2020年2月15日土曜日

持続可能性


本当はこの卒部feelingsで、サッカーをさせてもらえる喜びと感謝を述べたかったところではあるものの、それは前回のフィーリングスに譲ることにする。今回は最後にOGという立場から、女子部の13人の現役部員、そしてもしかしたらこれをうっかり検索してしまった未来の部員に向けてメッセージを書こうと思う。


伝えたいのは、ア式女子の持続可能性のために、部員のみんなに気をつけてほしいこと2つ。

1つ目は、そもそも持続する価値のある組織であり続けること。
組織を愛する個人の献身はもちろん素晴らしいことだけれど、一方で組織のために個人が犠牲になっていないか、辛い思いをしている人がいないか、折に触れて気にしてほしい。ときにみんなで歯を食いしばることがあっても、みんなから笑顔が消えないように。
組織の外部に対しては、そもそもア式女子は部員が楽しく真剣にサッカーをする場なので無理に価値提供をすべきとは思わないけれど、少なくとも不快感や損害は決して与えないように(ここは心配してない)、欲を言えば愛され応援されるチームになってほしい。情報発信や交流は積極的に、挨拶・礼儀や心遣いを忘れずに。さらに欲を言えば、大学女子サッカー界で、東大としての存在感を出していってほしい。リーグ運営に関わっていくとか、もちろん勝つとか。


もう1つは、Aさんの言葉をお借りすると「外部リソース」について。ここでは、女子部現役部員以外に由来するリソース全て(すなわち部員の労力と部費・新歓費、ないしそれらで構築・購入したもの以外)を、外部リソースと定義することにする。だから、協賛企業様はもちろんのこと、コーチや私たちOGも含まれる。
外部リソースは、当たり前のものではない、ミニゲームでいうところの、攻撃しているときのフリーマン的な存在だと思う。あればとても大きなプラスだけれど、常にそれを失ったときのことを考えながら運営しなければならないというのも1つの事実。恩恵はとてもありがたいものだけれど、仮に無償に見えても多くの場合それには対価が伴うことに気をつけて、感謝の気持ちを持ち続け伝え続けること、できる限りその恩恵をア式女子の存続に不可欠のものにしないこと、これは本当に気をつけてほしい。



全体的に要求ばっかりになってしまった感が否めないけれど(そして特に2点目については、グラウンドなど既に不可欠になっているものもあるけれど)、これは私もけっこう意識してきた部分ではあるし、よき組織としてあり続けるためにどうか努力を続けていってほしい。
ア式女子の今後の発展を、OGとしてできる限りのサポートをしつつ、祈っています。
頑張って。



たぶんこれが老害というやつ
水谷優香

2020年2月13日木曜日

テスト期間を終えて思うこと

進振りを経て、工学部の物理工学科に内定してからはじめてのセメスターが終わった。レポートや試験勉強をこなす中で「勉強面倒だな〜」と思うこともあったけれど、やっぱり学問に浸っている時間は楽しいなと再確認した。


もちろん、授業のテスト範囲一つ取っても分からないこと知らないことがたくさんある。あまりの自分の無知さに、僕は大学に入ってから何も学んでいないのではないか、と思って陰鬱な気分になることもあるのだが、決してそんなことはないと今は思っている。


大学入学時と比べてできることって実はかなり増えていて、でもそれは当たり前になりすぎて気付いていないだけだと思う。だってさっき僕は講義ノートを読みながら、目でテイラー展開して「そりゃそうなるよな」と計算結果の確認をしたじゃないか。何気なく読み飛ばしたその単語、一年の頃は何度も定義を見返しながら読み進めていたじゃないか。


勉強することの一つの側面として、「当たり前の範囲を広げる」ことがあると思っている。物理や数学で新たに登場する概念や定義は、初めは直感に合わなかったり不自然に思えたりして戸惑うことが多い。だけど、講義や専門書の議論を追っていく中で何回もその概念が登場して、その度に前のページに戻って確認する、そんな作業を続けていくうちに気づけば自分の中でその概念が当たり前のものとして定着していく。そんな概念生まれた時から知っていたような気がしてくる。「〇〇くらい生まれた時から知っておけ」という煽りはこうして誕生する。


