The Reason

山口源登(2年/MF/栄東高校)


 一般的に大学生にとって部活に入るという選択はなかなか普通ではないらしい。すごい、偉いね、頑張って。

そして、たまに聞かれる、なんで?なんでア式入ったの?

これはア式の中でもよく問われるものだ。大学に入ってもサッカーを続ける理由。

一つは間違いなくサッカーが好きだから、楽しいから。これは誰でもそう。自分にとってサッカー以上の楽しみは今の所存在していない。

他の理由を考えてみる。でも結局サッカーが好き以上のものは見つからない。
逆に言えば、大学に入っても辞めないくらいサッカーを好きで居続けたことがア式に入った理由だろう。

大学入学と同時にサッカーを辞めるのはよくある話だ。強豪校でやっていた人でも辞めてしまう人もいるだろう。
中高とサッカーを続け、サッカーを嫌いになる、もしくは嫌いにならないにしろあまり楽しくなくなっていく、優先度が下がっていくのが普通だろう。

なぜ嫌いにならなかったのか、むしろより好きになったのか。これを説明するのはなかなか難しい。正直自分でもよくわからない。逆説的だが、自分が中高時代に受けた、少なくともプラスではない経験が大きいと自分では考えている。でもそれを端的に説明するのは難しい。

というわけで結局入部までを振り返るあるあるfeelingsになってしまう。

思い返すと結構忘れていることも多い上、どうでもいい話をするのが好きなので脱線しながら、無茶苦茶な文章と時系列で振り返って行こう。

脚色されてる部分もあるかもしれないので、話半分で読んでみてもらえると嬉しいです。







サッカーを始めたのは幼稚園の頃。近所のお兄ちゃんがサッカーをやっていて、遊んでもらったことがきっかけだった(と思う)。楽しかったから親に頼んで近くのサッカースクールに通わせてもらった。

ここの記憶はあまりない。

小学校2年生になって海外に引っ越すことになった。

引っ越した先はシンガポール。

日本人の数も多いから日本人のサッカーチームが複数存在していて、そのうちの一つのアルビレックス新潟シンガポール(アルビS)のスクールに入った。このクラブはシンガポールサッカーの発展のために、特別に外国人枠がなく日本人編成でのリーグ戦の参加が認められていた。(現在は異なる。)

週3〜4くらいの練習で、普通に楽しくサッカーをしていた。この頃は背が大きい方だったのでCBをやることが多かった。

トップチームがちょうど強くなっていく時期だった。どんどんトップチームを応援するようになった。自分たちの練習後にリーグ戦をやっていたりして、身近な存在だったのも大きかった。

小5の時にカップ戦2冠、小6の時にはリーグ初優勝にして、4冠を達成。そのうちの3冠は目の前で見届けた。優勝した時の記憶は今でも残っている。

周りにも応援しているスクール生は多かったが、自分ほど熱心に応援しているやつはいなかった。今振り返れば自分のサッカー応援への熱はここから始まったと思う。

小学5年生か6年生の時には、サッカーは頭を使うスポーツだと初めて教わった(と思う)。前線で選択肢を限定して奪うというようなことやコントロールオリエンタード的なことを教わった。それまでは特に考えずにボールを蹴っていたが、サッカーはより一層楽しいものになった。小学生の最後の方はボランチをやることが多くなっていた。

小6になって中学受験をすることになった。3歳差の姉の受験の関係で日本に帰国することは決まっていた。公立中学校で1から英語を勉強するのはもったいないというのが受験をする理由。帰国枠を使えるのは大きかった。

公文で培った学力(公文のプロがいるので大声では言えないが)と付け焼き刃の勉強でなんとか合格して、晴れて某中高一貫校に入学することになった。

もちろんサッカーを続けることを選択し、部活動に入った。クラブチームに入るかと親に聞かれたけど、学校からまた移動するのが面倒そうだし、普通にサッカーできればいいと思っていたから、入らなくていいと言った。部活動のイメージといえばきついとか厳しいとかそういうものだったからそういうのは不安だったけど、サッカーができるのなら問題ないだろうと思った。


