投稿

ラベル(21卒 浅野晴香)が付いた投稿を表示しています

空気をつくる

エアコンの話ではない。練習中に楽しい空気を作ろうと心掛けている、というだけの話である。 練習を盛り上げようという意識を持ったきっかけは3つ上の先輩方が卒部されたことだった。入部して初めてのリーグ戦が終わり、オフ期間が明けた後の練習に当時 4 年生の先輩方がいらっしゃらなかった時、強い寂しさを覚えた。その時は単純に人数が少なくなったことと、ずっといた先輩方がいないことによる寂しさだと思っていたのだが、その後の練習に先輩が都合をつけて顔を出してくださった時、改めてその存在の大きさを実感するとともに練習中に掛けてくださる声が全体の雰囲気を盛り上げていることに気づいた。 他の部員たちが声を出していないわけではなかった。「ナイス!」という声やプレーについてのアドバイスは練習中にたくさん聞かれた。それなのに 4 年生がいるのといないのとでなぜこんなにも違うのか、不思議だった。少し考えて、声のトーンと音程がこの違いを生み出しているのではないかと思い至った。 4 年生の先輩方は高めのトーンかつ高低差のある音程で話していて、顔を見なくても「ナイス!」という一言を聞くだけで笑顔が目に浮かぶのだった。 私も真似をして大きめに抑揚をつけて声を出そうとしたのだが、練習中に自分から声を出していくというのは難しかった。決して大きな声を出すのが恥ずかしいとかいう理由ではなく、声に出す内容についていちいち脳内でツッコミが入るからであった。「ナイス」って良いか悪いかの判断を伴う言葉だから目上の人に使うのは失礼なんじゃないか、目上の人に言うなら「流石です」かな、でも練習中に「流石です」って言うのもちょっと違和感あるな、とか。ドンマイって和製英語ではあるけど命令形だし please をつけたくなっちゃう、とか。中学高校と演劇部だった私は運動部特有の声掛けに慣れることができていなかった。最近でも先輩にそうした声を掛けるのを躊躇してしまうことは多く、その分同期や後輩にはしっかり感情を込めた「ナイス」や「惜しい」を言うようにしている。 そんな私でも迷いなく声を出すことができるのがアップの時である。「 5 、 6 、 7 、 8 、 9 、 10 」や「 1 、 2 、 3 」のような数字の並びを口にするだけだが、口角を上げて明るいトーンで音程にも気を配って、なんてやって...

植生の遷移

最近、授業で身近な樹木について学ぶ機会があった。 どんぐりが美味しいスダジイ。 大きくなると樹皮に小洒落た模様が現れるケヤキ。 爽やかな香りを発しながらダニを飼っているクスノキ。 森林は、長い年月を経て変化していく。 まず、何も生えていない土地にコケや草が生える。 これらの植物が朽ちて土壌が豊かになると、 少しずつ木が育つことができるようになっていく。 最初は日向を好む低木が育ち、低木林ができる。それから、 アカマツ、クロマツ、コナラ、アカメガシワなどの、 日向で速く成長する「陽樹」が生え、陽樹林ができてくる。 陽樹が育つと、地面にはあまり光が届かなくなってくる。 そうなると、次の世代の陽樹はあまり育たない。代わりに、 光が少ない環境でも育つことのできるスダジイなどの「陰樹」 が育っていく。やがて陰樹が大きくなり、 陽樹林は陽樹と陰樹の混ざり合った混交林へと変わっていく。 地面に光がほとんど届かないため陽樹は衰退していき、 寒冷な場所ではブナなど、 温暖な場所ではスダジイなどの陰樹林となる。 陰樹林では山火事や自然災害が起きたり、 人の手が加わったりしない限りは樹種の構成はさほど変化しない。 こうした状態を「極相」と呼ぶ。 ア式蹴球部女子は今年で創部5年目である。 森林ならまだ陽樹林か、いや、低木林か。いずれにせよ、 極相には程遠い。私を含め、部員の多くは初心者である。大きく、 強いチームを作ろうにも、コナラの若木はスダジイにはなれない。 しかし、先に陽樹林ができるからこそ陰樹林はできるのだ。 枝を広げて陰樹の幼木を強すぎる日差しから守り、 葉を落として土を豊かにする。やがて、自身は身を引く。 私はサッカーどころかスポーツすら大学から始めた人間だが、 だからこそ努力次第でぐんぐん伸びるのびしろを持っている。 光を浴びた陽樹のように、勢いよく成長する。 恵まれた環境に感謝し、それを守っていく。 先輩方が残してくれたもの、ピッチ内外で得たものを積み重ね、 チームの雰囲気を良くし、部の魅力を高めていく。 自分にできることは、精一杯やっていきたい。 進学選択を前にした頭の中に渦巻いているものを書き出したら、 こんな文章になってしまいました。ここまで読んでくださり、 ありがとうございます。 アク...

スポーツ歴0年、サッカー始めました

 今回初めて feelings に文章を書くことになった。初めてなのでとりあえず、大学に入るまでの自分とサッカーの関わりについて書いてみよう。  と言っても、小学校から高校まで、私にはサッカーボールに触った記憶がない。私はサッカー初心者で「ア式女子」に飛び込んできた。そればかりか実は中学高校では演劇部に入っていて、体育の授業以外でスポーツをすることはなかった。  小さい頃、茨城県に住んでいた。通っていた幼稚園に何度か、鹿島アントラーズの選手が来てくれたことがあった。そうして「シュートはつま先じゃなくて足の甲で蹴る」と教えてもらったことや園庭で無我夢中でボールを追いかけたことは今でも鮮やかに覚えている。  小学校に上がってからも何度か、カシマスタジアムに家族で足を運んだ。しかし、いつの間にか、どういう訳か、私は「サッカーは男子のスポーツ」だと思うようになっていた。私が中学 2 年生の時になでしこジャパンがワールドカップで優勝するまで、学校に男子サッカー部があって女子サッカー部がないことを気にも留めなかった。女子サッカー選手の存在を認識したところで自らサッカーをしようとは思わなかったけれど、一度、サッカーをしている夢を見たことがあった。青い空の下、緑色の芝の上を駆け、ゴール前の味方に向かってボールを蹴るというその夢は、私の心を妙に震わせた。ある日、学校から帰るバスの中で男子が「なでしこは女捨ててる」とか話しているのが聞こえた時、かちんと来たのは心の奥底にサッカーをしたいという願望があったからなのかもしれない。  その後、高校の体育で一度だけ、種目選択にサッカーが含まれていたことがあったが、私は運動部の強そうな人たちに恐れをなして別の種目を選んでしまった。サッカーを観るのは好きで受験勉強の合間にはクラブワールドカップをテレビで観ていたけれども、運動が不得意な自分がサッカーをすることはありえないことなのだと思っていた。  しかし、そんな私に駒場でア式女子の先輩方が声を掛けてくださった時、自分がサッカーをするというそれまでありえないと思っていたアイディアが急に現実的なものに思えた。演劇への情熱が消えた訳ではなかったが、ずっと文化部でやってきた人間がサッカー部に飛び込むなんて斬新でおもしろいじゃないか、という考えに取...