2019年4月2日火曜日

絶対後悔しないための決断の方法

高校2年生の最後だったか、高校3年生の最初だったか、今となってしまえば細かいところの記憶は曖昧なのだが、とにかく自分はそこで、人生で最も大きな決断をした。「サッカーを辞める」という決断だ。

「受験生向けに記事を書いてくれ」という今回の企画を受けて、当時のことを改めて思い返してみたが、中学校からアントラーズの下部組織で活動して、自然とサッカーが生活の中心であり続けてきた当時の自分にとって、その決断を下すのは、それはもう大変な勇気と、後悔と、そして何より決意を必要とするものだった。

なぜサッカーを辞めることに至ったのか、ということに関しては既に何度かFeelingsなどを通じて書いてしまっているのだが、改めて振り返っておこう。
 
高校への進学に伴い、度重なる幸運と偶然の結果、鹿島アントラーズのジュニアユースからユースに昇格することが出来た。
1年の時には、更なる幸運が重なり、Jリーグ選抜なんてものに選ばれたりもしたのだが、自分はサッカーというスポーツを何一つ理解していなかったので、そんなたまたまも長くは続かず、2年の時にはほとんど試合に出られず、プロを狙うという目標からはかけ離れた立場に甘んじていた。
 
当時の自分が、文化の違いに苦しんでいたのは間違いない。
中学まで住んでいたつくば市は、筑波大学や国立の研究所が並び立つ計画都市であり、子供達の学力平均はおそらく国内でも有数であり、非常に平和な街であったのだが、アントラーズユース入団に伴い寮生活をスタートさせた鹿嶋市は、それとは対照的に学生の多くが大学に進学することなくそのまま就職する(もっと言えば中卒でキャバやったりするような子も多かった)ような街であったので、それまで自分が経験してきた環境とは全てが違っていた。
 
サッカーに関しても、想像以上に厳しかった上下関係は生意気な自分にとってはかなりのストレスだったし、高圧的で威圧的なスタッフとの関係も構築が難しかったし、何よりチームメイトが意外とサッカー好きじゃなかったのが辛かった。
練習が終わると、サッカーのプレーや駆け引きの話ではなく、今度遊びに行く女の子の話ばかりしていたその雰囲気は、「ユースに行けば、サッカーまじで上手い人と寮でずっとサッカーの話が出来そう!」と無邪気に期待していた自分にとってはとても残念だった。
 
今思えば、つくばという温室育ちの自分にとって異常に映っただけで、割とどこにでもありふれた「サッカーっぽい」雰囲気であり、あの頃の経験があるからこそ今の自分があると自信を持って言えるが、少なくとも当時の自分にとってストレスであったのは間違いなかった。(サッカー上手い子がもっとサッカー好きになったら良いのに、という思いだけは今でも変わらないし、それが指導者をする自分のモチベーションの一つだ)
 
しかし、自分が高校時代を失敗だと認識しているのは、そのような環境要因を体の良い言い訳にして、甘い自分を正当化したからだ。
当時の自分はとにかく甘く、与えられた環境の中でベストを尽くすことも、自分がより良いと考える環境へと変えていくために声を上げることも、何もしなかった。そもそも何にも考えてなかった。
あんなになりたかったプロのサッカー選手に、一番近いところにいたのに。
 
そんな自分の甘さに嫌気がさして、そのまま大学でサッカーに時間と情熱を投資したとしても、その先に豊かな人生は待っていないような気がして、悩みに悩み抜いた末、人生を賭けると決めていたはずのサッカーに、別れを告げることにした。
 
さて、受験生企画であるので、ここからは多少自分の勉強について話をしておこうと思う。
まず、鹿島アントラーズユースの提携先であったために進学した高校は、あまり勉強に熱心なところではなかったので、サッカーを辞めて勉強を始めた自分は、ほとんどの科目を1から始めなければいけなかった。
 
具体的に言えば、3年開始の時点で、数学が2Bまで一通りは解いたことがある以外は、センターの英語は100点行くか行かないか、その他物理、化学、古文、漢文、数学3C、倫理政治経済の全てを予備知識ゼロの状態で始めるという状態だった。
今考えると中々に狂っているスタートだ。
 
こんな事情もあって、1年目はまあそこそこ勉強時間も確保し、それなりに頑張ったと思うが、結果は不合格。
 
結果だけ見れば8点差という、それなりに健闘した感じになったのだが、実感としてはまあそりゃ落ちるよな、という感じで、分からないこともまだまだ多かったし、あまり自分の中でやり切ったという感じはしていなかった。
もう一年こんな生活を続けるのは遠慮したかったので、早稲田か慶應に進学することでほぼほぼ気持ちは固まっていたのだが、色々な人に説得されるうちに、自分の中でのこの「やり切ってない感」が気に入らなくて、最終的に1年間の浪人生活を決意した。
 
 
まあまあぎりぎりで落ちた自分にとっては、正直言って1年間あれば合格できるという手応えもあったので、浪人の時はみんなほど勉強漬けというわけではなかったのだが、その代わり、と言っては世の受験生に怒られるかもしれないが、1年間という長い時間をかけて、様々なことについて本当に深く考え抜く時間を持つことが出来た。
 
自分が浪人生活で得た最大の収穫は、この「考える時間」を大量に確保できたことだろう。自分はどういう人間で、どのような考え方をするのか、ユースではなぜ自分は上手くいかなかったのか、など、多くのことについて考えることが出来た時間は、大学に合格したあとでも貴重な財産になった。
そして、1年間の浪人生活の末、自分は東京大学理科一類への入学を許可されたのであった。
 
 
ここまで受験に関する経緯を書いてきたが、大好きだったサッカーに別れを告げ、2年間の準備期間を経て東大に入学した自分が、もう一度、今度はより強い思いを持ってサッカーに携わることになろうとは、東大を受験することを決意したあの時には全く予想していないことであった。
振り返ってみれば、サッカーという観点で見ればかなり大きな回り道をして東大に入学してからサッカー界に戻ったことは、自分の大きなサッカー人としてのキャリアから見れば、もしかしたらプラスに作用しているような気もする。
 
人生とはこんなもので、何がプラスに働き、何がマイナスに働くかなんて、その時点では大抵分からないものだ。
分からないものなのだが、だからこそ人はその瞬間の決断を不安の中で下すし、その決断が納得いくものであるかどうかは、後に降りかかってくる行動の結果ではなくて、そのときにどのようにして決断を下したか、でほとんど決まるものだ。
だから、今受験のことで悩んでいる人々や、もっと言えば当時の自分に、一つだけ今の自分が伝えられることがあるとすれば、それは「もっと考えるべきだ」ということだろう。
 