けど普通にサッカーはできなかった。いや、普通だったのかもしれないが、少なくとも僕が知っている「普通」ではなかった。
入ってすぐに感じた違和感は徐々に大きくなっていった。


まず、顧問の先生があまり部活に来ない。でも、それ自体はあまり大した問題ではなかった。

一言で言えば緩い、やる気のない部活。

練習は時間通りには始まらない。

練習開始時刻になってものんびり着替えている。

練習は度々中断し、不要な笑いが何度も起こる。

着替え場所にはよくゴミが残っている。


部活には行きたくないけどあるから嫌々行くらしい。部活が無い日が待ち遠しいみたいだ。

中学生でそういう年頃なのも分かる。

毎日最高のモチベーションで来れるとも思わない。乗り気じゃ無い日もある。

でもそんな次元ではなかった。

やる気が無いなら、楽しく無いなら、やめればいいのにと本気で思っていた。

別にスポーツってそんな大したものじゃないから。毎日2時間近く嫌なことに時間を割く必要はない。

大会2週間前くらいになると急にやる気を出し始める。「ちゃんとやろうぜ」なんて声が飛び交う。
試合はくじ運頼みだ。くじ運がよければ1回戦を突破し、2回戦で負ける。

不思議なことに引退試合とかだと負けたら泣く。泣くほど悔しいのなら、流石にもうちょっとでも練習したらいいのに。自分が上手いとかたくさん練習したとか言えるわけでもなかったが本当に理解できなかった。

部活動は教育だということを学校はいっておきながら、学校と先生が何かしてくれるわけではない。そもそも来ないからどこまでひどいかは知らないと思うけど。

そんな言葉がお飾りなのは分かっていた。本音と建前があるのは分かっていた。

でも自分にはそれが納得できなかった。

別に素晴らしい指導者がほしいわけでもない。グラウンドを広くしてほしいわけでも人工芝に変えてほしいわけでもなかった。上手い人が増えてほしいわけでもない。

少しでもいいから変えてほしかった。

放課後に2時間サッカーに集中できればよかった。
サッカーに集中することに文句を言われない環境が欲しかった。

サッカーは本気でやるものだと思っていた。練習が全く進まないなんてことは自分には初めての経験でだいぶギャップに苦しんだ。

自分なりにどうすればいいか悩み続けた。そもそもサッカーをやっている理由を考え続けた。

サッカーが楽しいってなんだろう。
サッカーをやる意味ってなんだろう。

そこで出た答えは今の所変わっていない。楽しいという感情をこれ以上分解することはできない。だから楽しいと思う限り続ければいい。嫌になったらやめる。それだけだ。

もちろん他の部員にとってもサッカーは楽しくないものではなかった(ようだ)。彼らは楽しくリフティング技を練習していたりもした。
サッカーは遊びであることには変わりがない。遊びだから本気なのか、遊びだから適当にやるのか。

今思えば価値観の違いでしかないのだとは思う。それを理解するのは、大人でいようとしていた自分にも難しかった。まだまだ子どもだった。

何かあると良くなるかなと期待して、そして変わらない。

学年が上がるにつれて自分とそして周りの数人で変えようと試みる。

でもそんな簡単には行かない。今考えればもっとやり方はあったと思うけれど。

どんどん諦めることを覚えていった。


懸命に練習して、勝利を掴み取ること、またはそれでも敗れて涙することもない。

負けても大して悔しくない。負けることは分かってる。

勝つのはチーム1人1人の力を足し合わせた結果が相手を上回っている時だけ。チームでカバーし合うこともない。掛け算ではない。

練習で上手くならないわけではない。週5〜6回練習自体はあったのだ。その分だけボールを触っているから。でも成長曲線はまっすぐだ。傾きは限りなく小さい。なんなら逓減しているかも。(習った言葉を使ってみたかった)



サッカーが全く楽しくないわけではなかった。ゴールを決めたら嬉しいし、勝利したら嬉しいのは当たり前。でもサッカーが通常与えてくれる喜びを超えるものではなかった。



だから僕はサッカーが嫌いになった。


大智みたいに?