そうして当たり前に分かることが増えたとき、今まで見えなかった景色が見えてくる。これまで何十時間頭を抱えて考えても理解できなかったところがあっさり理解できて、考えもしなかったことが考えられるようになっている。これが楽しくて仕方がない。

途端に視界が開けてきて、これまでの議論全てが脳内で再構築できるようになっていて、それを新たな対象に適用してみる。これができたときにやっぱり勉強が楽しいなと思えるし、一つ上のステージに登った気分になる。


だから、僕はもっと学びたい。もっと高いところから、この世界を見渡してみたい。これからの学科生活が楽しみだ。どうやら来学期は相当忙しいみたいだけど、それを乗り越えた時に見える景色はどんなものなのだろうか。



サッカーの話をしよう。正直サッカーで上のような感覚に陥ったことは一度もない。調子の良い時と悪い時が一定の周期で繰り返され、調子が良い時は楽しく、悪い時はつまらない。調子が振動しているだけで、全体として成長している気が全くしない(調和振動子、略して調子、ではない)。良いプレーができた時には気分が良いが、今はたまたま波の上の方に来ているだけではないかと思ってしまう。

それでも僕は成長している、と信じたい。だから、上手くいかない時期の自分をよく観察してみよう。一定の周期で訪れる、苦しい時期。そこでできることが、本物なのだろう。以前苦しい時にできなかったことが、もう一度必ずやってくる上手くいかない時期に、苦しいながらもできたのならば、それが成長だ。

そうして当たり前にできるプレーが増えたら、他の色んなことにも目を向けられるようになり、サッカーをもっと沢山の角度から楽しめるようになると思う。一段高いところからサッカーを俯瞰できるようになると思う。サッカーでも、新しい景色を見ることができるように、頑張ります。




さて。静岡学園の皆さん、優勝おめでとうございます。東大に受かってから挨拶に行けていない先生やコーチの方々が沢山いましたが、成人式と選手権観戦を通じて、お世話になった殆どの方に挨拶ができて良かったです。


静学サッカー部での日々は、今思えば本当に貴重な体験だった。これでもかというくらいドリブルとリフティングの練習をしていた。正直こっちが引いてしまうくらい上手い選手が何人もいたし、ごくごくまれに一緒にプレーさせてもらえることもあった。これは毎年の慣習だけど、Aの監督に一番下のチームを見てもらえたこともあった(正直めちゃくちゃしんどかった)。僕はずっと当時一番下のDチームだったけれども、最後の三ヶ月はCチームに上げてもらえて、部活に所属した5年間で初めて自己を肯定しながらサッカーができた。

静学でサッカーを5年間してきて、正直苦しかった思い出がほとんどだ。それでも、静学での日々があったから今の自分のプレーがある。あの5年間の苦しかった日々を“サッカーで”肯定できるのは、今だけだ。自分が今いる場所で輝くこと。それが唯一の、自分の過去を必要な過程だったと受け入れて、先へ進むための手段。だから、今を楽しもう。いつだって“いまが最高”でいるために



2年 赤塚俊輔

2020年2月9日日曜日

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毎度言っているのだが、僕のfeelingsは必ずテスト期間中に回ってくる。嫌がらせだろうか、それとも例によって理系的なfeelingsを書けというメッセージなのだろうか。

 進振りの結果、理学部の一応情報系(生物系でもある)の学科に内定したので、この冬はコンピューターに触れることが多かった。特に印象に残ったのはアセンブリ言語と呼ばれる、よりコンピューターに近い言語でのプログラミングで、コンピューターが普段どのように文字を認識したり、命令を実行したりしているのかがよく分かるいい経験だった。それもあってタイトルは”コンピューターに優しい”表現で。コンピューターは文字も0と1の並びで認識している。char型(文字型)は8bitであって、例えばコンピューターにとってのアルファベットのaは、01100001である(ASCIIコード、パリティビットは考えない)。文章を処理する際は莫大な文字数になるが、繰り返し処理することは、彼らにとって造作もないことなのだ。もし一文字と8bitバイナリが等価であるのなら、レポートをバイナリで書いたらA4三枚など容易いな、と思ったり思わなかったり。
(以上まえがき)