 
例えば、自分がアントラーズユース、そして東大受験、さらには大学のサッカー部での生活を経て気付いてきたことは、「自分はガムシャラに何も考えずに努力するということが本当に出来ない人間なのだ」ということだ。
「走れ」と言われてもそれは何故なのかが気になってしまうし、もっとラクして同じ結果が得られるなら自分は絶対に動けない、そういう人間なのだ。
だから、ユースの時、「全てを犠牲にしてサッカーにその身を捧げろ」と言われてもしっくり来なかったし、そうしない方がパフォーマンスが上がっている実感があった。
 
いや当然、自分でもその傾向には気付いていたのだが、それは自分の「個性」なのか?それとも「課題」なのか?ということが分からなくて、何となく周囲の人間の評価を鵜呑みにして自分はダメなやつなのだ、と決め付けてより堕落してしまっていた。
 
しかし、指導者をするために勉強していく過程で、メンタルの充足はパフォーマンスに大きな影響を与えることを学んだし、それは少し考えれば近年の「働き方改革」などとも容易に結びつけられることであり、自分が感じていた違和感は至極真っ当なものであったと今なら言える(もちろんそれでストレスを感じにくい人もいる)。
 
 
このような事例は世の中であまりにも多く見受けられる。
受験生を指導する生徒指導の先生は、君に「部活を続けないで早く勉強すべきだ」と言うかもしれないし、志望校の変更を強く進めるかもしれない。
学生は簡単にそれを「口うるさい」と毒づくが、
先生は何故そう言っているのだろうか?
自分は一体どうしたいのだろうか?
部活をやりながらも進学校に合格したいと思っているのならば、それを達成する方法は何かないのか?
さらに君はプライベートも充実させたいと考えていたとする、ならばそれすらも両立する方法はないのか?
先生はどのように説得すれば?
それらの方法はどのようにしてリサーチすればいいのか?
これくらいのことは当然のように考えているのか?
 
そもそも、君は本当にその進学校に行きたいのか?
君は本当にサッカーが好きなのか?
自分が好きなものは何で、他のものではない理由は何なのか、考えたことがあるだろうか?
 
 
自分の経験で言えば、物理であり、数学であり、自分が興味を持っていた分野の勉強はもっと早くから始められたが、なんか恥ずかしくてそれをやらなかったし、サッカーを考えるという文化が希薄なユースにおいて、「イニエスタのプレーを研究してます」というのを胸を張って努力だとは言えなかった。それどころか自分は、「まあいいか」とあらゆるものに対して妥協を覚え、自分の甘さを許容する理由にしてしまった。このことを今でも後悔している。
 
勉強をしたいならすべきだし、サッカーがしたいならすべきだし、どこかに遊びに行きたいなら行くべきだ。それらを全部やりたいのならば、何をどのように行わなければいかないのか、調べ、考え、実行すべきだ。
その過程で、人は物事を知り、自分を知り、進んでいくものだ。
自分の望みを知り、それを叶えたいのならば、これらのことを意識的に行わなければ、それが叶うかどうかは偶然に左右されてしまう。
 
 
「人間」という動物の本質は、「社会的な欲望の追求」だと考えている。それがなければ、人間は他の動物と同じように種の生存こそが第一の目的になるはずだからだ。そうではなくて、人間は、自分の人生を通して何かを残そうとするし、仕事帰りに「自分へのご褒美」と称してシュークリームを買ったりするのが、実は何よりの幸せだったりもする。
人は欲望を追求し、それを手に入れることで満足感を得る、たとえそれが小さな出来事であろうと。
ということは、人間はより強欲に生きるべきであるし、それを達成するための努力を惜しまないべきである。それが人生の目的になるし、それは「夢」であり、日常の満足感だ。
だから、もっと考えよう。自分の一回しかない人生のもう戻って来ない今を、最大限後悔しないものにするために。
 
自分はこれに気付くまでにだいぶ回り道をしてしまったが、この記事を読んでくれている人がいるとしたら、車輪の再発明をする必要はない。
大いに欲張って、大いに考え、大いに努力し、自分の感じる幸せを、ぜひ享受して毎日を過ごしてほしい。
大変なことも多いと思いますが、頑張ってください。応援しています。




コーチ 山口遼

2019年3月21日木曜日

武蔵イズム

受験生の皆さん、東大受験お疲れ様です。そして、高校生の皆さん、部活と勉強の両立は出来ていますか?僕ももちろん皆さんと同様にサッカーをしながら勉強をしてきました。
新入生としてア式に入部すると、よくある質問として「いつまでサッカー続けたの?」とよく聞かれます。この質問の本意は「いつ部活を引退して勉強に専念したの?」ということです。中には高2で引退した人も、インターハイで引退した人も、選手権までサッカー続けた人もいます。選手権まで続けて現役で合格したやつは東大の中でもかなり尊敬されます。自慢ではないですが、僕もその1人です笑。
とはいえ、やはり選手権まで続けて現役で東大合格するのが理想であることは間違いありません。なので、今回は僕が歩んできたサッカー人生を勉強の面と絡めながらお話ししていきたいと思います。これを読んでくれた受験生、高校生に少しでも影響を与えられたらと思っています。




僕がサッカーを始めたのは5歳の時です。幼稚園の子達と共にサッカークラブに入りました。それからは暇さえあれば友達とサッカーをするようになりました。

中学は武蔵中学校を選びました。武蔵の文化祭に行った時に、その広大な人工芝グラウンドを見た瞬間に決めました。勉強しつつもやはりサッカーが存分にできる環境で過ごしたかったので、一切迷うことなく武蔵に入るために勉強しました。
中学時代は全然勝てませんでした。都大会出場を目標に練習していましたが、目標には程遠く、都大会を経験することなく中学サッカー生活を終えました。

高校生になり、いよいよ部活が本格的になりました。武蔵はAチームBチームといったカテゴリー分けを行わないため、高1のときは先輩たちに毎日しごかれていました。特に2個上の人たちは本当にサッカーが上手く、都大会に何回も出場していたため憧れていました。
高2になると徐々にスタメンに食い込んで行けるようになり、高2の秋に先輩が引退してついに自分たちが最高学年になりました。色々あり主将に任命され、この1年間は部活に捧げることを決めました。目標を都大会進出にして、初めての公式戦である新人戦に挑んだところ、地区大会を全勝優勝し、都大会も勝ち進み、結局都ベスト8まで勝ち進みました。まさか自分たちがこんなに強くなっていたとは思ってもいなかったので、自信がついたと同時にさらなる高みを目指したいという欲が出てきました。これが高3の4月半ばのことです。

続くインターハイ、関東予選(新人戦)でベスト8だったので都大会のシードからスタート。これをまた勝ち進み、迎える都大会の1次予選決勝、延長戦の末敗れ、都ベスト18止まりとなりました。これが高3の5月末のことです。




インターハイ後の1週間、ここで訪れるのが部活を辞めるか辞めないかの決断です。




我ら武蔵高校は一応御三家として、日本屈指の進学校と昔から言われてきたため、高3の夏になるといつもふざけているみんなも流石に勉強をし始めます。インターハイが終わるのが5月末、ここで辞める決断をすれば勉強に没頭することができ、辞めない決断をすれば早くても8月末、都大会に行けば9月10月まで部活を続けることとなります。


