まっさら
歌俊亮(5年/MF/浅野高校)
卒部feelingsとなると何を書くのが良いのだろうか。
ポイントを抑えてサクッと書いたり、他の部員と違うテイストで書いたりしようと思ったが、どうも性に合わなかった。そんな器用じゃないし。スカしている感が出るのは嫌だった。国語的能力が足りなくて書けなかったとも言える。髙木の言う通りエセ読書家なのかもしれない。
ということで、自分らしくありのままの気持ちを書いていこうと思う。
一年目はただひたすらサッカーが楽しかった。高校の頃ア式に憧れる大きな要因であり、強く興味を惹かれていた山口遼監督はもう居なかったが、元プロで今では大人気解説者となった陵平さんが監督であったため、刺激的であった。A行くたびに怪我をしたし、密かに負けたくないと思っていた谷はずっとAにいたし、自分も思ってたよりは通用しなかったけど、案外やれた。とはいえ、持ってる正解は高校の時に積み重ねたものだけだった。その高校の時の正解も、受け身で、今考えるととても視野が狭いもので、リスクリターンが見合わないものも多かった。
2年目はそんな受け身のサッカーがつまらなくなった。このままで良いのかわからなくなった。4年間サッカーに捧げて良いのか悩んだ。よく考えずに入部したツケを払わされた。全くサッカーをせず1年が終わった。
3年目はその答えを表していた。結局サッカー以上のものなどなかった。辞める勇気がなかったとも言えるが。シーズン初め、本気でやることを誓った。とはいえこれまでと同じ正解でサッカーしても、限界であった。
この年は、色んなサッカーを見た。ブライトン・シティ(ギュンドアン)・レアル・往年のバルセロナ・Jリーグなどなど、、
おかぴさんやふるさん、よしもとなどの影響で、自分のサッカー観を無理やり広げられた。ようやくア式に入ったような気がしたし、ア式沼に嵌められた。サッカーおもろすぎる。
そうして知ったのだが、この世には理論的な判断を下し続けるサッカーがあるらしい。ポジショナルプレー。グアルディオラ監督率いるシティやバルセロナのサッカーがその最たる例だろう。高校で教わったものの延長線上にあるものだった。高校の時よりも体系的で、どの事象も説明をつけられるものだった。感動した。また、自分のプレースタイルとも相性が良かった事もあって、強く惹かれた。
これこそ、自分が求めてた正解なのかもしれない。そう思った。
実際、シティの試合を見ると、選手は楽しそうだった。
同時に難しさも感じた。シティの選手たちは自分で判断を下し続けてることが当時の自分でさえ理解できた。受け身にプレーしていた自分からすると、決断を下し続けることは容易ではなく、大きな課題でもあると感じた。
公式戦には8割くらい出たが、シティの選手のような楽しそうなプレーはわずかだった。それでも、大前提として高校の時よりも一層素晴らしい環境で練習・試合をできる幸せを強く感じていた。練習ではマネが当たり前のようにボトルを入れてくれ、テクが毎日映像を撮ってくれる。試合も最高で、普段から多くの部員が応援してくれ、応援部がきてくれる事もある。チャントを作って歌ってくれ、配信までしてくれる。テクは毎試合スカウティングを欠かさずしてくれ、相手がどんなプレーをするのかイメージさせてくれる。ベンチではリアルタイム分析をしてくれ、HTなどに映像でFBしてくれる。プロさながらの環境であった。半端ない。毎試合緊張したが、だからこそ良いプレーに観客が沸いた時なんかはもう最高だった。
ただただサッカーが楽しい。その感情をまた思い出した。
また、この年にヨネさん(フィジコ)が入部した。初めて身体操作というものに触れた。熱量が半端なく、個人的なメニューまで作ってもらった。そのおかげか、調子がいい時の動きは決まっていることを知り、徐々に怪我は減り、プレーに安定感が出てきた。その頃から身体操作に興味を持ち始めた。
4年目は、監督があの遼さんのコーチをしているテツくんに代わった。3年目以上にポジショナルプレーに傾いた。最初の吸収しはじめは、上手くなった感覚があった。しかし、その合理的すぎる性質のせいか、自分の正解ではなく、客観的な正解に囚われ、消極的になる自分がいた。
それでも、試合に出続けたかった自分は、最低限のプレーは担保し続けたし、絶対に怪我はしないようにした。そのために米田さん・大智には大変お世話になった。少しでも異常があれば診てもらうようにしたし、予防・改善のメニューも色々教えてもらった。ふたりともありがとうございました。
