2018年2月20日火曜日

"嫌われ者"になる勇気

昨年のリーグ戦期間中、よく見た光景がある。



ア式にはフィジコという役職がある。筋トレ管理、フィジカルメニューの考案、怪我人の状況の把握などを行って、選手のフィジカル面の総合的なサポートを担っている。

そのフィジコの指導のもと、選手のスタミナやアジリティを高めるためにダッシュトレーニングを練習の最後に行うことがある。

「よく見た光景」というのは、そのラントレの際の話だ。

ひとしきりのメニューを終えてある程度エネルギーを使った後、フィジコがラントレをやるとの旨を皆に伝える。正直「いやだな」と誰もが思う。本田圭佑くらいのメンタリティがあれば「強くなるチャンスだ」などとポジティブに考えて嬉嬉としてやるのだろうが、一端の大学サッカー部員からすればキツいことはキツいことでしかなく、ただただ「いやだ」と思うのである。いや、本田圭佑でさえ多少はそう思うかもしれない。

問題はその「いやだ」という気持ちを口にする部員がいることだ。

「リーグ戦で疲れが溜まってんだよ」
「今週末走れなくなるわ」

全員ではないが、少なくない数の部員が思い思いに文句を言う。それも発言力の大きい上の学年ほど。挙句の果てにメニューの緩和を要求する者もいた。

その威勢に押され、フィジコが実際にタイム設定を長くしたり、本数を減らしたりすることも何度かあった。

なんとかラントレが終わったあと、マーカーを片付けるフィジコの先輩は、悲しそうな、疲れきったような顔をしていた。




これが「よく見た光景」だ。




なんとも情けない話だと僕は思う。

毎週リーグ戦があって疲労がたまっているのもわかる。特にスタメンの選手の疲労なんて相当なものだろう。でも、たった数分のラントレが週末の試合の結果に悪影響を及ぼすだろうか。そのラントレのせいで、自陣ゴール前であと一歩足を伸ばすことが、味方のシュートのこぼれ球にあと一歩つめることが、難しくなることがあるだろうか。

おそらくそんなことはないはずだ。むしろその逆だと僕は思っている。

ア式の選手達は、ごく一部を除けば、技術もセンスもさほどないし、その一部の選手でさえ、関東で闘うチームの選手達に比べれば劣る。そんな僕達が東京都一部に昇格し、最終的に関東昇格を達成するためには、やはり走力は重要なファクターになると思う。

実際、高校時代、それほど技術が高くない僕のチームが都でベスト8やベスト10に入れたのも、普段の強度が高いトレーニングに裏付けされた走力と粘り強さで相手の攻撃を跳ね返し続け、少ないチャンスをものにできたからだ。

そもそも、ア式の練習の強度は高くない。1週間に1度のラントレくらいこなせなければ、リーグ戦で走れる訳もないし、ゴール前で粘れる訳もない。疲労が心配なら、そのラントレをした分、いつもより時間をかけてケアをすればいい話だ。




僕が言いたいのは、「だからラントレを沢山しよう」とか、「練習の強度を高めよう」とか、そういうことではない。




"リーダーを権威付けるのはその他の人間である"




ということだ。




フィジコもフィジカル面のリーダーと言えるし、勿論のこと、主将や主務といった立場もこれに当てはまる。

中には、圧倒的な技量やカリスマ性があって、周りからの権威付けなど必要としないリーダーもいるだろう。しかし、圧倒的なリーダーシップでチームをグイグイ引っ張っていくタイプではないリーダーも一定数いる。

後者のリーダーにとって、チーム全員の快い同意が得られないようなことを発言したり、実践したり、あるいは指示したりするのには、すごく勇気が必要だったりする。その時はチームメイトの"嫌われ者"を買って出なくてはならないからだ。

僕も高校時代はそういう経験を何度もした。猛烈なブーイングにさらされながら、ア式のラントレの何十倍もキツいトレーニングを強行実施したこともある。

そういう時に予想はしていても実際に真っ向から多くの批判を受けると、"嫌われ者"になることが怖くなって、最終的に妥協が生まれ、リーダーはチームメイトの目先の願望を集約してそれを体現するだけの存在になってしまいかねない。それはチームにとって明らかにマイナスだ。