結論から言うと、同期12人中辞めたのは2人、10人は夏休み中ずっと部活をしていました。

自分は正直一切悩みませんでした。理由はベスト4の壁に挑戦したかったから、もう1つの理由は部活をしても学力が低下しない自信があったからです。辞める理由がない。


ここで、この時期までの勉強について見ていきます。


武蔵は中高一貫校なので、中学時代はあまり勉強せずに遊んでいました。
しかし、高校生になると、徐々に勉強も意識するようになりました。なので、高1の始めに授業とは別で英文法の勉強を始めました。これのおかげで英語は人よりだいぶできるようになったのを覚えています。そして高1の秋から英語と数学を塾で学び始めました。志望校はとりあえず東大に設定して勉強していましたが、自分にとって頭良くなることよりもサッカーが上手くなることの方が大事だったので、あまり勉強に力は入れませんでした。

高2になると、サッカーへの姿勢は高1の時と比べてあまり変化はありませんでしたが、サッカー部同期の勉強への姿勢は変わっていきました。
この時期はとりあえずいい大学行きたいなと思い、みんなとりあえず東大を志望していたと思います。そして、それを現実のものにするためにひとりひとり今何をすべきかを考えていました。例えば、同期の中で一番頭いいやつは休み時間に必ずチャートを開いて勉強したり、シス単を1週間に70個のペースで覚えて高2の段階で英単語をマスターしとくみたいな。


サッカー部の良かったところは、その個人の努力を見ていたし、お互い頑張ろうとしていたこと。そして高2の時点で「決断の時期」を知っていたこと。


高2くらいだと人前で勉強するとよくからかわれます。でも、からかいつつもこいつみたいにやらなきゃと思っていました。実際、シス単の進捗は部室でみんなさりげなく言っていたし、時間のあるときは問題を出し合っていました。

なぜ高2の時点でそんなにみんなで勉強の話ができるのか。正直ほとんどの高校生は勉強の話を避けたがるでしょう。その答えは「決断の時期」の存在です。

来年部活をやめるべきか判断する時期が来る。悩む人はサッカーを続けたいけど勉強しなきゃいけないから悩むのであって、結局は大好きなサッカーを続けたいとみんな思っているはずです。
サッカー部への入部理由はもちろんサッカーが好きだから。それは、たとえ練習がめっちゃキツくても全員心のどこかに眠っている感情です。そして、「決断の時期」でも同じ。突然、生活の中心だったサッカーが消えるとなると全員悩むに決まってます。
じゃあ勉強と部活両立すればいいじゃん、これが高2の時に考えた結論です。すごい単純な考えだけど、これができれば誰からも文句を言われない最適解です。
だから、高2の時点で、サッカーを選手権まで続けて東大受かればいいんでしょ、というスタンスで、勉強を頑張っていました。これは自分だけじゃなく、サッカー部同期全員です。過半数が勉強していれば残りの人も勉強する、これで全員「決断の時期」で悩まないための「環境」を作ったのです。


サッカー部を辞めないと決めた10人は夏休みの午前を部活に注ぎました。だからと言って、全然勉強できないわけではありません。サッカーが一番うまい同期は部室に1つしかない机を陣取って、毎日のように音楽を聴きながら勉強をしていました。他の奴らも世界史や日本史の何かを読んだり、問題出し合ったり、何よりお互い今どの範囲を勉強し、どういうやり方で勉強しているのかを話していました。
たしかに勉強時間的には他人より少ないかもしれない。しかし、その仲間意識があるからこそ勉強効率の上げ方をみんなで共有できる。自分が今どれだけ勉強できていないかを身近に感じることができる。これってひたすら一人で勉強するよりよっぽどいいことなのではと思いますけどね。

結局最後の大会は地区大会で負けてしまい、部活は8月いっぱいで引退しました。最後の試合はT4リーグの最終戦で、高3全員出場した上で勝利し、首位でT3リーグへの昇格を決めて高校サッカーに別れを告げました。正直楽しすぎた。出来ればもっと続けたかった。この時期は正直勉強なんてどうでも良かったけど、引退してからは必死に勉強しました。


で、受験の結果はどうだったの?

僕たちは、選手権まで続けた10人中5人が東大に受かり、1人は私大医学部に合格しました。自慢の同期です本当に。1年後浪人でもう2人東大に合格したので、10人中7人が今東大に通ってます。ちなみにインターハイ後に辞めた2人は東大に行けませんでした…


何が良かったのか?

それは明らかに「環境」でしょう。

自分たちは高2の段階で「決断の時期」に備えた勉強をする「環境」を構築していた。だから高2の時点でサッカー部はすでに頭のいい集団になっていた。
この「環境」の凄いところは、与える影響が同期にとどまらず、下の代にも影響するところである。
先輩たちが部室で勉強していたら後輩たちはどう思うだろうか。ましてやサッカーが一番うまいやつが部室の机でいつも勉強していたら後輩たちも勉強を意識せざるを得ないだろう。先輩たちの過半数が東大に合格していたら後輩たちはどう思うか。先輩たちのようにサッカーを続けながら東大に入るために、後輩たちも東大を目指して勉強するであろう。

多くの進学校のサッカー部はインターハイで引退する場合が多い。これの本当の理由は勉強に関するところにはない、と僕は考えている。
これの本当の理由は先輩たちが築き上げた「環境」のせいではないか?先輩たちはインターハイでたくさん引退するから俺らもインターハイでやめよっかな…とか単純に考えてるのではないか?



本当にそれは本心か?



サッカーを続けたいならそんな「環境」壊せばいい、変えればいい、そして両立できることを証明すればいい。先輩たちが作り上げた「環境」「流れ」なんかに自分の理想が負けんじゃねえ。武蔵だって俺の3個上まではほとんどインターハイで辞めてたし、俺の1個上までは東大合格者なんて1人いるかいないかだった。
それはどうせ東大とかいけないと無意識のうちに考えてるからではないのか?俺はサッカーを最後まで続けても東大に行きたかった。だから高2のうちから努力して、東大にあまり受からないという既存の「環境」を壊し、サッカーを最後まで続けて東大に受かるという新しい「環境」を築き、それを証明して新たな武蔵の「環境」とした。
このおかげで武蔵では選手権まで続けて東大に入れると全員本当に思っています。頭が良いしかつサッカーが好きな人はこれを目指すべきだと僕は感じるので、多くの高校生がこの「武蔵イズム」を構築してくれることを祈ります。




僕は東大に入ってもサッカーを続けています。理由はサッカーが好きだから。それも勝利に向かって本気で練習して本気で試合してこそ得られる勝利の喜びを味わいたいから。じゃあ部活入るなら他にやりたいことできなさそうだねってか?できるさ。部活もやるしバイトもできるしインターンもできる。したい勉強もできる。したいことが2つあるなら、どちらを選択するかで悩むのではなくまずどう両立するかで悩んで欲しい。そして、自分の好きなことを手放さないで欲しい。

