軸
吉岡陸太(1年/DF/灘高校)
大学に入って初めての夏休み。自分で言うのもなんだが、かなり充実していた。
iPhoneの容量が64GBしかないため、ドーパミン中毒者を大量に排出する害悪SNSたちをインストールできず、スクリーンタイムは減少。その時間を趣味で始めたウクレレや、自宅周辺の飯屋の新規開拓に費やす。部室から45分かかる家に帰る理由を失い、徒歩5分圏内にある同期の家に5連泊とかしてみる。ついには歯ブラシを彼らの家に設置し、洗濯などを頼るようになる。暇な日を極端に嫌うせいか、全ての月オフを予定で強引に埋める。クラス、高校同期、ア式同期、先輩などあらゆるコミュニティをフル活用。おかげで8,9月は大赤字。
しかし、大学に入ってまで週6日を費やしている、肝心のサッカーはどうだろうか。充実していると自信をもって言えるか?
入部してからの4ヶ月半、Bチームに上がったのも3週間だけ。サタデーや国公立に出れるわけもなかった。Cチームで過ごすことに慣れているせいか、いつしかサッカーをするモチベーションが「A、Bチームへの憧れ」になっていた。ほら、もう「憧れ」って言ってしまっている。
Aチームでスタメンを張るような人からすれば理解できないかもしれないが、Cチームの人間からすれば、現状、Aチームへの昇格など夢のまた夢のようにしか思えない。
思い返せば、高校では弱小校ゆえスタメン落ちすることなく3年間駆け抜けた。正直スタメンの地位に危機を感じたことはなかった。
ところが、中学の時は違った。
中学受験が終わり、全員がサッカーに熱中する環境でのプレーを望んでいた僕は、地元のクラブチームを選んだ。熱意を持って入ったが、小学校にいる間、技術という技術を一切教わらなかったせいか、チームで1番下手なのは誰の目にも明らかだった。
Aチーム、Bチーム、1年生チームがあるなかで、1年生チームのスタメンになったことは一度もないまま2年生になった。Aチームに昇格する目処が立つわけがなく、サッカーを週6日やってる意味がわからなくなってきた。
そんなある日、アウェイでのBの試合会場に自分のボールを忘れて帰ってきてしまった。忘れもしない、奈良県平群健民運動場。調べていただきたい。どこの相手となぜあんな僻地で試合したのかはわからないが、ともかくボールを忘れた。その日の夜、母にそれを伝え、ボールを買ってもらった。
その次の週、またボールを忘れてきた。忘れもしない、下里総合運動場。調べていただきたい。どこの相手となぜあんな準僻地で試合したのかはわからないが、さすがに親に怒られた。2度と同じことをしないように、「ボール持って帰る!!」とかいた紙をバッグに貼った。
その次の週、なんとまたボールを忘れてきた。忘れもしない、J-Green堺。調べていただきたい。よくマキヒカがいるところだ。あのグラウンドを知っている人ならわかると思うが、ボールなど失くしようなどない。しかも、親のとんでもないブチギレが容易に想像できたせいか、親に素直に言わなかった。人生で1番と言っていいぐらい怒られた。親に、「お前ほんまにやる気あんのか」と問い詰められた僕は、あっさりと、「もうサッカーやめる」と言った。やる気を失い、ボールをなくして都合が悪くなった当時の僕からすれば、最適な判断のように思ったのだろう。本心ではなかったのだろうけれど。
それから、その判断が正しかったと思い込ませるための生活が始まった。でも、放課後の生活の全てを占めていたサッカーが消え、夜に死ぬほど時間を持て余し、やることもなく時間だけが過ぎていく日々にとんでもない苛立ちを覚えた。サッカーを一生懸命取り組める環境がいかにありがたいか、身をもって気付いた瞬間だった。
迷いもなく、監督に直談判しに行った。「もう一度、選手としてやらせてください」と。
再入部してからは、覚悟が決まった。当時FWだった僕は、得意なプレーである裏抜けからのチャンス演出を極めようと必死にもがいていた。しかし、なかなか成果は出なかった。Aチームにも上がれなかった。でも確実に、のしあがってやろうという気合いはプレーに出ていたはずだった。
