2019年7月25日木曜日

街クラブ

今回feelingsを書くにあたって、ありきたりだけれども自分の高校時代の話をしながら、高校時代のチームへの感謝も込めて街クラブについて紹介したいと思います。


高校でサッカーをする人の大部分は部活に所属し、競技レベルの高い上位リーグではJリーグチームの下部組織の存在感が際立つ。そんな部活でもJ下部でもない、魅力的な選択肢が街クラブである。街クラブとは、JCY(日本クラブユースサッカー連盟)に加盟しているチームのうち、Jリーグのプロクラブを母体としないチームのことである。第3種(中学生年代)では多くの街クラブがあり、J下部と実力の面で拮抗しているチームも多く存在するが、街クラブは第2種(高校生年代)になるとその数を減らす。だが、個人的には第2種の街クラブが増えるべきであると思っている。


僕がFCトリプレッタユースに行きたいと思ったのは、端的に言えばその競技レベルが首都圏のどの進学校よりも高かったからだ。小中とがむしゃらにサッカーをやってきて、高校ではもっともっと高いレベルでサッカーをやってみたいと思っていた。だが、中3の夏、部活をとうに引退していた僕は受験勉強の合間に受けた2つの街クラブのセレクションのどちらにも落ちた。その後、高校受験で第一志望校に合格した自分は、部活に入り、周りと同じように勉強して、東大を目指せばいいと思うようになった。だが、勉強もあまりせず、サッカーもなんとなくこなしているような日々を過ごす中で、もっと高いレベルの環境に挑戦したいと思うようになった。東大を目指しながら、いわゆるサッカーエリート達と試合をしてみたいと思う自分がいた。もっと本気でサッカーに向き合ってみたい自分がいた。


街クラブには、同レベルの部活のチームと比べると、格上のチームと戦うチャンスが多くある。部活が高校同士で高体連の主催するインハイ、高校サッカー選手権を戦う中、JCYに所属している街クラブはJ下部も含めたクラブチーム同士でいくつかの大会を戦うことができる。東京都クラブユースサッカーU17選手権大会(新人戦)、日本クラブユースサッカー選手権(クラ選)、Jユースカップなどだ。第2種(高校生年代)では、クラブチームの総数は部活よりも圧倒的に少ないため、必然的に実力の差があるチームと試合をする機会も増えるのだ。僕が所属している期間にFCトリプレッタは、ヴェルディ、FC東京、横浜Fマリノスなど名門のユースチームと試合をした。


これでダメなら諦めるかしかない、そんな気持ちで高1の時にも街クラブのセレクションを受けた。中3で落ちていたし、ダメ元だった。そんな中、僕に練習参加の機会を与えてくれ、合格をくれたのがFCトリプレッタユースだった。この舞台で、自分は挑戦をしたいと思った。仲良くしてくれていた部活の仲間は、そんな自分勝手な僕を応援してくれた。ギリギリでチームに入った僕は、どん底のCチームからの出発だった。体力も技術も足りない中、ひたすらに上手くなろうと努力した。いつかはAチームに入り、全国の舞台で強豪と息が詰まるような戦いをすることを夢みていた。


一般的に、街クラブは経営面、グラウンドなどの環境面でJ下部、部活よりも厳しい状況に直面しているといわれる。部活は環境面、経営面でも学校という安定した基盤を持っている。また、同じ学び舎で日々を過ごし、グラウンドでも共に戦ったかけがえのない仲間を得られることは明確な長所であろう。だが、それは所属するチームを選ぶことで、普段の学習環境が決定されるという欠点も示唆している。サッカーの強豪校に入ったはいいものの、校風が気に入らない、授業のレベルが合わないといった愚痴が聞かれることも少なくない。また、様々な理由で、一度入った部活をやめたくなったが、サッカーは続けたいという人にとってはクラブチームの存在が解決策となる。


