2014年12月26日金曜日

みちすじ

2013年夏、僕は苦しんでいた。何故か、と問われても一言では返せない。
サッカー、人間関係、学業、将来…。何もかもがうまくいかなかった。
どれだけ考えても、考えても考えても、答えは出ない。何をしても、うまくいかない。
当然行動力もなくなる。そしてやる気もなくなる。怪我は治らない。負のスパイラルだった。

しかしア式の人間には相談できなかった。
出会って数か月の友人に、全力でサッカーに打ち込む仲間に、こんなにも重苦しい話などできなかった。

やっと怪我が治り、久しぶりの練習。久しぶりすぎてうまくいかない。何もできない。怒鳴られる。
そしてア式で2度目の対外試合。25分で負傷退場した。

ただの打撲だった。
しかし、もう耐えられなかった。

8月、僕はア式を辞めた。一年生で誰よりも早い退部だった。
親切にも連絡をくれた人、声をかけてくれた人には申し訳ないが、適当な理由を言ってごまかした。


以来、僕は運動会の束縛から解き放たれた。同時に、何もすることがなくなった。
何をするでもなく、ただ怠惰な生活を送っていた。心の闇、病みはそのままだった。

そんな中、惰性で、と言ってはいけないだろうが、一つだけ続けていたことがある。
それが審判だった。


20143月、僕はア式に招かれた。肩書は「専属審判員」。
ア式としては男子スタッフの前例がほしい。僕は笛を吹く機会が増える。win-winだと。

僕は迷った。考えた。
自分が苦しんだ集団に再び戻るのか?
仲間を裏切り、何も言わずに勝手に辞めていった自分の居場所はあるのか?
なんて言えばいい?どんな顔をしたらいい?

長い長い苦悩と説得の末、僕は戻ることにした。
審判が好きだった。

ア式の皆は思ったより、思ったよりずっと、温かく迎え入れてくれた。皆、大人だった。
腹の内にどんな思いがあったか、はたまた興味もなかったか、僕にはわからないが、僕は安心した。


6月、僕は再び苦悩していた。
協会からくる割当では中学生の試合を担当していた。アセッサーからアドバイスをもらい、それを生かし、成長を感じていた。

しかしア式では大学生の試合を担当する。
試合レベルや裁き方、プレーヤーとの接し方も全然違う。そのギャップに戸惑っていた。

大学レベルの試合はまだレベルが高すぎたと今では思う。今でも苦労するのに。
だが当時のレベルなりに目標を掲げ、一歩ずつ、歩みを進めているはずだった。

しかしそれでプレーヤーが納得するはずもなかった。
アドバイスとも、怒りとも取れる言葉が多方面から降り注いだ。

僕は怖くなった。自信がなくなった。初めて審判をいやだと思った。
今度は別の理由で、相談相手がいなかった。あまりにも専門的すぎた。
また辞めたくなった。

だが前回とは違った。

心の支えがあった。
ブラジルワールドカップで大きく考えが変わった。
アセッサーに相談できた。

僕はなんとか持ち直した。


そして小さな挫折と克服を繰り返している。

今は小さな下り坂の途中。終わりだといいが。

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突然でしたが、これが、僕が辞め、復帰して今までの経緯です。
正式な挨拶もろくにしていないので、feelings復帰のこの機会に書かせてもらいました。
長くなってすいません。暗くてすいません。

メンタルが弱いと言われればそれまでかもしれませんが、そんな簡単な話ではないということだけ、わかっていただければと思います。
それと今審判を頑張ってくれている皆にとって、助け、モチベ、救い、気休め、なんでもいいけどプラスに働いてくれればなと思います。


ついでにお願いがひとつ。
僕は、レフェリングについて様々な議論を、時間をかけてプレーヤーとすることはとても有意義だと思います。
また僕は堅物ではないし、協会等の責任問題もないのですべて言い訳、はぐらかしで終えるつもりもありません。立場の違う、互いの考えを共有したいと思っています。

ですが感情任せに文句を言われてもこれらのことはできません。
試合中に感情的になるのはある程度仕方ないことだとは思いますが(もちろんプレーの観点からもおすすめはしませんし、できれば冷静でいてもらいたいですが)、
試合後に言うのであれば、落ち着いてから、あれどうだったの?どうして?俺はこう思ったんだけど?みたいな風に意見をお伝えいただければと思います。

今後もさらに向上していきたいし、プレーヤーの意見をなるべく吸収できればと思っていますので、ご協力お願いします。 

1シーズンでの昇格に向けて、お互い頑張りましょう!



オク大との試合は平日でもベストメンバーで臨みたかったなと少し感じた(悔しかった)

2 ref 櫨本

2014年12月23日火曜日

最近寒すぎる

最近寒すぎ。
北国の人は雪かきとか大変そうです。
今冬はグラウンドの雪かきとか絶対したくないですね。

大掃除お疲れ様です。いよいよシーズンオフです。オフはサッカーのことについて考えるいい機会なので、今シーズンの反省をしつつ来シーズンどういうプレーをしていくか改めて考えたいと思います。
どんなに自分の中でプレーのイメージが明確であってもそれを発信しないと周りに伝わらないのは当たり前ですが、周りの意図をいかに受信しようとするかも同じだけ大事だと思っています。プレイヤー全員がイメージを共有するためにチーム戦術があるわけで、全員がチームの戦術に従ってプレーする必要がありますが、個々人の間で全ての認識が一致するのは不可能です。そういったズレが生じたときに周りの意図を感じ取ろうとしているでしょうか。周りが自分のイメージと合わないことで周りに責任を押し付けていないでしょうか。これは個人的な反省でもあるのですが、今年のチームはこういったところが足りなかったような気がします。うまく行っていない時こそ自分のやりたいことばかり発信して、それが勝利への執念だとかなんとか思いがちですが、各々がそれをやって勝てるわけはなくて、本当に勝利を追求するのならば冷静に周りの意図を汲み取ろうとしないとベクトルはバラバラの方向を向いてしまいます。何も考えずにプレーしている人なんていないわけだから、時には周りを動かしつつ、時には周りに合わせて動こうとしないといつまでたっても全員のイメージは合致しません。ただ全員のベクトルの向きが揃って大きな力となったときのア式は強いと思うし、チームのために自分のやるべきことをやろうとする人しかいないと思っているので、そうなったときはたいていの相手には勝てるはずです。
長々と当たり前のことを書きましたが少し気になったことなので書いてみました。

