回顧

谷晃輔(2年/MF/横浜翠嵐高校)


⾼校 2 年の3⽉にコロナで休校になった当初は、全く悲観していなかった。それこそ、春休みがいつもの夏休みくらい⻑くなったと喜んでいた。この期間に勉強もサッカーも頑張って、万全の状態で進級を迎えよう。そう意気込んでいた。



実際3⽉中は結構充実した⽣活が送れていたと思う。中学時代のチームメイトと集まって、 公園で割と真剣にサッカーをしたり、1 ⼈の時も⾃主トレを続けたりして、4⽉から始まる関東予選やインターハイ予選といった春の⼤会に向けてコンディションを落とさないようにしていた。サッカー以外の時間は受験まで 1 年を切っていたということもあり、塾の⾃習室に通い詰めていたので、勉強時間も⼗分に保つことができていたと思う。




ただ、事態はそう簡単には好転しなかった。未知のウイルスは世の中を不安の渦に巻き込 み、4⽉には初の緊急事態宣⾔が発出された。休校期間は⼤幅に延⻑され、その期間に⾏われる予定だった2つの⼤会は中⽌となった。 




⾼校サッカー最後の年に、⼤会が中⽌になったのはかなりショックだった。代替わり以降⾃分が主将になって、様々な困難に直⾯したけど、やっとまとまりつつあった今のチームでどこまでいけるか試してみたい。⼼の中で密かに抱いていた期待は中⽌という予想だにしない形で打ち砕かれた。代わりに脳裏に浮かんだのは「引退」の2⽂字。このまま選⼿権予選も中⽌になってしまうのではないか。先⾏きの⾒えない未来に対する不安が、モチ ベーションを低下させた。4⽉、5⽉と時が経つにつれて、段々とサッカーをする時間が減っていった。塾も閉じてしまったので家にいる時間が増えた。もうこのまま受験かなぁと勉強に集中しようにもなかなか⾝が⼊らなかった。 



こんな具合に、休校期間の終盤は空虚な時間を過ごすことが多くなってしまったからか、 6⽉に学校が再開して、部活を続けるか否かの選択を迫られた時、すごく迷った。幸いにも、残された最後の⼤会である選⼿権予選は9⽉に開催されることが決まっていた。しかし受験を考えると、部活をしていて⼤丈夫なのか、という不安があった上、1ヶ⽉以上まともに動いていない状態だったから復帰しても調⼦が上がらないだろうし、中途半端に数ヶ⽉復帰してわざわざきつい思いをしたくなかった。要するに、やる気が失せていたのだ。 もう辞めようかなぁと思い、親にもその旨を伝えた。受験を理由にすると意外とすんなり納得してくれそうだった。






しかしながら、こんな時に意外だったことがあった。それは同期の中の半数近くが部活を続けたいと思っていたことである。正直、やる気が特別あるようなチームではなかったし、 みんな部活より受験を優先させるのが相場だったはずなので、いても2、3⼈くらいだろうと思っていた。だからそれを知った時、驚いたし、同時に嬉しかった。彼らとまたサッカーをしたいと思った。⼈数は減ってしまうけど、以前に近い形で部活に取り組むという選択肢が⾮常に魅⼒的に感じた。もはや半年以上先の受験などというイベントに思いを馳せることは無くなった。「今はとりあえずサッカーがしたい。」という⼀⼼で僕は部活を続けることにした。 



それからの3ヶ⽉はあっという間だった。やる前はいきなり夏のグランドでサッカーをするのはきついなぁ、とか思っていたけど、いざ練習が始まると、後輩に 1 対1で完敗してメンツが潰れそうになって少し焦ったり、パスが上⼿くつながって嬉しかったり、ミニゲームで点決めて⼤はしゃぎしたりという感じで、とにかくサッカーに夢中になってしまった。数ヶ⽉ブランクがあったにも関わらず、すぐに部活のある⽣活は僕の⽇常になった。



