恩送り
山田裕次郎(4年/DF/浅野高校)
「東大でサッカーができて本当に良かった。今は心の底からそう思う。」
2024年10月に大学サッカーを終えた自分がサッカーノートに書いた言葉である。
大学サッカーの最終節を迎える前日、中高のサッカー部顧問である先生が言っていたある言葉を思い出した。
「引退という言葉を簡単に使うな。引退は長年第一線で努力し続けてきた超一流のプレイヤーが勇退する時に使う言葉だ。」
自分は明日の試合で引退できるのかな、そんなことを思いながら最終節を迎えた。最終節は快勝し満足できるものであったが、自分の心は何か納得がいかないものがあった。
その時感じた。
俺は引退出来なかったのだなと。
皆さんこんにちは。
東大ア式蹴球部106期の山田裕次郎です。最後のfeelingsということで大きく3つの内容を書くことにします。1つ目は自分のア式4年間について、2つ目はそこで学んだこと、3つ目はお世話になった人への感謝です。自分の全てを書くので少しでも皆さんに伝わるものがあれば嬉しいです。
振り返ると充実した4年間だった。ありきたりかもしれないがたくさんの苦難を経験しそれを乗り越え素晴らしい日々を過ごすことができたと思う。
1年目
ほんとに東大生か?と思うくらいとんでもなく上手い同期たちとの新入生練で自信を打ち砕かれるも、現在は関東リーグで戦う強豪大学と試合をしている先輩方を見て憧れて入部を決めた。高校の3つ上の先輩の樹立さんがいたのと、高校同期の歌くんがいたのも決め手の一つだった。
当時のア式はかなりレベルが高く同期はほとんどB2(育成チームのセカンドチーム)で練習を行い、谷・北川・イシコといったごく一部の神童のみがAチームへの練習参加を許されていた。当時公式戦に出るためには同ポジションのチームメイトを最低でも5人くらい抜かす必要があっただろう。それくらい公式戦出場は難しい目標であり、だからこそ心の底から憧れるそんな舞台であった。夏以降Aチームに絡み始めるものの結局公式戦出場は叶わず、さらには全治半年の大怪我を負った。人生で初めてと言っていいほど挫折した期間だったが一方で成長を感じる充実した1年目となった。
2年目
まだ入部して間もないにも関わらず、シーズンが始まる前にサッカーを続けるか迷うこととなる。怪我を負いまともに練習できないことが分かっている+部外の活動に力を入れていたことなどが重なり、本気でサッカーを辞めてもいいなと思っていた。自分が大学生活で求めていたものとア式でのサッカー生活で得られるものの間に大きな乖離があったことが原因かもしれない。しかしなぜかサッカーは辞めなかった。本当になぜかは分からないがおそらく辞めるタイミングを逃しただけだろう。幸か不幸か2年目もサッカーを続けることになる。
2年目はほとんどを育成チームで過ごした。もちろんずっと目標である公式戦出場を目指していたが、楓さんをはじめとする素晴らしいOBコーチのおかげで面白いくらい試合に勝ち育成にいても楽しくサッカーができた。今のア式のサッカーとは異なるスタイルかもしれないが、勝てるサッカーが一番楽しい。Aチームの人たちも「今の育成の試合は見ていて面白い」という言葉を投げかけてくれた通り確かに自分たちのチームは強かったし、プレーしていてめちゃくちゃ楽しかった。自分にWBというポジションを与えてくれたのもこの年のOBコーチで、間違いなくア式人生において最も重要な一年だっただろう。完全に余談だが、シーズン終わりのコーチからの選手に対するコメントは自分の成長に不可欠なものだった。特にBGTからの「試合に絡めるチャンスは裕次郎なら絶対に来る」というメッセージはその後のサッカー人生において大きな自信となった。やっぱBGTに言われるとなんでも嬉しいものである。
あ、説明が遅れたがBGTは人である。ア式106期の同期かつ同クラでありめちゃくちゃ良いやつ。
3年目
そんなこんなで大学生活の折り返しを迎え時の流れのはやさに驚きを感じながらも、この年はほぼ迷いなくサッカーを続けることを決心した。
理由は2つ。1つ目はAチームの主軸を担っていた4年生が多く卒部を迎え、必然的にAチームの枠が空いたことでAチームに昇格できたから。そして2つ目は交換留学に学内選考の末敗北し、3年の秋から行こうと思っていた留学に行けないことが確定したからである。どちらもネガティブな要因からかもしれないがこれだけで当時の自分がア式でサッカーを続けるには十分だった。後付けにはなるがこの覚悟は本当に甘いものでこれが後の自分を苦しめることになる。
監督が自分に求めるプレーを考え、とにかく自分の長所を発揮することだけにフォーカスした。正直周りのサポートをする余裕はほぼなかったし、とにかく自分は目の前の相手にボロ勝ちすることだけ考えていた。誰がどう考えても脳筋プレーだがこれが自分の性に合っていたみたいである。夢見ていた公式戦の舞台に出場し、応援してくれていた人たちに自分の活躍の姿を見せることができて本当に嬉しかった。ア式に入って本当に良かったと感じることができていた。
