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失敗談!

私はサッカー選手として大失敗しました。 東大ア式でサッカーがやりたくて、大学受験を勝ち抜き、東大ア式蹴球部に入学しました。 私は本気で関東昇格を成し遂げる選手になりたいと思っていました。 しかし、昨年 6 月にサッカー選手として活動することを諦めました。理由は単なる実力不足でした。 強い思いを持ってスタッフとして活動する今ですが、選手時代の失敗や後悔がたくさん渦巻いています。 もしよければ、その失敗や後悔のいくつかを反面教師として頂ければ幸いです。 私は自分に大きな期待を持って入部しました。私は同期の中で一番下手でしたが、いつかは試合に出れる自信はありました。 それは誰よりも努力できる人間であるという自負があったからです。実際、誰よりも早くピッチに行き、最後までボールを蹴っていました。月曜日も駒場でこっそりボールを蹴っていました。好きな言葉は「愚直」でした。 しかし、この時期に一つ大きな失敗がありました。 私は毎日、同じような努力するだけで満足していました。 同じパスを何千回何万回続けても、悪いフォームで練習していたらなんの意味もありませんでした。 今思えば、努力の成果が全く出てないにも関わらず、努力それ自体に満足していました。突き詰めるべきところはたくさんありました。 努力それ自体は偉いことではありません。たくさん試行錯誤した末、成果を出すことが大事なのです。 1 年生の終わり、3軍で燻っていた私は、所謂「 LB セカンド」という戦力外チームに振り分けられました。 そのチームは練習環境が与えられないチームです。具体的には、コーチはおらず、全体練習も週2回というものです。2軍に上がることも原則的にありません。 何も与えられない環境

僕も一つ引き出しを開けてみた

僕の尊敬する藤山くんの feelings によると、「音楽」や「場所」は、記憶の引き出しを開けるトリガーとなって、過去を鮮明に、そのときの感情まで伴って思い出させてくれるそうです。さすが藤山くん、気の利いた feelings を書きます。藤山くんの引き出しに脱帽です。 高校時代からこの部員ブログを愛読していた僕にとっては、 feelings もまた、過去の感情を思い出させてくれるものです。昔の記事を読むと、東大に入ってア式で活躍することを思い描いて受験勉強していたころの記憶がよみがえります。 今でも「トレード・オフの打破」を読むと、現役のときの合格発表の後、駿台予備校への入学が決まったときの苦々しい気持ちが思い出されます。 僕が初めて実際に東大ア式のサッカーを観たのは、神戸で浪人をしていた 2014 年 8 月 3 日、京都で開催された京大戦のときです。 HP で京大戦の存在を知った僕は、単調な夏休みを彩る一大イベントとして、ア式の試合を観に行こうと、京都への小旅行を計画したのです。この日のことは、不思議なくらい今でも鮮明に覚えています。 英語の参考書をかばんに放り込んで、朝早くに電車に乗って、はるばる京都まで出かけました。試合と試合の間の時間はグラウンドの外で英語の勉強をしつつ、三軍戦から一軍戦まですべての試合を観戦しました。 午後からは激しい雨が降ったのですが、天候のことが気にならないくらい、僕にとっては楽しい一日になりました。ピッチを駆け回る「東大生」の姿は、「浪人生」の僕からは、本当にまぶしく見えたのです。左サイドから切り込んで右足で決めた輕部さんのシュートも、添田さんの雨中の超絶ループシュートも、はっきりと目に焼き付いています。 一進一退の攻防が続く中、一軍戦の終盤に投入された彼の姿も忘れられません。ピッチに入るやいなや、彼はスピードで左サイドをぶっちぎり、左足で強烈なシュートをファーサイドに放ちました。シュートは惜しくもポストをかすめて枠を外れましたが、会場入り口のテントでもらったメンバー表に目を落とすと、なんと彼は一年生。自分と同い年で、こんなにすごい選手がいるのかとびっくりしたのを覚えています。そんな

