当然、俺は大谷翔平になれない

岡田詠(3年/DF/日比谷高校)


ある月曜日 AM9:00
バイトが終わった。
「先に着替えていいよ」と同僚の聖母1が言ってくれた。
すでにほどいていたエプロンを手に感謝した。

腹が減りすぎていたので、8:58ごろから狙っていたおにぎりとコロッケパンを買った。その日の稼ぎが300円ほど減る決済音がした。味はいつも通り悪くはないって感じ。「お疲れ様でした」今日こそは聞こえるように、少し声を張って聖母2に言ってみる。聖母2から明るい返事が返ってきた。聖母3も微笑んでくれて、かなり気がいい。
外に出ると雨に濡れるコンクリートの匂いがした。
そういえば、毎日牛乳を買うサラリーマンが折り畳み傘も買っていた。気が悪くなりかけたところに、最近なんとなく心がけている大谷翔平の言葉を思い出して持ち直す。


『自分がコントロールできないことに感情を使わない』


自転車乗りならわかると思うが、自転車に乗っていると小雨でも結構濡れる。雨のカーテンのようなものを通っていく自分をイメージする。原理はよくわからないが、多分高校で習った相対速度云々が関係している。

今日の雨は、かなり桜を散らしたようだ。薄い桃色の花びらは秒速5cmよりも速いスピードで落ちてきて、愛車TREK-FX2に踏みつけられる。
桜がその絶頂を迎えると、三日ほど続く雨がやってくる。日本人は古くからその理に、桜の持つ儚さと美しさを感じたのだろうなと思い、諸先輩方に共感を試みる。しかし、自分だったら桜の儚さなんかじゃなくて、降りつける雨のウザさにフォーカスすると思う。俺って性格終わってる。

信号待ちをしていると、道路の向かいに傘を差した4人家族が歩いていた。ちびっ子2人もスーツを着ていた。弟くんの入学式かなーと目をこらす。彼のこの先が学びある困難と、それを分かち合える仲間で彩られていることを無意識に願っていた。自分のおじさん思考に複雑な気持ちになる。車椅子に乗ったお婆さんと、レインコートを着て車椅子を押すお爺さんが視野に現れ、青信号に変わったことに気づく。

住んでいるマンションに着いた時には、タイヤを覆ってしまうようにして、花びらのリースが完成していた。よくみると木屑や葉っぱが混ざっていて、正直汚い。
この花びらは秒速何cmで回転したんだろうとぼんやり問を立てて、面倒になってすぐ辞めた。

エレベーターに乗り込むとびしょ濡れの自分と目が合った。白のワイシャツに雨粒の水玉模様が浮かんでいる。シャツのポケットの位置に桜の花びらが一片ついていることにふと気づく。バイトの制服も相まって、それはコサージュに見えた。鏡に映る自分が入学式の参列者に見えた。突然の雨に降られた自分が、あの家族も参列する入学式場に入っていくところを想像してなんだか笑えた。

携帯の日付を見て、カレンダーに書かれた母の字を思い出す。そういえば、今日は弟の高校の入学式だった。だから、特に意味はないけどコサージュはそのままにしておいて、シャツを洗濯機にも入れずハンガーにかけておいた。なんとなくそのほうがいい気がした。

自転車を15分も漕いだからか、また腹が減っていたので納豆ご飯を食べた。我が家の納豆需要はかなり高い。冷蔵庫の中に納豆専用のスペースがある。3つで1セットの状態から別々にされた納豆が10個ほど立てて並べられていて、ドミノみたいだなと思う。
最近からしを入れるようになった。納豆のタレは9割入れる。残りの1割に俺の小さな健康意識が現れている。ちなみに母親は5割しか使わない。弟は多分全部入れると思う。
9割も10割も変わらない。

腹も膨れたので仮眠を取ることにした。仮眠は30分までがいいらしい。それ以上寝ると体内時計が崩れるからだそうだ。体内時計って何??
よくわかんないけど、一度そういうの知ると気になっちゃうんだよなー。
そんなことを考えていたら血糖値スパイクでまどろんでいた。起きた時悪い夢を見た感触があった。時計が正しければ45分くらい寝ていたようだ。

そのままダラダラしていたらそろそろ家を出る時間だった。
19:00からのミニゲーム大会に間に合うように、頭の中で何時の電車に乗ればいいか計算する。大体の時間に家を出ると既に雨は止んでいた。

渋谷から井の頭線に乗り込む。なんとなく見ていたshortsがぐるぐるしてとまる。そういえば神泉あたりはかなり電波が弱くて、よく携帯が止まった。大して興味があるものじゃなかったので携帯をしまう。興味があるshortsなんて本当はないはずだけど。

