本気を出す
井筒俊宏(4年/テクニカルスタッフ/筑波大学附属駒場高校)
最終節で朝鮮相手に勝利した後の整列で、自然と目頭が熱くなった。
これまでの人生で、勝負に負けて泣いたことは何度もあるが、勝って泣いたことは記憶の限りなかった。
今日で終わるということへの高揚感が感情を強くしたことも事実ではあるが、この1勝がただの喜びでは消化しきれない何かによるものであることは確かだった。
これまでの人生で、勝負に負けて泣いたことは何度もあるが、勝って泣いたことは記憶の限りなかった。
今日で終わるということへの高揚感が感情を強くしたことも事実ではあるが、この1勝がただの喜びでは消化しきれない何かによるものであることは確かだった。
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「結果が全てである」
スポーツでよく言われることである。見えやすいものが結果だからという理由でもあるし、そもそも結果を決めるために行われるという側面もある。私自身もこの考え方に強く同意してきたし、結果の重要性は認識している。
一方でスポーツにおいて結果を決めるための「試合」の時間よりもその準備期間である「練習」の時間の方が圧倒的に長いのもまた事実である。練習は試合のように試合は練習のように、この言葉は私が好きな言葉の一つでもあるが練習でやったこと以上のことは試合では出せないという意味で練習の重要性を説いていると思う。
結論から言わせてもらえば今季を経て、結果が全てだとは到底感じられていないのである。こんなことを言うと、今季の最下位という結果を経ての負け惜しみだと思われるかもしれないが、それを勘案しても余りあるぐらい私自身が負け続けたという結果以外で感じ、得たものは大きかった。この1年の道のりはあくまで私が感じたことであって誰かと共有できうるものなのかわからないが、このfeelingsがもし自らの感じたことを吐き出せる場であるのだとしたら好き勝手に吐露させていただきたい。
私にとって今季のテーマは「本気を出す」だった。
「本気を出す」ことについてのmtgがあったのは年が明けて早々のことだった。監督の徹さんから選手に対してサッカーに対する取り組み方の話が行われる中の一つの話として取り上げられた。この「本気を出す」に関してはとあるブログを元に話が進められた。それが元クリアソン新宿の選手であった井筒さんのブログであった。
奇遇にも私と同じ苗字の著者によって書かれたこのブログの中で綴られる本気を出すことの難しさは今季を通して胸に刻まれていたと言っても過言ではない。
年が明けて新チーム始動後すぐの私は、昨年(2024年)の陣容から高口さんや潤さんといったコーチ陣が軒並み抜けてしまい、引き続き指導陣の中にいるのは私と監督の徹さんだけという状況で苦しんでいた。2024年シーズンではシーズン途中の5月からテクニカルコーチとしてAチームに帯同することになった私だったが、練習での貢献は微々たるもので、数人の選手に対する*FB(フィードバック)と数週間に一度訪れるスカウティングに没頭する日々を送っており、チーム全体を試合に向けてどのように持っていこうだとかマネジメントがどうとかいうようなAチーム全体を見渡すような視点は持てていなかった。今思い返すと、Aチームのコーチを名乗るのにはおこがましい存在だった。そんな昨年から状況は変わり頼れる人が抜けた今季、監督以外では唯一前シーズンに引き続きAチームに帯同する存在となり、求められる役割は大きくなるはずだった。
*FB(フィードバック) :テクニカルのスタッフが選手に対して試合映像や練習映像などをもとにしてプレーに関するアドバイスなどを行うこと。私の場合はこれが選手とコミュニケーションを取る大きなきっかけとなったといえる。
しかし現実は厳しかった。求められること(正確には求められていると感じること)と出来ることのギャップが大きかった。チーム全体を見てその課題を指摘したり、練習で監督のサポートをしたりするといったタスクを急に背負うことなど不可能に近かった。できないと思うすぐその後では、何かしないといけないという焦燥感にかられる。その繰り返しで、頭の中ばかり様々な考えが駆け巡る一方で行動は伴わなかった。
高口さんみたいに適切なコーチングができれば良いし、潤さんみたいに声で盛り上げることができれば良いのは分かっていたし、何らかの行動に移しコーチとしての役割を果たす必要があるのは分かっていた。出来なかった。明日できるかもしれないという希望的観測を抱く一方で、やろうとすらしなかったことを練習後の帰り道に思い返しては今日の自分を後悔した。新体制になってから2月の頭ぐらいにかけての期間が1番自らのやるべきことを見失っていた。できない自分を認めたくなくて苦しかったし、それを改善しうるのも自分の行動であるのには気づいていたが、勝手に高く持った理想がトライすることさえも妨げていた。また練習ではテツさんやOBコーチ任せだ。甘えられなくなっていたはずの環境に甘え続けていた。
