2018年2月27日火曜日

理由は、まあ人それぞれ

突然ですが、自分にとって「サッカーが楽しい」と感じる瞬間がどれほどあるだろうか。という疑問が、オフ期間、1人で訪ねた温泉にぼんやり浸かっている最中にふと浮かびました。(ほったらかし温泉といって、自分の中でオススメの温泉になった。)


温泉の話はいいとして、サッカーが純粋に「楽しい」と感じていたのは、小学校低学年くらいの時と高校生の時くらいしかないのではないかと思う。
というのも、小学校高学年の時期は「下手くそ、死ねよ。」とか、「向いてねえよ、やめちまえ。」といった言葉が上級生から日常的にかけられるという環境かつ、チーム自体は地区でも一番弱いんじゃないかというぐらいで、正直どうして続けていたのかがわからないくらいにはサッカーをするのが嫌でした。(全部が全部嫌いってわけではもちろんないけれど。)
この時点で低学年の頃に持っていた純粋な「楽しい」という気持ちは萎えきったとさえ思います。
地元の中学に上がる際にも、同じ上級生がいる環境でサッカーを続けるのは、正直恐怖に近い感覚だった気がする。


この通り僕の中ではサッカーに対してネガティヴな思いが結構強かった。
そこまで思い出して、「じゃあなんで今もサッカーを続けてるの?」とまた疑問に思いました。
そして、その疑問に今の僕が答えるとしたら、それは二つの理由からだと思います。


一つ目は、中学校で所属したサッカー部での経験にあります。そこでは小学校の時は暴言しか吐かないんじゃないかと思えた先輩が、間違いなく変わっていた。
その先輩は厳しい声かけとポジティブな声かけを確かに使い分けるようになっていたし、他の先輩たちもそうでした。
この環境で僕は、「サッカーをしていて嬉しい」という経験を多く積むことができた。
認めてもらえている、という感覚は厳しい言葉に対する奮起の原動力にもなるし、いいプレーができた時の「嬉しい」という感覚の源にも、もちろんなった。
つまり、この「サッカーの中で感じる嬉しさ」という経験が一つ目の理由です。


とはいっても、自分を認めてもらえて「嬉しい」という感覚はサッカー以外でも体験できるものである。
例えば受験。それなりの第一志望に受かったらまあ認められるし、嬉しい。
そんなこともあり、高校進学に伴う環境の変化で、僕はサッカーをやめ、また後悔もしませんでした。


ただ、二つ目の理由はこの高校時代にあります。ここでは小学生以来初めて、サッカーに関わらなくていい生活をしました。
そんな環境で学んだのは、能動的にサッカーに関わる「楽しさ」です。
結局暇を持て余して行き着いた先はサッカーだった。下手は下手なりにやはりある程度サッカーが好きだったのでしょう
まあこの時期はテレビでサッカーをやっていたら見てみるとか、その程度です。
そういったなかで、もう一度サッカーをやりたいと思うようになった結果として、いまア式に所属しています。これが二つ目の理由です。


一応ここまで、わざわざ「嬉しさ」と「楽しさ」で分けたのは、自分の中で「嬉しさ」は認められることによって生まれる受動的な感情で、「楽しさ」は自分のうちから湧く能動的な感情という印象があるからなんとなく、です。


とまあ、結局どこまでいっても、僕がア式にいてサッカーを続けている理由はこの二つによるのかもしれません。正直今も、勝つことへのこだわりより、この二つの感情へのこだわりの方が僕にとっては強い気がします。(勝って喜ばないとか、負けて悔しくないとかいうわけではないです。)
ですが、これを追求するのがチームにできる僕の最善だと思っていますし、早くチームの一員として認められようという思いと、遼さんやOBコーチ、プレイヤーの皆んなから発せられるサッカーについての知識を少しでも吸収しようという思いの中でサッカーをやっています。(現状ア式という環境において、自分の実力的に厳しいことが多い中で、「嬉しい」思いはたまにできても、まだそれを「楽しい」と言えるレベルにはありません。)