リーグ戦開幕直前、監督に呼ばれて、サイドバックへのコンバートを命じられた。スピードやフィジカルコンタクトを買われたのだろう。何か意図があるはずだと信じ、Youtubeを見たりして短期間で勉強した。
すると奇跡が起こった。スタメンを張っていたバックライン4人のうち3人がコロナに感染し、リーグ開幕戦に間に合わないことが分かった。しかも初戦の相手は強豪。緊急事態の中、監督は5バックを敷いて構えてカウンターを狙う作戦に出た。Aチームに上がったことすらなかった僕が、なんとスタメンに抜擢された。神様が自分の必死さを見てくれていたのかと、家に帰って嬉しさを隠しきれなかった。
開幕戦当日。緊張のあまり、行きのバスの中でSiriを起動するために電源ボタンを2回押すつもりが5回押してしまい110番通報しかけた。Aチームの試合前アップなどやったことがなく、独特の緊張感があったのを覚えている。試合は前半終了間際に先制したが、後半アディショナルタイムに僕が競り負けたところから失点し、1-1の引き分け。あまりの悔しさに、コーチに慰められるまで涙が止まらなかった。中学に入って初めてサッカーで泣いた。でも、泣き止んだ後に残ったのは満足感だった。一度辞めてから、この時のためにやれることはやったという自負があった。まだまだ成長していける、そう思えた。
結果的にその年のリーグ戦は途中出場をメインに前半戦はほぼ全ての試合に出場し、スタメンも4試合あった。最後の大会では出場機会が無かったが、Aチームなんて夢のまた夢だった1年生の時の自分にとって、ましてや一度辞めて戻ってきた立場の自分にとっては、割と満足のいくラストイヤーをすごした。
シルバーウィークの月オフを活かすために弾丸で帰省し、自室にある中学のチームのユニフォームを見てこのように回想していた。
シルバーウィークの月オフを活かすために弾丸で帰省し、自室にある中学のチームのユニフォームを見てこのように回想していた。
ん?中学1年生の時の僕と今の僕って全く同じ状況じゃね?
なんとしても、中学の時と同じように一度やめるなんてことは絶対に避けたい。そう気づき、考え始めた。
だとすれば、のしあがるためには何が必要?
闇雲に必死にやるだけじゃだめそう。それに、ア式にはプレイヤー以外のスタッフが大人数在籍している。どんな手を使ってでも成長し放題な素晴らしい環境。でも、それだけじゃ足りない気がする。何が?
中学の時に序列を逆転できた時、僕には少なからず強烈なキャラがあった。技術が無いのは監督も織り込み済み。その代わり、負けてる時は豊富な体力とスピードを活かして上下運動をしてチャンスメイクをし、勝ってる時はデュエル守備でサイドをやらせずにゲームを閉じる。逆に言えば僕がこれだけを徹底的に磨こうとしてたから、使っていただいたのだろう。そのレベルがどうであれ、ピッチ上での自分のキャラや強みが明確だった。
今はどうだろうか。ア式のサッカーに慣れないながらも適応しようとしすぎるあまり、自分らしさを完全に見失っている。吉岡陸太らしさをもっともっと出す。これがAチームへの最短ルートかはわからない。そうじゃなかったとしても、磨いた強みで周りを黙らせればいいだけの話。もっと自分に自信をもって積極的にチャレンジしよう。そうして自分のプレーに絶対的な「軸」を手に入れ、カテゴリーが上がって初めて、ア式のプレースタイルへの適応を強く意識すべきなんじゃないか。
監督には気に入られないかもしれない。けど、そうやってのしあがった経験があるからこそ、この道が正しいと信じてやまない。
まさか中学1年生の時の自分に戻れるとは思ってもいなかった。中学と違って、4年ある。伸び代しかない。どんな「軸」を持ってるか、来年のfeelingsで答え合わせでもしようかな。
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