旭さん、主将になってね

長田夕輝(1年/MF/公文国際学園高等部)


ア式に入部し5ヶ月弱、1年目は終盤に差し掛かっている。この5ヶ月弱では既にありとあらゆる経験をさせてもらっているが、何も活躍できていない今振り返るのはなんとなくまだ早い気がするし、他に書くことも無いので、今回はそれ以前のサッカー人生について少し書こうと思う。

2021年7月。2年生の自分が出た選手権1次予選は3回戦で幕を閉じた。相手とは互角ぐらいだと思っていたが、なぜかボコボコにされた。2回戦はいい試合をして格上に勝って盛り上がっていただけに、最悪の終わり方だったかもしれない。先輩たちをひどい終わり方で引退させてしまったことがただただ申し訳なかった。

数日後、自分たちの代に向けた準備が始まった。自分はキャプテンに立候補した。実はこの数ヶ月前から、1個上、2個上のキャプテンに次のキャプテンは自分にやって欲しいと言われていて、さらには1つ前の顧問にも同じように言われていた。中高一貫校のため中学の時も同じメンバーだったが、その時は副キャプテンすらもやらなかったし、自分はキャプテンをやるようなタイプではないと思っていた。ただ考えてみれば、自分の代にはまともにリーダーシップが発揮できそうなやつがいなかったので、推薦されたことにある程度納得した。次第にモチベはあがり、結果的にキャプテンになった。

キャプテンになったはいいものの、結果を出さないと意味がないし、自分たちの代は特にそうだと思っていた。というのも、自分たちの代は中学の時に14年ぶりに神奈川県大会に進むなど、弱小校には変わり無かったもののそれなりに期待されていたのだった。目標は初の選手権2次予選進出。何がなんでもこの代で達成したかった。なんか主人公じみた発想で嫌だが、実際そう思っていた。

というわけで新チームは始動した。予想通り、キャプテンとして行う部活は後輩としてただ自分のサッカーに集中できた頃とは全く違った。練習を仕切りながら、練習がいまいち上手くいかないことにモヤモヤが止まらない。

何回返事しろと言ってもしないやつはしないし、早く次のメニューに移りたくてもだべりながらタラタラ歩いてくる奴もいる。選手間で危機感のバラつきが間違いなくあった。

そんな中とりあえず自分は乏しい知識なりに上手く行くような練習メニューを考え続けた。気づいたらプロの練習動画を観るようになっていた。今思うと詳しいやり方は間違っていたかもしれないけど、その時できる全力ではあったと思う。

チームが強くなっていた実感はあまりなかったが、12月の新人戦予選はなんとか突破した。とりあえず一安心。

冬休みは練習試合続きだったが、何週間か我慢していた怪我が限界を迎えた自分は出れなかった。結局1月末まで離脱した。綺麗に公式戦を避けて離脱したのはラッキーではあったが、練習試合に欠場しまくったことはだいぶ迷惑をかけてしまったと思う。しかも復帰した時には学校内のコロナ流行によって活動が止まっており、制限が解除されるまで時間がかかったため、試合に復帰できたのは春休みを迎えてからだった。

ここで一気に3月まで話は飛んだが、実は年末には顧問が学校を辞めて(理由は未だ不明)、急遽交代となった。結果的に自分にキャプテンになることを薦めてくれた先生がもう1回顧問になった。加えてやめた先生の代わりに筑波のサッカー部でプレーしていた方が赴任してき、その先生もサポートについてくれた。突然の体制変更。最終的にチームをまとめてくれた2人の先生には本当に良くしてもらったし、感謝しかない。

12月〜3月の期間は色々あったが、4月には新人戦の続きの関東予選を控えていたので、春休みは無理矢理でもギアを上げて準備しないといけなかった。

自分はやっと実戦復帰を果たせたものの、特に最初はプレーでミスが目立ち、先生にもそれを指摘された。この期間に限らず、1年を通して自分のプレーは不安定でキャプテンらしくなかったような気もする。今振り返ってみると、試合内容が良くなかった試合は大体自分のプレーが悪かった時だったので、もしかしたら自分がチームに悪循環をもたらしていたのかもしれない。

キャプテンになってからは、チーム全体、特にスタメン外の後輩たちに無駄に目を向けていたため、怪我したことも含め、自分の状態を気にすることや自分にベクトルを向けることを怠り、結果的にチームに迷惑をかけていた。

春休みは進み、少しずつ自分含むチームのパフォーマンスは上がっていき、初めてチームの成長を実感できた。

しかし、そこでまた自分は怪我をする。ある試合中、相手にアプローチすると太ももがブチっとするのを感じた。肉離れを起こしたのだ。通っていた整骨院に行って診てもらったが、すぐ治りそうなものではなかった。

けど2週間後には公式戦が待っている。さすがにここで休むわけにはいかない。自分はテーピングで無理やりプレーすることを選択した。先生にはこの事実を隠した。

悪化しないか毎試合ヒヤヒヤしながらプレーしていたのを思い出す。肉離れは幸いケアしながら少しずつ良くなっていったが、それ以降も身体の状態は悪く、ある箇所の痛みがおさまる途端に別の箇所が痛くなるということが引退まで続いた。

関東予選大会を迎えた。春休みの成果が出て、初戦は格上に勝利した。結果と内容両方で見たら1年間でベストゲームだった。試合終了のホイッスルが鳴った瞬間は1年間で1番気持ちいい瞬間だったと思う。

