2017年8月14日月曜日

やっぱりサッカーが好き


私がサッカーを始めたのは小学3年生の時。2つ下の弟の影響を受けてのことだった。基本の活動は男子ばかりのチームだったが、地域の女子チームにも所属していた。とにかくサッカーが楽しかった。


中学生になると、女子のクラブチームに所属しつつ、学校の男子サッカー部の練習に参加するようになった。勉強とクラブと部活と、忙しくてサッカーが嫌になることもあった。


そんな気持ちも手伝って、高校生になると女子サッカークラブが見つからず、男子と一緒にやるのも体格的に厳しいと思い、サッカーをやめた。新たに始めたスポーツはラクロス。サッカーと似ていてやりやすいと聞いたこと、部活の雰囲気が明るかったことが決め手だった。





ラクロス部の活動は高校のグラウンドの半面で行っていたのだが、もう半分を使っているのはいつもサッカー部だった。私の密かな楽しみは、サッカー部から転がってくるボールを蹴り返すこと。体育がサッカーだと、その日は1日上機嫌。離れてみて、自分がどれだけサッカーが好きか気がついた。




そういう思いに気づいた頃、耳にしたのが東大に女子サッカー部ができたということ。私の志望校は東大になった。








 合格発表の日にア式女子のビラを貰い、春休みのうちから体験練習に参加。新歓期間の序盤に入部を決めた。



入部して3ヶ月。少しずつサッカーの動き方を思い出してきたが、まだまだ自分のプレーに不甲斐なさを感じることが多々ある。秋からのリーグ戦に向けて、体力も、技術も、試合勘も向上させなければならない。この夏は成長の夏にしたい。







忘れてはいけないのは、サッカーが好きという気持ち。


女子部1年 小倉優香

2017年8月13日日曜日

岩政大先生



今年の1月から岩政大樹さんがア式のコーチに就任しました。




昔から鹿島アントラーズの大ファンだった僕にとっては夢のようなことでした。
僕が小学生のときに鹿島はJリーグで3連覇を達成しました。(もうそんな昔なのか、、、)
いずれも最終節で優勝が決まる混戦のシーズンでした。
僕は最終節をテレビで見ながら遠い福井の地から鹿島を応援していました。





一番印象に残っているのは2009年の最終節、浦和戦です。
他会場で2位の川崎がリードしており、優勝するには勝つしかない鹿島は10でリードして試合終盤をむかえました。
浦和は同点に追いつこうと必死に猛攻をしかけてきます。
鹿島は何度もクロスをゴール前に放り込まれますが、岩政選手を中心に最終局面で体を張りゴールを割らせません。
テレビを見ている小学生ぼくはヒヤヒヤでした。
「イワマサ、ナイス!」と何度も叫びました。(呼び捨てでごめんなさい。)
試合終了のホイッスル。
鹿島3連覇達成。
「っしゃー!!」(母 :「うるさい!!家の中で叫ばないで!!」)





岩政さんから指導を受けて約半年が経ちましたが、サッカーってなんて難しいんだと痛感する日々が続いています。
今まで自分がいかに考えてサッカーをしてこなかったか。(考えてはいたつもりだけど)
プロで活躍するような選手はそんなところまで考えていたのか。
早く身につけて自分も上手くなりたいです。





PS.
小学生ぼくへ
大学生になったらイワマサ選手に会えるよ!


2年 細井




2017年8月7日月曜日

ア式のいろんな人たち

夏休みも近づき、授業のないア式漬けの生活がそろそろ始まる頃だ。一年生もア式に馴染んできたと思うが上級生との絡みはまだあまりないと思う。そこでこれから夏休み週6でお世話になる先輩たちを各分野ごとに完全主観的に淡々と紹介していこうと思う。これを読んで先輩たちとの距離を夏休みに一気に縮めよう。


イケメン部門 
1 井小路  3(暁星)
2 田中  4(筑駒
3 白藤  2(武蔵

3位の白藤は正統派イケメンである上に性格も優しい。2位の豪さんはア式のインスタでそのルックスとスタイルで圧倒的ないいね数を獲得した。1位の菖は個人的に東大で一番かっこいいと思う。グランドでイケメンを見かけたとすればまず彼らだ。



オシャレ部門 
1 佐俣 勇祐 3(
2 箭川  4(仙台第二
3 多田 憲介 4横河武蔵野FC)  

家と部室の往復になりがちな生活でもきちんと服に気を使っているだろうか?もし使えてない自覚があるならば彼らのファッションを真似してみよう。特に1位の佐俣のファッションはとても洗練されているので手本にする価値があると思う。  



声量部門 
1 日野 雅奈 3(筑駒北西 純也 4(武蔵)  

グランドに響き渡る声が聞こえたらまず彼らと判断して良いだろう。そこから先の判別法だが、審判の判定に文句を言っているのがだいたい日野でそうでないのが純也さんである。