今年は武蔵サッカー部から現浪合わせて5人以上受かったらしいです。それもみんな選手権まで続けた人たち。自分たちの代から始まった「武蔵イズム」が継承されていることを誇りに思います。そして次の世代にも、武蔵だけでなく他の高校のサッカー部にも、この「武蔵イズム」が定着することを祈っています。

引退feelingsの謎作り始めたこの頃
新4年 副将 槇憲之

2019年3月20日水曜日

消えたモチベ


先日幼馴染と久々に会って話をする機会があった。その幼馴染は、勉強面で幼稚園からの良きライバルって感じで、高校に上がってからも色々将来について話し合ってた、そんな仲。

「今の大学で学んでることは本当に自分が学びたいことじゃない。だから大学を辞めて海外の大学に入学することにした。」

彼のこの言葉を聞いた時、凄く嬉しかった。高校時代までは割と周りに流されやすい感じがあったから、普通の人ならチキってしまうような大胆な決断を下した姿をみて、逞しくなったなーって本当に嬉しかったし、自分の思ってることを話す様子もめっちゃかっこよかった。

そういえば、私も昨年の新歓では、運動会の先輩方に「部活に入って留学とかって行けますかね?」と片っ端から聞いていた。両親が大学入ったら留学した方がいい、っていう"行けいけ押せ押せ"感があったし、刺激を受けるいい経験になるのかなーって、2、3年のうちに留学することを漠然と思い描いていた。


今は?


正直全然モチベない。

ってことを、その幼馴染と話してる時に気づいた。あ、私留学に意味を見いだしてないなって。留学に行かないって言える明確な理由ができてた。

語学学習はもともと留学の理由に入ってないし、大学に入って留学するなら何か向こうで学びたいことがあるから行くもんだろうって入学して何ヶ月かたった頃に思ったのは覚えてる。そこから、なーんか学びたいこと見つかるかなぁーってテンションで大学生活送ってた。東大のいい所はほんとに、1年の間は色んな授業受けれることだと、幼馴染の話を聞いて実感した。普通は教臨心と経済とか両立しないんだって。みんな割とこの授業が楽しい!この方面に進みたい!ってのを持ってたりするけど、いろんな授業受けて私が気づいたのは、自分はそこまで「学問を学ぶ」ってことに興味が湧かないってこと。ほんとに楽しそうに学問を学ぶ人のパッションを間近に見てると、自分はここまで没頭は出来ないかなぁって思った。

大学はやりたいことを見つける場所!ってよく言われる。半分正解で半分間違ってると思う。もし私がこのア式蹴球部に入ってなかったら、私にとって、この命題は偽だったかもしれない。ア式に入って、色んな仕事に関わらせて貰えたから、うん、そうだよねって同意できる。

結論を先に言うと、私は「運営」と「広報」が好きだ。一重にこれは学連の影響。両方とも、確かに学ぶことも多いけど、学問云々ではなくて断然実践型。能率・効率、企画力、遂行力、想像力とかを発揮する方。何かをしたら、やったことが目に見える形で現れるし、運営側の存在は無くてはなにも始まらないからやりがいも感じる。学生だけでそれぞれ役割分担して、大学も学年も違うけど皆で協力して0から1にする感じがなんか好きだなぁって思う。その中で、偶然ア式で広報に関わってたからってことで学連でも広報に配属されて、すごいかっこいい画像を作れる先輩に出会えて、見様見真似や本買ったりとかで自分のスキルアップが出来て、新歓パンフも任せてもらえて。正直大変だったけど、キャパってても楽しいって思える広報の仕事で良かったなって思う。

彩さんが引退される前の面談で、「広報」について聞かれた時、自分は上手く答えられなかった。


誰のための広報なのか?
広報の目的は何なのか?
どういう広報にしたいのか?


春歌のfeelingsで気付かされたけど、目の前に目に見えるタスクが積まれていると、それをこなすことを目的と履き違えて自己満しがちだし、目に見えないその先の目的とか意義とか考えることを疎かにしてしまう。正直広報って、無くても部活や学連は機能はするし、割と自由度の高い部署であるぶん、手の入れようも抜き用も構成員次第的なところもあって、そこらへんのビジョンを明確にしてないと直ぐに迷子になってしまう気がする。

学連ではTwitterのフォロワー数5000突破っていう明確な目標があって、ア式では今でこそブランディングっていう大きな目標が掲げられているけど、当時入りたての私にはそういう具体的なビジョンが見えてなかった。そういうビジョンを見出す必要性もあまり理解出来てなかった。最近は、遼さんのブランディングに対する意識とか、広報でのミーティング、プロのサッカーチームのインスタとかHPを見漁ったこともあって、広報が、それこそチームのイメージを自在に操れるってことを身をもって知った。組織外の人がその組織を知る唯一と言っていい程の手段というか、例えて言うと、窓が1つしかない家を覗いて見えるその部屋の様子なんだって。確かに無くても組織は機能はするけど、やると決めた以上はかなりの責任が伴うものなんだなと。それに気付くのに入部からこんなにも時間がかかってしまった訳だけど、やっとこさ気付くことが出来ても常に意識することはやっぱり難しい。2月半ばくらいの、タスクに追われてた自分に聞きたい。


画像を作ることを目的と履き違えてなかった?
出来た画像をかっこいいって言ってもらえる自己満に浸ってなかった?
他の部署との連携は上手くいってた?
ちゃんと広報以外のことも考えられてた?


ぶっちゃけ反省。タスクが一段落した今、春歌のfeelingsを読めてほんとに良かった。


加えて、自分は広報の構成員である以前にア式のマネージャーであり、学連の構成員だ。


マネージャーとしてプレーヤーや部内のこと考えられてた?
副幹事長って立場から、ちゃんと全体を見渡せてた?
組織内環境に気を遣えてた?