最近思うこと

最近は情けなさを感じてばかりです。 4 年生になって就活が始まり、セミナーなどに行くとよく聞くのは、就活は企業が学生を選ぶ場ではなく、企業と自分のマッチングの場であるということです。このマッチングのために就活でよく聞くワードの企業研究や自己分析が必要になってくるわけで、要は企業のやっていること、求めるパーソナリティと自分のやりたいこと、人間性が一致することが重要だってことです。まあ当たり前のことですよね。 ア式という組織で考えると、ア式蹴球部は体育会系サッカー部で、当然目指すものは勝利であり関東昇格を目標として闘っている。サッカーエリートではない東大生がユースや強豪高校出身者ばかりの大学を倒すという困難な目標のため、ピッチ内外から情熱と理念を主体的に実践できる人材を求めている。 新入生のやりたいことは、本気でサッカーをやりたい、何かに熱くなりたい、勉強を頑張りたい、遊びたい、などなど様々で、人間性もそれぞれでしょう。 そのなかでア式の姿と自分の思いの共通する部分が多い新入生がア式を選んでくれるのだと思うし、自分もそうでした。 そして最終学年になった今、もしビジネスマンなら会社の中心で働き、企業の必要な人材になっているだろう。しかし、自分がア式に求められる人材になれているかと問われるとイエスと答えることはできない。ピッチ外でチームの強化に関わってきたかもしれないが、プレイヤーとして最もチームに貢献すべきはピッチ内であり、チームの勝利である。そこに貢献できていない今の自分を思うと情けなくなってくる。そして一部昇格を目指すチームが厳しい状況にあることを思うとますます気落ちしてくる。 ただそんなこと言っている場合ではない。 18 試合のリーグ戦で、終わったのはたった 4 試合のみ。チームを勝たせるチャンスも一部昇格の可能性もまだまだある。 このまま引退するわけにはいかない。後輩に東京都一部の舞台を残さずに1年を終えるわけにはいかない。 まずはこの1週間全力を尽くしましょう。 4年 北西 新歓打ち上げで牛星のレシートを見たら、注文点数 100 点でびびった

辛い時、宝物

たいして長くはないけれど自分は今まで生きてきて、何度か人生の選択を迫られることがありました。 まだ自分の中で整理がついていないから、それぞれの選択の内容やそれが正しかったと思えているかどうかは伏せておくとして、全ての選択に共通していると自信を持って言えることが1つだけあります。 それは、「仲間」の存在が自分を救ってくれたこと。 くさいからあんま言うのは恥ずかしいけれど本当にそう思っています。自分が得ることができた「仲間」は、1つは、高校サッカー部。2つめは大学サッカー部。自分の支えとなっている2つの仲間について書きます。 まず高校。こいつらとは、下手したら家族より長い時間一緒にいて、どんな理不尽も苦しい走りも処罰もこいつらと支え合って乗り越えてきました。     自分が高校 1 年の時、ある理由から毎日苦痛で退部を考えていた時期があり、精神的に不安定になり朝練の後に 1 人ぼろぼろ泣いていることもありました。理由を理解して優しく声を掛けてくれた先輩や同期には感謝してもしきれません。その人達にとっては、大したことをしたつもりではないかもしれないけれど、本当に救われて、今の自分があるのはあの時辞めずにすんだからだと思っています。     選手権で負けて泣きじゃくってる時、試合に出れなかったやつも怪我をしてしまったやつも皆んなが純粋な気持ちで、泣きながら声を掛けてくれて、悔しさと申し訳なさと感謝とがこみ上げてきて止まらなかったのを覚えています。 例を挙げたらきりがないけれど、あいつらは、僕の宝物です。大学サッカーを続けてるやつ、もう引退して就職したやつ、同じく浪人を重ねたやつ、結婚しそうな彼女がいるやつ、彼女出来たことないやつ、色々います。中には、不慮の事故でもう会うことの出来なくなってしまったやつもいます。そいつが頑張れと言ってくれていたから、そいつの両親が応援してくれているから、他のやつらが場所は違えど頑張っているから、自分は自分でした選択の中で頑張れます。僕のかけがえのない支え ① です。 ① と書きましたが、当然大事な ② があります。東大ア式蹴球部の仲間です。 プロを目指すわけではな