みんなフィーリングスちゃんと書きましょう。
3年FW 安武遼太

2014年12月22日月曜日

朋友へ


宇宙開発シュート

上空にロケット打ち上げるような、抑えの全くきいていないシュートに対してつけられた俗称である。天文分野に興味のあった自分の得意なプレーであることに疑いの余地はない。

こういうシュートを打つとピッチ上の味方の士気は下がる、ベンチはため息、なぜか応援は無駄に盛り上がる、相手も盛り上がる。それでもなお、自分は宇宙開発シュートを得意としてしまっている。中学時代から宇宙開発に励んできてしまった。


個人的な見解だが、宇宙開発シュートを得意としている選手の大半はゴールとほぼ絶縁状態にある。恐らくこの見解は正しい。そんな自分が今からア式の得点力不足についてぐだぐだと書きたいと思う。しかも一切技術的な話ではない。ご容赦ください。




ア式は切り替えを大事にするチームである。
ゲーム形式の練習中にありそうなこと。
点を決める→「切り替え!!」byK.Y→ダッシュで守備をセット

悪くない。悪くないのだけど違和感を感じる。
点決めたんだよ?喜んでよくね?みんなで喜べばよくね?
公式戦だったら点決めた直後すぐ守備に戻りますか?っていうお話です。いくやのCR7シュート、符の顎ヘッド、新見のえ?っていうシュート。決まった瞬間自然とみんな集まって喜ぶじゃん。
公式戦でやるなら練習でやっても問題はないでしょう。


練習で喜んで何になるの?
こんな反論が飛んできそうですが、全くその通り。自分が言っていることは得点力向上に一役買う根拠はどこにもないです、はい。

ただ、高校時代サッカー部の先輩からこんな話を聞いたので。
「ブラジル人は練習中とか遊びの中でゴールを決めると、どんな些細なゴールでもチーム全員ですげえ喜ぶらしい」

ブラジル人の方が日本人より点決めるし、やって損はないのかなと思う。そもそも点決めた直後に守備に戻る必要がなかったとしたら、みんな本当はわーわーやってるんじゃないのかなと思う。


誰かが得点力向上への具体的な方策を持っているならそれをメインにやれば良いと思いますが、ないならとりあえずどうかなと。これまた全く根拠のないことですが、メンタリティが変わったりして点が決まったりするんではないだろうか。わかりません!

以上です。


これは余談ですが
94年W杯ブラジル代表の2トップ、ロマーリオ&ベベット。相当仲が悪かったらしいですが、大会でゴールを決めた後は、一緒にゴールパフォーマンスを楽しんでいたらしい。ゴールには不思議な力があるのかもしれないです!


「まだあわてるような時間じゃない」
「オレは今なんだよ!!」
「おうオレは三井 あきらめの悪い男…」
「通過点じゃねーかよあいつらなんか!!」
「勝った方が100倍楽しいもんな」
「歴史に名を刻め~お前等!!」
スラダン読んでメンタル面を鍛えよう

2年 副将 北山 淳

2014年12月19日金曜日

はじめまして


 1ヶ月前ほどにマネージャーとして入部しました、伊東奈央です。
よろしくお願いします。

過去のfeelingを見ていると、結構自由に書いていいみたいなので、自由に書こうと思います。

ア式に入った理由は、いろいろあるのですが、その理由の中の1つに、一生付き合える、つまり大学を卒業しても会えるような仲間が欲しかった、ということがあります。

私の高校はとても良い高校で、行事などたくさんあり、特に自分からアクションを起こさなくても一生付き合える友だちができました。でも、このノリで大学に入って、前期を過ごして、大学では自分で動かないと、そういう友だちはできないんだ、と実感しました。クラスといっても、授業を一緒に受けるだけで、全体での結束はほぼない…って、これクラスの人に見られたらどうしよう

まだ入って少ししか経っていませんが、もう、この人とは大学卒業しても友だちでいたい!と思える人をたくさん見つけることができました。入ってよかったです。これから、よろしくお願いします!

さいごになりましたが、ア式に入る際、工藤航氏のコネを最大限に利用させていただいたこと、ここに感謝の意を表して結びとさせて頂きます。わたるんありがとう


UT LⅢ20 1年 伊東奈央

2014年12月18日木曜日

勘違い

投稿遅れてすみません。書くことがほんとうになかったもので。


最近(というよりこの半年ぐらい)同期のやつらから「勘違い野郎」などとバカにされることが多いのでここで一筆。


まずなんで勘違いなどといわれているのかというと、説明するの面倒なんですが、まあ簡単にいうと、ある女の子に優しくされて期待してガッカリ… といったところでしょうか。


僕はずっと悩んでいました。自分のなにがいけなかったのだろうと。


いくら考えても答えが出なかったので、幾許かの慰めにもならないかなと過去のfeelingsを流し読みしていました。


すると、ぱっと目に止まった記事が一つあったのです。


「勘違いは人間を動かす最大の動力」


今年の8月に近松さんがお書きになった記事です!(勝手に使ってスミマセン…) 僕は、はっと目覚めました!島村が国境の長いトンネルを抜けて雪国にたどり着いたときの感じです!要は何某のもやもやから視界が開けてある種の開放感に満たされたのです!