これまた反省。成果が確実に現れる自分と比べたら、それさえも保証されないプレーヤーの肉体的・精神的疲労の方が遥かに大きいはずなのに。運営だって、運営をしているという自己満に留まらずに、ちゃんと組織のこうあるべき姿を思い描いて動かないといけないはずなのに。

最近、人間の自己承認欲求の強さをひしひしと感じる。褒めて伸ばす小学校卒業しちゃったら、中学くらいから出来て当たり前みたいになって褒められることもどんどん少なくなっていくものだからしょうがないけど。だからこそ自己満に走るのかもしれない。努力してる自分に酔いしれるな、って言葉を聞く度に、割と他人事のように思っていたけど案外当てはまってしまうものなんだなぁって。自分も小さい頃から、自分が満足いく水準にいないと許せないっていうか、優越感感じてないと勉強とかモチベ上がらないタチだったし。東大入ってからは流石に優越感も感じずにでも勉強しないといけない環境だけど(だから勉強モチベ無いのか?笑)、だからこそ自分に出来ることあったら調子乗っちゃってんだろうな、とも思う。まぁ止められないんですけどね。

話が逸れたけど言いたいのは、自分のやりたいと思えること、自分が好きなことは今ここにあって、それでもまだまだ未熟で、学ぶべきことや成長すべきところが沢山あるっていうこと。そして、この学ぶべきことや成長すべきところっていうのは、実在する組織ありき、自分の責任感ありきの上でのみ成立するのであって、留学して英語で学問的講義を受けたり、架空の設定のもとでディスカッションをしたりしてもいまいち現実味に欠けるというか。

自分のやりたいことができる環境に幸運にも私は居ることができてるから。責任もって良くしていきたいって思えるア式があるから。

だから私は留学にモチベがない。





って親に言いたい。

そうこうしているうちに2女だよほんとに
新2年 マネージャー 平岡弥久

2019年3月16日土曜日

受験とア式

受験シーズンも終盤に迫り、東大の合格発表もあった。これを読む人には自分の志望した大学に受かった人もいるかもしれない。その人たちはおめでとうございます。残念ながら、自分が志望した大学に受からなかった人もいるかもしれない。浪人して1年後に再挑戦する人は腐らずに頑張って欲しい。



約2年と3ヶ月前、僕は高校の部活を引退して、約1年間の受験生活が始まった。実際の模試の結果で見える以上に精神的には苦しい1年間となったが、その中で、最後まで実力の定着にこだわり、そして2018年2月26日英語の試験の最後のやめの合図まで自分を信じ続けた結果、2018年3月10日無事現役で合格通知書を受け取ることができた。ついでに、試験で全力を尽くせた分、試験から合格発表までの間は不安というより、これで落ちたらしょうがないという気持ちでいられたものだった(勿論合格していてほしいと願ってはいたが)。



入試で大切なことは何か。僕は「基礎」、「思考」、「表現」だと思っている。基礎が大事なのは言うまでもない。微分積分の公式や考え方を覚えてない人が試験でその類の問題を見ても解けるはずはない。逆に例えば漢字をしっかり覚えていれば、東大の入試でも国語で6点は取れるように基礎さえ押さえていれば解ける問題もたくさんある。


二つ目についても平成31年度東京大学入学者募集要項(前期課程)を見てみると、国語こそ「思考」という言葉は使われていないものの、
地歴公民では「知識を関連づける分析的『思考』力」
数学では「数学的に『思考』する力」
理科では「原理に基づいて論理的にかつ柔軟に『思考』する能力」
英語では「批判的な『思考』力」
が要求されているのがわかる。そう、入試本番では考えることが大切だ。「この設問は何を聞いているのか」「どの公式を使えばいいのか」「何が分かれば答えまで導き出せるのか」「どうすれば、より簡単に答えまで辿りつけるか」積み上げてきた基礎を組み合わせながら、思いつく限りの解き方を試して、何とかして答えを出す。応用問題など所謂難しい問題を解くときに必要な能力である。


三つ目、これも平成31年度東京大学入学者募集要項を参考にすると、
「それを正しく明確な日本語によって表す『表現』力」(国語)(※それとは文章を筋道立てて読みとる読解力のこと)
「論理的『表現』力」(地歴公民)
「数学的に『表現』する力」(数学)
「自然現象の総合的理解力と『表現』力」(理科)
「英語による発信力」(英語)
が要求される。当然のことながら答え(とそこに至るまでの過程)を正しく導き出しても採点者に伝わらなければ意味がない。当然数学の証明問題のようにそれぞれの科目でこれは説明しなくてもいいとかこれは自明じゃないから説明なしに使ってはいけない約束事というのがある。答案を書くときにはこれは説明しなければいけないことかよく考えなければいけない。



最近こういうことを考えたとき、広く言えることでサッカーでも同じことが言えることに気づく。トラップ、パス、ドリブル、シュートなど「基礎」技術を磨きそして戦術というチームとしての「基本的な」戦い方を理解して、それに則りながら、相手の出方を見ながら最前の選択を「思考」して、プレーを選択し、味方と息が合わないなら、自ら選択したいプレーを「表現」して伝えイメージを共有する。これらをやって初めて持続可能なあるいは悪い時に持ち直せるサッカーの試合ができる。自分の現状を見直すと反省仕切りの言葉しか思いつかないが。。。学年を新たにする前に初心に戻り再認識してまた練習に一から挑もう。




新2年
河渕 貴行

2019年3月15日金曜日

独白 〜藤と淡青〜




自分にとって勉強というものは、元々はサッカーにおいてある場所へ辿り着くための手段でしかなかった。






小学校2年生から静岡県は藤枝市に住んでいた僕にとって、その存在は日常生活の一部であり、そして憧れで、いつかあそこに行くと特に意識もせずいつのまにか思っていた。敢えて意識した瞬間があるとすればそれはやはり、国立競技場で藤色のユニフォームを纏い全国大会の決勝を戦う姿をその目に焼き付けたあの時か。その時僕は改めて、プロになりたいということと同じくらいあの藤枝東高校で全国制覇を成し遂げたいと思った。



ア式の中で高校の偏差値順に並ぶとほぼ最下位タイになってはしまうが(そもそも都会と田舎で教育水準・環境に格差がありすぎるので入試では10点くらいハンデがあってもいいのではないかと本気で思っている)、僕が住んでいた地域ではそこそこの進学校だったこともあり、藤枝東に入ると決めた頃から小学生にして「文武両道」というのが僕の生活スタイル?モットー?座右の銘?My rule?になった(まあ元々勉強は好きではあったが)。サッカーは少年団、トレセン、スクールと掛け持ちながら、Z会のような通信教育をやったり塾に通ったり(あとあんま関係ないけど一応ピアノとか書道もちょびっと)。地元一できる奴だと聞いて噂の種になったりはしなかったが、同じく藤枝東から東大に進んだ脳科学者の池谷裕二さんをかつて教えていたという、小さな塾の大きなおじいちゃん先生からは小6にして「お前はサッカーを辞めれば東大に行ける」とか言われたりもした、そんなバカな。

(先生、結局僕は高校までサッカーをやって東大に合格しましたよ。そして先生が大好きだといつも言っていた京都の桂離宮にも東大の実習で行けました。めちゃくちゃ美しかったです。)

ごめんなさい。話が逸れました。


ただ、小学校中学校と僕がしていた勉強はあくまで、「藤枝東で『サッカー』をするため」の勉強だったので、例え当時開成とか麻布に合格できる実力があろうが(まあたぶんなかったけど)、将来東大に受かるポテンシャルがあると言われようが、そんなことに微塵も興味は無かった。『まちづくり』とか『里山』とかなんとなく勉強というか学問そのものへの興味も湧いてきてはいたけど、想像してみた10年後の自分はサッカーの世界にいた。