FCトリプレッタユースには、多くのバックグラウンドを持った人がいた。東大を身近に感じる学校に在籍しながら、このチームに身を置けたことは、結果的に自分の常識の幅を広げることにもつながった。当然技術の方も、たくさんの練習試合の機会や自分より上手なチームメイトに囲まれた恵まれた環境に支えられ、大いに向上した。だが、いつまでたっても自分には自信が足りなかった。周りよりは努力をしているつもりだったが、勝手に限界を決めていたことで、選手として突き抜けることはできなかった。Aチームに定着できたのも高3の夏のことで、そこから途中交代などの出場機会を継続的に得ることはできたものの、思うような活躍はできなかった。ただでさえ下手な僕は、Aチームに入ってから試合に出てもだんだんと周りの足を引っ張らない事ばかりを考えるようになってしまい、その思考がミスを呼ぶという悪循環に陥っていった。結局、目標としていたリーグ戦でのゴールも、全国大会出場もできなかったし、何より試合を存分に楽しむことができなくなっていた。10月末、チームを辞める時に、大きな感謝や達成感に紛れて悔しさが残っていた。そこで、もっと上手くなって、もう一度サッカーを心から楽しみたいと思ったのがア式に入った理由の一つです。



最後に街クラブの存在意義についてまとめたいと思う。そもそも、学外のクラブチームの存在は、学生に多くの選択肢を与える点で大きな価値を持っている。その存在は、学生が文と武どちらもを適切なレベルの環境で行うことをもたらす。こういった環境の整備は選手の成長を促進し、日本サッカーのレベルの底上げにも繋がると思われる。だが、J下部のチーム数はJリーグに所属できるチームの数に制約があるため、ほぼ一定であり、その数の増加は見込めない。そこで、クラブチームの裾野を広げる役割を持つことができるのが街クラブなのだ。現在、第2種の街クラブはより普及することを目指してさまざまな活動をしている。SNSの活用も増えたし、街クラブチーム同士の全国大会たるTown Club Cupも2017年から始まった(FCトリプレッタis初代王者)。もちろん部活には部活の良さがここでは挙げきれないほどあるし、なくてはならない存在である。だが、もっと多くの学生の選択を悩ませられるよう、第2種における街クラブの更なる普及を期待し、筆を置こうと思う。筆使ってないけど。



元FCトリプレッタユース宴会部
1年 大矢篤

2019年7月18日木曜日

半目のだるま

正式入部者5名。仮入部を含めると6名。


今年のア式女子の新歓は、大成功とは言えないものの、なかなかうまくいったのではないかと思う。
入部を決めた新入生が、新歓イベントに積極的に参加し、入部を迷っている新入生たちと仲良くなってくれたことが大きかった。








今年の1月1日にア式蹴球部女子の主将となった私は、新歓長も兼ねることになっていた。
主将になった実感がなかなかないまま、新歓長として新歓期を駆け抜けた。


気づいたら6月。主将になってから5ヶ月以上が経ち、もうすぐ私の任期は半分を切る。

この事実に気づいた時、とにかく焦った。




「何もしていない」




そんな感覚。

もちろん8月〜11月の関カレが1年の活動のメインであることを考えれば、まだ助走の時期と言える。「これからが本番」と考えることもできる。


しかし、執行代を経験した4年生、主務の同期、OBコーチの藤岡さんといった頼れる人たちに囲まれ、みんなに助けられて名ばかりの主将でいるのではないかと考えてしまう。






3つ上の主将のように、サッカーが飛び抜けて上手いわけではない。
2つ上の主将のように、必要な厳しさと優しさを持ち合わせているわけでもない。
1つ上の主将のように、頭がめちゃくちゃキレて仕事ができるわけでもない。




私は何でも無難にこなせる自信はあるが、飛び抜けた才能がない。これはサッカーにおいても日常においても感じていることだ。


そんな自分に何ができるのか。


ふと、12月に行った「新体制MTG」を思い返してみた。
今年のテーマとして「個の尊重」を掲げ、目標として「新入部員5人」と「関カレで3勝」をあげた。

自分に特別なことがなくても、部員一人一人に寄り添ったリーダーシップならとれる。

先輩後輩関係なく、部員みんなが意見を言って良い雰囲気を作れるようにしたい。
今まで以上に仲の良い部になりたい。
全員が「自分がいなきゃダメだ」と感じられるようにしたい。
部員が試合で100%発揮し、さらに相乗効果が生まれるようにしたい。
チーム力で勝てるようになりたい。