 

 
 正直去年は苦しい一年だった。
1年の頃は良い意味で無知であって、余計なことは考えずにプレーしていた。去年はオフ明けから、新しいことを沢山学んで、最初はとても上手くいっているように思えた。しかし、いくら良い思考をしたとて、実行の段階では実行技術が支配的になる。次第に頭の中でのやりたいプレーにリアルが追いつかなくなった。それによって思考の発展も抑制された。実行技術や手法を学び、またそれに必要なトレーニングをすれば良かったのにも関わらず、一人で頭の中で解決しようとした結果、何も上手くいかなくなった。最悪のタイミングでの怪我もあった。正直夏頃には、辞めることも考え始めた。そこから体調の面でいろいろあったりして、気づくとシーズンは終わっていた。達成感は微塵もなかった。本気で辞めようと思った。しかし、新人戦までは辞めることができなかった。1年生のシーズン、新人戦前に肉離れを起こし、新人戦は1秒たりとも出場できなかったから、今回こそはと思っていた。新人戦だけは出たい。そのあとの事はあとで決めることにした。
 新人戦は3試合中2試合にフル出場させてもらった。結果はご存知の通り。正直悔しさしかなかった。もっとチャレンジできた。いいプレーを見せつけたかった。1番嬉しかったのは、自分のプレーによってチームに貢献できた喜びではなく、今まで育成で共に苦労してきた大田の、日文戦でのゴールだった..。

 
 
 誰かのfeelingsで、「公式戦を戦う喜びは別格だから、皆にその喜びを味わって欲しい」、みたいなものがあった。新人戦が終わってから、それが頭をよぎった。確かに、新人戦という公式戦を戦ってみて、緊張感は練習試合の比じゃなかったし(というよりも何か別の種類のものに感じた)、いいプレーが出来た時の声援は気持ち良かったし、惜しいシュートに歓声とため息が聞こえた時、次こそは割れんばかりの歓声を聞きたいと思った。振り返ってみて、まだ公式戦の喜びを味わい尽くせてないと思った。もっとやれる気がした。自分の終点はまだ先にある、そんな気がしてならなかった。


 正直、今もそこそこ苦しさはあるけど、今までより少し正対(それは相手にだけでなく、自分の弱さにも)出来るようになったり、駆け引きの楽しさを感じたり、個人の技術としての守備やボールタッチにより意識を向けるようになったりと、既に変化は少なからずある。絶対上手くいかないことが多いだろうけど、いや、上手くなんていかないだろうけども、当分それらを正面から受け止める準備はしている。眼前に広がる景色がいつか、少しずつでも、変わることを願って、進む。



2年 東 将太

2020年2月5日水曜日

古野遼太をぶっ壊す!!!

東大に入り、そしてア式に入り早くも半年以上が過ぎてしまいました。歳をとるにつれて時間の進み方は早くなる一方ですね泣。
最近、「一年前の自分って何してたかなあ?」なんて考えることが多くなった気がします。情けないですが、現状上手くいっていない自分がいるからかもしれません。
丁度feelingsが回ってきたので、今回は僕が東大に合格するまでの人生を振り返っていこうと思います。


小学生の頃の自分を一言で表すと、「クソ真面目」
おそらく僕のことを知っている人ならば、誰もこのことを信じないでしょうが、紛れも無い事実です。
僕は小学五年生の頃から日能研に通い始めましたが、学校の授業を疎かにすることなく、宿題も必ず提出期限までに出すような子供でした。旅行先にも勉強道具は持っていくし、テストで良い点が取れないと悔しくて泣いてしまうこともありました。
そもそも日能研に通い始めた理由も「難関中学校に合格して、よりレベルの高い授業を受けたかったから」です。
我ながら志の高い素晴らしい少年ですね笑。
では、その後の六年間で一体何があったのでしょうか?