勘違いってしてもいいんだな


僕はこう前向きにとらえるようになりました。余談ですが最近その女の子をランチに誘ったりしています。


勘違い…全くの同値ではないでしょうが、リスクを考えず、何も考えず、ただただ突っ込んでいくとも言い換えられるような気がします。


よく成功するためにはリスクマネジメントが必要だとか言われています。もちろん、それも大切ですが、何も考えずに突っ込むのも時には成功に繋がるのかもしれません。


ア式の哲学は「考えつくす 闘う」ですが、「考えない」というのも考えつくすのうちに入っているのかもしれません。


ある一人の男を知っています。


彼は中学生のとき、英語の実力試験で2年連続ビリをとっていました。最後のほうまで定期試験もあまりよくありませんでした。早慶もダメだったそうです。でも最後の最後には勝って東大に受かりました。


僕の中学、高校のときのキャプテンです。


彼がリスクを考えずに突っ込んだかどうかは僕には知る余地もありませんが、成功例は現に存在するわけです。


リスク上等、僕も実践できるようにしたいです。


時間無くて駄文になってしまいましたごめんなさい 1年 GK 山口日向

2014年12月16日火曜日

選択

「人生は選択の連続である」とはかの有名なシェイクスピアの言葉であるが、たった21年の私の人生の中でも数え切れない程の選択をしてきたと思う。日常生活の中でも、そしてもちろんサッカーの中でも私たちは絶えず選択を迫られている。

振り返ると、慶應に入ったのも、サッカーを始めたのも、東大ア式蹴球部女子と関わったのも、私にとっては大きな選択であった。「人生の転機」かと問われると言い切れる自信はないが、それでもこの選択をしなかったら今の自分とはかなりかけ離れているに違いないと思う。これらの選択の結果の良し悪しは断定出来るものではないが、きっと良い選択だったと信じている。

大きな選択をするにはかなりの勇気がいる。選択の結果を事前に知ることができないし、選択による変化が大きいからだ。そして大概大きな選択は期限があったりするのだ。この先、今までより大きな選択(それこそ「人生の転機」レベルの)を迫られる機会があるだろう。その時にどんな選択をするのかは分からない。しかし、今までのように後々振り返って良かったと思える選択を出来る人でありたいと思う。

そんな私は優柔不断
2年 竹内瑞穂

2014年12月15日月曜日

High risk High return

ローリスク・ローリターンは平凡すぎる
ローリスク・ハイリターンは努力せずして得られても楽しくない
ハイリスク・ローリターンはこればかりはきつい
ハイリスク・ハイリターンは、、、



自分が先発した試合で初めて勝利した、前期の山学戦。試合が終わった時は人生で一番嬉しかった瞬間だったと思う。嬉しいというのを認識するより先に無意識にガッツポーズしていた気がする。

ア式に入って勝利を目指すには膨大な時間を投資しなければならない。さらに、時間を投資するだけでなく、その時間を有効に使わなければならない。そして、時間を多く有効に投資したかといって確実に報酬を得られるわけではない。それ故のハイリスクであろう。

物事はなんだって熱中するとハイリスク・ハイリターンだ。大きなリターンを得るためには大きなリスクを負わなければならない。大きなリターンがあるのに、そのためのリスクを冒さないのは愚かだ。

来シーズン勝ちまくって昇格という喜びを
3年 平野元

2014年12月9日火曜日

感謝の気持ち

昇格おめでとう、と祝ってもらえることが最近よくある。私が所属する慶應義塾大学体育会ソッカー部女子は、2部優勝で悲願の一部昇格を決め、リーグ戦を終えた。でも、昇格を決めた最終節の後皆が号泣し抱き合う写真のどこにも、私と瑞穂はいない。

その日私達はチームとは離れ、東大ア式女子の一員として山梨学院大との試合に臨んだ。「立ってるピッチが違っても、I play for TEAM2014」これが私の関カレ中のテーマだった。
東大に参加するのを決めたのは、昨年慶應の一員として存在はしたけれど、時に皆の目指す舞台を他人事の様に感じてしまうことがあった結果、自分はチームに何が出来るのか分からなかったから。大好きなチームの為に、何か出来る様になりたかった。そして単純に、もっと楽しくサッカーがしたかったし、もっと上達したかった。

多くを背負い、いつも試合で戦っている同期達が私のわがままを理解してくれ、慶應の皆が一緒に頑張ろうと送り出してくれたことに本当に感謝している。

両方のチームに何が出来たか、なんて本当のことは分からない。でも慶應で「試合見て自分も頑張ろうって思った」、東大で「来てくれてありがとう」って言ってもらえて、私は東大に行った意味があったと思っているし、一部昇格の瞬間には立ち会えなくても、山梨での試合終了と同時にそれを自分のことの様に喜ぶことが出来たのも、大きな変化だと思う。

リーグ戦を通して、試合経験は勿論、様々な人達に出会い、多くを学んだ。変わり者だけど愛されキャラの主将を始め、東大生らしい切れ者の同期や某ア女からやってきた最強のボランチ、頼れない私のことも慕ってくれるかわいい後輩達。皆のおかげで、すぐにこのア女が好きになった。ア式の皆さんには、いつもアツい応援で励ましてもらった。福田監督は最初怖かったけど、本当は熱くて賢くて、サッカーが大好きな、人生の先輩なのだと知った。ここには書ききれないくらい沢山の人に支えてもらい、ハードだったけど、楽しい2ヶ月だった。

最後に、もうあの水色ユニを着ることがないのは寂しいですが、これからもア式、ア女を応援しています。短い間でしたが、本当にありがとうございました。

シュートブロックは顔
2年 岡野史恵

2014年12月8日月曜日

遺すこと

 今日は非常に悔しい負け方でした。実は今日初「観戦」だったのですが、外から見るア式というのもまた、違うなと感じています。そういえば、先週でOBコーチも引退しました。矢野です。(許可はもらっています)

