反芻
髙木勇仁(3年/MF/広島学院高校)
やぎの保定は命懸けである。
まずやぎの右側に立つ。肝臓が右側に位置し、長時間右側を下にすると体調が優れなくなるからだ。つづいて左側の前足、後ろ足を抱えるようにして、柔道家のように華麗にひっくり返す。ここでやぎの切実な叫び!!どうやら本当にめぇ〜と鳴くらしい。あまりの声量に大声だけが取り柄の私も思わず怯んだ。そして反対側に素早く回り込み、脇でヘッドロック!! 角が自分の腹部に刺さらないように要注意である。
ヤギ小屋の主は、ヤギには一切目を向けず、学生一人ひとりを丁寧に見渡しながら、実にあっさりとやってのけた。これが職人技というやつか。負けてられない。
いざ実践。意外とすんなりできた。元来、ラットの保定も得意で動物の扱いが案外上手いようである。学科内で「ほてマス(保定マスター)」と囁かれているだけある。
ちなみに山羊と書いてやぎと読む。小屋に向かう道中にやまひつじと読みあげ、獣医を志す皆から嘲笑され肩身が狭かった。横にいた学科同期が
え、さんようじゃないの!
とぼそっと呟いたのが唯一の救いだった。音読みは流石にないだろ。嘲笑した。
ここは、上野駅から常磐線でおよそ2時間半、茨城県笠間市にひっそりと佇む、東京大学附属牧場。周囲を取り囲むのは、どこまでも続く田畑と無機質な工場群。ここが関東だとは到底信じがたい、時間の流れが緩やかに歪んだようなのどかな土地だ。
ノウガクブ獣医学科の三年生たちは、毎年六月の終わりにこの牧場へ送り込まれ、家畜の生態や管理技術を、机上ではなく、生きた家畜とのやり取りを通じて叩き込まれる。獣医学科に身を置く自分も、その例外ではなかった。
一時欠席を試みたものの、休みたい旨をメールで伝えた同期が留年をお勧めされたらく、やむを得ず断念した。
留年といえば、追試の申し込みを忘れて留年したあほんだらがいるとの噂は、この牧場にまで駆け巡っている!お前ってやつは本当に最高だ!今度唐揚げ定食でもご馳走してあげよう!
今は牧場実習三日目の夜。実習を言い訳に執筆から逃げていたが、逆にいいものが書けるのではという発想の転換を佳吾にしてもらい、筆をすすめてみている。
宿舎一階の共同スペースでは学科同期がお酒を嗜みながらカードゲームをしたり、恋の話に花を開かせたりと大盛り上がりである。が、いつもの癖で無意識にSlackを開くたびに気が滅入る。
やはりサッカーからは逃れられない。大場の言葉を借りれば、もはや呪いである。
牧場実習で一本書き切ろうとしたが、それはどうやら無理なようだ。
2025年リーグ戦第3節 対桜美林
成蹊に引き分け、大東に惜敗と悪くない流れで迎えた一戦。相手は昇格組、絶対に負けられなかった一戦。ここで勝てば中位進出へ勢いづけた一戦。
悪くない前半だった。決定機の数はほぼ互角。後半ギアを上げれば確実に仕留められる。
試合を壊した。
0-2で途中投入。RWBで出場し、相手LWGにクロスを頭で叩かれ失点。縦突破を試みるも相手LWGに完全に読み切られ、あげくの果てにファール。相手LWGにカットインシュートを打たせ失点。
0-4試合終了。
何もできなかった。1人相手に全て負けた。わずか20分間で自分がチームを負かせた。自分は都1部のレベルではない。土俵が違った。チームの足手纏いだ。全てが否定された。
試合後驚くほどの涙を流した。サッカーでこんなに泣いたの、まじ4年ぶりとかだった。その後のセカンドの試合の記憶は一切ない。決していいパフォーマンスではなかったことは、確かなことである。
あさひくんに、リーグ戦後
ー見返せよ
と声をかけられたが、切り替えが苦手な僕には無理な要求だった。
帰り道、飯田橋で食べた油そばが無性に沁みた。いつも酢は3周半と決めているが、この日は5周した。いつもよりも酸っぱかった。
頭の中では、カットインシュートのボールの軌道が無限に再生されていた。
ーサッカーは、キーパーを除けば1対1が10個ある。
ア式はこの言葉を嫌う。組織的に攻撃、守備を行うのがfootballであり、決して単なる1対1の集合ではないと。
そうは思わない。
どれだけ組織的に攻撃をしてもFWがCBとの1対1を制さねば得点できない場面は存在し、どれだけ組織的に守備をしてもSBがWGのドリブルを止めなければ失点する場面は存在する。
メッシがグバルディオルを鮮やかに抜き去ったからこそアルゼンチンは栄冠を手にしたし、ベイルがバルトラをぶち抜いたからこそ自分はマドリーの虜になった。
結局、1対1の勝敗が試合の勝敗を決める。痛いほどわかった。
自分が1対1全てで敗北を喫したから、絶対に負けられなかった一戦に負けた。
感じたことのない屈辱を味わった。あまりの苦さに容易く咀嚼することはできなかった。
が、リーグ戦は待ってはくれない。
嫌でも飲み込んで次に進むしかない。
上手くなる、強くなるしかない。一度たりとも相手のWGに負けないことを心に決めた。自分が1対1全勝してチームを勝たせるんだ。
