2019年5月30日木曜日

変えたい

一ヶ月後の自分は、今より上手くなっているだろうか。少し前の自分なら、下手になっていただろう。


以前、A練に参加させてもらってた時、正直ビビりながらやっていた。自分はAの人に比べたら、圧倒的に下手だから、ミスしないようにと、怯えながらやっていた。当然、技術もないのだから、パスミス、トラップミスを腐るほどした。それも、何かチャレンジをしようとしてしたミスではなく、消極的なミスだから、そこから何も生まれなかった。

あの一ヶ月ぐらいで、自信を無くし、何をしたらいいかもわからなくなった。

なんで、こんなことになってしまったのだろう。

一つは、単に実力が足らなさ過ぎた。視野の狭さ、止める、蹴る、首を振る回数、見るべきものがわかってない、ポジショニング…数え上げたらキリが無い。


もう一つは、自分のしたいことを明確にもっていなくて、持っていたとしても、発信できないことだ。

自分のしたいことを明確に持ってないというのは、プレーイメージがないということだ。特に試合中に。試合を見直すと、こうすればよかった、ああすればよかったと出てくるが、試合中にはそういうイメージが頭に浮かびにくい。再現性あるプレーのイメージを実際に実行して、何回か成功させれば、その後は、常にそのイメージが頭に浮かびながら、スムーズなプレーができると思う。

イメージを実行するには、味方に合わせてもらう必要がある。


ここで一つ大きな問題が自分にはある。


発信できないことだ。


これは一番苦手なことだ。あってるかどうかわからないことを伝えるのは、自分にとってはムズイ。それで、人任せにしてしまう。
その結果、自分の考えがあっているのかわからず終いで、発展、修正がない。


抽象的なものになってしまったが、ここら辺で、自己分析を終わろうと思う。


課題を克服するには、変化が必要だ。意識的に変化を加えないと、1週間後、一ヶ月後、一年後の自分は変わらない。変えようと努力するのは、偽善だ。実際に変わらないと。

1日1個、1週間で1個、一ヶ月で1個でも劇的に変えていきたい。




2年 後藤

2019年5月26日日曜日

サッカーが好き

ア式女子ができてまだ3年目の新歓で入部を決意してから、さらにもう3年も経ってしまった。
3年間、できたてホヤホヤから安定期への過渡期にあったア式女子で過ごして思ったけれど、ア式女子には変わらないいくつかのキーワードがある。熱意、感謝、個の重要性、成長など。また、新歓などで「運動会」として自らを語るとき、そこにも、大学名を背負う、勝つ責任、縦の強い繋がり、などのキーワードがある。
私なりにこのあたりの言葉を整理してみようかなと思う。


結論からいうと、私たちの中心にある、ないしあるべきものは「サッカー愛」だと思う。サッカーが好きで、好きなサッカーを通じてつながった「チームのみんなが好き」で、みんなともっとうまくなりたい、うまくなって勝ちたい、という「熱意」が生まれる。
そして熱意は多くのものを生む。
熱意によって「多くの方々の協力」をいただいて、その中に大学があれば運動会という名前がつき、OBOGがあれば縦の繋がりが強いと言われる。そのような方々への「感謝」が生まれ、それは「恩返し」や「責任」という言葉でも語られる、もう一つの勝ちたい理由となる。
また、熱意によって、種々の強い感情が生まれる。うまくなりたい、勝ちたいと強く思えば思うほど、喜びも悔しさも、もっとチームのためになることをしたいという気持ちも大きくなる。たまには部員どうしでぶつかることもあるし、それを経てさらに「チームのみんなが好き」になる。増幅が増幅を生む、正のフィードバック。



これらとは別次元で、ア式女子には「ベンチャー」という要素がある。少人数・まだ少し残る不安定感、それゆえの個の重要性・成長せざるをえない環境、そしてここで実際に成長した尊敬すべき先輩方と頼もしい同期・後輩たち。就活をしていて雰囲気を好きになった企業がことごとくベンチャーで、私自身、このベンチャーに染まってしまったらしい。

さらに、ベンチャーゆえだからかもしれないけれど、文京LBレディースと合同で活動しているため、「大所帯」という一面ももつ。そこは中1から61歳までの女性が、本当にケンカもイジメもなくサッカー仲間として共存する楽園のようなチームで、ここのメンバーにサッカー愛や熱意を刺激されることもしばしば。ちなみに先ほど"部員のみんなが好き"ではなく「チームのみんなが好き」と書いたのは、この文京の仲間も含めたかったから。

一般に、「ベンチャー」と呼ばれる期間は短い。そう遠くない未来、ア式女子はベンチャーではなくなると思う。しかし、人数が増えたからといって一人ひとりの重要性が下がることはないし、今以上にサッカーという競技に没頭できる環境が整い、より多くの人ともつながりができるだろうから、成長スピードはむしろ上がるはず。「ベンチャー」を失っても、「個の重要性」「成長」の要素は失ってほしくない。


話を戻すと、結局私たちはサッカーが好きなのだと思う。
そしてこの3年間で学んだことは、サッカーは頭や体の使い方がわかるにつれて指数関数的に面白くなるスポーツだということ。指数関数と言いつつ、各々のできることと連携できる人数が同時に増えれば指数だけでなく底(てい)も増えていくし、それに加えて理解できる戦術書、試合観戦で気づけることなども増えていくから、実際には指数関数どころではない。1年生のときは蹴ったボールがまっすぐ転がるのが喜びだったけれど、今ではできるプレーも広がり、サッカー愛もその頃の比ではない。
でもそれは逆に、できないプレーがまだたくさんある今、私のサッカー愛もまだまだ未開拓だということだと思う。「あの頃の私ってあれでよく『サッカー楽しい』って言ってたな」と3年前の自分を振り返って思うように、5年も10年もサッカーをやってきた人たちからすると私はまだそんな感じなのかもしれない。


チームの話がだんだんと自分の話になってしまったけれど、3年後、今の自分に同じことを言ってやれるように、もっともっとうまくなりたい、勝ちたい。週4回もサッカーをさせてもらえるのは今年が最後だから、大好きなサッカーに、思いきり打ち込みたいと思う。




あと10年くらいはサッカーしたい
水谷優香

2019年5月22日水曜日

思いに名前はつけない派

feelingsを真面目に書いた人ならわかると思うが、真面目にタイトルをつけようとすると体力を使う。
なので、あえてタイトルはつけないことにした。あえて。

この文章を書く直前に同期のO君のfeelingsを読んだ。真面目な話、彼のfeelingsは毎回内容の質が高い。
今回も素直に「すげえな」と思った。

言ったとおり内容の質が高いのはそうなのだが、自分的に言わせれば、あの長文feelingsたちを「彼の味」だと思わせることができているのがすごい。
ひとえに日頃の態度の表れである。
彼の様な文章を書いたとして、彼の様に評価される人は今のア式に何人もいないだろう。

なので自分のメモ帳にも負けず劣らずの長文が眠っているのだが、いいねが伸びなかった時が辛いのであえて封印することにする。あえて。

あえて、といえば、
「日頃、意識するようにしていること」
と言われて、なにか思い浮かぶだろうか。

ピンとこない人のために例えると、自分の同期の、おそらくこのfeelingsを読んでいないであろうI君にとっては、「毎晩シャワーの後に化粧水を叩く」こと。流石の美容意識。すばら。