さらに、この理由・考えがチームの勝利という結果につながるのかどうかと言われれば、最終的な結果を見てすら、わからないのかもしれません。


以上自分語りのようなことはほんとに嫌いなのですが、サッカーを続ける理由は人それぞれだと思うので、まあ一例として。





勝田とfeelingsについて話すうちにふと浮かんできたこのテーマ。

川越の温泉で浮かびながら。


一年 神辺須蓮

2018年2月20日火曜日

"嫌われ者"になる勇気

昨年のリーグ戦期間中、よく見た光景がある。



ア式にはフィジコという役職がある。筋トレ管理、フィジカルメニューの考案、怪我人の状況の把握などを行って、選手のフィジカル面の総合的なサポートを担っている。

そのフィジコの指導のもと、選手のスタミナやアジリティを高めるためにダッシュトレーニングを練習の最後に行うことがある。

「よく見た光景」というのは、そのラントレの際の話だ。

ひとしきりのメニューを終えてある程度エネルギーを使った後、フィジコがラントレをやるとの旨を皆に伝える。正直「いやだな」と誰もが思う。本田圭佑くらいのメンタリティがあれば「強くなるチャンスだ」などとポジティブに考えて嬉嬉としてやるのだろうが、一端の大学サッカー部員からすればキツいことはキツいことでしかなく、ただただ「いやだ」と思うのである。いや、本田圭佑でさえ多少はそう思うかもしれない。

問題はその「いやだ」という気持ちを口にする部員がいることだ。

「リーグ戦で疲れが溜まってんだよ」
「今週末走れなくなるわ」

全員ではないが、少なくない数の部員が思い思いに文句を言う。それも発言力の大きい上の学年ほど。挙句の果てにメニューの緩和を要求する者もいた。

その威勢に押され、フィジコが実際にタイム設定を長くしたり、本数を減らしたりすることも何度かあった。

なんとかラントレが終わったあと、マーカーを片付けるフィジコの先輩は、悲しそうな、疲れきったような顔をしていた。




これが「よく見た光景」だ。




なんとも情けない話だと僕は思う。

毎週リーグ戦があって疲労がたまっているのもわかる。特にスタメンの選手の疲労なんて相当なものだろう。でも、たった数分のラントレが週末の試合の結果に悪影響を及ぼすだろうか。そのラントレのせいで、自陣ゴール前であと一歩足を伸ばすことが、味方のシュートのこぼれ球にあと一歩つめることが、難しくなることがあるだろうか。

おそらくそんなことはないはずだ。むしろその逆だと僕は思っている。

ア式の選手達は、ごく一部を除けば、技術もセンスもさほどないし、その一部の選手でさえ、関東で闘うチームの選手達に比べれば劣る。そんな僕達が東京都一部に昇格し、最終的に関東昇格を達成するためには、やはり走力は重要なファクターになると思う。

実際、高校時代、それほど技術が高くない僕のチームが都でベスト8やベスト10に入れたのも、普段の強度が高いトレーニングに裏付けされた走力と粘り強さで相手の攻撃を跳ね返し続け、少ないチャンスをものにできたからだ。

そもそも、ア式の練習の強度は高くない。1週間に1度のラントレくらいこなせなければ、リーグ戦で走れる訳もないし、ゴール前で粘れる訳もない。疲労が心配なら、そのラントレをした分、いつもより時間をかけてケアをすればいい話だ。




僕が言いたいのは、「だからラントレを沢山しよう」とか、「練習の強度を高めよう」とか、そういうことではない。




"リーダーを権威付けるのはその他の人間である"




ということだ。




フィジコもフィジカル面のリーダーと言えるし、勿論のこと、主将や主務といった立場もこれに当てはまる。

中には、圧倒的な技量やカリスマ性があって、周りからの権威付けなど必要としないリーダーもいるだろう。しかし、圧倒的なリーダーシップでチームをグイグイ引っ張っていくタイプではないリーダーも一定数いる。