顔面積部門 
1 島田 啓太郎 2(麻布)
2 藤山 晃太郎 3(国立
3 松坂 大和 2(藤枝東)  

存在感抜群である。 



話しやすさ部門 
1 保坂 拓人 3(聖光
2 尾上 尚太郎 4(攻玉社
3  憲之 2(武蔵

ここの3人は誰に対しても親しく接することができるので気兼ねなく喋りかけてみよう。ただし2位の尾上さんの場合には滑りそうなボケにもきちんと対応する必要あり。  



多浪部門
1 中沖  3(駿台御茶ノ水校)  
2 服部 直弘 4(暁星その他多数

堂々の1位の中沖は暁星魂の権化。ア式の長老でありコンプライアンスに厳しいので1年生のみんなは細心の注意を払って接しよう。  



ダークサイド部門 
1 山口 日向 4(聖光
2 矢崎  4()  

表記が間違っているのかもしれない。彼らは所謂ア式の裏社会だ。一年生たちはくれぐれもついていく先輩を間違えないようにしよう 



なお3年生のより詳しい紹介が知りたかったら少々古いが下のURLから見られる。

ジムに長い時間いる部門 1 
濱田 広輝 

2017年8月6日日曜日

僕がア式に入った理由

初めまして。私立武蔵高校出身、文科一類11組の大谷拓也です。ポジションはCBです。
4年の北西さん、2年の槇さん、白藤さんの中学時代からの後輩ということになります。
初めてのfeelingsということで、今回は入部した経緯と抱負を書かせていただきます。やや冗長になってしまいますが、最後まで読んでいただけると幸いです。



高校の部活を引退した時、その悔しさや寂しさと共に僕の心に湧いてきたのは、解放感でした。

僕は中1の終わりから高3の9月の引退まで、ずっと主将としてサッカー部の活動を続けてきました。

僕たちの代は素行が悪く、良くも悪くも自己主張が強いメンバーが多かったので、まとめるのは至難の業でしたし(単純に僕の力不足でもあります)、監督からは見放されており、その信頼を取り戻すのにも苦労しました。それに、主将として練習を指揮すること、試合でピッチに立つことはかなりのプレッシャーでもありました。

最終的に、チームは高3になってから心の面でも技術の面でも強くなり、見違えるように成長しました。どんどんチームが良くなる実感があった最後の半年間には、何にも変え難い喜びがありました。このチームは僕の一生の誇りです。


しかし、先にも話したように、その6年は僕にとって辛くもありました。だからこそ、引退した時の解放感も大きかったのです。これからはもう少し気楽でいられる、そう思っていました。

「大学ではサッカーは続けない」という固い意志を持って、僕は東大に入りました。

今年の3月にとあるライターさんが武蔵について本を書きたいということで、その運動部代表としてサッカー部が取材を受けたことがありました。その完成原稿を先日読ませていただいたのですが、その中に

「僕は東大ではサッカーはやりません」

という1文があります。流石にこれを見た時は赤面しました。慌てて後日談を付け加えてもらえるよう頼んだほどです。

取材という場で迷いなく言い切ってしまうほど、ア式に入らないという初心は固かった。



しかし、入学後は所属するサークル探しに苦労する日々が続きました。

いわゆる「意識高い系」の文系サークルは、特に学びたい分野も見つからぬまま東大に入ってしまった僕には敷居が高いし、興味が湧かなかったし、

サッカーサークルにも行ってみても、僕がこれまでやってきたサッカーとの温度差を感じるだけでした。練習は蔑ろにされ、ゲームでは目の前の敵にすらまともな守備をしない。ミスへの指摘も、指示の声もなく、逆にそれをすれば少し浮いてしまう。ただ"楽"をして"楽しむ"だけ。もっとシビアなサッカーをしてきた僕が入るべきは、ここではないと強く思いました。

意図せず、そして当初の固い意志に反して、ア式の選択肢が浮かび上がってきました。



文系サークルだって入ってみたら意外と楽しいかもしれないじゃん

「妥協してサークルでサッカーをやればいいじゃないか」

そう思うかもしれません。



心に残っている言葉があります。

僕が最も尊敬する先輩が、卒業試合の時に言ってくれた言葉です。

「これから先、沢山の選択を迫られるが、『これを選んだら正解』なんてものはない。何を選んでもいいから、後で振り返って『これで正解だった』と思えるように、その道で頑張ればいい」

これからの大学生活を考え、悩む度、僕はこの言葉に立ち返って考えました。

この言葉が、つまり「その道で全てを捧げて頑張れるか」が、僕の指標だったのです。

その指標に照らして考えた時、なんとなく入った文系サークルや妥協の果てに選んだサッカーサークルには、僕の4年間の未来はないと思いました。ア式しかない、と気付きました。

