2019年11月17日日曜日

One for All All for One

みんなのfeelingsが回ってくるたびに、自分の番はいつなのかとドキドキしていたし、誰かの心を動かせるような文章力も、書くことも苦手な私が慣れないなりに書いてみようと思います。


サッカーの話と少し逸れますが、今年日本で行われたラグビーW杯。高校時代友達に連れられ一緒に観戦したラグビーの試合の光景は、とても迫力があり、胸を熱くさせ、スタジアムが一体となったあの空気感は、実際観ることでしか味わえない。とても最高な時間だったとW杯が行われている中思い出しました。

そんな私にはラグビー好きな友達がいます。その友達が高校時代からこんな言葉をよく言っていました。
『One for all All for one』ラグビー用語であり、有名な言葉なので知ってる人も多いかと思います。この意味は、1人はみんなのためにみんなは1人のために。という意味で捉えられがちですが、本来の意味は違うようです。


本来の意味は、1人はみんなのためにみんなは1つの目的のために。という意味なのです。


1つの目的とは何か。それはつまりゴールのために全員が役割をしっかり果たすのが重要だ。ということです。スタッフという面から考えると、練習を円滑に進めていくために選手の練習環境を整えることはもちろん、練習の雰囲気を作っていくこと、グラウンドでの行動から大事になってきて、それが試合に向けてに大きく影響してくるのだと思います。

ここで自分の話をしますが、中学では吹奏楽部、高校ではサッカー部に所属し、様々なことに挑戦してきたものの、ここまで集中し打ち込むという経験を正直してきませんでした。そんな中、大学生となり出会った東大ア式蹴球部。まだまだ至らない点もありますが、ここまで誰かのためにと全力を尽くせる自分、頑張ろうと思える環境、各役割を果たし熱意を持った人たちと過ごしてる時間がこんなにも大事と思え、一緒に部活しているということが、高校時代の私からしたら想像もできませんでした。そして、ふとア式に入って過ごしてる自分が不思議にもなります。真剣に練習に打ち込む姿、より良い部にするために多方面から様々なアプローチをし頑張っている姿、試合で点を決めた時の全体で喜びを噛み締めるあの瞬間など、どの場面も近くで見て感じ、歓喜の瞬間に立ち会えるからこそ、そんな尊敬できるみんなだから、まだ半年ですが、こんな風に思える。こう思えているのも一緒に過ごしている皆さんのおかげなのだと感じます。

ア式に入りたての頃の私は、仕事内容を覚えるのに必死で機械的に動いていたし、迷惑かけたくない、失敗したくないという思いから自分に自信を持って動けず、人見知りな性格もあり積極的に関わろうという気持ちが他の人に比べると無かったなと思います。ですが、今は仕事内容も段々と覚えてきて、以前より積極的になることもでき、自分のことで精一杯になるのでは無く周りに目を配る余裕もできました。ログに関してはミス1つ無い、ちゃんとみんなに伝わるログを書きたい…。ご迷惑おかけしているので頑張ります。


とここまで長々と話してきましたが、勝利という目的のために動いている部員の姿が仲間の心を互いに前へと動かし、時にもっと頑張ろうと思える力を与える。このようなことを体感できる機会は、仲間と協力して勝利を勝ち取るサッカーなどのチームスポーツの良さだとア式を通して実感しました。


悔しいという感情は、一見ネガティブに捉えられがちですが、絶対に勝ちたいと思っているからこそ、勝ちへのこだわりがあるからこそ生まれるものであり、悔しくて投げ出したくなった時も悔しさを感じた瞬間があるから、より高みを目指せる熱意と前向きな感情として成長のバネへと繋がります。


今ある環境に感謝しながら、四年生が引退しア式に残してくれた物をしっかりと受け継いで、新しく始動したみんなと、来季に向けてスタッフである私自身が同じ熱量を持ち、より一層気を引き締め頑張っていきたい。また、私の及ぼす影響力は少ないかもしれないけれど、何か残すことができるように。一生懸命に日々成長していけたらと思っています。



なんだか照れ臭い。

1年スタッフ  光内優花

2019年11月14日木曜日

一人前のテクニカルスタッフ

サッカー経験もろくになく、観戦も「サッカー<野球」の僕がア式に入って早6か月。ルールは知ってるが戦術は全くわからないという入部当初に比べれば、先輩やコーチの助けもあってちょっとは見れるようになったかなと思う。