I君でスベっていたとして、自分には関係ないので、進みます。
自分的には
「迷ったらやる、可能な限り」
このフレーズ。

なぜなら、やった後悔より、やらなかった後悔の方が間違いなく大きい。
一度やらなかったら、だいたい次もやらないし、次やるとして、それにはとても体力がいる。
過去にやらなかった自分を否定しなければいけないから。

なので、今やれるならやる。とりあえずやっとく。可能な限り。

だから、冬オフに1週間で3個の旅行が被ったとして、その費用が口座になかったとしても、親に可能な限り頭を下げて、お金を借りる。

釣りに行くか迷ったら、天候が許す限りは行く。なるべく日の出前がベスト。朝マズメは逃せない。気持ち的には、逃さない、つもり。

そしてもちろん、引退した某Hさんに「五月祭でペンギンを探そう」と言われたら、ちゃんとついていく。
(ちなみにこのペンギン、Hさん曰く女性について行く習性があるらしく、結果として、あくまで不本意ながら、道行く女性に「ペンギン見ませんでした?」と聞いてまわらなければならない。)

だが、このことと、今自分が翌日の授業の提出課題をやっていないことは、矛盾するようで矛盾しない。

やるべき期限がハッキリわかっている場合であったり、やらなかったとして起こる結果がハッキリわかっている場合は、自分の余裕次第ではやらなくたっていい。
待つことが大事なこともある。

あくまで「やらなかったらどうなるんだろ。わかんねえなあ、、、けど後悔するよなあ、、」という時の話をしている。

課題をやっつけで済ませたとして、自分はあまり後悔しないのでセーフ。自分的には。

ところで、今までfeelingsを何度か読んできた人なら、もうこのあとの展開が読めてしまうだろう。
なので、あえて、具体的には書かない。決して、飽きてきたとかではない。

当たり前だが、この部活が蹴球部である以上、日々の考えは全てそこに繋がっている。

後は経験値を積んで、
「やるか、やめとくか」判断の見極めを正確にしていく必要がある。
一度やったからわかるが、旅行の金をあとから返済するのは心にくる。
から、もう借金はしない。なるべく。

この見極めと判断、そのための情報収集のサイクルを自分の意思で回すこと、自分にとって、これが自立。

誰かに怒られたとして、凹むとわかってるのにその感情まで真正面から受け止めても仕方ない。どうせ凹むんだし。
そこはもう、言われてることを客観的に受け止めて、凹むくらいなら反省する。次につなげる。なるべく。

納得いかなかったら「納得いかねえ」と思いながら、言われた内容は解釈して受け止める。できる限り。

自分にとって大事なことなら、できるだけ無駄を省かないと。
そしてその"できるだけ"の基準を高めないと。これが何より大変だけど。

釣った魚の命を奪っているのだから、できるだけ身を残さないようにおろす。食えるところは食う。頭もアラも、出汁に使う。

つまりは、そういうこと。











Nしんさん、つまんないとか言わないでください。


タイトル募集してます。



3 神辺須蓮

2019年5月19日日曜日

ブレイクスルー

気づけばもう3年生になってしまった。入部してからの2年間はあっという間だったとも言えるし、長かったなとも思う。

そんな2年間で自分が成長できたか。胸を張って「はい」とは言えない。

有難いことに、1年生の早くからAチームでプレーさせてもらって、後期には少し試合に絡むことが出来た。スタメンとして出場できたのは先輩が負傷離脱していた2試合のみで、基本はセカンドだったが、悲観はしていなかった。


そして2年生になり、チームを少しでも引っ張るつもりで新シーズンに臨んだ。しかし小さな怪我を重ね、プレシーズンは全くプレーできなかった。遼さんの下で急速に成長していくチームや仲間を見ながら、心の中で焦りがどんどん膨らんでいく。ようやく復帰できたのはリーグ戦開幕週だった。復帰すればこの焦りもどうにかなるだろうと思ったが、むしろその逆、上手くいかないことの連続でその気持ちは更に大きくなった。「まあ復帰したてだし仕方ないだろう」くらいに思っていれば良かったものを、良くない癖で真正面から受け止めてしまった。過剰な焦燥感に苛まれていた僕は、あまり調子は戻っていないのに、「試合に出なきゃ」と過度に意識するようになった。そして試合に出ることへの"近道"として僕が心掛けたのがミスをしないことだった。これがいけなかったと思う。酷く後悔している。なんやかんやで前期の後半は試合に出られるようになったが、ミスへの恐怖に支配されながら、まさに騙し騙しプレーしていた。いくつか点は取れたが、センターバックとして求められるプレーがこなせていたとは言えなくて、素直に喜べなかった。
ミスを恐れる姿勢は癖になった。悪い癖ほど簡単につく。ミスへの恐れが生み出すのは、ミスだ。分かっていてもどんどん怖くなった。通せるパスのレンジも、その精度も、見る見るうちに落ちていった。
中断期間を迎えてもそれは変わらず。そんな状態ではいいプレーができるわけがなく、何より、成長できなかった。当たり前だ。積極的なミスを繰り返しそのフィードバックを受けて一つ一つ成功体験を積んでいくことでしか成長はできない。そんな当たり前のことにも気付かぬまま、1試合を、1回の練習を、1プレーを、無駄にする日々が続いた。迎えた京大戦、酷いプレーだった。必然だった。スタメンから落ち、いよいよ歯車は狂いきった。
そのまま後期に突入し、試合に出られぬまま、チームが勝ち点を積んでいくのをベンチから見ていた。そして昇格が懸かった帝京戦。終了間際にクローザーとして出場したが、笛が鳴ったとき心から歓喜することはできなかった。あの瞬間が一番悔しかったし虚しかった。ずっと目指してきた昇格の瞬間に、心から喜べないこと。胸を張ることが出来ないこと。輪の中にいながらどこか蚊帳の外のような気持ち。二度とあんな思いはしたくない。

そして3年になった自分は、相も変わらずセカンドに身を置いている。試合に出てもクローザーのまま。
次々と先輩方が卒部していく中で立場が変わらないということは、次々と仲間に追い抜かれているということ。停滞どころの騒ぎじゃない。
そこそこ自信に満ちていた1年の時の僕は、2年後のこんな現状を想像すらしていなかったと思う。



やっぱり昨シーズンの1年間は悔やんでも悔やみ切れない。

沈んで、沈んで、また沈んで。自分でどんどん首を絞めていることにも気付かず、やがて浮き上がれなくなった。
上手くいかない時、下を向いて沈むのが一番楽だ。痛いところから目を背けられるし、簡単に自分を守ることができるから。
でも本当は痛みと向き合って、傷付いて、無理矢理にでも顔を上げて前に進まなくてはいけない。こんな単純なことが分かっていなかったのか。或いは頭では分かっていながら、逃げていたのか。自覚も覚悟も責任も、何もかも足りていなかった。
チームと、色々な人に対して、申し訳ない。

そんな中でも、僕を気遣っていろいろな声を掛けてくれた先輩や同期がいたのが救いだった。掛けてくれた言葉は全部覚えているし、それが今になって生きていたりもする。本当に感謝している。それと同時に、ごめんなさい。