だからこそ周りの人間は、たとえその場の感情では嫌であったとしても、それが長期的に見てチームの成長に繋がるのなら、リーダーの言うことに黙って従うべきだ。それがリーダーの権威付けになる。

もっと言えば、一時的な消極的感情を押し殺すのみならず、ポジティブな態度を見せてほしい。

先程のラントレの話でも、「やろうぜ」「いいね」といった声掛けをする者は何人かいたが、それは自分がリーダーとしての立場にある主将や副将たちだった。そうではなくて、そうした立場にない部員達が前向きな言葉を発することが出来れば、リーダーは自信を持って様々なことを実践できるだろうし、チームとしての一体感も生まれると思うのだ。

決して"鬼"なんかではない。ただチームのことを考えて、敢えて皆から好まれない発言・行動・提案をしている。その裏にある"怖さ"や"勇気"を汲み取ってあげてほしい。リーダーに"権威"や"自信"を与えてほしい。





高校時代の主将という立場や、今のア式での副将という立場を鑑みると、やや自己防衛的な内容に思われるかもしれないが、決してそういうつもりではないことは了承して頂きたい。











既にかなり冗長で厚かましいFeelingsになってしまっているが、最後にもう1つ、これに関連して言いたいのが、




"スタッフに存在価値を与えるのはプレイヤーである"




ということだ。




実際にピッチに立って戦う我々プレイヤーと違って、スタッフはチームの目標達成に直接携わることはできない。様々な面からプレイヤーをサポートすることで間接的に貢献するのがスタッフだ。そのため、スタッフの存在価値はプレイヤーより低く見られがちで、まるで代えが利く存在であるかのように錯覚される。

しかし、全くそんなことはない。スタッフの存在がなければ間違いなく部は回らないし、ひとくちに「スタッフ」と言っても皆それぞれ得意・不得意や性格といった"色"があって、代えなど決して利かないのだ。選手とスタッフは至って対等であって、同じ目標に向かって努力する仲間だ。

そのような錯覚をスタッフ自身が覚えてしまうことがないように、プレイヤーは彼らに存在価値を与え続けなければならない。

こう言うと、まるでプレイヤーの承認なくしてスタッフの存在価値など存在しないかのように聞こえるが、そういうことではなくて、スタッフが自身の存在価値を実感できるような環境を作るべきだ、という話だ。

方法などいくらでもある。

ボトルを渡してくれたマネージャーに対して、テーピングを巻いてくれたトレーナーに対して一言「ありがとう」と言う。テクニカルが定期的に実施しているアンケートに対して誠実に答える。あるいは、その分析が有意義なものだったら、スカウティングミーティングの内容が試合で役立ったら、それを直接伝える。フィジコがアップを指導してくれたら、ラントレを実施してくれたら、「サンキュー」と皆で言う。「プレイヤーはスタッフより偉くて価値がある」とかいう馬鹿げた考えを捨てて、スタッフと対等な立場に立って活動に取り組む。

全部"当たり前"だ。でも、よく言われることだが、そういう"当たり前"を"当たり前"として実践するのは意外と難しい。

ただ、その積み重ねが、スタッフ自身が存在価値を実感し、チームのために、プレイヤーのために努力する原動力になる。

彼らの"ガソリン"の供給源になれるのは、他でもない我々プレイヤーだ。

それを心に留めておいてほしい。









読み返してみると、綺麗事だらけの酷く冗長な文章になってしまった。こんなつもりはなかったのに。読者の皆さんも疲れたと思う。僕という人間に辟易した人も多いだろう。ごめんなさい。

ただ、このFeelings自体、僕の「"嫌われ者"になる勇気」の結晶であることも、分かってほしい。


新歓でエース級の活躍を見せたい
1年 大谷拓也

2018年2月17日土曜日

2月11日

今、僕はア式にはいってから2回目のfeelingsを書いています。前回はサッカーだけではない「成長」について書きましたが正直、今回は何を書けばいいのか全く思いつきません。そこで恥ずかしく思うところもありますが、今日、追いコン、1年会が終わったこのタイミングで感じていることを素直に書きたいと思います。

2月11日の今日は午前中に学習院大学との試合がありました。長期オフ後のどさくさにまぎれてAチームにあげてもらった僕は、この試合で自分の力を見せつけたいと強く思っていました。伊地知はやっぱり点が取れる選手だって思わせたかった。

