利他の心

永田祐麻(4年/テクニカル/麻布高校)


小さい頃から、ボールを蹴ることが好きだった。


幼稚園に入る前、ロンドンにいた頃も、公園で同年代のイギリス人と3人でボールを蹴っていたし、幼稚園でもグラウンドでの遊びといえばボールを蹴ることだった。


小学校に上がると、学校のサッカーチームに迷わず入った。入った当初は、自分が一番うまかったように思う。チーム自体がそこまで強くなかったこともあり、レベルの高い相手とやる前に試合はいつも負けていたから、自分よりももっとうまい選手のことを知らなかった。上の学年に混じって練習や試合をする時も、自分の方がうまいことがほとんどで、自分は圧倒的にうまいのだと思っていた。


周りに追いつかれ、追い越され始めたのは、小5くらいの頃だったように思う。僕はただボールを蹴るのが好きだっただけで、ちゃんとサッカーに向き合って練習することもなかったし、トレセンなどの選考会に行くこともなかった。同期がトレセンの選考会を受けて刺激をもらっている間、僕は塾に通っていた。そうしているうちに、いつの間にか実力は追いつかれていた。


中学に入ってもサッカー部には入ったが、どうやったらうまくなれるのだろう、なんて考えてはいなかった。真面目に練習する時間よりも、壁に向かって自由にボールを蹴っている時間の方が圧倒的に楽しかった。当然そんな姿勢で試合に出られていたのは最初のうちだけで、中2になってうまい後輩が入ってきてからは、ほとんど試合に出ることはなかった。


中3になり、ベンチに座っているだけで最後の大会に負け、そのまま深く考えることもなく高校の練習に参加し、部活を続けることを選んだ。


高校の練習に参加するようになってすぐの中3の夏、怪我をして、一年半ほどサッカーができない時間が続いた。当時は、自分がボールを蹴れないのに毎日練習に行き、同期や先輩が練習するのを眺め、マーカーやスクイズを置き、ボール拾いをする地獄のような生活を送っていた。相変わらず、うまくなりたい、強くなりたいという気持ちを持っていなかった僕は、リハビリも適当にこなしていたので、怪我がさらに長引くという悪循環に陥ってしまった。


こんな調子だったので、今振り返ってみても、なんでやめずに毎日練習に行き続けられたのか本当にわからない。そんなこんなで高1の終わりか高2の頭くらいに復帰はしたものの、怪我をかばいながらだったため満足にプレーすることはできず、気がつけば引退を迎えていた。


高2の12月に部活を引退してから、浪人せずに東大に入学したが、怪我で高校時代も満足にプレーできなかった自分に、プレイヤーとしてア式に入部する選択肢は存在していなかった。サークルでお遊び程度にサッカーをするか、スタッフとしてア式に入部するか、サッカーとは離れた生活をするか迷った末、一度だけ体験に行ったサッカーサークルにサークル費だけ納めてフェードアウトし、サッカーからは離れようと決めた。


当時の自分からすれば、スタッフとしてア式に入部することは、高校時代の苦い思い出を呼び起こす選択肢であり、一番取るはずのない行動だった。


そこからしばらくして、丸さんとご飯に行ってからア式に入部するまでは、本当にあっという間だった。見学に行った時に特別な何かを感じたわけではなかったが、即入部を決めたのは、サッカーが自分にとって本能的に離れたくないものだったからだと言わざるを得ない。


周りより遅れて入部した1年目は、本当に何もしないうちにシーズンの終わりを迎えてしまった。自分が入部した頃にはユニットの配属は終わっていて、タイミングを逃してしまったし、1年の自分がテクニカルとしてできる仕事も週1回の撮影程度だった。


練習が始まる直前に部室に着き、三脚を片手に定量研の屋上へ急ぐ。練習が始まると定点で三脚をセットし、紅白戦などの大コートのメニューまで、ぼーっと練習を眺める時間が始まる。自分がするわけではないサッカーを見続けるのは、やっぱりしんどかった。


