熱
星歩希(4年/GK/本郷高校)
大学3年、夏。
前年の代替わり直後、後輩に遅れをとってから早10ヶ月。試合に出続けた彼は成長に成長を重ね、ポジションを盤石なものとしていた。
一方自分は、肘、股関節、膝、股関節と怪我を繰り返し、試合に出るどころか、成長、いや、現状維持に足る最低限の練習量すら蓄積されていなかった。
実力差は日に日に大きくなっていた。
当然スタメンに割って入ることなどなく、肘を怪我した頃にウガンダから帰国して入部したよく分からない後輩にすら序列を抜かれる始末だった。
サッカーの悔いをサッカーで晴らす。高校3年間の努力を、苦しさを、大学4年間を以て肯定する。燃え尽きて、納得して終わる。
そう決意して入部したはずだった。
ああ、高校時代と何も変わらないな。
高校三年生の春。
思うように動かない股関節、変わらない序列。試合に出たい、なんて感情はどこかに忘れてきた。
そんな中、ア式に出会った。
Feelingsだか、シン・フォーメーション論だか、それとも那須さんのYoutubeだったか。きっかけは覚えていない。
ただ、やり直すならここしかないと、そう直感した。
試合に出る見込みがないと自覚する同期たちは、選手権を待たずして辞めていった。それは「賢い」選択かもしれなかった。
大学サッカーに挑もうとする者が、高校サッカーを途中で辞めることなど許されるはずがない。「引退」しなければならない。ただその一心で、最後の瞬間までサッカーに縋りついた。
試合に出たい、序列をひっくり返したい、そんな感情は抱きもしない。諦めの中で、ただただ最後の瞬間を迎えるためだけにグラウンドに立ち続けた。
無論、諦めた人間に「居場所」はなかった。
本部から眺めたゴール。
GKアップ要員として入ったベンチから眺めた仲間の涙。
自分の引退すら自分で決めることができない疎外感。
自分とは関係のない「なにか」のようで、涙は一滴も出なかった。
「今、ここ」に本気で向き合ってこなかったことが後ろめたくて、引退翌日の打ち上げにも行かなかった。
一次予選メンバー外。
実績で考えれば、大学サッカーなんて通用するわけがない。
それでも、どうしようもなく感情を突き動かす何かが、ア式にはあった。
あれから3年。大学3年、夏。
相変わらず股関節は痛むし、試合にも出られない。試合に出られないどころか、ほとんどサッカーをしていない。
唯一違ったのは、「居場所がある」ということだった。
ア式の一員となってからというもの、ピッチ外にもそれなりの時間を使ってきた。
一筋縄ではいかない中高生のリクルーティング、文才溢れる薩摩隼人から引き継いだfeelings、停滞するユニット活動のマネジメント。
出張座談会に行ってみたり、練習参加を募ってみたり、feelingsバズんないかなってbloggerを眺めたり。
練習後の部室であーだこーだと語り合うあの時間が好きだった。
実力を以て自らの価値を示すことができない分、せめてピッチ外では部に貢献したい、いや、貢献しなければならなかった。
幸いア式は、これまで所属してきたどのコミュニティよりも「がんばっている人」に寛容だった。日頃の振る舞いを見ていてくれる人が、評価し、信頼してくれる人がいた。
練習前後はみんなが嫌がるポールの土台かクーラーボックスを運ぶし、体育チームまで荷物も郵便も取りに行く。アウェイの控室は掃除して最後に出るし、担当ではない日にも部室を掃除する。
「ユニット活動」と呼ばれるものから、名もなき「雑用」まで。
その積み重ねが信用になり、居場所になる。
与えられた居場所は、「主務」といった。
一方、股関節はもはや限界を迎え、手術を受けることになった。
手術までの3ヶ月間、ピッチでできることがなくなった。
時が過ぎるのを待つだけの人間にはなりたくなかった。
与えられた居場所に、その責任に、全力で向き合おう。そう決意した。
1918年創部。ア式は今年で109年目に突入した。
先人たちが築いてきた、繋いできたこのア式を、次へ、その次へと繋いでいく責任。