8月からは、1年生ながら幸運なことに育成チームの分析発表をさせてもらえることになった。まあ発表といってもテーマにそって僕が映像を見せて、コーチからどこが良かった悪かったっていうのを聞いて勉強する、いわば僕に経験を積ませるためのものである。
最初のうちは、僕が事前に考えてきたポイントが全く的外れで、ただただコーチの言うことを聞くって感じだったのが、回を重ねるごとに少しずつ僕の考えが一致することも出始めた(今でも的外れな時もあるが)。自分がちょっとずつではあるが成長しているのを実感できるのが嬉しかったし、こんな貴重な経験をさせてもらえてるのがありがたかった。

そんな夏休みの終わり頃(9月中旬)、コーチに「次からは悪いプレーした選手に1人ずつ指導していこう」と言われた。まだそのレベルには達してないんじゃ?とも思いつつ、これもいい経験やし前向きにやろうと思った。

しかしいざやってみても、説明はたどたどしく、そばで聞いてるコーチの補足で納得させるということが続いた。どうせ僕の説明なんかコーチの言ったことの受け売りなんやし、正しいこと言ってるんやから堂々としてればいいのに、なんか自信が持てない。それにやはり選手に説明するとなると、「選手やったこともないくせに、偉そうに選手に説明なんておこがましいんじゃないだろうか」と自分に選手経験のないことに引け目を感じてしまう。そんな思考回路になっていた。

このとき、今までなんとなくしか感じていなかった実力不足を、はっきりと実感した。まず自信を持って言わないと、選手は納得しないだろう。そして自信持って言えるようにするには、実力をつけるしかない。実力をつけるには、たくさんの試合を見て経験を積むしかない。その結果正しいことを選手に伝えられるのであれば、プレイヤーとしての経験は関係ない。


でも今の僕が確かな実力をつけるにはまだ時間がかかるだろう。4年生になるまでに十分な力を身につけられるかもわからない。でも、これからも先輩やコーチの言葉を吸収し、育成チームの分析、新人戦のスカウティングなどを通じて少しずつ成長したいと思う。今はまだ半人前にも達していないが、ゆくゆくは選手からの信頼の厚い一人前のテクニカルスタッフになれるよう頑張っていきたい。


選手の皆さん、どうか温かく見守ってください!()

1年スタッフ 松井

2019年11月13日水曜日

時間と、得られるもの

大学生になってバイトを始めました。
バイトは定時きっかりに帰りたいと思う。
でも、部活はもう少しやっていたいと思う。


バイトは時間に対して、お金という確実な対価がある。

部活は時間に対して、目に見えず、評価しにくいものが対価である。(楽しさとか能力の向上とか?)

それが違いなのかなと思いました。



時間と、得られるもの。
そのことを考えたときに2つの話を思い出しました。


1つ。
わたしの出身中学は部活時間がほかの中学校に比べると非常に少なかった。中学生のときの部活の顧問(わたしはソフトテニス部でした)はいつも、少ない時間をいかに有効に使うかということの大切さを語っていました。

一球一球打つたびに、どこを直せばいいのか、変えればいいのか考える。
ボール拾いや準備、移動をはやくして打つ時間を増やす。
これは、短い時間で最大限の成果を出すのが大事ということ。


2つ。
高校時代に国語の先生から教育についてこんな話をされました。

教育に資本主義の考え方が使われるようになっている。今は、短い時間でできる限り大きい成果をあげる(よい成績をとる)のに重きが置かれているがほんとうにそれでよいのか、と。

そのときは勉強する時間を減らせればほかのことがたくさんできるんだからいいじゃないかと思っていました。

でも、成果を追い求めるんじゃなくて、その行為自体を楽しめることが大事だっていうことなのかなと思い始めました。


そう考えると、2つ目の考えのように、勉強だとか練習だとかを楽しめるから、1つ目の話で言うような意識を持てるのかなと思いました。

2つ目の話のように時間を気にせず勉強や練習をやっていたら、
そのことが楽しくて好きで時間を忘れてできていたら、
やっと1つ目の話のように、限られた時間でできるだけのことをしよう、うまくなろう、強くなろう、と本気で思えるようになるのかなと。


大学でサッカーを始めた自分は、だいたい経験者と対戦することになります。
サッカーに触れてきた時間は経験者と雲泥の差があるけれど、それでも勝ちたいって思わせてくれる仲間がいる。


だから精一杯楽しんで、精一杯考えて、実践して、限られた時間の中でできる限り進んでいきたい。


↓つむねって読みます
女子部1年 津旨まい

2019年11月9日土曜日

ア式じゃないと。自分じゃないと。


「スタッフの仕事なんて、自分じゃなきゃできないものなんてないんだから、この部にいる理由は自分の中にしかないんだよ。」


夏休みに開かれたスタッフミーティングでそう言われて、はっとした。



私のア式に対する熱量って十分だった?