カットインシュートの映像を画面収録して嫌々お気に入り登録をし、毎日寝る前に見た。
見るたび強烈な苦さに思わず顰めっ面をした。味わっては飲み込み、飲み込んではもう一度味わい、その繰り返しだ。胃は一つしかないが、反芻動物と化した。
苦味を原動力とし、努力を重ねた。
守備職人りきとに教えを乞いた。対人の極意を1から100まで教わった。
ただ身体能力に頼っているだけだと思ったが、違った。
彼はア式にいる誰よりも、一つ一つのプレーを考えて実行している。
考えてプレーするとはこのことか。
ア式に入部して以来、考えてプレーできるようになったと思い込んでいた。
しかし僕がやっていたことは、どうやら用意された理論に従っているだけに過ぎなかったようだ。
辺に立つだの、胸を合わせるだの。これらはボールを前にクリーンに運ぶためにはどうすればいいのか、先人たちが帰納的に考え辿り着いた手段であり、決して私たち自身が考えて実行しているわけではない。ただ与えられたプレー基準に従っているだけである。
サイドの1対1で抜かれない、ボールを奪い切るためにはどうしたらいいか。
まずは相手の重心を見ることが大事だ。ボールだけを見ていると、足技に翻弄され相手についていくことが難しくなる。
そして体勢は常に次の一歩が出せるパワーポジション。自分の場合は監督が推奨する体勢よりは少し低めが丁度いい。
相手が右利きの場合はがっつり中を切るような位置に立つ。足の速さには多少の自信があるので、縦に誘導して身体を入れる算段である。
りきとや荒さんと話し、プロの映像を見て、考え、自分のやり方をそれなりに確立させた。
牛歩ではあったが、パフォーマンスは向上していった。
スタメンで出場する機会が増えた。
都一部のWG相手に、前よりは闘えるようになった。成長を感じた。
しかし、
面白いほどに勝てない。
スタメン出場試合全敗。怒涛の6連敗。負ければ降格と言われた試合を全て落とした。
理科大戦での敗北のあと、ローソンの前で詠に、思わずこうこぼした。
― 勝ち方、忘れたわ。
3月の練習試合以降未勝利。こんなに勝てないのサッカー人生で初めてだ。
目標勝ち点22まで現時点(6/25時点)であと19。
厳しい。辛い。しんどい。逃げたい。
吐こうと思えば弱音なんぞいくらでも吐ける。
だが、やるしかない。やらなければならない。怪我でプレーできない選手たちの分も、僕たちがやるしかない。ア式蹴球部のためにも、なにより自分たちのためにも残留は絶対である。ラストイヤーはなにがなんでも1部で戦いたい。
ー結果以上に内容にこだわろう。
ア式はこの言葉を好む。結果と内容は分けて考えるべきで、まずは内容を良くしていこう。良い内容で結果が伴わないのならば、それは仕方のないことだ。footballは勝利が全てではない。
そうは思わない。
勝利が全てである。誰かの言葉を借りれば、勝利だけが全てを肯定してくれる。無様に勝ってなにが悪い。
例え内容がボロカスでも、泥臭く勝利して皆で喜び合うのがサッカーの醍醐味なのではないか。
二年前、応援席で観た帝京戦勝利の光景は今でも鮮明に覚えている。内容は良くなかったが、皆が勝利を追い求め、身体を張って守り切ったからこそ手にした勝利。観るもの全ての心を震わせた。
勝つために。
もっと1対1にこだわる。もっと考えてプレーする。もっと勝利への執着を持つ。もっと命懸けで闘う。
中断期間、死に物狂いで上手くなり強くなる。
部員全員で笑顔で集合写真を撮ろう。
鳥の囀りではく、牛の雄叫びが朝の知らせを告げる。茨城は東京、そして広島よりも日が登るのが早いようだ。
今日は午前に農事体験をし、午後に豚小屋の見学。牧場実習もあと二日。佳境に差し掛かっている。
明日にはまた、東京の喧騒が待っている。
そしてその先には、負けられない戦いが待っている。
気持ちを整えてグラウンドに戻ろう。
まずやぎの右側に立つ。肝臓が右側に位置し、長時間右側を下にすると体調が優れなくなるからだ。つづいて左側の前足、後ろ足を抱えるようにして、柔道家のように華麗にひっくり返す。ここでやぎの切実な叫び!!どうやら本当にめぇ〜と鳴くらしい。あまりの声量に大声だけが取り柄の私も思わず怯んだ。そして反対側に素早く回り込み、脇でヘッドロック!! 角が自分の腹部に刺さらないように要注意である。
ヤギ小屋の主は、ヤギには一切目を向けず、学生一人ひとりを丁寧に見渡しながら、実にあっさりとやってのけた。これが職人技というやつか。負けてられない。
いざ実践。意外とすんなりできた。元来、ラットの保定も得意で動物の扱いが案外上手いようである。学科内で「ほてマス(保定マスター)」と囁かれているだけある。
ちなみに山羊と書いてやぎと読む。小屋に向かう道中にやまひつじと読みあげ、獣医を志す皆から嘲笑され肩身が狭かった。横にいた学科同期が
え、さんようじゃないの!