僕は鹿児島の進学校で、第一志望のラ・サール中学校に合格しました。
ラ・サールは中高一貫で、東大や医学部合格を目指す生徒の多い男子校です。
中学三年間、僕はサッカー部に所属し、CBをやっていました。いわゆる下手の横好きです。ア式のように自分たちの目指す明確なゲームモデルがあるわけでもなく、攻撃はFWの個人技頼み。CBの僕の仕事はと言うと、ひたすらディフェンスをするだけでした。ボールを奪ったらとにかく裏のスペースへロングボールを蹴り、ラインを上げる。もう一人のCBとしっかりコミュニケーションをとり、チャレンジ&カバー。サイドを変えられたらスライドする。後方から相手のマークの指示。気を付けていたのはこんなところでしょうか。もちろんプレス回避やビルドアップなんて出来ません。それに対し、ア式のCBには非常に多くのことが要求されます。客観的にはまだまだ課題はあると思いますが、僕には決して真似できませんし、本当にハイレベルなことに挑戦しているんだと心の底からリスペクトしています。


この頃からあるサッカーチームを応援するようになります。マンチェスター・シティです。まあ理由は「ダビド・シルバがいたから」という単純なものです。そのシルバもウイイレでスペイン代表で使っているうちになんとなく好きになったのですが。でも試合を見始めるとシティの奏でるパスサッカーに魅了されました。今のシティと比べると発展途上で、メンバーもガラッと変わってしまいましたが、やはり個人的にはペジェグリーニ時代が一番好きです。今年の7月に日産スタジアムでシティの試合を観たのは良い思い出です。東京に来て本当に良かった。


話が逸れてしまいましたが、そんなこんなで中学生の頃は部活に専念していました。勉強も最低限はこなしており、好成績を維持していました。


高校生になるとサッカー部を辞め、いろいろあって水泳部に入りました。ちなみにプールに入ったのは全部で二回くらいで、息継ぎも出来ません笑。これは帰宅部といった方が適切でしょう。
部活を辞めたので確かに暇な時間は増えましたが、勉強時間が増えることはありませんでした。中学生の頃は日曜日は毎週試合があってあまり遊べなかった分、友達と映画を観たり、カラオケに行ったりするようになりました。モンストやクラクラといったソシャゲにも手を出し、家に帰るとゲーム三昧の日々が続きました。さらには乃木坂46や欅坂46にはまり、YouTubeで関連動画を観てはニヤニヤする毎日。
最初のうちは今までの蓄積もあり成績が下がることはありませんでしたが、徐々に分からないことが増え始め定期試験の順位も下がっていきました。
この時にはもう既に今の僕が完成していました。極度の面倒くさがり屋。どこまでも自分に甘い。
真面目だった頃の面影はありません。


月日は流れ、とうとう高校三年生になりました。「流石に勉強しないとなあ」と頭では分かっていたのですが、なかなか手につきませんでした。勉強する習慣というものは一朝一夕には身につきません。
昨年の夏、サッカーのW杯がロシアで開催されたのは記憶に新しいでしょう。学校の先生には「受験生なんだから、絶対に観るな」と念を押されましたが、もちろん僕はほとんど全試合観ました。「受験は一年に一回だけど、W杯は四年に一回だからW杯の方が大事だよね〜」なんて本気で言っていました。
眠い時は「こんな時に勉強しても効率上がんないよね〜」と言って寝て、観たいテレビ番組がある時は「ここで我慢しても集中できないよね〜」と言ってガッツリ観ました。
高校三年生になると同時に確かにゲームやアイドルから手を引き、友達と遊びに行くこともなくなりましたが、これでは意味がないですよね。
正直こんな奴が受かる訳がないと今になって考えれば思いますが、当時の僕は本気でなんとかなると思っていました。こういう奴って根拠のない自信だけはあるんですよね。不思議です。はい、ブーメラン乙。


