シュレディンガーのア式人生

鈴木航平(3年/DF/静岡高校)







シュレディンガーの猫という思考実験をご存知だろうか。箱の中の猫が観測されるまで、猫が生きている場合と死んでいる場合の二通りの世界が同時に存在するという考え方だ。


この話に代表されるように、この世界には並行した別の現実の世界があるかもしれない、、



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今日は7/1。feelings担当のNに締切だと言われている日だ。彼は会うたび、何度も「feelings進んでる?」と聞いてくる。そして毎度「まったく」と返す。別に遅れて出してもいいじゃん、罰則になるわけでもないし。公式戦に必死でというそれらしき理由にしとけば、なんとも言えないだろう。そんなことが頭の片隅によぎるが、結局PCに向き合ってしまっている。


今シーズンのここまでを振り返ると、そこそこ良かった。リーグ戦にもコンスタントに出れて、そのうち何試合か勝つことができた。去年もそこまで悪くなかったが、それ以上に良いシーズンを過ごすことができている。それはまさしく公式戦という舞台でセンバとして戦うことに慣れてきたからだろう。そう、あの日から。


去年のアミノバイタルカップ初戦、対東京工業大学(現東京科学大学)戦。この日、俺は公式戦デビューを果たした。ただ、俺がスタメンに選ばれたのには明白な理由があった。それは前主将のMさんと現主将のAさんという圧倒的主力の二人が怪我していたからである。そのためその二人の代わりとしてスタメンに選ばれた。


しかし、俺も出場が危うかった。前々日の練習で、怪我をした。Sがドリブルしているボールに足を伸ばし、足をひねらせた。当時は終わったと思ったが、幸い大怪我に繋がらず、無事出場が可能になった。


初めての公式戦、スタメンでの出場。緊張しなかったと言ったら、嘘になるが、自分の全力を尽くせた試合であることは間違いないだろう。結果は後半終了の時点で1-1、PK戦の末、見事勝利することができた。あの時の感触は今でも忘れない。あの時の経験が今、リーグ戦の舞台でのびのびプレーできていることにつながっている。


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ア式3年目を迎えた今シーズンも、中断期間を迎え、チームも夏オフに入った。


ア式に入ってから、サッカーについてたくさんのことを学ぶことができた。「正対」という2文字から始まり、さまざまなサッカーの見方を知ることができた。


それもこの東大ア式蹴球部にテクニカルスタッフとして入部したからである。


1年生の時は、テクニカルとしてさまざまな活動ができた。シントロイデンの選手スカウト業務や日本代表のアジアカップにおける対戦相手分析業務に携わらせてもらった。


2年生からは、学生コーチをするようになった。コーチとしてはまだまだ未熟だが、最近では自分の目から見えるサッカーはより細やかにかつ鮮明になった。選手に対するフィードバックやコーチングの形も掴めてきた。


転機は2022カタールワールドカップ。日本代表の躍進に心躍った。しかし、決勝トーナメントでクロアチアに敗北。目標のベスト8にあと一歩届かなかった。そんな大会も最終日。決勝アルゼンチン対フランス。大激闘の末、アルゼンチンの優勝で幕を閉じた。日本代表もいつか優勝へ。そんな夢を持った俺は、ちょうど志望していた東京大学に、ア式蹴球部があること、そしてその中にテクニカルという組織があることを知り、テクニカルとしての入部を志した。そして、晴れて東京大学に合格。早速、ア式に見学に行った。まさに自分が求めていた環境が揃っているなと思った。ただ、選手としての未練も残っていたから、練習会にも何度か参加し、新入生チーム期間は選手としても練習に参加することにした。ただ、選手を辞めてテクニカルとして、やっていくことを決めたのは、新入生チームとしての練習最終日。


当時新入生チームコーチのKさんに電話で報告した。もちろん選手としての未練が完全になくなったわけではない。それに約1ヶ月という短い間だが、同期の仲間たちと一緒にサッカーできたのはとても楽しい思い出で、簡単に切り捨てられるものではなかった。それでも今後の人生を考えた時、この部でテクニカルとして活動することはかけがえのない経験になるだろうと思い決断した。あの時の決断が、今のテクニカルとしてのア式人生につながっている。


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大学3年生の夏。先日21歳の誕生日を迎え、いよいよ大学生活も残り半分を切っていた。4月からは経済学部に進学し、本郷キャンパスに通っている。ア式に入らなかった俺にとって、サッカーは日常から遠ざかってしまったが、授業やゼミ、バイトに就活など、他にやることがたくさんある。それでも自由な大学生活を送れていると幸福感を日々感じれている。


ア式に入るのを迷わなかったわけではない。実際、説明会や体験練習にも参加したが、小中高とサッカーを続けてきて、大学でもこんなに恵まれた環境でサッカーできることにとても魅力を感じた。レベル的にももちろん周りには上手い選手だらけだったが、全くついていけないようなレベルでもなかった。それでも入らなかった理由はいくつかある。まずは、大学でいろいろなことにチャレンジしたかったからだ。選手として入部すると週6での活動が余儀なくされる。もちろんオフもあるが、サッカー以外のやりたいことがなかなかできなくなるだろう。東大に入った以上、さまざまなことを勉強してみたい、バイトもしたい、音楽ライブも行きたいし、海外旅行にだって行きたい。これらを考えると、ア式に入ることはあまり現実的ではないように思えた。次にサッカーから離れてみたかったからだ。これまでずっとサッカーばかりやってきて、それ以外の物事に触れる機会が限られてきた。自分の好きなものややりたいことの軸はいつだってサッカーだった。その軸以外の人生も歩んでみたかった。これらの理由からア式に入ることを断念した。ただ、その決断がこれまでこれからの大学生活を形作っている。


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お気づきの人もいるだろうが、これらの話は俺の人生で訪れた分岐点で、選ばなかった世界の話だ。


実際には、


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前々日に怪我をし、公式戦には出れず、そこから公式戦デビューを果たせずにいる。チーム状況は0勝と最悪と言っていいだろう。あの日、怪我をしていなければ、何か現状が変わっていたのだろうか、それとも何も変わらなかったのだろうか。


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テクニカルか選手かで迷い、結局選手を選んだ。短い期間だが、高口さんの下で、同期たちとサッカーをできたのが楽しかったのが大きな要因だろう。ただ、テクニカルを選んでいたら、選手である今よりア式にとってより価値の高い人物になれていたかもしれない。


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3つ目に関しては、俺自身実際、あまり悩まなかったことだが、ア式の中には悩んだ人もいるのではないか。ただ、ア式に入ってなかったらどんな日々だったのか気になるところではある。今よりも幸せな大学生活を過ごせているのだろうか。
 
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人生は多くの選択に迫られる。その道を選んだ先の現実は、往々にして、幸せを与えてくれない。それでも我々は与えられた現実を生きていくしかない。


きっと誰もが足りない何かを願い今を生きてるんだ


ア式人生はまだ続く。


to be continued

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