プライド

兒玉寛俊(4年/GK/日比谷高校)


 「辞めたい。」 何度この言葉を口にしただろうか。試合があった日の夜、メンバー発表の後、ことあるごとにこの言葉が僕の中で発せられた。サッカーがその時の自分の生き甲斐である以上、そこに活路が見出されないなら生きていることにも価値を感じられなかった。練習に身が入らない日が毎日であった。メンタル不調で実験に参加できず、研究室のメンバーにも迷惑をかけたこともあった。試合があるたびに悔し涙が止まらなかった。友達には伝えないようにしていたが、辞めたいという感情を抑えきれなかったことも多々あった。練習後一緒に飯に行って語り合えた鹿島田や植田には感謝しています。鹿島田は怪我で調子が出ず、苦しい最終学年だったと思うけれど、ピッチ上だけでなく画像班でも一緒に活動できて楽しかったです。植田は同じ途中入部で、共にいろんな不安を抱えていたけど、特に育成でやっていた時は励ましあって成長できたように思います。公式戦で活躍する夢を語りあう時間は楽しかったです。最終節、一緒にベンチに入れてよかったです。







1年目 高校ではまあまあ評価されていた分、自分の下手さには正直驚いた。周りからも相当馬鹿にされた。でも絶対的な、根拠のない自信があった。自分にならできるという。試合に出ているのがレイソルユース出身の染谷さんであろうと、自分がスタメンを奪って活躍しているイメージができた。変な入部をしたので、10月からア式生活がスタートした。国公立大会の横国戦でメンタルがやられたこともあったが、自信を胸に突き進んだ。





2年目 下手なのにも関わらずプライドは高かった。OBコーチの新屋さん、島田さんからのアドバイスに聞く耳を立てず、自分のやり方を貫いた。毎日黙々と自主練を繰り返した。でも驚くほど成長した。セービングで届く範囲が広がり、自信が増し、プレーがみるみる良くなった。



2021/9/12 山学戦 大学サッカーで一番印象に残っている試合。サブだったが、前半で8失点を喫し、チームの状況は最悪だった。後半から出番が来た。状況が状況なのと、イメージは完璧だったので緊張はしなかった。その試合MVPに選ばれたのを覚えている。



その後3試合に先発出場した。相変わらずチーム状況は最悪だったが、自分のプレーにはかなり満足していた。自信は飛躍的に大きくなり、1部でも渡り合えるのではと錯覚した。





3年目 三浦さんが来て本当に上手くなった。体の動かし方、ポジショニング含めた準備、コーチング、メンタルの作り方、自分にとっては全てが新鮮な体験だった。チームを勝たせるキーパーになれとよく言われた。試合には一年通して概ね出場できた。調子も一年通じてよかった。2部はレベルが低すぎると調子に乗った。来年も試合に当然出場して、チームを勝たせる。いつしかそんなことを考えるようになっていた。





4年目 始動当初から、体が全く動かなくなった。全てを基礎からやり直したが状況は良くならなかった。焦った。こんなはずじゃないと。アミノ二回戦大東戦で三失点を喫した。その試合後、三浦さんに初めて本気で怒られた。「1年間お前は何も変わっていない。」と言われた。その言葉は強かった。練習ではうまくいかない苛立ちを他人にぶつけて、試合中うまくいかなければプレーすることを投げ出した。完全に不貞腐れていた。1年前のアミノバイタルカップ二回戦東農戦、自分のミスからチームが崩れ後失点を喫した試合。試合内容も試合後に言われたことも全く同じだった。その態度で自分がゆくゆく後悔することを、その時深くは理解していなかった。改善を意識したものの、プライドを制御するのは難しかった。そのまま突き進んだ。



それでも前期中盤になってようやく調子が上がってきた。一番は準備の質が上がった。ポジショニングを早くとり、いくつもの選択肢を予測できるようになった。シュートストップだけでなく、クロス・裏パスの対応、キック、全てで良い感覚を得ていた。だがその矢先、朝鮮大学校戦で怪我をした。ショックではあったが、復帰したら試合に出られるだろうと思っていた。その後2ヶ月も出番が来ないとは予想もしなかった。