夏休みは図書館に毎日通い、朝から晩まで一応勉強しましたが、効果的だったかは分かりません。
夏休みが明けると最後の大イベント、体育祭への準備が始まります(先日はご迷惑をお掛けしました)。僕は応援団に入ったので、体育祭までのおよそ一ヶ月間ひたすら演舞の練習に励みました。正直この間ほとんど勉強していません。この時期の一ヶ月間をほぼノー勉で過ごすことは致命的ですが、皆その位力を入れていました。
体育祭が終わると学校の雰囲気が一気に受験モードに切り替わります。そこでようやく僕もスイッチが入りました。体育祭を全力でやり切ったことが逆に勉強にプラスに働いたのかもしれません。
この時期になると志望校を決めなくてはなりません。模試の判定はよくありませんでしたが、思い切って東大を受けることに決めました。「100%受かる大学に合格するよりも10%しか受からない大学に合格する方が面白いしコスパよくね」という浅はかな考えからです。浪人は死んでもしたくなかったのにこの強気な姿勢。素直にすごい。
ここからは一瞬で時は過ぎ、冬休みになりました。冬休みは死ぬ気で勉強していました。おそらくあの時より勉強することは一生ないでしょう。センター試験や二次試験が迫ってくる中で、自分の実力のなさに絶望し、浪人に怯え、ただただ机に向かっていました。

年が明けるとすぐにセンター試験です。緊張しましたが特にミスすることもなく満足のいく点数を取ることが出来ました。
ここで調子に乗るのが古野容疑者。黙って二次対策に切り替えればいいものの、過去の反省を全く活かさず、友達と公園でサッカーをしたり、ゲーセンに行ったりとセンターが終わった開放感からなのかしばらくの間遊びまくります。内心「もう今から勉強しても結果は変わらないっしょ」と思っていました。
そうこうしているうちに卒業式を迎え、二次試験までの間家に籠って過去問演習に取り組むようになります(正直遅すぎる)。蓋を開けてみると数学と化学が全く解けません。センターボケと不勉強の相乗効果で学力が急激に低下していました。時間がほとんど残されていない中、急に焦り始めます。浪人が現実味を帯びてきて「どうしようどうしよう」と途方に暮れました。



そんな中で僕を救った魔法の言葉、「なんとかなる」
僕の座右の銘でもありますが、何回も自分に言い聞かせ東大に合格することを信じて疑いませんでした。
そこからは二次試験の前日ギリギリまで詰め込み、無事に合格することが出来ました。歓喜の涙を流し、自分はすごいんだと自信に満ち溢れていました。


なお現在。
やはり人間は簡単には変わりません。痛い目に合わないと分からないんですよね。
世の中にはなんとかならないこともある。この半年間で身をもって学びました。


今feelingsを書いているのも期日を大幅に過ぎてしまっています。佐野さんが意図的に飛ばしてくれないかなあなんて少しだけ期待していましたが (冗談です)、そんな甘くないですね。さすがです。



YouTuberのブレイクスルー佐々木さんによると、先延ばし癖のある人は三つの最悪な事態に陥りやすいそうです。
①かえってストレスを増大させる
②集中力を低下させる
③収入が下がる
(詳しくは動画を観て下さい!)
やっぱりそういったところから今の自分を変えていきたいですね。



信じることは必要条件
1年 古野遼太

2020年2月3日月曜日

日記帳


Feelingsに何を書こうかと迷っていたけれど、結局書きたいことがまとまらない。まとまらないけれど、埒があかないのでとりあえず書き始めることにする。
皆の前に出すには恥ずかしい文章だけれどご容赦を。


私はこの11月でア式蹴球部女子を引退した。中学から大学まで合わせて部活を10年やったわけだけれど、本当は中高でやめようと思っていた。けれども、大学でも部活、サッカーをするという選択肢を選び、素敵な仲間と4年のアディショナルタイムを過ごした。今や大学から始めたサッカーが私の人生の中で一番長くやったスポーツとなっている。そして、今後も部活でなくてもサッカーを続けられる環境があるのはとてもありがたいことだと感じる。