次はさらに格上の相手と対戦した。土グラウンドながら綺麗にパスを繋いで崩してくる相手に苦しみながら耐えたが、後半PKで失点し、0-1で惜敗。0-0の時点で降ってきた1番のシュートチャンスでは自分が決めきれなかった。自分のせいで得点できずに負けたことが受け入れられなくて、試合後その話をするのは避けていた。今になってやっと責任を感じている。みんな、あの時は決めきれなくてごめん。

結果は、神奈川県200校近くあるうちのベスト40。自分たちにとってはポジティブな大会となった。けどまだ目標は未達成。

次のインターハイは4回勝てば2次予選に進出。そこまでの2週間はこれまで以上に練習に力を入れたし、大会前の自分たちの期待は大きかった。しかし2戦目で敗退。試合内容も良くなかった。
 
そこから2日間は無気力状態に陥り、何もかもやる気が出なかった。言葉で表すのは難しいが、あのとき自分の中のスイッチというか何かが切れてしまった。「ここから2次予選はきちいかも」と思うようになった。

その2日間が過ぎるといきなり練習試合があったが、内容はひどかった。試合後、顧問に試合のことだけでなくキャプテンとしての振る舞い全てについてマンツーマンでボロクソに言われた記憶がある。自分のプレーが悪かったことは間違いなかったが、言われたことで納得のいかない部分もあったし、自分が今までやってきたことが全て否定された気分になった。

無理かも無理かもとネガティブになりながらも、選手権予選は1ヶ月半後に迫っていたので、絶対勝てるという気持ちを無理矢理持って、立て直そうと動いた。

けどそううまく行くわけがない。3年生を授業前にわざわざ集め、練習の雰囲気良くするために最高学年が全力で声を出してほしいとお願いしたが、そのプランは当日の練習開始後10分で崩れた。すぐいつも通りの雰囲気に戻った。勝手に裏切られた気持ちになった。
 
インハイ敗退後の5月、6月は精神的に1番しんどかった。自分のプレーもチームのパフォーマンスも試合結果もなんかパッとしない、練習の雰囲気も一向に良くならない、受験も本格的に始まって勉強も頑張らないといけない、様々なことがのしかかってきた。試合後帰宅し、怒って物に当たることも何回かあった。

選手権予選の数日前、スローインの練習をしてほしいと顧問に言われ、練習中に行ったのだが、途中から見に来た顧問に、そのやり方は違うのではないか、これをやってたら勝ち続けられるわけないよ、みたいなことを言われた。フラストレーションはMAXに達し、帰宅すると親の前で号泣してしまった。最後の公式戦の直前にこうなるのはキャプテンとして失格なのはわかっていたけど、涙は止まらなかった。

思うような準備はできなかったが、選手権予選を迎えた。2次予選までは4勝。初戦は相手が弱かったため、難なく勝った。

問題はここからだった。次の相手には1月、自分が怪我していた際に練習試合で完敗していた。ただ、この時怪我人が復帰したことで自分たちは初めてベストメンバーが組めそうだった。勝てる自信はあった。

試合が始まると、なんかいけそうな気がした。戦い方が完全にハマり、練習試合の時とはまるで違った試合展開となった。前半に先制し、その後も自分たちペースで進み、追加点を入れられなかったものの、完全に相手を圧倒していた。全く失点しなさそうな雰囲気であり、守り切って1-0で終わる、はずだった。

後半ロスタイム、相手のロングスローから失点。相手はほぼ初の決定機。終了までわずか1分半でのゴールだった。頭は真っ白になった。

そのまま延長線は1-1で終わり、PK戦へ。9人全員決めた後、5番手後攻、自分たちが外し、試合終了。引退の瞬間はあまりにあっけなかった。

結局目標は達成出来なかったし、インハイ、選手権では惜しいところまでも行けなかった。悔しいは悔しかったが、1年前とは違い、涙は1滴も出なかった。なぜかは簡単にわからないが、もしかしたら、自分とチームの実力不足に対して大会前から諦めの感情があったのかもしれない。

1年間を振り返ると、たくさんの失敗に気づけた。もっとチームメートに対して厳しくすればよかった、とかもっとひとつひとつの練習試合の振り返りを大切にすればよかった、とか多分このまま書けば止まらないと思う。

特に後悔したのは、自分と向き合うことをしなかったこと。周りを見る前に自分のことをもっと考えていれば、プレーももっと良かっただろうし、怪我で迷惑をかけなかった。

逆にその後受験で成功できたのは、向き合う相手が自分だけだったからだと思う。

自分にキャプテンという役職は合わないことを再認識したが、練習外でも相当チームに時間を割いたし、間違いなく自分の成長につながった。今までの人生で数少ない、殻を破れた経験だったし、その重要さにも気づけた。

ここでガラッと話は変わるが、ア式にはある先輩がいる。学年は1個上で同じボランチだが、自分よりも上手いし、サッカーのことをめちゃくちゃ考えているし、頼れる先輩だ。だというのに、中高までで副キャプテンにすらついたことがないらしい。自分で声を出してチームを引っ張るタイプではないみたいなことをたしか言っていた。

この先輩に先日、feelingsに書くことがなくて困ってる話をしたら、「まあ何書いてもいいだろうけど、なんかメッセージぽいものが欲しいなあ」と言われた。

ということで最後に伝えたいメッセージがあるとすれば、殻を破る経験は大事だということ。なのでその先輩が4年になった時、キャプテンになってほしい。なんか上から目線だな。まあいっか。

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