座右の銘
上原真路(2年/DF/栃木高校)
中学3年生のときの体育教師は「歩く名言集」と呼ばれていた。
彼は週に1度だけある保健の授業の最初に、『人間関係に強くなる50のヒント』という本から自分のお気に入りの一節を引用し、生徒たちに紹介していた。
当時の僕、というかクラスメイト皆はいわゆる自己啓発本というものにはいささかも興味がなく、彼が満面の笑みで繰り出してくる数々の名言を仏頂面で保健体育ノートのいちばんうらのメモ欄に書き写していたのだが、その中にたった1つだけ今でも頭から離れない言葉がある。
「あなたに起こることはすべて正しい」
--------------------------------------------------------------------------------
人生において、大なり小なり重要な局面がある。
自身の今後を左右するような決断、ここだけは譲れないという大勝負。
そういった状況に置かれたとき、とてつもない不安と恐怖に襲われ、今にも逃げ出したくなってしまう。
そんなときにいつも思い出すこの言葉。
この言葉を自分なりに解釈し、座右の銘としてきた。
「あなたに起こることは全て正しい」
--------------------------------------------------------------------------------
さかのぼること2年少々。
新型コロナウイルスが猛威を奮い始め、緊急事態宣言が発令される。
未曾有の事態に人々は恐れを抱き、ワクチンもない中で根も葉もない情報に踊らされる世界。地方ではその傾向が特に強く、身近に感染者もなかなかいない中、コロナに対する過剰な恐怖に当惑。飲食店や商業施設は休業や時短営業に追い込まれ経済は大打撃を受けるとともに、それでも感染拡大は加速の一途をたどっていた。
その影響は当然ながら我々学生にも及ぶことになり、手始めに3月初めから春休み期間までの臨時休校が決定される。
そして政府に盾を突き県立校の春休み明け始業式からの再開を頑迷固陋に曲げなかった北関東暴走族連合の特攻隊長我らが栃木県も、足並みをそろえていた運命共同体というべき連合の総長茨城県に唐突なだまし討ちにあうとさすがに政府軍に降伏し、始業式前夜に知事が不満げに5/6までの休校延長を発表したのは、夜中空ぶかしながら爆走する金髪ピアス兄ちゃん一味より断然におっかなかった。
結局臨時休校は5/31まで延長されることとなった。
自分はその間何をしていたかというと、午前はひたすら小中学校同期のゆかいな仲間たちと公園でサッカー3割ドロケー7割の運動、午後はひたすらひとり塾で勉強という、自粛とは名ばかりのたいへん健康的な屋内外折衷ライフを謳歌していた。
ともにドロケーを楽しんでいた仲間たちの1人はその後警察官を志して、白髪で眼鏡姿のキムタクが教えていると聞く監獄に自ら身を置き始めたらしく、その壮大な伏線回収に気づくのは実に2年を要した。
そんな規則正しい生活を約3ヵ月間続けた結果、手前味噌ながら成績は少しばかり上昇した。図に乗り東大受験を決意したことは、その後の地獄の受験生活の引き金となってしまった。学校再開後に控えめに東大を目指したいことを伝えると、担任は大仰に背中を押してくれた。
だがその一方で休校期間中、衝撃的な一報が舞い込んできた。
「夏のインターハイ、史上初の中止へ」
--------------------------------------------------------------------------------
我が母校である栃木高校、通称トチタカは県内では信望のある進学校だ。
およそ皆が一度は敬遠するであろう県立男子校という、外来種「キョウガク」に駆逐されかけた日本固有の絶滅危惧種である。旧教育基本法第5条には男女共学の原則が規定されていたが、絶滅危機の現状を見るに見かねた文科省も環境省に習いレッドリストを作ったようで新教育基本法では削除された。その結果、栃木、群馬、埼玉に青い海もなければ青い春もない陸の孤島と化した県立男女別学校が点在していることはもっとも残念な話である。話は変わるが、暴走族連合の総長茨城県の伝統進学校は皆共学であるとともに、近年一斉に中高一貫化するなど変革を進め、「脱北関東論」を時事新報に発表したらしい。この教育改革によって、茨城県には能力の高い人材を輩出する環境が整うこととなり、延いては栃木を併合、植民地化するのではないかと危惧している。
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栃木高校は進学校であるがゆえ、運動部もインターハイを最後に引退するのが通例であった。