 最初に、4年半ア式という環境でサッカーに関わらせてもらって、本当に感謝しています。あと、OBコーチとして臨んだこの1年、降格という結果になってしまい大変申し訳ないです。来年の1部復帰、よろしくお願いします。
 もともとは自分の経験をいろいろなカテゴリーに参加することでチームに還元してほしいと言われていたこともあるし、僕自身、下のカテゴリーにいる選手にはもっと伝えたかったことがあったので、投稿させてもらうことにしました。かなり長いので、読みたいと思う方だけ読んでもらえれば。
 書いてあることを実行しろというわけではありません。そもそも、最後まで僕は平凡な選手であり続けたし、誰かのお手本になるような選手じゃない。最高学年になるまでAチームに上がれなかったのに、成功と言えるのかはわからない。さらに言えばサッカーに限らず、成功というのは特殊解で、それは参考にはなっても、一般解すなわち必ず成功するやり方ではない。それでもまぁ盗めるものは盗んでください。そのくらいのものです。
 
先に下記の内容をまとめておくと、
「自分の能力を把握し、何を活かして活躍するのかを考えて、それに向けて努力する。そのためには利用可能なものは何でも利用する。」

【自分の能力を把握する】
 はっきり言って4年間(3年半)はとても短い。全てをこれ以上なく伸ばすというのはふつう非現実的だ。そしてア式の選手のほとんどは、たいていの部分において他の1部のチームのスタメンの選手には及ばない。どうやって勝つのかを考えなければならない。まず自分に何ができて、何ができないのか。どこなら1部の相手選手に勝てるのか。どこを伸ばすのが一番効率的なのか。こういったことはまず初めに考えたほうが良い。僕の場合は攻守にオフザボールで貢献する選手が現実的であったし、少なくとも純粋に「やりたいプレー」と、勝つために選択するプレーは別だった。ドリブルからのミドルシュートでの得点に憧れていたけれど、僕の能力で勝利に最も近いのは簡単に預けて自分はゴール前に飛び込むことだった。(もちろん、ドリブルからのミドルシュートをひたすら練習するという選択肢はあったけど、自分の身体能力とボールタッチを考えたら都1部でやるにはあまりにも非現実的だと感じていた)

じゃあ、自分の能力や伸びしろを踏まえて何をするのか。

【ポジションを考える】
 まずポジションは真剣に考えた方がいい。ポジションは自分の強みを発揮できるかを大きく左右する。考えるのが難しいのなら、コーチとか他人に自分の能力についてコメントを求めてみればいい。自分の能力(長所と短所)をなるたけ客観的に把握することで、少しずつ自分が上に上がる道とポジションが見えてくると思う。僕自身は高校までMFをやっていて、ア式に入ってからFWを始めた。都1部は思っていた何倍もレベルが高かったし、ボールを触る回数が多くて、かつフィジカルコンタクトが多い中盤は無理だと思った。

【結果によって自分を成長させる】
 花嶋からも話があったかと思うけれど、次に、味方との相互理解が非常に重要である。個人で打開できない選手には特に。「こいつならこうプレーする(できる)」ということを理解し、理解されることで、格段にプレーの質は向上する。するとボールを触る回数が増えて上手くなりやすい。じゃあどうやって相互理解は達成されるのか。
 それは「結果」だ。例えば、「そこに出しても...」ってとこにパスを要求されて、でも出してみたら上手くいったのなら、「こいつならここに出して良いかも」と理解できる。これを繰り返せば確信に変わる。すなわち、相互理解は、常に結果を出すことによって実現される。例えば、矢野はこの体勢だったら蹴る瞬間に裏に走り出すから、裏に蹴ればいい、と確信を持たせれば足が遅くてもスルーパスが通ったりする。

【無意識のプレーに向き合う】
 また、自分のプレーも結果によって向上する。最初は指示やルールに従って考えてから選択するプレーでも、成功という結果を積み重ねていくことで、いつか状況反射的にそのプレーができるようになる。考える一瞬を省略することで相手より1m先に出れる。その1mが勝敗を分けることなんていくらでもある。
 一方でこの状況反射的なプレーは欠点にもなりうる。ア式を見ていると、中高やCチームで上手くやれてきた経験のためか、都1部やAチームのレベルでは好ましくないプレーでも反射的にやってしまう人が多い。そういったプレーは得てして無意識なので、そもそも自分では気付かない人も多い。だから試合のビデオや他人からのアドバイスに耳を傾けること。ところで、最近ビデオ見ている人が少なくはないでしょうか。

【人の指摘を聞くこと】
 上記の理由はもちろん、他人の意見は重要である。自分が見たものだけで下した判断というのは、最善の判断になりにくい。常に最善と思ってプレーを選択すべきだけど、他人からプレーの後に指摘されたときはしっかり聞くし、ビデオを見て反省する。
 ただ、指摘も全てが正しいわけではないし、間違っていることさえある。だとしても聞くこと。なぜか。指摘する側は、聞こうとする意思が「見える」選手には指摘し甲斐があると感じるし、そうでない人間に指摘するのは無駄に感じる。聞こうという意思が「ある」かではなく「見える」かだ。どんな人も、重要なことを言う可能性を秘めているので、聞こうとする意思が「見えない」人は、アドバイスされにくい、つまり潜在的に自分が成長する可能性を逃しているかもしれない。使えるリソースは最大限使ったほうがいい。これはこの1年で強く思いました。

【信念を持つ】
 そうやって聞いたアドバイスの内容はきちんと考える必要はあるし、可能ならば実践してみる。しかし、必ずしも聞き「入れる」必要はない。言われてもなお、自分が正しいのだと思うのならば、それを曲げてまでやることではない。でも、そのかわり結果で示せ。添田のドリブルのように。結果が出ないならば、それは改めようとしろ。あと、全部やろうとして何もできないのでは本末転倒。頭がごちゃごちゃしてくるようなら、多少聞いているふりをしてでも一つずつ消化したほうが良い。正直聞いてるふりだけでもしてほしい。