今思い返せば、この時苦しんでいた要因として大きく二つが挙げられると思う。
一つ目が監督との信頼関係である。監督に近い立場でのサポートが求められる状況において、当然ながら監督とのコミュニケーションやそれ相応の信頼関係が求められる。前シーズンでほとんどコミュニケーションを取っていなかったこともあり監督からの信頼もあまりなかったと思うし、私自身も心の底から監督を信頼することができていなかった。これが互いの情報や思考を共有する妨げになっていたと思う。監督の意図を汲み取り切れないこともしばしばあったのに意思疎通を十分には取れないでいた。
二つ目が本気を出すことである。過去への後悔ばかりを繰り返し失敗を恐れて行動に移せないでいたこの時の状況は、今この瞬間に本気を投じることのその土俵にすら立っていなかったと思う。そして、今に本気を出し尽くせないことが次の後悔を生むという悪循環に陥っていた。このことは1つ目の信頼の不足とも関係しており、信頼されるに値する本気を出せていなかったからこそ、コミュニケーションにも躊躇が生まれていた。
先述したブログでは、多くの人がいつでも本気を出すことができると考えているが、本気を出すには準備が必要でいきなり本気を出すことはできないということと、本気を出そうとして失敗することの恐怖について書かれていた。私なりの解釈としては、自分が出せると勘違いしているが出すことのできない「本気」という理想の姿がある時、人は「本気」を出せると勘違いしがちだが、実際には現実の自分から一足飛びに「本気」を出すことはできず、「本気」を出そうと試行することの繰り返しの末に現実の自分が出すことのできる力を少しずつ引き上げ、理想である「本気」に近づけるしかないということだと理解した。そしてその過程には「本気」を出そうとしたけど出せなかったという失敗がいくつもつきまとうと。
当時の私は、ずっと足踏みをしているような感覚だった。この時の感情こそがいざとなったら本気を出せるという勘違いでもあり、本気を出そうとして失敗することへの恐怖だったと思う。
1月のある日に電車の中で読んだ筑波大蹴球部の卒部ブログもまたも自分の現状と重なり心に刺さった。
自分なりに要約すると、これまでの幸せ(日常)を失うことが怖くて成功をつかめなかったという後悔が綴られていた。行動を変えられない自分の境遇と重なった気がした。変えないといけなかった。
すぐに何か大きな変化が起こせるわけではないが、学校が春休みに入るタイミングということもあってサッカーへ費やす時間を増やすことにした。選手へのFBやコーチングを積極的にコーチ陣が担うことを決める話し合いもあり、2月以降は特に選手へのFBに費やす時間を増やした。FBは私がAチームに帯同した前シーズンでもこだわってやり続けられた事柄だと思っていた。盛り上げるようなコーチングなど自分が苦手なことから逃げたとも言えるが、出来ることをやりぬくしかないと思った。FBのために、映像を見る回数を増やした。まずはただただ量を増やした。特に紅白戦や試合は何度も見返した。こんなことを言うとただの自慢になるが、2月2日の東工大戦(今の科学大)から始めたプレー映像の切り抜きをするGoogleドキュメントは98ページに上っている(10/21時点)。それをきっかけにして気になったシーンなどを練習前の時間に選手と話す機会も増えた。単純に見る量が増えたことで徹さんの意図や練習の良し悪しを把握しやすくもなったし、特に守備に関してはチーム全体としての課題を把握できるようになっていき、練習中の気づきも増えた。量を増やすことは、もしかしたら本気を出すための練習としてはもってこいの方法なのかもしれない。
少し話はそれるが、小学校までしかプレー経験のない僕にとってFB等々で映像を見ることはこのア式における自分の役割の原点だったと言って良い。初めてFBを行う際には、杉崎さん(テクニカルのアドバイザー)のアドバイスをもとにしてFB担当である岡部の全ボール関与のシーンを切り抜いてはそれぞれに対するコメントを考えてFBに臨んでいた。また、入部して初めの頃に駿平さんと高口さんから一つのシーンに対する見方の多さを教えられたこともあり、一つのシーンへのこだわりが外から選手にアドバイスを送る存在価値を示すものだと考えていた。