結局全試合に出ることができた。監督からの信頼も感じながらプレーでき、充実したシーズンではあった。
とはいえプレー自体は、ちょいちょい良いプレーもあったが、満足いく試合はほとんどなかった。チームとしても期待されていた代なのに結果が出ず、苦しかった。毎試合の振り返りはどうしてもネガティブなもので、楽しくなかった。うまくなれる気がしていなかった。
そんな中でもネガティブをエネルギーに変える選手は多くいた。同期の多くが腹を括ってチームのために全力をかけている姿に、自分がチームのことを思いきれていないことを思い知らされた。チームを良くするために様々な方法で影響を与えようとしていた。監督とコミュニケーションを取る・練習後集合で厳しいことを言う・お互いにフィードバックする・mtgを開くなど、方法は様々であった。
また、チーム運営の様々な話を聞くことが増えた。ユニット活動はHPの更新のみであった自分としては、考えた事もなく、意見もできず情けなかったが、部の活動はいろんな人の支えで成り立っていることを認識させられた。
こうして4年目の最終節が終わり、正直不完全燃焼であった。勝った試合も自分が100%貢献できたかは自信が持てず、むしろパフォーマンスが良い試合では負けた。チームを勝たせられる選手になりたかった。
学生生活が幸いあと1年あり、サッカー自体は最高に楽しいものであった自分にとって、サッカーをやる以外考えられなかった。ア式でやる可能性は高かったが、他にサッカーをやりたいと思えるチームがあるか探したかったから・チームを外から見たかったから・精神的にしんどかったからという理由で、チームを離れた。
周りの人の繋がりによって様々な社会人チームに参加させてもらった。レベルも県2部から関東1部まで様々であった。繋いでくれた皆さん、ありがとうございました。とにかく今の自分がどこまで通用するのか試したかったし、あわよくば魅力的なチームを見つけ、入団してやろうと考えていた。また、ア式になくて他のクラブにあるものは何か。逆に他のクラブになくてア式にあるものは何か。今の自分は何が足りてないのか。全て答えを出したかった。ア式に浸かりすぎた自分を変えたかった。
散々なところもあった。関東1部のあるチームでは、最初から明らかに期待されていなかった。それを覆すことはできず、もう1人の同い年の練習生のボランチの子が抜群に上手くて強度があった。今ドイツでサッカーをしているらしい。その子にはアドバイスが飛んでも自分には飛んでこない。屈辱的であった。マッチアップでも全部ボールを取られた。パスが繋がらない。
一方、当時監督が遼さんでテツくんがコーチ、スタッフにはテクが数人いるエリースでは一定通用した。練習のコンセプトがア式に近かった。自分より上手い選手しか周りにおらず、足を引っ張る側ではあったが、その分自分のプレーも引き出され、レベルも引き上げてくれた。一方で、守備・コミュニケーションなど、明確な課題が見つかったようにも思えた。
また、帰りに毎回遼さんの車で池袋まで送ってもらった。FBを貰えるだけではなく、その日の練習がどういう狙いでどんな現象を起こしたいのか、実際どんな現象が起きたか。練習ごと・セットごとのコーチングの種類の違いなど、自分には無かった視点の話を多く聞いた。様々な立場からサッカーを考えているのが伝わり、自分の中のサッカーの世界が広がった。
到底入団できるはずがなく、ア式の充実した環境を考えると、他にやりたいチームは見つからなかった。そもそも、前年の不完全燃焼感を解消するためには、ア式で成功する以外に方法はなかったように思えるし、それを悟っていたような気がする。
陶山を四ツ谷の美味しい焼き鳥で釣ることに成功し、5年目が二人新加入ということで新チームがスタートした。
今年はチームの全てに責任を持てる選手になることを目標とした。前年全試合出場を果たした身としては、自分が試合に出るだけでなく、試合に勝つこと・負けないこと。そのために試合や練習の雰囲気・質を上げること。チームが常に良い方向に変化しようとすること。
簡単に言えば、
チームのことを考える。
ましろや吉本が口酸っぱく言っていたことでもある。
全ての責任を持ちたかった。それだけ影響力のある選手になりたかった。これは、チームを勝たせる選手になることももちろん含まれている。
そのためにはア式に全てをかけること。自分じゃなくてチームを優先する。これが必要だと信じていた。
ア式には、良くも悪くもア式にコミュニティを絞って、全てをかけている選手が多かった。自分は裕次郎ほどではないが他のコミュニティも大事にしていた。そんな自分は彼らを眩しく感じていた。