練習前の集合にも顔を出さず、練習後は急いで部室に戻って練習動画をアップロードする。さらに公式戦も屋上から撮影していたこともあり、選手と関わることはほとんどなかった。何もしていない自分にとって、部室は居心地の良い空間ではなかったので、撮影や公式戦が終わればすぐに帰宅し、クラスの友達と遊ぶ毎日だったことを覚えている。


当時のテクニカルは今ほど新入生教育もしていなかったし、新入生がサッカーを学ぶ環境も整っていなかった。また、スカウティングなどに関わらせてもらえるのも4年生が引退した後だったので、自分の成長もほとんどなく、なかなかチームの一員であることを実感できないまま1年目のシーズンは終わってしまった。


こんな生活が終わったのは、2年目のシーズンからだった。プレシーズンに初めて班に入れてもらい、スカウティングが始まった。最初の上智戦では駿平さんの作業をひたすら観察し、続く成蹊戦でメインを任された際には、その内容を見よう見まねで実践してみた。


今振り返ればクオリティは本当に低かったが、ア式に入って初めて、目に見える形で自分がチームに関わっていると感じることができた出来事だった。ただこの試合は成蹊相手に何もできず0-3で敗北し、自分の無力さを痛感することにもなった。それでも、自分の想定していた動きを相手がしてくることは気持ちの良いものだったし、スカウティングの楽しさを感じることはできた。


この年は、スカウティングという仕事を得たこと以外にもいろいろな要因が重なって、部活に関わる時間が増え、部活へのモチベーションが一気に上がった年になった。


まず、部室にいる時間が圧倒的に増えた。そもそもスカウティングの作業を部室でするようになったことに加え、前期にほとんど授業がなかったこと、進学先の農学部が部室からすぐの場所だったこともあって、平日昼過ぎから部室に来てぐだぐだ過ごすようになった。


また、1年生の頃に入れていた週末のバイトをやめたことで、サタデーの応援に行けるようになったことも大きい。応援を通して、たくさんのプレイヤーと話す機会を得られた。最初はただチャントが歌いたくて行っていた応援も、気づけばチームへの愛を大きくしてくれた一番の要因になるほど、大切なものになっていたと思う。テクのみんな、応援はした方がいいよ。


そして、何より自分の部活へのモチベーションを上げてくれたのが、後期の上智戦だった。この試合は、自分がスカウティングした試合で初めて勝つことができた試合だった。先制はされたものの、せいじろうが2点取って逆転したこの試合。試合後、上智側の観客席への挨拶が終わって東大側の応援席への挨拶に向かう時、荒がお前のためにも頑張れたと言ってきてくれた。


荒が覚えているかわからないけど、少しでも自分のために勝とうと頑張ってくれるプレーヤー、同期がいることが本当に嬉しかったし、そんなプレーヤーや同期のために少しでも貢献しようと決意したのを覚えている。


この年は夏の中断期間までに多くの試合を消化していたこともあり、あっという間に4年生の引退時期を迎えてしまった。


そして4年生が引退する、つまり自分にとって2年目のシーズンが終わるということは、3年生がユニット長を務めていたテクニカルにおいて、自分がユニット長になるかどうかを決める時期が来たということでもあった。小学校時代のサッカーチームで、うまいからという理由だけでキャプテンを任されていた時期を除けば、自分は小さい頃からリーダーというものをしてこなかったし、ずっと避けてきた。そんな自分にとって、東大ア式テクニカルという少し名の知れた組織の長になることは、重荷でしかなかった。


らに、自分が見てきた先輩テク長2人の偉大さを思うと、自分には到底務まらないとも感じていた。ただ、自分たちの代のテクニカルは人数が少なく、皓大がコーチをやるとなってからは実質二択になり、結局は消去法のような形で自分が務めることになった。


こうして迎えた3年目、テツさんが新監督に就任し、シーズンが始まった。


テツさんが合流してから、プレーヤーの多くは明らかにサッカーがうまくなっていたし、Jの現場でアナリストとして活動していたテツさんが毎日部活に帯同してくれることは、テクニカルにとっても非常に大きかった。