結果、何もできませんでした。本当に何もできませんでした。足が遅すぎる。止まれない。球際に勝てない。身体が割と大きいせいなのか、はたまたメンタルが弱いだけなのか一歩一歩地面を蹴るたびにふくらはぎ、大腿四頭筋に重りをぶつけられてるような感覚すら抱いていました。必死に脚を振っても思うほど身体が進んでくれない。本当はプレミアリーグの選手みたいにキュッキュッと動いて守備をして、ドリブルで切れ込みたいのに。もちろん僕の抱える問題が機動力だけで片付けられるものでないことはわかっています。しかし機動力を改善しなければいくらほかの技術が向上したところでスケールの小さい選手のままだと言うことも同時に感じているのです。

合計11 0で東大が敗北したあとのミーティングで主将の中沖さんやコーチの山口さんの怒りのスピーチを聞きながら、はじめて本気でア式をやめることを考えていました。これ以上やっても上手くならないんじゃないか。惨めな姿を晒すだけなんじゃないか。でもア式やめたってやることないし。サークルに入って楽しめる人間じゃないのは自分が一番よくわかってる。追いコンの最中もずっとそんなことが頭を離れませんでした。4年生ごめんなさい🙏 その後の1年会では少しだけ勇気の出る言葉をもらえました。同期のみんなありがとう。

頭を冷やした翌日には、小さい頃から続けてきたサッカーを諦めるべきではないと思えるようになりました。でもア式を続けるなら続けるで、何か変化が必要だと思っています。プレースタイルや練習への姿勢など。うまい策が見つかったらまた次回のfeelingsにでも書こうと思います。

伊地知遼

2018年2月15日木曜日

スカウティングデビュー戦

新人戦第3vs立教は、新米テクニカルスタッフである私のスカウティングデビュー戦でした。今回は、初心を忘れないようにという意味も込めて、それについて書くことにします。
 
まずは立教大の試合を撮影しに出かけました。先輩が撮影しながら基本情報(フォーメーション、特徴的な選手等)を把握していたことを思い出しつつも撮影することに手一杯で、撮影を終えても、ロンボ多いなー142番身長高いなーくらいしか頭に残らなかったことを覚えています。ひたすら動画を見て、周囲に助けを求めつつスカウティングシートをまとめました。
そして、どんな授業のプレゼンよりも緊張して、OBコーチと主要選手で行われるミーティングを迎えました。結論から言うと、内容はおおむねよかったのですが、動画の切り出しに問題がありました。トラップシーンのはずがただ立っているだけの映像であるなど、慌てて切り出した部分の確認を怠ったせいで見せたいシーンが見せられなかったのです。先輩方は笑って済ませてくれましたが、ここは大いに反省すべき点です。情報の不足や動画の不備を修正して、次のミーティングで選手全体に共有しました。
試合当日は、初めて感じる緊張感に包まれました。今までもチームの一員として試合に臨んでいたつもりだったけど、まだわかっていなかったんだなぁと思いました。
結果は2-2で引き分け。勝ちたかったのはもちろんですが、東京都1部の上位チーム相手ということを考慮すると、喜んでいいんじゃないかなと正直思いました。整列して応援に駆けつけてくださった皆様に挨拶した直後、ある先輩が「ナイススカウティング!」と声をかけてくれたのは本当に嬉しかったです。
 
この試合で、私は初めて本当の意味でチームの一員としての自覚が持てたように思います。この緊張感を忘れず、けれど謙虚な自信をもって、次のスカウティングに当たりたいです。

2018年2月10日土曜日

主将

去年の夏合宿で、中沖さんが100代目の主将に就任しました。その時、みんなの前で中沖さんが話したことが、僕にとって印象的で、よく覚えています。

ア式としての結果に対して全員が責任を持つこと(公式戦に出場しているかとか、カテゴリーに関わらず)

隣にいる仲間を、仲間全員を信頼すること



本来、信頼関係は、一緒にいる時間とか、コミュニケーションが増えていく中で、長い時間をかけて構築されるものであって、その関係があるからこそ、言いたいことも言い合えると思います。でも、練習中とか、試合中とか、サッカーのプレー中はそういう関係にあるかどうかは気にせず、先輩後輩の関係も気にせず、思っていることを遠慮せずに伝える必要があります。だからこそ、普段のコミュニケーションや、普段の行動で信頼関係を徐々に築いていくのと平行して、ア式の部員として、同じ目標を目指す者として、無条件に仲間を信頼して、無条件にア式部員として責任を果たすことが必要だということを中沖さんは意味しているのかな、と思います。(考えすぎですか?笑)なので、僕も相手が先輩だとしても、そこに信頼関係があるものだとしてプレー中に要求していくので、僕にもガンガン指摘してください。よろしくお願いします。


