世界は美しいよ、僕がそれを諦めないから

生田健祐(4年/テクニカル/時習館高校)


僕が今よりもっと年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつの忠告を与えてくれた。

その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。

「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。


「世間のすべての人が、恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」




他人を批判し、その甘さを軽蔑する事ほど容易な業は無い。

そうして人は、案外、甘さの中に生きている。

他人の甘さを嘲笑しながら、自分の甘さを美徳のように考えたがる。




4年間、自分の甘さとは嫌というほど向き合ってきたつもりだった。

でも、ア式の皆んなの直向きさと誠実さを間近で目の当たりにする度、自分の程度の低さを痛感し、引け目を感じていた。




人は僕のことを賑やかな人とか愛想のいい人とかいい加減な人とか言うが、それは僕が周囲との円滑な関係性を維持するために自身の抽象的な性格を定義し、その自己認識に沿って振る舞い、そうでない部分をひたすらに隠すことで虚構の自己イメージを作り上げているからであり、振り返れば、憂鬱で恥の多い生涯を送ってきた。



特にア式に所属した4年間のその全ての瞬間を誇りに思うことは正直難しい。


激しく自己嫌悪に陥った時期もある。

昨シーズン、真路にフィードバックを求められて、それを駿平に頼んだ時はその最たる例だ。

なかなか勝てず、チームとしても難しい時期が続く中で、頼ってくれた真路の期待に応えられなかった。

主将のフィードバックを担当する責任を、自分が負ってはいけないと思った。

思うことはあったが、真路の成長を想っても、チームの勝利を想っても、どう考えたって駿平に担当してもらうべきだった。


今でもその判断は正しかったと思う。

でもこうした判断をせざるを得ない状況を招いたのも自分だ。

過程が違えば、結果が変わり、異なる判断を正解にすることもできただろう。



大学生活を捧げる覚悟で奮闘する同期をいつも間近で見ていた。


悩んで、踠いて、苦しむ姿も間近で見ていた。

何にもできない自分がただただ情けなかった。不甲斐なかった。




既にお分かりだと思うが、ア式について書くということは、僕の無力さを露呈することに繋がる。

臭いものに蓋をし続けてきた僕にとって、パンドラの箱を開けることと同義だ。



果たして自分は「卒部」できたのか。この文章を残すべきなのか。

自分の言葉でこの組織のことを語るには申し訳なさが勝ってしまう。

ア式のために捧げることを、犠牲になることを避け続けた自分の言葉には一切の重みがない。

残留を決めた上智戦、感激の涙を流す同期を横目に、悔し涙を流した。

あの時、自分は確かにあの場所にいて、あの景色を見た。

しかしあの瞬間、自分が本体として生きている実感が持てなかった。

自分がただの影のように思えた。

ただただ自分を形どおりになぞって、巧妙に自分のふりをして生きているような、落ち着かない気持ちになった。

あぁ、この組織に自分は必要ないのか。そう感じた。








思い返せば、1年の冬、度々声をかけてくれていた真路の誘いもあり、同期に遅れて入部した。

プロクラブに負けず劣らずの先進的な取り組みと世界基準の環境にも惹かれたが、決め手は部の雰囲気だった。

同期と初めて顔を合わせたのは、なぜか参加してしまった煙山宅(拓)でのア式106期の忘年会だった。

僕には忘年することはなかったけど、同期はみんな忘年することがたくさんありそうだった。

Good natured personばかりですごく魅力的な集団だと思った。

迷わず入部を決めた。





当然のことだが、テクニカルとしての分析能力は、桁違いに劣っていた。



2年次、同期に追いつこうとそれなりに努力した。

しかしその頑張りはどこまで行っても「それなりに」だったし、
日々指数関数的に成長していく高口らに対して、あまりに線形的なものだった。

人並み以下の初期値を持つ人間が、人並み以下の努力をした結果は、火を見るより明らかだった。

至極当然のことだ。

成功が努力より先に来るのは辞書の中だけである。





3年になると、自分を取り囲む環境が目まぐるしく変わった。

ア式に向き合って、遅れを取り戻せるような状況ではなくなってしまった。



特に10月は苦しい時期だった。





因果関係は定かではないが、父が癌になり、母の心臓の病が悪化し、僕は個人的な問題を抱え、しばらく故郷に引きこもり、交友関係を絶った。眠れない夜が続いた。




そんな絶望に沈み込んだ夜、ふいに僕は奇妙な気分になった。

真夜中の世界に宙づりにされるような感覚に襲われたのだ。

こんなにも夜が深く、広く感じられたのは初めてのことだった。

今こうして自分が夜をさまよっているとき、どんなに遠い街も同じ夜の闇に包まれて、膨大な数の人々がそれぞれの夢を結んでいる。

この永遠の夜こそが世界の本当の姿なんじゃないだろうかと思った。





こんな夜だからか、久しぶりに生きることの意味を問うてしまった。



幼少期の僕は、事あるごとに死後の世界について尋ね、母親を困らせたらしい。

サンタクロースをいつまで信じていたかなんて、たわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいい話だが、それでも僕がいつまでサンタなどという偶像を信じていたかと言うと、これは確信をもって言えるが最初から信じてなどいなかった。