シーズンが始まった。
シーズン初めってどんな感じだったっけ。パッとは思い出せなかったため、ログを読み返してみた。こういったことができるのもログの良いところだと思う。マネージャーいつもありがとうございます。
悲惨なものだった。練習のたびに主体性がないだの声がないだの。テツくんや荒がずっとキレている。サッカー以前の問題だ。
今見ても嫌になる。しかし、当時の自分は受け入れてしまった。それに反発するほどの自信がなかった。今の自分の姿勢が100%良い影響をもたらしている・チームに貢献しているという自信がなかったからだ。
荒や岡部のように練習中にチーム全体に働きかけるような声を出すのは得意ではなかった。当時チームに大きく足りていないものだった。周りの選手を見ているのに、セット間ばかりでオンタイムでは声が出ない。
また、自分のプレーに集中しきってはいなかった。チームのことを考えることで、周りのプレーばかりに目が行ったのだ。この年のプレーの画面録画の大半は他の選手へのFB用のものとなっていた。前年はほとんど自分の良いプレーであったのに。それでも保持に関しては、良いプレーがなかったわけではない。然程問題はなかった。非保持が問題であった。楽しさを見出せるほど理解できていなかった。楽しさ抜きにしてもやれるほど自分ごと化できていなかった。没頭できていなかった。
そんな中、非保持の練習が増えた。没頭できていなかったため、自分なりの正解を持てていなかった。だから何を発信するべきか考えてしまった。そのラグが質を下げていたし、質が低いことを自覚していたため自信を持てなかった。すると発信量は減った。悪循環であった。
非保持の課題感、発信力での力不足感・劣等感を抱いた。
チームとしても、なんだかやらされている感のある練習が続いていた。そんな状況を変えたかったが、何も出来ない自分がいた。誰かが助けてくれることもなかった。当然だろう。むしろ引っ張っていかないといけなかった。
自分がいかに周りに支えられていたか痛感した。
プレー面で言えば、前年はDF陣がパスを意図付きで通してくれていた。守備でも声掛けが多く、責任を持ってくれていた。前線の選手が先に呼んでくれていたり、先に胸を合わせてくれていた。良いプレーが出来ていたことに気がついた。周りが次のプレーを予測し、主体的にプレーし、して欲しいことを発信してプレイをオーガナイズしてくれたおかげで、プレーはしやすかった。そうした選手間の繋がりのなさが上手く行かなかった原因でもあったと今は思う。
練習の雰囲気についても、締めてくれる選手は多く、イシコのようにどんな時も盛り上げてくれる選手がいた。それに乗っかって締めたり声を出している自分は、随分と小さな余白を埋めていただけであった。もっと大きな余白を埋めないといけない。
すぐに改善したかった。ア式以外のチームを見たことも相まって、FBの解像度は上がった感覚があった。実際高口にもそう言ってもらった。だがピッチ上では意思疎通がなかなかできなかった。シーンとした瞬間は多く、気になったが声が出るのは何回かに一回。集合では雰囲気がどうのこうの言われる。悔しかった。
それでも当時できることはやり続けたが、チームのために空回りしていた自分がいた。怪我をしていても、全治を伸ばしてでも練習に出るべきだと考えていた時もあった。それだけチームに何か影響を与えたかった。
リーグ戦が始まった。開幕戦は9分間の途中出場。怪我以外でここまで出場時間が短くなるのは初めてだったため、落ち込んだ。それでもゲームを壊さないことを意識し、1-1。格上ということもあってか、チームは少しポジティブだった。旭や岡部が頼もしかった。
2節は大東戦ではスタメンだった。0-1。自分自身、プレシーズンでうまくいかなかったボール保持の感覚がほんの少しだがつかめてきて、ウィークであるセカンド回収も成長を感じた。荒にも安心すると言われて嬉しかった。もっと上手くなれるとワクワクした。
3節はベンチスタート。正直納得できていなかった(感覚を掴みかけた前節も、監督が求めている基準には全然届いてなかった。自分の基準の低さを痛感した。)。恥ずかしいが、準備を少々怠ってしまった気がする。0-4。途中出場したが、何もできず。独りよがりになっていた自分に嫌気が差した。感情で動き、チームに迷惑をかけた。それは結局自分にも返ってきてると思った。なんのために今年サッカーをやっているのか思い出した。