とはならなかった。

ここは自分にとっても最大の謎である。むしろ後から振り返るとサッカーがより好きになる、沼にハマっていくきっかけとも言えるだろう。

サッカーへの熱はサッカー観戦と読書に多く向けられるようになった。

小学校時代に比べたら忙しかったが、中高一貫校に通っていたこととそもそも勉強嫌いで勉強をしなかったことで暇な時間はたくさんあった。

ここら辺の時系列は前後する。

アルビSにいた河田篤秀選手が日本のアルビに移籍した。2017年のことだ。このようなケースは過去にほとんどなく、少し気にかけるようになった。最初は出場機会がなかったが、シーズン終盤の方では少しづつ出場するようになっていた。目の前でプレーしていた選手がJリーガーにというのもあって、新潟の試合を軽く追うようになった。といってもテレビではやっていないので、速報サイトやたまにあるNHKでの放送を見る程度だった。
その年は新潟がJ1から降格する年。この頃はまだ熱心にアルビSを応援していて、試合を基本ライブで追っていた。

そんなに熱心に新潟を応援していなかったと思うけど、2018年のホーム開幕戦に親が連れて行ってくれた。(親は特に新潟もサッカーも好きではない。)負けた。ここからJ2の苦しい時代の始まりだった。この年はアウェイ大宮戦にも行った気がする。初めてのゴール裏だ。ここから新潟の試合に行ける時は行くようになっていった。もちろんお金もなければ部活で時間もないので、新潟に行くのは年に一度ほど。関東アウェイの試合を可能な限り現地で観戦し、あとは速報とハイライトで楽しんでいた。
新潟がなんで好きになったのか正直わからないし、覚えていないのだが、後付けになるかもしれないが、クラブを取り巻く雰囲気が好きだったというのはあると思う。SNSを観ていても基本的に新潟サポーターは優しい。いい意味でほのぼのとしていたのを感じ取ったのだと思う。

新潟の話はここら辺で一旦やめておこう。永遠と思い出を書くことができる。


中2の夏にはW杯があった。これは大きかったかもしれない。
自分にとっては初めてちゃんと追いかけたW杯だった。南アフリカは多少記憶に残ってるかなくらいで、ブラジルのときは全く追えていなかった。

画面からでも伝わるW杯の高揚感は、自分をサッカーに繋ぎ止めておくどころか、サッカーへの思いを強くさせた。GS突破が難しいとされた日本がベスト16に進出し、日本が盛り上がるのをみるとサッカーの素。ベルギー戦をテストというしょうもない理由でライブ観戦しなかったことは今でも後悔している。

今となってはなぜだか覚えていないが、クロアチアを応援するようになって、その中でもラキティッチが大好きだった。決勝で敗れた時のショックは結構デカかった。
大会が終わってしばらくは虚無感のようなものに包まれていた。


ちょうどそんな時、そんなときNHKのBSで深夜にプレミアリーグの録画放送をやっていることを知った。
2018-2019プレミアリーグ第2節、チェルシーvsアーセナル、ビッグロンドンダービー。
おそらくこの試合が自分が初めてちゃんと見たプレミアリーグの試合だ。別に戦術的にどうとかいうのはなかったと思う。ただライブでもないし現地でもないけど伝わってくるなんとも言えない今までにない高揚感に心が躍った。
その時から僕はプレミアリーグファンになった。
と言っても毎週録画放送をさらに録画して見るだけだが。
シティのアウェイサウサンプトン戦のエデルソンを使ったプレス回避のシーンは衝撃を受けて何度も見返した。

そういえば中2の2年の夏から腰椎分離症(疲労骨折)で半年くらいサッカーやってない。大した練習もしていないのに怪我をした。一番ちゃんとやってた自分が怪我をした。皮肉なものだ。(体が硬かっただけではあるから自分のせいではある。)でもそれもそんなには辛くなかったと思う。昔のことで記憶がマイルドになっているのもあるだろうがこの頃はすでに、プレーだけが自分の楽しみではなかったからだと思う。ちゃんとサッカーをやることを諦めていただけかも。One Ok RockのChangeという曲をよく聞いていたが、No matter how much we might bend we will not breakって歌詞があって、僕の腰椎に想いを馳せ、いや折れてるけどなんて思いながら聞いていた。

