情熱の続き

堀内健伸(1年/MF/麻布高校)

私がfeelingsを書く番が回ってきた。早すぎる…まだ入部して3ヶ月しか経っていない。そんな私がア式について語ることはできない。そのためありきたりではあるが、私がア式に入部した経緯を書き連ねていこうと思う。 

私は5歳の時にサッカーと出会った。最初は始めたきっかけである兄と同じチームでプレーしていたが、8歳にして一丁前に隣町のチームに移籍した。移籍先のチームはその地区では強いチームだった。最初はその中で切磋琢磨するのを楽しんでいたが、ベンチの時間が増えると試合に出場できるかばかり気にするようになり、サッカーを純粋に楽しめなくなった。高学年になると、チームメイトがトレセンに選ばれるようになり、近くで見ていた私はこのままでは何もないと危機感を持った。そんな中、自分と似た境遇の仲間が中学受験をすると聞きサッカー以外の生き方を知った。こうして私は小5の冬にチームを辞め、勉強に逃げた。その後は麻布学園から合格をもらい進学した。 

中学時代はMFとして試合に出場し、チームも地区では負けない程度には強かったので楽しかった。ただ、この時の楽しさはサッカーに向き合った故の楽しさではなく、友人と集まって行うフットサルのような遊びの楽しさであったと思う。この時既に私の中で最も優先順位が高いのは勉強であった。実際中3の頃に鉄緑会に入った。そんな中、その年の冬にコロナウイルスが流行りサッカーどころではなくなった。最初の3ヶ月は学校に行くことすらできなかった。学校が再開した後もマスクの着用が義務付けられ、接触プレーが禁止された。そのため、練習メニューは走り、筋トレ、シュート練に限定された。正直言ってつまらなかった。なんのためにサッカー部に残っているのか分からなくなっていた。それでも惰性で部活に残った。高1の冬くらいから試合ができるようになったが、クラブチーム出身の選手にポジションを取られて試合に出られない期間が続いた。ここでも私は勉強に逃げた。そんなこんなで気づいたら高2の秋の新人戦を迎えていた。サッカーに身が入ってなかった私は対戦相手すら曖昧なレベルだった。結果は1−3の敗戦。あっけなかった。麻布サッカー部ではこの秋の新人戦が一つの区切りとされており、半数以上がサッカー部を辞める。チームメイト同様私もサッカー部を辞めるか決断しなければいけなかった。惰性でサッカー部に残り続けていた私はこの時初めて真剣にサッカーと向き合った。私の人生の傍には常にサッカーがあったこと、どんなに苦悩したとしても自分はサッカーが大好きなことを再認識した。このままでは終われないと思った。しかし私は1ヶ月後に鉄緑会で最も大きな模試、通称クリスマス模試が控えていた(半年ほどかけて準備していた)。この二者を両立する手段を考えた末に出した答えは1ヶ月休部するというひどく身勝手なものだった。

ダメもとでキャプテンに相談すると、結果的に長くサッカー部に残ってくれるならそれで良いと快く承諾してくれた。こんな我儘を聞き入れてくれたキャプテン石井には感謝しかない。こうしてできた1ヶ月の間私は猛勉強した。クリスマス模試も自分で納得のいく手応えだったので気持ちよく復帰した。1ヶ月ぶりのサッカーはとても楽しかった。高2の秋に辞めなかった人は春のインターハイで引退するのだが、サッカーへの情熱を再燃焼した私には短すぎた。結局私の高校サッカー生活は不完全燃焼に終わった。一方、私の高校勉強生活はクリスマス模試で完全燃焼してしまい高3は勉強に全く身が入らずまさかの前期東大単願足切り。浪人することになった。浪人中もサッカーへの情熱が忘れられず、空いた時間は試合ばかり見ていた。東大に受かった後も、とにかくサッカーがしたくてサークルやア式に顔を出した。ア式の練習に参加すると、自分と同じような情熱を持った選手、コーチに出会えた。また、何気ないプレー一個一個にも思考がある事を知り、こんなに熱いア式でならこの情熱を燃やし尽くせると思い入部を決意した。まだ入部して3ヶ月だが、今のところ最高のサッカーライフを送れている。次のfeelingsでは何が書けるようになっているか楽しみで仕方ない。

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