そうしてある程度割りきって自らのやるべきことにフォーカスするようになってからはチームに入りこめるようになった。選手や徹さんの意図を汲み取ることができるようになっていき、信頼関係が強化されたと感じた。具体的には、練習中に徹さんから練習の改善点について相談される機会が増えたり、選手からプレーについての相談をされることが増えたりした。率直に言って、誰かに必要とされていると感じることは大きな原動力であった。サッカーという団体競技においては自分だけでなく誰かと共に行動し影響しあうことが大切で、とりわけプレーしないスタッフにとってはそれが不可欠だと思う。そこで重要なのが信頼関係だ。信頼関係を感じるという面だけ見ればあくまでも主観的なもので、もしかしたらその対象である他者は自分のことを信頼していないかもしれない。けれど、この双方向的に思える関係性は、私の場合自らを突き動かす力となっていた。些細な言葉でそれを感じる場面が多かったが、この信頼の連鎖がチームをただの11人の個人の集まり以上のものにするのだろうと思った。私自身言葉にすることは苦手であるが、信頼を言葉にして伝えることは大事なことだと実感した。とりわけ本気で何かに取り組もうとする際に、自分だけでない誰かの期待や信頼を感じることは時に背中を強く押してくれると思う。そしてこれがチーム力と呼べるような個人だけでは生み出せない力にも繋がるのだと思う。
そうこうしているうちに、すぐシーズンが始まった。3月初めのアミノバイタルカップからシーズンが終わるまでは本当にあっという間だった。次々と毎週のように試合は続いていくし、練習や試合を見てはFBを行い、週末のゲームプランを徹さんと考え、セットプレーの案を考える。やることはやろうと思えばいくらでもあって時間が足りないくらいだった。これだけ集中力が続くのは不思議なくらいに没頭し続けた約8か月間だった。何かに本気を出すってこういうことかもしれないと思った。行動の中で選ぶ選択肢に迷いが生じることはあっても、行動することに対する迷いは一切なかった。
細かく言えば色々なことがあった。
学習戦での同じ形での複数失点、横国戦の暴風雨、大東戦での一方的な敗北など非常につらい思い出も多い。一方で、練習ではミドルブロックの強化やボールの持ち方の変化など喜ぶべきものも多かった。
負けが続く厳しい状況であったが、監督は常に次へと目線を向けていたし、選手たちも次の練習、次の試合へと目線を向けていた。また、個人的には練習が日に日に楽しみなものになっていった。練習で良いプレーが見られる瞬間も、選手が本気を出そうとする姿もプレシーズンと比べると見違えるほどよくなっていた。
チームが良くなっていった理由を一つ上げるとすれば、シーズンを通して徹さんが言い続けていたことの一つである「プロセスへのこだわり」があった。私にとって比較対象に欠けるものの徹さんはすさまじいほどにプロセスにこだわる監督であった。
例えば、プレシーズンに5-2-3のミドルブロックの守備を落とし込むにあたって、アトレティコの5バックの守備を見続けて選手たちに伝える上で新しい用語を考えるような人であったし、実際の落とし込みの練習では逐次プレーを止めては選手たちの位置を少しずつ修正する。徹さんの中に明確な理想とする形があったからこそそれぞれのプレーの内容を改善する具体的な方策が見えやすく、私としても選手たちに一貫性を持って伝えることができた。
また、プロセスへこだわることは「本気を出すこと」ともかなり関係があると思う。どんな目標を達成するにしてもそのために積んだ日々のプロセスが重要で、今そこにあるプロセスにどれだけのものを注ぎ込めるかとそのプロセスを重ね続けることでしか目標には近づけない。いくら試合のその場でやる気に満ち溢れていても練習などのそれまでの過程で出せた以上のものは出せない。目の前のそのプロセスにどれだけ本気を出そうと取り組めたかがカギとなる。プロセスにこだわると言っても、大きな変化がすぐに訪れるわけではない。場合によっては長い期間あまり変化が見られないこともある。けれど、プロセスに向き合っていった後にしか実力の伸びも良い結果も得られないと実感した。
シーズンが進むにつれて確実にチームが良くなっていたことは、特に守備面では内容面でも失点数という結果で見ても顕著だった。これだけ負けが続いた中でもチームが良くなっていったのは、プロセスにこだわるということを継続できたからだと思う。練習や試合で選手たちのプレーに喜びを覚える瞬間も増えていった。
しかし結果は出なかった。それも驚くほどに残酷だった。夏の中断明け後の試合はどれも手ごたえや積み重ねを感じるもので、結果だけ見れば紙一重の試合が多かったし試合中はそのように感じていた。ただ内容面で見ればどれも理由のある負けだった。
1つの勝ちの難しさをこれほどまでに感じるとは思ってもいなかった。