そんな僕にとっての勉強が「サッカーのためのもの」ではなくなったのは、その藤枝東高校に入学して以後のことだ。今東大生としてこの文章を綴っていることからもわかるように、結局僕にとってこの高校に入ることは勉強面では大した障壁にはならず、首席で入学を果たす訳だが(調子乗ってすみません)、ここで僕は「藤枝東でサッカーをするための勉強」をする必要がなくなった。やっと目的の場所に辿り着いてサッカーに集中できるようになったはずなのに、むしろここから僕の意識は「東大」に向かうことになる。

なぜか。

サッカーが全く通用しなかったからだ。

体力的にも技術的にもまだまだ未熟な僕は毎日のように打ちのめされ、小中と憧れてきた目標が実現不可能に見えてしまった。今考えれば入学したての推薦でもないぺーぺーが最初通用しないのは至って当たり前なのだが。それでも必死に食らいついて、目の前の1日・1週間・1ヶ月をなんとか乗り越えて、3年間の中で何とか試合に出ようともがく自分がいた一方で、ある種の保険として勉強に力を入れようとする自分がいた。ずっと夢に見ていた藤枝東で選手権に出て国立のピッチに立つ、いやそれ以前に試合に出ることさえ叶わなかったら、それは同時にプロにはなれないということにも等しく、そうなったときに自分に何が残るのだろうと。ほとんど運も同然の首席入学を周りからチヤホヤされる中で勉強に逃げ道を用意する形で「東大を目指します」と言うようになった。

しかし当然成長のビジョンも持たず目の前の練習をこなすので精一杯の人間がサッカーで大きく伸びるはずもなく、一方で口だけで東大東大と言うだけの勉強が伸びるはずもなく、サッカーは1年間一番下のカテゴリー、テストの成績も気付いたら何十人に追い越されていた。

そんなこんなで2年になると、首席だった面影はもはや無いものの、それでも東大志望ということとポテンシャルを買われて(半ば強引に)「Sクラス」というなんとも地方進学校が粋がって付けそうな名前のいわゆる特進クラスに進むことになった。これ、サッカー部から進むのは結構リスクがあることで(今は知らないが僕がいた時は毎年1人行くかどうか)、補講が入るため週に1回か2回は練習に遅刻または欠席しなければならない。毎日のように評価が入れ替わる中でこれは致命的でこのせいで何度も上のカテゴリーに上がるチャンスを逃した(と当時は自分に言い聞かせていた)。

その後、勉強は優秀なクラスメートに囲まれたおかげもあって課題をなんとかやり切る程度の勉強量(とはいえこれがなかなかの量なのである)ではあったものの東大をなんとか射程圏内に捉えられそうなライン近辺でついていっていた。サッカーでは一番下のカテゴリーからは抜け出し、トップに上がれるほどではないものの最初に比べれば一定の評価を貰える程度にはなっていた。


だけど気付けば先輩はサッカー部からいなくなり、このままトップに上がれなければ夏の総体で引退という1つの終わりがおよそ半年後に見えてきた。サッカー部は主力メンバー以外の3年生は総体後に引退するか選手権まで続けるかの決断を迫られる。当然その時点で下のカテゴリーにいても残る決断をする人もいれば、逆に主力でも大学進学を見据えて引退する人もいる。部室の中でこのことについてどうするかという会話がちらほら出始めたのも高二の年明け辺りからだったか。

先輩がいなくなった中で未だトップチームに上がれていないこともあった。初めは口だけで言っていた東大という目標もいつしか本心から目指したい場所に変わっていた。その時点で、現役で東大に合格するために3年の夏の総体で引退することを決意したように思う。


非常に情けない話ではあるが、こういう人間が本当に覚悟を持って物事に打ち込み始めるのは終わりが見えてきた時である。小学生の頃から目指していた選手権という藤色の夢を諦め夏での引退を決めたからこそ、せめて最後にトップチームに入ってやろうと。その上でサッカー部からはしばらく出ていない東大合格者になろうと。昨日の自分とは決別して生まれ変われと。



果たしてどんな努力をしたのか、いつ頃からトップチームを狙えるところまできたのか、今となってはあまり覚えていないが、最終的な結論から話すと、総体最初の2試合では25人中25番目みたいな形で登録メンバーに入ることができた。初めて公式戦のユニフォームを受け取った時の感覚はきっと忘れないだろう。一緒にもがき悩み苦しんだ同期からの「おめでとう」という言葉も、格下との初戦で「大差つけて試合出してやるから」という小中からの戦友だった主将の言葉も。

だが、その2試合を勝ち上がった後、再び登録メンバーからは外された。そして、その直後の試合でチームが敗退する、即ち自分の引退が決まる瞬間を応援席から迎えることになるのである。

普段は余程のことがない限り涙を流すことはないのだが、その時はどこからこの涙は出てくるんだろうというくらい人目も憚らずに泣いた。今でも覚えているが、そのときは夢が完全に潰えた悔しさ悲しさからただひたすらに泣く自分と、一方でもうあのきつい練習をしなくていいとかこれで勉強に集中できるとか驚く程冷静に情けない言葉が浮かんでくる自分で完全にスプリットしていた。この時の心理状態は今振り返ってもよくわからないが、結局幼かったあの頃より強くなったわけじゃない、たまには泣いたっていいじゃないか。



ただそうやって抱いていた感情を全て吐き出したからなのか、そこから勉強への切り替えは驚く程スムーズだった。

引退試合を終えた7月以降毎日10時間を超える勉強もほとんど苦に感じなかった。もちろん同じくらいの時間教室で勉強する仲間がいたことは大きかったが、残った同期が先に引退した僕らの分も日々練習している姿を窓越しに見たり、いつしか本物の目標に変わっていた東京大学でのアカデミックな生活をイメージすると、エネルギーを貰えるのだった。


そんな同期たちが選手権の県大会で決勝に進み、1点を守り切って静岡の頂点に立った時に、歓喜のエコパスタジアムから遠く離れた場所で東大模試を受けていたあの日でさえも、応援に行けなかった残念さを除けば心の底から嬉しかった。


その後も冬の追い込みを経て、全国を戦う仲間をテレビで見届け、センターを迎え、二次試験を迎え、絶望的な手応えの中で藤枝に戻り、卒業式では卒業生を代表して徹夜で文を考えた答辞を読み、合格発表では自分の受験番号を見つけて涙を流す母と抱き合い、誰から聞いたのか電話を掛けておめでとうと伝えてくれる友人がいて、長い受験期を支えてくれた当時の彼女は自分の事のように喜んでくれて、まさに努力と感謝と笑顔が結実したような3ヶ月を過ごすことができた。

少年時代からの夢は叶えることができなかったが、部活も勉強も、文化祭などの学校行事や恋愛も、全部本気でやって、謳歌できる青春は全てしたのではないかと言えるくらいの高校生活を過ごすことができた。次のステージへ、後ろ手でピースしながら歩き出せるだろう。