そんな気持ちに立ち返った。







一つ目の目標である「新入部員5人」は達成した。しかしまだもう一つある。だるまで言ったらまだ半目。
もう一つの目標である「関カレ3勝」を絶対に達成したい。

去年はいい試合はした。点はとった。だけど0勝。この悔しさは絶対に忘れない。


もうすぐ夏がやってくる。
8月24日に関カレが開幕する。

主将として戦う最初で最後のシーズン。
自分が「いい主将」になれるかはまだわからないけれど、この部をどんどん「いいチーム」にして、目標を達成できればそれで十分。


こないだの練習試合で久々にア式女子で「勝つ」経験をした。
何より勝つと楽しい。この事実を感じた。

勝ちたい。とにかく勝ちたい。




ありきたりだけどとっても好きな言い回しがある。今シーズンはこの言葉を忘れずに戦って、そして目標の「3勝」を必ず達成したい。











楽しく真剣に。
女子部3年 小倉優香

2019年7月15日月曜日

優しさの作り方

feelingsは基本的に「今」の気持ちを書くものでしょう。ブログサイトにも大体そんなことが書いてあります。

でも最近ア式以外のことも色々あって心が忙しく(物理的にもめちゃくちゃ忙しく)、ア式生活は良く言えば恙無く、悪く言えば作業的に過ごしてきました。

回りくどい言い方をやめて正直に言うと、まじでほんとに書くことが思い浮かびません。
だから今回は、今の気持ちじゃなくてずっと考えてたことについて書こうと思います。



ずっと、正しいとは何なのか、考えていました。


なんか嘘みたいだよね。綺麗事みたいで気持ち悪い。うん、私もそう思いますよ。


でも本当に大真面目に考えてきました。

GMだから、部の色んな事を責任を持って決めることができる立場だから、っていうのはもちろんあります。この選択は果たして「正しい」のだろうかとよく考えさせられます。

例えば、みんなから集めた部費の使い道。
広報のやり方。
ボランティアのようなピッチ外の活動をどこまでやるか。
学業と部活の優先順位はどこまで認めるか。
選手として大成しない部員は運営の仕事を重くするべきか。
逆に活躍している選手は色々な仕事を免除される資格があるのか?

もっと言うと、
流行りのプレーモデルを取り入れることは好ましいことなのか。
トレーニング理論は最新のものが「正しく」、昔からの通説は「間違って」いたから「正され」たのか?
学生主体の運営は望ましいことなのか。たとえそれで痛い目を見ても?
誰に相談するのが適切だろうか。誰が私たちの味方で、誰は私利私欲のために私たちを利用しようとしているのか。

「正しい」の定義もわからず、正しいとされている選択をすることが「正しい」のかもわからず、ずっと考えてきました。


だけど覚えてる限り、これはGMになるとかよりもっと前から、19歳の時から付き合ってきた考えです。

19歳になった頃、私は福岡の予備校に通っていて、予備校から徒歩30秒の寮に住んでいました。
人によるかもしれないけど浪人生活はすごく暇で、たくさんの本を読んだり、なんかの講演会に行ったり、資格を取ったり、自分の思考をゆっくりまとめたりする時間がありました。


それで、早速でしたが結論を出しました。

「私は矛盾を受け入れよう。」

と。

というか結論から先に思いついて、本当に?って今まで考え続けた感じです。


りりちゃんのfeelingsじゃないけど、私たちは人間で、全然論理的じゃないし一貫性もありません。それを「変化」とか「成長」と呼べばちょっとは聞こえがいいのかもしれないけど、往々にして矛盾してきます。思考はまだましにしても、感情となるともう全く非論理的です。

りりちゃんの不合理は個人レベルですが(りりちゃんのfeelings大好きなんですよね)、個人と個人の信じるもの同士は一致しなくて、あっちを立てればこっちが立たず、ある時代の当たり前は次の時代ではボロクソに叩かれています。


この世界に絶対の正義なんかないんだな、と思いました。


私はここで「正義なんかないんだ」と思った訳ではありません。
互いに相容れない正義とか信念とか主張をすべて「正しい」としようと、せめて「それを是とする考え方もあるんだな」くらいには受け入れようと思ったのです。自分がにわかには受け入れ難いからといって「間違っている」と決めつけたくはありません。