また、自分にとって、主将はどういう存在かと考えてみましたが、一人の友人の存在しか浮かんできません。中学からサッカーを始めた彼は、サッカー自体の能力は決して高くなく、スタメンにもほとんど入っていなかったけれど、チームをまとめあげ、みんなが気がつかないようなことに気づき、監督役をやったりと、選手主導だった僕らの部において、一目置かれるとても心強い存在でした。中高6年間主将を務めた彼は、自分の中で、主将の代名詞のような存在です。彼の存在が念頭にあるからこそ、必ずしも「主将=サッカーの上手い人」である必要はなく、仮にサッカーが下手でも、いろんな面でチームメイトにプラスの影響を与えることができる人がなればいいと思っています。

彼は今東大を目指して浪人中です。もうすぐ二次試験。頑張って欲しいです。

冬オフが明けて、数名の同期がさまざまな理由から退部しました。そういう時だからこそ、自分にとってア式とは、また、サッカーとはということを考えることができました。2018シーズンもスーパーポジティブに頑張ります!

今年はタクトさんと藤山さんに絡みすぎない
1年 赤木雅実

2018年2月6日火曜日

冬季五輪のすゝめ

50年に一度の大寒波と共に、2度目のfeelingsの順番がやって来た。今回は個性を出してくれという上からのお達しを受け、少し毛色を変えてみようと思う。

サッカー部に所属している以上、今年予定されているビッグイベントを問われれば、まずロシアW杯と答えるのが自然だろう。しかし、W杯イヤーには漏れなく冬季五輪が開催されることも忘れてはいけない。

私は冬季五輪が好きである。

きっかけは小学5年生の冬。マイコプラズマ肺炎を患い2週間の出席停止を言い渡された私は、自宅で暇を持て余していた。咳と微熱がひたすら続くこの疾患、たしかにしんどいけど寝込むほどでも無い。
突然与えられた膨大な時間を少しでも消化しようと何気なくテレビを点けてみると、目に飛び込んで来たのはバンクーバー五輪の華やかな開会式の様子だった。私はすっかり虜になり、それからというもの2週間後の閉会式までテレビの前にへばりつくこととなった。

と、お分かりいただけたように、私は完全なるライトファンだ。4年に一度しかはしゃがないから、平昌はまだ3回目に過ぎない。
成虫になるまでに17年かかるセミの大量発生がアメリカで話題になることがあるが、私の中のウィンタースポーツ観戦熱も似たようなものであろう。
そんなニワカボーイがオススメの競技を3つ一生懸命選んだので、僭越ながら紹介させていただく。



①ノルディック複合
長谷部似の渡部暁斗選手を始めとして、日本は代々そこそこ強いため、知名度は高いかもしれない。
スキージャンプとクロスカントリーの複合競技であり、1日で両方行われる。クロスカントリーは、先に行われるスキージャンプの記録が良い選手から時間差でスタートしていく。クロスカントリーが得意な欧州の選手のごぼう抜きなど、ゴール直前の手に汗握るデッドヒートが見所である。
勝者が”King of ski”と称えられるほど多様な能力を求められるこの競技の観戦を通じて、マルチタイプのアスリートへの憧れがより強まることだろう。


②スノーボードスロープスタイル・ビッグエア
スロープスタイルはソチ五輪からの新種目である。レール等の障害と複数のジャンプ台が連続して設置されたコースをスノーボードで滑っていく競技である。
ジャンプの飛距離は20メートルを超えるらしく、なおかつ綺麗に着地して次のジャンプ台へと備えなければならない。空気抵抗による減速もあまり無さそうなのに、なぜ膝をぶっ壊さずにああも涼しい顔でランディングできるのか。ちょっと理解が追いつかない。

そして、同じ競技者が出場するビッグエアは、今大会からの新種目だ。
ジャンプ台を用いた空中での演技の出来を競う競技らしい。
スロープスタイルとは異なり、次のジャンプへのリスクヘッジを行う必要が無いため、全力を賭したダイナミックな演技が見られそうである。
スノーボード競技は、総じて若い選手が多いのも特徴である。自分より年下の選手達の活躍を見て奮起するのも良い楽しみ方であろう。