やっと復帰するとなった試合の前日練習で削られて歩けなくなって2週間くらい復帰が遅れた。これも打撲。この頃から怪我のタイミングは悪かった。



家の近くの図書館のスポーツコーナーには自分が取り寄せたサッカーに関する本がたくさん並んだ。自分がたまに変な知識を披露するのはその時に変な本をたくさん読んだことが大いに関係していると思う。戦術の本から、スポーツビジネスの本まで色んな種類の本を読んだ。半分くらい意味も分からず読み漁っていた。footballistaを知ったのもこの頃だったと思う。ア式の記事もそのくらいにはよく出ていたので、その頃からア式の存在を知っていたのだと思う。

この頃からサッカーのピッチ外に対する関心がどんどん強まっていった。サッカーは大好きだったけれど、プレーで楽しさを享受することはできなかった。でもどうしてもサッカーからは離れられなかったから。

何がこんなに夢中にさせるのか、そもそもサッカークラブはどうして存在するのか、どうしたらサッカー界が発展するのか、色々考えていた。

サッカーをしっかりとプレーできないフラストレーションから自分を救ってくれたのもまたサッカーであった。

だからもっとサッカーを知ろうと思った。知りたいと思った。それしか残された道はなかった。

勝てば終わりじゃないらしい。

勝てば良いと思っていた。

負けたら意味がないと思っていた。

監督の意味なんてあまりないと思っていた。選手が上手ければ勝てると思っていたから。

よくわからないけどポジショナルプレーってものがあるらしい。

戦術的ピリオダイゼーション?プレー原則?

ピッチ上の結果に左右されないクラブを作らなきゃいけないらしい。

予算に占める人件費の割合は高すぎてはいけないらしい。

アメリカとヨーロッパではリーグの仕組みが違うらしい。

スポンサー企業じゃなくて今はパートナー企業?

広告価値を測定してプレゼンするらしい。

プレミアリーグとJリーグの始まった時期は一緒でも市場価値に大きな差がついてしまったらしい。

マルチクラブオーナーシップ?


こんなことを知って、もっと楽しくなった。別に深く理解をしたわけでもないし、忘れていることの方が多い。サッカーに広がる別の世界の入り口を知った。







新潟にいくハードルが高すぎたので行けない時は他の試合もよく見に行った。西が丘の近くに住んでいたから、J3の試合に大学サッカー、高校サッカー、社会人サッカー、そして女子サッカーの試合まで見に行っていた。J1なら味スタと埼スタにも何度も観に行った。


中3では夏くらいで一度部活を引退するものだったのでその通りにした。中高一貫なのに、内部進学の準備というよくわからない伝統が存在するのだ。もちろん不満だったが、どうこうなるわけでもないのは分かっていた。

先に断っておくが、プレーに向ける熱量はそこまで変わっていなかった。ただプレー以外への熱量が激増しただけだ。自分だけは上手くなろうとは思って部活に行っていたし、楽しい瞬間もそれなりにはあった。ただ過度な期待はしないようにしていた。どうせ裏切られると分かっていたから。


中3の夏からは、BS日テレでチャンピオンズリーグが毎節1試合セレクトされて録画放送されていた。またもや無料で海外サッカーをみる方法を発見した。

今でも覚えている試合はリヴァプールvsザルツブルク。南野のスーパーボレーの試合だ。信じられないスピード感で本当にただただライブのような気分で見入ってしまった。シティとかばっかりそれまでは見ていたが、実はこういうサッカーの方が好きなのかもしれないと思った試合。人生で衝撃の試合3選に入っている。

この年のCLのシティvsマドリーもよく見返していた。思い出したが、俊哉さんがア式のHPでこの試合の分析を書いていたのを読んでいた。やはりア式に入るべくして入ったのだと我ながら思う。

一応の中高一貫校ということで中3の3学期くらいからは高校の部活の方で練習することができた。環境は変わらないけど上の代には高校入学組の人も加わっていて上手い人も何人か増えていた。比較的ちゃんと練習できていたと記憶している。少し高校でのサッカー生活に期待が膨らんだ。