それでも、死後の世界は疑い深くずる賢い少年を惹きつけた。


生物は本質的に死を恐れるものである。とか、親から与えられた生命はかけがえのないものである。とか、そういう話を聞くたびに、僕は自分の命が遺伝子によって書き込まれた呪詛のように思えてならなかった。

原初の地球の海で何らかの偶然で生まれた最初の生命が、生存したいという欲求をどんどん肥大化させて、そのための分子機構をみるみる複雑化させ、人間という巨大な塊を作り上げてしまった。

もはや、何かの罰としか思えない。

そんな人間の生命には価値はないかもしれない。

僕らは常に、何か人間の生命以上に価値のあるものが存在するかのように行為しているが、そうであるならばそれは何なのだろうか。

生命とは単に性交渉によって感染する致死性の病に過ぎないのかもしれない。

そもそも、考えるだけ意味のないことかもしれない。

自分ではどうにもできないのだから。

ただ一つ言えることは、どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできない。

どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。

僕たちはその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ。







どうにも背中が痒いと思ったら、夜が少しばかり食い込んでいた。







結局、人生なんてものについて考えても苦しいだけだ。



だから自分で好きな手のひらを選び、その上で本気で踊れば良いのだと思う。

あくまで自分は自分だと言い聞かせる。



コジコジだよ コジコジは生まれた時からずーっと 将来もコジコジはコジコジだよ



そう思うのが良いのだろう。





ともかく、変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、

そしてその違いを見分ける知恵を持たなければならないと学んだ。








時を経ても、事態はあまり好転しなかった。



経済的問題もあり、弁護士になる道は絶たれ、民間就職をしなければならなかったし、進路の変更に伴い学科を移動したことで、卒業の危機にも陥った。

それでも、僕を信じ、支えてくれる大切な仲間に助けられた。

ア式の皆をはじめとして法学部の同期やサークルの仲間、高校同期にも勇気づけられた。

弱りきった僕にたくさんの笑顔を与えてくれてありがとう。

本当に感謝しています。このご恩はいつの日か必ず返します。









苦しむことには必ず意味がある。

太陽がいつも朝を連れてくるように、それはきっと確かなことだと感じた。










晩秋を迎え、家々が冬支度を始める季節に、ア式に復帰した。

しかし現実には、復帰したところで自分の能力が劇的に改善されたわけでもなかった。

恥ずかしい話だが、3年にもなって、僕は自分の分析に自信がなかった。


間違った理解で、大好きなチームに取り返しのつかないマイナスを与えてしまうことが怖かった。



そもそもサッカーというこれほど複雑な事象を、構造的に整理して言語化できるなどとも思わなかった。
理解なんてものは常に誤解の総体に過ぎないんじゃないかと冷めた態度を示すこともあった。