結局、自分の背中を押せるのは自分自身でしかない。周囲の人はきっかけやヒントを与えてくれるだけで、最終的にどうにかできるのは自分以外いない。
いくら客観的に遠かろうと叶えたい目標は近くにあると思い込まなきゃいけないし、それに辿り着くまでの小さな目標も自分で立てていかなきゃいけない。自分を小さな箱の中に閉じ込めてしまったら何を頑張ればいいのかわからなくなる。
突破口が見つからなければ見つからないほど、ネガティブな気持ちに支配されていくものだが、だからこそポジティブな気持ちを作り出していく必要がある。自分が自分を信じられなかったら、一向に事は良くならない。それがめちゃくちゃ難しいんだけど、それも努力なんだと思う。

そんなことは既に知っている人が大半だろう。でも僕はそれを理解するのに1年かかった。長過ぎだと思う。

まあ、後悔したところで意味は無い。下を向き続けて無駄にしてしまった昨シーズンはもう帰ってこないし、過去を省みて今を無駄にするのが、何より馬鹿馬鹿しい。

最近は、割と前を向けていると思う。下を向かず前を見据えて取り組めている。ミスを恐れなくなってきてるし、今すべきことも去年よりは見えている。
鍵はほんの少しのきっかけだと思う。それが分かったら苦労しないのだが、そんな簡単にはいかないだろう。自分で手繰り寄せるしかない。



木曜の練習で相手チームの振りをすること。セカンドで全然勝てないこと。スタメンのアップをベンチで見てる時間。それに少しホッとしてる自分に気付いた時の不甲斐なさ。昇格を心から喜べない虚しさ。試合後の挨拶で観客の中にいる親と目が合った時の申し訳なさ。
正直もう沢山。

残すはあと1年半。あんまり時間が無い。
でも成長するしかない。
技術、認知、判断、決断力、サッカーIQ、柔軟性、身体操作、メンタル。素晴らしい環境のお陰で高校までは考えてこなかったような能力のベクトルまで見えてくるようになった。その全てに対して真摯に向き合って伸ばしていきたい。

結果は出ようが出まいが、なんて綺麗事は言えない。心から結果を出したいと思う。
でも酷かった1年のおかげで、結果は目指すものじゃなくて付随するものだってことにも気付けた。それもみんな知ってるか。

自分がこれまでサッカーに対して注いで来なかった努力を、惜しむことなく注ぎたい。
サッカーが好きだと、終わった時に胸を張って言い切りたい。

この先のことを思うと、正直怖いこととか不安なことだらけだ。でもやり切りたい。足掻いて足掻いて駄目だったら、それは仕方ないと割り切ろう。



という訳で、がんばります。



最後に、申し訳程度になるけど、
セカンドも育成も、目標を勝手に遠ざけて成すべきことを見失うことなく、顔も心も上を向いて取り組んでほしいと思います。

3年 大谷

2019年5月15日水曜日

いつかきっとエモくなる

「東大に入ってまで、サッカーを続けるという選択をしたこと、ア式にいる意味を考えろ。」

ア式部員なら入部する時も、入部してからも様々な場面で聞く機会があるこのフレーズ。
私はその度に毎回、何度聞いても思うことがあって。


何を、どうやって考えようか。
待てよ??
そもそも私は、東大に入ってすらいないぞ、、?
(ゆうてサッカーもしてないが)



開示って何?ALESS/ALESAとは??逆評定?同クラ下クラ??なんだそれ??

入部してからは、知らない単語をインプットしていく日々。
センター試験すら受けたことがない私はあまりにも無知で、最初の頃は話についていくだけで精一杯、今思い返すとそこに気を取られていてかなり無能だったように思います。
ごめんなさい笑


何かに夢中になりたくて。
そんな想いで入部したものの、スタートから自分だけ遅れている気分だったのは今だから言えること。

でも決して、みんながそういう風に接しているからというわけでは全然なくて、むしろその逆。
一人の学生として、ア式部員として、意見を尊重して接してくれる、それは胸を張って言えるア式の良いところ。
けど、だからこそプレッシャーでもあって。
何か失敗してしまったら、何か出来なければ、と考えてしまう。挑戦なんて出来なくてただ保守的に、ただ受動的になってしまう。
与えられた仕事で満足して、それ以上に踏み出せない。与えられた仕事さえ、ビクビク怯えながらする時も多かったように思います。

数少ない他大生(今や2人)だから、失敗が許されない気がしていたのかもしれない。

なんで自分がそう思ってしまうのか、自分の小ささに嫌になることは何度もあったけれど、やっぱり拭うことは出来なくて。
自分ってこんなに卑屈だったっけと悩んだこともあったりして笑


ア式にコミットすればするほど痛いほど分かるのは、ア式にいる人たちは本当にすごいということ。

努力、を知っている人たちだから。
その努力を、結果に繋げた人たちだから。
正直、怖かったのも事実なのかもしれない。
同じ目標のもと、その目標に向かった全力を同じ熱量と力量で注ぐことが、果たして自分に出来るのだろうか。

他大学のスタッフになるという選択肢は正しいのだろうか。

悩んでも悩んでもまだ分からないし答えは出てこないけれど、せっかく回ってきたFeelingsだから、正直な私のfeelingを書こうと思います。


その答えを、断言することができないのが今の本音。

ただやみくもに目の前の業務をこなすだけの
日々が正しいのか。
本当にア式の為になっているのか。
自分の人生計画に沿っているだろうか。

難しい、、、

だから思う、
東大に入ってまで、ア式にきた意味??

そんなもの知らない。だって東大に入っていないのだから。私が考えるのはきっとそこじゃない。


他大生なのにア式にいる意味。存在意義。


今はただひたすら、サッカーに全力を注ぐ選手を、サポートするスタッフやコーチを、私なりに支えたい。出来る限りのことをしたい。

たった1人でも必要としてくれる人がいるなら、その人の為に頑張りたい。

それだけでいいんじゃないかと思えるようになったのも成長した証、、だと信じたい。


この模索期間さえも楽しんでやってみようかな。
いつかきっとエモくなるから。



同期のSセメがひたすら羨ましい。
2年スタッフ  石田舞美

2019年5月11日土曜日

intersection of football and technology

今となって少し黒歴史であるが中学生の頃はスティーブ・ジョブスにめっちゃ憧れていた。ジョブスは言わずとしれたAppleの創業者の1人である。大学生になった今はキラキラした感じがあまり得意で無くなってしまったので違うが、昔はそのカリスマ性とか世界を変えたみたいなところに惹かれていた。

中学生の自分はiPhoneやMac Book Airなど当時のお小遣いでは手も足も出ないApple製品をインターネットで探してはそのかっこよさに惚れていた気がする。懐かしいものでMac Book Airの発表会の封筒から取り出すシーンとかは何回も見た。中2くらいでジョブスが亡くなったというニュースが流れた。

その後伝記が発売される。伝記にはintersection, 和書においては「交差点」という単語が数多く載っている。ジョブスはintersection of liberal arts and technologyを一つの哲学としており、AppleやPixarでそれを実現してきた。技術のみでは意味がなく技術を他の何かと組み合わせてこそ人の心を動かすことができると言っている。