2020年、新潟の監督にアルベルが就任した。バルセロナの元アカデミーダイレクター。展開されるサッカーを想像すると胸が躍った。開幕戦は3-0で勝利した。ハイライトが出るのが待ち遠しかった。

そんな中コロナになった。
定期テストが吹き飛んだのは嬉しかったが、なんだかんだ長引き家にこもっていた。
全てのサッカーが止まった。

そのまま高校生になった。

Jリーグ中断期間中、試合はまだだが徐々にJクラブの練習が再開されていくにつれ、入ってくるサッカーの情報に触れるたびに、サッカーを見たくてたまらなくなっていた。Jリーグの再開直前にDAZNに加入した。加入した日付がDAZNのパスワードだ。

少しずつ学校にも登校できるようになり、部活も少しずつ解禁され始めた。やっとサッカーができると思った。
最初はサッカーができる喜びが大きかったし、あまりにもイレギュラーな形だったから練習の内容がどうとかいう話ではなかった。

でもどんどん普通の生活に戻っていくうちにまた部活は元の形に戻ってしまっていた。コロナ前に練習参加していたときは少しは期待できそうだと感じたがそれは全くの誤りだった。

また普通にサッカーをすることはできなかった。

練習の雰囲気は中学の時と変わらない。中学から高校の段階で部活をやめるやつもいたけど、それくらいだ。高校生になり多少体格がよくなり技術力も幾分か上がっているだけ。

勉強も忙しくなってくる時期ってのもあるし、スパルタ学校というのもあり、高校の方がそういう環境になるのは仕方がない。もちろん諦めはすぐについた。

ちなみに高校の時はリーグ戦を戦っていない。言うのが恥ずかしくてあまりみんなに言ってないけど。
そんな高校あんのかよって思うだろう。でもそもそもあるものだってことを知らなかった。
プレミアとかプリンスの存在は知ってたけど、レベルの低い高校には開かれてないものだと思ってたら、隣の自分らと同じくらいのレベルの高校がリーグに参加していることを知ってびっくりした。知った頃には時すでに遅しだ。(気になって調べたら今は参加しているらしい。一番下のリーグで負け続けている)

グラウンドの広さは正式な11対11なんかできるわけもなく、3年間で11vs11の正式な試合をやったのは練習試合含めても15試合くらいだと思う。

コロナのせいで部活動は週3回に制限されていた。高2の頃は、放課後の授業(希望者が取れる塾代わりの校内プログラムがあった)が英数国3科目あり、国語だけは受けようと思って練習に出ずに授業を受けていたからほぼ週2だった。

他の部活では週3の制限を破っているところもあり、それがまた腹立たしかった。練習日を増やそうとしたが、もちろん顧問に訴えても変わるはずはない。分かってはいたけど。

高2の頃は死ぬほど試合を見ることをノルマにしていた。週5試合くらい見ていたと思う。全ての試合の記録をつけていた。ただ数えただけだが。フルでみた試合は233試合あったらしい。途中で辞めたのを含めればもっとあるだろう。

内訳は、新潟の試合、J1、プレミア3試合くらいだ。週2、3回の頻度とやる気のない部活のために睡眠時間を気にする必要はなく、プレミアをライブで見ることができた。

本当にただ見るだけ。録画放送を倍速再生してる試合も週に1試合くらいあった。昼休憩のご飯中にも試合をみて試合数を消化しようと頑張っていた。

東大を目指したきっかけについても少し。

母校ではクラスは成績で分けられていて、中学の頃に少し成績がよく、上のクラスに上がる機会があり上がったのだが、上位クラスでは東大を目指せと言われるクラスだったのだ。と言っても中学の頃は東大行けという風潮はそこまで強くないのだが(だからとりあえず入ったが)、高校に入ってからはことあるたびに言われるのだ。もちろん志望校によって違うクラスに行くこともできる。

特にやりたいことも行きたい大学もなく、進振りもあるしとか考え、東大行けたらさすがに人生有利かもなんて考えていた。クラスを落として東大から逃げたみたいなのは少し癪だったので、そのまま上のクラスに居続けた。あとは姉が私立行ったから、自分は国立に行きたかったというのもある。消極的な理由を積み重ね、大きな決断を下すのが苦手なので、このまま居続けたら東大目指さなきゃ行けなくなるなんて思いながらも特にクラスを変えることもせず、そのまま高3になり正式に東大を目指すことになった。学校の洗脳が成功したとも言えるかもしれない。