ただ夏前に全治2ヶ月の怪我を負うこととなる。右足第3中足骨の疲労骨折。2ヶ月待てば復帰できるんだから大人しくリハビリしなよ、と今では言いたくなるが当時の自分には何をしているか分からなくなるリハビリ期間だった。自分にとって公式戦に出ることが目標だったからそれを達成した当時、大きなモチベーションが湧かなかったのかもしれない。結果自分がやりたいことを優先し、チームを置き去りにして渡米。本当にチームに迷惑をかけたと思うし、自分のサッカーに対する覚悟が本当に甘いものだったことを猛省している。先輩たちのサッカーにかける想いを知り、「プレイヤーとして結果を残し関東昇格に貢献すること」これだけが自分にできる最大限の償いだなと心に刻み、4年目もサッカーを続けることを決心した。また渡米を機に本気でサッカーを辞めようとしていた自分に対し、「裕次郎のような選手がア式には絶対に必要なんだよ」って言ってくれたイシコには本当に感謝しています。ポジション的にライバルになるかもしれない自分をそれでも引き留めてくれたのは誰にもできることではないと思う。本当にありがとう。イシコの想いも背負って頑張れました。
あ、イシコも人です。高校ではコイジと呼ばれることもあったみたいです。
玉川・帝京の忘れられないアウェー2連勝も経験し、サッカーの楽しさを改めて実感する3年目となった。
4年目
「関東昇格」これだけを使命に最後のア式生活が始まった。冬オフのベトナム旅行で笹森さんに突撃しDLからのシーズンスタートではあったものの焦りは不思議とほとんどなかった。桑原新監督の求めるようなプレースタイルではないだろうなと思いながらも、結局目の前の相手に圧倒的に勝利しチームに欠かせない選手になればいいと考えていたからだろう。4年目もそんな脳筋プレイヤーとしてスタートする。
ただ周知の通り最終年度はほとんど勝てない1年となった。監督のサッカーを理解しそれをプレーに落とし込むプロセスは簡単ではなく、当たり前だと思っていたものを変えるのは非常に難しい。それでも全員が同じ方向を向いて上手くボールが繋がった時はほんとに楽しかったし、それが勝利という形で結果に繋がった時はこれ以上ないほどの喜びを得ることができた。また監督のサッカーが強豪相手に通用した時はサッカーの面白さを改めて感じたし、だからこそそれを勝利という結果で示したかったと今でも思う。
本気で関東昇格を目指したのにも関わらず結果だけ見ればひどいもので、最後の年自分たちは何も成し遂げることができなかった。中々勝てなくて当然苦しい時間も多かったがそれでもこの1年はサッカーをより深く理解できて本当に楽しかった。特に忙しい中毎試合フィードバックしてくれた健吾には感謝しかないし、健吾のおかげで監督が求める姿に少しは近づけました。本当にありがとう。
簡単に4年間を振り返るとこのような感じだが転機となる出来事はまだまだ数えきれないほどある。それだけ自分はサッカーに心を動かされ、感情が支配されていたのかもしれない。
ここでア式生活を通して大切だと学んだことについてせっかくなのでまとめておく。今の生活に意義を見出せない誰かの役に立てるかもしれない。
要点をまとめると以下の4つ。ちなみに1つ目が最も大切。
1. 能動的に選択する
これが全て。大学生活の全てとも言えるかもしれない。まずは自分がなぜア式に在籍しているかをよく考えてみてほしい。サッカーが大好きだから、サッカーで出会う仲間が好きだから、公式戦に出てみたいから。理由に優劣は無いしなんでもいい。ただ何かしら自分が胸を張って言えるような、本心で考えていることをしっかりと持っていることが大切。ア式を辞めたら暇だから、サッカー以外にやったことがないからなどネガティブとも言える要因でア式に在籍しているとしたら多分それは別の道を選ぶことを考えても良いと思う。何も考えずにとりあえずア式にいることは極端に言えば何もしていないのと同じ。もっと君にはできることがあるし、もっと輝ける場所が本当にあるからそれを探す方がいいかもしれない。自分が何をしたいか、どんな大学生活、さらにはどんな人生にしたいかをしっかりと考えた上で、それを実現するためにア式で活動してほしい。feelingsでこのようなことを書くと退部者を増やしたいと思われるかもしれないが、誤解を恐れず言えばア式での活動の他に価値のあることは山ほどあるからもっと視野を広く持って見てほしい。その上でア式で活動したい、そう思うことができれば素晴らしいことである。