しっかりとしたゲームモデルのあるテツさんのサッカー観を理解することは、それぞれのサッカー理解を深めることにもつながった。テツさんは毎週のmtgなどを通してその考え方を明確に発信してくれたから、僕らも勉強する材料をたくさん得られたし、どんなプレーを求めているのかもわかりやすくてありがたかった。実際、僕自身もテツさんのサッカー観を理解しようとする中で、多少なりともサッカー理解は深まったと思う。


また、テツさんのアナリストとしての経験を生かして、スカウティングmtgの方法も大きく変わった。以前よりも、選手に伝わりやすい形へと変化していったと思う。


ただ、テツさんのサッカー観がしっかりしていたことは、良い面ばかりではなかった。これはテツさんではなく、部員側の問題なのだけれど。


プレーヤーはテツさんのゲームモデルが浸透していくにつれ、プレーの幅が狭まり、選手の中で正解が一つに規定されていくような感覚が、外から見ていてあった。例えば、保持の局面で主原則がクリーンな前進であるにもかかわらず、「中央のスペースの価値が高い」という教えに縛られ、スペースのない中央から無理に前進しようとし続ける、といったようなことだ。


これはプレーヤーだけではなく、テクニカルについても同じだった。テツさんのサッカー観がすべて正しいかのような、テツさんのサッカーとは異なる思想が悪であるかのような雰囲気があった。選手たちは監督に評価されることで初めて試合に出られるようになるのだから、監督の考えに合うプレー選択をすることは理解できる。けれど、テクニカルは必ずしも監督の考え方だけに縛られる必要はないと思う。僕たちは、プロクラブで監督と一緒に招聘された身ではないのだから。


もちろん、チームのアナリストである以上、監督の考えを理解することは絶対に必要だ。だが、いくら監督のサッカー観を理解しようとしても、それだけでは監督の劣化版にしかなれない(これは僕が諦めただけかもしれないけれど)。監督とは異なる視点でサッカーを見て、監督の思考にはないものを提示することも必要なことだと思う。もちろん、監督と同じかそれ以上の思考の深さがなければ、異なる思想から出た意見など受け入れてはもらえない。それでも、最初から監督と異なる思想を除外するような空気感は良くなかったと思う。


また、僕たちテクニカルの強みの一つは人数が多いことなのだから、最初から全員が固定されたサッカーの見方をするのではなく、多様な考えを持ち寄ってより良いものにしていくべきだと思う。


少しネガティブな話をしてしまったけれど、僕自身はテツさんが作り上げたフットボールは美しくて大好きです。



さて、僕はテク長としてこのシーズンを過ごしたわけだが、テク長としても、一テクニカルユニット員としても苦しさを感じたシーズンだった。


テク長として、自分が何かしたと胸を張って言えることはあまりない。自分がテク長の間に何か新しくなったことといえば、個人フィードバックの形式ができたことと、1年生がスカウティング班に関わる時期を早めたことくらいだろうか。細かいことで言えば自分がやったこともある気はするが、大体はテクの誰かに仕事を振って、自分はそこまで関わらなかったり、誰かが「これをしたい」と言ったことにGOサインを出すかどうか決めたりするだけのことが多かった。これは結構後悔している。


自分が普段やっていたことは、誰かのミスをカバーしたり、開いた穴を埋めたりすることがほとんどだった。これは本当にメンタル的に疲れるが、誰かがやらないといけない役回りでもあるし、新しく何かアクションを起こすことが苦手な自分にとっては、それくらいしないと価値がないと思っていた。長ってそういうものなのかもしれないけれど、もっといろいろ関与できたよね、と感じるし、0から1を生み出す能力がない自分が悔しかった。


また、一テクニカルユニット員としても、いろいろな限界を感じた。


一番大きかったのは、中断明けの後期学芸戦だった。前半の初めからビルドアップの局面でボランチを使おうとして引っかけ続け、案の定複数失点した。そしてこれは、選手たちが日頃のトレーニングから中央のスペースを使おうという意識を刷り込まれ、無意識のうちにそういうプレー選択をしているのだから、自分がリアルタイムに何か言ったところで試合中には変わらないものだと、勝手に感じてしまった。