とぼそっと呟いたのが唯一の救いだった。音読みは流石にないだろ。嘲笑した。
ここは、上野駅から常磐線でおよそ2時間半、茨城県笠間市にひっそりと佇む、東京大学附属牧場。周囲を取り囲むのは、どこまでも続く田畑と無機質な工場群。ここが関東だとは到底信じがたい、時間の流れが緩やかに歪んだようなのどかな土地だ。
ノウガクブ獣医学科の三年生たちは、毎年六月の終わりにこの牧場へ送り込まれ、家畜の生態や管理技術を、机上ではなく、生きた家畜とのやり取りを通じて叩き込まれる。獣医学科に身を置く自分も、その例外ではなかった。
一時欠席を試みたものの、休みたい旨をメールで伝えた同期が留年をお勧めされたらく、やむを得ず断念した。
留年といえば、追試の申し込みを忘れて留年したあほんだらがいるとの噂は、この牧場にまで駆け巡っている!お前ってやつは本当に最高だ!今度唐揚げ定食でもご馳走してあげよう!
今は牧場実習三日目の夜。実習を言い訳に執筆から逃げていたが、逆にいいものが書けるのではという発想の転換を佳吾にしてもらい、筆をすすめてみている。
宿舎一階の共同スペースでは学科同期がお酒を嗜みながらカードゲームをしたり、恋の話に花を開かせたりと大盛り上がりである。が、いつもの癖で無意識にSlackを開くたびに気が滅入る。
やはりサッカーからは逃れられない。大場の言葉を借りれば、もはや呪いである。
牧場実習で一本書き切ろうとしたが、それはどうやら無理なようだ。
2025年リーグ戦第3節 対桜美林
成蹊に引き分け、大東に惜敗と悪くない流れで迎えた一戦。相手は昇格組、絶対に負けられなかった一戦。ここで勝てば中位進出へ勢いづけた一戦。
悪くない前半だった。決定機の数はほぼ互角。後半ギアを上げれば確実に仕留められる。
試合を壊した。
0-2で途中投入。RWBで出場し、相手LWGにクロスを頭で叩かれ失点。縦突破を試みるも相手LWGに完全に読み切られ、あげくの果てにファール。相手LWGにカットインシュートを打たせ失点。
0-4試合終了。
何もできなかった。1人相手に全て負けた。わずか20分間で自分がチームを負かせた。自分は都1部のレベルではない。土俵が違った。チームの足手纏いだ。全てが否定された。
試合後驚くほどの涙を流した。サッカーでこんなに泣いたの、まじ4年ぶりとかだった。その後のセカンドの試合の記憶は一切ない。決していいパフォーマンスではなかったことは、確かなことである。
あさひくんに、リーグ戦後
ー見返せよ
と声をかけられたが、切り替えが苦手な僕には無理な要求だった。
帰り道、飯田橋で食べた油そばが無性に沁みた。いつも酢は3周半と決めているが、この日は5周した。いつもよりも酸っぱかった。
頭の中では、カットインシュートのボールの軌道が無限に再生されていた。
ーサッカーは、キーパーを除けば1対1が10個ある。
ア式はこの言葉を嫌う。組織的に攻撃、守備を行うのがfootballであり、決して単なる1対1の集合ではないと。
そうは思わない。
どれだけ組織的に攻撃をしてもFWがCBとの1対1を制さねば得点できない場面は存在し、どれだけ組織的に守備をしてもSBがWGのドリブルを止めなければ失点する場面は存在する。
メッシがグバルディオルを鮮やかに抜き去ったからこそアルゼンチンは栄冠を手にしたし、ベイルがバルトラをぶち抜いたからこそ自分はマドリーの虜になった。
結局、1対1の勝敗が試合の勝敗を決める。痛いほどわかった。
自分が1対1全てで敗北を喫したから、絶対に負けられなかった一戦に負けた。
感じたことのない屈辱を味わった。あまりの苦さに容易く咀嚼することはできなかった。
が、リーグ戦は待ってはくれない。
嫌でも飲み込んで次に進むしかない。
上手くなる、強くなるしかない。一度たりとも相手のWGに負けないことを心に決めた。自分が1対1全勝してチームを勝たせるんだ。
カットインシュートの映像を画面収録して嫌々お気に入り登録をし、毎日寝る前に見た。