【武器を盗むということ】
他人がやっているプレーを盗むのは、自力で考えて努力して獲得するより圧倒的に効率がいい。だから身近な人からプロ、全く関係ないものだって、盗める技術は盗めばいい。僕個人であれば、佐藤寿人の攻守におけるオフザボールの動きとか立教大FW38(2年の秋季?)のプレースタイルとか。あとは訳わかんないかも知れないけど、黒子テツヤ(黒子のバスケ)とか。背後から気付かれないように寄せてつつく守備は健太郎さんにもお墨付きをもらえるような武器になったし、相手がボールを「見てしまう」タイミングで動き出すとか、全然サッカーに関係ないように見えて案外参考になったりする。想像力豊かに。成長の糧は日常生活の中にも落ちている。

【まとめ】
チームとしてやることは別にして、個人としてやることは、自分の信じることをやってほしい。でも、自分の信じることは、結果によって常に修正されてしかるべきである。だから、昔の自分が正しいと思っていたことが、今の自分にとって正しくなくてもいい。(ちなみに個人的には「正しい」=「結果が出る」)少なくとも、下のカテゴリーから這い上がってきた選手たちは、それぞれの「能力」を活かす「正しい」ポジションを見つけたり、自分が「正しい」と信じたものに向かって「能力」をひたすら鍛錬することで、結果につながる「強み」を獲得した選手だと思う。

最後に...偉そうに長々とすみませんでした。4年のリーグ戦の時に、3つ上の先輩が「矢野がスタメンとかア式も末だなあ」と言っていたらしいです。1つ上の先輩には「お前トラップできたんだ」と言われました。意図はともかく、否定する気もないし、むしろ褒め言葉として受け取っています。そう遠くない未来に「お前がスタメンとかア式も末だな」...とは言いませんが、「お前がスタメンとるとは思ってなかったな」と、そういう褒め言葉を言わせてほしいと思っています。
 
期待しています。
H26年卒 矢野

2014年12月6日土曜日

コンコルド/予定通り予定外/アンビヴァレント

コンコルド

「コンコルド効果」という言葉をご存知だろうか?

例えば、ある企業がある事業に10年間で100億円を投資しようとして、いまのところ5年間で50億円を投じたとする。企業は、この事業によって莫大な収益を上げることを期待していた。しかし、状況は変化し、この事業で上げることのできる収益が30億円に満たないことがわかった。このとき、この企業が取るべき対応はどのようなものであろうか?

正解は、「今すぐこの事業から撤退する」ことである。
撤退した場合、損失は50億円である。(撤退にかかる費用は小さいので無視する)
撤退しなかった場合の損失は、全体で最低でも70億円となる。
このように、経済的合理性に基づいて考えれば、この企業が事業から撤退すべきなのは明白である。

しかし、超音速旅客機コンコルドを開発したイギリスとフランスは、同じような状況で投資を続けてしまった。その結果、多大な損失を残した。現在、コンコルドは空を飛んでいない。

このように、今までに投資した費用(埋没費用、サンクコスト)を惜しんで、投資を続けてしまう心理をコンコルド効果という。

人間には、今までやってきたことを無駄にしたくないという心があるのだろう。
だからといってそれを続けることは、合理的であるとは言えない。
しかし、コンコルドを空に飛ばすことを可能にするのは、こうした人間の心であるとも言えるかもしれない。



予定通り予定外

僕は「面白さ」というものは、思った通りであることと、思いもしなかったこと2種類あると思う。
例えば、ある芸人コンビの片方がボケる。そうすると、もう片方がツッコむ。僕は笑う。これは前者だ。
例えば、ある芸人コンビTろサーモンのK保田がボケる。しかし、M田はツッコまない。僕は笑うこともある。これは後者だ。(Tろサーモンわからない人はすみません)

サッカーもそうだ。
「そこだ」というところに人が動き、「そこだ」というパスが出る。
「そこだ」というところにボールが来て、「そこだ」というところでボールを奪う。
いかに「そこだ」という部分をチームで合わせるかが、勝利のカギである。
しかし、それだけでは面白くない。
「そんなところに」というところにパスを出して、「そんなとこから」というところからシュートを打つ。
相手が、ときには味方が、そして観客が、あっと驚くようなプレーがサッカーの醍醐味だ。

人生もそうだ。
思っていた通りに上手くいったり、思っていた通りに上手くいかなかったりする。
また、ルーティン化した生活は、なんとなく安心感を与えてくれる。
しかし、それだけでは平凡な毎日である。
たまに思いがけないことが起こる。それは良いことだったり悪いことだったりする。
日常生活の中にたまにある特別な日、その昂揚感は格別である。
このどちらもが、人生を面白くする。
 
 


アンビヴァレント

小学校の頃、臨海学校の帰りに友達から「お前って、○○のこと好きなの?」と聞かれた。
「いや、そんなこともないよ」と答えると、「じゃあ、○○に嫌いですって言ってこいよ」と言われた。
「いや、嫌いって訳でも」と言うと、「じゃあ、○○に好きって言ってこいよ」と言われた。
世の中のものごとは「好き」か「嫌い」かの2種類にはっきり分かれるものではない。
好感度の数直線のようなものがあって、その座標がすべてのものごとに与えられるような感じなのだろうか。

「好きな子いじめ」というものがある。
男性、特に小さい子は、好きな女性(女の子)を、好きなのにも関わらずいじめてしまう。
しかし、それは本当に「好き」と言えるのだろうか。
相手に対し「嫌い」であるかのように振る舞い、口でも相手のことは「嫌い」だと言い、それでもそれは相手のことが気になる、つまり「好き」であるが故の行為、言動だと決めつけることはできるのだろうか。
そう考えると、「好き」と「嫌い」は同じ数直線上にのるものではないように思える。