そして、この問題を解決したくても、テクニカルという立場ではチーム全体に影響を与えることはできず、コーチとして現場に出ていかない限り達成できないものだとも感じてしまった。スカウティングやリアタイ分析による、テクニカルとしての自分のチームへの貢献度の低さに絶望した。


それなら自分も現場に出ていけばいいじゃないか、という話ではある。けれど、実際にコーチとして稼働している人たちに比べて、自分のサッカー理解は圧倒的に低く、自分がコーチとしてやっていく自信などなかった。


これはアナリストとして致命的なことだが、自分がサッカーを好きなのは、ただボールを蹴ることの楽しさと、ゴールを決めた時の喜びが理由であって、サッカーを見ること自体はそこまで好きではなかった。テクニカルとして活動するためにいろいろな映像を見たり、本を読んだりはしたが、すべての時間を注ぐ勢いでサッカーを見ていた人たちと比べれば、サッカーにかける時間は圧倒的に足りていなかった。サッカー理解が低いことなんて明白だったし、自信なんてとても持てなかった。


そして、テク長という立場を通して外部の人と関わる機会を多くいただいたことも、苦しさを倍増させた要因だった。さまざまな方とお話しする機会が得られたことはとてもありがたいことだったが、そのたびに、テクニカルの外部からの評価の高さと、それに対する自分のアナリストとしての実力の低さとの間にある大きな乖離を感じさせられた。テクニカルの代表として「僕はできるやつです」という顔をしている自分と、コーチとして現場に出ているような人たちに比べてサッカー理解が数段劣っている自分。その差が苦しかった。


こうしたこともあり、1対1で話ができて、選手に直接アプローチできる個人フィードバックは、自分にとってとにかく大切なものだった。自分に自信がなかったことで、コーチとしてチーム全体にアプローチすることはできなかったが、選手個人にアプローチできる機会を得ることができた。


スカウティングなどによってチーム全体へ貢献できる度合いの低さに絶望していた自分にとって、個人フィードバックは、選手のプレーに直接影響を与え、自分が頑張れば目に見える形で自分の貢献が反映され得ることが嬉しかった。


そしてその結果として、自分のためにサッカー理解を深めようとしていたところから、担当している選手のためにサッカー理解を深めよう、という思考へと移っていった。自分が中途半端な理解のままでは、とても選手に教える立場にはなれない。そして、自分がうまくフィードバックを行うことができれば選手の上達につながるし、自分のフィードバックが足りないものであれば選手は変わらない。だからこそ、自分のサッカー理解を深めることは、選手の実力向上への責任を担うことでもあると考えて頑張ることができた。


おそらく、個人フィードバックが始まってから自分のサッカー理解は飛躍的に深まったと思う。人は、自分のためよりも誰かのための方が、より強い力を発揮して頑張れるのだと僕は思う。


この年は、苦しく、そして長いシーズンだった。


だからこそ、4年目のシーズンが始まった時の自分は、思っていた以上に燃え尽きていたのだと思う。


自分たちが最高代。けれど、はっきり言って、前年のシーズンで疲れ切っていた自分は、テク長を酒井に引き継いだ後、シーズンが始まった時のモチベーションはかなり低かった。前年のシーズンの主力の多くが引退し、戦力的にも厳しい戦いが予想されていた。テクニカルとしても、少しでもチームに貢献しなければいけなかったにもかかわらず、本当にどうしようもない状態だったと思う。


そんな最悪な状態の自分に火をつけてくれたのは、テツさんだった。プレシーズン、僕に対してというよりはテクニカル全体に対しての話ではあったが、スカウティングなどのクオリティや基準が低い、もっとやれる、と指摘された。スカウティングなどのチームへの貢献度の低さに絶望していた自分は、手を抜いているつもりはなくても、どこかでただこなしているだけになっていたのだと認識させられた。そして、そんなことはテツさんには言っていなかったのに、見透かされているようで、自分が情けなかった。