③リュージュ
最後にマイナー競技を持って来てみた。名前を聞いただけでピンと来る人は少ないかもしれない。
バスルームに伝言を残すあれではない。それはルージュだ。
ドラゴンヘッドでもない。それは竜頭(りゅうず)だ。
リュージュとは、ソリに仰向けに乗り、氷で作られたコースを滑走する競技である。

150km/hを超えるという最高時速と、冬季五輪で唯一1000分の1秒までタイム計測が行われることからも分かるスピード感が見所である。
私事だが、先日テーマパークで本格的なゴーカートを運転した際、あまりの体感速度に手足がビビって言うことを聞かなくなり、コースアウトを繰り返して命の危険を感じた経験がある。このゴーカートの最高時速は60km/hだったらしい。他の同行者達は特段のトラブル無くドライブしていたため、私の能力の問題と言えなくも無いが、兎にも角にもリュージュの速さはえげつない。
日本の競技人口は僅か40人程度というこのリュージュが、北海道と長野県で体験できるという情報を得た。ゴーカートをクラッシュさせるクセにソリには目がない私は、必ず滑りに行くことを固く誓った。

ソリ競技には、他にも腹這いになって滑るスケルトン、フェラーリやBMW製のイカしたソリで滑るボブスレーがあり、三者三様の魅力がある。テレビ中継が行われるせっかくの機会を利用して、目新しいスポーツを観戦してみるのも楽しいかもしれない。



非常に長くなってしまったが、面白い競技はまだまだたくさんある。五輪観戦を通じて、スポーツの面白さを再確認できたら幸いである。

稚拙な記事を最後まで読んでいただきありがとうございます。

追いコンでのリュージュ化だけは避けたい
1年  青木 辰平

2018年1月13日土曜日

初得点

LBSでの今季最終節は12/24のクリスマスイブだった。ずっとゴールキーパーで試合に出ていたけれど、久しぶりにフィールドをやらせてもらえることになって、緊張しつつも張り切って試合に臨んだ。


試合後半、コーナーからこぼれたボールを思い切り蹴ったとき、そのボールがゴールキーパーの手をすり抜け、ネットを揺らすのが見えた。私のサッカー人生において記念すべき公式戦初ゴール。

あ、入ったんだ、とどこか他人事のように感じ、その後じわじわと喜びが溢れてきた。試合が終わると皆から口々に凄かったと言ってもらえて、照れつつも、嬉しく誇らしい気持ちだった。


初得点で感じたこと、それは改めてサッカーは点をとるのが難しいスポーツだということ。1点入れただけでこんなに盛り上がるスポーツはない。
そして点はなかなか取れないけれど、点を取るチャンスは絶対にあるのだと気づいた。それは誰においても。なんたって下手くそな私が決めたのだから。取れるチャンスを逃さず、確実に点を取ることが勝利へと繋がるのだろう。


関カレでは私はずっとゴールキーパーをしていた。ゴールキーパーはとても面白かったけれど、やっぱりフィールドも楽しい。どのポジションでもよりサッカーを楽しむために、もっとサッカーが上手くなりたい。たくさん試合がしたい。そして勝ちたい!


サッカー面で自分の課題はとても多い。練習でフィジカルや技術など未熟な部分ときちんと向き合って、2018年はよりサッカーに触れ、成長できる1年にしよう。


初得点はサンタさんからの贈り物
女子部 2年 松田 真優

2017年12月15日金曜日

This is football

10月29日、田んぼのように水浸しになった御殿下のピッチの脇で、自分のサッカー人生はあっけなく幕を閉じた。
最後の何試合かはまるで呪われたかのように毎回大雨が降り、まるでサッカーにならないようなコンディションが続いた。自分が逃げ続けた部分のみが問われるような展開。サッカー人生の最後に一矢報いるチャンスは、とうとう訪れなかった。