正義というのは怖いもので、正義のために行動をすると、それを邪魔する存在はことごとく悪であり傷つけても構わない対象になります。

成功だと言われている改革も、数年後の部員によって元に戻されるかもしれません。それどころか、嫌だと思っている人を丸め込んで、もしくは排除して成功させたのかもしれません。失敗だと言われている施策も、発案者に聞けば確かにポジティブな意図があって、実行に移したのも理解できるのです。

歴史にアナザーストーリーはつきものです。小説ではない世界ですから、語られる歴史は全て一人称、真実はいつも一つなんて甘っちょろいこと言ってられません。

「○○されて嫌だった」という主張に無条件に同情するつもりはありません。「○○してくるなんてあいつは最低な奴だ」という意見があっても、返答は「あなたはそう感じたのね」くらいにしておきたい。

私たちは、自分こそが世界の中心で、自分のその場の感情と欲求が世界の秩序だと、無意識にオートマチックに信じ込んでいます。信じ込んでしまっていることにすら気付かず、瞬間的に他人の行動にイライラし、他人を馬鹿にし、そんな考えは間違っている無意味だと切り捨てます。

自分のことしか眼中になくなるのは、悲しいことに無意識です。無意識だからそれを振り払うのはとてもとても難しい。

誰かと意見が対立した場合を想像してみてください。相手は自分とまるで違う考えで、あなたは何を言っているのだ、絶対に間違いだ、気が狂ってるんじゃないのか、と主張してくるかもしれません。それはこっちのセリフだと舌打ちするのを堪え「あなたは私とは違う考えのようだけど、そういう考えもあるよね」と返すことに、幾ばくかの悔しさを感じるでしょうか。これは諦めでしょうか、それとも敗北?

私の考えでは、それは違います。
自分の信じるものと異なる正義を受け入れることは、深い教養と本物の知性と強い精神をもった者だけに許された自由です。
対立した相手が自分を受け入れてくれないかもしれませんが、それは仕方のないことです。

でも、だからこそ、私たちは実践しなければなりません。
私たちがサッカーに関わる人間だからです。

サッカーは言うまでもなくチームスポーツですから、個々人が好き勝手プレーしては勝てるはずもありません。目指す戦術・プレーをおいて全員の意思統一を図ります。強固になればチームのスタイルとして定着し、それを支持するサポーターが付き、そのスタイルに憧れた選手やスタッフが加入することになるでしょう。
ですが私たちはそのスタイルが絶対でないことを知っています。別のチームには別のスタイルがあり、対戦相手は我々の戦い方を分析して対応してきます。そのことを重々承知した上で、自分たちのサッカーを信じるのです。


簡単なことではないし、抽象的すぎて結局何をすればいいのか分からないかもしれません。
私たちにできることは、意識をしっかり保って、考えることを止めないことです。これだけです。

自分たちが手に入れたいものは何だろう、それはどうしてだろう、どうやったら手に入るか、その手段はほんとうに適切なのか、誰かが非難するかもしれない、後輩たちが、もしくは近い未来の自分たちががっかりするかもしれない。
そんなことを考えて悩んで、実際に傷つけたり傷ついたりしながらも、誰かに伝わってくれるようにと願って行動を起こす。

そんな集団でありたいと、私は思います。


私たちが未熟だからというよりは、矛盾する正義が存在し得る限り私たちは何を選択するべきか悩み続けます。
それでも、自分たちの正義が誰かを傷つけてしまう可能性があると怯える私たちは、その可能性に鈍感な時よりきっとずっと優しくなれるはずです。


大学スポーツ界が変わろうとしている今だからこそ、もっと考えたい。
直感的な不信感や盲目的な肯定で早急に決断を下してしまうのではなく、みんなとたくさん話して少しずつお互いが何を望んでいるのかを理解して認め合っていくべきです。


