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アンチ・アンチロマンチスト

榎本健(4年/DF/暁星高校) CK のボールを相手 DF がヘディングで弾く。   冬晴れの太陽に照らされたボールが、綺麗な弧を描いてバイタルエリアに落下する。即座に両チームの選手が反応したが、体格では相手 FW に分があったようだ。たしかに同じ国公立の大学生とは思えないほどガッチリとした体つきをしている。セカンドボールを我が物にしたその短髪でムキムキの相手 FW は、水を得た魚のように猛然とドリブルを開始する。最終ラインに一人取り残された自分は、銃口を突き付けられた兵士のように後退するほかなかった。状況は 1 対 2 の数的不利。華麗にカウンター攻撃を喰らっている。もし俺がファンダイクだったら、平然と相手からボールを刈り取り、アリソンとハイタッチをしていたであろう。しかし残念なことに、俺にそんな能力は存在しない。「最悪ファールで止めるしかないか」と思っていた次の瞬間、短髪ムキムキ兄ちゃんのドリブルのタッチが大きくなった。     その週の自分のテーマは「ボールホルダーに自分から仕掛けること」だった。アジリティ能力が低く、守備技術も持ち合わせていない自分にとって、ドリブルの得意な選手に良い状態で仕掛けられては勝ち目がない。抜かれないよう一定の距離を保ち、縦か横どちらかの選択肢を限定するのが精一杯である。ならばどうすればいいのか。自分の出した答えは、「相手が良い状態になる前に寄せ切ること」であった。ロングボールをトラップした瞬間、ドリブルのタッチが大きくなった瞬間、どんなに上手い選手であれ、ボールを自分のコントロール下に置けない瞬間は必ず存在する。ならば自分にできることは 1 つ。相手にボールが入る前にできる限りの準備をし、その瞬間に一気に寄せ切ってボールを奪う。これが俺の暫定解だった。同じ週の木曜日の紅白戦、実際に谷のタッチが大きくなった瞬間に突っ込み、谷に「危ねえよ」と珍しく怒られた記憶がある。今となっては申し訳ないが、その時の自分は試行錯誤の真っ只中。しょうがないと思った。     そんなチャンスがまさか週末の試合でやってくるとは。中高 6 年間、毎日伊達に神に祈っていたわけではない。「今しかない」と感じ、相手 FW に思いっきり突っ込んだ。と同時に、経験したことないほどの衝撃が左膝に走った。 5 歳の時に、おばあちゃん家の犬に左膝を噛まれたときより痛かった。

サッカーに引き寄せられ

井筒俊宏(3年/テクニカルスタッフ/筑波大学附属駒場高校) ア式のテクニカルには変な人が多い。もちろんいい意味でである。 そんななかで僕が変わっているのは入った時期だろう。大学2年の9月下旬というタイミングで入った。年度替わりでもないし謎なタイミングである。 結論から言うと、入ったタイミングはYoutubeでテクニカルの存在を知ったタイミングであり、入った理由は面白そうだったからに尽きる。サッカーの分析をして、それをチームに還元するチームがあるテクニカルという集団が同じ大学に存在することを知り、サッカーをただ見ていただけだった僕からして非常に新鮮かつ魅力的に映った。   僕のサッカーとのつながりは長く、小学校に入る前から地元のスクール的なところでサッカーを始め、小学校に入ると2つのスクールに入りサッカーをしていた。このころを振り返ると、団子サッカーを嫌っていて、たいてい団子の外側でこぼれるボールを待っていた。接触プレーが苦手だったのと、ミドルシュートに憧れを持っていたのが理由だと思う。当時よくテレビで見ていたのはCLで何故かリバプールが好きだった。とはいってもこのころから見るスポーツは圧倒的に野球(阪神)だった。高学年になるぐらいのタイミングで地元のサッカークラブに入った。ポジションは、体力はあったので左サイドバックだった。チームは30分で15点入れられることもあるほどで決して強くはなかったが、サッカーをプレーする時間は楽しく、特にサイドを駆け上がって角度のないところからシュートを打つプレーが楽しかった。中学受験でサッカーは一時中断したが、受験後の2,3月にはサッカーを再開しておりサッカーのプレーが好きだという思いがあったと思う。   しかし、中高6年間はサッカーをやめ、卓球部に入った。サッカーとは全く異なる1人、それも手でプレーするスポーツだ。入学式のときはサッカー部に入りたいと宣言していた(出席番号がA組1番で代表のあいさつ的なのをやった)し、サッカー部の説明会には参加した記憶があるので相当迷ってはいたと思うのだが、サッカーを辞めた。サッカーを辞めた理由は様々あると思うが、今考えるに大きなところは限界を感じたということだと思う。今から考えればその時の限界などちっぽけなものだが、理想とする選手像(よくありがちな一人で何人も抜いてシュートするような)と自らのプレーと