そもそも私がア式にいる理由って何?



入部してしばらく経ち、マネージャーの仕事にも少しずつ慣れてきて、週に3回か4回のシフトを義務的に、無思考にこなすようになっていた気がする。

だから、feelingsが回ってきたこの機会にそんな問いの答えを見つめ直そうと思う。







大学に入学する前は、まさかサッカー部でマネージャーをやるなんて夢にも思っていなかった。

中高とやってきたダンスを大学ではもっと本気でやりたい。見る人を感動させるようなショーケースを作る一員になりたいと思っていた。
自分のやりたいことがはっきりしていた分、色々な部活やサークルから「スタッフやりませんか?」と声をかけていただいても全くピンと来なかった。


そもそもスタッフって何するの?

思い入れのあるスポーツがあるわけじゃないし、その部じゃないといけない理由ってある?

どんなに頑張っても目に見える形で結果が出ることはないって、そんなのもどかしくない?

などなど、色々と思うことはあった。


すごく抽象的に言うと、スタッフはプレー以外のアプローチでチームに貢献する存在だと思う。
でもその「チーム」って、少なくとも入学したばかりでダンスサークルにしか興味が無かった私にとっては、全然具体的じゃない。
だから、何のためにやるのかが漠然としているスタッフへのモチベーションは皆無だった。


はずなんだけど、

それを具体化してくれたのが、「一回練習見に来ない?」と誘ってくださった先輩だ。
今だから言えるけど、初めは「まあ一回見に行けば断るのに説得力出るかな」なんてネガティブな理由だった。


だけど、
実際にスタッフの先輩の熱い想いをきかせてもらったり、
思っていたよりもずっと広いコートでプレーする選手の迫力を目の当たりにしたり、
試合独特の緊張感や応援の熱気を肌で感じたり、
鮮やかに決まったシュートにみんなが喜びを爆発させるのに立ち会ったり、


少しずつこの「チーム」が自分の中で具体的になっていって、このチームに貢献したいと思うようになって、最終的に入部を決めた。




何かが少しでも違ったら、練習すら見に行かなかったかもしれない。他の部活だったかもしれない。

ア式じゃなきゃいけない、ましてや自分じゃなきゃいけないなんて必然性も全く無い。


でも人って多分そんなに合理的じゃないし、人生って何があるかわからない。

このチームに貢献したいと偶々思うことが出来たから、その自分の直感を信じようと思った。







とここまでア式に入部した経緯を長々と綴ってきた訳だが、


今の私にとってのチームは一人一人のプレイヤーであり、コーチであり、テクニカルであり、トレーナーやマネージャーで。

その区分を越えてこの部のために仕事をしている人がたくさんいて。


チームの勝利のために覚悟を決めて本気で戦っている人、
上手くいかなくても真剣にサッカーに向き合い続けている人、
プレー以外のやり方で勝利に貢献しようと、この部をより強く魅力的にしようと頑張っている人、

そんな一人一人を知って、力になりたいと思っているから、そんな人たちがいるア式を大切に思っているから、私はここにいるはずだ。
そんな人たちに恥ずかしくないくらいの熱量を、私もア式に注いでいきたい。

そう思えることは、きっと全然当たり前のことじゃない。私の直感は間違ってなかった。



だからこそ、今の私にとっては、
ア式じゃないといけないし、自分じゃないといけないんだ。







纏まりも面白みも無い文章になってしまったし、後で読み返してきっと恥ずかしくなるんだろうけど、これが今の私の’feeling’です。

1年スタッフ 馬目蓉子

2019年11月5日火曜日

これだけでサッカーが上手くなる方法

杓子定規な自分は、自己啓発本というものを敬遠してきた。
手を替え品を替え同じような内容が繰り返し書かれていて、読むだけ時間の無駄だという偏見を持っていたのだ。

しかし、希望の進学先に進めず留年までしてしまい、自分のキャリアについてゼロから考え直さなければならなくなったので、何か将来について考えるヒントとなるような本を探すべく、その偏見を振り払い本屋に出向いてみた。
しばらくブラブラしていると、経営・ビジネスのコーナーに『苦しかったときの話をしようか』といういかにもキャッチーなタイトルの一冊を見つけた。