終わりの足音

客観的に見て、というか、誰がどう見てもわかる停滞期。最近の自分のプレーを継続的に見てる者ならば誰であっても、 「そろそろ限界かもな」 と思っているに違いない。自分でもその現実から目が背けられなくなってきている。そもそも残された時間が刻々と少なくなってきているこの時期に、これだけ伸び悩んでいること自体が既に致命的であると言っていいのに、そればかりか、体力や守備など、決定的な欠点とされてきた部分が多少なりとも改善されてきてしまったために、元々長所だったはずのプレーのレベルが全然足りないということが、逆に浮き彫りになってきてしまった。 すなわち、もう余りはっきりとした伸び代は残されていない。 もちろん、実力に差があるという現状がある以上、実際には伸び代が無いなどということはありえないのだが、自分が得意とするプレーをプレーの安定性を崩さずに伸ばしていくことは、欠点の克服の何倍も難しい。そういう意味で、残された時間で自分がプロで通用するような、いや、社会人リーグや大学リーグの中でさえ突出した存在となるようなレベルまで到達することは厳しくなってきたと言える。 恐ろしいことに、サッカーでは無い、別のキャリアのことを真剣に考え、冷静に準備を初めている自分がいる。自分のプレーが今から一度崩れるリスクを負ってでも上を目指すよりは、早いうちに部の方に戻り、少しでも自分の力をこのサッカー部に還元する方がいいのでは無いか、このまま変化が無ければ上を目指すのはこの半年が最後かもしれない、などと真剣に検討もしてしまっている。そもそもこんなことを冷静に考えられること自体、これまでであれば有り得なかったことだ。 今までどこか遠くにあるような気がしていた終わりの足音は、今急激に近づいてきている。ユースの時とも違う。「もう完全に終わり」の足音だ。 こんなことを考えていると、今までのサッカー人生を振り返ったりして感傷的なことを書きたくなったりするが、それは本当に自分が終わりを受け入れた時に取っておくとして、今僕が書きたいのは、それでもまだ前に進みたいという意志の方だ。 これはもう意地であり、見栄であり、単なる執着だ。よもや「夢」などという綺麗な感情では上を目指せない。この期に及んで諦めないなんてみっとも

引き出しを開けると

僕は音楽を聴くのが好きだ。 通学中は大体好きな曲を聴くし、家にいるときも暇さえあれば音楽を流している。静かな環境にいるよりも BGM が流れていた方がなんとなく落ち着くし、元気も出てくる。 音楽の優れているところは、ある曲を聴くだけで、その曲をよく聴いていた過去の記憶が自動的に蘇ってきて、さらには感情まで伴う点だ。大袈裟に言ってしまえばタイムマシン的な効果があると思う。 Superfly のタマシイレボリューションを聴けば、南アフリカ W 杯を思い出すし、本田圭佑の FK が入ったときの感動が蘇ってくる。ミスチルの曲を聴くと勉強ばかりしていた浪人の日々の様々な感情が湧き出てくる。音楽はトリガーとなり、僕の五感に働きかけて記憶を呼び覚ます。     しかしこれは音楽に限ったことではない。様々な「場所」も、同じような効果を持つ。ある場所を見て、訪ねて、滞在して。小平駅を使うたびに毎週のようにマイクロバスで茨城や千葉に遠征した小学校時代を思い出すし、テレビで長野のスキー場を見るたびに吐くほど走らされた中学の合宿を思い出すし、国立駅に来るたびに顧問に怒鳴られながらも多くのことを学べた高校 3 年間を思い出す。良い記憶も悪い記憶も全てその「場所」に収納され、そこに行くことによって再び僕の前に鮮明な形で現れる。引き出しが開かれるたびに今の自分を形成する過去の欠片に出会うことができる。 では、今、自分にとってア式という引き出しの中にはどのような記憶が収納されているのだろうか。いや、もっと言えば、 東大 部室 御殿下グラウンド 農学部グラウンド 御殿下ジム 荀悦 帰りの南北線 、、、 ア式での日々に関わる数えきれない「場所」の引き出しを開けると、どのような記憶が顔を出すのだろうか。 たった 2 年前まではただの空っぽの引き出しだった。どこにでもあるような人工芝や、無数にある地下鉄の一つでしかなかった。しかし、この 2 年間で多くの仲間と過ごし、先輩や OB の思いを感じ、勝って喜んだり負けて悔しい思いをしたりたくさんの経験を積む中で空っぽの引き出しではなくなった。少なからず、僕にとって特別な「場所」となった。