そんなこんなで燻るうちに、スカウティングに費やす労力と、ア式の勝利への貢献度があまりに見合っていないと感じるようになった。


その場限りの対症療法で、なおかつ治療効果もそれほど見込めない薬を処方し続ける。

ヤブ医者のように感じた。

根本療法で劇薬をも使いこなす名医になりたかった。









本当は分かりきっていた。

これらは全て弱い自分を正当化するための言い訳に過ぎないということを。

結局、僕は自分自身が傷つくことが怖かった。
費やした時間を、示した覚悟を、裏切られることが怖かった。

だから責任から逃げ続け、気楽な傍観者の立場に甘んじた。


傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりも辛いものだと、もっと早く気づくべきだった。





いつ頃からだろうか、辞めようと思っていた。
辞めたいとは思わなかったが、辞めるべきだと思っていた。





それでも、結局居座ってしまった。








どこにもいけないものがあると思う。



さびついたブランコ、もういない犬の首輪、引き出しの奥の表彰状、博物館に飾られた骨格標本、懐かしい夜空、臆病者の恋心。


僕にとってア式はまさにそのようなものだった。




入部してすぐ、自分でも薄々気づいていた。

サッカーが好きというよりも、ア式が好きなのだと。

自分が能力面でクラブに貢献できることはそれほど多くないのだろうと。



それでも、辞める覚悟は持てなかった。






それはア式が大好きだったからだ。






愛するものを失う哀しみを知っていたからだ。






一度、愛されてしまえば、 愛してしまえば、 もう忘れることなんてできないのだ。

ここまで尊敬の念を感じたのは初めてだった。

特に同期へのリスペクトは尽きない。

多少不器用で内向きなところもあると思うが、純朴な心を持った素敵な集団だと思う。

だからこそ人に好く見せようと演じ着飾る虚構の塊は、引け目を感じてしまった。









僕は大学4年間で何を学び、何を与えられたのか。

人に与えてもらうばかりではなかったか。



今だからこそ思う、後悔の念を、忘れぬうちに書き記しておきたいと思う。






人間は、中途半端に変わることはできない。

完全なる革命か、さもなくば無か。どちらかである。

やる気がない者にかまってやるのは義務教育まで。意志なき者は去る他ない。

愛する人やモノに貢献したいならまず覚悟を見せなければいけないし、

その1番簡単な方法は時間を捧げることだ。

捧げた時間が無駄にならないか、役に立つかどうかなんて後から誰かがいうことであって、まずは行動すべきだった。

行動しなければ、何かを変えようと踠かなければ何も変わらない。

同じ毎日を繰り返し、違う人生を期待するのはただの狂気であるし、損得勘定だけで動いては侘しくなってしまう。





そしてスカウティングは、主語を大きくすればスタッフは、チームの勝利に対する関わり方として決して限定的なものではない。

高口のようにテクニカルを経て、更なる関わり方を多角的に模索し、「サッカーを食べて生きていく」という人もいれば、

駿平のようにテクニカルの任を全うし続け、いつしか「私の考える最高の戦術」を編み出し、分析の範疇を超えその為人で選手に信頼・安心をもたらす人もいる。

二人とも最初からそうなることを頭の中で描いていたわけではないと思う。

点と点のつながりは予測できない。

後から振り返って、繋がっていたと気づくのだ。

だから、どこかに繋がると信じて歩まなけばならない。





また、戦術分析というものは、決して机上の空論などではない。
複雑系たるサッカーを構造的に分解して理解しようとする試みは、それ自体に尊い価値があると思う。

仮に100%正しい理論ではなかったとしても、プレイヤーの試合中の意思決定に多少なりとも役立てば、その効果は絶大であり、分析という大胆な試みも肯定され得るのだ。


もっと大風呂敷を広げれば、サッカーに限らず、理論を構築したり言語化したりすることには強靭な体力と勇気が必要とされると思う。

言い換えれば、表現することとは原理的にひとつの愚かさを引き受けるという選択だと考える。

その表現から抜け落ちた、想定し得る全ての選択肢を放棄することで、今目の前に表現しているのだから。


そしてそれは悪いことではない。

「愚かさを引き受ける」とは「生きる」ことと同義である。

逆に、「賢明さ」とは、突き詰めれば何も表現しないことであり、たとえ何か表現してもそれを突き放してみることだ。


世界から自分を隔絶することはいかにも賢くみえる。

たしかにそうした態度が最も賢明な生き方であることは自明だ。


しかし、究極的に考えれば、生きることはそもそも賢明ではないかもしれない。


そういう意味で「最善のことは生まれなかったこと、生まれてしまったら今すぐ死ぬこと」というギリシャ人的ペシミズムは、ある種の真理なのかもしれない。

そんな真理らしいものが常に目の前にあったのに結局選ばなかったのは、表現することで僅かにでも自分をこの世界に結びつけておくこと、賢明さに背を向けてひとつの愚かさを選択することの方が、そうしないよりは少しだけ善いことであると感じてきたからだ。