4節は帝京に負け、5節日文戦。今だ勝ち点1で勝ち点を落とせない中、スタメンであった。身体は軽く、悪くなかったがチームを勝たせるほどのプレーは出来なかった。0-0。
6節学習戦もスタメン。中2日は自分にはちょうど良く、この日は2025年の中で1番調子が良かった。オンザボールだけならキャリアハイであった。セカンドも拾える。手前を取った時は前進もさせられる。それでも周りを動かし切れず、ビルドが一生引っかかり、2-4。これまでの試合では感じたことのない「何か」をちゃんと掴みかけたような気がした。
3連戦の最後。7節武蔵戦。開始2分のFKの壁の着地という前代未聞の捻挫で負傷。交代枠を使いたくないからHTまで耐えようと思ったが、失点し、これ以上はダメだと思い給水で交代。結局1-2。
DL生活が始まった。全治6-8週とのことで最初の方はネガティブであった。怪我自体もそうだが、チームが苦しんでいる中その船から降りること・何も出来ないことが悔しかった。しかし、久保さんがくれるメニューがきつくてそれどころではなく、またDLを本気で取り組むことが自分にとってもチームにとっても一番だと感じた。
久保さんと桃香の厳しい目もあり、DLをやり続けた。また、その中でも練習中に気づいたことを集合で伝えてみたり、練習中に個人に話してみたりもした。船から完全に降りたくはなかった。それでももっとできることがある気がして、物足りない気もしながら過ごした。
チームは内容が改善された試合もあったが、下位対決も負け、怪我する前も含めたら6連敗。前期が終わり、最下位であった。
後期開幕週から復帰した。フレッシュな自分がチームを勢いづけたかった。DL後だったため、調子が良かった。チームにも影響を与えようと気づいたことは集合で発信した。
12節成蹊戦。同じく低迷していたため、叩きたかった。1-1。スタメン出場し、プレーはまずまずだったが、守備では最低限穴を作らなかった。味方への発信は熱量持ってやりきれた。実際荒もわかってくれていた。それでも勝たせるほどの力はなかった。もっとプレーでも見せないといけなかった。一方で、良いDLを積めたからか、復帰直後で73分までプレーできた。トレーナーの方々に感謝です。
13節大東戦もスタメンであった。前半の2失点に絡んだ。1失点目は股の間に縦パス通されて失点。2失点目はビルドミスの流れからの失点。それも2分ほどの間での失点。一つのミスへの認識が甘かった。
それでも喰らいつくしかなかった。縦パスを通してきた相手10番から何回かボールを奪った。ボールは失わなかったし、前にも運んで引き付けた。それでも点に直結するような仕事はできず、0-6。
全てが悔しかった。負けたことも、この点差も、失点に絡んだことも、自分が開き直った後半にしか良いプレーができないことも。少し前まで同じリーグを行き来していて互角に戦えていた大東と順位のみならず試合でもここまで差を付けられたことも含めて、全てにイライラした。
試合後に気づいたことがあった。相手の10番は悪く言えばすごく他責であった。ちょっとでも悪いパスが来て失ったら、味方にぐちぐち要求していた。ある意味、仲間に期待しているとも解釈できた。
当時の東大は、それぞれの個人が上手くなろう・良いプレーをしようとしていて、仲間に要求をしているが一方的であったり、言い放つようなものが多い。仲間と良いプレーを作りあげたり、味方を助けるようなプレーをしたりする意識が足りてなかった。前年のましろのmtgを思い出した。信の念mtgというやつだ。個人的に刺さったmtgであった。リスペクトを持って要求し続けるために、信頼をしあって口に出せるように行うワークのようなものだ。少し内容をアレンジして行った。チームのためにはもちろん、チーム全体に影響を及ぼそうとし続けていた荒や岡部のためにも、チーム全体に向けて何かしたかった。どれだけ刺さっていたかはわからないが、ワークをしていた時はポジティブな雰囲気で、なんだか早くサッカーがしたくなったのを覚えている。
それでもプレーにすぐ直結させることはできず、自分も後半途中からの出場であったが、あまり貢献できず、14節桜美林戦は1-6。厳しかった。
リーグは2ヶ月の中断に入った。
4月からうちに練習参加していて、「選手主導のボトムアップ」で話題になった堀越高校の元キャプテン竹内と初めてちゃんと話をした。その日は夜遅くまで付き合ってもらった。あの時はありがとう。
自分がチームに抱いている漠然とした課題感を聞いてもらい、彼が感じる課題感も聞いた。