奇抜な発想や社交性、類まれなバイタリティを持ち合わせているわけではない。これといった特徴があるわけでもない「凡人」が、どう責任を果たそうか。
主務を引き継いだとき、「自分が一番忙しくするといいよ」という言葉を貰った。
まずは全部自分でやってみようとする。その上でどうしても自分だけでは回らない部分が出てくるだろうから、その時初めて他人にお願いする。「引っ張る立場の人間が一番頑張る」という話だったと記憶している。
「忙しく」すれば「居場所」ができるし、「居場所」ができれば「忙しく」なる。
「忙しい」こと、「居場所」があることは、必ずや自信に繋がるし、仲間からの信頼を感じる。それに応えなければならないという責任感が増し、さらに「忙しく」なる、という好循環が生まれる。
思えば、これまでの人生もずっと「忙しく」してきた。
自己評価が低く、プライドが高い人間だと自認している。
自分の取り組みに対する評価は低い。一瞬の妥協で、それまでどんなに頑張っていても、全てダメだったことになる。
ただ、そんな自分を受け入れることはできない。認めたくない。
だから忙しくするしかない。
全力で走り抜けても時間が足りないくらいの量を。
自分の能力のちょっと上を行くものを。
それを乗り越えて初めて自分を認められる。
凡才は積み上げることしかできない。だが、積み上げることはできる。
ただ、愚直に生きることしか知らなかった。
いや、それが性に合っていた。
気づけば最高学年だった。
代替わり後、東京カップに向けて走り出したチームは、主将になった荒を中心として一つになっていた。
ピッチ内はあいつに任せておけば大丈夫だな、と。彼にはそう思わせるだけの圧倒的な実力とパーソナリティがあった。
腕章を巻き、チームを鼓舞し続ける。ことごとく相手のチャンスの芽を潰す。ボールを前へ前へと運ぶ。
試合終了間際の2得点で逆転勝利した朝鮮戦は、彼と同じくチーム全体に対する責任を負う者として、彼と同等以上のものを魅せねばならないと、強く思わされた試合だった。
それからの1年間、「ピッチ外の全てを背負う」と誓った。
ゼロから何かを生み出せるような「非凡」な才能はないけれど、マイナスをゼロに戻すことくらいはできるはず。
人が敬遠することを片付ける。
手始めに組織図を書き換え、主務ユニットを実質的に解体した。
主務ユニットとは、「主務業務」と呼ばれる様々な手続きを複数人で分担してこなしていこうという小組織であった。
専任のスタッフはおらず、選手が選手としてプレーしながら主務も兼務する。その形式によって編み出された体制だ。
ただ、今年はわけが違う。
手術を待つだけの者が組織のトップに立っていながら、最後のシーズンに何かを遺そうと必死に踠く同期たちに余分な負担を強いることなど、考えられなかった。
全部1人で引き受け、片付け、綺麗さっぱり引退しよう。
主務ユニットはチーム運営に関するあれこれを相談する場に形を変え、実質的な業務は全て受け持った。
集ったのは地道な実務に向いたメンバーというより、遠慮なく意見してくれる参謀たち、といったところだろうか。
当然、そんなことは長続きしないからこそユニットが組織されていたわけだし、あまりに属人的すぎる運用は来年以降のア式にとって良いものではないこともまた明らかだった。
術後、満足に歩くこともできない日々は、1人で全部やった方が楽だなんて考えが浮かんしまうくらい時間があった。
暦の上では冬オフだったけど、何もしてない自分にオフなんていらないと本気で思っていた。
それなりに頑張ったと思う。
なにより、他にできることがなかった。
すぐに破綻した。
年末の理事会に向けて決算を締め、来年度予算を作っていたら高熱が出た。
初めて主催する立場の納会を病欠した。
理事会の会計報告は気合いと文明の利器で乗り切った。
どうやら、疲れたらしかった。
こんなもんか、俺。
心底落胆しながら、杖をついたまま年を越した。
2025年、1月。
ア式には新しいトレーナーが就任した。
リハビリは想像以上のキツさだったが、回復もまた想像以上だった。