後者のリーダーにとって、チーム全員の快い同意が得られないようなことを発言したり、実践したり、あるいは指示したりするのには、すごく勇気が必要だったりする。その時はチームメイトの"嫌われ者"を買って出なくてはならないからだ。

僕も高校時代はそういう経験を何度もした。猛烈なブーイングにさらされながら、ア式のラントレの何十倍もキツいトレーニングを強行実施したこともある。

そういう時に予想はしていても実際に真っ向から多くの批判を受けると、"嫌われ者"になることが怖くなって、最終的に妥協が生まれ、リーダーはチームメイトの目先の願望を集約してそれを体現するだけの存在になってしまいかねない。それはチームにとって明らかにマイナスだ。

だからこそ周りの人間は、たとえその場の感情では嫌であったとしても、それが長期的に見てチームの成長に繋がるのなら、リーダーの言うことに黙って従うべきだ。それがリーダーの権威付けになる。

もっと言えば、一時的な消極的感情を押し殺すのみならず、ポジティブな態度を見せてほしい。

先程のラントレの話でも、「やろうぜ」「いいね」といった声掛けをする者は何人かいたが、それは自分がリーダーとしての立場にある主将や副将たちだった。そうではなくて、そうした立場にない部員達が前向きな言葉を発することが出来れば、リーダーは自信を持って様々なことを実践できるだろうし、チームとしての一体感も生まれると思うのだ。

決して"鬼"なんかではない。ただチームのことを考えて、敢えて皆から好まれない発言・行動・提案をしている。その裏にある"怖さ"や"勇気"を汲み取ってあげてほしい。リーダーに"権威"や"自信"を与えてほしい。





高校時代の主将という立場や、今のア式での副将という立場を鑑みると、やや自己防衛的な内容に思われるかもしれないが、決してそういうつもりではないことは了承して頂きたい。











既にかなり冗長で厚かましいFeelingsになってしまっているが、最後にもう1つ、これに関連して言いたいのが、




"スタッフに存在価値を与えるのはプレイヤーである"




ということだ。




実際にピッチに立って戦う我々プレイヤーと違って、スタッフはチームの目標達成に直接携わることはできない。様々な面からプレイヤーをサポートすることで間接的に貢献するのがスタッフだ。そのため、スタッフの存在価値はプレイヤーより低く見られがちで、まるで代えが利く存在であるかのように錯覚される。

しかし、全くそんなことはない。スタッフの存在がなければ間違いなく部は回らないし、ひとくちに「スタッフ」と言っても皆それぞれ得意・不得意や性格といった"色"があって、代えなど決して利かないのだ。選手とスタッフは至って対等であって、同じ目標に向かって努力する仲間だ。

そのような錯覚をスタッフ自身が覚えてしまうことがないように、プレイヤーは彼らに存在価値を与え続けなければならない。

こう言うと、まるでプレイヤーの承認なくしてスタッフの存在価値など存在しないかのように聞こえるが、そういうことではなくて、スタッフが自身の存在価値を実感できるような環境を作るべきだ、という話だ。

方法などいくらでもある。

ボトルを渡してくれたマネージャーに対して、テーピングを巻いてくれたトレーナーに対して一言「ありがとう」と言う。テクニカルが定期的に実施しているアンケートに対して誠実に答える。あるいは、その分析が有意義なものだったら、スカウティングミーティングの内容が試合で役立ったら、それを直接伝える。フィジコがアップを指導してくれたら、ラントレを実施してくれたら、「サンキュー」と皆で言う。「プレイヤーはスタッフより偉くて価値がある」とかいう馬鹿げた考えを捨てて、スタッフと対等な立場に立って活動に取り組む。