もっともっと優しい世界になりますように。


そんなことを、ずっと考えています。


火星に住もうかな。
3年 佐原由香

2019年7月9日火曜日

嘘はついた方がいい

「島田、俺のスリッパどこにあるか知らない?」

「知らんけど、、(微笑)」

「いやいや、絶対お前知ってるじゃん」



僕はどうやら嘘をつくのが下手らしい。
そもそも本気で嘘をつこうとしていない説もあるが、動揺や笑みがガンガン顔に出るから秒でバレる。
将来、ラスベガスには行かない方が良さそうだ。所持金が綺麗な単調減少を描き、2日も経てば借金に溺れてしまうだろう。



「お前、さっきから『ハウス』ってコーチングしてね?何それ?」

「島田『ハウス』知らないの?ラテン語でブロックって意味の戦術用語だぞ。俺小3からずっと使ってるぞ」

「あ、そうなのか!でもお前、少し前までそんなに使ってなくなかった?」

そんな用語はなかった。。。



僕はどうやら嘘を見破るのが下手らしい。
まず疑おうという意識が働かなさすぎである。
将来、マルチ商法には気をつけた方がよさそうだ。1万円の水を売りつける勧誘員の追い払い方を今のうちに考えとこう。
ちなみに、彼は「コース」と言っていたようだ。シュートコースを切れとのことである。



ここで1つ大きな疑問が生じる。
『嘘をつくのが下手な』僕は『嘘を見破るのが下手な』僕に嘘をうまくつけるのだろうか?
最弱のほこ×たて対決が今ここに誕生した。



『口へんに虚』と書いてウソと読む。要するに虚偽を口で表明するということだ。「嘘つきは泥棒の始まり」という言葉があったり、イソップ童話で「オオカミが来たぞ!」と嘘つきまくって村民の信頼を失った少年がいたり、嘘はついてはいけないものだと子供は教えられる。だから、嘘をつくと人はやましいと感じるし、嘘つきに対して人は嫌悪感を覚える。

ただ、すべての嘘が、『謀略、保身など様々な目的で他人を騙すために用いられ、結果的に他人に不利益を与えるもの』ではない。例えば、『他人の利益のためにつく嘘』というものも存在する。真実を伝えるよりも虚偽を伝える方がその人のためになるとされるとき、人は虚偽を伝える場合がある。これはプラシーボ効果など医学界でも使用されているし、『悪ではない嘘』とされる。

それでは『自分に嘘をつく』というのはどういうことなのだろうか。



人は大人になるにつれ妥協するようになる。自分が1番求めるものを手に入れようとせず、あらゆる理由により2番目、それ以下のものを選んだり、何も選ばなかったりする。妥協はよく言えば現実を見る行為であるが、現実に行われているほとんどの妥協はこれに当てはまらない。1番求めるものを獲得する手段はあるのにも関わらず、それまでの過程を怠ったり、そもそもその過程を考えることもなく妥協する。このような妥協は、実現可能な願望を、実現不可能だと自分に信じ込ませる『自分に嘘をつく』行為である。

ただ他人につく嘘同様、自分につく嘘にももう1つの種類が存在する。他人につく嘘の中に『自分』と『他人』それぞれの利益のための嘘があるならば、自分につく嘘の中には『嘘をつく主体としての自分』と『嘘をつかれる客体としての自分』それぞれの利益のための嘘があるはずである。

先ほど述べたような妥協は前者にあたる。『主体としての自分』が作業を怠ったり、思考を放棄した結果、『客体としての自分』は本来獲得可能であったものを獲得できなくなってしまった。一方で後者にあたる『客体としての自分』のためにつく嘘は、『主体としての自分』の希望や意思に背くという、生理学的な行動に背反するものである。

簡単な例として、苦手な食べ物を食べるためにつく嘘があげられる。『主体としての自分』は嫌いだから食べたくないという心情により拒絶する。『客体としての自分』は食べさえすれば栄養摂取という利益を得ることができる。ここで、実はこの食べ物大好きなんだと自分に信じ込ませれば、それは『客体としての自分』のためにつく嘘になる。ちなみに僕は苦手な舞茸を食べる時、『僕は山で遭難中、空腹で死に絶えそうだがここに1つ舞茸があるではないか!』という嘘をついて食べたりしている。



最弱のほこたて決戦の敗者は『嘘を見破るのが下手な僕』である。
僕はどうやら自分に嘘をつくのは下手ではないらしい。
『客体としての自分』のために嘘をつくことはかなりの側面で役に立つと考える。