今現在当たり前のようにスマホでサッカーの中継見ていることを考えると12年前にiPhoneを作ったジョブスはマジで凄いし偉大だと思う。

ジョブスは21世紀はintersection of biology and technologyになるだろうと言った。biologyというのは健康なりスポーツとかを含むと勝手に思ってる。現に近年のAppleの新商品であるWATCHを見てもらえば分かるが心拍数を記録したり事故に遭ったときに自動で救急を呼ぶなどの機能がついている。

また2018年の9月のAppleの新商品発表会で紹介されていたHOMECOURTというバスケ向けのアプリがある。デモの動画を見てもらえば分かると思うのだがこれが凄くおもしろい。3脚にiPhoneを固定してアプリを起動すればシュートをどこで打って入ったか否かを自動的に判定してくれるというものである。


サッカーにおいても、これから更にテクノロジーとの融合が進むのは間違いないことであろう。

自分は部内で「入力」という試合を観てポチポチパソコンをいじる仕事しているのでサッカーのデータ収集について少し話したいと思う。

サッカー界において今現在何ができているかというと、「機械的に見たらわかること」つまり走行距離、スプリントの回数やボールの位置、所謂トラッキングデータは高精度でほぼ自動でデータを得ることが各国のトップリーグでは可能になった。

TRACABという米ChyronHego社によるサービスが現状デファクトスタンダードになっており各国で採用されている。これは5、6台カメラを設置することで、選手は何もセンサーなどをつけることなく人の動き、ボールを追うことが可能となっている。


しかし現状ではこの手の技術は導入するのがきちんとしたスタジアムを除いては難しく、莫大なランニングコストないしロイヤリティーがかかるため(たぶん)、日本ではJ2以下のカテゴリーではトラッキングデータは取られていない。

またGPSを用いたトラッキングも普及し始めており、GPSのついでに医療系のデバイスを付随させて身体のデータを取るという使い方もなされている。

技術のこれからの発展には大きく分けて2種類あると思っている。

一つは「見て判断する必要がある」データの自動収集である。

簡単な例でパス成功率を挙げよう。パスが成功したかというのは人間が目で見て感覚的に判断するにはそんなに難しくない。しかしパスが成功したかどうかというのはコンピュータにとっては判断するのがかなり難しいというのが一般的な認識である。

この手のデータを集めている企業もあるが完全な自動化には至っていない。例えばOptaという英国の企業はこれを(ざっと調べた感じ)人海戦術で行っている。

良いニュースとして最近Beta版が発表された日本のPitchBrainというサービスがある。これは試合の動画を自動でラベリングしてくれたり、オフ・ザ・ボールの選手の動きをしてくれるというから驚きである(ゲーゲンプレス、リトリートなどを判定してくれるっぽいから凄い)。


もう一つは技術のコモディティ化である。

こういった技術は導入も維持もコストが馬鹿にならないためプロとほんの一部のアマチュアを除いては使われていない。

例えば先述したようにTRACABは現状大学生が使えるようなサービスではない(調べたところ数年前に鹿屋体育大学が試験運用していた程度)。まず大きなスタジアムでないと全体を見渡せるような場所に定点のカメラを置けない。置けたとしてもかなりの機械のチューニングと人的コストが必要であろうからかなり厳しい。

GPSも未だ数百万はかかるのが普通である。このあたりの技術的な障壁を乗り越えることでアマチュアでも安価で簡単にできるようになってほしいところである。

上記の2つができるようになるとどうなるかというと、御殿下の隣でカメラ付きドローンを2,3台飛ばすとリアルタイムでトラッキングデータ、パス成功率が何もせずともスマホで見れる..みたいなことになるかもしれなくて面白い。

残念なことにこのレベルに達するまでには数十年かかるのは間違いない。GAFAが本気を出してくれたら10年後とかにはこうなってるかもしれないが。


自分の専攻は情報なのである意味大学サッカー界においてはサッカーとテクノロジーの交差点に最も近いところに立っている人間のうちの一人な気がする。だからこれから技術がどのようにサッカーと交わっていくのかすごく楽しみである。

自分は育成にいる選手なのでまだ自分のデータを入力するということは残念ながらしたことが無い。そして多少特殊な事情により選手として残された時間は本当に少ない。

それなのに最近は毎週自分の不甲斐なさを感じるプレーばかりしてしまっている。おそらく最近の自分のデータを取ったら最悪な感じだろう。もっと自分がやりたいことを周りに主張するべきなのに結局下を向いてばかりいる。絶対にもっといいプレーができるはずなのに。