そして自分たちの代は、1つ上の先輩がインターハイで敗れた後、「県制覇」を達成することを目標に2019年6月、新チームをスタートさせた。
10月、選手権予選では準決勝で佐野日大に敗北。
https://youtu.be/rAQ9-Dry5RY?t=205
11月、県1部リーグは最終節までもつれこみながらもなんとか残留。
翌年2月、新人戦では決勝でまたも佐野日大に苦杯を嘗める。
県制覇こそ成しえなかったが、あと一歩というところまできた。
残る大会は2つ。5月の関東大会予選と6月のインターハイ予選。
その矢先のコロナで両者なくなってしまった。
ここで深刻な決断を迫られる。
サッカー部を引退するかどうか
この決断は、自分にとってサッカーと勉強、どちらが大切であるのかという意味を持っていたと思う。
両立させていたとはいえ、何よりも熱を注いでいたのはサッカーであった。
いつからかサッカー選手になりたいとは口にできなくなってしまった。
夢を追う年ながら自分には到底なれないと見切りをつけてしまったのかもしれない。後にプロになったチームメイトは驚異的に上手だった。
それに、ジュニアユースではへたっぴでミスをすればたびたび罵倒されることもあり、サッカーが全然楽しくなかった。
これらは自分を勉強へ逃げさせるのによい活力となった。
同期の多くは特待・推薦でいわゆる強豪校に進学していたが、なまじ勉強ができた自分は学力で進学校を目指すようになる。
進学校に行って勉強に軸足を置きながら、サッカーには聊か神経を注いでおけばよいだろうと構想していた。
しかしたいへん幸せなことに、栃高はそんな生温い場所ではなかった。
皆勉強だけでなく、サッカーも本気で取り組んでいた。
何より私立強豪校の特待推薦で集められたサッカーエリートたちを、県立進学校の自分たちが倒していく、ジャイアントキリングを起こすという野心にはロマンを感じずにはいられなかった。
それに強豪校の主力選手は推薦や特待で呼ばれた知り合いや元チームメイトたち。そんな彼らにコンプレックスがあり、自分も負けていないという自尊心があったし、どうしても勝ちたかった。
だから結果が出ていたことはすごく嬉しかったし、このチームなら本当に県制覇できるかもしれないと心躍っていた。サッカーで夢が見られることは、自分の人生にとって一番幸福なことだと思う。
サッカーもしたいし勉強もしたい。
けれども、選手権での県制覇と東大への現役合格を同時に成し遂げるという解決策は思い浮かばなかった。所詮自分は真誠の文武両道を達成させようとするほど、覚悟も努力も才能も足りなかった。
サッカーを取るか、勉強を取るか。
それからは気持ちの上で行きつ戻りつの日々。
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悩みに悩んだ末、選択したのは後者であった。
同期のうち3人が選手権まで残ってサッカーを続けるという選択を取った。そんな中主将である自分はそそくさとサッカー部を去り、受験勉強に没入し始めたのである。
結局ずっと自分は勉強を理由にしてサッカーから逃れてきたのだろう。
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サッカー部を引退し、勉強に傾注し始めたこと。
自分の人生において、非常に大きな決断であった。
この選択は正しかったのだろうか。
受験期間中はこの自問を重ね、部活を辞めた罪悪感に苛まれる日々。
答えはないはずのこの問いに自分の中で一応の回答を持つようにした。
勉強を取ったのは正しかった。それが自分の人生における道理であったのだろう。
だけどあの時、サッカーを取っていたとしたら今ごろどうなっていたのだろうか、、、
といったことは考えなくてもよいだろう。
最大限悩んだ上で、部活を引退し受験勉強に専念することを選んだ。
あの時、最大限悩んだ上の結論が、サッカーを続けることであったとしたら、、、、、、、
といったことに思いをやる必要はない。
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人生は大小さまざまな選択や勝負の連続であるが、1つ1つの出来事に反省をする必要はあれど後悔などする必要はない。
生きていく上で起こる出来事はすべて自然の摂理のようなものに基づいていると思う。
物事が思い通りに進まないこと、うまくいかないことや予想外の出来事も多々起こるが、それらは自然の流れでそうなるべくしてなったということだろう。
人生の出来事や人間の歴史は神の深い配慮によって起きているといった摂理史観の考えは、人間の意志の無力さや個人という存在のはかなさを説いているものである。