僕は大学受験時代、『客体としての自分』に嘘をつきながら勉強をしていた。部活引退直後は1日15時間以上勉強しない人は東大に受からないと自分に嘘ついた。問題を反復して解くのは大っ嫌いだったので、解いた問題を解いたことのない問題だと自分に嘘ついた。マグレでいい点数を取った時は、慢心しないようにするためにその点数をなかったと自分に嘘ついた。

人間はアイデンティティを確立しようとしがちである。将来的な自分を客観的に見ずに、自分らしさに見合った行動をしようとする。自分の特徴を1番認識しているのは自分自身であるし、それを確固たるものにしようとする訳であるから、将来の自分に最も有益になるようなアイデンティティの再構築は困難を極める。だから、自分に嘘をつくことが必要なのだ。

一度、自身が思うアイデンティティを変えてしまえば、その新しいものを確固たるものにしようという意識が自然と働くようになる。『客体としての自分』が求めるものを認識し、それを達成するために自分に嘘をつくことで、自分自身を変えることができる。

僕は小学生の時、極度のあがり症だった。サッカーの試合も水泳のテストもピアノの発表会も緊張でカチンコチンだった。もちろん緊張などしたくなかったから、そのうち自分に嘘をつくようになった。シンプルに『僕は今日から緊張できなくなった』と自分に嘘ついたり、シチュエーションに合わせて自分に嘘ついたりした。

『ここはカスピ海だ、1人で優雅に泳ごう』
『観客はみんな爆睡しているらしい』
『どうやら僕は昨日までJリーガーだったらしい』
、、、

くだらないふざけた妄想だが、あがり症の僕にはこれが必要だった。そのうち、僕のあがり症は無くなっていったし、偶にぶり返してきても簡単な嘘をつけばすぐに引っ込む。



「俺はこういうのやるキャラじゃない」とか「私はそういうのは苦手」とか自分の個性、性格、キャラクターにかまけて、『客体としての自分』への投資を怠っている人は多い。アイデンティティは自分に嘘をつくことで再構築できるものである。これを行わないで、現状に甘んじるなんてもったいない。



2019年、東大ア式は前期リーグで納得できる成果を得られなかった。
部員たちは「自分なりに頑張ろう、成長しよう、変わろう」と思っているだろう。



それではダメだ。

『自分なり』なんていらない。『自分なり』なんて変えられる。自身もチームも成長し、後期リーグそしてその先で勝ち続けるために、最も求められる自分自身を再構築すべきだ。そのために自分に嘘をつこう。嘘のつき方が分からなかったら聞いてやる。



新しい85人で後期を戦い抜こう。



4年 島田

2019年7月5日金曜日

管理人室を出て


feelingsって何のために書くの?
誰のために書くの?
何書けばいいの?


たぶん、結構な割合の部員が思ってること。



書くことないわー
ちょっと間に合わないなー


よく言われること。


ここで先に言っておくと、「期限守ってください」とか「書くこと見つけて早く書いてください」とかそういうことを言いたいわけではない。わざわざここで催促するつもりはないので。(というか本当はあんまり催促自体したくないので)


今回はfeelingsの管理人としてではなく1ファンとして、feelingsについて書こうかなと思う。


そもそもfeelingsとは、

feelingsでは、ア式部員が日々感じていることなどを思いのままに更新していきます。また、不定期でインタビューなどの企画も発信していきます。部員同士や、応援してくださる方々とのコミュニケーションの場になればと考えています。

というもの。(サイトより)


つまりfeelingsの役割は
1. 部員同士が伝えたいことを伝える場
2. 外部に向けての広報の一手段

feelingsの管理人としては、「2のようにア式の宣伝に大きく関わっているのでしっかり書いてください」と言った方がいいのかもしれませんが、今回はあえて触れません。



ここで話は変わりますが、最近思うことをもう一つ。それは、
選手の気持ちって本当にわからないものだなぁ
ということ。

そりゃサッカーやったことなくて、見るのも4年に1回のワールドカップくらいだったんだから当たり前なんだけど。一年間スタッフやったくらいでわかるほど単純な競技でもないんだけど。
それでもやっぱり、「選手ってどういうことを考えてるんだろう」とか「この人は何を目標としているんだろう」とか「そもそもどうしてア式を選んだんだろう」とか、、、こんなに見てたらいろいろ気になるわけで。