後期の日文戦、武蔵戦とあと少しのところのように思えた勝利が気づけば敗北で終わっていた。自分以上に、選手たちやスカウティングをしてくれたテクニカルの悔しがる姿を見て心が痛かった。本気で取り組んできたのを見てきた人たちが結果で報われない姿を目の当たりにするのはつらいものだった。
今季は試合終了の笛が負けを意味することが多かったわけだが、あの敗北が確定した瞬間はア式生活の中でも最も無力感を感じる瞬間だと思う。絶対に取り返すことのできない敗北が確定し、眼前にいる相手チームに負けた事実だけが残る。
けれどどんなにつらい試合の後でもシーズン中には次の試合がやってくる。最もつらいはずの徹さんが前を向いていたからこそ、翌日以降次の試合へと切り替えて立ち向かうことができた。
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最終戦での結果が出たという喜びは格別なものだ。
あの勝利の瞬間がシーズン中で最も大きな喜びを覚えた瞬間であることに疑いの余地はない。
あの勝利の瞬間がシーズン中で最も大きな喜びを覚えた瞬間であることに疑いの余地はない。
この感情の今までにないほどの高ぶりこそが、このチームで勝ったことが僕にとって大きな意味を持つことの何よりの証左だった。チームの一員として成し遂げることで何倍にも感情が膨れ上がる。
ふと今季を思い返す時、もっと勝てたのではないかという思いは常に頭をめぐる。とりわけ多くの試合で競り負けた中断明け後に関しては
勝ち負けは相手のあることで完全に自分たちでコントロールできるものではないと言われる。ただ、どんな相手でどんなに自分たちのベストを出せたとて、負けた後に悔しいという感情は残る。
僅差で競る試合に影響を与えて負け試合を引き分けに、引き分けを勝ちへと変えられるのがベンチ入りしたものとしての理想の姿だとは今も思うし、それと比較すると試合中に大きな影響を与えられなかった自分への反省点がいくつも思い浮かぶ。
でも、今季の自分にほとんど後悔はない。正確に言えば悔しさはあるが、過去の自分がその時持っていた能力をもってしてこれ以上何かできたとはあまり思えない。特に2月以降の、本気を出そうとしてきた自分に対してはだ。その時できる自分の本気を出そうとしてきた。強いて言えば、もっと誰かを突き動かせたのではないかとは思う。自分自身は、監督だったり同期のプレイヤーだったりの持つ本気に影響されて動かされてきた部分が大きい。だとすれば僕自身ももっと誰かを突き動かせたのではないかと考える部分はある。
選手も、コーチ陣も、スタッフも、もがきや苦しみが多すぎるシーズンの中で多くの人が本気で応えてくれた。本気は多くの人が呼応することでさらに強化される。不思議と、本気が集まったチームは次第に熱を帯びていった気がする。物理的というより心理的なものだろうが、この熱の大きさがシーズン通して大きくなっていったという実感を持っている。この熱狂が私の感情を強くした正体なのだろうか
間違いなくこの1年間を戦ったチームが私にとっては最高の財産である。
誰かの本気を誰かが支える。これこそがチームの魅力であり、中毒性すら持つものである。
苦しかった1年、だが最高の1年である。
徹さんへ
1年間ありがとうございました。サッカーに対して異常な熱を持っているとシーズン当初は思っていましたが、シーズンが進むにつれてその熱の渦に少しは入りこめたと思います。グラスナーの5-2-3の守備に感動を覚えるくらい僕のサッカー観に変化を与えて頂いたおかげで、守備の美しさに気づけました。また、実際に理想とするサッカーを練習で実践しチームに落とし込んで見事に形とした、特に中断明け以降のリーグ戦の各節は結果の出ない歯がゆさと同時に、チームを作り上げる過程を共にしたからこそ得られた大きな感動として強く印象に残っています。練習や試合で、選手やチームが成長していく様子に間近で携わることができ最高の経験になりました。徹さんが作り上げたチームをいつかまた見てみたいと強く思うので、良いチームを作ったら見に行かせてください。
高口さんへ
高口さんにAチームのコーチにしていただいたことで濃密な2年間を過ごすことができました。本当に感謝しています。そのきっかけとなったAチームの指導陣mtgは、正直言って毎回と言っていいほどめちゃくちゃに緊張していました。ですがそれゆえに、これだけ準備してもかなわない存在と思わされ、それがさらに映像を見てサッカーをもっと理解したいと思う原動力ともなっていました。勝手に遠い存在と認識してしまい昨シーズンはなかなか話しかける機会も多くはなかったですが、大きな尊敬を抱いています。トレーナーとしてア式に今もいらっしゃいますが、多分サッカーから離れられないことの表れだと思うので、今後もサッカーの美味しい調理法を見つけるべく生きていくのではないかと勝手に期待しています。