しかし摂理に引き込むことができない出来事は全て遠ざけられる、すなわち人間の意志や主体性、または偶然性といったものが容赦なく否定されると考えるのは少し寂しいと感じてしまう。
「あなたに起こることはすべて正しい」
最終的な結果はすべて自然の摂理に定められている運命であるから、流れに身を任せて穏やかに受け入れていればよいという意味であろうか。
楽観的かもしれないが、自然の摂理を司る何かは人間1人1人の行いや努力を余すところなく見ており、全力で頑張る人間には最終的に彼女ら彼らが報われる運命に導く、よい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるという因果応報的な価値観を含んでいると考えたい。
人間の意志や主体性と、自然の摂理というものは対極にあるものだが、矛盾せずに共存する。
南宋の書物には「人事を尽くして天命に聴す」との文章が登場する。
人間の可能な限りの努力をしたのち、静かに待ち結果は天の意志に任せるという意味であり、天から定められた運命を受け入れることを認めながらも、自分ができる範囲の事柄をすべて全力でやりきるべきだと、人間の努力や主体性を肯定している点がなんとも支持できる。
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そんなこんなで静かに終幕した自分の高校サッカー。
この不完全燃焼感はア式入部への決め手となった。
入部当初からケガや病気に悩まされ、同期にはだいぶ遅れを取ったし、復帰後も試合に出られないことが続いたが、それもまた一興。大きなプレッシャーを感じることなく、よく考えながら楽しくプレーできた。
ア式に入部したこと、これが自分の人生における道理、正しいこと。
だから僕がみなさんと出会ったことは、僕にとって、僕の人生にとって「正しいこと」であるし、大変おこがましいですが、みなさんにとっても「正しいこと」であると思うので、ぜひもっと仲良くしてください。いつも本当にお世話になっています。
それに最後にもう一度サッカーで夢を見たい。
関東昇格果たそう。
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今シーズンの目標
ピッチ内: レギュラーを奪う
ピッチ外: 周りの人に愛され、信頼される人になる
セカンドの雰囲気がいいのは笹さんのおかげ。
2年プレーヤー
上原真路
彼は週に1度だけある保健の授業の最初に、『人間関係に強くなる50のヒント』という本から自分のお気に入りの一節を引用し、生徒たちに紹介していた。
当時の僕、というかクラスメイト皆はいわゆる自己啓発本というものにはいささかも興味がなく、彼が満面の笑みで繰り出してくる数々の名言を仏頂面で保健体育ノートのいちばんうらのメモ欄に書き写していたのだが、その中にたった1つだけ今でも頭から離れない言葉がある。
「あなたに起こることはすべて正しい」
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人生において、大なり小なり重要な局面がある。
自身の今後を左右するような決断、ここだけは譲れないという大勝負。
そういった状況に置かれたとき、とてつもない不安と恐怖に襲われ、今にも逃げ出したくなってしまう。
そんなときにいつも思い出すこの言葉。
この言葉を自分なりに解釈し、座右の銘としてきた。
「あなたに起こることは全て正しい」
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さかのぼること2年少々。
新型コロナウイルスが猛威を奮い始め、緊急事態宣言が発令される。
未曾有の事態に人々は恐れを抱き、ワクチンもない中で根も葉もない情報に踊らされる世界。地方ではその傾向が特に強く、身近に感染者もなかなかいない中、コロナに対する過剰な恐怖に当惑。飲食店や商業施設は休業や時短営業に追い込まれ経済は大打撃を受けるとともに、それでも感染拡大は加速の一途をたどっていた。
その影響は当然ながら我々学生にも及ぶことになり、手始めに3月初めから春休み期間までの臨時休校が決定される。
そして政府に盾を突き県立校の春休み明け始業式からの再開を頑迷固陋に曲げなかった北関東暴走族連合の特攻隊長我らが栃木県も、足並みをそろえていた運命共同体というべき連合の総長茨城県に唐突なだまし討ちにあうとさすがに政府軍に降伏し、始業式前夜に知事が不満げに5/6までの休校延長を発表したのは、夜中空ぶかしながら爆走する金髪ピアス兄ちゃん一味より断然におっかなかった。
結局臨時休校は5/31まで延長されることとなった。
