投稿

10月, 2024の投稿を表示しています

情熱の続き

堀内健伸(1年/MF/麻布高校) 私がfeelingsを書く番が回ってきた。早すぎる…まだ入部して3ヶ月しか経っていない。そんな私がア式について語ることはできない。そのためありきたりではあるが、私がア式に入部した経緯を書き連ねていこうと思う。  私は5歳の時にサッカーと出会った。最初は始めたきっかけである兄と同じチームでプレーしていたが、8歳にして一丁前に隣町のチームに移籍した。移籍先のチームはその地区では強いチームだった。最初はその中で切磋琢磨するのを楽しんでいたが、ベンチの時間が増えると試合に出場できるかばかり気にするようになり、サッカーを純粋に楽しめなくなった。高学年になると、チームメイトがトレセンに選ばれるようになり、近くで見ていた私はこのままでは何もないと危機感を持った。そんな中、自分と似た境遇の仲間が中学受験をすると聞きサッカー以外の生き方を知った。こうして私は小5の冬にチームを辞め、勉強に逃げた。その後は麻布学園から合格をもらい進学した。  中学時代はMFとして試合に出場し、チームも地区では負けない程度には強かったので楽しかった。ただ、この時の楽しさはサッカーに向き合った故の楽しさではなく、友人と集まって行うフットサルのような遊びの楽しさであったと思う。この時既に私の中で最も優先順位が高いのは勉強であった。実際中3 の頃に鉄緑会に入った。そんな中、その年の冬にコロナウイルスが流行りサッカーどころではなくなった。最初の3ヶ月は学校に行くことすらできなかった。学校が再開した後もマスクの着用が義務付けられ、接触プレーが禁止された。そのため、練習メニューは走り、筋トレ、シュート練に限定された。正直言ってつまらなかった。なんのためにサッカー部に残っているのか分からなくなっていた。それでも惰性で部活に残った。高1の冬くらいから試合ができるようになったが、クラブチーム出身の選手にポジションを取られて試合に出られない期間が続いた。ここでも私は勉強に逃げた。そんなこんなで気づいたら高2の秋の新人戦を迎えていた。サッカーに身が入ってなかった私は対戦相手すら曖昧なレベルだった。結果は1−3の敗戦。あっけなかった。麻布サッカー部ではこの秋の新人戦が一つの区切りとされており、半数以上がサッカー部を辞める。チームメイト同様私もサッカー部を辞めるか決断しなければいけなかった。惰性で