「あのときの判断は間違っていなかった」かつ「あのとき、こうしていれば良かった」
「自信はある、きっと成功する」かつ「大丈夫かな、上手くいくか不安だな」
「苦手なことにも挑戦してみよう」かつ「俺ってこういうタイプだし、やめとこ」
「自分のやりたいようにやればいい」かつ「人のことも考えて行動すべき」
「変わらなければならない」かつ「このままが一番」
「頑張ろう」かつ「無理はしたくない」
 
 
 
いつも回りくどいfeelingsで申し訳ないとは思ってます 
3年 ベンチ 荒井周午


2014年12月4日木曜日

Hello Everyone, Nice to meet you!

Hi my name is Arthur Yanagisawa. I joined the ア式蹴球部from the end of September, so roughly two months ago. Because I joined half-way through the season, I didn’t really get a chance to properly introduce myself so I will use this opportunity to do so.

I was born in New Zealand to Japanese parents and spent my whole life up until now living there. In September this year, I moved here to Japan to study at The University of Tokyo to study in the PEAK program which is taught entirely in English. People often ask me whether my English or Japanese is better: my English is probably twice as good as my Japanese!

My time at ア式 so far has been really great and enjoyable, but there have been a number of points which I have found completely different to New Zealand.
-The amount of training here really surprised me at first and took me a bit of time at first to get used to. Back in New Zealand, training three times a week plus a game on the weekend was normal. Training/Games 6 times a week would be unthinkable in New Zealand.
-Because everyone is smaller here, it is much less physical and there aren’t that many teams that play long-ball football. To make up for the lack of size, the game here is much more technical and tactical than in New Zealand.
-I think it is really good that the students pretty much control the running of the club and everyone has a role to play not just on the pitch but off it as well. In New Zealand, the coaches would organise everything and the players would just turn up to play.

Overall, I am really enjoying my time in Japan and hope to keep up my studies and football for the next 4 years. よろしくお願いします。


柳澤アーサー

2014年12月3日水曜日

もう12月ですね。

最近また寒くなってきましたね。インフルエンザもちょっと流行っているようですし、風邪をひかないように気をつけましょう。木曜日は最高気温が9℃で雨予報なのがつらいです。


さて、ア式ではチームに貢献することが求められていますが、ここではチームに貢献する必要性については議論せず、チームにどう貢献するかについて考えたいと思います。

サッカー面でチームに貢献する、ということを考えると、やはりトップチームで試合に勝つ、ということが一番かと思います。人よりしっかり練習の準備をして、練習中も持てる力を存分に発揮して、練習後も自主練やダウンを欠かさないことによって他人の意識を向上させる、という貢献方法も可能かもしれませんが、そこまでしっかりやっていて下手くそのままでは、なかなか他人に良い影響も与えられないかもしれません。
サッカー面以外では、チームに貢献する方法は意外と簡単に探せるかと思います。準備や掃除、ビブ干しなどの雑用をきっちりこなすことで部室の環境をきれいに保つ、ということも一つかもしれませんし、イヤーブックやメルマガ、ハイライト動画、SNSなど広報の仕事をしっかりやる、ということもまた一つかもしれません。探せばきりがないですが、チームに貢献することが求められている以上、トップチームで試合に出られていない人は何かしら考えて行う必要があるのかもしれません。
こうして考えてみると、サッカー面でチームに貢献するためには上手くなってトップチームで試合に勝つことが、サッカー面以外で貢献するためには何かしら考えて行うことが必要かと思います。上手くなるためには練習についてしっかり考える必要があると思うので、結局チームに貢献するためには「考える」ということが重要なのでしょう。僕が尊敬するスポーツ選手も、「人の倍練習して満足してはいけない、倍練習したうえでやり方を工夫しなければならない」といったことを仰っていましたし、また別の誰かも「人の三倍練習して二倍上手くなる」と言っていた気もしますので、上手くなるためには考えることが必要、ということは事実でしょう。

ア式の人がどうか、ということを考えると、何も考えないで練習してる人や、サッカーで貢献できていないにも関わらず他の何かを考えてチームに貢献する気もさらさら無い人なんてほとんどいないと思います。しかし、ひょっとするとその「考えている」レベルが低いのかもしれません。チームに貢献しているつもりでも、結局貢献しているかどうかなんて他人が判断することでしょうし、貢献している、考えていると自分で勝手に勘違いしてしまっているのも危険かもしれません。もちろん、勘違いによって生まれる自信を活かすことができれば勘違いも良いかもしれませんが、悪い意味での勘違い野郎なんかにならないためには、先輩や後輩と話すことによって、自分が考えていることを他人にぶつけて何かを得る、ということも重要かもしれません。また、サッカー外で貢献するためには、「貢献しなければならない」という義務感に加えて、「この仕事が自分の人間形成に役立つ」なんてモチベーションもあれば良い、というより、そもそもア式に自分が存在していることの意味を考える上で、このチームにいることが嬉しい楽しい以上の何かを自分にもたらしていることを実感する必要もあるかもしれません。