印象に残っているのは、「イレギュラーを起こす」という概念であった。集合で言うだけでは不十分で、セット間でのコミュニケーションでも不十分。練習内・セット中のコミュニケーションやプレーで何かを伝え、プレーを変えさせること。そのために、「イレギュラー」を起こしてチームメイトに強く意識させる。松木玖生の集合なんかは最たる例だ。練習中の竹内を見ていると、意識しているのが伝わってくる。また、荒の影響力も「イレギュラー」を起こしているからだと納得した。
それ以降はオンタイムでの要求・指摘にこだわった。プレー中に考えている暇はないため、更なる自信が必要であったが、同時に、そうした行動を取るうちについていくものでもあった。実際ましろにも、「今の方がチームに良い影響与えているよ。」と不意に言われた。
加えて、自分のプレーにも集中できる感覚があった。というか、自分のしたいプレーやチームがしたいプレー、すればチームが上手くいくプレーを叶えるために頭を使えているので当然である。なんだか書いてみると当たり前のように思えるが、これに気づくのに時間がかかってしまった。
気まぐれでしていた高口とのFBもちゃんと再開し、シーズン終盤はほぼ毎週してもらっていた。疑問を全てぶつけた。
また、怪我を恐れて避けていた自主練も、竹内に教え込まれてやってみた。多少足が痛くても続けてみた。楽しかったし、自信になった。
気づけば週1〜2回、部室の掃除もした。特に試合に負けた後は、みんなより少し遅めに筋トレをして必ず掃除した。罰則に何度もなってしまったが故に、部室の汚さに敏感になったんだろう。プロがこんな環境で過ごしているはずがないと。些細なことかもしれないが、部室をきれいにするだけで自分の心が整う。チームに良い影響をもたらすと信じていた。
チームのためにできる余白を全て埋めようと動くうちに、自分のプレーにも自信が戻ってきた。双青戦でほぼアシストをしたり、練習試合で点も決めたり、練習でも以前のような自分の好きなプレーができるようになったりした。誠二郎に「5年目にしてスロースターターすぎん?」と言われたが、彼も人のことを言えないくらいスロースターターであった。
中断期間が終わり、迎えた15節帝京戦。2週間ずっと誤魔化していた内転筋の存在が気になった。ここ2週くらい痛かったけど、治るだろうと希望的観測をし続けてきた。プレーに大きな影響もなく、モチベーションはむしろ最高であったため、帝京に勝つことしか考えていなかった。
ベンチスタートであったが、必ず出番はあると思っていたし、状態は良かったので、仲間を信じて待っていた。前半は0-1。後半は0-0のまま30分経ったが、出番はない。早く出せと思いつつ、準備した。すると失点。直後に監督に呼ばれた。準備はできていた。調子は良く、後ろ向きで相手を剥がしたり、前に運んだりできた。久々に観客が湧く感覚を感じた。めっちゃ楽しかった。とは言え、剥がした後のクオリティが帝京相手には足りてなく、0-2。チームに勝ち点をもたらせなかった。また来週から頑張ろうと思った。
しかし、内転筋は悲鳴をあげていた。病院での診断は肉離れ2度で全治6−8週であった。あと7試合。これ以降の相手は、ほとんど中位以下であり、最短で3試合で降格が決まる、そんな状況であった。ここで離脱はしたくない。自分が良いイメージをもつ相手であっただけに尚更である。
久保さんや村上先生に懇願して、3試合先の武蔵戦に100%で戻ることを目標に決めた。譲歩してもらったとはいえ、戻れる保証はなかったし、なんなら可能性は低かった。
それでも、治ると信じるしかなかった。久保さん・村上先生に協力していただき、治療のための最大限を尽くした。日々のリハビリ・ケアに加えて、村上先生の紹介で高い注射を打ってもらうこともあった。お二方には感謝しかないです。ありがとうございました。
少し気が引けたが、チームメイトを信じ、チームの練習にはあまり気をかけず、とにかくリハビリに集中した。無理はしないができるだけ負荷を加えることを意識し続けた。トレーナー陣が毎日誰かしらいて状態をチェックしてもらえる状況であったり、意外と走れたり、DLメニューもキツく楽しくこなせてたりでポジティブなことも多く、充実していた。
様々な治療・リハビリのおかげで本当に2週間で復帰できた。
チームは2連敗。どちらも1-2。勝てそうな兆しが見える中での敗戦であった。
いつも通り、DL後はとても調子が良かった。武蔵は上位であったが、前期は接戦であったし、チャンスはあるはず。なんとしても初勝利を掴む。必ず出番は訪れるから、そのためにやれることをやり続ける。それしか考えていなかった。