“キャリアに悩むすべての人に役立つ本質的ノウハウ”

USJ復活の立役者が教える「自分をマーケティングする方法」


著者は神戸大学経営学部卒で、経営危機にあったUSJV字回復させたマーケターだと書かれている。フィーリングで購入し、それでもまだハリボテなんじゃないかと半信半疑で読み進める。
著者曰く、キャリア戦略においては、人生を通して達成したい最上位の目的を立て、それを実現するための「資源」、つまり自分の強みをできるだけ早く見つけて伸ばしていくことが重要で、その強みを他者に伝えるためには、自分自身をブランド化することが有効らしい。



「ブランディング」という言葉はア式でも最近よく耳にする。ア式が対外的に活動する限りブランディングは必要不可欠だが、組織に限らず、選手として自分自身をブランディングすることも大事だ。

無論、試合に出るためにはメンバーとして選ばれないといけない訳で、そのためには自分の強みを認識してアピールしないといけない。
これを実際にプレー中に意識している人は少ないだろうし、結局上手いやつは使われて下手なやつは使われないと言ってしまえばそれまでだ。
だけど、選手の善し悪しが一意に決まることはない以上、自分自身をブランディングすることもまた技術の一つなんじゃないかと感じる。


では、具体的にどのように自身をブランド化すればよいか。
続けて書かれていることを要約すると、

ブランドの設計では、
1.参入する活動領域(ドメイン)

2.ターゲット

3.ブランドが持つ本質的な価値(ベネフィット)

4.そのベネフィットを提供する手段
を順に規定する。
さらに、ドメインの設定は目的と自分の資源を考慮して広すぎず、狭すぎない適切な範囲で設定しなければならず、またベネフィットに関してはそれを他者に信じさせる根拠となるドライバー(RTB :Reason to Believe)が必要である−−−


試しに、これを参考にサッカーにおける自分をブランディングしてみたい。

1.ドメインを広すぎず、狭すぎない範囲で設定するなら、ア式ではなくア式が所属するリーグ、あるいは目指すリーグになる。

2.ターゲットは監督・コーチ、そして観客である。

3.自分のベネフィットは、ミドルシュートやプレースキルである。

4.ベネフィットを提供する手段とRTBは、言うまでもなくそのプレーを実行することである。


やってはみたものの、ビジネスでキャリア成功に繋がるらしいマーケティング・ノウハウは、サッカーでのレベルアップに繋がる意外な打開策にはなり得そうにない。

それもそのはずで、いくらメタ的な視点で自己分析をしたところで、それによって自分の強みや弱点を把握したところで、結局はピッチ上で何を表現できるかが全てだ。
むしろ余計なことは考えず、一瞬一瞬のプレーに集中できた者勝ちかもしれない。いや、これは本当にそうだと思います。


選手としてこのチームにいるからには、公式戦に出て、勝利に直接貢献しなければ全く意味がない。
しかし、自分は全く公式戦に絡めていないのが現状です。


残された時間は多くないですが、もっとサッカーを観て、もっと考えて、もっとコミュニケーションを取って、もっと練習して、焦らず、それでも着実に、努力を続けていきます。



3年 門前佑太郎

2019年11月2日土曜日

自己肯定

「なぜ、4年間、様々な犠牲を払い、サッカーをしているか」

これは、筑波大学蹴球部の部員ブログ内で提起された問いである。そのブログを書いた方は、そのメンバーのほとんどがプロを目指すというトップチームに所属しプレーするも自身は医師になろうという、異色の、まあ俗っぽい言い方をすれば文武両道の極みのような方だ。


先日自分はこのブログを読んで実によく考えさせられた。いや、自分だけでなく、これを読んだ他のア式部員も色々なことを考えさせられたのではないだろうか。というのも、我々ア式部員は、学問において多分野で日本トップクラスの東京大学に身を置きながら、多くの時間と情熱をサッカーに注いでいるという点で、(学問、サッカーそれぞれのレベルはさておき)筑波の彼と共通する部分があるのだ。実際、我々は何度もこれを問われてきているし、それはきっと自分が入部するよりずっと昔から変わらない事なのだろう。