結局、特に悩むこともなく気楽に暇な時間を謳歌するより、細かいことで呆れるほど悩みながら、滅多に得られない、でもその分格別な喜びを得るためだけに、圧倒的に長く辛い日々を過ごす方が、僕の性には合っているのかもしれません。



とはいえ、

入学当初の確固たる意志を捨て去りもう1度自分を追い込むこと

日本の最高学府と呼ばれる東大に入ってまでサッカーに没頭するこ

思い描いていた自由な大学生活とはかけ離れた4年間を送ること

これらに決心をつけるのにはかなり時間がかかりました。

結果として、これから先の4年間への覚悟ができ、ア式への入部意志を固めたのは、5月の末のことでした。他の同期より1ヶ月も遅い入部でした。



この決断をする上で、沢山の人に相談に乗ってもらいました。ア式の先輩方、武蔵の先輩方、そして武蔵の同期と、クラスの友人たち。この場を借りてお礼を言いたいです。ありがとうございました。

同時に、仮入部という半端な状態で練習に参加していたことは、ア式という組織全体に多大な迷惑をかけてしまいました。そして何より、早くから入部を決め、強い覚悟を持って練習に励んでいた同期には、本当に申し訳ないと思っています。

相談に乗ってくれた人達に恩返しをすること。そしてア式の皆から信頼を得ること。これからの4年間を通じての目標です。

これだけ悩み抜いて入部したからこそ、いろいろなことに人一倍覚悟がついている自信はあります。



入部して2ヶ月が経ちました。

初めこそAチームに入れたものの、実力不足でいいプレーもできず、今はもう1度育成チームで練習をしています。特に最近は与えられたメニューをただ受動的にこなしてしまっているような気がします。その間にも他の1年4人は遥かにレベルの高い環境で努力していると考えれば、自分で高い意識を持って練習しなければいけない。でも、こういうことを僕に直接言ってくれる同期や先輩がいる。恵まれていると思います。

先日の双青戦、武蔵出身の槇さん、白藤さん、周平が同じピッチに立っている光景を、僕は応援として指をくわえて見ていることしか出来ませんでした。それだけでなく、他の1年には早くもスタメンで出ている者や、2ndチームで活躍している者もいます。差は開くばかりです。

夏季休暇期間が始まりました。不甲斐ない日々が続いていますが、これから、心新たに、腐らず、愚直に、高い意識を持って、努力し直します。

育成でいいプレーを見せる。Aチームに昇格する。2ndで活躍する。そしてトップの試合に出る。ひとつひとつ、目的意識を持ってクリアしていけば、自ずと結果は見えてきます。



頑張ります。

ア式に欠かせない選手になるために。

3年後、「これで正解だった」と思えるように。




1年 大谷拓也

2017年8月4日金曜日

誇れること

運動会の他部の同期が引退しはじめた。そういう話を聞くと、3月後に迫った自分の引退のことも自然と考えてしまう。




大学に入学したとき、高校までで一生分のサッカーをしたつもりだった僕は、ア式に入るつもりなどまったくなかった。大学ではサッカー以外の何かを頑張ろうと思い、新歓期には色々回ってみた。しかし、これなら4年間頑張れそうだと思うものは見つからなかった。大学生の貴重な4年間をぐーたら過ごすのだけは嫌だったので、おそらくある程度は打ち込めるであろうサッカーをとりあえずやることに決めた。



6回活動があるこの部活での毎日はたしかに充実している。少なくともやることがなくて暇、ということはない。たしかに充実はしているが、この部での3年半の間に、果たして何かを成し遂げただろうか。



1年生のときは肉離れ、骨折と怪我をしてしまい、1年間でサッカーをやれたのは3ヶ月しかなかった。部の成り立ち方などまだ知らないことだらけだったので、運営面でも何もできなかった。チームも1部から2部に降格してしまった。


2年生のとき、リーグ戦に出られるような実力はなく、ただただチームを応援することしかできなかった。チームは1年で1部に復帰したが、お世辞にも貢献したとは言えない。


3年生のとき、少しずつ試合にも出させてもらえるようになったが、結局18試合2勝しかできず、再び1部から2部に降格した。




4年生になった今季、いまのところ9試合で243分の6位。個人としても0ゴール1アシストとチームの勝利に貢献できていない。試合に出させてもらっている以上、勝つことが求められる。いくらいいプレーをしても勝てなかったら意味がない。




残りの3ヶ月で何かひとつ胸を張って誇れるようなことをして、笑って引退を迎えたい。



4年 服部直弘

2017年7月28日金曜日

入部しました


こんにちは、新一年の内倉です

最初だから、まずは入部動機を話したいと思います。







僕は九州の大分県の出身です。小学生からサッカーと勉強をしていましたが、両立できたというわけではありません、実際に高校時代では成績が落ち一浪して今年入学しました。浪人中は体を動かすこともほぼなく、体は貧弱になっていきました。