思い返せば、もうちょっと上手くできたんじゃないかと思うことだらけだ。
サッカーを始めた小学校では、サッカーの魅力に気づくのが遅すぎた。5年生のときに見たクリスティアーノ・ロナウドがすげーカッコよくて、やっと本気で練習してドリブルはちょっと上手くなったけど、幼少期に獲得すべきコーディネーション能力や基礎技術の不足が、その後のどのカテゴリーにおいてもボトルネックになった感は否めない。
運よく鹿島のつくばJYに入団できた中学校では、成長期が訪れたのを転機に徐々に試合に出られるようになったものの、体力や基礎技術の低さといった自分の問題点を認識しながら、それに正面から向き合うことが出来なかった。このことが、サッカー選手としての自分の限界を決定的にし、今もなお自分の足を引っ張る甘い精神性を形成することになった。
中学の時よりさらに不可解な感じでユースに昇格した高校時代には、自分は何者かになれるのではないか、何かを成し遂げられるのではないかな、くらいにおめでたい勘違いをしていた。舞い上がっていた。ベーシックな部分は依然として出来ないことだらけだったのに、3人抜ければなんとかなるでしょ、くらいにタカをくくっていた。
実際には自分は全然通用しなかったが、最後には「何かが起きて」、「何かそのうち調子が良くなったりして」、自分が成功する「感じ」になるんじゃないかと思っていた。本当にこの程度の認識だったのだ。自分よりも遥かに努力を積み重ね、誰よりも真剣にサッカーに取り組む親友の姿を、あんなに近くで見ていたのに。


そして一度サッカーを辞め、東大に入学し、まあ今思えばよくあるパターンだが、大学ではサッカーをするつもりはないと意気込んでいたものの、藤岡さんに何度もサッカー部に誘っていただき、決心を曲げ笑、このア式蹴球部に入部した。そして、もう一度だけプロを目指すということを決めた。自分のやりたいようにやって、限界まで行ったらどうなるのか、見てみたかった。
実際この4年間、誰よりもサッカーのことを思考し、いろんな方法を使って少しでも上手くなろうと挑戦してきた、ということは胸を張って言える。そして実際少しは上手くなることができたと思う。が、もう少し大きな海に飛び出してみれば、それが微々たる成長に過ぎなかったことを、本当に嫌という程思い知らされた。自分の苦手なフィジカルや走力がどうこうよりも、自分の得意なパスやゲームメイクですら全然何もできなかったのがショックだった。何もできない自分が怖くなって、どんどんサッカーをすることも恐れるようになっていった。今思えば軽いイップスだったかもしれない。そんなこんなで疲れ果ててしまった自分は、自分が上に行くためにサッカーをやる意味がわからなくなってしまった。そしてとうとう、長年追ってきたプロという夢を諦め、ア式に復帰するという道を選んだ。
振り返ってみるとこの一年間は、きっと今までの人生で一番泣いた一年間だった。色んなことがあったから。悔しくて、情けなくて。今でも自分はプロになることが出来なかったという事実を受け入れるのは難しい。きっと一生後悔は続くのだろう。


リーグ戦の終盤に、ふと来シーズンのことを考えた。ユナイテッドを退団してこのチームに戻ってきたときに、「選手として上を目指す自分」はもう燃え尽きていた。今はもう、このチームに、こんな自分を拾ってくれたこのチームにどうやって恩を返せばいいのか、そう考えてパッと思いついたのが、コーチだった。自分の器ではとても活かしきれなかった、一生懸命集めた知識や考えを、せめてみんなの役に立てるためには、結構しっくりくる役回りな気がして、思いついてから決断するまでに時間はかからなかった。
シーズンが終わって、新体制下でコーチとしてこのチームを約一ヶ月指導してきた。この文章は選手としての自分が書く最後の文章として位置付けているが、選手としての感覚も強く残っている今だからこそ、このあたりで一度脱線して、僭越ではあるがこのチームの「コーチ」としてみんなに伝えたいことを一つだけ、書いておこうと思う。なぜならこれは、自分がここまでやってこれた武器であると同時に、自分の限界を決定的にした致命的な過ちでもあると感じているからだ。