地味なメニューをひたすら積み重ねていく毎日は性に合っていたし、責任ある立場に置かれている以上、常に全力で挑み続ける以外の道はなかった。
なにより、復帰に向けて黙々と努力する仲間たちの前で、妥協を見せることなどできなかった。
体幹は強くなるし、脚は太くなるし、上半身もデカくなるし。
この頃から股関節の可動域も広がってきた。
正直、リハビリをしている間は気が軽かった。
最高学年でありながら、ピッチ上には何の貢献もしていないという事実から目を背けられた。負い目を感じずに済んだ。
サッカーができないから貢献もできていないだけ。
とりあえずリハビリが仕事。
今はその分ピッチ外を頑張ればいい。
そんなことを考えていた時期もあった。
3月頭、アミノバイタルカップ初戦前日。
自己開示ミーティングなるものの発表者に指名された。
新シーズン最初の公式戦前日。
発表者の選定には、恣意を感じざるを得なかった。
監督に信頼されているみたいで、少しばかり嬉しかった。
自己開示ミーティングは、文字通り「自己開示」をする場であった。
自分の生い立ち、生き様、思考、全てを曝け出して、自分が何者なのか、なぜここにいるのか、ここで何を成し遂げるのかをチームメイトを前に語るというものだった。
さて、何を話そうか。
このタイミングでの指名は、「熱い話をしろ」というメッセージとして受け取っていた。
しかしこのときの自分は、言葉を選ばずに言うならば、知らず知らずのうちに「スタッフ人格」になっていた。
ここで何を成し遂げるのかも、なぜここにいるのかも、口を開けば出てくるのは三人称の主語ばかり。
自分がどうしたいかではなく、チームがどうたらこうたら話してばかりだった。
綺麗事ばかり言って、本当の自分の意思はどこにあるのか分からなくなっていた。
深夜。
パワポを開いて、幼少期からの生き様を振り返る。
カシマ、何回行ったんだろうな。
さすがに今年は優勝やろ。
中学サッカー楽しかったな。
試合も出たし、PKも止めたし。
良い経験したわ。
高校はひたすらしんどかったな。
理不尽・忍耐とか言ったらウケるかな。
まあ、ア式に入ろうと思えたことだけは良かったかな。
あれ、俺、ここに何しに来たんだっけ。
どうやって生きてきたのか。
なぜここにいるのか。
何を成し遂げるのか。
与えられたテーマに、悉く芯を抉られた。
あの時の悔しさを晴らすために来たんじゃないのか。
あの時の苦しみを、あの時の自分を肯定するために来たんじゃないのか。
ここまま終わっていいのか。
発表当日、主語は一人称になった。
俺は後期リーグ戦に出る。と、高らかに宣言した。
「選手人格」を取り戻した。
その日から、リハビリの質がもう一段階上がった。
全てのメニューで実戦を想定した。
どこの筋肉をどう使うか、刺激を入れるにはどうすればいいかをひたすら聞いた。
トレーナーにでもなるんかってくらいの熱量で。
GKとしても一段階上がった。
正面キャッチはまあ溢さなくなったし、基礎技術キャラを確立した。
主務としては、、、ちょっと下がったかも。
単純にピッチ外に割く労力は減った。
じゃあこれまでと何が変わったのかと言われると、結局のところ「本気」かどうか、でしかないと思う。
復帰のイメージを少しずつ掴んできたこと、自分の生き様を客観視したこと、忘れていたあの想いを思い出したこと。
その一つ一つが、「本気」にさせた。
「本気」になってからは一瞬だった。
復帰して、怪我して、復帰しての繰り返しだったけど、確かに成長している実感が、上手くなっている実感があった。
「上手くなる喜び」を感じたのは何年振りかも分からなかった。
久保さんに教わった身体操作も、大智とやった筋トレも、丸山に教わったキックも、成長することが楽しくて仕方なかった。
5失点した双青戦も、実力差を見せつけられたサタデー日文戦も、試合の中ですら成長している実感があった。
特段結果が出ているわけではなかった。
相変わらず育成にいるし、序列は四番手だし。
それでも、長年渇望していた何かに、出会えた気がした。
ただふと冷静になると、そこには負け続けるチームがあった。