少しでも参考になるかなと思って(純粋にサッカーについて知りたいのももちろんあって)、サッカーの本を読んで選手たちがやろうとしていることを勉強してみたり、試合映像を見てみたり、練習中のゲームではどういう局面なのかを頭で追ってみたり、ゴール裏からピッチを見て選手が見ている景色を想像してみたり(横から見るのと全然違くて、広さに未だにびっくりするんですけど)、、


入部当初に比べればほんの少しは知識がついたのかもしれないけど、結局いくら想像したところで、ただわかるのはあんなに広いコートでプレーしている選手のすごさだけ。特に公式戦の時に見るコートはいつも以上に大きな"舞台"で、チームを背負って戦っている選手の気持ちは想像できるはずもなく。


だからこそfeelingsの役割って結構大きいんです。選手同士でも普段から思ってるけど言えないことをここで伝えられるんですが、そもそもスタッフの私にとっては選手のことをほんの少しだけど知れる貴重な場所で。
普段はクールに見えるけど実は誰よりも熱い気持ちを持って練習していたり、いつもふざけているように見えて意外と部全体のことを考えていたり、feelingsに書くことないって言ってた人が長文でしかも感動するのを書いてきたり笑



今回は特に選手のことメインで書いていますが、普段は言わないことを言える、気持ちを知れるという点ではスタッフにも共通で。
何も考えてないとよく言われているあの子は、実はすごく部のことを考えて仕事してたり
ある子は上手くいかないことがあっても、自分の仕事に誇りを持って自分自身と向き合っていたり
ある子はサバサバしているように見えて(実際してても)意外と選手への愛は強かったり




今まであんまり周りに興味を持ってこなかったので「人は人  自分は自分」と思ってきたし、自分から知ろうとすることはなかったし、そんな感じでとりあえずある程度勉強はしておくかってここまで来たけど、
ア式に入ってから「人と一緒に何かをすること」「同じ目標に向かって努力すること」「一緒に頑張りたいと思える人がいること」の楽しさを知ってしまったから。
「サークルとか何入ってるの?」って聞かれて「部活のマネージャーやってますよ」って言うと、結構な確率で「人のためによくそんな頑張るね」って返ってくるけど、私からすればそれは逆で。「自分だけのためだったらここまで楽しくないし、やる気も起きない」って言う方が正解。実際勉強もそんなに頑張れてたと思えないし、結局人のためとか組織のためになるかもって思えることの方が断然やりがいがあるもの。しかもその相手が、努力してる姿を側で見てる人たちなら尚更。
今日も全力でプレーしてる選手がいて、全力で仕事してるスタッフのみんながいるから、頑張ろうと思えるんです。
そしてそんな人たちの想いだから、知れたら嬉しいと思ってしまうんです。




誰のためにとか、何のためにとかそんなことを指定するつもりはまったくありません。
みんなを感動させる綺麗な文章を書けとも思いません(私も書けません)。
サッカーというスポーツを完璧に言語化しちゃうような文章とか、笑いのセンスに満ち溢れてる文章とか、文才ありすぎではって思うような文章を書ける人の方が少ないに決まってるんだから。
自分の考えていることなんかみんな興味ないだろう、伝える必要もないだろうと思っている人もいるでしょう。ただ、意外と思っていることは伝えようとしないと伝わらないもので、普段言わないことだからこそ伝えることがプラスに働く気もするし。
そして何より、書いた本人の知らないところでfeelingsが誰かの支えになっている時があって、それにとても動かされる人もいるということだけ知ってほしいなと思います。

(少なくとも私はfeelingsが入部の大きな決めてになって、どうしたらいいんだろうって悩んだ時は先輩のfeelings読んだりもして、同期のfeelingsに元気付けられたり、個性の塊みたいな文章に何度も笑わされたり)




まぁまとめると、素直に思っていることを正直に書いてもらえたらな
そしてそういう場所にしていきたいな
というのが、今の私が思っていることです。




feelingsの催促来たって言って避けないでください(切実に)

2年スタッフ 佐野静香