見るたび強烈な苦さに思わず顰めっ面をした。味わっては飲み込み、飲み込んではもう一度味わい、その繰り返しだ。胃は一つしかないが、反芻動物と化した。
苦味を原動力とし、努力を重ねた。
守備職人りきとに教えを乞いた。対人の極意を1から100まで教わった。
ただ身体能力に頼っているだけだと思ったが、違った。
彼はア式にいる誰よりも、一つ一つのプレーを考えて実行している。
考えてプレーするとはこのことか。
ア式に入部して以来、考えてプレーできるようになったと思い込んでいた。
しかし僕がやっていたことは、どうやら用意された理論に従っているだけに過ぎなかったようだ。
辺に立つだの、胸を合わせるだの。これらはボールを前にクリーンに運ぶためにはどうすればいいのか、先人たちが帰納的に考え辿り着いた手段であり、決して私たち自身が考えて実行しているわけではない。ただ与えられたプレー基準に従っているだけである。
サイドの1対1で抜かれない、ボールを奪い切るためにはどうしたらいいか。
まずは相手の重心を見ることが大事だ。ボールだけを見ていると、足技に翻弄され相手についていくことが難しくなる。
そして体勢は常に次の一歩が出せるパワーポジション。自分の場合は監督が推奨する体勢よりは少し低めが丁度いい。
相手が右利きの場合はがっつり中を切るような位置に立つ。足の速さには多少の自信があるので、縦に誘導して身体を入れる算段である。
りきとや荒さんと話し、プロの映像を見て、考え、自分のやり方をそれなりに確立させた。
牛歩ではあったが、パフォーマンスは向上していった。
スタメンで出場する機会が増えた。
都一部のWG相手に、前よりは闘えるようになった。成長を感じた。
しかし、
面白いほどに勝てない。
スタメン出場試合全敗。怒涛の6連敗。負ければ降格と言われた試合を全て落とした。
理科大戦での敗北のあと、ローソンの前で詠に、思わずこうこぼした。
― 勝ち方、忘れたわ。
3月の練習試合以降未勝利。こんなに勝てないのサッカー人生で初めてだ。
目標勝ち点22まで現時点(6/25時点)であと19。
厳しい。辛い。しんどい。逃げたい。
吐こうと思えば弱音なんぞいくらでも吐ける。
だが、やるしかない。やらなければならない。怪我でプレーできない選手たちの分も、僕たちがやるしかない。ア式蹴球部のためにも、なにより自分たちのためにも残留は絶対である。ラストイヤーはなにがなんでも1部で戦いたい。
ー結果以上に内容にこだわろう。
ア式はこの言葉を好む。結果と内容は分けて考えるべきで、まずは内容を良くしていこう。良い内容で結果が伴わないのならば、それは仕方のないことだ。footballは勝利が全てではない。
そうは思わない。
勝利が全てである。誰かの言葉を借りれば、勝利だけが全てを肯定してくれる。無様に勝ってなにが悪い。
例え内容がボロカスでも、泥臭く勝利して皆で喜び合うのがサッカーの醍醐味なのではないか。
二年前、応援席で観た帝京戦勝利の光景は今でも鮮明に覚えている。内容は良くなかったが、皆が勝利を追い求め、身体を張って守り切ったからこそ手にした勝利。観るもの全ての心を震わせた。
勝つために。
もっと1対1にこだわる。もっと考えてプレーする。もっと勝利への執着を持つ。もっと命懸けで闘う。
中断期間、死に物狂いで上手くなり強くなる。
部員全員で笑顔で集合写真を撮ろう。
鳥の囀りではく、牛の雄叫びが朝の知らせを告げる。茨城は東京、そして広島よりも日が登るのが早いようだ。
今日は午前に農事体験をし、午後に豚小屋の見学。牧場実習もあと二日。佳境に差し掛かっている。
明日にはまた、東京の喧騒が待っている。
そしてその先には、負けられない戦いが待っている。
気持ちを整えてグラウンドに戻ろう。
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