自分はその間何をしていたかというと、午前はひたすら小中学校同期のゆかいな仲間たちと公園でサッカー3割ドロケー7割の運動、午後はひたすらひとり塾で勉強という、自粛とは名ばかりのたいへん健康的な屋内外折衷ライフを謳歌していた。
ともにドロケーを楽しんでいた仲間たちの1人はその後警察官を志して、白髪で眼鏡姿のキムタクが教えていると聞く監獄に自ら身を置き始めたらしく、その壮大な伏線回収に気づくのは実に2年を要した。
そんな規則正しい生活を約3ヵ月間続けた結果、手前味噌ながら成績は少しばかり上昇した。図に乗り東大受験を決意したことは、その後の地獄の受験生活の引き金となってしまった。学校再開後に控えめに東大を目指したいことを伝えると、担任は大仰に背中を押してくれた。
だがその一方で休校期間中、衝撃的な一報が舞い込んできた。
「夏のインターハイ、史上初の中止へ」
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我が母校である栃木高校、通称トチタカは県内では信望のある進学校だ。
およそ皆が一度は敬遠するであろう県立男子校という、外来種「キョウガク」に駆逐されかけた日本固有の絶滅危惧種である。旧教育基本法第5条には男女共学の原則が規定されていたが、絶滅危機の現状を見るに見かねた文科省も環境省に習いレッドリストを作ったようで新教育基本法では削除された。その結果、栃木、群馬、埼玉に青い海もなければ青い春もない陸の孤島と化した県立男女別学校が点在していることはもっとも残念な話である。話は変わるが、暴走族連合の総長茨城県の伝統進学校は皆共学であるとともに、近年一斉に中高一貫化するなど変革を進め、「脱北関東論」を時事新報に発表したらしい。この教育改革によって、茨城県には能力の高い人材を輩出する環境が整うこととなり、延いては栃木を併合、植民地化するのではないかと危惧している。
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栃木高校は進学校であるがゆえ、運動部もインターハイを最後に引退するのが通例であった。
そして自分たちの代は、1つ上の先輩がインターハイで敗れた後、「県制覇」を達成することを目標に2019年6月、新チームをスタートさせた。
10月、選手権予選では準決勝で佐野日大に敗北。
https://youtu.be/rAQ9-Dry5RY?t=205
11月、県1部リーグは最終節までもつれこみながらもなんとか残留。
翌年2月、新人戦では決勝でまたも佐野日大に苦杯を嘗める。
県制覇こそ成しえなかったが、あと一歩というところまできた。
残る大会は2つ。5月の関東大会予選と6月のインターハイ予選。
その矢先のコロナで両者なくなってしまった。
ここで深刻な決断を迫られる。
サッカー部を引退するかどうか
この決断は、自分にとってサッカーと勉強、どちらが大切であるのかという意味を持っていたと思う。
両立させていたとはいえ、何よりも熱を注いでいたのはサッカーであった。
いつからかサッカー選手になりたいとは口にできなくなってしまった。
夢を追う年ながら自分には到底なれないと見切りをつけてしまったのかもしれない。後にプロになったチームメイトは驚異的に上手だった。
それに、ジュニアユースではへたっぴでミスをすればたびたび罵倒されることもあり、サッカーが全然楽しくなかった。
これらは自分を勉強へ逃げさせるのによい活力となった。
同期の多くは特待・推薦でいわゆる強豪校に進学していたが、なまじ勉強ができた自分は学力で進学校を目指すようになる。
進学校に行って勉強に軸足を置きながら、サッカーには聊か神経を注いでおけばよいだろうと構想していた。
しかしたいへん幸せなことに、栃高はそんな生温い場所ではなかった。
皆勉強だけでなく、サッカーも本気で取り組んでいた。
何より私立強豪校の特待推薦で集められたサッカーエリートたちを、県立進学校の自分たちが倒していく、ジャイアントキリングを起こすという野心にはロマンを感じずにはいられなかった。
それに強豪校の主力選手は推薦や特待で呼ばれた知り合いや元チームメイトたち。そんな彼らにコンプレックスがあり、自分も負けていないという自尊心があったし、どうしても勝ちたかった。
だから結果が出ていたことはすごく嬉しかったし、このチームなら本当に県制覇できるかもしれないと心躍っていた。サッカーで夢が見られることは、自分の人生にとって一番幸福なことだと思う。
サッカーもしたいし勉強もしたい。
けれども、選手権での県制覇と東大への現役合格を同時に成し遂げるという解決策は思い浮かばなかった。所詮自分は真誠の文武両道を達成させようとするほど、覚悟も努力も才能も足りなかった。