気づいたこと

 最近気づいたことについて書きます。  大学に入ってサッカーを始めてから 2 年が経ちました。当初と比べるとできることが増えたと自分で感じますし、周りの方からそう言って頂けることもあります。そうして褒めて頂けた際に、ふと「いや、最初の状態がとんでもない運動オンチだったんだから、むしろ伸び幅がそれなりにあるのは当然なのではないか」と考えました。実際私はこの部に入るまで全くの文化系で、学校の体育の授業でも足を引っ張るぐらいに運動が苦手でした。しかし次の瞬間この発想が間違っていることに気づきました。私の成長は決してあって当たり前のものではなく、能力の限りなくゼロに近かった私を、私よりはるかに能力の高い人達が必死に引っ張り上げてくれたことのお陰に他ならないからです。それは単にありがたいから感謝しようというだけの話ではありません。私の成長は周りの人たちの成長を犠牲にして成り立っていたものだということです。  この 2 年間の東大ア式蹴球部女子・文京 LB レディース両方の環境の中で、私は基本的に一番もしくは何番目かに下手で、できないことは当たり前、できる人に教えてもらったり助けてもらえるのも当たり前でした。おまけにメンタルも弱く、上手くいかなくて練習中に機嫌を損ね、顔に出すことも多々ありました。しかしそんな私も、最近は経験者としての役割を練習中に求められることが出てきました。そこで思い知ったのは、一緒にやる人のレベルが上なほど楽をできて、下なほど考えることも増えて大変になる、ということです。思うようにプレーで引っ張ることができず苦々しい思いをする度に、今まで何もできない状態の私と一緒に練習をしてくれたり根気強く指導してくださった先輩方は、どんな思いだったのだろうと胸が苦しくなります。そして、自分よりはるかにレベルの高い人達は、自分に見合ったレベルの人とではなく私とサッカーをしていることによって、苦労しただけでなく、ありえた成長の可能性を捨ててもいたのだと気づきました。  今シーズンのア式女子のテーマは「視野を広く」ですが、今になってやっとこれらのことに気づいた自分はなんて視野が狭いのだろうと思わされています。そして自分が今まで受けてきた多大な恩恵を、小さなところから返していきたいと思います。 4 年という限られた時間は早くも折り返し

ゆかいな仲間たち

新入生も入ったということで、二年生の部員を私なりに紹介しようと思う。ただ紹介してもつまらないので、クイズ形式にします。クイズにしても面白くならないだろというツッコミは受け付けないとします。 一応二年生の部員の名前を書いときます。 井上 大池 島田 城後 白藤 新屋 中村 細井 槇 松坂 満永 森 では、紹介スタート ① 埼玉県民なのに千葉県をディスってくる。 身の程をわきまえなさい。 ② 書くことがありません。 ③ とにかく彼とは会話にならない。 キーパーなのに会話のキャッチボールが下手。 合コンに行ったことを母親に報告するなど強烈なエピソードがたくさんある。 ④ 普段何してるのか謎。 彼と僕が仲良いと言われることがあるが、野球の話でしか盛り上がらない印象。 最近、僕がいじられすぎてメンタルきてないか心配してるらしい。 ← 今の所大丈夫 👌 ⑤ おれの天敵。 ということで彼とは深く関わってない。 ⑥ 気の利くいいやつ。 タイ旅行で僕がジェットコースターに閉じ込められた時は、気を利かせて動画にのこしといてくれた。 今となってはおいしい動画だ。 ⑦ 胸筋を鍛えるのはいいが、それを自慢すふためにすれ違う時に胸でぶつかるのはやめよう。 普通に痛い。 ⑧ おれのケツにボールあてすぎ。 そろそろキレそう ( -_- ) ⑨ 二年のなかでは一番完璧に近い男。 ほんとにいじるところがない。 いじるとすれば、その変わった名前くらいか。 田舎出身の彼は薪で生活してるらしい、まきだけに。 もう春なのに寒いな。 ⑩ 美味しそうな名前。 ⑪ 基本僕のことをばかにしてる。 さすがに僕のキャラは 8 割顔と言われたときはショックだった。 ⑫ 個人的に横浜

