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This is football

10 月29日、 田んぼのように水浸しになった御殿下のピッチの脇で、 自分のサッカー人生はあっけなく幕を閉じた。 最後の何試合かはまるで呪われたかのように毎回大雨が降り、 まるでサッカーにならないようなコンディションが続いた。 自分が逃げ続けた部分のみが問われるような展開。 サッカー人生の最後に一矢報いるチャンスは、 とうとう訪れなかった。 思い返せば、 もうちょっと上手くできたんじゃないかと思うことだらけだ。 サッカーを始めた小学校では、 サッカーの魅力に気づくのが遅すぎた。 5年生のときに見たクリスティアーノ・ ロナウドがすげーカッコよくて、 やっと本気で練習してドリブルはちょっと上手くなったけど、 幼少期に獲得すべきコーディネーション能力や基礎技術の不足が、 その後のどのカテゴリーにおいてもボトルネックになった感は否め ない。 運よく鹿島のつくば JY に入団できた中学校では、 成長期が訪れたのを転機に徐々に試合に出られるようになったもの の、体力や基礎技術の低さといった自分の問題点を認識しながら、 それに正面から向き合うことが出来なかった。このことが、 サッカー選手としての自分の限界を決定的にし、 今もなお自分の足を引っ張る甘い精神性を形成することになった。 中学の時よりさらに不可解な感じでユースに昇格した高校時代には 、自分は何者かになれるのではないか、 何かを成し遂げられるのではないかな、 くらいにおめでたい勘違いをしていた。舞い上がっていた。 ベーシックな部分は依然として出来ないことだらけだったのに、 3人抜ければなんとかなるでしょ、くらいにタカをくくっていた。 実際には自分は全然通用しなかったが、最後には「何かが起きて」 、「何かそのうち調子が良くなったりして」、自分が成功する「 感じ」になるんじゃないかと思っていた。 本当にこの程度の認識だったのだ。 自分よりも遥かに努力を積み重ね、 誰よりも真剣にサッカーに取り組む親友の姿を、 あんなに近くで見ていたのに。 そして一度サッカーを辞め、東大に入学し、 まあ今思えばよくあるパターンだが、 大学ではサッカーをするつもりはないと意気込んでいたものの、 藤岡さんに何度もサッカー部に誘っていただき、決心を曲げ笑、 このア式蹴球部に入部した。そして、 もう一度だけプ

アシキアリキ

 東京での新生活に不安と期待を抱いていた頃、色々な偶然が重なっ てア式蹴球部を知りました。しかしお話を聞きに行くと想像以上に 厳しく、他大の私が入って何になるのか、自分にとっても意味のあ るものになるのか分かりませんでした。 また、家族からは「プレーヤーでもないのに、マネージャーなんて 、もっと経験してほしいことがたくさんある」と言われました。 その時私はア式に入りたいという固い意思は無く、ア式しか見てい なかったからだ…と簡単に諦めました。しかし他の部活やサークル を当たっても何だかピンと来ず結局はア式が頭に浮かんでくるので す。 そうして一度断った身で、しかも入部式は終わっていたのにも関わ らずもう一度連絡をしました。 練習見学に行った時、明確な根拠は無いけれどここで四年間過ごし たいと思いました。単純にア式蹴球部という部活に惹かれました。 真剣にサッカーと向き合っている選手の力に少しでも良いからなり たい、ここなら四年間皆と頑張れる、と率直に思いました。案の定 家族や友達からは反対されましたがなんとか入部することが出来ま した。 あの時にこんな私を受け入れて下さった皆さんに感謝しています。  ところがそんな私を受け入れて下さったにも関わらず、ふとした会 話に入れなかったり、東大生であることを前提とした話に入れない 時にもう一つの壁が立ちはだかりました。他大生同士なら話が通じ ないことは当たり前にあることで、通っている大学が違うからとい って問題がある訳でも、自分の今通っている大学に不満を抱いてい る訳でもありません。しかし"東大生"である彼らと"他大生"で ある私には通っている大学がただ違うというだけではなく住む世界 がまるで違ったように見えていたのかもしれません。 夏の合宿で監督が一年生にお話して下さった時のこと。「お前らは 時間的拘束が多い。機会損失も大きい。東大にまで入ってア式に来 た理由を考えろ。それでもア式に来たならしっかりやれ。 常に続ける意味を考えろ」とおっしゃいました。 皆にとっては何度も言われてるような事かもしれません。   ですが東大生ではない私がア式と、ア式の人達に出会えたことが機 会損失になるとは思えません。本当に良い人ばかりで毎日が刺激的 です(世の中良い人ばかりではないという話は一旦置いておき

2%

「まあまた練習来てよ。ちなみに今ア式に入る確率何%?」 「2%です」 新歓期、 後輩の付き添いという名目でア式の練習に参加したものの入部する 気は無く、先輩からの質問に僕はなんとも失礼な返答をした。 その後も練習や新歓コンパに参加したが結局ア式には入部せず、 サークルに入った。 サークルを辞め、8月に途中入部してから「 なんで入部しようと思ったの?」とか、「入部の決め手は?」 とか聞かれることは多かったが、「なんで入部しなかったの?」 と聞かれることはほとんど無かった。 そりゃまあ問い質すような感じになるし聞き辛いだろう。 今回は自分が新歓期に「ア式に入部しない」 と決断した経緯を振り返ろうと思う。 ア式に限らず運動会への入部をためらう理由として、勉強や遊び、 バイトに費やせる時間が減ることや練習がキツいこと、 真剣さ故に純粋に競技を楽しめなくなることが挙げられる。 だがそんなことは僕にとってどうでもよかった。 僕がア式に入部しなかった理由は、自信が無かったから。 俺のレベルでは通用しないんじゃないのか? 練習を続けて上手くなれるのか? 失敗ばかりでも腐らずにいられるのか? そんなことを考えていた。 高校時代の自分は決して優れた選手では無かった。 ずば抜けた身体能力や反射神経を持っている訳でもなく、 一対一が強い訳でもなく、キックを遠くまで飛ばせる訳でもない。 練習や試合を重ねていく中で、自分の長所が何なのか、 そもそも自分に長所があるのか分からなくなった。 技術を伴っていない上にそんな状態で良いプレーができるはずもな く、特に高3の夏、最後の選手権前ではミスをして、 自信をなくして、またミスをする、という悪循環に陥り、 正面のシュートをキャッチするのも、ハイボールに飛び出すのも、 ゴールキックを蹴るのも何もかもが怖かった。 何をやっても上手く行く気がしなかった。 そんな中で迎えた練習試合で、円陣を組む前にキャプテンから「 石川、今日キック飛ばなかったら交代させるから」と言われた。 正直、キツかった。 自分が信頼されていないということもそうだが、 何より自分が初歩的な技術不足でチームに迷惑をかけてしまってい ることが悔しかった。だったら最初から代えてくれよ、 そう言いかけて飲み込んだ。 自分なりに現状を打破しようと努力していたのだが、 選手権が始まる前に怪我をしてし