まあ後悔してもしょうが無いので切り替えるしかない。

いつか自分のプレーを入力すること、満足できるプレーとデータを残して勝利すること。

この2つを目標にやっていきたい。


3年 上野

受験肯定論

弱冠20歳を迎えたばかり、人生まだ1/4も終わっていなさそうではあるが、“受験勉強”はおそらく僕の人生の中で一つの大きなターニングポイントになるのだろう。
海外の大学進学制度と比較されるなどして、また受験勉強は“役に立たない”などと言われて、何かと批判されてしまいがちな大学受験であるが、僕にとっては自身を変えるきっかけになった非常に重要でかつ充実した時間だった。
故に、今回このような”受験生向けfeelings”なる企画の記事の執筆を頼まれた時、読者として想定されている受験生(そうでない方もいらっしゃるだろうが)に向けて、受験の魅力と言っては何だが、受験が皆さんにどのような好影響を与えうるかを伝えたいと真っ先に考えた(ここでいう受験生は、無論東大受験生以外をも含む)。
僕の体験談という形にはなるが、これを読むことで皆さんの受験へのモチベーションが少しでも向上すれば、もしくは受験もそんなに悪くないものだと思っていただければ、目標は達成されたことになる。
少し長くなるかもしれないが、時間がある方は最後までお付き合いいただきたい。
さて、本題に入るが、受験を通してのもっとも大きな変化の一つは、単純に”勉学”に対する向き合い方、換言すれば“学び”と僕の関係である。
とはいえ、別に中学、高校と、不真面目に勉強に取り組んでいたわけではない。
ご縁があって柏レイソルU-15に入団し、週6でサッカーに打ち込んでいた中学時代は、普段から着実に勉強をすることは体力的にも精神的にも困難だったが、テスト前には必要な量の時間を確保して勉強し、学年一桁に入るぐらいの点は取っていた。
高校進学の際も、ユースの活動を続けつつも勉強は疎かにしたくないという思いと、学校行事にもしっかり取り組みたいという思いから、行事の盛んな地域では(一応)トップクラスと言って良い高校を選んだ。
入学当初は、高校の偏差値の高さにビビって、また果たしてちゃんと授業についていけるのかと思って、必死に勉強したこともあり、それなりの点は取り続けていた。
ただ、ここで何か目標があって勉強していたわけではなく、なんとなくサッカーだけになって勉強の方が疎かになるのが嫌だ、という思いのみから勉強をしていたと思う。 勉強が楽しくなかったわけではないのは事実であるが、本当に自分の興味で勉強をしていたわけではなかったし、まして東大のような難関と言われる大学に進学したり、その後アカデミアの世界で行きていくのだ、などとは考えもせず、サッカーで生活ができれば良いと考えていた気がする。
そうは言っても受験に向けていよいよ本格的に動かなければならなくなった高2の冬、そのような取り組み方、考え方を変えてくれたある一人の同級生との出会いがあった。
彼は、当時の僕からはおそらく遠い存在に見えていた”東大志望”であった。
彼がどのような経緯でいつから東大を目指していたのかは、知らない(もしくは覚えていない)のだが、早くから受験勉強を始めていて、僕なんかよりうんと勉強が進んでいた。
僕もまだ志望校は未定だったが、一般入試で大学に行きたいと思い、受験勉強を始めていた中、どういう風の吹きまわしか、そんな彼と一緒に勉強し、話をするようになった。
彼やその周りで勉強を頑張っている友達と共に過ごす時間は、今までにない時間でとても楽しかった。年代別で考えれば、サッカー界において日本のトップレベルと言っても良いところにいて、世界も見てきたが、大袈裟な表現だが、結局は局所的な世界しか見えていなかったのだとその時感じた。
特に彼は、当時の僕にとっては驚きの頭脳の持ち主で、勉強に対する取り組みや考え方、また振る舞いや話し方に到るまで僕には新鮮で、いつしか僕もああなりたいと思える存在になっていた。また、そのような人々に囲まれて、将来生きていきたいと思った。
それからはもう夢中になって、今から見れば超人的な量の勉強していた訳だが、その時間は今見返してみても、非常に貴重な時間であったし、やっていた当時も非常に楽しかった。
そうしていつしか、勉強に対する心の持ちようが変わり、学ぶことを自信を持って好きだと言えるようになっていた気がする。
大学の学部や修士・博士課程における学問から見れば、もちろん、たかが受験勉強の内容なのであるが、今までろくに本も読んで来ず、テスト前に詰め込み勉強をしていた僕にとっては“受験勉強”は本当に多くのことを学ぶ機会であったし、その過程で前よりはまともに(論理的に)思考できるようにもなった気がする。こんなこと言えた立場ではないのは重々承知しているのだが、今から本格的に受験勉強へと向かう皆さんに、たった数年上の先輩としてここで一つお伝えしたいことがあるとすれば、それはもし今まで特段集中的な勉強をしてこなかったのであれば、ぜひこの機会を大いに活用して思う存分に学んで欲しいということである。実際、大学受験で培った素養は大学でも十分に役立つので、“受験否定論”に踊らされることなく、また“ガリ勉”と揶揄されることを恐れることなく、勉強にどっぷりと浸かってみてはいかがだろうか。
ここまで偉そうに言ってきた僕だが、結局一年目は約3点差で合格が叶わず、一年間の浪人生活を経て東大への入学を果たした身である。よってここで、一年での合格が叶わずもう一度東大を目指す諸君に向けても一言述べさせていただきたい。
簡潔にいうと、僕は浪人したことについては全く後悔がなく、むしろ人生に(特に学業の面において)プラスであったと考えている。
ここで、“浪人した方が人に深みが出る”などという、使い古されたかつ言い訳じみた理由を述べるつもりはない。確かに、もう一年間余分に勉強に打ち込むという点で忍耐力は幾分鍛えられたのかもしれないが、そんなのは本質的でないし、そもそもそのようなものは中高のサッカー生活で身についていた。
浪人が良かったと思える理由は、約一年間の勉強漬けの生活で開きかけていた新たな世界への扉を、浪人生活はさらに大きく開けてくれたからである。
顕著な具体例としては、浪人生活の間に英語が一定のbreakthroughを迎えたことにより、大学に入ってから大学のプログラムで仏語を集中的に学ぶことができる機会を得て、そのプログラムを通じて多くの人と出会うこともできたし、語学スキルの向上を果たすことができたことがある。
僕の場合は、語学(言語)を通して新たな世界が広がったわけだが、その広がり方の種類は枚挙に遑がないだろう。ゆえに、浪人生の皆さんも案ずることはない、きっと浪人生活を過ごすことで違う世界が広がってくることと思います。ぜひ勉強を心ゆくまで楽しんで欲しい。
さて、次に受験勉強と学業以外の部活動などの諸活動(僕の場合はサッカー)の兼ね合いについても話してみたい。
まず大前提として、なにも世間にいう“文武両道”に踊らされて、双方をやる必要はないことを認識する必要がある。
前述したように、僕がサッカーを続けながらも勉強をある程度の強度で続けていたのは、僕がそれを望んだからであって、もしこれを読んでいる貴方が、サッカーを極めたい、勉強を極めたい、はたまた他のスポーツを極めたいと思うのであれば、それだけに専念すれば良い。中途半端な“両道”を目指して、どちらも“道”とならないのであれば意味がない。
ただ、たった数個上の先輩として一つだけ重要な助言をするとすれば、どのような“道”を選んだとしても妥協を許してはいけないということである。
何を当たり前のことを、と思うかもしれないが、(これまた僕が言えた立場ではないのかもしれないが)僕がサッカーでプロを目指す集団にいた時だって、みんながみんなこれに当てはまらなかったことを考えれば、これが案外難しいことだとわかる。
しかし、マルコム・グラットウェル氏が提唱した、有名な“10000時間の法則”からも伺えるように、一定の成果を生み出すためには、相当量の時間的資本を費やした上に、適切なPDCAサイクルを続けなければならない。
もちろんやることはなんだっていい、しかし絶対に妥協を許してはいけない。やりたいことを決めたのであれば、立ち止まっている暇などない。日々思考し、試行する二重のシコウを続けなければならない。十分な思考の上に、ある”道”を進むと決めたのであれば、あとはそれを突き進むしかない。サッカーをすると決めたのであれば、勉強をすると決めたのであれば、それをとことん追求することにやはり価値があるし、はたまた遊びたいのであればとことん遊んだら良いのではないか。中途半端が一番価値がない。
それでも一度しかない高校生活の中で、もし課外活動と勉強、例えば“サッカーと勉強どちらも譲れない”と決めたであれば、どうぞそこは大いに欲張って、いわゆる“文武両道”を目指して欲しい。
また、仮に“文武両道”を目指すのであれば、必ずどちらも妥協せず高いレベルを目指して、満足するまで粘りつよく続けて欲しい。それから必ず多くの貴重な経験を得られるであろう。またそれが、高校3年になる年、受験があるからとサッカーを離れてしまったことに、まだ未練が残っている僕からの最大の助言でもある。是非これだけは実行に移して欲しい。
部活動を最後まで続けようと思うと、周りが勉一斉に強に向かう中、部活を続けている自分に焦りも生じるだろう。
でもそんなのを気にする必要はない。どちらもやる決断をしたのであれば、引退まで走り抜いて欲しい。勉強はその後だってできるし、部活動をやりながらだって時間はある。
大変なことも多かれと思いますが、どうか受験生時代を大いに楽しみつつ“学び”の楽しさを発見し、自分の決めた“道”を走破する高校生活を送って欲しいと願っている。
”Time flies”は真である。立ち止まっていては時間が過ぎるばかりだ。
ぜひ頑張ってください。
最後に、このブログを読んでくれている人の中には、実際サッカーをしていて、東大を目指す人も多かれと思う。ならば勉強に疲れた時には、是非御殿下に足を運んでみて欲しい。そこでは、毎週のように我々が真剣勝負を繰り広げている。少なからず皆に、机にまた向かえる元気を与えられるような試合を繰り広げるべく、我々も日々“妥協”せず小さな努力を重ねていく。
Many a little makes a mickle.
2年 染谷大河