それからは地獄だった。調子は上がっても出番は来ない。使ってもれなければ当然調子は狂う。またみるみる体が動かなくなって、ボールが怖くなった。屈辱的だった。毎週、セカンドの試合前メンタルを切り替えられなかった。育成との紅白戦で負けることもあった。



出番は突然やってきた。チームは、後期負けなしだったが、双青戦で惨敗を喫した。


2023/8/26 成蹊大学戦 大学サッカーで二番目に印象に残っている試合。関東昇格に向けての大一番だった。久しぶりの試合、本当に嬉しかった。なぜか点を決める夢まで見た。だが、現実は甘くなかった。自分のミスが影響し敗戦した。悔しさ。恥ずかしさ。情けなさ。辛かった。あっけなかった。自分はこんなもんかと。現実を見せつけられた。これでもう終わったなと、悟った。



その後1ヶ月間最終節まで出番はなかった。



チームは劇的勝利を重ねていった。けど、一試合として嬉しくなかった。勝った瞬間に来週自分が出られないことが決定するから。後期上智戦、横国戦、玉川戦、帝京戦。みんな楽しそうだな。ベンチでそう思っていた。結局、最終学年で勝利を収めた全試合で自分はピッチにはいなかった。チームの勝利に貢献することは全くできなかった。





自分に何が足りなかったのか考えた。答えは明白だった。プライドが自分の成長を妨げていた。


プレー面での答えは、皮肉にも同期の笹森がもっていた。彼の試合中の目標は「自分のプレー機会を最小化すること」である。コーチングで味方にコースを最大限切らせ、残りのコースを自分が防ぐ。ゴール前にボールを運ばせないために未然にコーチングを行い、守備を最適化する。自分が蔑ろにしてきた部分だった。初めて明確に負けを感じた。自分が劣っていると感じた。


人事を尽くして天命を待つ。どれだけ頑張っても自分の力では変えられないことがある。自分の努力が報われないことなどザラだった。けど来たるチャンスで実力を発揮するために、日々準備をしておく必要があった。肉体的に、そして特に精神的に。自分は、自分の能力を過信しその準備を怠っていた。後悔してもしきれない。







ア式に入って本当に世界が変わった。互いに支え合う仲間ができた。素直になることがいかに大切か知った。本気で取り組むことがどれだけ楽しいか知った。


毎日生活を支えてくれ、自分のやりたいサッカーを思う存分やらせくれた両親、ありがとうございます。毎試合応援に来てくれていたのに、最後は試合で活躍するという形で恩返しできなくてごめんなさい。どの分野であっても活躍できるよう頑張ります。


ア式で関わった全ての方々ありがとうございました。特にGKコーチ陣、面倒見ていただきありがとうございました。この4年間でかなり成長できたと思います。


後輩に一言。この文章を読んでいただければおわかりいただけるように、僕はだいぶネガティブな人間です。もちろんそうなれということではありませんが、ネガティブな感情の方がポジティブな感情よりも大きなエネルギーをもっているとは思っています。大学でサッカーをやっているのも、高校まででやりきれなかった不満足感、自分の下手さに対する劣等感、そういったネガティブな感情が根源的な原動力になっているのだろうと思います。そしてそれらを感じとれるのはある種才能だと思っていて、みんなその才能に長けているのだと思います。自分の中に生じたネガティブな感情を大切にして欲しいと思います。


最後はこの人にも感謝しておかなければいけないと思います。笹森、4年間一緒にサッカーができて楽しかったです。あなたが言ったように、4年後、一生の友達になったようですね。ピッチ上では本当に顔を合わせることも嫌だったけれど、帰りの電車ではGK論で盛り上がり、オフの日には旅行に行けて楽しかったです。尊敬するところは尊敬しています。共に社会人でプレーすると思うし、まだまだ切磋琢磨しながらやらなければならないと思うとうんざりです。後輩たちがたくさんいるので、OBコーチとして上手く成長を手助けできるよう頑張っていきましょう。





生きているなら少なくとも全力で。



兒玉寛俊

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