もうそんなふうには言われたくない。そんな思いでラストイヤーを過ごした。


結果的に、テクニカル全体としては、テツさん2年目のスカウティングは1年目のものと比べて格段に質が上がったと思う。一番大きく変わったことを挙げるなら、対戦相手の直前の1〜2試合は現地に観戦しに行くようになったことだ。個人的には、映像で何度も確認するよりも、1回現地で見る方が感覚的により多くの情報をつかめるので、これは質の向上に大きく寄与したと思う。他にもいろいろあるけれど、これは自分の話ではないので割愛する。


テツさんとの話のあと、飛び抜けた戦術理解があるわけでもなく、圧倒的な仕事量をこなせるわけでもない自分が、テクニカルとしてチームに関わる価値、チームに貢献する方法を改めて考えた。


結論としては、同期が公式戦に少しでも多く出てくれるように、その助けになる、という去年のfeelingsに軽く書いた今年の目標と、結局は似たようなものになった。テツさんが戦力として見ていない選手の中から、計算できる選手、チームに必要とされる選手を自分が作るということだ。まあ簡単に言えば個人フィードバックを頑張ろう、という話である。


院試の時期を除けば、スカウティングなどでどんなに忙しい時でも、フィードバックは欠かさず毎週行ったと思う。これは半分、意地のようなものだった。これすらできなければ自分の価値はなくなってしまう。そう思って取り組んでいた。


そして引退した今、果たして僕の個人フィードバックは成功だったのだろうか、という考えが絶えず頭の中に浮かんでくる。


プレシーズンから担当していた大輝、頼経、馬の3人とも育成からAに昇格させることができ、メンバー争いに加わってくれたのだから、成功と言えるのかもしれない。


それでも、成功とは言えないと感じる点も多くあった。


大輝は後半の切り札として欠かせない存在で、点も取ってくれた一方で、スタメンで出させてあげられるほどに成長させることはできなかった。


頼経はスタメンで何回か使われるほどにまで成長してくれたけれど、公式戦で点を取らせてあげることは最後までできなかった。


馬はAに昇格し、ベンチ入りまではしてくれたものの、もう一度公式戦に出してあげることは叶わなかった。


石井は最後Aに上がってきてからの短い間しかできなかったし、何かを変えてあげることすらできないまま育成に落としてしまった。これが一番悔しいし、本当に申し訳ない。


「計算できる選手」「チームに必要とされる選手」を作る、という点においては達成できたのかもしれない。けれど、足りない点も多くあって、自分の中ではまったく結論が出ない。輝がfeelingsに書いてくれていたり、他にもいろんな人が僕のフィードバックを褒めてくれたりしたから、上手くいったことにしておこうかなと思う。


上手くいったものとして、個人的なフィードバックへの思いを書いておきたい。


まず、フィードバックが選手の成長につながるものになるかどうかは、どれだけこちら側が選手に寄り添えるかにかかっていると思う。これは駿平さんが去年書いていたことだが、ある選手には刺さる言葉も、別の選手には刺さらない、ということはよく起こる。そして、選手によって合っているフィードバックの形式も違うからそれぞれに合わせて変えてあげるべきだと思う。


また、一番やってはいけないのは、こちら側のエゴの押し付けだと思う。どれだけ自分のサッカー理解に自信があっても、こちら側の考えが絶対的な正解であると押し付けるのではなく、選手の意見を聞いてあげるべきだ。選手へのリスペクトを忘れずに取り組んでほしい。


そんなこと分かってるよ、という感じかもしれない。けれど、みんな僕よりサッカー理解は深いだろうし、もし僕のフィードバックの方がうまくいっていたとするなら、選手へのリスペクトの大きさ以外に要因は考えられない。


自分が最初から諦めていた「大学でもサッカーをプレーする」という選択肢を選んだ選手たちのことは、心の底からリスペクトしていたし、この大きさだけはテクニカルの中で一番だったという自信がある。


