弱さを抱えたままの4年間
橋本大輝(4年/MF/広島学院高校)
引退から5ヶ月が経った
ア式蹴球部での4年間
それは、思い描いていたキラキラした青春とは程遠い、圧倒的な「差」に打ちのめされ続ける日々だった
1年生
入部前、自分はサークルに入ってある程度の勉強、バイト、あとはお遊び程度のサッカーをしようと考えていた
そんなとき、父親がサッカー部の勧誘を始めてきた
勉強のことなんて全く言わない父親だが、サッカーの時は勉強しなさいと怒る母に匹敵しているだろう
あれはテント列なんか甘く見えるくらいの勧誘だった
多分自分なんかよりよっぽど新歓代表に向いているだろう
そんな父親の言葉もあり、新歓の時期にサッカー部に体験に出向いた
あれは日曜日の練習だっただろう
育成チームは日曜は試合の次の日ということもありリカバリーの練習だ
そんな中練習で見たミニゲームでのリキが4連続ロングシュートを全部決めているところア式というサッカー部と自分とのレベルの差を感じた
「自分より下手な奴が一人もいない」
中高ではそこそこできていたサッカーも勉強も、東大という場所では「落ちこぼれ」になった
辞めたい、、
弱いチームで楽しくやりたい……。
そんな思いを抱えながらも、父の言葉に背中を押され、ただがむしゃらにボールを追いかけた
戦術も守備のセオリーもわからない
ただ罵声を浴びせられながらボールを追いかける
そんな日々を1年間過ごした
2年目
週6日の練習に明け暮れている中、毎日ドリブルすることを考えていた
自分の武器を探して、がむしゃらにドリブルを仕掛け続けた
それが形となったのか、初めて「Aチーム」に呼ばれた
けれど、そこには高揚感などのものはなかった
あり得ないくらいの緊張感しかなかった
当時のAチームコーチのオカピさんに
「なんで自分がAチームに選ばれたんですか」と質問した
Aに呼ばれてそんなことを聞いた人などいないだろう
自分はメンタルがどれほど弱いのだろうか
周囲の要求、文句、視線
メンタルの弱い自分にとって、そこはあまりにも息苦しい場所だった
育成(Bチーム)に戻った時の安堵感は、果てしがないものだった
自分は大きな波に飲み込まれるよりも、小さな場所で光っていたいタイプなのかもしれない
自分の情けなさを痛感した時期だった
3年目
代が替わって、同期のこうたが育成チームの監督を務めた
育成の軸としてチームを勝たせることに喜びを感じた
毎試合どこが来ようとも互角にたたかえていた
WBというポジションにも慣れてきてこの当時は試合が来るのが楽しみで仕方なかった
やっぱりメンタルって重要らしい
自分の中でもぐんぐん上達するのがわかった
セカンドとの紅白戦で「自分は通用する」という手応えも感じた
それでも今年は1度もAチームに上がらなかった
不思議とそこまで悔しくもなかったが、やはりこの時期になると3年にもなり同期たちがAチームに行くことも多くなり一緒にできない寂しさは感じていた
この年が一番時間が早く経った気がする
4年目
そして迎えた、最終学年
多くの4年が抜けたということもあり、Aにはすんなり上がった
3週間後にはカップ戦があった(新人戦みたいなもんである)
そして巡ってきた、人生最初で最後の公式戦スタメン
結果は、無残なものだった
自分にきたほとんどのボールをロストした
自分のミスでボールを失うたび、頭が真っ白になっていく
勝ったチームの輪の中で、一人だけ心の底から喜べない
誰からも無視されているような、勝手な被害妄想に支配されるロッカー
「サッカーをやりたくない」
そんな声が頭の中で繰り返された
3週間後のチームの敗北、そして育成への降格
あの時の絶望感と、そこから逃げるように入ったオフ。
短い冬オフはあっという間に終わった
そこから3、4ヶ月はAに呼ばれるなど考えていなかったし育成でチームの主力として戦えている楽しさを感じていた
もう、Aチームに呼ばれることはないだろう
そう高を括っていた
そんなある週、来週から自分はAチームらしいという情報を聞いた
ちょうど入部式の1時間ほど前だった
Aに行っていい思いなんて一回もしたことはなくもちろん不安の2文字が頭を渦巻いた
1年生の1発芸はどれも上の空で見ていた
やりたくないことはすぐ来るらしい
その時の月オフは一瞬で過ぎ去りAの練習に参加した
最初は強度の差で毎日足が攣りそうになっていた
しかし、今回のAチームは今までと違った
今まで一度もAで楽しいと思ったことはなかったのにドリブルがうまく行くたび楽しいと思えた
セカンドでもやりたいプレーが簡単にできた
セカンドでうまく行くということはトップの公式戦に出るということになる
