投稿

5月, 2026の投稿を表示しています

帰り道

穐山公宏(修士1年/フィジカルコーチ/国立高校) 去年の夏。   本屋でスポーツのフィジカルに関する本を手に取った。何の義務もないのに、暇な時にそんな本を読んでいる自分が何だかおかしかった。       106期の穐山です。選手としてア式に入って、1年の11月に辞めました。それから4年が経って、今度はトレーナーとして戻っています。     サッカーを始めたのは物心ついた頃から。兄が入っていた地元のサッカーチームに入団したのがきっかけだった。練習がない日でも近くの公園で友達とボールを蹴る日々を送っていた。昼間から友達と公園に出向き、サッカーに勤しむ。遊具と遊具、木と木の間のゴールを目指して必死にボールを運ぶ。気づいたら空がオレンジ色になっていて、夕日の中で「夕焼け小焼け」が鳴り響く。今日も楽しかったなと思いながら帰路につく。   小6の夏、父の仕事でアメリカに渡った。英語はYes, No, Helloくらいしかわからなかったけれど、とりあえず現地のクラブチームが開催するレクのサッカーイベントに行った。異国のプレースタイルを持ち、英語が喋れないアジア人という物珍しさもあってか、たまたま居合わせたトップチームのコーチの目に留まり、結局チームに入団することになった。しかし、そこで待っていたのは、自分より圧倒的に上手い選手達だった。僕はあまりにも下手だったので、まずは一学年下のチームに所属することになった。   もう上がるしかなかった。生活のほぼ全てをサッカーに注ぎ込んで、1年で身体能力が劇的に変わり、同学年のチームに呼ばれることも増えた。その後も相変わらず下手だがスピードがあり、戦える選手として出場機会を貰うことが増え、スタメンをつかんだ時期もあった。   それでも結局、自分がたどり着けたのは、「層が薄く、絶対的主力がいないポジションの中で、序列が固まらないローテーションの一人」くらいの場所だった。かなりの試合が州外遠征だったため、週末ホテルをとって何時間もかけて試合会場に向かうのだが、親の週末を潰し、高い遠征費を払い、出場時間が雀の涙程しかなかった度に、自分のセンスの無さに対する無力感と申し訳なさでどうしようもない気持ちになった。チームを引っ張る選手たちは、自分より少ない努力で、この3...

呪縛

小林勇太(2年/FW/海城高校) 3月某日。 春休みの1日、怠惰な故、気がつくとなぜかもう夕方だ。1日の終わりを感じ始める間もなく、愛犬のマロンをゲージに入れ、家を出る。自転車に乗り、最寄駅に向かう。行きの道は下り坂が多く、心地良い風を受けながら自転車を漕ぎ進める。大通りに出ると駅方面から家に帰るであろう学生や社会人とすれ違う。駐輪場に着くと、いつも通り上段のラックに自転車を収め、イヤホンを装着し、ZARDの曲を流し、駅に向かう。同じ方向に歩く人は少なく、すれ違う人ばかりである。乗車すると席は空いていて端っこに座る。音楽を止め、WOWOWのアプリを開き、ダウンロードしたチャンピオンズリーグの試合の視聴を開始する。15分ほど経ち、眠気が襲ったところで音楽を再びかけ仮眠。飯田橋駅で乗り換えのため降りると仕事終わりのサラリーマンとぞろぞろとすれ違う。世間では1日が終わり始めるこの頃、自分は1日のメインイベントであるア式の練習に向かう。みんなが帰る頃に練習に向かうこの時間はいつも憂鬱だ。たまには早く家に帰ってみたいものである。ふと思い返すと、ア式に入部してからの1年間はサッカーにほぼ全てを捧げた1年間だった。というか今までの人生のほとんどをサッカーに捧げているような気がする。 初めてボールを蹴ったのはいつだっただろうか。自分では覚えていない。祖父、父と野球家系に生まれた僕は母の勧めで長野県に住んでいた幼稚園の時に初めて週一回のサッカー教室に通い始めた。母は幼少期僕がよく走りまわっていたのを見て勧めたのだそうだ。お母さん英断すぎる、の一言。まさか大学生になってもやっているとは想像もできなかったでしょう。父は野球をやらせたかったらしいのでそこはごめん。 小学校に上がるタイミングで地元船橋に戻り、小一の夏頃から地元の船橋海神スポーツクラブ(略して海スポ)というサッカーチームに入った。船橋はサッカーが盛んで今考えてみると周りには強いチームが多く、海スポも結構強かったと思う。そのため、覚えている限りだと楽しんでやるという雰囲気もあるにはあったが、勝ちにこだわる姿勢が強く、親御さんたちの熱量もすごかったと記憶している。我が家も例外ではなく、小学校二、三年時には週末によく自分の試合でのプレーに関してやリフティングの回数が伸びない件に関して怒られていた思い出がある。(俺はイッテQが見たかっ...

当然、俺は大谷翔平になれない

岡田詠(3年/DF/日比谷高校 ) ある月曜日 AM9:00 バイトが終わった。 「先に着替えていいよ」と同僚の聖母1が言ってくれた。 すでにほどいていたエプロンを手に感謝した。 腹が減りすぎていたので、8:58ごろから狙っていたおにぎりとコロッケパンを買った。その日の稼ぎが300円ほど減る決済音がした。味はいつも通り悪くはないって感じ。「お疲れ様でした」今日こそは聞こえるように、少し声を張って聖母2に言ってみる。聖母2から明るい返事が返ってきた。聖母3も微笑んでくれて、かなり気がいい。 外に出ると雨に濡れるコンクリートの匂いがした。 そういえば、毎日牛乳を買うサラリーマンが折り畳み傘も買っていた。気が悪くなりかけたところに、最近なんとなく心がけている大谷翔平の言葉を思い出して持ち直す。 『自分がコントロールできないことに感情を使わない』 自転車乗りならわかると思うが、自転車に乗っていると小雨でも結構濡れる。雨のカーテンのようなものを通っていく自分をイメージする。原理はよくわからないが、多分高校で習った相対速度云々が関係している。 今日の雨は、かなり桜を散らしたようだ。薄い桃色の花びらは秒速5cmよりも速いスピードで落ちてきて、愛車TREK-FX2に踏みつけられる。 桜がその絶頂を迎えると、三日ほど続く雨がやってくる。日本人は古くからその理に、桜の持つ儚さと美しさを感じたのだろうなと思い、諸先輩方に共感を試みる。しかし、自分だったら桜の儚さなんかじゃなくて、降りつける雨のウザさにフォーカスすると思う。俺って性格終 わってる。 信号待ちをしていると、道路の向かいに傘を差した4人家族が歩いていた。ちびっ子2人もスーツを着ていた。弟くんの入学式かなーと目をこらす。彼のこの先が学びある困難と、それを分かち合える仲間で彩られていることを無意識に願っていた。自分のおじさん思考に複雑な気持ちになる。車椅子に乗ったお婆さんと、レインコートを着て車椅子を押すお爺さんが視野に現れ、青信号に変わったことに気づく。 住んでいるマンションに着いた時には、タイヤを覆ってしまうようにして、花びらのリースが完成していた。よくみると木屑や葉っぱが混ざっていて、正直汚い。 この花びらは秒速何cmで回転したんだろうとぼんやり問を立てて、面倒になってすぐ辞めた。 エレベーターに乗り込むとびしょ濡れの自分と...