今という時を大切に

自分が生まれてから19年かけてたどり着いた先は東京大学に入学し、ア式蹴球部に入って勉強やバイト、友達と遊ぶことなどをしつつもサッカーを中心とする現在の生活であった。
自分が“今ある自分”になったのはなぜだろう。
サッカーは父や仲の良かったいとこたちの影響もあって幼い頃から大好きで、幼稚園の頃からほぼ毎日ボールを蹴っていたと思う。やめようと思ったこともなく、本当にサッカーが好きだったからサッカーを続けることができる環境が有る限り、いくつになっても真剣にやり続けるだろうということは想像していた。
一方で勉強に関しては、日本一の大学である東京大学に入学するということは4、5年くらい前までは想像もしていなかったどころか、あそこに行くことができる人は選りすぐられた一握りの天才であって、自分は到底行くことができるはずはないとすら考えていたように思う。
そんな自分が東京大学に入学するに至ったきっかけはなんだろうかと考えてみると、それは中学に入って最初の1学期中間テストであっただろう。中学は公立の中学に通っていたのだが、自分が住んでいた地域は小学校の頃から中学受験をする人も多く周りには頭のいい人たちも多くいた。そんな環境の中で、中学の定期テストは初めて校内での順位も出て他人との実力差が数値という形ではっきりと目に見えるということで、「自分は何位くらいなのだろう」と漠然と思いつつ、高いモチベーションで臨んでいた。
「1位だよ」
先生から順位が告げられた。初めてのテストで1番をとることができたのだ。まさか自分が、とは思ったが自分にはそれだけのポテンシャルがあるということがわかり、それ以降のテストは「絶対に負けたくない」「1位は誰にも渡したくない」と思うようになっていた。このように割と高いモチベーションで勉強に取り組んでいた影響もあって、受験時にはある程度レベルの高い学校に進学することができる状態にあった。高校はどこに進学しようかと考えた時、自分の中での条件としてサッカー、勉強ともに高いレベルで取り組むことができる環境が整っているということがあった。そして、その条件にぴったりと当てはまったのが渋谷幕張高校だった。
勉強面に関して、渋谷幕張では多くの人がとりあえず東大を目指してみるという人が多く、学年の半分くらいが東大を第一志望としていた。高校に入った時点で、自分はここの大学に行きたいというような意志はなく、漠然と早慶の付属高校ではなく渋谷幕張に来たのだから早慶以上の国公立に行きたいと考えていた。そうなると条件に当てはまるのは東大と一橋。そうはいっても「さすがに東大は無理っしょ」と思っていたから自ずと目指すところは一橋になっていた。
1年生の頃は明確な目標もなく、高校生になって部活もそれまでと比べると大変だったので勉強は定期テストの前に一気に詰め込んでやる程度だった。当然、詰め込みの勉強の効果は一時的なものでしかないから、テストが終わってしまえば身につけたものは全て消えて無くなっていた。1年生が終わって振り返ってみると、1年間で勉強してきたことはほとんど身についていない。この状況はさすがにやばいな、と思い始めた。
渋谷幕張のサッカー部では月曜以外の週6日活動があって、平日の練習では終わると8時くらいになっている日もあった。加えて、1年を通してリーグ戦があってテスト期間にも試合はやって来る。また、高校サッカー生活の集大成である選手権予選は毎年夏の1次予選を勝ち上がるのは前提としてあって、10月くらいから始まる2次予選でどこまで勝ち上がることができるか、という勝負であったから部活を引退するのは早くても10月くらいだろうという環境だった。
このように受験において、自分はライバルになるような相手と比べると制約があった。もちろん普通にやっていても他の人に勝つことはできない。そこで勉強をすることに対してもっと頭を使うことを意識するようにした。具体的には長期的な視点と短期的な視点で勉強に対してのアプローチを変えていった。
引退が他の人よりも遅いのならば他の人よりも早めに勉強に対する意識を高めていく。一日一日でできることが少なかったとしてもそれを積み重ねていく。そして、その積み重ねが目標達成につながるように受験本番から長いスパンで逆算してやるべきことをプランニングしていく。これが長期的なアプローチ。
それに対して、自分が使うことのできる時間を大切にする。勉強の質を徹底的に高める。わずかでも使える時間を見つけて自分が使える時間をより多く作り出す。このように長期的なプランを効率的に遂行するのが短期的なアプローチ。
このように意識を変え始めたのが高2春頃だったと思う。夏くらいには色々な心境の変化もあって可能性がゼロではないのなら日本一の東京大学を目指すのもありかも、と考えて東京大学を目指そうと明確に決めた。部活があったのはもちろんのこと、自分は高校から渋谷幕張に入ったのだが、高入生は東大に受かるのが厳しいとか言われたこともあり難しい部分はあったが、逆にその分だけやってやろうとか、自分にはそんなの関係ないと思って高いモチベーションで勉強に取り組むことができていた。
高3になると周りの友達はみな突然スイッチが入ったように真剣に勉強に取り掛かった。5,6月あたりになるとちらほら他の部活の最後の大会が始まった。そこで負ければ部活は引退。今まで自分と同じように部活に力を入れながらも勉強を頑張っていた友達は部活を終えて勉強一本に集中し始める。当然焦りはあった。自分だけが置き去りにされているような感覚だった。一方で、部活の方では怪我を繰り返していたこともあり、なかなか試合に出ることができない状況が続いていた。これまで色々なものを犠牲にして取り組んできた高校サッカーをこのまま終えるのは絶対に嫌だった。最後の選手権だけはなんとしてでも出たかった。そんなわけで、部活においても一瞬たりとも気を抜ける状況ではなかった。今思い返せばかなりキツかった。しかし、そんなことを考えている余裕もない。勉強では東大合格に向けて自分が何をやらなければいけないのか、それを試験日から逆算して自分が使える時間を考慮しながら緻密に計画を練る。そして、やると決めたことはどんなに部活で疲れていようと必ずやり切る。サッカーをしているときは100%サッカーのことを考え、終わったらすぐ切り替えて100%勉強に集中する。成功することだけを信じてそれをただひたすら繰り返す。
結果的に選手権予選も一次予選を勝ち上がり、10月の二次予選まで残ることができた。そして迎えた二次予選の1回戦。どうにかスタメンの座を勝ち取り、試合に出場することができた。結果としては延長戦の末に負けてしまったものの、スタンドには受験勉強の合間を縫って100人を超える同級生が応援に駆けつけてくれた。最後の試合としては最高の舞台で、自分の長いサッカー人生の中でも一番楽しく、一番記憶に残る試合となった。本当にここまで本気で部活を続けてよかった。それが正直な、心からの感想。
それからは勉強モードに切り替えてひたすら勉強。他の人よりも遅れているという気持ちがあった分、他のことを考えずに勉強に集中できたし、今まで部活をやりながら勉強をしていたのが、勉強だけに専念できるようになり楽になったこともあってかなり勉強ははかどった。そして、このような部活引退後の猛勉強の成果もあって、ギリギリながら現役で東京大学に合格することができ、今、ここに至る。
“Carpe diem”
これは中学校の担任でありサッカー部の顧問でもあった先生から贈られた言葉だ。古代ローマのホラティウスの詩に出てくる言葉で、「今という時を大切にしろ」という意味らしい。ありきたりな言い方にはなるが人生は一度しかないのだから部活を選んで勉強を諦めるとか勉強に重きをおいて部活において後悔をするということはもったいないように思う。今を大切にし、うまく時間を使って努力をすれば、部活と勉強両方で成功することは可能である。自分の目標を達成する上で制約が課されているのならば、手遅れになる前に早めのうちからどうすればそれを乗り越えることができるのかを突き詰めて考えればよい。そして、自分なりに出した答えを信じて、それをやり抜く。また、何かに真剣に取り組めば、その結果がどうであれ、何か大きなものが得られるはずである。それは部活や勉強に限ったことではないが、そういったチャンスを何かのために諦めることは後悔に繋がらないか、どうにかして両立することは出来ないか、もう一度よく考えてほしい。強い意志があれば自分で道はつくれるはずだから。
最後に東京大学ア式蹴球部では全国の高校生から受験や勉強についての相談や質問を受け付けている。部活を続けながら東大に合格し、大学でもサッカーを続けている部員が対応するので質問などがあればぜひ気軽にメールなどで連絡してほしい。
2年 石野佑介

