10失点では終われない。

野村速真(1年/DF/東大寺学園高校)



はじめまして、一年プレーヤーの野村速真です。入部して5ヶ月弱、受験期の息抜きで読ませていただいてたfeelingsを自分が書くことになって、改めてア式の部員になったことを実感しています。最初のfeelingsですので、先輩たちに倣って例に漏れず自分もサッカー遍歴を書こうと思います。



サッカーに出会ったのは4歳の時だった。地元のチームの体験に行って、すぐにそのチームに入ることを決めた。ボールを追いかけるのが楽しかったからだ。まさか15年後に東大に入学して全く同じ理由でサッカーしてるなんて、なんとも成長してないと思い知らされる。始めたのが周りより少し早かったのが良かったのか、運良く試合に出続けていた自分は無事サッカーに魅了され、絵に描いたようなサッカー少年となった。放課後は小学校のグラウンドでサッカーをして、そのままクラブチームの練習に行き、家に帰ると飼い犬のボールでリフティングの練習をした。そしてプロになれる確率の低さなんて何一つ知らずに、二分の一成人式では将来はプロサッカー選手になると声高らかに宣言した。チームは県のトップリーグに属していたが、ただ相手が来たら抜くか、味方にパスをして、ゴールが近づいたら思い切り足を振るだけの単純なサッカーだった。中学受験が控えていたが、サッカー後に受けた模試の方が成績が良かったというあまりに優秀すぎる理由で、塾の曜日がすべて練習に被るようになった6年生の10月まではサッカーを続けた。



中学受験を終え奈良の東大寺学園に入学した。合格後、親に勧められて奈良のクラブチームの練習会に参加し合格をもらってそこでサッカーを続けることにした。もちろん小学校の時のチームも素晴らしかったが、レベルが違った。チーム専用の人工芝とクラブハウスがあって、コーチは元日本代表の方と元プロの方だった。さまざまなJ下部と試合をさせてもらえて(もちろんボロ負けで6日間の関東遠征で100失点したが)、サッカーの原理原則を1から教わり、チーム戦術の約束事の筆記テストまであった。中学年代なのに監督は3.4個のシステムを相手によって使い分け、クラブハウスのプロジェクターで試合の振り返りも行われた。一方、二分の一成人式で最大級に伸びきってていた鼻は、結局5年の冬に落ちたヴィッセルのセレクションでほとんど折られ、わずかに残っていた鼻は中1で対角ロンボをズバズバ通すアビスパの両SBにトドメをさされた。しかし、この3年間が今までのサッカー人生で1番濃密だったのは間違いない。プレーする方は前述の通り素晴らしい環境を与えられた上、U-13,U-.15リーグは一部でプレーでき、スタートで使ってもらっていたからだ。また時間ができサッカー観戦にも没頭し、この3年はリバプールの試合だけで120試合以上は観た。この恵まれた環境でプレーヤーとしてとても成長させてもらったし、間違いなくサッカーというものを知った。



一方で後悔もあった。リーグ最終節まで無敗であったが最終節で2位のチームに1-4で敗れ大逆転優勝をされその試合で2失点に関与したことと、引退試合となった高円宮杯の関西大会で3年間で初めて前半で代えられたことだった。しかし県の一部で戦わせてもらいそして自分の天井はこの辺だと理解したこと、また大学受験があることも考えて、高校は東大寺学園高校サッカー部への入部を決めた。



高校のサッカー部についてだが、結果的にいえば高校時代は不完全燃焼でしかなかった。高2の時にはIHと選手権で0-8、2-10で敗北という悲惨ぶり。中学の時に対戦していた相手たちに大敗したことで肥大化したプライドは傷つけられた。選手権では後半開始直後から8分間で6失点してしまい、その瞬間に完全に気持ちが切れ退部した。サッカーが面白くなくなった。部活を辞めるための建前ではなく、本音で勉強の方が面白くなった。不完全燃焼は全くもって自分のせいでしかないが、生意気な態度で監督や当時キャプテンでア式でも同期の加藤俊に迷惑をかけた。東大フェスに招待されていたため12月までは続けることを勧められたが、「東大に入学したら別に毎日そこでサッカーできるんちゃう」という特大イキリを披露しチームメートより半年以上前倒しで高2の10月に退部した。



みんなより半年以上前に受験勉強を始めたおかげで成績は悪くなかった。数年前に那須さんのYouTubeで存在をはじめて知った東大サッカー部に入るのも目前だと思った。しかし現実はそう甘くなかった。バチが当たったといってもよかった。そんな舐めた発言をしている人間を学問の神様が味方するはずもなく浪人に。サッカーを始めて以来の最大ブランク期間2年半を抱えることが決定した。



浪人の1年間は2回しかサッカーをしなかったが、時間があればあるほどそれだけア式への気持ちが高まった。中学時代の後悔が蘇ると同時に、そもそも13年間のサッカー人生の最後の試合が10失点で終わっていいわけがないとも強く思った。



空白の1年を経て無事東大に合格し、サッカーに没頭できる日々が戻ってきた。今、再び素晴らしい環境の中でサッカーをさせてもらっている。人工芝や部室にあるシャワールームなど設備面は言うまでもない。テクニカルスタッフは練習や試合の映像を当日中にアップしてくれフィードバックができるし、マネージャーのおかげで滞りない練習ができ、水分補給に困ることがない。トレーナーの方には離脱期間中毎日やるべきメニューを提示していただき復帰までのサポートをしていただいた。夏が終わりそして1ヶ月半の離脱を経て、2年半のブランクもようやく戻りつつあると感じている。



先輩方の活躍で東大は都一部復帰へ邁進している。地域も年代も異なり今まで経験した「一部リーグ」より遥かにレベルは高いだろうと思うが、その舞台で戦いたいと強く思う。そのためにまずはこの素晴らしい環境に感謝し最大限に活用し、地道に努力を重ねること。そしてチームにとってなくてならない選手になることが最低条件だ。
不完全燃焼で終わったこれまでのサッカー人生を上書きし、最後に笑って終わるために、ここから泥臭く這い上がっていきたい。



最後にはなりますが、ありきたりな時系列feelingsで、拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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