HASTA EL FINAL, ¡VAMOS REAL!
松沼知輝(1年/MF/渋谷教育学園幕張高校)
こんにちは。プレイヤーの松沼です。
HASTA EL FINAL, ¡VAMOS REAL!
これは自分の好きなレアル・マドリードの試合前、ゴール裏に張り出される大きな大弾幕に書かれている文言で、別に座右の銘とかでは無い。これの意味するところは大体「最後まで闘え」といったようなことである。
そのレアル・マドリードの試合を観戦していた時、この横断幕が目に入ってふと考えたことがある。これまでの人生で、自分で「やり切った」と思えるほど最後まで闘えたものはあっただろうか。
習い事は、サッカーの他にピアノと水泳をしていた。どちらも自分でやりたいと言って始めたと思う。多分。ピアノは1年くらいで飽きてやめた。3歳くらいで始めた水泳は、そこそこ頑張ったけど、小2くらいでやめた。
大学に入ってまでやっているのだからサッカーはと思うかもしれないが、これも連続的に続けた期間はそう長くはなかった。その経緯はア式に入った経緯にも関わってくるので、少し詳しく書いてみようと思う。
小学1年生、地元の少年スポーツ団で本格的にサッカーを始めた。
ディフェンダーで、比較的身体も大きく自信を持ってサッカーができた。小さな大会で優勝したりもした。自信を持ってサッカーをしていた。小学4年生、サッカーが上手くいかなくなった。コートが大きくなって、ディフェンダーにはロングボールをヘディングで返す能力が求められた。空間認知能力に欠いた自分はよくボールを処理できずに落とした。ボールを落とすと怒られる。ロングボールが怖くなった。自信がなくなってきた。
小学5年生、自信をなくしたままサッカーを一旦辞めた。中学受験のためである。
中学1年生、サッカーを再び始めた。
進学校で、かつサッカー部がそこそこ強い渋谷幕張に入学した。新たな環境で始めるサッカーに心を躍らせた。ポジションバランスの関係からここでもディフェンダーを務めた。周りにはサッカー経験があまりない部員もいた。同学年の中で比較的上手い方だと思って、少し自信がわいた。自信というよりも、慢心だった。1年生対2年生の紅白戦で自分は圧倒され、ビビって何もできていないという現実からは目を逸らした。
中学2年生、サッカーを再び中断することになった。
コロナ禍である。自粛期間の間に体幹を鍛えるという試みもしたが、飽き性ですぐに辞めた。学校が再開し、暫くして部活動の再開も認められた。毎週、1年生対2年生で紅白戦をする。苦労して勝つか、引き分けが多く、負けることもあった。自分のミスのせいで失点することもあった。大会が近付くと、レギュラー組とサブ組での紅白戦が練習のメインを占めるようになる。自分はサブ組だった。後輩にポジションを奪われて、レギュラー組に圧倒される試合が続く。中学3年生、そんな日常がまだ続いた。そのまま、中学最後の総体を迎えた。当然、ベンチである。1点ビハインドで迎えた終了10分前、チームメイトが負傷して代わりに入った。何もできなかった。試合に負けた。引退した。その後参加した私学大会でも、出場はしたがなにも出来ず負けた。この悔しさは高校サッカーで晴らすしかないと思った。なにより、渋谷幕張高校でサッカーをするために入学したのである。ほとんど迷わず入部をきめた。高校サッカー部のキツさについては何となく話をきいていたし、中学生が練習する後に始まる練習の様子を見てなんとなく分かっているつもりだった。それでも、なんとかなるだろうと思った。本気でサッカーをするつもりだった。それでも入部した。
中学3年生夏、高校サッカー部に入部した。
背の高さを買われて、ここでもセンターバックをやった。増量のために食トレに励んだり、朝練で走ったり、オフの日に走ったりもした。典型的な四月病・五月病タイプの自分のそうした心持ちは、そう長くは続かなかった。きつい練習。常に誰かの怒号が飛ぶグラウンド。心身ともにすり減らされた。何が決め手となったのかはもう覚えていないが、とにかく心が折れた。ピッチの内外で、常に不安が付きまとう。気持ちが切れて部活にも学校にも行けなくなった。
高校1年生7月、部活を辞めた。
サッカーが嫌いになったわけではなかった。単に、これ以上部活を続けることが難しかった。その時点で大学サッカーの選択肢がなかった自分にとって、部活を辞めることはすなわちサッカー人生の終わりを意味した。自分のせいだが、サッカーをもう続けられないことに言いようのない哀しさを覚えた。サッカー部を辞めてからの半年間は、文字通りなにもしていなかった。空虚な時間を過ごした。今まで自分の生活の比較的大きな部分を占めていたものを失ったのである。
高校1年生冬、フットサル部に入部した。
そこでのフットサルは、真剣な部活とは程遠いものであった。真剣勝負の中でゴールを守り、決め、勝って大喜びするという、サッカーの喜びへの欲求が満たされることはなかった。友人とコート代を賭けて行うフットサルで誤魔化し誤魔化し時間を過ごした。放課後教室で友人とだべっていると、高校サッカー部のかけ声が聞こえる。周りの友人がサッカー部の様子を眺める。自分は窓の外から目を背ける他なかった。未練があった。高校の自習室で勉強していると、ブラジル体操の掛け声が聞こえる。心の中で蓋をしたつもりだった、部活を辞めた罪悪感が刺激される感覚を覚える。高校3年生夏、フットサル部を引退した。進学校の受験生として、勉強をすればいいという大義名分を与えられたような気がして、サッカーに対する未練とか、部活を辞めた罪悪感から逃れられた気分になった。とりあえず勉強をしておいた。大学進学が近付く中で、大学で何をするかについて真剣に考え始める。やはりサッカーがしたい。それも、真剣にやりたい。部活で。部活でサッカーをするには、東大しかないと思った。
大学1年生、サッカーを再び始めた。
ア式に入部することは入学前から考えていたものの、3年のブランクが自分を怖気付かせる。それでも、何とかなるだろうという楽観があった。そんな楽観はすぐに打ち砕かれた。新歓練習に参加した。あまりにも下手だった。このまま入部しても、周りに迷惑をかけるだけだと思った。練習後、高校同期で一緒に新歓練習に参加し、既に入部を決めていた大城に声をかけられた。お前、入れよ。単純かもしれないが、もう1度参加してみようと思った。2回目の新歓練習、また下手だった。それでも、前回よりはいくらかマシになった気がした。3回目も参加した。入部の気持ちが固まってきた。何より、ここでなら成長できると思った。弱くて情けない自分と今度こそ本気で向き合って、成長する4年間にしたいと思った。今度こそ、自信をもってサッカーをしてみたいと思った。
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