サッカーを取るか、勉強を取るか。
それからは気持ちの上で行きつ戻りつの日々。
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悩みに悩んだ末、選択したのは後者であった。
同期のうち3人が選手権まで残ってサッカーを続けるという選択を取った。そんな中主将である自分はそそくさとサッカー部を去り、受験勉強に没入し始めたのである。
結局ずっと自分は勉強を理由にしてサッカーから逃れてきたのだろう。
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サッカー部を引退し、勉強に傾注し始めたこと。
自分の人生において、非常に大きな決断であった。
この選択は正しかったのだろうか。
受験期間中はこの自問を重ね、部活を辞めた罪悪感に苛まれる日々。
答えはないはずのこの問いに自分の中で一応の回答を持つようにした。
勉強を取ったのは正しかった。それが自分の人生における道理であったのだろう。
だけどあの時、サッカーを取っていたとしたら今ごろどうなっていたのだろうか、、、
といったことは考えなくてもよいだろう。
最大限悩んだ上で、部活を引退し受験勉強に専念することを選んだ。
あの時、最大限悩んだ上の結論が、サッカーを続けることであったとしたら、、、、、、、
といったことに思いをやる必要はない。
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人生は大小さまざまな選択や勝負の連続であるが、1つ1つの出来事に反省をする必要はあれど後悔などする必要はない。
生きていく上で起こる出来事はすべて自然の摂理のようなものに基づいていると思う。
物事が思い通りに進まないこと、うまくいかないことや予想外の出来事も多々起こるが、それらは自然の流れでそうなるべくしてなったということだろう。
人生の出来事や人間の歴史は神の深い配慮によって起きているといった摂理史観の考えは、人間の意志の無力さや個人という存在のはかなさを説いているものである。
しかし摂理に引き込むことができない出来事は全て遠ざけられる、すなわち人間の意志や主体性、または偶然性といったものが容赦なく否定されると考えるのは少し寂しいと感じてしまう。
「あなたに起こることはすべて正しい」
最終的な結果はすべて自然の摂理に定められている運命であるから、流れに身を任せて穏やかに受け入れていればよいという意味であろうか。
楽観的かもしれないが、自然の摂理を司る何かは人間1人1人の行いや努力を余すところなく見ており、全力で頑張る人間には最終的に彼女ら彼らが報われる運命に導く、よい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるという因果応報的な価値観を含んでいると考えたい。
人間の意志や主体性と、自然の摂理というものは対極にあるものだが、矛盾せずに共存する。
南宋の書物には「人事を尽くして天命に聴す」との文章が登場する。
人間の可能な限りの努力をしたのち、静かに待ち結果は天の意志に任せるという意味であり、天から定められた運命を受け入れることを認めながらも、自分ができる範囲の事柄をすべて全力でやりきるべきだと、人間の努力や主体性を肯定している点がなんとも支持できる。
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そんなこんなで静かに終幕した自分の高校サッカー。
この不完全燃焼感はア式入部への決め手となった。
入部当初からケガや病気に悩まされ、同期にはだいぶ遅れを取ったし、復帰後も試合に出られないことが続いたが、それもまた一興。大きなプレッシャーを感じることなく、よく考えながら楽しくプレーできた。
ア式に入部したこと、これが自分の人生における道理、正しいこと。
だから僕がみなさんと出会ったことは、僕にとって、僕の人生にとって「正しいこと」であるし、大変おこがましいですが、みなさんにとっても「正しいこと」であると思うので、ぜひもっと仲良くしてください。いつも本当にお世話になっています。
それに最後にもう一度サッカーで夢を見たい。
関東昇格果たそう。
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今シーズンの目標
ピッチ内: レギュラーを奪う
ピッチ外: 周りの人に愛され、信頼される人になる
セカンドの雰囲気がいいのは笹さんのおかげ。
2年プレーヤー
上原真路
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