた。「お前何今更ビビってんねん、こっちのモチベにも関わるんだわ」ってなった。これは正直今も思ってる。
冬オフ前は、ともあきとか、上手い人とサッカーをすることを単純に本当に楽しめていた。ロンドからもう凄く楽しかった。もっとやれるみたいな気持ちを感じ、そんなに悔しさみたいな気持ちを感じることなく冬オフに入れた。
けれど冬オフが明けた今は、気づけば練習試合は2本目から途中出場することが当たり前となり、木曜の紅白戦ではサブ組が定位置となってしまっている。サッカー自体は変わらず楽しめているが、悔しさを感じることが凄く多い。
自分に実力があれば、PK戦をすることなんてなく2番を自分の番号にすることができただろうし。
まだ自分は何にも成し遂げられていない。このままじゃ終われない。
(リーグ戦で活躍することが何かを成し遂げたと言えるかどうかは置いといて)
長々書いたこのfeelingsは、まだ何の意味も持っていない。
だから、もっと楽しんで、もっと上手くなって、試合に出てチームに貢献したい。1部昇格に貢献したい。
最後に、ここまでネガティブな書き口でBチームについて書いたが、去年のBチームは凄く好きだった。
双青戦での上野のまぐれゴール、夏合宿でセカンドに勝ったこと、伊地知の頭突き、サタデーで大東相手に久野が終了間際に決めた時に井上さんが駆け寄る光景、最後の慶応との試合での上野の不細工な涙。
安定感はなかったけれど、活気と劇的さはあった。
何より、寺山さん、藤山さん、小椿さんには感謝が絶えないです。ともひろさんは今後もよろしくお願いします。
今シーズンの目標;笑いのゲーゲンプレスを極める
新4年 赤木雅実
コメント
コメントを投稿