だから自分は1年ごとにサッカーを続けるか決めていたし、4年間続けることを美化するつもりは一切ない。もっと自分がやりたいこと、大切だと思うことができたらその道を選ぶことは誇りに思っていいことだし何も悪いことではない。ア式にそれを容認する文化ができれば全員が過ごしやすく輝ける組織になるのではと思っている。
2. エネルギーを外に向ける
前回のfeelingsでも書いたことだが、ア式は非常に似通ったバックグラウンドや生活環境で育った人たちが集まる組織。東京大学を見ても実にその傾向は見られるのだからア式がそうであるのは何も驚きではないし仕方がないことであると思う。だからこそ自分から環境を変えないと。いわゆるcomfortable zoneにいるうちはあらゆる面で自分はほぼ成長できなかった。ア式という環境は本当に過ごしやすいし、その環境に甘んじていては勿体無いから思い切って自分のエネルギーを少しでいいから外部の環境に向けて見てほしい。もちろんそこには多くのエネルギーが必要となるから不快だと感じるかもしれない。ただその経験が必ずサッカー面においても成長に繋がるから思い切ってやってみよう。
またエネルギーは循環するものと思っており、自分が外に放出した分しか外から自分に流入することはないと考えている。つまり自分から能動的に外部にエネルギーを放出することが非常に大切なのである。ここでも1つ目の「能動的に」という要素が絡むのであり、結局自分が何を大切にしてどうしたいかが肝になってくる。今のままでいいと思うならそれを能動的に選択すればいいと思うし、それは個人の自由である。ただ自分の見解だともっとア式は外部にエネルギーを向けた方が良くて、それをするのは組織全体というよりも結局在籍する個人なのでみんなが一人一人意識して見てほしい。信じられないかもしれないけど結果的にサッカー面での成長にも繋がるから騙されたと思ってトライしてみてほしい。
3. 今に対して常に全力で
自分がした選択を後悔したり、あの時こうしておけば良かったと思ったりしても現状は何も変わらない。当たり前のことだが未来を変えられるのは過去の自分でも未来の自分でもなく今の自分に他ならない。だから自分が選択した今やっていることに全力で取り組んでみてほしい。どの選択をとっても基本的に後悔はつきものだし必ずしも自分の思っていた通りに行くことはないと思う。あの時別の選択をしておけば良かったとか、ア式に入らなければ良かったとか多分それぞれが思うことあるかもしれない。だけど何かしらの理由を持って自分がその選択を能動的に行ったのであればそれに対して全力で取り組んでみるのが大切。今自分が取り組んでいることに自信を持ってそれに対して全力で取り組めばきっと結果はついてくるから。
4. 過信はしないが自信は持つ
昨シーズン自分のミスでチームの勝利を逃したり敗北に繋がってしまったりしてしまうことが何度かあった。試合中に切り替えて必ずプレーで取り返そうと思っても中々冷静にプレーできず同じミスを繰り返してしまった。振り返ってみて思うのは自分の力を過信していたなと。試合中のプレーは普段の練習、さらには生活の積み重ねが現れる。だからこそ普段は出来るだけ謙虚に自分のことは過信することなく様々なミスを想定する。その上でその積み重ねに対して自信を持って試合に臨む。これが最も試合で力を発揮するために必要なことだなと4年間通して学ぶことができた。昨シーズンあまり上手くいかなかった時期はこれが実践できていなかったと振り返っている。
常に謙虚で過信することはないが、特大の自信を持っている人間。自分が生きる上で意識していることであり、同時に自分のありたい姿・目標である。みんなも生活の中で意識してみてほしい。
最後にこの場を借りて大学生活4年間でお世話になった方々への感謝を述べたいと思います。
まずは106期の同期へ。
4年間本当にありがとう。ありきたりかもしれないけどみんなのおかげで4年間頑張れました。それぞれがそれぞれの立場でチームを支え、途中でチームを離れることを決意した人含め全員が素敵な人柄を持つ魅力的な人たちでした。心の底からみんなが同期で良かったなと思います。4月からは新たな環境で過ごす人が多いと思うけどまたそれぞれが成長した姿で会えれば嬉しいです。何度もア式をやめようと思ったけどその度に立ち止まれた理由は間違いなく同期の存在だったし、みんなが試合で活躍していたりゴール決めたりするのを見るのが大好きでした。今でも俺らの代で関東昇格したかったなと思うし本気でそれが達成できる学年だったと思う。この悔しさはこれからの生活で晴らそう。これからも末長くよろしくお願いします。
先輩方へ。