ア式のことは少しは頭にあったような気がするが、正直なところ東大にいくきっかけになったかどうかはあまり覚えていない。

通常は高2の2月くらいで部活を引退するのが普通だった。けど自分を含めて4人が残って5月の総体予選まで部活を続けた。その3ヶ月は6年間の中で1番楽しかった。その期間は週4〜5くらいでサッカーをしていて、高校の中では一番サッカーをしていた時期だった。
サッカーをして、食堂でご飯を食べて、その後放課後授業に参加して21時くらいに下校する。家に着くのは22:30とか。
疲れてはいたけど、それ以上に本当に楽しかった。顧問が変わったこともあって、練習がちゃんとできるようになり、練習の強度も上がった。ようやく最後にして、サッカーを本気でやることが許された。

楽しかったと同時に後悔もした。
今までもっとできたことがあったな。なんだかんだで頭でっかちになっていたなと思う。
結局のところ頑張っていたと思っていたが、別に正しい頑張りではなかったのだろう。それをもっと早く気づくには、昔の自分は子どもすぎた。

とはいえ、2ヶ月そこらで急に上手くなるわけでもチームが強くなるわけではない。予選の1回戦はくじ運のおかげで10点くらい決めて大勝したが、次の試合で撃ち合いの末敗れた。
キックオフでDFに下げてDFが蹴ったボールがバウンドして相手GKの頭を越えて開始10秒くらいで先制したから勝てそうと思ったんだけど…。下の代にGKがいなくてFPが急造GKで、同じようにバウンドしたボールがこっちのGKの頭を越えて失点するなんてのもあった。1回地面においたボールをもう1回キャッチして関接FKを与える珍プレーも。

負けたのはもちろん悔しかったがすぐに終わりがくるのは分かっていたからか、楽しかったという気持ちの方が強かった。

引退したあとは勉強に熱中というわけでもなかった。学校にいる間しか勉強しなかった。と言っても放課後授業で平日は21時まで学校に残っていた。帰り道に電車の中で友人と問題を出し合ったり、どうでもいい話をして帰るのは楽しかった。

土曜日は半日授業なので放課後授業を含めても夜飯までには家に帰ることができた。
家では勉強できずただダラダラするだけ。

日曜日は朝10時くらいに起きていた、というよりその時間にしか起きれなかった。朝ごはんを食べて少しすると12時になり、14時キックオフが多いJリーグのスタメン発表の時間。スタメンを見てからの2時間はあっという間だ。ソワソワして落ち着かず、家中を歩き回り、10分前にDAZNを開いて、試合開始を待つ。試合が終われば疲れて何もできない。休憩したり仮眠をとったりするともう夜ご飯。試合を振り返り喜んだり悲しんだりするともう寝る時間。
こんな感じで平日をなんとか乗り切り、週末のJリーグで体を持たせていた。

夏には新潟初の声出し解禁の試合がアウェイ栃木であった。実証実験ということでゴール裏のみ声出し応援あり。チケット争奪戦を勝ち取り、東大実戦模試の2日目が終わるとすぐ駿台を飛び出して栃木に向かった。この試合も自分にとってサッカーの素晴らしさを再確認させてくれた。スタジアムにいる誰もが試合に熱狂し、声を上げて応援する。これこそが、サッカーを嫌いになれない理由だった。

どうでもいいが、これが現地観戦での初アウェイ勝利であった。ホーム初勝利もこの年の4月と、中2から見始め、観戦数は少ないものの4年間勝利がなかったのはなかなか苦しかった。
この年は新潟がJ2優勝を成し遂げた年である。昇格決定試合は土曜日だったので、学校と被って流石に親が許してくれないと思い、叫びたいのを抑えながら静かに学校で観ていた。W杯もあってリーグ戦が10月までだったこともあり、最後の2節は現地観戦することができた。