2年の春学期が始まってしまった

2年の春学期が始まってしまった。普通の人ならこの時期は自分の行きたい学科に向けて少しでも点数を上げようとしたりしている。また、平日の何処かに授業が全くない日を作っている人もいる。しかし僕は違う。僕は留年に近いところにいるため、点数のことを考えている余裕もないし、ましてや平日に授業がないなんてありえない。自分のせいでこうなったことはわかっているが、周りのこういった姿を見ていると腹がたつ。最近、こうしてしまった直接の原因である1年生の時にこの大学で自分が何を学んだかなと頭の中で軽く振り返ってみることがある。確かに1年生の時の春学期と冬学期とでは単位を取る要領みたいなもので変化はあった。成長である。嬉しい。しかしそれ以外には何も思い浮かばない。数学や理科などの内容については何一つ学んだ気がしない。それどころか、入学時は自分の中では比較的好きな部類だった数学や理科が大学の授業を受けて嫌いになってしまった。二度と微分なんてしたくないと思ってしまっている自分がいる。まずいことなのはわかっているが、勉強が嫌いになった自分がこの先どうしたら勉強に対して少しでも前向きになれるのかわからない。助けてください。 2年 城後仁

プロフェッショナル~仕事の流儀~

「普段どんな番組観てるの?」 こう聞かれた時にこの番組名を伝えると決まって 「おっさんかよ笑」 こう突っ込まれる まあ確かに大学生ならドラマとかバラエティーとかを答える人が多いと思うので、確かに変わっているとは思う でも、一回一回の番組はとても内容が濃く、素人目にも作り手の心意気が伝わってくるのでついつい観てしまう この番組では毎週各界のプロフェッショナルを取り上げて、その人の生き様、拘り、人格に迫る その中でプロフェッショナルたちに共通していることを自分なりに考えてみた まず、極度の負けず嫌いだということ 次に、自分の信じた道は最後までやり通すこと そして、決して言い訳せず、結果を真正面から受け止めること 至って普通のことに思えるかもしれないが、これらを徹底するのはとても難しい 負けず嫌い 本当にそうか? 目の前の勝負に全身全霊をかけているか? 負けても仕方ないと思ってないか? あいつは俺とは違うから、と思ってないか? 自分の信じた道 自分の信じた道に誇りはあるか? 自分の信じた道に責任はあるか? 自分の信じた道を見失っていないか? 結果 自分よりも下を探してないか? 人の成功を妬み卑屈になっていないか? 他人に、環境に文句を言ってないか? こうして、 Feelings を書きながら非常に心が締め付けられ 何より自分が全く出来ていないから 自分では負けず嫌いだと思っていたけれど、あいつは俺とは違うからと、何度諦めてきたことか 自分なりに決意を持ってスタッフやっているけど、たまに自分の存在意義を見失う 結果から目を背けることだってある 正直言って、公式戦のある日曜日が来るのが怖いと思ったことは一度や二度ではない

リーグ戦

ア式部員がリーグ戦と聞いたら、どのリーグの話だと思うだろうか。おそらくそれは東京都大学サッカーリーグ 2 部だろう。自分もそうである。先週開幕して、今週は亜細亜大学との大事な試合が控えている。でも、東大として出場しているリーグ戦は他にもある。育成チームは去年は I リーグに出て、今年はサタデーリーグに出る。そして実はもう一つ、そんなに数は多くないが現役のア式部員が出ているリーグ戦がある。それが東京都社会人サッカーリーグである。 僕たちスタッフ陣は東大 LB に混ざり、現役ほど頻度は高くないがプレーをしている。そして、東京都社会人リーグに出場し昇格を目指している。社会人リーグの 3 部、 4 部のあたりは勝点の取りこぼしが昇格に大きなマイナスを与えるという意味で非常にシビアなリーグである。 4 部のリーグは 4/16 に初戦があったが、結果は試合を優勢に進めながらも 1vs1 の引き分けだった。 なぜこの試合のことを書こうと思ったのかというと、この試合は先週のトップチームのリーグ戦と同様こちらと相手が両方 PK を決めての 1vs1 の引き分けで、先週の試合を見てふと思い出したからである。 1 個目は明確に PK だが、 2 個目の PK はついバランスをとってしまったのだろうかというような、微妙に疑惑の残る判定だったのも似てると思う(念のため言っておきますが、審判批判ではないです)。違うのは、先週は追いついた側だったが、社会人 4 部の試合は追いつかれたということ。優勢な試合で、後半に先制して一瞬勝てると思ってしまっただけにめちゃくちゃ悔しかった。 社会人リーグの試合というのは、東大ア式蹴球部にとってそこまで重要というわけではないだろう。その日に 11 人来れる人を集めるところから始めないといけなかったりして、大変だったりもする。なんで東京都の社会人リーグなのに、茨城県の観光名所の近く(ブロンズ製としては世界最大といわれる巨大な大仏があるらしい)まで行かないといけないんだとか、不満もないわけではない。でも、せっかく昇格を目指して真剣にサッカーをできる場があり、まがいなりにも東京大学の名前を背負わせてもらっているので、トップチームがリーグ戦で勝てるようサポートしつつ、自分たちのリーグでも昇格できるよう今年一年頑張りたいと思う。

「いつも通り」は簡単か?