文武両道を目指す君へ

「二次予選まで勝ち進んだら残る?」
高3の7月中旬、神奈川県の選手権一次予選が始まる時期に同期と交わした会話だ。
僕が通った浅野高校は県の二次予選(ベスト64)に行けるか行けないかの瀬戸際にいる高校で、二次予選に進出することを目指してサッカーをしていた。同時に神奈川御三家の(ギリギリ)一角を成している進学校でもあるので、受験に対する熱量もそれはそれは相当なものだった。二次予選に進出すると引退が9月以降になってしまうため、二次予選進出を目指しているにもかかわらず、二次予選に進出する場合は部活を続けるかどうか悩む状況にあった。
この記事を読んでくれている高校生の中で、このような環境に置かれている高校生の割合は結構高いと思う。いつが引退時期かはそれぞれだが、高校側か、あるいは自分たちの伝統として引退時期が決まっている。それを目指してサッカーをする。けれどもそれ以降も続けるかどうかは悩みの種。
僕は二次予選に進出するどころか、情けなくも一次予選の一回戦で格下にPK戦にもつれ込んで負けてしまったので、この心配は杞憂に終わった。
でも、今まさにこの問題で悩んでいる人、この先悩むことになる人、あるいはもう決断をして後悔をしている人がたくさんいるはず。この大きな問題に立ち向かう君に、エール代わりにこの文章を送ります。
「文武両道を極めたア式部員のみなさんに質問をできる機会があるなんてなかなかないぞ」
高校生向けのア式説明会で、顧問の先生が高校生に向かっておっしゃった。高校生のリクルーティングに携わってよく聞く形容詞「文武両道」。
ア式部員は高校生、あるいは先生から見たら文武両道を極めた存在かもしれない。確かに、東大に入学し、数多ある選択肢から部活に励んでいる部員たちは高校生にとって憧れの対象になるのは納得できる。しかし、いつも引っかかる。
俺たちは文武両道になろうとして東大に入ってア式でサッカーをしているわけじゃない。
ただ、大学で何でもできる可能性を捨てるくらいにはサッカーが大好きで、高校で厳しい受験競争に耐え抜くくらいには勉強が好き(得意)なだけだ。
僕は昔から体を動かすのがすごく好きで、父の影響もあって4歳くらいからボールを蹴っていた。小学2年生の時に近所のサッカークラブに入って、気がつけばボールを追うことに夢中になっていた。学校から帰るとボールを持って近所の公園に行って、日が暮れるまでずっとボールを蹴っていた。しかし、無邪気にボールを追うことは許されなかった。中学受験という関門が待っていたからだ。
当時の僕は机に30分も向き合えない猿みたいな少年で、勉強が非常に苦痛だった。どんな人でも入れるような塾の入塾テストで最低クラスから入塾したくらい勉強が嫌いだった。学校から帰るとボールを持ってまた学校に行ってサッカーをし、制限時間の5時ギリギリに家に帰って勉強をさせられる。当時の僕にはありえないほど苦痛の日々だった。(今ではその選択をした親に非常に感謝しています)
大好きなサッカーを制限されつつも親の根気もあり、奇跡的に繰り上げ合格でなんとか浅野中学に合格することができた。浅野高校は中高一貫校で高校受験がないこともあり、中学の間は本当にサッカーしかしていなかった。水曜日のみオフという環境で、水曜日に外部のキーパースクールにいって練習をする。休日は最後まで残ってシュートを受けるのは当たり前。本当に幸せだった。
しかしその幸せも高校1年生になると不安に変わる。周りの生徒たちは塾に行きだし、僕がボールを蹴っている時間にメキメキと力をつけている。高校2年の9月の文化祭が終わると受験モード一色になる高校で、文化部の連中は早くも受験モード。全然できないと思っていたやつが模試でメキメキと頭角を現し、模試の成績も低下していった。このまま部活をしていていいのか、俺。
高三になり、周りは休み時間も参考書を開いている。放課後は塾に行って閉まるまで勉強している。一緒に馬鹿話ばっかりしていた友達が世界史について語っている。そんな中、僕は日が暮れるまでサッカーをし、その後には治療院へ。差は付けられる一方。焦るばかり。勉強だって楽しくなってきたし、もっと時間をかけてやりたい。でも時間がない。
いつの間にか大好きなサッカーを心から楽しめなくなっていた。もちろん、サッカー中は勉強のことは忘れて打ち込める。でも、サッカーに対する姿勢は日に日に真摯なものではなくなった。明日は練習だけだしあんまり寝なくても大丈夫だ。朝早く起きて世界史の勉強をしていこう。終わったら確率の勉強をしよう。左足の練習をしたいけど、勉強時間が惜しいからまた今度にしよう。
ある日、校長がサッカー部員を集めて話をした。選手権予選出場は学校としてはあまり好ましいものではないし、辞めるという選択肢もある。もし同期の部員や、顧問に遠慮しているならそれは違う。という旨だった。今思えば校長の話は当たり前のことを言っているだけなのだが、当時の僕にはものすごく考えさせられる話だった。
そして話は冒頭に戻る。
「二次予選まで勝ち進んだら残る?」
ここまで読んだみなさんにはもうお分かりかと思う。僕は文武両道を体現などしていない。僕は文武両道を体現したいわけでもないし、それをモチベーションに勉強とサッカーをやってきたことは一度もない。受験へのプレッシャーの中、サッカーを続けるかどうかの葛藤を抱きながらも、睡眠時間を削り、遊ぶ時間もなくし、ひたすらに勉強、サッカーに注力してきただけだ。
そもそも文武両道は目的にはなりえない。外に見える結果として付いてくるだけだ。東大に入った。運動会の部活を続けている。その事実に付加価値を与えるだけの美辞麗句に過ぎない。高校では勉強と部活を高い水準でやっていた自負はあるが、もし東大に落ちていたら文武両道と言われることはなかっただろう。
では、なぜいばらの「文武両道」を選ぶのか。誰に頼まれたわけでもない、その過程では誰に褒められるでもない道を選ぶのは、自身の内に秘めた高いモチベーションの他にありえない。もし今、文武両道と言われるような道を歩んでいる、もしくは歩もうとしている人にこそ考えてもらいたい。
勉強を頑張って受験で名門大学に入り、将来やりたいことへ近く。
プロになるつもりがなくても大好きなサッカーを頑張る。
自分にとっては地政学を勉強したいという目標と、チームメイトと本気でやるサッカーを楽しみたいという思いからいばらの道を選んだ。
君はどうか?
東大を目指す理由ならたくさんあるだろう。ハイレベルな勉強をしたい。優秀な人たちの中に飛び込みたい。日本最難関の大学にチャレンジしたい。先生、学校に半ば強制的に受けさせられるetc.
しかし、プロになることを端から考えていないなら、サッカーを続ける理由なんて一つしかないじゃないか。楽しいから、好きだから。
もし部活を続けることに迷っているなら、これだけは考えて欲しい。
その選択は自分の意志か?
友達からやめてほしくないと頼まれたから残る。
先生たちが早く辞めろというから辞める。
親の応援を無下にしたくないから続ける。
こんなのは自分の意志じゃない。君たちはもう高校生だ。一人で食っていける大人ではないけど、一人で何も決められないような子供でもない。
勉強と部活のどちらが大事かは人によるだろう。だから100人いれば100通りの決断があっていい。自分のためになる決断をできるのは自分しかいないのだから。
文武両道なんて目指しちゃいけない。そんな理由では絶対にモチベーションは続かないし、うまくいく可能性も低いだろう。だから本当に自分のやりたいことを選択して欲しい。
受験勉強を頑張りたいから早めに引退する。
サッカーを続けたいから受験勉強は引退後に頑張る。
サッカーを続けながら、しっかり勉強もする。
浪人をしてでもいいからサッカーに集中する。
どんなに悩んでもいいから、どんな答えになってもいいから、それが自分の決断だと納得できる結論を出して欲しいと心から思います。決断を出した後は、それを実現するために日々努力するだけです。悩みながら何かをするよりも、目標を設定して努力する方が遥かに効果的。是非一度、自分が本当にやりたいことが何か見極めるために自分と向き合ってほしいと思います。
そして、もしこの文章を読んでくださっている保護者、先生方、学校関係者がいらっしゃるのなら、一つだけお願いしたいことがあります。高校生たちの意思・決断を尊重してあげてください。最近、進学校の中で部活に対する締め付けが厳しくなってきたということを耳に挟みました。高校生たちが納得のいく決断をするために一番大事なのは、多様な決断を認める環境だと思います。皆さん方が本当に生徒のことを思って助言をしているのは重々承知の上でのお願いです。ご家族の理解、学校の理解、先生たちの理解があってこそ、生徒たちは安心して自分が本当にやりたいことを選択し、目指すことができます。
高校生たちが自分で納得のいく結論を出し、それを大人が全力で応援・サポートする。
そんな環境が実現することを心から願っています。
ア式に入るために東大を受験する高校生を増やしたい
4年 リクルート長 満永達彦