その判断の根拠は思考ではなく感情である。
つまりaestheticな判断である。

けれども、世の中を眺めれば、人々は愚かさを避け、ひたすら賢明さだけを追求しているように思える。

賢明さを突き詰めた先には死が待ち構えているのに、あるいは賢明さを最高の価値とした瞬間に潜在的にはすでに死んでいるのに、そのことに気づいていないように見える。

言い換えれば、感情の力を軽んじ、美学を持たないことが、一つの大きな問題なのかもしれない。

某国の指導者のように、感情的に発する暴言を恥じない人々、自らの愚かさを露呈して恥じない政治的指導者たちが跋扈するのは、こうした世界では当然のことだ。

彼らは自らの「愚かさ」が人々の「賢明さ」よりもはるかに優れていることを知っている。

なぜなら愚かさを恣にする指導者たちは、多くの人々の「賢明さ」とは一皮むけば自己欺瞞的な愚かさにすぎないことを見抜いているからである。










話が逸れてしまった。






月並みな意見かもしれないが、僕らの暮らしている世界のありようは往々にして、見方ひとつでがらりと転換してしまう。

光線の受け方ひとつで陰が陽となり、陽が陰となる。正が負となり、負が正となる。

どんなに暗くて厚い雲も、その裏側は銀色に輝いている。

そういう作用が世界の成り立ちのひとつの本質なのか、あるいはただの視覚的錯覚なのか、それは僕には分からないが、表現することだってきっとそのようなものなのだろう。


そういうものだと割り切って、自らの思考を表現することに価値があるのだ。


サッカーを分析するという試みは、たとえどのような切り口であったとしても、その試み自体にある種の価値があるのだと信じたい。






ア式について見れば、僕は最後まで表現者になることはできなかった。

一切を与えることができず、学ぶことばかりだった。

本場スペインのサッカーに触れるべくバルセロナからマドリードへ向かう列車の中で、長閑な田園風景を眺めながら、ふとそのようなことを考えた。

この旅行の中で、一体どれだけ自分が無力な人間か思い知らされたことだろう。


「お前ってなんのためにア式に居るん?」


島や章、高口の厳しく、愛のない指摘の度に僕は何も言い返せなかった。

イヤな奴らだと思った。

もっと観光を楽しめよ、と思った。





でも、心底有難いとも思った。





好きだから居る。



本当はそう答えたかった。でもその生き様によって覚悟を示し続けてきたミスターア式の御三方の前でそんなことを言えるわけもなかった。












言い訳や御託ばかり並べていても仕方がない。

次の世界が眼前に迫っている。

どこかで区切りをつけて前を向かなければならない。

逃げた事実に向き合い、誠実に反省する。
そして逃げた事を卑下しないでそれをプラスに変えてこそ、逃げた甲斐があるものだと信じるしかない。

過去・現在・未来へと時間が流れていくのは確かだが、過去はあくまで記憶に残っているものに過ぎず、実在しているものではない。

ともすれば過去の価値は、これから僕がどのように生きるかによって新しく塗り替えられることになる。と信じる。

「これから」が「これまで」を決めるのだ。

だから前へ前へと進み続けるしかない。

流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。







実際、ア式で過ごした時間はどの瞬間を切り取っても僕にとって深い意味のあるものだった。

大学生活なんてものはモラトリアムなのだから、どのように過ごしたって構わないと思う。

どれだけ惰眠を貪っても良いし、社会のために自らの正義を貫くのも良いだろう。

牡丹と菖蒲のどちらが美しいかは、決めつけるものではない。






ただ、平凡な風景が、突然意味のある何かに変わる。
陳腐でつまらない景色が、美しく光り輝く真珠になる。

そのきっかけがア式にはあると思う。

ここには夢を諦めた悲しき大人はいない。

青春を全て懸けるに値する環境が整っていると思う。











最後に感謝を伝えさせてください。恥ずかしいので少しだけ。



106期へ
こんな僕を受け入れてくれてありがとう。
テクニカルなのに、選手に心配かけたり、気を遣わせてばかりで申し訳ない。
迷惑をたくさんかけたし、厄介ごともたくさん持ち込んだのに、肝心な時には全く役に立たなくてすみませんでした。
伝わっていたかは分からないけれど、皆のことをとてもリスペクトしていました。
関東昇格という一つの夢。そこに向かって全力で突き進む姿にいつも刺激を受けていました。

みんなのもつ、夢を追う力は、才能だと思う。

夢を追うことができるのは、無条件に正しさを信じることができる者だけに許された特権です。
疑いなく、正しさを信じること。
その正しさを自分に強いること。
数々の制約を乗り越え、犠牲を払い、覚悟をもって挑み続けた皆のことをとても尊敬しています。
一緒に部室で過ごした時間も、たくさん旅行に行ったことも全て一生の思い出です。
出会えてよかった。そして、とにかく楽しかった。106期に入れたことが僕の誇りです。



亮へ
休部した後、自分の力で困難を解決して復帰してきた時、凄いやつだと素直に思った。
ああだこうだと文句ばっか言いながらも結局最後までやり切る点、尊敬しています。
一緒に法学部を卒業できて、本当に良かった。お疲れ様。



駿平へ
テク長お疲れ様。
謝りたいことが本当にたくさんあります。
ただでさえ同期の純正テクがどんどん減っていく中で、全く力になれなくて、多くの責任を押し付けてしまった。
言いたいことはたくさんあったと思う。信頼される関係性を築けなくてごめん。
最後まで頼ってばかり、迷惑かけてばかりで申し訳ないです。
この借りは少しずつどこかで返していきたいと思っています。
本当にありがとう。



