継続は力なり

箕輪統(4年/MF/西高校)

継続は力なり




使い古された表現だとは思うが、これまでの自分の人生にはぴったりだ。
ア式での4年間においてもそう言えるだろう。
一番下のカテゴリーからスタートして最後はトップチームで多くの試合に出場できた。
これは継続して目標へ向けて努力できたからだろう。
そんな4年間を少しだけ振り返ってみたい。


1年目
高校までのようになんとなくではなく、深く考えてプレーすることの必要性を教えてもらった。
今では考えられないようなしょうもないミスも多く、この一年は自分の実力不足を痛感する日々であった。
しかし、当時の4年生である上野さん、新屋さんの引退試合である慶應戦、上野さんのアシストで得点し、2人の引退試合を勝利で飾ることができた。
大学4年間で1番印象に残っている試合だ。


2年目
コロナウイルス感染拡大により活動期間が短くなり、自分自身怪我も多く、思うようにプレーできなかった。
でもこのシーズンが自分にとって1番重要だったと思う。
少しではあるが初めてAチームの高いレベルも体感できたし、なにより自分が目指したいプレースタイルを明確にできた。
当時のOBコーチであるなかしんさんが全くJリーグを見ていなかった自分に三笘選手の存在を教えてくれたのが最初のきっかけだったと思う。


3年目
チームの主力であった先輩方が多く引退し、Aチームの一員として迎えたプレシーズン。
とても調子が良かった。
明確になったプレースタイルに近づくため、三笘選手のプレー集を何度も繰り返し見て、真似をし、少しでも近づけるよう努力した。
自分のやり方は間違っていない、このまま続ければ上手くなれると感じていた矢先、鎖骨骨折により約3ヶ月チームを離脱することになった。
これまでのサッカー人生では幸いにもこれ程の大怪我をしたことはなく、こんなに長い期間プレーできなかったのは初めてだった。
東京都一部での格上との戦いということもあってチームはかなり苦戦していたが、ピッチで戦う仲間たちが羨ましかった。
成蹊大学との復帰戦は怪我による体力低下と緊張から、途中出場にも関わらずすぐバテてチームに迷惑をかけてしまった。
逆転負けを喫し、苦いリーグ戦デビューとなってしまった。
その後のリーグ戦も都一部の格上相手には手も足も出ず、チームの足を引っ張ってばかりだった。


4年目
この1年を振り返ると、ア式入部当時からかなり成長できたなと感じる。
リーグ戦では19試合に出場し、5ゴール。
足を攣ってだいたい一番最初に交代するし、後輩に守備が緩いと一番最初に言われるし。
そんな頼りなさもあったが、このシーズンだけはチームの勝利に貢献できたと思える。
運よく入ったゴールもあったし、ごっつぁんゴールもあったけど、どのゴールも最高の瞬間だった。
もちろん、決定機を外すこともあったし、チームの足を引っ張るようなプレーをした試合もあった。
だけど、シーズンを通して見ると、個人としてもチームとしても満足いく結果だった。
上手くなったと言ってもらえることも何度かあり、成長を実感した。
最高学年になったからなのか試合に出れるようになったからなのか、自分が試合に出る為にというだけでなく、チームとして勝つ為にと考えられるようになった。
一つ高い視座を持てるようになったことが試合に出続けられた要因かもしれない。




最後に
最高学年になってやっとチームのことも少しは考えられるようになった自分が後輩に残せたものはない。
4年間のア式生活を終えて大切だと思ったことを2つだけここに記したい。
少しでも参考になればと思う。


・弱みに目を向けることも必要だが、強みを伸ばすことの方が集団の為になる。苦手分野は仲間に頼り、得意分野は仲間を助ける。これは個人のチーム内での価値を高めることにも繋がるし、個々がそのような意識を持つことで集団としてより良いものになる。


・上手くいかない期間が長くても最後に満足できる結果が得られればその期間は全て肯定される。だからこそ満足するまで努力を継続することが大切だ。ただし、その努力も明確な目指すべき方向を持ち、そこへ向かっていなければ意味はないということに注意したい。




自分を多くの人と繋げ、自分を成長させてくれたサッカーに感謝して。




継続は力なり




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