公式戦後、顔を落とす後輩の姿を、同期の姿を、何度も何度も見た。
ただただ申し訳なかった。
試合の結果に責任を負う立場にすらなることのできない自分を恥じた。
降格が決まった横国戦の夜は、全く寝付けなかった。
ちょっと肩書きがあるだけで、一丁前にチームを背負った気になって苦しんでいる自分が嫌いになった。
そんなにチームを背負いたいならとっとと上手くなって試合に出ればいい。
その実力がない時点で、お前はチームを背負ってなんかない。
そんな思考が頭の中をぐるぐるぐるぐる駆け回っていた。
ア式生活最後の1週間は、4年間を象徴するかのようだった。
月曜、いつも通り山手クリニックへ。リハビリに励む。
火曜、練習。キックはこの半年で本当に上達した。丸山、ありがとう。
水曜、練習。紅白戦。
ゴール方向に向かう相手のスルーパスが伸びた。
飛び出す、が、判断が一瞬遅かった。
次の瞬間、右膝に激痛が走った。
打撲したのは頸部なのに、膝が痛い。
あぁ、これで引退か。
正直、もう諦めはついたと思っていた。
日文戦は育成史上最高の雰囲気を作ってくれたし、個人としても4年間のベストパフォーマンスだった。
もうリーグ戦に絡む余地もないし、無理矢理試合して、日常生活に支障が残る方が嫌だな、なんて考えながら、杖をついて帰った。
翌日、木曜。のそのそ歩けるようになった。
金曜。膝が少しだけ曲がるようになった。
重症だと思っていたのに、案外良くなるもんだな。
土曜。痛いのか痛くないのか、自分ですらよく分からなかったけど、グラウンドに立つと、何故か膝が動いた。
部室ではジョグすらしんどかったのに、シュートも止まるし、ロングキックも飛んだ。
これまでの努力が、生き様が、認められた気がした。
今なら自分を肯定できる気がした。
最後の試合、相手は埼大。
結果は1-2。
最後まで微妙に結果が出ないのも、まあ俺っぽいかな。
そして日曜の熱狂。待望の初勝利。
泣きそうだったけど、キャラじゃないから我慢した。
間違いなく、ア式に入ってよかったと思える瞬間だった。
「終わり良ければ全て良し」なんて言葉は嫌いだが、過程を肯定するのは結果に他ならない。
最後の最後に喜びを分かち合うことができて、本当に救われた。
この一年、トップチームにはほとんど関わることがなかったけれど、それでも自分のやってきたことに意味があったのかもしれないと思うことができた。
きっと、過去の自分を認めてあげられるくらいには、「本気」だったんだろうな。
これだけ頑張ってこの結果ならしゃーない、って。
そう言えるだけの熱量があったし、なによりア式にはそれだけの魅力があった。
これからの人生、これほど「本気」にさせてくれる「何か」に出会えるんだろうか。
自分の認められる自分であるように。自分が誇れる自分であるように。
本気出して、本気出して、本気出して、それから、諦めろ。
最後に、お世話になった方々へ少しだけメッセージを。
まずはLB会の皆様、大変お世話になりました。
主務として過ごした1年は、武田さん、和田さん、利重さんをはじめ、多くの方々のご尽力によってア式が成り立っていることを深く感じた時間でした。卒業から数十年が経過しても尚、毎週のようにグラウンドに足を運んでいただけること、施設整備のために毎月のように大学に掛け合っていただけること、ご支援いただけること。相当な愛と熱量がなければできないことだと思います。皆様がそれだけの熱を注ぐ価値のある組織に所属できたことを誇りに思います。
至らぬ点も多々あったかと思いますが、皆様の”ア式愛”を最も近くで感じながら過ごした日々は、とても幸せでした。本当にありがとうございました。
続いて指導陣、メディカルの皆さん。
三浦さん
強豪ですらない高校のメンバー外だった僕がここまで成長できたのは、間違いなく三浦さんのご指導のおかげです。GKとして成長したこと、人として強くなったことはもちろんですが、長期離脱中も練習に向き合う姿勢や人間性を肯定し続けてくれたおかげで前向きでいられました。日文戦のセーブが僕の集大成です。年末のGKPクリニックで早川選手にボール出ししたことも一生の思い出です。