トップチームで試合に勝つ、という貢献方法を達成できていない僕自身のことを考えると、自主練や筋トレの方法を考えているつもりではいても、あまり成果があげられてはおらず、またサッカー外の仕事についても自分以上にチームに貢献している人はたくさんいるということが現状でしょう。貢献度を他人と比較する、というのもおかしい話かもしれませんが、他人以上にチームに貢献するためには、現状を打開する必要があるかと思います。今後もチームに存在するのなら、あくまでも目標は主将以上にチームに貢献することとしてこれまで以上に頑張っていかなければならないでしょう。ここでも頑張っているつもりになって主将から見たら何も頑張っていないような人間にはなりたくないものですね。僕はこのチームで様々な人から影響を受けて人間として未熟なりにも多少は成長したかと思っているので、自分も他人に良い影響を与えられるような人間にもなりたいです。口だけ人間になりそうなのがちょっとこわいですが、前主将の仰っていたような、螺旋階段状に上る組織をより上へ持っていくために何かを残したいです。今の時点で後悔していることも多々ありますが、過去のせいにはせず、今と未来をしっかり見つめて頑張っていきたいものです。当たり前のような当たり障りのないことばっか書いてますが、とりあえず当たり前のことを当たり前に出来るようになりたいものですね。そうしているうちに目標を超える結果を残したいです。


女の子と飯食ってボウリング行くのも当たり前
3年 安達

2014年12月1日月曜日

10年後

ある時、私の尊敬する大学の先生が、「10年後の自分はどうなっていたいの?」と私に問いました。
私が先生にあれもこれしてみたいと相談した際、すかさず仰った言葉でした。

毎日学校、部活、課題等で1週間を過ごすのに精一杯な私はそんな遠い10年後の自分なんて想像したこともありませんでした。

しかしこれを機に少しずつ自分の未来予想図を描くようになりました。

考えていく中で、ア式を引退、大学を卒業、就職等それで終わりではなく、その先何十年と続く自分の人生の為に、今出来る事を後悔しない様に行動したいと思いました。
それは非常に贅沢で、時には不可能な事もあるかもしれませんが…

今出来る事、それはア式の中でも言える事です。
マネージャー業務だったり、イヤーブックの仕事だったり…

ア式の仕事全てが勿論、チームの為ではあります。しかし、私は自分の為にも繋がると思っています。その為、1つ1つの仕事の中で新しい事は学び、その過程で考える事を惜しまない様にしたいと思っています。
ア式のコンセプトでもある、考えて闘うというのは個人的に好きです。しっかり考えている人の話を聞き、自分自身もそれについてじっくり考えてみる、そのプロセスが非常に価値あるものだと最近気付かされました。

そうは言ってもア式の勝利の為に何が出来るか、将来の自分について考えたりするのは、なかなか難しいものです…

2年スタッフ 秋枝万里依

2014年11月25日火曜日

二方向からfeelings


Side A

グラウンドで仕事をしていると、時折、武道の部活の掛け声や気合入れの声が聞こえてくる。その度に思ってしまう、「もし、私が大学でも空手を続けていたら…」と。新歓期に一度も空手部を見に行かなかったことを全く後悔していないと言ってしまえば嘘になる。それは、一度うわさで聞いた「上段蹴りが相手の頭上を越えるような長身で、イケメンで、上手い男の先輩」を一目でも見られなかったからではない。せっかく高校時代やったことを大学でも続けなかったことへの後ろめたさがあるからだ。でも、私はどこかで分かっていた。たとえ続けたとしても、高校の空手部は決して強くなかったし、私に空手の才能があるわけではないから、そこまで極められないだろう、これ以上の上達はのぞめないだろう、と。だから、複数の上クラの先輩から「空手部の友達が、空手経験者がいると聞きつけてその子の連絡先を教えるように言ってきたんだけど」と言われた時も、「教えないでください!」とすかさず言ってしまった。こんな中途半端な気持ちなのに、熱心に勧誘されたら、押されたら入ってしまいそうだったから…

でも、これははっきり言って「逃げ」である。ずっと続けてきたことをやめるのは、ある意味その道をあきらめるということ。振り返れば私は中学校の頃あんなに打ち込んでいたことも高校入学時にぷつりとやめてしまった。ただの大学附属中学校なのになぜか音楽にやけに熱心、合唱コンクールも盛んな中学校に行っていたため中学時はコーラス部に入り、クラスでも2年連続で指揮者をやった。人の声の美しい調和、響きをこわいほどに追求しこだわりぬいて、指揮の勉強にも没頭した。中3になっても高校受験の勉強よりむしろ音楽の勉強をやっていた。クラスメートも私にしっかりついてきてくれて、最高の合唱が出来上がった、、はずなのに合唱コンクールでは優勝できなかった。あそこまで最高の準備をしたのになぜ、という思いが湧いてきた。3年生全員で合唱する曲「流浪の民」のソロパートを歌う一人にせっかく選んでもらったのに、そちらの方も、自分の独唱部分で最初に若干声がひっくり返ってしまい、理想通りに歌えなかった。私は、怖くなった。全力の準備をしても、本番うまくいかないことがある。成功しないことがある。あんなに好きだった音楽のことを、初めて怖いと思った。それでも、その恐怖を乗り越えて、自分の未熟さを認めた上で成功を求めてもう一度高校でも真剣に音楽と向き合うべきだった、、のかもしれない。しかし私は弱かった。180度切り替えて全く新しいスポーツそれも武道を始めた。

 こうして振り返ってみると、私は人生、逃げてばかりだともいえる。どこかで限界を作ってしまって挑戦することをやめてしまう。だからこそ、このア式蹴球部に心ひかれたのかもしれない。サッカーは、小学校とかそれよりももっと前とかたいていの人が小さい頃に始める。そして年齢を重ねる中で、「自分にはこっちの方が合っている」と他のスポーツに転向したり、「もう十分やりつくした」と言って全く新しいことを始めたりと、一人、また一人とサッカーをやめていく。そんな中、ア式の選手は少なくとも約12年以上サッカーをやってきたということ。そのことがまずすごい、、と感心しながら新歓期、入部当初、選手さんたちを眺めていた。しかし、それだけではないと今は知っている。ただ続けているのではなく、さらなる高みを目指して日々挑戦している。限界など定めていない。尊敬するしかない。サッカーをプレーしてきたこの10数年、越えられる気がしない壁にぶち当たって、やめたくなったこと、嫌になったことは絶対あったはず、と思う。それでも私みたいにどこかで挑戦することをやめて他の道に転向することはしなかったんだな、と思うとまた感心してしまう。もちろん、色んなスポーツ、色んな事をやってみるのは素敵なことだしそれはそれで魅力的。でも一つのことに集中してそれを極めることは、私にとってもっと魅力的に見える。自分がカテゴリーを落としてしまったり、部がリーグ戦を戦う場のレベルを落としてしまったりと、大学に入ってもやっぱりサッカーは辛いな難しいな、、という弱音/本音も心のどこかに抱いているのだろう、彼らは。しかも毎日それらと向き合わなければならない。もしかしたら、高校まではそれなりに上手くいっていてあまり苦労もしてこなかったが、大学でア式に入って初めて大きな壁にぶち当たっている選手もいるかもしれない。しかも初めての壁は実際より大きく固く見えてしまう。