全部"当たり前"だ。でも、よく言われることだが、そういう"当たり前"を"当たり前"として実践するのは意外と難しい。

ただ、その積み重ねが、スタッフ自身が存在価値を実感し、チームのために、プレイヤーのために努力する原動力になる。

彼らの"ガソリン"の供給源になれるのは、他でもない我々プレイヤーだ。

それを心に留めておいてほしい。









読み返してみると、綺麗事だらけの酷く冗長な文章になってしまった。こんなつもりはなかったのに。読者の皆さんも疲れたと思う。僕という人間に辟易した人も多いだろう。ごめんなさい。

ただ、このFeelings自体、僕の「"嫌われ者"になる勇気」の結晶であることも、分かってほしい。


新歓でエース級の活躍を見せたい
1年 大谷拓也

2018年2月17日土曜日

2月11日

今、僕はア式にはいってから2回目のfeelingsを書いています。前回はサッカーだけではない「成長」について書きましたが正直、今回は何を書けばいいのか全く思いつきません。そこで恥ずかしく思うところもありますが、今日、追いコン、1年会が終わったこのタイミングで感じていることを素直に書きたいと思います。

2月11日の今日は午前中に学習院大学との試合がありました。長期オフ後のどさくさにまぎれてAチームにあげてもらった僕は、この試合で自分の力を見せつけたいと強く思っていました。伊地知はやっぱり点が取れる選手だって思わせたかった。

結果、何もできませんでした。本当に何もできませんでした。足が遅すぎる。止まれない。球際に勝てない。身体が割と大きいせいなのか、はたまたメンタルが弱いだけなのか一歩一歩地面を蹴るたびにふくらはぎ、大腿四頭筋に重りをぶつけられてるような感覚すら抱いていました。必死に脚を振っても思うほど身体が進んでくれない。本当はプレミアリーグの選手みたいにキュッキュッと動いて守備をして、ドリブルで切れ込みたいのに。もちろん僕の抱える問題が機動力だけで片付けられるものでないことはわかっています。しかし機動力を改善しなければいくらほかの技術が向上したところでスケールの小さい選手のままだと言うことも同時に感じているのです。

合計11 0で東大が敗北したあとのミーティングで主将の中沖さんやコーチの山口さんの怒りのスピーチを聞きながら、はじめて本気でア式をやめることを考えていました。これ以上やっても上手くならないんじゃないか。惨めな姿を晒すだけなんじゃないか。でもア式やめたってやることないし。サークルに入って楽しめる人間じゃないのは自分が一番よくわかってる。追いコンの最中もずっとそんなことが頭を離れませんでした。4年生ごめんなさい🙏 その後の1年会では少しだけ勇気の出る言葉をもらえました。同期のみんなありがとう。

頭を冷やした翌日には、小さい頃から続けてきたサッカーを諦めるべきではないと思えるようになりました。でもア式を続けるなら続けるで、何か変化が必要だと思っています。プレースタイルや練習への姿勢など。うまい策が見つかったらまた次回のfeelingsにでも書こうと思います。

伊地知遼

2018年2月15日木曜日

スカウティングデビュー戦

新人戦第3vs立教は、新米テクニカルスタッフである私のスカウティングデビュー戦でした。今回は、初心を忘れないようにという意味も込めて、それについて書くことにします。
 
まずは立教大の試合を撮影しに出かけました。先輩が撮影しながら基本情報(フォーメーション、特徴的な選手等)を把握していたことを思い出しつつも撮影することに手一杯で、撮影を終えても、ロンボ多いなー142番身長高いなーくらいしか頭に残らなかったことを覚えています。ひたすら動画を見て、周囲に助けを求めつつスカウティングシートをまとめました。
そして、どんな授業のプレゼンよりも緊張して、OBコーチと主要選手で行われるミーティングを迎えました。結論から言うと、内容はおおむねよかったのですが、動画の切り出しに問題がありました。トラップシーンのはずがただ立っているだけの映像であるなど、慌てて切り出した部分の確認を怠ったせいで見せたいシーンが見せられなかったのです。先輩方は笑って済ませてくれましたが、ここは大いに反省すべき点です。情報の不足や動画の不備を修正して、次のミーティングで選手全体に共有しました。
試合当日は、初めて感じる緊張感に包まれました。今までもチームの一員として試合に臨んでいたつもりだったけど、まだわかっていなかったんだなぁと思いました。
結果は2-2で引き分け。勝ちたかったのはもちろんですが、東京都1部の上位チーム相手ということを考慮すると、喜んでいいんじゃないかなと正直思いました。整列して応援に駆けつけてくださった皆様に挨拶した直後、ある先輩が「ナイススカウティング!」と声をかけてくれたのは本当に嬉しかったです。
 
