まだまだ
左右田慶(1年/MF/武蔵高校)
はじめまして、一年プレイヤーの左右田慶(そうだきょう)です。科類は理科一類、出身高校は武蔵高校です。はじめてのfeelingsなので、今までのサッカー人生について振り返ろうと思います。
サッカーをチームに入ってやるようになったのは、小学二年生の夏から。それまでは兄と父が公園で練習するのにたまについて行って、ボールを蹴っていたくらい。父によるとその頃は全然練習が好きそうじゃなかったらしい。自分としては一年生のとき、のちに入ることになるチームの見学に行ったとき、いわゆる団子サッカーをみて、チームに入るのが嫌になったのが思い出に残っている。小学校の頃は人数も少なく、負けてばっかだった。でもチームの方針で、とりあえずどんどんよせて、球際にガツガツいくようになると、少しずつ闘えるようになっていった。練習でいえば、放課後、公園でコンドリをしたり、チームメイトの一人としょっちゅう一対一をしていた。六年生の3月の最後の大会では、下の学年が試合で呼ぶことができず、7人で試合をすることになったけど、結果8チーム中3位になれたことは嬉しかった。
中学、高校は武蔵のサッカー部でプレーをした。武蔵に入った大きな理由のひとつはサッカーの環境が整っていたからだった。人工芝を持ち、すごい実績を持った指導者が二人もいて、さらには人数も多くないが、そこそこ強いという自分にとっては最高の学校だった。もちろん自由な校風も最高だった。そんな学校を見つけてくれた父には感謝している。入ってみると、トレーナーもいる上に、ちゃんとしたジムまであり、環境は本当に最高だった。中学の試合での一番の思い出は新人戦の予選一回戦、つまり武蔵に入って初めての自分たちの代の試合だ。なんと前半0対3だったところを、後半4点取って、4対3にひっくり返した。ハーフタイムのときは、まじでまずいと思ってたからさすがに勝ててめっちゃうれしかった。中学のときはこんな風に逆転する試合ばっかだった。
中3の10月、そのときの高3が引退して、高校の部活で練習することになった。高1の時は、インターハイには途中出場でそこそこ出れたけど、選手権ではほとんど出れなかった。高2になっても、インターハイはスタメンで出れたけど、新人戦や選手権は途中からがほとんどで結局最後の試合も、後半の頭からの出場だった。一個上や二個上の10番は高1からスタメンだったのに、自分は高2になっても、最後までスタメンになりきれなかったのは悔しかった。でもリーグ戦は怪我人がいたりして、半分くらい出れた上にリーグも昇格できて、嬉しかった。そして自分たちの代になった。新人戦、インハイともに例年と同じような結果で終わった。でもリーグ戦はといえば、なかなか勝てず、結局一年で降格することになってしまった。でも最後の方はチームがまとまりつつあって惜しい試合もあった。そして迎えた選手権。予選一回戦、先制するも、追いつかれてしまい、かなり焦った。こんなとこで負けらんない、もう引退は早すぎる。でも結局4対1くらいで勝った。この試合はたぶん人生で一番焦りを覚えた試合だと思う。この時決めたゴールはよく覚えている。普段自分からなにか要求することのない後輩が突然ハーフタイムに、アーリークロスあげたいから、中入ってきてほしいって伝えてきた後の言葉通りのゴールだったからだ。続く二回戦、三回戦はなんなく突破し、都大会一回戦、正直普通に勝てると思ってた。甘かった。プレスは速いし、ハイラインは攻略できないし、相手の両サイドの突破力はすごいしで完敗だった。悔しいのもそうだけどシンプルに、一年間自分たち選手と密にコミュニケーションをとってチームを強くしようとしてくれてた監督に申し訳なかった。
こうして武蔵での6年間は終わったが、すばらしい6年間だったと思う。素晴らしい二人の先生のもとでの練習や指導のおかげでうまくなることができたし、素晴らしい環境のもとで思う存分サッカーを楽しめた。
そして浪人を経て、いまア式にいる。これからも活躍できるようがんばっていこうと思う。
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