 さて、そんな選手のために私に何ができるか?「よいしょらせ」と壁をどかすことが私にできる訳はない。できるのは、壁を実際より小さく見せたり、少しでも早く、確実に壁を乗り越えられるよう助けることくらいだろうか。そんな抽象的な話をしていても全く practicalではないので、まずは目の前のやるべき仕事をミスなく当たり前に完璧にこなすことを肝に銘ずることだろう。当たり前にこなさなければならぬことだが完璧にしようとするととても難しい。「ああまた今日も私があそこでああしたせいで練習時間のロスだった」とか練習後いつも思っている気がする。「今日は完璧だった」と思える日は残念ながら無い。本郷からの帰り道は、「自分嫌い」モードな懺悔の時間。(メンヘラとか精神不安定ではなくて…)でも次の自分の仕事をより確実にするために欠かせない大切な時間。ここで、「まあ、私ってボーっとしてて忘れっぽい性質だから仕方ない」とか「おっちょこちょいだから多少のミスはやむを得ない。」「あのくらい誰も気付いてないっしょー」と思ってしまったら、自分の限界を定めてしまうということ。自分の限界を定めちゃったら今までの私の二の舞。自分の性分のせいで自分に迷惑がかかるのは許せるにしても、部全体に迷惑がかかるのはもはや絞首刑。その時点でもはや試合終了だから逃げるな私―!!ストイックにならなんとよ!と奮い立たせるのである。

2部に降格しても、ひたむきにボールを追い続けるその真摯な姿勢を変えることなく、いや時には前にも情熱を増してサッカーに取り組み続ける、サッカー10何年目の人々を見つめながら、「挑戦し続ける人に憧れるばかりでなく自分もそうなろう」と決意した今日この頃です。

 

Side B

とはいってもストイックになりすぎると、考えすぎると、自分を責めすぎると、がんじがらめになって結局何も進まないこともある。そもそも、リーグ戦でア式がなかなか勝てなかったのは、選手にストイックさが足りなかったからだとは私は全く思えないので、今度は全く視点を変えてみる。

孔子曰く、「これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」

この言葉を、ある物事を「知っている」段階からさらに努力を重ねれば、「好き」という段階にステップアップできて、さらに鍛錬を重ねて最終的には楽しめるようになる、そこまでいけば怖いものはない、という意味のみで私は最初とらえていた。

しかし、トリノ五輪スピードスケート男子500mで日本人最高4位になった及川選手は、父親が書いたこの書置きをトリノまで持って行ったそうだ。オリンピックという大舞台へと息子を送り出すときにこの言葉が使われたということは、「もはや楽しめたら一番強いんだ、リラックスして楽しんで」という解釈も可能ということである。

そう、楽しむ人が最も強い。努力と試行錯誤を重ねて、その過程さえも楽しみに変えられれば、何者にだって勝てるはずなのだ。だから細かいことを小難しく考え抜いたり、自分をひたすら責めるばかりでなくいっそのこと楽しんでしまえばもうこっちのもの!とも言える。

空手は、試合では寸止めルールが適用されているとはいえ、中途半端に強い相手と組手するときは攻撃されると痛い。それなのに相手に自分から向かっていけ、とか監督は言うけど怖い。でも、自分が練習してきた守りを精一杯発揮して少しでも効果が見られたとき、快感を得て楽しめばいいのだ。形は4方から審判に見つめられるし緊張するけど、もはや自分の架空の相手と戦うその冒険を楽しめたら一番綺麗な形の演技ができる。

中学生の私があそこまで指揮に、合唱指導に、自らの歌う声の改善・研究にのめり込めたのは楽しかったら。指揮する自分の指先の動きひとつで皆の声色が変わるのは快感だし、「こういうイメージで歌ってほしいんだよね~」と言ったことが伝われば本当に嬉しい、楽しい。ここのフレーズ、上手く声が出ないな、と思ったところをああでもないこうでもないと試行錯誤した末、理想通り自分の声が出た時「歌って楽しいーーー!」と思ったものだ。

高校の時、おそらく最も苦労した英語ディベート大会を乗り越えられたのも、一日中、仲間と一緒に調査・議論を重ねるのが楽しくて、試合に勝てたらもっと楽しかったから。最初、英語の先生にやらされているといった「義務感」で頑張っているときより、楽しい楽しいと思っているときの方が断然流暢に英語が出てきた。頭もフル回転した。

 

楽しい!!というシンプルな気持ちは確かに、最大のエネルギー源である。sideAのテーマであるストイックさ、そしてsideBのテーマ、「楽しさというエネルギー源」、柔軟にこの両方をしっかり胸に抱いて一人ひとりが毎日を生きていくことでもっともっとア式は素敵な集団になれると思う。勝利だって自ずとついてくると思う。私たちは「東大」ア式蹴球部。そのくらい頭を柔らかくすることはできると私は信じております。

 

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1年 スタッフ 情報強者 松本彩伽