サッカーの地平線を広げる-15・16日目-

岡部惇貴(3年/MF/武蔵高校) 登場人物紹介 マルティン 帯同チーム先の第 1 監督。人格神。人生で 3 本の指に入る、尊敬できる人物。師匠。 ジェラール 帯同チーム先の第 2 監督。いじられ役。とにかく親切。アメリカなどでも指導していたらしい。 ナオキ君 同じプログラムに参加したメンバー。 1 歳年上の先輩。まさかの同郷。 白石さん 同じプログラムに参加したメンバー。みんなの兄貴。社会人のしっかり者。 高田さん プログラムの責任者。約 10 年スペインで活動する。ポストがタメになる。 15 日目 起床。久々にマジでぐっすり寝られた。バイトのせいだったのかもしれない。ぐっすり寝られたということは出発まであまり時間がないということである。着替えていると目にボディシートが入ってきた。そういえばなおき君に貸したまま帰っちゃったな。盗まれたわ。 出発。 Google マップはどこにでも行けるけど、時間設定が鬼。普通にめちゃ歩く乗り換えを 2 分で提案してくるから、少し早めに出ないといけない。この学びはでかい。意外と時間がない。気づいたらギリギリの時間なのなんなんだろう。まあスペインだしいいか。日本でもやっているけど。でかインゲン豆を警戒しながら急ぐ。この地で指導者だけでなく、スカウティングも勉強できるなんて最高だ。移動中、本を読んだ。スペイン人の子供たちが当たり前にできていることが、なぜ日本の大学生ができないのか?その答えというか、なるほどと思える考えが書かれていた。日本人はサッカーネイティブではない。この言葉だけで何の本かわかる人もいるのかもしれない。 試合会場に到着。立派なスタジアムである。マルティンたちを見つけ、横に座る。スカウティングすべきチームは劣勢。 5 位のチームと聞いたんだけどな。相手がもっと上なのかな?相手にはアジア人らしき FW 、 CB がいて少し応援したくなった。ククレジャみたいなやつも 2 人くらいいた。 1 点先制され、チャンスも作られていた。しかしセットプレーの流れから得た PK で前半終了間際に追いつき同点でハーフタイムへ。 5 バックを敷いていた割にサイドが脆く、ペナへの侵入を許していた。押し込んだ際、スライドが甘くバイタルでボランチがフリーになれそうな場面もあった。この相手にどんな練習を構築するのか楽しみである。自分たちの試合があるので