と思っていた。





だけどいざ東大に来て、熱心な先輩方の新歓の末にア式に入ってみると果たして本当に自分の選んだ道は正解だったのか、確信が持てなくなってしまった。東大ア式には、結果的に一浪二浪することになってでも選手権まで続けた人もいれば、選手権まで続けた上で現役で受かっちゃうようなエリートの塊みたいなやつもいた。そんな人たちの話を聞く度に思う、僕が高校サッカーに対して抱いていた想いはその年月の長さからしてもその高校の格や目指していた場所から見ても、間違いなくこの人たちより大きかったはずなのにどうしてあんなにさっぱりと諦めてしまったんだろう、と。

近づいたらふいに消えてしまった
目指してきたのにどこへ行った?あの夢。


ア式生活で積み上げてきたトレーニングや食事やフィジカルについての知識、大学に入って感じるもっと効率的な勉強のやり方などをもって、もっとああすれば良かったこうすれば良かったと高校時代を振り返り、最後まで選手権と東大の両方を狙ってみたかったなと思うことが大学生になってから何度もあった。

だけど現在から過去を遡ってたらればの話をするのは意味が無い。その時手に入れられる情報、考えうる選択肢の中でしか人間は判断ができないのだから。そこで決めた道を全力で進むことしかできないのだから。


そういう意味で、もっと情報をインターネットなり本なり人の話を聞くなりして広く集める努力をすれば良かったとは思っても、僕は東大に至るまでの自分の「選択」に対して後悔はないと今は改めて思える。結果的に夢を諦めることになっても、最後まで自分で決めた道を全力で進むことができたから。


だから今、全国にはいろんな境遇の高校生がいて、それぞれいろんなリミットがあって選択を迫られることもあると思うけど、その中でいろんな人の話を聞いたりいろいろネットで調べてみたりするのは選択の幅を広げる意味でもちろん大事だけど、

後悔しないためには



決心のきっかけは時間切れじゃなくて
考えたその上で未来を信じること



これに尽きると思うよ。『きっかけ』、ぜひ聞いてみてください。





さて、そんなサッカーに区切りをつけて入学したはずの東京大学で何故僕はまたサッカーを続けているのか。これをまた話しだすといよいよ収拾がつかなくなってしまうので、ここでは僕が今東大ア式に抱く夢を語ってこの文章を締めたいと思う。

ご存知の通り東大ア式蹴球部は決して強くない。推薦で良い選手を獲得もできないし、そもそも勉強面でのハードルが高いからだ。だけど、ここにいる部員は皆、他の強豪大学に劣らないくらいの時間と情熱を割いて日々活動している。きっと僕が入部する前からそうだろうし、そして卒部してからもそれは続いていくだろう。

であるならば、

懸けた熱量に見合う結果と価値をこのクラブが残せるようになって欲しい。

その為にも選手が日々の練習で上手くなることはもちろん、トレーニング理論、フィジカル、データ分析、ブランディング全てにおいてクラブとしてもっと学んで実践する必要がある。それは東大生なら本来得意なことのはずだし、その学びを助けてくれる、素晴らしい環境が日本の、東京の中心に整っている。

そんな日本最高峰の学府においてサッカーで勝つために「学び、考え続ける集団」をカッコいいと、自分もここでサッカーに関わりたいと、そう思ってくれる中学生高校生を全国で増やしたい。

関わり方はなんだっていい、プレイヤーとして活躍したいはもちろん歓迎だし、実力に自信がないからデータ分析をしたいでもいい、サッカーチームの広告・ブランド戦略を手がけてみたいでもいい、サッカー選手の身体の仕組みを勉強したいでもいい、サッカークラブを運営してみたいでもいい、とにかく「本気」でサッカーを通じて何かをしたいと思ってくれたら僕は大歓迎だ。

結局それはクラブの「総力」を高め、ピッチ上での結果にも繋がるはずだ。







いつか







クラブ内でトレーニング理論を学んだ学生コーチの指導のもと、学生トレーナーの管理のおかげでアスリートのカラダを手に入れ、これまた学生の分析スタッフの助言によって日々プレーを向上させてきた才能溢れる選手たちが関東の舞台で強豪大学相手にピッチで躍動する。その姿は広報班によりカッコよくSNSで拡散され、それを見た全国の子どもたちがいつの日かその淡青のユニホームに袖を通す日を夢見てサッカーと勉強に打ち込む。

プロを目指す選手もいれば、大学までと決めて最後のサッカーに打ち込み一般企業に就職していく選手もいて、ア式での経験を活かしてプロの指導者やトレーナーや分析スタッフになったり、広告業界に入ったりJクラブや海外クラブのフロントスタッフやスカウトになる部員もいる。。。




これが実現して、今までの(大雑把にまとめると)サッカーエリートがサッカーだけしかやってこなかった状況が、サッカーエリートこそ子供の頃から東大を目指して勉強する、即ちサッカー以外のことにも視野を広げることになれば、日本の学生サッカーの構図が変わる。そして競技人口から考えても学生サッカーが変われば学生スポーツが変わる。そうしたら、日本のスポーツ界はもっと先進的な組織として日本を盛り上げてくれるのではないだろうか。


とんだ夢物語かもしれない。世間からはそんなことしてないで他のことやれとか思われるかもしれない。でもショーウィンドウに並ぶダイヤみたいに誰もが欲しがるものではなくて、自分にしかわからない石ころが欲しい。


ピッチ上での勝利をとことん追求する傍らで少しでもこの夢に近づけるようにチームに何かを残すというのが今の僕の目標。

だけどもう僕にはあと1年も残されていない。

だからこれを読んでこの夢に共感してくれる後輩はもちろん、中学生高校生がいてくれたら、ぜひ東大ア式に入ってその夢の続きを追いかけてほしいなと思ってる。



長々と書いてきましたが、これから受験生になるみなさんのこと、心より応援しています。 




最後に、

七瀬さん、美彩先輩、と各学校を卒業される皆さん、ご卒業おめでとうございます。今後の活躍を願っています。



帰り道は真っ直ぐ帰りたい派

新四年 主将 
松坂大和

2019年3月11日月曜日

私の不合理

Feelingsを書き始めようとして、伝えたいことが思いつかないことに驚愕した。
しかし、すぐに驚くことではないと思い直す。
私には、常にア式を続けることへの迷いがあるのだから。
 

私は、主に自チーム分析を担当するテクニカルスタッフである。2年前の春、分析やパソコン作業が好きであること、また運動会の組織に所属したいことから、最適の選択だと考え入部した。実際、望まない仕事はほとんどさせられず、他の部員のみんなにも良くしてもらい、かわいい後輩もできた。恵まれていると思う。

だが、私に体力がないこと、勉強が最優先であること、という2つの(周知の)事実に基づいて考えると、私がア式に所属することは非合理的である。まず、体力・筋力がなさ過ぎて役に立たない場面が多いばかりか、頻繁に体調不良で仕事に穴を空け迷惑をかけてしまうことが多いという、ア式にとっての不利益がある。そして当然、時間や体力はア式に割いた分勉強や遊びに割けなくなるという、私にとっての不利益がある。