まさか自分が再びこの舞台に帰ってくるとは思っていなかった
ベンチで後半自分の名前が呼ばれた時信じられない緊張と高揚感を得たのを覚えている
そして、夏オフ前最後の公式戦
綺麗なゴールではなかったけど得点を決めた
人生の中でもトップクラスに興奮したのを今でも覚えている
サッカーはこんな時のためにやっている
心から感じた、そんな一瞬だった
幸せは一瞬で終わるものである
結局最後の試合には出られなかった
公式戦でドリブルを取られることを恐れてなかなかできなかった
一度も自分が出た試合で勝利し、喜びを分かち合えなかった
ふと思えば、毎年、先輩が引退する時期は試合終わりみんなで写真を取り合う
その時自分は今年は絶対にやり抜いてやると奮起している
もう自分には来年はないらしい
気づいた時にはもう遅いのだろう
それでもサッカーめっちゃ楽しかったな
後悔はたくさんあるけれどこんな青春でも悪くないなと僕は思う
_________________
前回のフィーリングスでそれでもドリブルがしたいみたいなことを書いていたので
少しドリブルについて語らせてもらいます
自分は子供の頃から魅せるサッカーが大好きだ
クリロナのロナウドチョップ、シザース
ネイマールのダブルタッチ
子供の頃からずっと真似をしていた
しかし、現代のサッカーには戦術と呼ばれるものがあるらしく
多くの選手にとってドリブルは“魔法”から“選択肢”へと変わっていっている気がする
最短距離のパスを選び、効率という正解をとってしまっているのだろう
ネイマールのステップも、クリロナのシザースも、不要なものとして削ぎ落とされていく
それでも合理性や戦術という言葉を置き去りにして
たった一人のドリブルで何人もの視線を釘付けにする
あんなに潔くかっこいい瞬間は他にないだろう
効率を求められるサッカーだからこそ
あえてリスクを背負って仕掛ける勇気、そしてそれを完遂する技術
ドリブルには理屈を超えた何かがある
自分はそう信じています
最後に感謝を述べたいと思います
荒
荒には多分自分が一番怒られたと思います。
てか流石に俺に対して厳しすぎなのでは、
最後の年、ほんとにほとんどの重圧を1人で背負ってくれてありがとう
1年から公式戦に出て自分とはレベル違うなと感じていた荒と一緒にサッカーをすることは正直ずっと緊張したけど、貴重な経験をさせてもらいました
陶山
陶山は自分と似てるようで圧倒的に自分にはない部分をたくさん持っているなと思います
みんなには見せないけどめちゃくちゃ忙しいのにサッカーを続けててすごいなと今になってわかるようになりました
自分が1年の時からたくさん話してくれてたのもめっちゃ感謝してます
ゆうま
自分のフィードバック担当として自分が苦しい時にもたくさん支えてもらいました。
毎試合5分くらいの動画で自分のプレーまとめてくれて次の試合の前に見るのが日課になったし、ゆうまのおかげでAチームに定着できるようにまで成長させてもらいました
同期はいいつでも話せますのでまたにするとして
折田やいしこさん、やじさん、久野さんをはじめとしてOBコーチ
ほとんどのア式生活を育成にいた自分としては本当に感謝しています。すごく励まされましたし、時々Aチームにいったとしても自分のことを気にかけてくれてメンタルの弱い自分としてはすごく助かりました。
やじさんはOBコーチ1人の中でほとんど毎日きてくれてこの人すごすぎるなとよく感じてました。自分が一番成長した時期というのもあってこうたとやじさんにはたくさんお世話になりました。この二人だから本当に自分がめっちゃ成長できたと感じてます。
自分がリーグ戦で点取った時に
“都一部が大輝が点取れるリーグになった”と山田さんに言っていたらしいですがそこについては今度お話し待ってます
後輩には特に広島メンツ
たくさんお世話になりました
髙木をはじめとして誠二郎と大楽とは本当にたくさん話させてもらったし
でも真面目な話をした記憶は全くありません、いつでも待ってます!!
髙木は高校の時ポジションが全く違ったのにまさかこんなにも練習でやり合うとは思ってなかったです。自分の得意なポジションで自分より上に行かれたのは嫉妬しましたが、試合見てて上手いなとよく思ってました
あ、誠二郎の得点はまだでしょうか
最後に両親には子供の頃からたくさんの試合を見に来てもらいました
小学生の時から公式戦なんかはほぼ欠かさずに来てくれたと思います
たくさんの送り迎えもしてもらいました
大学サッカーをやらせてくれたのも感謝してます
この感謝はこれからの人生で返していこうと思います
以上で終わらせていただきます
コメント
コメントを投稿