サッカーの地平線を広げる-13・14日目-

岡部惇貴(3年/MF/武蔵高校) 登場人物紹介 マルティン 帯同チーム先の第 1 監督。人格神。人生で 3 本の指に入る、尊敬できる人物。師匠。 ジェラール 帯同チーム先の第 2 監督。いじられ役。とにかく親切。アメリカなどでも指導していたらしい。 ホセルイス ( ヨーダガムおじさん )  帯同チーム先のキーパーコーチ。メキシコから勉強に来ている。ストーリーがうるさい。 ハルキ君 同じプログラムに参加したメンバー。日本に帰りたいアピールしがち。 ナオキ君 同じプログラムに参加したメンバー。 1 歳年上の先輩。まさかの同郷。 白石さん 同じプログラムに参加したメンバー。みんなの兄貴。社会人のしっかり者。 アンヘレス ホストマザー。テンションの高いおばちゃん。寝言がすごい。 セルジ アンペレスの息子。チャンピオンズリーグ観戦の夢を叶えてくれた。 13 日目 起床。バイト。早くこのバイト地獄を抜け出して、サッカーについての思考時間を増やしたい。ついでにショッピングモールも行きたい。バイトを終わらせ、しばし自由時間。バイトのひと段落が近づいてきた今、考えることはこの朝の時間を何に使うかである。本も読みたい。自分のサッカー観を突き詰めたい。トレーニングの復習をしたい。メニューを整理したい。多すぎやん流石に。いくら時間があっても足りない。しかもこれだけを考えていたら、自分はパンクするときた、どうしたもんか。家系ラーメン食べたい。すいません、書いている時にふと思ってしまったので挟みました。時間の使い方を考えながらふと思い出す。昨日白石さんと色々話した際、一昨日日本食を食べた時、私は今回の参加者の中で 1 番若い 20 歳であったので、まだ 20 歳 ⁉ 若いなー。そんなことを言われた。若さってなんだろう、、。私の知り合いには高校 1 年生で社会人チームで指導者をやっている人がいる。今のア式の監督だって中学生から指導を始めたそうだ。ラミンヤマルは 15 歳にして、ラ・リーガを戦った。それはちょっと違うか。そんな方々を知っているので若いという言葉に違和感を覚えた。若さにはどういう意味があるのだろうか?大切なもの、当たり前に存在しているものは失ってからしか気づかないという。幸か不幸かまだその経験をしたことがない気がするので分からないが、多くの人が昔から言ってきたことなんだならそうなのだ

サッカーの地平線を広げる-10日目〜12日目-

岡部惇貴(3年/MF/武蔵高校) 登場人物紹介 マルティン 帯同チーム先の第 1 監督。人格神。人生で 3 本の指に入る、尊敬できる人物。師匠。 ジェラール 帯同チーム先の第 2 監督。いじられ役。とにかく親切。アメリカなどでも指導していたらしい。 ホセルイス ( ヨーダガムおじさん )  帯同チーム先のキーパーコーチ。メキシコから勉強に来ている。ストーリーがうるさい。 ナオキ君 同じプログラムに参加したメンバー。 1 歳年上の先輩。まさかの同郷。 白石さん 同じプログラムに参加したメンバー。みんなの兄貴。社会人のしっかり者。 高田さん プログラムの責任者。約 10 年スペインで活動する。ポストがタメになる。 砂川さん スペインで学ぶ日本人指導者。去年の同プログラム参加者。サッカーを学ぶために、スペインに移住してきた。 アンヘレス ホストマザー。テンションの高いおばちゃん。寝言がすごい。 セルジ アンペレスの息子。チャンピオンズリーグ観戦の夢を叶えてくれた。 10 日目 起床。今日は朝から個サル。 2 週間ぶりくらいに身体をちゃんと動かす。 8 時集合に遅れ、 1 人で行くことになった。目的地までは余裕で到着。中に入れない。アップをするために早く集合したのに。これはアップ無しで 1 時間ぶっ続けだな。怪我するにしても 2 週間くらいで治るやつであれ。荒いらしいから気をつけないと。 めちゃ楽しかった。ジェリーミナみたいな走らないやつとか、絶対いいやつやんっていう DF 、太ったデ・ブライネ、主催のデカいおじさん、めっちゃ走る帽子かぶっているやつ。個性豊かで楽しかった。相手にはコロンビア人三人衆 ( 全然国は知らないけど、コロンビアっぽい顔をしていた ) 、とにかくデカいやつ、上手くて動けるお爺さんになりかけのおじさんがいた。相手の DF リーダーは熱帯雨林の奥で自給自足の生活する村の村長みたいな野性味あふれる風貌をしていた。何歳になってもこうやってサッカーを楽しめるのは素晴らしいことだ。指導者脳で生活していた自分にとってプレーの楽しさを思い出させてくれた。 試合後は近くのカフェでクロワッサンを買って、ビーチを見に行った。海は思ったより綺麗。東京より数千倍綺麗。ほんの少しだけ夏が楽しみになった。次に向かったのはフットボールマニア。有名選手のサインやユニフォーム、スパイク