先輩方は自分がア式でサッカーすることを決めた要因でもあります。勉強はもちろんのこと、サッカーも高いレベルでプレーし強豪校相手に奮闘する姿は本当にカッコよく、いつか自分もこうなりたいと本気で思える存在ばかりでした。特に高校の直属の先輩方には東大フェスを通してずっと憧れていました。3つ上の樹立さんをはじめ、赤木さんミツナガさんの存在も実は刺激になっていました。今浅野高校の血筋が途絶えかけているのは単に自分と歌の責任だと思ってます。歌あとはよろしく。一橋でサッカーを続けた北河先輩の存在も大きくて、公式戦の舞台で一回でいいから対戦することを密かに目標にしていたので実現できなかったのは改めて悔しいです。またご飯行きたいです。じゃんけんしましょう。
またア式の1個上の先輩方には特に多大な迷惑をかけました。怪我を理由にして自分のやりたいことを一方的に優先してしまったこと、本当に反省しています。そんな自分に対して最後まで見捨てずに向き合ってくれて感謝しかないです。
ア式でサッカーを続ける後輩たちへ。
サッカーをしている時は自分のことを先輩だと思ってプレーする後輩がいないこと、が自分にとって実は大切なミッションの一つでした。というのもサッカーは萎縮してしまうとその時点で発揮できる能力が大幅に減ると思っていて、自信が非常に大切なスポーツ。だから後輩には萎縮せずプレーしてもらえるように接していました。ほんとに生意気な後輩しかいないけど、サッカーのことが大好きで上手くなるために必死に努力できるみんなのことを本当に尊敬しています。
1個下は最終学年大変かもしれないけどみんなで支え合ってほしい。荒はあんまり抱えすぎるなよ。けどお前なら多分何とかすると思うし心配はしてない、怪我だけ気をつけて。旭と岡部は色んな面で吉本先輩みたいにはならないこと。イエローカードに気をつけて。
2個下はじんが何とかしてくれ。長田はまたダンス公演観に行くから頑張って。3個下は上手い選手多いと思うけど自分の力を過信しないこと。東京1部さらには関東でやるにはまだまだ足りないから基準を高く保ってチームを引っ張っていってほしい。荒を頼む。
みんながいつか関東昇格を達成することを期待しています。今しかない経験を全力で楽しんでください。また応援行きます。
afsのみんなへ。
あまりイベントに入ることはできなかったけどここで出会った仲間のことが大好きです。自分にはないものをたくさん持っていて本当に尊敬できる人ばかりでした。自分からはあまり与えることができなかったけど、みんなからは多くのものをもらいました。あまり多くの時間をafsで過ごすことはできなかったのが後悔だけど、みんなの活動は価値あるものだし心の底から応援しています。このご縁を大切にしてまたたくさんみんなと会えれば嬉しいです。
スタバのみんなへ。
恥ずかしいのであまり多くは語りません。けどみんなが自分のサッカーを応援してくれることは伝わっていたし、お酒もなかなか飲めなくて申し訳なかったけどそれでも付き合ってくれて嬉しかったです。応援来てくれたのにア式部員からヤンキーと言われてしまう人もいれば、ア式のインスタ投稿に変なコメント毎回しちゃう人もいる楽しい店舗でした。たくさんの思い出をありがとう。絶対にこのfeelingsを見ているとは思えないけど、ほぼ出勤しない自分に対してそれでも自分のサッカーを応援してくれていた店長には本当に感謝しています。週3朝出勤で入ったのに気がついたら週1夜出勤になっていましたね。時給上げてくれると嬉しいです。
最後に両親へ。
だらしない自分を長年サポートしてくれて本当にありがとう。普段伝えることはほぼないのでこの場を借りて感謝を伝えます。
父は自分が小学3年生でサッカーを始めた時からほぼ毎試合観に来てくれて、仕事の疲れも一切見せずにたくさん自分の応援をしてくれました。今思うと小学生の時から大学生までずっと観に来てくれるのは簡単じゃないし、大きな愛を感じます。毎試合ちょっとフィードバックしてくるから試合観られるのめちゃ嫌だったけど、大学生になってからは目の前で良いプレーを見せることが自分がサッカーを続ける理由の一つになっていました。
母は自分が努力して取り組んでいることに対しては一切否定しない人でサッカーと勉強に関してはほとんど肯定してくれたように思います。東大は家から相当遠いはずなのに毎試合観に来てくれて、試合中に目の前通った時の「裕次郎頑張れ!」の声、実は意外と聞こえていて毎回嬉しかったです。その後の5分間頑張って走る理由の一つになっていました。
冗談は置いといて両親に自分のサッカーを見せることがア式に在籍した一番大きな理由です。ここまで自分のプレーを楽しみにしてくれて応援してくれる人はいないと思ってます。改めて本当にありがとう。ここまで与えてくれた恩と多額の借金を返せるように4月から社会人頑張ります。
いつか引退できる日を目指してこれからも自分のサッカー人生は続く。
大学サッカーありがとう。
東大ア式蹴球部106期 山田裕次郎
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