やることもないので2年前のミニゲーム大会を思い出す。



チーム分けが始まるまで、筑附出身のクラスメイトとパス交換をしていた。そいつの左足が完全におもちゃだったことを覚えている。あの時の俺なら、『こいつよりは俺のほうが上手いだろ』とか思ってそう。全員がライバルに見えた。

チームの担当みたいな人は誠二郎だった。誠二郎のすごさはサーオリで新歓してくれた髙木が教えてくれていたので知っていた。髙木がア式について説明してくれたとき、誠二郎と既にテント列でLINEを繋いだことを伝えた。すると髙木の誠二郎トークが始まった。今と変わらず髙木はおしゃべりだった。
同期の中でダントツ一番上手いこと。公式戦にも出まくっていること。でかい怪我をしたけどチームを勝たせる点を取っていること。誠二郎について語っている時の髙木が、すごく誇らしそうで嬉しそうだったことを鮮明に覚えている。途中から誠二郎よりも髙木の方が気になった。こんなに素晴らしい人がいるならア式に絶対入ろうと思った。
(ア式に入ってすぐ、髙木が育成で無双していてサッカーも上手いのかよとかなりビビった。)

だから、誠二郎が担当で嬉しかった。とりあえず、この先輩に認められる。
同じチームには中田と花岡と宮野がいたと思う。中田と花岡は既にア式の練習に参加していたらしく、誠二郎と親しげに話していて、かなり気色悪いけど妬いた。
中田と宮野には悪いけど花岡が一番上手く見えた。彼も私もMF志望だったので明確にライバルだった。かなり上手に見えるのに、「元陸上部だから前プレいけるぜ!」と綺麗な歯並びを見せつける彼独特の笑顔で言ってくれた。今と変わらず、上手いのにチームのために走れるやつだった。
中田については何も覚えていない。彼のことだから多分緊張していたからだろう。宮野はスライディングで一点防いでくれたことを覚えている。でも、もしかしたら宮野は別のチームだったかもしれない。

自分はというと全く体が動かなかった。イメージに体がついてこない。ボールタッチが乱れて何回もボールを失う。「俺は絶対もっとできるのに」と思っていた。極め付けは最後の試合でかなりいい位置でパスを受けた時。ゴール前で切り返して、1人かわしてシュート!だったはずなのに、止まりきれず気づいたらピッチに仰向けに倒れていた。『俺、通用してないな。ア式でやってけるのかな。』と思う。遠くでホイッスルの音が聞こえる。その日も桜が舞っていて、夜桜が美しかった。

気づいたら駒場東大前についていた。ホームで源さんと目があったが、なんとなくスルーした。源さんが、外しかけたワイヤレスイヤホンを耳に戻すのが視野の片隅で見えた。

チームは8位だった。だからビリってことになる。自分の試合が全て終わった後決勝戦を見ていた。試合では、入部後、自らをワカヤナギと名乗ることとなる「赤髪のファイアーマン」が目立っていた。ウェーブがかった髪型とその色は、燃え上がる炎をそのまま想起させる。彼は赤髪にしたことはないと言っていたから、駒場の照明の関係でそう見えたのだと思う。
でもこうも考えられる。自らの技術が全く通用せず、チームは最下位、そんななか決勝戦を見ていたら、目立っている奴がいた、そいつのことが恐ろしい、あいつには敵わないかもしれない、だからファイアーマンにみえたのかも。ちょうど、ナトリウムランプのしたでは全ての色が白黒に見えてしまうように、劣等感が自分に錯覚を起こしたのかもしれない。ま、そんなわけないか。きっとあいつの渋い嘘だろう。

グラウンドについた。今年も新歓の段取りは微妙でラグビー場はまだ真っ暗だった。少なくとも全ての人を歓迎しているような雰囲気ではないように見えた。



ミニゲーム大会は、天候にも恵まれ何事もなく終わった。本当は新入生をご飯に連れていくべきだったが、早朝バイトのせいで眠かったので帰らせてもらった。ごめんな、大楽。


渋谷から銀座線に乗る。銀座線は渋谷発なので必ず席に座れる。観光客と思しき外国人たちが彼らのカルチャーを体現するように、両側の席と席で喋る。話の内容はよくわからなかった。


イヤホンをして自分の世界に入り込む。さっきのミニゲーム大会について考えた。


チームは6人ほどで構成される。彼らは最初、お互いについて、科類と名前くらいしか分かっていない状態だ。なのに大会後にはかなり仲が深まっているようにみえるチームがあった。気になって順位を聞いたら最下位だった。「ま、そんなもんだよな笑」と軽く慰める。関西弁の1人が言った「悔しいっす」がむしろ楽しそうに聞こえて頭の中でこだました。