岡部へ
3年の4月に岡部にFBをし始めてから僕のア式人生が始まったと言っても過言ではありません。毎回FBのたびにプレー中の思考を余すことなく教えてくれたことがア式で他の選手にフィードバックしていく上での財産になりました。丁寧に新入りの僕に向き合ってくれたことからこそここまでア式にのめりこむことができました。一番最初に信頼できたプレイヤーだからこそ、もっとできるのではと勝手に思うことも多く4年になってFBの回数が減ってしまったことは心残りですが、今季も中盤でのターンで相手を翻弄するプレー見事だったし、武蔵戦のCKからのアシストと最終戦のゴール最高でした。
旭へ
新シーズンになって以降特に話す機会が増えたと思います。火曜日の練習後に週末の試合を見返す時など、一緒にサッカーを見ている時に、僕の気づかない部分を指摘するその視野の広さが印象的で大きな刺激になっていました。今季のチームにおいて守備も攻撃も旭がその中心にいたことは間違いないし、練習中から細かな修正なども伝えればそれを体現してくれる、チームにいてくれて助かったありがたい存在でした。振り返りで旭の良いプレーを見返すことは多かったけど、強いて言えば勝ち試合を一緒に見直したかった。また暇なときがあったら岡部とかといっしょに試合を見たい。
荒へ
チームとして頼り切ったシーズンだったし、シーズンを通して厳しい結果の責任を大きく担わせてしまったことは僕の力不足でもありますが、その責任を担いながらもこんなに苦しいシーズンでありながらも、折れずに先を見据え続けてくれたからこそチームがまとまっていられたし最終戦の勝利があったと思っています。多分、荒が僕を含めて皆に求めていたものは僕の出せたものよりもより高いものだったと思うけれど、責任を背負いチームに要求をし続けてくれたことでチームが成長できたと思います。ありがとう。シュワーボでの活躍楽しみにしています。
NDへ
1月に初めて一緒のチームで活動し始めたときは正直不安しかなかったけれど、シーズンを一緒に走り抜けてくれてありがとう。この1年でだいぶ成長したと勝手に思っています。いろいろな周囲の声や要求を一手に引き受けてしまいがちな気がするので、たまには僕を捕まえて吐き出してください。多分育成監督の立場がNDをさらに成長させてくれると思っています。ここから頑張れ
これまで僕のFBを受けてくれた選手の皆さんへ
かなり押し付けがましかったかもしれないし、色々聞かれてうるさかったかもしれない僕のFBを聞いてくれて、時にはいい議論をしてくれてありがとうございました。あの時間、FBをしている時だけはプレイヤーの気持ちに少しだけ近づけたような気がして、嬉しかったです。僕にとっては、FBをした選手が活躍したときの喜びは相当なもので、些細な出来事(裏抜けの走り出す位置やワンツー対応、縦見せて中へのカットインなど)まで結構覚えています。他のクラブがどうかは分からないですが、ア式の選手は結構感謝を伝えてくれてそれが僕自身のやる気にも繋がっていました。現役の皆さんは今後活躍する姿を見ることを楽しみにしています。
スカウティング班の皆さんへ
1年間大変お世話になりました。月曜のゼミ終わりに部室に呼び出されることも毎回の定番になり、さまざまな作戦を用意しては僕の頭を悩ませてくれました。どの作戦にも弱点はあるのに、その弱点を突いて回るみたいなことをしたことは多少申し訳なかったけれど、徹さんに見せる前の良いクッションにはなれたかなと思っています。一番僕を悩ませてくれたのは浩太だったけれど、彼みたいに強く意見を主張し続けられる人が今のテクニカルには少ないと思うので、せっかく努力に裏打ちされた良い提案を持っているのだからレオナや水野に負けじと多くの人が自分の意見を強く主張してくれることを期待しています。
テクニカルの仕事はスカウティングに限らずその中身が見えづらい一方で正直言って結果でしか報われることのない酷な仕事だと思います。でも、少なくとも僕をはじめとする指導陣には天祐、錦、小宮をはじめとして大学に行っているとは考えられないほどの仕事量をこなすあなた方のすごさは伝わってきていました。それだけにもっと勝利を一緒に喜びたかった。
スカウティングは突き詰めれば終わりのない仕事であると思います。けれど、あなた方の積み上げた少しが結果を変え得る以上やるしかありません。どこまでやれば勝つのか、やったところで結果が変わるのかは分からないけれどほんの少しでもチームを勝利に近づけるスカウティングを引き続きお願いします。
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