しかし、入学してさまざまな団体がある中で僕は東大ア式蹴球部に入ることを決めていました。







それはなぜかというと、自分の楽しさの価値観によるところがおおきいと思います。

一つ目は自分を律することによる喜び。まるでドMのようですが、これがなかなか僕にはいいんです。



この部でやっていくには悔しいことがたくさんあるとおもいます。それを乗り切るには自分を見つめ直し悪いところを直すために努力を重ねなければなりません。僕はそういうことをしている自分の方が家でゴロゴロ三度寝を繰り返す自分より好きなのです。





二つ目はチームで達成する喜び。これは今までの経験によるものです。



自分が生きてきた20年未満の中で、僕はさまざまな集団に属してきました。その人々がいなければ僕のさまざまな成功体験は起こり得ませんでした。小中サッカーをしてきた仲間。大分にいる友達。大分上野丘高校サッカー部。去年受験を一緒に頑張った友達。家族。





この人達と感じた喜びをもう一度わがままをいって感じたい、そんな仲間と出会いたい、それが僕の欲望だと思います。つまりは、結局自分のしたいことをしているにすぎないということです。





というわけで入部しました。これからよろしくお願いします。






1年 内倉

2017年7月25日火曜日

チャンスの順番


「公式戦に出るのは諦めた方がいいんじゃない?」

一年生の冬、先輩との個人面談で唐突に放たれたその言葉を今でも覚えている。

僕が一年生の時は「一年生でAチームに入れなければ、公式戦に出ることは難しい」と言われており、入部当初ネクストガールズ(Cチーム)にいた僕には、当然誰も期待していなかったのである。同期はと言うと、既に10名弱の人間が選抜メンバー(Aチーム)に昇格していた。

だよなー、厳しいかもなー、卒業しよっかなー、結婚発表しちゃおうかなー、と思いつつもやはり諦めきれず、こう答えたのもよく覚えている。

「いえ、必ず出られるように努力します。」



今回は、僕たちは何故努力する必要があるのか、を僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなものを書きたいと思います。



それは、「チャンスを与えられるレベルに達し、そのチャンスを手繰り寄せ、掴んだチャンスを離さないため」なんだと思っています。至極当然のことではありますが、最後のシーズンを控えた自分を初心へ戻す意味でも、きちんと書かなければと思います。





まず、「チャンスを与えられるレベルに達するための努力」が必要です。極端な話、僕が日本代表に選ばれる可能性が皆無なように、ヤマケンに彼女が出来る確率が0であるように、ある程度の実力がなければ、チャンスを与えられる、その権利すら与えられません。この「チャンスを与えられる権利」というのは則ち実力をさすので、努力によって成長することで手に入れることができます。なので、そのための努力を積む必要があります。



次に、1つ飛ばして「掴んだチャンスを離さないための努力」について書きます。

チャンスを掴んでいる時点である程度の実力は保証されていますが、もらったチャンスを無駄にしないためにも、その後の努力は非常に大切です。例えチャンスをもらっても、それに満足して努力を怠れば、一瞬で周りに置いてかれることを、僕は何度も経験しています。彼女が出来たことに自惚れて鮮やかにフラれた僕の友人はその典型です。もう一度確認ですが僕ではありません、僕の友人です。また、努力をする時も、今あるポジションをキープしようとすれば、途端にライバル追い抜かれてしまいます。常に進化し続けなければ、現在のポジションはすぐに奪われてしまうでしょう。





最後に、「チャンスを掴むための努力」について書きます。基本的に、きっかけは運によって与えられます。とくに「他人からの評価」がからむスポーツの場合、試合に出る、Aチームに昇格する等、全てとは言いませんが、運による不確定要素も大きいです。

じゃあ、このチャンスをどう手繰り寄せるのか?他人からの評価なのであれば、もはや自分に出来ることはないんじゃないか?僕も最初はそう思っていました。練習後1人で壁当てしてたってAチームに上がれる訳でもないし、必死に筋トレをしたところで試合には出れない。況してや、北西がパーマをかけたところで世間の女性は全く興味が無い。

でも面白いもので、チャンスの順番はそういう奴に回ってくるものなんです。20年弱のサッカー人生、そんな光景を何度も目にしました。秋元康先生の書いた歌詞に「運はがむしゃらの味方」というものがあります。当にそういう事です。さすが大先生。



こんなものは非科学的な暴論と言われてしまえば何も言い返せませんが、それでも僕はこの類の努力を信じています、信じていたいです。

だから僕は更に成長するため、もっと言えば昇格のチャンスを手繰り寄せるためにも、僕のできる全てのことをやろう思います。



ビブスの順番、回ってくるの早くないですか?



四年  生駒里奈生誕委員グッズ部門所属 武田康平