この試合で、私は初めて本当の意味でチームの一員としての自覚が持てたように思います。この緊張感を忘れず、けれど謙虚な自信をもって、次のスカウティングに当たりたいです。

2018年2月10日土曜日

主将

去年の夏合宿で、中沖さんが100代目の主将に就任しました。その時、みんなの前で中沖さんが話したことが、僕にとって印象的で、よく覚えています。

ア式としての結果に対して全員が責任を持つこと(公式戦に出場しているかとか、カテゴリーに関わらず)

隣にいる仲間を、仲間全員を信頼すること



本来、信頼関係は、一緒にいる時間とか、コミュニケーションが増えていく中で、長い時間をかけて構築されるものであって、その関係があるからこそ、言いたいことも言い合えると思います。でも、練習中とか、試合中とか、サッカーのプレー中はそういう関係にあるかどうかは気にせず、先輩後輩の関係も気にせず、思っていることを遠慮せずに伝える必要があります。だからこそ、普段のコミュニケーションや、普段の行動で信頼関係を徐々に築いていくのと平行して、ア式の部員として、同じ目標を目指す者として、無条件に仲間を信頼して、無条件にア式部員として責任を果たすことが必要だということを中沖さんは意味しているのかな、と思います。(考えすぎですか?笑)なので、僕も相手が先輩だとしても、そこに信頼関係があるものだとしてプレー中に要求していくので、僕にもガンガン指摘してください。よろしくお願いします。


また、自分にとって、主将はどういう存在かと考えてみましたが、一人の友人の存在しか浮かんできません。中学からサッカーを始めた彼は、サッカー自体の能力は決して高くなく、スタメンにもほとんど入っていなかったけれど、チームをまとめあげ、みんなが気がつかないようなことに気づき、監督役をやったりと、選手主導だった僕らの部において、一目置かれるとても心強い存在でした。中高6年間主将を務めた彼は、自分の中で、主将の代名詞のような存在です。彼の存在が念頭にあるからこそ、必ずしも「主将=サッカーの上手い人」である必要はなく、仮にサッカーが下手でも、いろんな面でチームメイトにプラスの影響を与えることができる人がなればいいと思っています。

彼は今東大を目指して浪人中です。もうすぐ二次試験。頑張って欲しいです。

冬オフが明けて、数名の同期がさまざまな理由から退部しました。そういう時だからこそ、自分にとってア式とは、また、サッカーとはということを考えることができました。2018シーズンもスーパーポジティブに頑張ります!

今年はタクトさんと藤山さんに絡みすぎない
1年 赤木雅実

2018年2月6日火曜日

冬季五輪のすゝめ

50年に一度の大寒波と共に、2度目のfeelingsの順番がやって来た。今回は個性を出してくれという上からのお達しを受け、少し毛色を変えてみようと思う。

サッカー部に所属している以上、今年予定されているビッグイベントを問われれば、まずロシアW杯と答えるのが自然だろう。しかし、W杯イヤーには漏れなく冬季五輪が開催されることも忘れてはいけない。

私は冬季五輪が好きである。

きっかけは小学5年生の冬。マイコプラズマ肺炎を患い2週間の出席停止を言い渡された私は、自宅で暇を持て余していた。咳と微熱がひたすら続くこの疾患、たしかにしんどいけど寝込むほどでも無い。
突然与えられた膨大な時間を少しでも消化しようと何気なくテレビを点けてみると、目に飛び込んで来たのはバンクーバー五輪の華やかな開会式の様子だった。私はすっかり虜になり、それからというもの2週間後の閉会式までテレビの前にへばりつくこととなった。