3/26 アミノバイタルカップ関東予選 2 回戦 ● 0-2 上智大学 反省点 : いつもと違ってセカンドボールが拾えず後手を踏んだ。 4/30 東京都 2 部リーグ 第 1 節 △ 1-1 首都大学東京 反省点 : いつもと違って中盤でボールを収められず主導権を握れなかった。 試合前の円陣では当たり前のようにこう言う。 「いつも通りやれば大丈夫。」 どうしても忘れられない試合がある。高 1 のとき僕は運もあって福井県の国体選抜の候補に入っていた。当時、選抜チームは国体北信越予選につながる北信越リーグを戦っており、そのうちの 1 試合( vs 石川県選抜)で、僕は先発出場した。おそらく前日練習で調子がよかったのを買われたのだと思う。選抜で先発で出るのは初めてだった。気合は十分だった。 雨の中でのゲームだった。「いつも通り」やれば大丈夫だと思っていた。そんなに緊張していたつもりはなかったが、いざ試合が始まると自分の中のリズムがどんどん狂っていった。スタジアムにいる全員の視線が自分に集まることでプレッシャーを感じ、自分のワンプレーが県のレベルを示しているという重圧に押しつぶされて、足が震え、 ミスにミスを重ね、それが尽く失点につながった。前半で途中交代。誰がどう見ても納得の交代。結果は 1-6 。前半だけで 4 失点。ほぼすべての失点に絡んだ。後半はベンチでずっと泣いていた。みんなに申し訳なかった。 その試合がきっかけで僕はベンチからも外れるようになり、国体の北信越予選はサポートメンバーとしてスタンドから試合を観ていた。悔しかった。あの 1 試合のせいで。 自分のリズムを狂わせる要因はたくさんある。観客の視線、コーチの視線、ベンチの視線、応援の声、相手の勢い、、、挙げたらきりがない。プレッシャーのかかる中でいかにして「いつも通り」のプレーをするか。 4 年くらいかけてその答えの片鱗を見つけたかもしれない。 それは自分の中で確固たるリズムを確立させること。 先日、主題の授業でおもしろい現象を見た。バラバラに動く複数のメトロノームを1つの振

最も濃い時間

ついにリーグ戦が始まった。開幕戦の相手は首都大。初戦は難しいと言われるけれど、絶対に勝ちたい試合だった。結果は1対1。自分の決定力不足でチームに大きな迷惑をかけた。あの日はけっこう萎えてしまって、先輩や同期が励ましてくれた時は申し訳なさと情けなさがすごかった。 まだリーグは開幕したばかりだけど、このチームで戦う公式戦の試合はもう20試合も残されていない。そう思うと おにさんの声に元気づけられることも、 わたるさんからのロングボールをタッチする緊張した瞬間も、 寺内さんの、体を張った守備に安心することも、 のぼりさんの、身体能力をフルに生かしたディフェンスに助けられることも、 服部さんとボールを逃す時の楽しさも、 こうへいさんの切り替えに救われることも、 山岐さんのプレーに笑うことも、 アーサーさんの切り返しに俺まで騙されちゃう時も、 ただけんさんと連携する時のワクワクも、 純也さんに裏パスを通す快感も、 吉田さんの献身的なプレーに感謝することも、 箭川さんの落としを受けるまでの次のプレーを迷う時間も、 たけさんとまた一緒にプレーしたいと思うことも、 どれも本当に貴重なものだ。 もっと言うと いつも俺を助けてくれる中沖さんの安心感や、 いつも俺の動きを見てくれるまきさんから欲しいところにパスが来る時の喜び、 なんかも決してたくさん経験できるものではないだろう。 もちろん自分がプレーできる時間も長くない。 リーグ戦の試合で過ごす時間は今までの自分の人生の中で最も密度の高い時間と言える。 一戦一戦を大切に。 一瞬一瞬を楽しもう。 ア式  2 年 白藤 優