私には運動能力が無いと悟ったのはいつだったか。中学のバスケ部だった時からもう気づいていたと思う。皆ができていることができない。フォームが直らない。シュートが入らない。練習の度に上手くいかないことに悩んだ。けれど、下手なりにも、試合の独特の雰囲気、上手くいったときの喜び、勝ったときの爆発的な興奮が好きで忘れられなかったから続けてきた。高校ではハンドボールをやった。大学でサッカーをやろうとしたのもきっと、スポーツが好きで、スポーツでしか味わえない特有の喜びを味わい、みんなと分かち合いたいと思ったからだ。もちろん、先輩方の雰囲気が素敵だったのとサッカー自体の魅力も決め手となった。


サッカーに関しても私は下手くそだった。コツを掴むのや体の使い方が苦手で、基本的な技術の上達に時間がかかる。そんな中で、DFは今までの経験を活かすことができて、OFよりも断然好きだった。上手い人達を止めた時の快感は言い表せないくらいで、すごく楽しかった。いつしかDFが自分のポジションになり、もっと上手くなりたいと思うようになった。GKも一昨年、去年と2年やったけれど手が使えることもあってか、幅が広がった気がして新たな面白さがあった。後ろからプレーを見ることで、勉強にもなった。


けれど今年の関カレは久しぶりにフィールドで出場させてもらった。正直2年間GKをやってきて自分が格上の相手に通用するとは思えなかったけれど、最後の今年は格上相手にフィールドで戦ってみたかった。そして、危惧した通りというか関カレは開幕戦の山梨大戦から大量失点で負け、その後も大量に失点し続けた。ある試合はついに30点も失った。自分にできることはやっていたはずと納得しようと思うけれど、正直落ち込んだ。振り返る度に修正点はいろいろ見つかるけれど、修正しても失点は止まらない。振り返る度に自分の下手さが浮いて見えるようだった。けれど、90分は楽しかった。思うようにならない歯がゆさはあったし、点数を取られた時の怒りはあったけれど、格上相手との駆け引きは楽しかった。本当に幸せだった。


まとまらないけれど何が言いたかったかっていうと4年間楽しかったということ。そしてサッカーをやってよかったということ。4年間はいろいろ迷惑をかけてすみません。支えてくれた方々にただただ感謝を。

 
乱文失礼しました。

サッカーが好き
4年女子部
松田

2020年1月31日金曜日

不遇こそチャンス

9月28日サタデーリーグvs東工大そこで僕は人生で初めて肉離れというものを経験した。だが、全治4週間とそこまで重くなかったことに加え、育成での公式戦も終わり新チームになる頃には治る予定であったこともあり、正直 “ちょうど良い休養” くらいにしか考えていなかった。

そして後期リーグがおわり新チームではAに上がることができ、練習が始まった。最初の一週間はロンドのみ参加しあとはジョギングなどのリハビリメニューをこなし、二週目から本格的に練習に参加するようになった。このとき僕は久しぶりのA練ということでとても張り切っていたし、自分の強みはインテンシティの高さでありその部分を練習で出さなければ自分に価値はないと思っていたため、怪我明けということを考えずに練習をやっていた。



そしてその週のTRMで同じところを肉離れした。



人生二度目の肉離れは全治8週間だった。これにより僕は冬オフまでどころか冬オフいっぱい運動ができなくなり、新人戦にも出れなくなった。正直新人戦に出れば活躍できる自信があったし、その経験が自分を成長させてくれそうな気がしてたこともありメチャクチャ萎えた。


こんなとき、読んでいた本に「不遇こそチャンス!」と書いてあった。どこにでもありそうな言葉ではあるがタイミング的に僕には刺さった。


では不遇こそチャンスとはどういうことなのか。その本によると、不遇な時や上手くいってないときは自分と向き合わざるを得ず、その自分との対話を通して新しい自分を発見できたり、自分の大事なものがわかるということだった。