2019年5月9日木曜日

断片

最後のfeelings、書きたくなくて逃げていましたが、とうとう捕まってしまいました。今までのfeelingsは頑張るぞ宣言として張り切って書いていましたが、今回はどうしてもまとまらなかったので、今頭の中にあることをただ列記します。


・2018年10月28日、関カレ外大戦。
前節に惜しい試合をできていたことに加え、以降の3試合は全て強豪相手のため、この日に何とか初勝利を掴みたかった。
しかし試合序盤にあっさりと失点、そしてキーパーのまゆが負傷。今から思うと私はこの時点でパニックになっていた気がする。でも周りは怖いくらい冷静で、隣でセンターバックをやっていたまりなは気づいたらGKユニに着替えていて、抜けた場所にはOGコーチのかなさんがベンチから入り、何とか前半は持ちこたえる。
だが後半、何度かチャンスを作れる中で、絶対に失点してはいけない時間帯に自分のミスが原因で失点。0-2。このまま試合が終わる。
辛いとかショックとかでさえなく、放心してしまった。

試合後、すぐ我孫子に向かった。後に控える対戦相手の中央学院対国際武道のスカウティングのためだ。どちらも自分たちより遥かに上のレベル。試合を撮影しメモしながら、数時間前に自分たちのやっていた試合と何もかもが違うなぁ、とまた放心してしまった。

部室に戻った後、今年からコーチを務めてくださっている藤岡さんに、自分やチームのことについて弱音を聞いていただいた。途中でまりなから自分と同じような意見のLINEが来たのも拍車をかけ、最終的にギャン泣きし、藤岡さんは心底鬱陶しがっていた。

それ以降最終節まで、一人でいる時間が恐怖だった。意味がないとわかりつつも、後悔や不安が頭を占めてしまった。みんなと練習したり、サッカーについて考えたり相談したりしているときだけは、気持ちが晴れた。

その頃は絶望と希望がすごい勢いで行き来するような感覚だった。私は大学に入るまで運動経験がなかったので、引退という区切りに合わせて「納得のいくような何か」が得られるわけではないのだということを、初めて知った。

怪我で迷惑をかけてしまいつつも11月18日にピッチの上で最終節を終えられたときは、心底ほっとした。


・こんな記憶が今になっても頭にこびりついている一方、4年間を振り返ると、本当にこの部からこんなに恩恵を受けた人間はいないんじゃないかというくらいお世話になったと感じ、感謝の思いで胸が一杯になる。
運動能力はもちろん、仕事能力、人格においても欠損の多い私がこの部で活動するのは、自分よりも周りの人たちにとってチャレンジングなことだったと思う。先輩・同期・後輩はもちろん、福田さんはじめ大人の方々は常に気にかけてくださっていたし、活動の半分を共にする文京LBレディースに関わっていた方々にもたくさんお世話になった。

多くの人の力で生まれた女子部は、5年目になっても関わっている人たち一人ひとりの力に支えられているという実感に溢れている。関カレに足繁く通ってくださった保護者の方々やOBさんなどには、どれだけ感謝しても尽きない。OBの皆様に作っていただいた東大のユニフォームを着て、たくさんの人の力添えで出場することが叶っている公式戦のピッチで戦えることが、とても誇らしく幸せだった。

現役男子部の皆さんも含め、いつも女子部を支えてくれる皆様、ありがとうございます。これからも女子部のことをどうぞよろしくお願いします。


・ここに書くことではないと思うけど、最終的に唯一の同期になったまりなのことを私はとても尊敬し、感謝しています。どれだけ助けてもらったかわからないし、まりながいたから頑張れたし、同期として恥ずかしくない生き方をせねばとさえ思います。
後輩のみんなも頭が上がらないことと思いますが、ぜひみんなの中にリトルマリナを住まわせて、部の規律と平和を守っていってください。


・これからの部やクラブとの関わり方について、2留もしてしまってあと2年大学にいることもあって、悩み続けています。でもゼロになることはないと思うので、これからもどうぞよろしくお願いします。


以上です。

最後になりましたが、4年間お世話になった皆様へ
本当にありがとうございました。


女子部4年 横堀ミラノ