4年間ありがとうございました。これからもア式をよろしくお願いします。
徹さん
最終節の前、どんな形でもベンチに入れたいと言ってくれたこと、嬉しかったです。始動合宿で良いプレーをした翌週の紅白戦が、最初で最後のトップチームになってしまいました。ピッチ上では全く貢献できず不甲斐ない限りですが、復帰時期を気にかけてくれたり、人として信頼してくれたことは自信になりましたし、チームのために働く原動力にもなりました。
最後に挨拶できなかったのも心残りです。また一言一句ハキハキと「お疲れ様です」って言わせてくださいね。
2年間ありがとうございました。
久保さん、村上先生、桃香
怪我ばかりでしたが、4年間走り切ることができたのは皆さんのおかげです。特に術後はなかなか松葉杖も外れず、焦りもありましたが、「ア式のメディカルに任せておけば大丈夫」と安心感があったからこそ地道なリハビリも乗り越えられました。公式戦に出て恩返しとまではできませんでしたが、あの怪我は無駄じゃなかったと思っています。本当にありがとうございました。ヨネさんと新家さんもありがとう。
もう1人お世話になった元トレーナーは最近何をしているのかよく分からないので、彼がちゃんと引退を迎えるところを見届けてから感謝することにしましょう。あと一年、「部員」としてしっかり走り抜けてください。
特にお世話になった先輩方へも、何人か。
希一さん
上クラの自己紹介ページで謎の金髪美女に扮していた人が、こんなに良い先輩だったとは驚きです。
辛い時は卒部feelingsのメッセージを心の支えにしていました。希一さんみたいにゼロから色々生み出せる人間ではないけれど、自分なりに全うできたと思います。あの時主務を任せてくれて、ありがとうございました。
笹さん、兒玉さん、新屋さん
この4年間、常に皆さんの背中を見て過ごしてきました。特にラスト2年、OBコーチとしてあれだけの熱量を注いでくれたからこそ今があります。ありがとうございました。
これからもア式を導いてください。押忍。
あと日野ちゃん、LBは頼みます。
後輩たち
航平、源登
引き継ぎという名の丸投げ、悪しき伝統を踏襲してしまいましたが、2人がいれば安心です。もう俺より頼もしくなっているようなので、何も言う事なし!
松尾遼、遠藤
長い事ピッチ脇で頑張ったな。最後に君たちと試合ができて良かった。あと2年で何を見せてくれるのか、楽しみです。応援しています。
GK陣
人当たりが良いのに超頑固な里見、なかなかメニューが理解できない天然の大場、遠慮を知らない元遅刻魔の丸、変なやつが集まった最高のGKチームでした。ありがとう。みんなのサッカーに向き合う姿勢は本当に尊敬してる。今年は誰が出てもおかしくないと思うので、みんなに期待してます。
ギスギスしないでね。
同期へはいくらでも書けてしまうので、ここには二人だけ。
荒
3年の初めくらいかな、上手くいかない俺を焚き付けてくれたのを覚えてる。期待に応えられなくてごめんな。欲を言えば同じ試合に出てみたかった。
最終節後、「もう言葉はいらないな」って言ってくれた瞬間、この一年やってきたことが認められたみたいで泣きそうだったよ。お前は本当にすごい。どういう道を選ぶのかは分からないけど、自信持って頑張ってな。
錦谷
多くの言葉はもう必要ないと書かれてしまったので一言だけ。
あの時ア式に入ってくれて、ありがとう。
あとは次会った時にでも語り合いましょう。
ここにはお名前をあげきれなかったLB会の皆様、パートナー企業の皆様、保護者の皆様、学生支援課体育チームの皆様、そして東大ア式を応援してくださる全ての方々に深く御礼申し上げます。
さて、郷愁に浸っていたらあまりに長く、そして遅くなってしまいました。
このあたりで締めるとしましょう。
人生を変えてくれた東大ア式に、心からの感謝を込めて。
107期 星歩希
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