そしてこの怪我を通して僕がわかったことは自分の思っている以上に僕はサッカーがとても好きだということだ。というのも怪我する前はサッカーをしたくてしていたのは確かだがサッカーの試合を観たりすることはあまりなかった。そのため僕は本当にサッカーというものが好きなのか、それとも運動することが好きであり5歳の時からやっているという理由だけで惰性的にサッカーをやっているのか自分でもわかっていない節があった。だがオフに入り、練習を見ることもなくなりサッカーと触れなくなった途端、急にサッカーの試合が見たくなり、無料だったこともありDAZNに加入し初めてプロの試合を90分しっかり見た。めっちゃ楽しかったし、めっちゃ興奮した。それと同時に自分はサッカーが好きなんだなと思った。


だが多分この怪我を高校生の時にしていてもこうはならなかったと思う。ア式に入り多少なりともサッカーの見方や戦術的なことが理解できるようになった今だからこそ楽しめたのだと思うし、もっとサッカーへの見識を深めて更にサッカーに魅せられていきたいなと思った。


この経験を通して、これまで何となくごまかしてきた大学生活4年間をサッカーに捧げることの明確な意義のようなものを見つけられたし、この怪我という経験をチャンスとまではいかなくても意味のあるものには変えられたかなと思う。



1年 伊藤 真士

サッカーの魅力

入部して7ヶ月がたった。大学と部活の両立は思った以上に大変だったが、そんな大変さを上回るくらい部活が楽しいと思えるのは自分でも意外だ。

小、中学校を通じてサッカーを続けたが、中学を卒業する頃には楽しいという気持ちよりつらいという気持ちが上回るようになった。小中学を通して一緒にサッカーをしてきた女子チームの友人たちの人生はサッカーを中心に廻っていて、案の定高校はサッカー強豪校に進学していった。サッカーを趣味としか考えていなかった私は、彼女たちと自分を比べて、自分がなぜサッカーを続けているのか分からなくなった。彼女たちを見ていると、自分が本気でサッカーに向き合っていないのではないか、そんな自分はサッカーを続けてよいのか、続ける意味があるのか分からなくなった。理由が分からなくなると続けるのも苦痛になるもので、高校ではサッカーをやめてしまった。大学でア式女子に入部したのも、正直サッカーがしたくてたまらなかったというよりは、他のスポーツを新しく始める気力がなかったというのが本音だ(新歓してくださった先輩方すみません、受験に生気をほとんど持ってかれてました笑)。

しかし今はサッカーが楽しくてたまらない。サッカーってこんなに楽しいものだったっけ、と思ってしまうくらい楽しい。先輩、同期、コーチの方々、クラブチームの方々など、一緒に楽しんでくれる人たちのなかでサッカーをするうちに、趣味としてでも真剣にサッカーをすることは可能だと気付かされた。その気付きで驚くほど一気にサッカーが楽しくなった。

純粋に楽しいということ以外にもサッカーはいろいろな魅力のあるスポーツだが、たくさんの出会いをくれるというのも魅力の一つなのではないかと最近気付いた。大学に同じ高校の出身者がほとんどおらず人間関係が希薄だった私が部活という居場所を得たのも、優しくて頼りになってバイタリティのある部活の人たちに出会えたのもサッカーのおかげである。また、クラブチームに入り、サッカー以外にも大切なものがあるなかで(仕事、学校の部活など)それでもサッカーに熱中する様々な年齢層の人たちに出会えたのもサッカーのおかげだ。

知り合いがほとんどいない東京に来て、一緒に一つのことに打ち込める人たちとこんなにたくさん出会えたのは、サッカーができる環境があったからだ。こんな素敵な場が東大にあるなんて本当にラッキーだ。私も部活の一員として、この部活を支えられる存在になりたい。

ア式女子を盛り上げるためにも、まずは関カレで目標の3勝を達成する。ディフェンスとして体をはる。10点、20点取られる試合もあるけれど、めげずに分析して次の試合では無失点に押さえるという気持ちを忘れない。出来ることから始めていきたい。


最終ラインの壁になりたい
女子部1年      村上悠紀