ベンチスタートで後半30分まで1-1。またもや接戦である。遂に監督に呼ばれた。絶対チームを勝たせる。自分のできることをし続けることに専念した。すると、2分でコーナーを獲得。星に怪我してる時の方が上手いと言われたコーナーキックがゴールに吸い込まれた。いまだに信じ難いが、髙木が触っていたらしい。何はともあれ、遂に勝ち越した。しかし、パワープレーですぐに追いつかれてしまった。それでも自分がやれることをやり続けた。ボールを収めた。前に運んだ。徐々に流れが変わっていくと信じた。帝京戦で見つけた役割。これは俺が果たせる役割であった。ゴールキックの跳ね返りを収めて陶山にパスする。スロースターター誠二郎が抜けて、ゴラッソを叩き込む。
遂に勝てると思った。確実にチームに貢献できている。感情が爆発した。
その1分後に失点した。なぜか毎回相手は強いしうちは弱い。そして最終盤にPK取られて失点。3-4。
受け入れてやるしかなかった。どの試合も勝つしかないことには変わりない。19節横国戦もベンチであったが、前節と同じマインドであった。
HT時点で0-2だった。監督に呼ばれた。自分の仕事は流れを変えて主導権を引き寄せること。ボールを収めて主導権を握る。やれることをやり続けることには変わりなかった。ピッチに立った。淡々とやり続けた。ボールを呼び込んでターンする。仲間に前進させる。
徐々に流れがきた。70分、チームで上手く崩した。自分も良いターンをして展開し、プレスラインを切る。特段良いプレーとも思わないが、細かい良いプレーを淡々とやり続けた成果ではあった。1点返した。貢献できた。だからこそ勝ちたかったが、それ以上崩しきれなかった。勝ち点をもたらせる力はなかった。
20節理科大戦。この裏天王山ではスタメンであった。ほとんど印象に残ってないくらいの出来であった。ここ最近できていた、ボールを落ち着けるということもできなかった。この大一番で勇気を持ってプレーしきれなかった。楽しめなかった。1-1。
21節玉川戦はベンチであった。終盤まで0-0であったが、終始ボールの落ち着かない展開だった。85分から出たが、展開は変わらず、何もできなかった。試合中に無力感に襲われた。「カオスから逃げるな」という昨年同時期の玉川戦でのましろの言葉がフラッシュバックした。去年と課題感は変わっていなかった。0-0。
ここにきて何もできないとは。プライドを折られた気分だった。
試合後の練習試合で価値を示せないと終わりだと感じた。
チームを勝たせるには至らなかったが、これまでで一番納得感のあるパフォーマンスであった。守備では前を動かして誘導してボールを取れたし、ビルドアップでも味方がプレーしやすいように、プレーでも声でも動かせた感覚があった。何より勇気を持ってプレーできた。
相手のレベルはあるにせよ、上手くなった。
サッカーで一番楽しい瞬間。
大事なのは、ミスを恐れず、自分の考えを確信して、勇気を持ってプレーすること。また忘れていた。
最終週。火曜・水曜とパフォーマンスが良かった。自信を持ってプレーできた。また成長を感じるプレーをできた。
週末はベンチであった。それでも、出番は必ず来るし、何としても勝つ。後半10分に監督に呼ばれた。
ようやく勝った。相手が退場したこともあってか、なんだかあっけなかった。勝つ時はこんなものかとも思った。
自分のプレーはと言うと、何度か旭とけんごとプレスラインを切って前進させた。思い切ってプレーした。少し楽しかった。
こうして自分の大学サッカーは幕を閉じた。
この5年間、どう言い表せられるだろうか。今年に関しては少なくとも満足のいく結果とならなかった。谷より上手いプレーヤーになりたかったし、チームを勝たせるような選手になりたかった。もっと試合に出て貢献したかった。良いプレーをして観客を沸かせたかった。練習中から色んな角度で影響力を高めたかった。他のチームから一目置かれるような半端ない選手になりたかった。もっと良い選手、人間になりたかった。
正直キリがないだろう。別に手を抜いてきたわけではないのだから、なるべくしてなった状況に他ならない。
結果を追い求め続けてきた。今年は特に。その過程で、なれるかわからないような理想像を掲げ続けてきた。そうすれば勝てる、残留できると信じていたから。自分の価値を証明できると思っていたから。全てを曝け出した。その結果がこれ。こんなもんなんだ。クソ。なぜ良いパフォーマンスを出せなかったのか。なぜ味方に良い発信ができなかったのか。良い影響をもっと与えられなかったのか。なぜ仲間たちにポジションを奪われ、ピッチ上で影響を及ぼす権利すら失ってしまったのか。なぜ刺激し合える良いチームを作れなかったのか。