カタールW杯もサッカーの楽しさを再確認させてくれるものだった。この時期は本当に勉強に手が付かなかった。意外にもクラスのみんなは結構見ていて、それで盛り上がるのは楽しかった。かっこつけたような言葉だが、サッカーを通して人と繋がっていくのはやっぱり素晴らしい。

勉強の合間にはよく那須大亮のYouTubeのア式の動画を観ていた。この頃には、東大に入る=ア式に入るとなっていた。

週の試合観戦ノルマは高3になっても続けていて、週4試合くらいには減ったが、試合中心の生活は変わらなかった。
DAZNのプレミア配信が終わってしまったので、悩んだ挙句、City+に加入するという思い返せばよくわからないことをして、abemaの無料放送、City+、チェルシーとアーセナルのHPで見れる録画放送を頼りに試合を観ていた。
年が明けてからはさすがに週1〜2試合くらいしか見れず、勉強に集中する毎日だった。

J1で戦う新潟は、開幕戦はセレッソと戦い2-2で引き分けた。素晴らしい戦いをテレビで観て、受験頑張ろうという気になったことを覚えている。

東大受験の2日目は第2節の広島戦の日で、試験終了後に答案確認かなにかでスマホを長い時間触れず、見ることが叶わなかった。ちゃんと勝利していたので安心した。

サッカーのことばかり書いているから勉強は余裕だったのかと思われそうだが、そんなことはなく、ただサッカーと勉強を天秤にかけるとサッカーが重すぎて勉強がどっかに飛んでいってしまうだけだった。新潟の試合と結びつけて全てを考えているので、過去を思いだそうとすると新潟の試合のことを書かずにはいられない。

合格発表の日は家に居たくなかったので、外にボールを蹴りにいき、結果を確認した。全然勉強に身が入っていなかったが、それでも東大に入れなかったらサッカーをすることができないというのは分かっていて、その未来を想像すると怖かったので、受かっていたことを知って本当に安堵した。

僕が東大に受かったのは間違いなく河野玄斗のおかげだ。本試前日の夜にyoutubeを見ていたら相加相乗平均の動画がでてきた。翌日の数学で相加相乗平均の問題がでた。思わずニヤニヤしてしまった。模試では高くて20点くらいの数学が50点越えと文系国語より高い(!?)点数を叩き出した。

受かった後にはやはりア式に入ることを決めていた。まあサークルでワイワイできるキャラでは残念ながらないというのもあるけど。

東大入るかも分からなかった高校生の最初の頃はテクなんて面白そうとか思ったりもしていたけど、やっぱ部活の最後の3ヶ月が楽しかったのが大きかったのかもしれない。受験後はプレーすることしか考えていなかった。

いつzoomの新歓説明会に参加するか迷って、少しびびって、1番早い日程から1週間くらい遅れて説明会に参加した。
そのまま体験練習に参加することになり、そしてその2日目に怪我をした。

怪我をして練習には行かなくなったが、ア式に入る気持ちはもちろん変わらなかった。

テント列では下を向いて新歓ビラと勧誘を可能な限り拒み続け、サークルの新歓には一回も行かず(単に人見知りなのが大きい)、そろそろ治ったかと思い新入生チームのスタートと同時に練習に参加したが、痛過ぎて2日ほどで離脱し、108期のDL第一号となった。






ここで今回のfeelingsは終わりにする。ひたすら自分語りをして終わってしまったが、1年以上feelingsを滞納し続け、そろそろ風当たりが厳しくなってきたので、ここで一旦提出することにする。

ここからの「今」の部分が重要で、この回想をfeelingsとして出す意味があるのかはわからないが、部内の人間が多く読んでくれているので、自分の言動の根底にはこういう過去があると知ってもらえるのは悪くないのかな。

次に書くfeelingsは入ってからのことについて書こうと思う。次が卒部feelingsじゃないことを祈る。(滞納した自分のせいです。星くん、けいごくん、ごめんなさい。)

外部の人が読んでくださっているとしたら、ア式は変な奴がいて、でもみんなサッカーが大好きだということを知ってもらえたら嬉しいです。
あと新潟サポーターが入部してくれること願ってます。



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