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DOMMYからの挑戦状

初めてのfeelings、なぜか茶谷君とゆみこさんにだけ言ったことがある私がア式に入部した1番大きな理由について書きたいと思う。
きっかけをくれたのは高校の数学の先生だった。 楽しそうに数学を教えてくれる先生が、何でも聞いてくれる先生が、「地方公立でも東大に行けることを証明したい」と熱く語ってくれる先生が、本当に大好きだった。 卒業する時その先生に言われた言葉― 「東大に受かることができるやつは持っているやつだ。お前だって仮に10回受けたとしたら毎回合格できたわけじゃない。だからこそ東大生には果たすべき義務がきっとある。『持てるもの』として何ができるか考えてみろ。」
春休みの間ずっと考えていた。東大生として何をすべきなのか、今の自分に何ができるのか。勉強とか留学とか色々考えたけど私には分からなかった。漠然と思ったのは自己満足で終わらないことがしたいということだけだった。
そうやって悩んでいた新歓期、「勉強だけじゃなくスポーツも頑張る」という私の知らない東大を見せてくれたのがア式だった。なんとなく勧誘されて練習の見学に行った時、真剣にサッカーと向き合う先輩たちの姿に正直圧倒された。東大にサッカー部があることは友人から聞いて知っていたけど想像と大きく異なっていた。受験生の私が知らなかった東大の一面だった。
そしてスタッフの仕事の幅広さにも驚いた。ア式には広報をはじめ本当にたくさんの仕事がある。その中で私が興味を持ったのが「リクルート」という高校生に対して行う活動だった。具体的には練習に高校生を呼んだり高校生対象のサッカーフェスティバルを企画したりする。ここでなら私にも出来ることがある、自己満足で終わらない、自分以外の誰かに何かできると感じた。ア式の活躍やリクルートの企画を通して全国でサッカーを頑張る高校生にエールを送りたい。東大生という立場から勉強と部活の両立は可能だと伝えたい、どちらかのためにどちらかを諦めないでほしい。そして特に地方高校生には東大を目指そうと思うきっかけを与えたい。多分これが今の私に果たせる義務だ、そう思えたからア式に入部することにした。
入部して2ヶ月少し、優しい先輩方や同級生のおかげで楽しんで部活できている。うまくできなくて反省することも多いけれどチームが勝った時の喜びも味わえるようになったし、新たにやりたいことも見えてきた。もちろん最初のリクルートを通して全…

変化

東大に入学してから、もう3ヶ月以上が経った。言い方を変えれば大学生活4年間48ヶ月の1/16が既に経過した。そろそろ新しい生活にも慣れてきた頃だが、時間が経つのは早い。こういう時、更に3ヶ月経った後の自分を想像してしまうのが自分の癖だが、2018年10月時点の自分、全く予想できない。無論3ヶ月前の自分も現在の自分を想像できていなかったが。周りの環境が(自分は地方出身なので特に)大きく変わったばかりでもあるし、無理も無いことではあるが。  ところでサッカーでは状況の変化は当然さらに激しい。ロシアW杯日本vsベルギーでもベルギーはアディショナルタイムに約10秒のカウンターで得点し勝利した。たった10秒ちょっとで状況は大きく変わってしまう。セットプレーなどでプレーがとまっていない限り10秒後にボールがどこにあるかも予測しづらいものだ。ただ、一、二秒後位なら予測はできる。当然その一瞬の状況の変化を予測して対応できるか、あるいは変化を自分で作れるかが勝敗を分けることになる。試合中に突然、いや、常に訪れる一瞬の変化がサッカーの面白さだ。しかし、今の自分はどうか。ここまで偉そうに言っておきながら今の自分を振り返ってみると、変化についていくのが精一杯になっている。まだまだ未熟。少し遡って高校の時はどうだったか。予測はまだできていたような気がするが。大学になって水準が上がったかあるいは自分の水準が落ちたか、あるいはその両方か。何かしらの変化がここにもあったわけだが、しかし、新生活にも慣れてきた今、勝負に勝つためにも大きな変化にも対応しなければいけない。  最後に自分が変化に対応でき自分でも良い変化を作り出せる選手へと成長するという決意を込めて初めてのfeelingsを終わろう。
一年後、自分が書いたこと見直そう 一年 河渕貴行

100年目のスタッフとして

入部してからはや2ヶ月、だんだん仕事にも慣れてきてア式蹴球部を「ア式」という呼称で呼んでいる自分に驚きが隠せません。今では、入部を悩んでいた頃の自分に「ちゃんと自分の居場所になるよ」と教えてあげたい思いでいっぱいです。
同じ大学の友人がどのサークルに入るか悩んでいる頃、私はそもそもサークルではなくア式に入部するかどうかで悩んでいました。 高校生の頃、寮生活をしていた私にとって大学生になるという事は「解放」そのものだったので、自由にお食事が出来る、遊ぶことが出来る、バイトも出来る、旅行も出来る、自分の時間の使い方は無限の可能性がありました。そして同時に、憧れでもありました。
ではなぜ、ア式に入部しようと決めたのか。 これまた高校生の頃のお話ですが、私はバドミントン部に所属していました。一応運動部ではありましたが、週に一回という部活とも言えない緩さで、何かに打ち込む、という経験をする事なく卒業、大学生活を迎えました。何か日常に物足りなさを感じていた頃、出会ったのがア式蹴球部でした。
「大学生活」という四年間は長いようできっとあっという間で、その貴重な四年間をどのように使うかは、自分の人生において大切な決断だと思います。 そして、何かに打ち込む事が出来る最後の四年間を捧げたい、それに相応しい、と思いア式蹴球部への入部を決めました。
このfeelingsを書きながらも、あの時の自分の決断に後悔など一切なく、ただひたすらに褒めてあげたいです。 これから先、様々な事を経験し、感じ、沢山の想いを抱くことがあると思いますが、その一つ一つを大事に過ごしていきたいと思うと同時に、一緒に乗り越えたいと思える仲間ができました。 他大生であるのにも関わらず、温かく受け入れて下さったア式の方々に恩返しできるよう、精一杯頑張っていきます。
長くなりましたが、最後まで読んで下さりありがとうございます。
ア式蹴球部100年目のスタッフとして名を残せますように。
1年スタッフ  石田舞美