スカウティングの話に移りたい。今年、自分のスカウティング班が担当した相手は、桜美林、武蔵、朝鮮の3チームだった。


桜美林は、前期の試合ではスカウティングを大外しした相手だった。前の週とは別のチームに生まれ変わっていて、1週間でここまで修正できることに驚かされた。純粋なクオリティの高さにも驚かされたし、5バックで引いて守ったり、ロングスローを多用したりするような、見ていてあまり面白くないサッカーが流行していた都リーグにおいて、美しいフットボールを展開していたことにも魅了された。ぜひ関東昇格してほしい。


武蔵とは、自分が1年生の頃から4年間同じリーグで戦った。あの頃は同じくらい、むしろ東大の方が上だった実力は、いつの間にか逆転し、大きく差をつけられてしまった。そんな中で今期の2試合はどちらも勝ち点が見えていただけに、悔やまれる敗戦だった。


そして朝鮮。2年の頃からリーグ戦で戦ってきたが、ずっと勝つことができない相手だった。ひたすらに耐え続けたが最後の最後に失点した2年前のアウェーでの敗戦、去年の御殿下での引き分け、チームとしてうまくいっていたわけではなかったが耐えられていたところに直接FKをぶち込まれた今年前期の敗戦など、毎回一点差での敗北か引き分けに終わっていた。


それだけに、最終節の朝鮮戦に懸ける思いは大きかった。あと少しのところで勝ち切れなかった相手に、一度も勝てないまま引退することは、自分としてどうしても受け入れられなかった。


そして何より、誰よりもプロセスにこだわって良いチームを作ってくれたテツさん、どれだけ負けが続いても前を向いて努力し、闘い続けてくれた荒をはじめとするプレイヤーたちに、一度も勝利を届けられないままシーズンを終えてしまうことが、どうしても許せなかった。


これまでメインを担当した試合では、スカウティングのほとんどを1人で行っていた。ただ、最終節は皓大と市毛も手伝ってくれて、複数人でスカウティングをすることで、これまで以上に深く考えることができた。


また、1人でやっていた時は、選手mtgがうまくいかなくても自分だけの問題だったが、複数人でのスカウティングには、自分のmtgの出来に協力してくれた人たちの思いも乗っているように感じた。その分、中途半端なことはできないという責任も生まれ、結果としてこれまでで一番質の高いものを選手に届けることができたと思う。


皓大に祐麻が一番うまいと最後に褒めてもらえたのが本当に嬉しかった。(緊張しすぎて、mtg直前の皓大とのリハで手が震えまくっていたのは良い思い出。笑)


自分がテクニカルに残せるものは少ないけれど、最終節のmtg資料とかは少しは参考になるかもしれないので、気が向いたら見てくれると喜びます。


試合当日の朝は、不思議な気持ちだった。ここまで来ると本当に一勝もできないまま終わってしまうのではないかという不安と、最終節だから勝てるだろうという謎の自信と、本当にあと90分で4年間の部活が終わってしまうのだろうかという実感のなさと、そして事実としあてあと90分で部活が終わってしまうことへの焦りと、いろいろな感情が入り混じっていた。


試合前は、朝鮮のメンバーの変わりように、まったく別の戦い方をしてくるのではないかという不安もあったが、蓋を開けてみれば想定通りの朝鮮だった。


結果的には2-0での勝利。少しはスカウティングのおかげで勝ったと言ってもいい内容だったんじゃないかと思う。


試合終了の笛が鳴った後は、自然と涙があふれた。これまでの人生で、感情を動かされて泣くことはほとんどなかったし、どれだけ悔しい敗戦でも涙を流すことはなかった。そんな自分が勝って泣いていることに、自分でも驚いた。


テツさんと部員のみんなに勝利を届けられたこと。自分たちの代でリーグ戦の勝利をつかめたことへの安心。そして、3年の頃にスカウティングへ絶望しかけていた自分が、少しだけ救われたような気持ち。さらに、今年のリーグ戦で「これだけスカウティングをしても勝てないのか」と打ちひしがれていたテクニカルのみんなに、スカウティングでも勝利へ貢献できると示せたことへの安堵。そうしたさまざまな感情が一気に込み上げてきて、気づけば涙になっていたのかもしれない。