それは、自分を小さな「箱」の中に閉じ込めない、ということ。
人類は原始から、「環境に適応する能力」を最大限活用し、現在の種の繁栄をもたらしたのだが、そのような特性上、人は良くも悪くも環境に適応してしまいがちだ。
サッカーにおけるこの「適応」のポジティブな面としては、レベルの高い環境に放り込まれることでその環境に「適応」し、自分1人では難しかったような飛躍的な成長を遂げる可能性があるということだ。我々ア式蹴球部がTOKYO UNITEDと合同で練習を行わせていただいているのも、当然このような効果を狙ってのことだ。言うまでもなく、適応に失敗してしまい、思うような成長速度に達しないばかりか、却って成長速度の停滞を招くリスクも内在しているので、選手の特徴やパーソナリティなどに合わせて指導者が適切な頻度、タイミングで行う必要はあるが、適応に成功した時のリターンの大きさは通常の成長過程からは測り知れないものになり得るので、選手の成長に関して非常に有効な手段であることは間違いない。


しかし、この「適応」能力がネガティブに働くような場合も存在する。適応が却って成長の妨げとなるような「箱」の代表例として挙げられるのが、「所属」と「自分」だ。

まず「所属」とは、言うまでもなく「自身の所属するコミュニティ」という意味である。人は社会的存在である以上、否応無しに何らかの、しかも多くの場合複数の「コミュニティ」に所属することになる。例えば僕たちは「ア式蹴球部」の一員であると同時に「東京大学」の学生であり、「どこかのカフェ」や「どこかの学習塾」の一員としてバイトに励んでいるかもしれないし、そもそも大半の人間が「家族」や「友人関係」というコミュニティを持ち、その一員として生活することを余儀なくされる。
この所属という行為自体には何の問題もないのだが、人がよく犯してしまう失敗は、これらの「コミュニティ」に適応した結果、その「コミュニティ」の限界や性質を、自分の限界や性質でもあるかのように思い込んでしまうことだ。すなわち、「所属」は、「自分は東京大学に所属しているのだからそこらの大学の生徒に頭の良さで負けるわけはない」というプライドを持つ(僕はこれを悪いことだとは思わない)可能性があると同時に、「東京都二部リーグに所属していて、ましてや高校まで弱小チームでやっていたのだから、東京都一部のチームや二部の上位チームの選手より下手でも仕方がない」というような思考や、「東大生は一般的に内向的で排他的だと言われているので、自分にはとても外交的な振る舞いなどできないのではないか」というような思い込みを生んでしまう可能性があるのである。(実際に東大生の多くはこのようなコンプレックスを抱えて生きているように見えるので、それってそもそも高校までの教育体系に問題があるんじゃないの、と思ってしまうが)

そして、成長を妨げるもう一つの「箱」が「自分」である。「変化」とは常に新たな適応行動を要求するので、リスクやストレスを伴う。そのため、多くの人が無意識に「現在の自分」に適応しており、「潜在意識における思考停止」に陥ってしまいがちだ。小難しく書いたが、要するに「人は何かを思考する際に、『それまでの自分』によって作られた枠組みの中でしか思考できないし、そうなっているということを認識することもできない」ということだ。少なくとも意識しなければ。
例えば、お気に入りの洋楽の、ある部分の英語の歌詞がどうしても早口で舌が回らない、としよう。その部分をどうしても上手く歌いたい。ここで漠然と、「上手く歌えるように考えて練習しなければ」と考えたところで、「歌詞を検索し」、「少しゆっくりのペースで何度が復唱する」、くらいしか考えつかず、それでも練習して歌えるようにならなければもう思考停止して諦めてしまうだろう。それはおそらく、自分が普段思考する際にその階層までしか踏み込もうとしないからだ。そしてこう思うのだ。「やっぱり英語って難しい。」「やっぱり自分にはリズム感がない。」
どうだろう、サッカーでもこんなこと、ありそうに感じないだろうか?

これらの「適応行動の結果としての思考停止による停滞」を防ぐには、言うまでもなく思考を停止しない以外の方法はない。
しかし具体的な方法論を知らないと、またすぐに”思考停止”に陥ってしまう可能性が高いので笑、一応自分が意識していたことを三つ。
一つ目は、「思考停止の可能性を常に疑うこと」だ。デカルトもこんなこと言っていたが、常に物事を疑ってかかることでしか課題発見の可能性は上がらない。どのような局面においても、その他の考え方、視点、階層はないのか?と考えることが大切だ。
二つ目は、「物事を構造化して考える」ことだ。これは、全てを並列に考えようとすると多くなりすぎてしまう情報量を整理し、シンプルな思考によって問題を解決することができるので非常に有効である。
三つ目は、二つ目の方法を実現するために、「行動を分類し、言語によって定義する」、あるいは「既に存在する定義を学ぶ」ことだ。あらゆるスポーツ、芸術、学問などの向上は認知行動学などの分野で研究されているが、それによると人間は「定義される」ことでその物事の枠組みを認識できるようになり、文脈的な情報・知識を得やすくなるために向上が容易になると言うことが証明されている。