新入生はみんな活き活きとしていた。久しぶりにボールを蹴る喜びと、思い通りには動かない体への苛立ち、それぞれを享受していた。彼らはミスを恐れずプレーしていた。ボールを失っても、もう一回ドリブルを仕掛けていた。かなり遠い位置からのシュートにトライしていた。マイナスな声かけは一回も聞こえなかった。シュートを大きく外した選手の背中で聞こえる心からのドンマイが、その一瞬を決定的に美しくする。

途中から目頭が熱くなってきた。サッカーというスポーツの素晴らしさに改めて感動した。彼ら全ての人生に勝利と敗北と決断と迷いがあった。彼らの多くが受験で一度はサッカーを離れた。でも、サッカーが好きだから、ここにきた。全てから解き放たれたように、サッカーと遊んでいるように見えた。




俺はどうだろう。




まずサッカーと遊んではいない。サッカーは楽しいけどミスはかなり恐ろしい。DFがするミスは失点に直結する。新しいチームは正気を取り戻して、DFラインで起こる致命的なミスに対してもちろん厳しい。俺、気づいたら完全にDFになっている。
一年の頃、花岡と源さんとの差はほとんどなかったように思う。なんなら、多分、ていうか絶対に俺の方がうまかった。でも今、2人よりかなり下手くそだと感じる。正直2人のプレーを見るのは少し辛い。2人をみていると、サッカー楽しそうだなと思う。あまり嫉妬はしない方だが、2人には嫉妬する。
『嫉妬は、いつだって、そうなれたかもしれない自分への反抗だ。』と何かの本で読んだことを思い出す。だから俺はメッシには嫉妬しないけど、2人にはしてしまう。その時は響かなかったけど、あってるじゃん。

気づいたら家についていた。
家を出る前にかけておいたシャツが目にとまる。桜のコサージュはそのままだった。ふと自分と桜の花びらが重なる。大学合格はサクラサク!とかって言われる。俺は多分もう散っている。桜はすぐ散ってしまうから。
イメージしたところには着地しそうもない。自分のイメージとしては中盤で大活躍するはずだったけど違いそう。桑原とか高口っていう名前の風が吹いたからだと思う。俺はどこにいくんだろう。このチームのために何ができるのか。



俺にはあと2年しかない。

ほんとはイスコになりたかったし、ダビドシルバになりたかった。
ア式で本気でやればなれると思っていた。
俺はミスを恐れずに創造的にプレーしたい。
新監督のいう、サッカーで一番楽しいフェーズに加わりたい。
俺できるのかな?
だけど俺はもう取り返しがつかないところまで来ていると感じる。
今から花岡や源さんがしてきた努力は追い越せない。
MFにもう一回チャレンジする?
でもDFとして1部で積ませてもらった経験を捨てるわけにはいかないと思う。
チームを降格させた当事者として、1部で感じた力の差を忘れずに、DFとしてこのチームを1部に戻したい。
今の俺にできることは、池澤と丸山と死ぬ気でゴールを守って、花岡と源さんがプレーしやすい形でボールを渡すこと。

バイト帰りにみた家族と、ご老年の夫婦を思い出す。あの兄弟は蕾。お母さんとお父さんの助けを借りながら自分という花を満開にする。ご老年の夫婦は途中で一つになった花びらかな。風に揺られいろんな景色を見てきた2人は今、ゆっくりと着地までの時間を添い遂げている。

大谷翔平の言葉が脳裏に焼き付いている。花びらは、自分がどこに着地するかをコントロールできない。俺と同じ。花びらはいくつかの初期条件と、天候が生み出すカオスの中で秒速5cmの旅を楽しんでいる。俺には、やっぱり大谷翔平のマインドセットはあってないと感じる。


もし大谷翔平のように、投げれば6回10奪三振無失点、打てば3本塁打であれば、俺も自分に集中できるし、MFもDFも両方やる。周りに惑わされず、自分に集中してエゴを出して活躍することが勝利につながるから。

でも俺は違う。

勝利という目的に対して、自分はいかに非力であるかということは、嫌というほど思い知らされた。俺にできることは仲間を頼って仲間を信じ、仲間に頼られるように成長すること。風まかせに舞う花びらのように、自分をこれほど素晴らしいところまで連れてきてくれたサッカーに残り二年間身を任せ、その中で起こる全てに感情を動かされ、焼き付けること。



桜のコサージュに感謝する。あの時そのままにしておいたおかげで久しぶりに思考が整理された。寝る前に昨日の試合でうまく行ったビルドアップを見返してニヤつく。最近DFもちょいちょい楽しい。








1週間後
「さくら、綺麗だね」すれ違いざま、制服を着た男女の会話が聞こえた。
見上げると立派なさくらの木。いくつかの新緑を携えたその大木はすでに来年を見据えている。来年もこのさくらを見に来ようと思った。すると、俄かに太陽が顔を出し始めて、人々が暖かな春の光に照らされる。今年一年がいいものになる予感が訪れた。










俺にはあと2年もある。

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