この4年間を振り返ると、本当にたくさんの人に支えられてここまで来れたと思う。


最後にその感謝を書いて終わりたい。


陵平さん

テクニカルとして半人前にもなっていない未熟な自分の話を聞いてくださりありがとうございました。陵平さんからは勝ちへの執着を学び、勝つために何をするべきかという思考が常に頭の中に存在するようになりました。


徹さん

2年間本当にありがとうございました。もし高校生の頃に東大ア式で徹さんに出会える未来を知っていたのなら、ちゃんと怪我を治してプレイヤーとして本気でサッカーに取り組みたかったです。それが出来なかったことが僕のサッカー人生で最大の心残りではありますが、徹さんのサッカー観に触れることで、どこか漠然としていた自分のサッカー理解が深まりました。本当にありがとうございました。またいつか飲みに行きましょう。


杉崎さん

マリノスファンの自分にとっては画面の向こう側の人のような存在で、入部した時に杉崎さんがこの部活にいることに驚きました。自分がテク長だった3年目は特にたくさんの話をさせて頂き、フィードバックのやり方などたくさんのアドバイスをもらいました。本当にありがとうございました。



LB会の皆さま

LB会の皆さまのご支援なくして、テクニカルの発展はありませんでした。特に、藤原さんにはテクニカルの活動にご理解を示していただき、心より感謝申し上げます。


先輩方

大変お世話になりました。特に松尾さん、駿平さんはその背中が大きすぎて自分にテク長が務まるのだろうかと不安になりましたが、常に目標となる存在でした。


後輩たち

この部活を選んでくれてありがとう。テクのみんなは自分とは比べられないほど優秀だから、特に心配することもないかな。任せました。


麻布出身の後輩たち

テクの2人は1番応援しています。学部が忙しいかもしれないけど最大限力を発揮して欲しいです。

プレイヤーの2人。そんなに喋らなかったけど、八木が引退して都リーグから麻布出身の選手が消えてしまったので、名前を復活させて欲しいです。2人が公式戦に出場してくれることを願って、応援しています。


同期

同期の頑張る姿を見て、最後まで頑張れました。本当にありがとう。感謝してもしきれないです。


こうた

僕が入部した時、テクニカルの同期としてこの部にいてくれて心強かった。こうたのサッカーにかける情熱は自分にとって1番の刺激になりました。2年の始動合宿で強化を背負っていく覚悟が僕にはなくて、任せっきりになってしまったことは本当に申し訳ない。こうたがこの部にいなかったらと考えるとぞっとします。最後一緒にスカウティングで勝てて本当に良かった。


にしき

最後までテクニカルスタッフとして一緒に活動してくれてありがとう。普段の部室での生活からアウェーでの車移動までたくさんの時間を共にできて感謝してます。そして、テクとしてだけじゃなくて実況と試合運営とこの部活で欠かせない存在になっていくにしきがかっこよかった。


井筒

2年遅れて入部してきたとは思えないほど、コーチとして存在感を発揮していて尊敬しています。どこにそんな時間があるのかわからない量のフィードバックをこなしている姿が、自分もフィードバックを頑張ろうと思えた理由だった。


大輝、頼経、馬

長い間フィードバックを担当させてくれてありがとう。どれだけ成長させてあげられたかわからないけど、少しでもためになったと思ってくれていたら嬉しい。



最高のキャプテンでした。下級生のうちから試合に出続け、1人で責任を負い続けてくれた姿が頼もしかった。今年どれだけしんどくても前を向いて戦う姿勢を見せ続けてくれたことで、僕も最後まで諦めることなくやりきれたと思う。そして2年の上智戦や、僕がテク長になる直前くらいの時期の部室での会話など、荒が覚えているかは分からないけど掛けてくれた言葉に救われました。本当にありがとう。


改めて、ここまで関わってくださったすべての方に感謝しています。

この4年間は自分にとって大切な時間でした。

あの時ア式に入って本当に良かった。

本当にありがとうございました。

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