うーーん。この1年は何だったんだろう。
4年間では、限界は見えきらなかった。実際、出場時間や結果を見れば、とてもポジティブなものだろう。
それで終わっておいた方が綺麗で幸せだったか。
そんなわけがない。ありえない。この1年は最高に幸せだった。自分の限界が見える場面は何回もあった。それを乗り越えようと、去年よりも難しいチーム状況に陥ってしまった中でも、全力で挑戦させてもらえた。当時は苦しかったが、今考えるとこの上なく幸せであった。
この1年間で感じたのは、苦しさだけじゃなかった。楽しさを感じた瞬間も多くあった。
上手くなった瞬間。学習戦・セカンド玉川戦で何かを掴みかけた瞬間。ピッチ内でもピッチ外でもチームのために行動を起こせた瞬間。旭や岡部とプレスラインを切り、ポゼッションが上手く行った瞬間。練習試合や練習で点を決めた瞬間。帝京戦で観客を沸かせるプレーができた時。試合中に池澤と何本もプレスラインを切りあって前進できた時。荒と銭湯で真面目な話もしょうもない話もした時。旭と岡部が俺の家の近くに良い銭湯を見つけた時。試合前日に髙木や河島ともり川に行った時。チームが戦えるようになってきた瞬間。
これまたキリがない。これらの瞬間は全て、自分にとって宝物である。
それでも、それだけ過程に価値があったとしても、自分にはそれで良しとはできない。結果が全て。結果が出てない以上は、過程のどこかに間違いがあったのだ。
それに、一生言われるだろう。この代は弱かったと。この年は残念だったと。それは、何を言っても覆せるものではない。どれだけ成長したかを伝えても、結局降格してるじゃんって。肯定されることはほとんどないだろう。それは受け入れて、重い十字架を背負っていかないといけない。
引退して、OBコーチとして外から練習を見ていてはっきり気づいたことがある。
選手自身でちゃんと意思決定しないとだめだということだ。なるべく早く情報を得て、迷いなく早く判断する。状況を自分の目で見て、自分の正解を出す。間違っててもいい。決断をすることが大切だ。他の人に任せちゃだめだ。自分が合理的に良いと思うことに自信を持って、その理由まで説明できないといけない。そのために知識を集めて、チームみんなで理解を深めて、根拠のある自信もない自信も持たないといけない。じゃないと他人を動かせない。他人を動かすということ一つとっても、独りよがりになってはいけない。味方がやりやすいように、思いやりを持って声かけをしないといけない。何が本当に刺さるのか考え、味方の行動が自然に変わるようにしなければいけない。それくらい余裕を持ち、味方のプレーにまで責任を持てる選手にならないといけない。それでも味方に伝わらないなら、双方向にコミュニケーションをしっかり取って、改善していく。
もっと早く気づけていれば、結果は変わったかもしれない。学習院戦やセカンド玉川戦で掴みかけていた何かもこれらだろう。
だからこそ、去年を肯定し得る方法は一つあるかもしれないと思う。それは、後輩のみんなに結果を残してもらうことである。去年のチームも積み重ねたものは少なからずあったと思う。チームが腐ることはなかったし。その良かったことも悪かったことも踏まえて、みんなが一番良いと思う選択をし続けてくれれば、去年も全てが無駄ではなかったと言える。それで昇格という結果を伴えば、自分たちまで少しだけ報われるような気がする。そのために、自分もできることがあれば何でもしようと思っている。
独りよがりかもしれないが、これはOBコーチをしている理由の一つだ。
とはいえ、正直最初は気が乗らなかった。指導体制が変わってうまくいってる選手は羨ましかったし、チームが良い方向に向かっていることがなんだか悔しくて抵抗感があった。
けど自分のそうした感情で、ア式の選手が同じ道を通るのはあまりに勿体無い。もっと違う道を、もっと上の道を、誰も見たことのない道を通って欲しい。
また、自分が思うことを発信しないのは自分を否定することにも繋がるし、ア式にいた意味がない。逆に後悔するような気もする。
だから、まだまだサッカーをアップデートできるよう勉強して、全力で練習に取り組んで、みんなに意見をぶつけ続ける。それが今の自分にできることだ。