希一へ
はじめはミステリアスなやつだと思い、その印象は今もさほど変わりません。
でも、部室前とかでばったり会った時の、希一の何気ない一言で精神的に救われることが多々ありました。
そして、きっとそれは僕だけじゃない。たくさんの人を救ってきたのだと思う。
就活の時にも、駿平と共にたくさん手を差し伸べてくれてありがとう。
主務に限らず部内外で尽力してて、キャパることも多いだろうに、本当に人格者だと思います。
たくさんお世話になりました。ありがとう。



エノケンへ
一緒に江戸川橋に住めてよかった。
エノケンが僕を他のア式部員と繋げてくれたと思ってます。
難しい時期が多くて、怪我で悩むこと、しんどいことが多かったと思う。
それでもやり抜いて、育成チームを盛り上げて。
どんな時も、エノケンの周りではたくさんの人が笑顔になってた。とても尊敬しています。
苦しい時期とか銭湯連れてってくれてありがとう。また行こう。





章・高口・島へ
普段部室にいる時にする何気ない話が実は結構心の支えになっていました。
3人ともそんな気持ちは毛頭ないだろうけど。

ただ、旅行中は正直一緒にいて結構しんどかったです。
ア式に対して、僕は確かに無力な人間だったと思うけれど、あんなに誹謗中傷されるとは思いませんでした。
初日のバルセロナの宿で、うわこいつらと来たのミスったかも、って思って、ローマの時なんかは本当に地獄だった。

だから、高口が電車の乗り換えもホテルの予約も何にも一人でできないのをみて、ニヤニヤしてたし、島がローマに向かう飛行機の中でリバースした時は、天罰ちゃう?ほんとにパイロット?とも一瞬思ってしまったし、章がマドリードのカジノでタコ負けした夜のアルゼンチンステーキは極上の味だった。

でも、ロンドンに一人残り、寂れた公園でシエスタしてる時に、やっぱり3人の言う通りだと思った。

本当は自分でも気づいていたし、はっきり突きつけられることで、むしろ救われていたんだと思います。



僕の夢と理想と目標に、僕の覚悟と犠牲と努力は、果たして値するのだろうか。


振り返る大きなきっかけを与えてくれてありがとう。




まっしーへ
真路が居たからア式に入ったし、真路が居たからなんとか続けられました。
2年前、同クラの令雄さんと俊哉さんが今後の部の方向性を巡って争っていた時に、真路は俺らもあぁなっちゃうのかな、と言ったのを覚えてるかな。
蓋を開けてみれば、真路はア式を体現する直向きで誠実な努力で立派に主将を務め上げた。
でも、僕は俊哉さんみたいな圧倒的な能力と個性的な人柄で部の内外から信頼されるスタッフにはなれなかった。
杞憂だったね。大事な時、力になれなくてほんとごめん。

あまり詳しくは書かないけど、しんどい時期にも支えてくれてありがとう。
かけた迷惑とつくった借りは絶対に忘れません。
本当にありがとうございました。これからも仲良くしてね。





友人たちへ
個別に名前を出すことはしませんが、法学部の同期、サークルやゼミの仲間、高校時代の親友などア式内外で本当に多くの人に支えられ、助けられた大学生活でした。
僕は皆さんと出会えて本当に良かったと思っています。
出逢えた縁を大切にできる人、未来に期待できる人でありたいと常々思います。
社会人になっても仲良くしてください。
本当にお世話になりました。ありがとう。





両親へ

せっかくなのでこの場を借りて伝えたい思いがあります。

22年間、深い愛情の中で何一つ不自由なく育てていただきました。
小さい頃からわがままで、迷惑と心配ばかりかけてしまったと思っています。
傷つけてしまったこともたくさんあったと思います。
今が成長できているかは正直分からないけれど、いつの日か二人が僕を自慢の息子だと思える日が来るまで、僕は頑張ります。
返し切れるか分からないほどの借りを作ってしまったけれども、今後の人生で少しずつ恩返しできたらいいなと思います。

僕は二人のもとに産まれることができて本当に良かったと思っています。

お父さん、お母さん、ありがとう。









今まで関わってくださった全ての皆様に心より感謝申し上げます。










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ア式に出逢えて、よかった。













伸ばした小指のつめはきっと、春のさきっぽにもうすぐ届く、と信じて。








東大ア式蹴球部106期  生田 健祐






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参考


僕の人生に多大なる影響を与えてくださった数々の素敵な作品と多くの方の生き様より


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