また、チームの主将としての⾃分の振る舞いを少しはマシにしようと⼼がけた。以前の、全くリーダーシップを発揮しようとせず、チーム状況の悪化の⼀因となってしまった⾃分を省みて、チーム全体に気を配れるように努めた。そして何より、⾃分⾃⾝がサッカーを楽しむことを意識した。そうすることが、僕がチームに与えられる最も良い影響だと顧問に⾔われたし、⾃分でもそう思えたから。実際、副将の協⼒もあって練習の運営は円滑に⾏えていたし、雰囲気も悪くなかったと思う。僕の練習後のコメントも少しは上達したような気がする。⾃⼰満⾜ではあるけど、主将としての役割を少しは果たせたと思えたことが、とても嬉しかった。 



そんなこんなで悔いの残らないように、部活に精⼀杯取り組めた、充実した3ヶ⽉だった。 ただ結局、選⼿権予選は初戦で敗退してしまった。先に引退した同期も⾒守る中、先制されて⼀度は追いつくも、最後には崩れて3失点。完敗だった。相⼿が強かったのもあるけど、個⼈的にはとても悔いの残る内容だった。相⼿の⾼い強度に圧倒され、終始沈黙していた。僕が試合で沈黙するのは珍しくないことではあるけど、現役最後になるかもしれない試合でそうなってしまったのは「ついてない」と思ったし、その状況に陥った時に改善の⾒えない⾃分に嫌気がさした。解散した後、会場から逃げるように帰った。ここで終わることが受け⼊れ難かった。最後の最後で悔いを残してしまった。 そこで思った。 







「ここでサッカーを終わらせたくない。」 




部活に復帰してからの3ヶ⽉で、サッカーの楽しさを享受することができた。そして、最後の試合で不完全燃焼に終わった不甲斐ない⾃分がこのまま現役を引退することを強く拒んだ。 



「東⼤に⼊って、サッカーを続けよう。」



 ⾼1の時にア式の存在を知って以来、漠然と考えていたことが、明確な⽬標となった。




そうして運よく東⼤に合格した僕は、ア式の⼀員になった。⼤学サッカーとは不思議な場所で、ここまでサッカーを続ける⼈が少ないからか、続けている⼈のレベルはべらぼうに⾼い。公式戦で対戦する相⼿には全国区の⾼校やユース出⾝の選⼿が多くいる。強すぎて偶に嫌になる。でも、ア式はそういう相⼿に勝利することを⽬標としている。まさにこれこそジャイアントキリング。確かに、厳しい道のりではあるが、チームとしてこの⽬標にブレはない。こんな強敵と渡り合えたら、どんなに楽しいだろうか。そう思うと⼼が躍る。 また、スタッフや監督・コーチ、LB 会の⽅々を始めとして、たくさんの⼈の⽀えによっ て、⾮常に恵まれた環境でサッカーに取り組めている。⽀えてくれる⼈たちの期待に応えるためにも、チームとして良い結果を出したいと思っている。 




つい先⽇誕⽣⽇を迎えて 20 歳になり、幼少期から始めたサッカーをかれこれ 15 年程続け ている。⼤学サッカーが存在していることすら知らず、「⾼校の後はプロに⾏く⼈以外は やめるもの」と思っていた⼩さい頃の⾃分からしたら、現在、⼤学でサッカーをしている とは到底考えられないだろう。まさか⼤学でここまでサッカーに打ち込むことになるとは思わなかった。⼊る⼤学によってはサッカー部に⼊ることさえ叶わなかったかもしれないので、巡り合わせを幸運に思っている。それでも、流⽯にここで最後だ。社会⼈になれば、本気でサッカーに打ち込むことは困難になると思うし、第⼀もうそんなキツイことをしたくない。だから、現役最後の舞台で納得のいく終わりを迎えられるように、そして真剣にトレーニングして動ける状態だからこそ味わえるサッカーの⾯⽩さというものを享受できるように、⽇々の練習からサッカーを楽しみたい。 





最後に、⾼校で僕が部活に復帰してからの3ヶ⽉は、様々な⼈に融通を利かせてもらった。 勉強を理由に 3 年⽣が練習試合の1試合⽬が終わったらすぐに帰ることを受け⼊れてくれた後輩たち、思うところがあっただろうけど最後まで指導してくれた顧問の先⽣、そして全⾯的にサポートしてくれた両親に感謝申し上げたい。 


ついでに同期たちへ 

また集まろう。企画よろしく。 





終わり

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