本当はもう少しこれらの方法論について詳しく書こうと思ったのだが、一介の部員のブログとしては既にあまりに冗長な文章になりつつあるので笑、あとは自由に解釈して、有用だと思えば活用してもらいたいと思う。
要するに言いたいことは、きっとこのサッカー部にはもっと大きなポテンシャルが眠っていると思っているので、自分から「ア式」や「自分」という「箱」の中で勝手に限界を決めずにやってほしいなってこと。
もちろん根拠もある。先にも書いたように、スポーツなどの上達は認知行動学などにおいて研究されているが、これらの分野において「上達」とは次のようなイメージだ。まず、「トレーニング」にて新たな行動や認知パターンを体験させることで神経系に刺激を与え、”ミス”と言う失敗体験によりそれまでのニューロンの伝達回路が変化し、「適応」することによって新たな行動や認知のパターンが習慣化し、このことを「上達」すると言う。
このことから、サッカーにおいてもその上達に果たす脳の役割は非常に大きく、これまで必死に思考訓練を積んできた東大生だからこそ、向き合い方次第ではとんでもない選手やチームにだってなれるかもしれないのだ。自分はユースやユナイテッドで通用しなかったとき、結局諦めてしまった。最後の最後で自分の「箱」を抜け出せなかった。
だから、勝手に限界やレベルを規定してしまわずに、自分がまだ認識してないような「本気」で、必死にサッカーと向き合ってみてほしい。そうすればもっと貪欲で野心的なチームに、もっともっと魅力的なチームに、選手に、きっとなれる。そう信じています。一緒に頑張っていこう。



さて、脱線が思ったより相当長くなってしまったが、もうそれもおしまい。そろそろ選手としての自分を締めくくろう。

ここまで後悔や失敗ばかり書いてきたし、実際そんなことばかりだったようにも思えるが、やっぱりサッカーは最高に楽しかった。サッカーやってて本当に良かった。

トレセン落ちて、死ぬほどドリブル練習して、JY受かって泣くほど嬉しかったこと。JYで健太郎や上田、良介とかと一緒にプレーできたこと。かつらぎでひたすらミニゲしたこと。ユースですげー上手い奴らと一緒にやれたこと。大学でもう一度プロ目指せたこと。
白さんと一対一したこと。木村コーチにめっちゃ走らされたこと。田地先生に可愛がってもらったこと。クマさんにめっちゃ怒られたこと。
鹿島に勝てて死ぬほど喜んだこと。追浜に負けて死ぬほど泣いたこと。途中で辞める自分にカシマスタジアムで引退試合をやってくれたこと。
親友ができたこと。
ドリブル結構極めたこと。戦術めっちゃ勉強したこと。
カシマスタジアムで見た三連覇。揺れていた鹿島の旗。
イニエスタ、シャビ、グアルディオラ。齧り付くみたいにバルサの試合ばっか見たこと。
カタールのめっちゃ綺麗なグラウンド。ラビオとかコマンがやばかったこと。
オランダやスペインのスタジアムの景色。サポーターの声。震える空気。
小学校の土の校庭。テニスコートみたいな吉野サンヴィレッジ。汚くて寒い住金のロッカー。凸凹の御殿下。
毎回試合見にきてくれたおばあちゃん、おじいちゃん。仕事あっても送ってくれたお母さん。



サッカーの神様に恨み言を言った回数は一度や二度ではないが、サッカーの神様は本当にたくさんのプレゼントをくれていた。
自分なんかには勿体無いような仲間たちに巡り会えた、贅沢なサッカー人生だった。心から誇りに思う。できれば一生何らかの形でサッカーに関わってければいいなあ。幸い、あと少なくとも2年、これまでと形は違えどサッカーに向き合える時間がある。今度こそ、今度こそ本当に納得のいく結末を描けるように。この勝負は絶対に負けない。


自分という人間を形成してくれたコーチの方々に感謝。一生の財産である仲間達に感謝。大事なことを教えてくれた親友達に感謝。常に側で応援してくれた大切な人達に感謝。
山口 遼