自分は、feelingsでも使い古されたこの問いをテーマに書いていこうと思うが、このテーマの文章は往々にして、「このままサッカー続けてて本当に大丈夫か」という自身に対して非常に懐疑的なものになりがちだ。しかし、今の自分にはサッカーをやることに対して懐疑的な思いはほとんどない。そこで今回は、冒頭で掲げた問いについて、議論を進めていく中で、今のサッカーをやる自分を肯定していこうと思う。



ここでは、この問いの「犠牲」という部分について考える。ここでの犠牲というのは二種類あると考えられる。一つは、今現在サッカー以外のやりたいことをやれないということ、もう一つは、サッカーのせいで将来のためになることができず可能性を狭めてしまうということ、この二つだ。


まず一つ目の犠牲について、これに関しては今の自分にとって疑いようのないことで、本当にたったひとつのシンプルな答えがある。サッカー以上にやりたいことがないのだ。勉強に打ち込んだり、バイトしてお金をためて色々なものを買ったり、友人と遊びまくったり、飲み会しまくったりするより、本気でサッカーする方が楽しいし好きだと自信を持って言える。ただ自分には表現する力がないため、ここではサッカーの魅力については触れないでおく。(サッカーの魅力ってなんだと思った方は、弊部現ヘッドコーチである山口遼さんのfeelings「さようならマドリード」を読んでみると良いと思う。サッカーの魅力について的確かつ端的に記述されている。)まあとにかく、そうである以上、このことについて、議論の余地はない。


ではもうひとつの犠牲について、これがなかなか厄介なのだ。一般的に、東大生というのは、高い能力を持ち、将来に大きな可能性を秘めていると考えられる。(其の実、ただ入試を突破しただけであり、実際そうか微妙なところではあるが)それ故に、大事なモラトリアム期間をサッカーに捧げるのは如何なものかという疑問が湧くのも自然である。しかしそれでもなんとか自らに肯定的に話を進めていこうと思う。


まず、これについての議論をするための準備として、少しこれからの人生について書いていきたいと思う。人生というのは、自分のみのことではなく、自分たちの世代の全員に共通して言える、人が生まれてから死ぬまでの生涯のことである。


現在の常識として、人生というのは、高校や大学までで教育を受け、就職し働き、6065で引退し老後を迎え、そして死ぬ、一般的にこう考えられている。このような教育労働引退という三つの段階を経る人生を3ステージの人生と呼ぶ。


しかし、ある本によると、これからの我々世代の人生は、3ステージでは成立しないらしい。その主な原因は長寿化であるが、他にも、少子高齢化、年金問題、テクノロジーや仕事の変化スピードの上昇などがある。それではこれからどうなるかというと、人生の中で経る段階が増えるのである。最初に教育を受け仕事に就いたら引退まで同じ会社でなんてことはほとんどなく、自らの状況ややりたいことなどに合わせて、キャリアの中で何度も転職し、時には、テクノロジーやビジネスの変化に対応するため、大学などに通い、もしくは海外に留学し、新たに必要な知識やスキルを身につけ、それまでとは全く別の業界で働くこともあるだろう。そして、このような人生にはロールモデルというものはなく、それぞれの考えや状況によって、実に多様なものとなる。本によるとこのような人生は、マルチステージの人生と呼ぶらしい。


もちろん、未来のことなので、完全にこの通りになる保証は全くないが、この文章では、少なくともこれに近い、今より流動性の高い世の中になるものとして話を進めていく。


では話を戻す。ここで、可能性を狭めるということの具体例を考えてみる、弁護士や公認会計士等の資格を取るための勉強ができない、であったり、ボランティアや海外留学といった経験ができない、ということ辺りだろう。これらと先述のマルチステージの人生を合わせて考えた時、これらは本当にサッカーの犠牲になっているだろうか。


答えは否である。


マルチステージの人生ならばこれらのことは、その先の人生で十分にやることが可能だ。


では翻って、サッカーについてはどうだろう。これからの人生で、これほど恵まれた環境で、同じ熱量を持った仲間と本気でサッカーをすることができるのだろうか。


答えは書くまでもない。




ここまで、気持ち悪いほど長々と、恐ろしいほど自己中心的に、サッカーをやる自分を肯定してきたが、こんなことを書ける自分はなんて幸せ者なんだろうと思う。


これほど自らを肯定できるのは、ひとえに、ア式で本気でサッカーができることに満足しているからである。


この状況は本当に全く当たり前ではない。


綺麗な人工芝のグランドに部室、そして部そのものを100年以上に渡って残してくださった偉大な先輩方、遼さんを中心に、勝つための方法、上手くなる方法、サッカーの深みを教えてくださるOBコーチ、わからないなりにもプレーヤーの思いを理解しようとし、身を粉にして働いてくれるスタッフ、思いを共にし、支え合いながら切磋琢磨できるプレーヤーの仲間たち、その他これまでの自分を育て支えてくださった多くの方々、そして、自分を生み、育て、どんな時も支え励まし応援してくれる両親、これらすべての人の想いと行動のおかげで、この今が成り立っている。