以上から明らかなように、ア式に所属し続けることの利点は定量化が難しい。他方、欠点は定量化可能で分かりやすい。時間は(十分にゆっくり運動する限り)時計を見ればわかるし、体力もア式で主観的に9段階評価している通りある程度数字で表せる。そうすると、冷静にア式を続けるかどうか考えたとき、目につくのは欠点ばかりなのだ。やめるのが合理的だという結論に、数えきれないほど至った。
 

しかし、そんな自問自答を何度もしているのにも関わらず、私はア式を続けている。その結果から、どうやら無意識下で利点が欠点を上回っているらしいことが逆算的にわかる。それを踏まえて続けている理由を考え直してみると、どうやら私は自覚している以上に、ア式の仲間、主に同期が大切らしい。みんなが好きだから活躍を見ていたいと思うし、応援したいと思うし、分析で力になりたいと思う。それは自覚していたが、それが目に見える不利益よりも大きいとは思わなかった。定量化できないものを大きい、と形容するのは主義に反するのだが、そう言う他ないので仕方ない。
 


ここまで独白的な文章を散々書いてきて今更だが、やっと伝えたいことが見つかった。私は、同期のみんなに感謝したい。ア式部員にも合理主義が過ぎると言われる私が、不合理に思える選択をするほどに大切な仲間など、なかなか見つからないだろう。面と向かって同期に感謝してるよ、とか言っても、絶対嘘だ!とか言われるのが目に見える。しかし、ここまで論理的に書けばさすがに信じてもらえるだろう。私はみんなが大切だ。自分が思っている以上に。
 

ア式を続けるという判断は、今でも非合理的だと思っている。だから、いつ判断がひっくり返るかは私にもわからない。明日ひっくり返るかもしれないし、最後までその時は来ないかもしれない。だが、続けている限りは仲間の、同期のために、全力を尽くしたいと思っている。それは献身的で非合理的な判断なんかではなく、仲間が成功すると私が嬉しいから、という利己的で合理的な判断だ。だから、この宣言は最後まで継続する可能性が高いと言っておこう。
 

同期へ。そういうわけだから、これからもよろしく頼むよ!
 
 

体力温存第一
3年 石﨑梨理

2019年3月8日金曜日

ここにいるということ

「長かったです。」三浪の末に高校時代の担任の先生に合格を伝えに行ったとき、漏れた言葉は「嬉しい」でも「つらかった」でもなく、その言葉でした。もちろん嬉しいという感覚も、苦しかったという記憶もあったけれど、それでも口からこぼれるのはその言葉でした。


東大を志したのは中一の頃。しかし本格的に受験勉強を始めたのは高三でした。心だけは東大に向いているのに、どこか得体の知れない入試を軽く見ており、高二までサッカーに明け暮れる日々。すぐにその困難さを知りました。英語の五文型から学び直し、地上から雲の上を見つめる。それでもできる限りの努力をしました。1年の受験勉強を終えて、これ以上は勉強できない、と思ったのも覚えています。

結果は不合格。わかりきっていた結果ではありましたが、浪人というものが目の前に現れて初めてその重さを知る。あの辛い受験勉強をまたさらに1年というのは受け入れ難かったです。それでも途切れない東大への想い。また1年、リベンジを誓って日々机に向かいました。現役時の開示得点が思っていたより筋が良かったこともあり、勉強方法はそのまま継続。嫌になっても字を追い、手を動かし、入試本番へと直進。今年は受かると確信を持ちました。


不合格。目の前のすべてのものが見えなくなったのを覚えています。ただそこにあるのは自分だけで、悲しみや怒り、恐怖や孤独が渦巻いたあげく消えていきました。とり残された自分は、何かにとりつかれたかのように次の日から勉強を開始。二浪など自分がするとも思っていなかったので、社会から拒絶されたかのように感じ、悔しさと共に恥ずかしさと闘いながら毎日を勉強に注ぎました。宅浪を選択しましたが、その勉強量は異常なもので、模擬試験でも全てA判定上位、確信を数字が示しました。


自信をもって母の手を引き、目の前にした掲示板。そこに番号はありませんでした。ない番号に吸い込まれるように意識が遠のく。部屋に帰ると、4時間椅子に座り窓の外を見つめていたそう。その間、落ち着くはずもない母は部屋を掃除していましたが、何か考えがまとまったのか、母を呼び止めました。「次は後期試験も受ける。センター利用も出す。私大も受ける。次は必ず大学生になる。だからもう一度だけ東大を受けさせてほしい。」すると母は涙をうかべて「それはいいんだけど、、もう1年も頑張れるの…?」と。辛くないのかと、ただ非力な自分のことを心配してくれたのでした。


頑張ろうと思いました。世間の目はいい。恥じらいもいい。ただひたすらに机に向かって勉強しよう。起きて勉強、ご飯を食べてまた勉強。昼飯を食べたらまた勉強して、夕飯、風呂と次に勉強、そして寝る。次の日起きたらまた勉強そして…と、グルグルグルグル回る日々。いつ抜けるかわからない暗いトンネルを光のあてもなく進み続ける。それでも進む。考えても仕方ないから。辛くないの?いいや。苦しくないの?別に。辛いとか苦しいとかどうでもいい。そんなことを考えるのは自分が弱いから。考えない。ただ進む。胸だけは張っていたい。男だから。ひたすらに勉強して、最後の入試まで過ごしました。

合格。自分の番号を見て、何かを感じました。でもそれが何なのかわからず。嬉しいなのか、苦しかったなのか。ただ長かった。それでも気づくとふと部屋で一人、通知書を穴が開くまで眺めました。そのとき合格の文字が少し滲んで見えたのは、やっぱり苦しいとか、辛いとかあったのか。でも弱音は吐きたくなかったから、出そうになったその感情を涙と一緒に隠しました。



東大にいられることの価値を知っています。ア式でサッカーができることの価値を知っています。たぶん誰よりも知っている。ここにいるということがどれだけ特別かを。ここにいて辛いことや苦しいことはたしかにあります。でも大丈夫。嬉しいことや楽しいことはもちろん、辛くて弱音を吐きそうになることも、苦しくて逃げ出したくなることも、挫折してもがき続けることも、そのすべてが東大で起こることだから幸せ。信頼できる友達も、大嫌いなあいつも、喜びも苦痛も楽しみも挫折も、そのすべてが東大で起こることだから、私は幸せだと胸を張って言えます。


ここに恩返しをしたい。ア式に何かを残したい。ここにいられる幸せを与えてくれた東大とア式蹴球部に何かを返したいと思います。自分はプレーヤーとしてできることは一つ。悲願の関東昇格。非力ながら少しでもその目標に向けて役に立てることを今日も願っています。



新2年 黒松