と、お分かりいただけたように、私は完全なるライトファンだ。4年に一度しかはしゃがないから、平昌はまだ3回目に過ぎない。
成虫になるまでに17年かかるセミの大量発生がアメリカで話題になることがあるが、私の中のウィンタースポーツ観戦熱も似たようなものであろう。
そんなニワカボーイがオススメの競技を3つ一生懸命選んだので、僭越ながら紹介させていただく。



①ノルディック複合
長谷部似の渡部暁斗選手を始めとして、日本は代々そこそこ強いため、知名度は高いかもしれない。
スキージャンプとクロスカントリーの複合競技であり、1日で両方行われる。クロスカントリーは、先に行われるスキージャンプの記録が良い選手から時間差でスタートしていく。クロスカントリーが得意な欧州の選手のごぼう抜きなど、ゴール直前の手に汗握るデッドヒートが見所である。
勝者が”King of ski”と称えられるほど多様な能力を求められるこの競技の観戦を通じて、マルチタイプのアスリートへの憧れがより強まることだろう。


②スノーボードスロープスタイル・ビッグエア
スロープスタイルはソチ五輪からの新種目である。レール等の障害と複数のジャンプ台が連続して設置されたコースをスノーボードで滑っていく競技である。
ジャンプの飛距離は20メートルを超えるらしく、なおかつ綺麗に着地して次のジャンプ台へと備えなければならない。空気抵抗による減速もあまり無さそうなのに、なぜ膝をぶっ壊さずにああも涼しい顔でランディングできるのか。ちょっと理解が追いつかない。

そして、同じ競技者が出場するビッグエアは、今大会からの新種目だ。
ジャンプ台を用いた空中での演技の出来を競う競技らしい。
スロープスタイルとは異なり、次のジャンプへのリスクヘッジを行う必要が無いため、全力を賭したダイナミックな演技が見られそうである。
スノーボード競技は、総じて若い選手が多いのも特徴である。自分より年下の選手達の活躍を見て奮起するのも良い楽しみ方であろう。


③リュージュ
最後にマイナー競技を持って来てみた。名前を聞いただけでピンと来る人は少ないかもしれない。
バスルームに伝言を残すあれではない。それはルージュだ。
ドラゴンヘッドでもない。それは竜頭(りゅうず)だ。
リュージュとは、ソリに仰向けに乗り、氷で作られたコースを滑走する競技である。

150km/hを超えるという最高時速と、冬季五輪で唯一1000分の1秒までタイム計測が行われることからも分かるスピード感が見所である。
私事だが、先日テーマパークで本格的なゴーカートを運転した際、あまりの体感速度に手足がビビって言うことを聞かなくなり、コースアウトを繰り返して命の危険を感じた経験がある。このゴーカートの最高時速は60km/hだったらしい。他の同行者達は特段のトラブル無くドライブしていたため、私の能力の問題と言えなくも無いが、兎にも角にもリュージュの速さはえげつない。
日本の競技人口は僅か40人程度というこのリュージュが、北海道と長野県で体験できるという情報を得た。ゴーカートをクラッシュさせるクセにソリには目がない私は、必ず滑りに行くことを固く誓った。

ソリ競技には、他にも腹這いになって滑るスケルトン、フェラーリやBMW製のイカしたソリで滑るボブスレーがあり、三者三様の魅力がある。テレビ中継が行われるせっかくの機会を利用して、目新しいスポーツを観戦してみるのも楽しいかもしれない。



非常に長くなってしまったが、面白い競技はまだまだたくさんある。五輪観戦を通じて、スポーツの面白さを再確認できたら幸いである。

稚拙な記事を最後まで読んでいただきありがとうございます。

追いコンでのリュージュ化だけは避けたい
1年  青木 辰平