ある意味恩返し的な意味合いもあると考えている。自分自身、様々な人から様々な形の影響を受けてここまで歩んできた。テクやコーチ、監督からのFB・練習中のリアクションの一つ一つも、選手からの指摘・言い合いも、全てが自分の成長につながっていると信じている。
中でも、高口のFBには特にお世話になった。サッカーを食べている彼は、気の利く性格で、ある意味性格が悪いため、刺そうとする言葉を、タイミングを考えて出してくる。それが自分としてはすんなり受け入れやすく、昨季は特にたくさん頼らせてもらった。感謝してます。
正直書ききれていないことも多くあると思うし、自分の偏見が大いに含まれてしまっているかもしれませんが、ご了承ください。
感謝ですが、文章中でも一部書いたので、手短に述べて終わろうと思います。
永山先生
先生ほどの指導者に6年も教えられ、あれだけ多くの試合で起用してもらったことが、最高に幸運でした。考えてサッカーをすることの入り口を教えて貰いました。大学サッカーでも、その教えにどれだけ助けられたか。感謝しかないです。
陵平さん
一年生の頃に度々Aに呼んでくれ、ゴーストバスター後は多く起用してくれて嬉しかったです。クラブにも様々なものをもたらしてもらいました。ア式に来てくださり、本当にありがとうございました。
テツくん
自分はなんて指導者運が良いのだろうか。もっと良い選手になって、もっと貢献したかった。上手くしてくれてありがとう。
先輩方へ
面倒見の良い方ばかりで、色々と気をかけてくれてありがとうございました。辞めなくて良かったです。みんな上手くて、一緒にサッカーするのが楽しかったです。
同期(106期)へ
同期はみんなだけです。このメンバーなら4年目にもっと楽しいサッカーをしたかったし、絶対できた。それが心残りです。これからも仲良くしてください。
ましろとひかるはAコーチお疲れ。2人とももっと明るい表情にさせたかったな。
あと陶山、1年間ありがと。なんだかんだ心強かった。後2年間ア式をよろしく頼む。
荒。どこまで力になれたかわからないが、荒のおかげで成長した面もあった。シュワーボ頑張って。また萩行こう。
旭、岡部。今年の2人はそれぞれやるべきことをやっていて、頼もしかった。2人ともっといいサッカーしたかったな。岡部は来年待ってます。
後輩たちへ
まず5年目を受け入れてくれてありがとう。みんなの熱量のおかげで、苦しくも楽しい5年目でした。今、チームは間違いなくピッチ内外で良い方向に向かっていると思うから、自信を持って、これまで以上の熱量で頑張って!応援してます。
LB会の皆様
苦しい状況の中でも多大なるご支援・ご声援をいただき、ありがとうございました。今年からはそちら側に行きます。
部員の親族の方々・サポーターの方々
皆さんがずっと変わらず応援してくれていて、非常に力になりました。保護者同士の交流の話をよく耳にしましたが、いつもほっこりさせられました。ありがとうございました。
最後に、家族へ。
わがままで頑固な次男がここまで不自由なく人生を歩むことができ、サッカーもずっと楽しめたのは、両親の熱心なサポートのおかげです。精神面でも金銭面でもたくさん支援してもらいました。こんなにものめりこんでしまうとは思ってなかった。あの時辞めなくて本当に良かったと思います。色々ありがとう。試合に出るようになってからは二人もア式を楽しんでくれていたようで嬉しかったです。これからは少しずつ恩を返せるように、これまで以上に応援しがいのあるコンテンツで居られるように、全力で頑張ります。
お兄も小さい頃サッカーを教えてくれてありがとう。2歳からサッカーをできたことは、自分の強みの細かいボールタッチに間違いなく影響を与えたし、確実にアドバンテージだったと思う。
もう社会人か。この先、本気でサッカーをする予定は今のところない。それでも、できるものならまだサッカーしたいと思う自分はいる。悔しい気持ちのまま終えるのはいやだし。とはいえ、実際問題時間はかけづらい(その点、谷は半端ないと思う)し、できることはやりきった。悔しいが悔いがあるわけではない。コンプレックスをエネルギーに変える使い方も悪くないように思えてしまった。こんなに面白いものを手放すのは痛いが、これからはサッカーの悔しさは胸に抱えて、燃料にしよう。
まだ何も積み上げていないまっさらなフィールドで、サッカー以外に熱くなれるものを探して、これまで通り胸の高鳴りのなすがままに頑張っていこうか。
歌 俊亮
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