本当に感謝しかない。


そして、これから自分はア式の中心を担っていくと思うが、先輩方が作り残してくださった素晴らしい環境を維持し、さらに発展させ、未来のア式部員が最高だと思えるような部を残していきたい。これは責任があるだとかやらなきゃいけないということではなくて、純粋に、内発的に生まれた想いである。


最後に、この恐ろしく冗長な文章をどれだけの人が読んでくれるかはわからないが、未来の自分を含め、本気でサッカーをやることに迷いが生まれた人が読んで、もし少しでも勇気を与えることができたら、それは本当に幸せなことだ。



4年生の皆さん、本当にありがとうございました
1年 松波亮佑

2019年10月29日火曜日

原点回帰 〜レアンドロ 、フォルツアファッチュンゴール〜

先日病気で入院した際、することが無くなり自分の写真フォルダをなんと無く漁っていると、現在東京ヴェルディに所属するレアンドロ選手に数ヶ月前たまたま出会い一緒に撮ってもらった写真を見つけた。僕にとってその写真は家宝ともいえる写真である。J得点王になるようなすごい選手なのだが、知名度がかなり高い選手ではないため、家宝は言い過ぎだろうと思うかもしれないが、僕にとっては紛れもなく家宝だ。なぜならば、レアンドロは僕にとってのアイドルで、特別な選手だからだ。


人が何かを始める時、なんらかの理由やきっかけがあると思う。親に言われてとか、友達の影響とか、ちょうど最近ならばラグビーワールドカップの試合を見てカッコいいと思ったから、など様々あるだろう。

僕がサッカーを始めたきっかけとなったのは、小学校三年生位の時に叔父に連れられて見に行ったヴィッセル神戸の試合である。当時サッカーより野球が好きな自分にはあまり興味がなかった。しかし、試合前からスタジアムのゴール裏で感じた熱気や一体感に魅了され、得点が入るたびに喜びを爆発させるスタジアム全体の雰囲気に気分を高揚させた。そして何より、その試合で得点をしたレアンドロと大久保嘉人の2人のプレーにワクワクさせられ、ただならぬ憧れを抱いた。その日からヴィッセル神戸、中でもレアンドロと大久保嘉人のツートップの2人に夢中になり、平日は放課後に友達と、憧れの選手みたいなプレーをしたい、という一心でサッカーをするようになり、週末には足繁くスタジアムに通うようになった。憧れの選手を真似してドリブルしてみたりシュートしてみたりすることはとても楽しかったし、メキメキと上達していたと思う。


そんな風にサッカーに出会った頃の自分のことを思い出し、ならば今の自分はどうだろうかと考えた。すると、怪我で今年に入ってからあまりプレーできてないような状況で今度は病気で入院することになり、正直サッカーの面白さや楽しさを見失い、熱意も失いかけていると感じた。サッカーに対して抱いていたワクワク感は消えていき、ただこなすだけになっている。そのような状態でサッカーをしても上手くなるわけもないだろう。そんな時には、サッカーを始めた頃の初々しい気持ちにかえってサッカーしよう。深く考えず、憧れの選手みたいなプレーをしてやろう。こんな気持ちでプレーしてもいいんじゃないか。病院のベッドの上でそう考えた。


何かに取り組み続けると、それを始めた頃の気持ちを失っていき、目標を見失い、することすることの理由を考えず、作業を続けているような状況になる。この先の大学生活、そして仕事をはじめてからも、人生を通してそのような状況になることはあるかもしれない。そんな時には一度立ち止まってみて、始めたきっかけや理由、憧れていた気持ちを思い出してみよう。小さな子どもになったかのように、純粋に、好奇心旺盛に、楽しみながら、改めて取り組んでみよう。



入院したためこのように気持ちをリセットして考えることができた。そう思えば、病気で失った体重4キロは意外と軽いのかもしれない。

2 吉本遼平