ミタカリョウアシキの生態

東京大学の所有する学生宿舎のうち、前期教養学部生が入居できるのは三鷹国際学生宿舎、通称三鷹寮のみです。筆者が入学前に得た三鷹寮の評判は、「(家賃が)安い代償として、(設備が)汚い、(部屋が)狭い、(駅・大学から)遠い」というものでした。入居する前から絶望したのを覚えています。

一般に、大学でスポーツをやるときの選択肢であるサークルと部活のうち、部活のほうがサークルよりも厳しく、苦労も多いとされています。東大もその例にもれず、部活勢はよりストイックにスポーツに取り組んでいると思われます。その中でも、特に厳しいと筆者が入学前に耳にしたのは、アメフト、野球、そしてサッカーつまりア式蹴球部でした。


タイトル、ここまでの流れ、そしてこのfeelingsが部員ブログであることからお気づきでしょう。筆者は、三鷹寮生でありながらもア式蹴球部に所属している物好きなのです。

どうやら、今の現役部員には筆者と同族、つまりミタカリョウアシキはいないらしい。
ので、三鷹寮ってなんかヤバそうと思っているであろう同期、先輩方、あるいは東大に行きたいけど諸々の都合で三鷹寮に入るしかなさそう、でもア式で本気でサッカーに向き合いたいと思い悩んでいる受験生に向けて、ミタカリョウアシキの生態について綴っていこうと思います。最後までお付き合いいただけると幸いです。
ここでは手始めに、筆者の時間割的に最も忙しい木曜日の動きを紹介します。
6:00 起床  熟練したミタカリョウアシキは目覚まし時計には頼らない。体が勝手に目覚めるのである。夜の間に飛んできた連絡などをア式やクラスのLINEグループでチェックしつつ、身支度を始める。今日は1限からだ。テキパキ準備しないと。とりあえずシャワー浴びよう。 6:30 朝食 シャワーから上がると朝食を取る。食べるラー油乗せ納豆卵かけご飯と作り置きしてあった厚揚げの味噌汁を食べる。我ながらよくできている。旨い。まぁ卵かけご飯も味噌汁もそうそう失敗するものではないが。 7:00 片付けと準備 朝食の食器を洗い、ジップロックスクリューにご飯を詰める。1限からの日は弁当を作る余裕はないのでご飯だけ持っていく。部屋着から練習着に着替える。そう、ミタカリョウアシキはおしゃれな服装などしない。移動は練習着、講義も練習着、練習はもちろん練習着、帰宅も練習着だ。 雨がバシャバシャ降っているので、梅雨うぜーと悪態を…

ラストチャンス

僕がサッカーを始めたのは幼稚園の頃。それから小学校、中学校、高校とこれまでの10数年間の生活の中心は常にサッカーであった。ここまでずっとサッカーを続けてきた最大の理由はもちろんサッカーが好きだから。中学校までのサッカー生活では試合に出ることもできていたし、どちらかと言えば自分はチームを引っ張っていく側にいたと思う。だから、覚えている限りでは大きな挫折を経験したことはないし、「サッカーつまんない」と思ったことは一度もなかったと思う。そんなわけで高校でも真剣にサッカーをやりたいと考えて、そのような環境が整っていた高校に進学した。高校ではそれまで自分が考えていたのをはるかに上回る水準で勝利を求め、勝利のために日頃から常に努力し続けることが必要とされてた。正直にいうとキツかった。それでもどうにか必死にしがみついて2年の終わりくらいには試合に出られるようになった。そして先輩が引退し自分たちの代になる。しかし、新チームが始動すると調子が上がらず、怪我をしたこともあってベンチにいる時間が長くなっていった。「2年の時に出ていたから3年でも出られるだろう」という甘えもわずかながらあったと思う。3年になってからも怪我に次ぐ怪我でシーズンの半分程を怪我人として過ごし、復帰してもいいプレーができずにいた。高校最後の県リーグ、インターハイ予選、関東大会予選はほとんどプレーすることができずに終わってしまった。この頃は正直サッカーを楽しいとは思えず、恐らく自分のサッカー人生における本当の意味での唯一の挫折であったと思う。そんな中、高校3年の夏に東大ア式サッカー部との練習試合があった。東大を目指して勉強をしている真っ最中で、受かったら東大でもサッカーをやろうと思っていたのでどんなチームなのかなと気にはなっていた。しかしこの試合を機に、漠然とした「ア式に入ろう」という気持ちが「絶対にア式に入る」という決意に変わった。ア式の選手たちのサッカーに対する姿勢や技術、やっていたサッカーは、苦しい状況にあった自分にとってめちゃくちゃ魅力的だった。それからどうにか最後の選手権予選の試合にはギリギリ出ることができた。この試合は自分の中で最も思い入れのある試合だ。苦しい時期を乗り越えて大きな舞台でサッカーができる喜び、楽しさを再確認することができたから。一方で3年生になってからそういった舞台を経験するチャンスを逃…