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変えたい

一ヶ月後の自分は、今より上手くなっているだろうか。少し前の自分なら、下手になっていただろう。


以前、A練に参加させてもらってた時、正直ビビりながらやっていた。自分はAの人に比べたら、圧倒的に下手だから、ミスしないようにと、怯えながらやっていた。当然、技術もないのだから、パスミス、トラップミスを腐るほどした。それも、何かチャレンジをしようとしてしたミスではなく、消極的なミスだから、そこから何も生まれなかった。

あの一ヶ月ぐらいで、自信を無くし、何をしたらいいかもわからなくなった。

なんで、こんなことになってしまったのだろう。

一つは、単に実力が足らなさ過ぎた。視野の狭さ、止める、蹴る、首を振る回数、見るべきものがわかってない、ポジショニング…数え上げたらキリが無い。


もう一つは、自分のしたいことを明確にもっていなくて、持っていたとしても、発信できないことだ。

自分のしたいことを明確に持ってないというのは、プレーイメージがないということだ。特に試合中に。試合を見直すと、こうすればよかった、ああすればよかったと出てくるが、試合中にはそういうイメージが頭に浮かびにくい。再現性あるプレーのイメージを実際に実行して、何回か成功させれば、その後は、常にそのイメージが頭に浮かびながら、スムーズなプレーができると思う。

イメージを実行するには、味方に合わせてもらう必要がある。


ここで一つ大きな問題が自分にはある。


発信できないことだ。


これは一番苦手なことだ。あってるかどうかわからないことを伝えるのは、自分にとってはムズイ。それで、人任せにしてしまう。
その結果、自分の考えがあっているのかわからず終いで、発展、修正がない。


抽象的なものになってしまったが、ここら辺で、自己分析を終わろうと思う。


課題を克服するには、変化が必要だ。意識的に変化を加えないと、1週間後、一ヶ月後、一年後の自分は変わらない。変えようと努力するのは、偽善だ。実際に変わらないと。

1日1個、1週間で1個、一ヶ月で1個でも劇的に変えていきたい。




2年 後藤

サッカーが好き

ア式女子ができてまだ3年目の新歓で入部を決意してから、さらにもう3年も経ってしまった。
3年間、できたてホヤホヤから安定期への過渡期にあったア式女子で過ごして思ったけれど、ア式女子には変わらないいくつかのキーワードがある。熱意、感謝、個の重要性、成長など。また、新歓などで「運動会」として自らを語るとき、そこにも、大学名を背負う、勝つ責任、縦の強い繋がり、などのキーワードがある。
私なりにこのあたりの言葉を整理してみようかなと思う。


結論からいうと、私たちの中心にある、ないしあるべきものは「サッカー愛」だと思う。サッカーが好きで、好きなサッカーを通じてつながった「チームのみんなが好き」で、みんなともっとうまくなりたい、うまくなって勝ちたい、という「熱意」が生まれる。
そして熱意は多くのものを生む。
熱意によって「多くの方々の協力」をいただいて、その中に大学があれば運動会という名前がつき、OBOGがあれば縦の繋がりが強いと言われる。そのような方々への「感謝」が生まれ、それは「恩返し」や「責任」という言葉でも語られる、もう一つの勝ちたい理由となる。
また、熱意によって、種々の強い感情が生まれる。うまくなりたい、勝ちたいと強く思えば思うほど、喜びも悔しさも、もっとチームのためになることをしたいという気持ちも大きくなる。たまには部員どうしでぶつかることもあるし、それを経てさらに「チームのみんなが好き」になる。増幅が増幅を生む、正のフィードバック。



これらとは別次元で、ア式女子には「ベンチャー」という要素がある。少人数・まだ少し残る不安定感、それゆえの個の重要性・成長せざるをえない環境、そしてここで実際に成長した尊敬すべき先輩方と頼もしい同期・後輩たち。就活をしていて雰囲気を好きになった企業がことごとくベンチャーで、私自身、このベンチャーに染まってしまったらしい。
さらに、ベンチャーゆえだからかもしれないけれど、文京LBレディースと合同で活動しているため、「大所帯」という一面ももつ。そこは中1から61歳までの女性が、本当にケンカもイジメもなくサッカー仲間として共存する楽園のようなチームで、ここのメンバーにサッカー愛や熱意を刺激されることもしばしば。ちなみに先ほど"部員のみんなが好き"ではなく「チームのみんなが好き」と書いたのは、この文京の仲間も含めたかったから。

一般に、「…

思いに名前はつけない派

feelingsを真面目に書いた人ならわかると思うが、真面目にタイトルをつけようとすると体力を使う。 なので、あえてタイトルはつけないことにした。あえて。
この文章を書く直前に同期のO君のfeelingsを読んだ。真面目な話、彼のfeelingsは毎回内容の質が高い。 今回も素直に「すげえな」と思った。
言ったとおり内容の質が高いのはそうなのだが、自分的に言わせれば、あの長文feelingsたちを「彼の味」だと思わせることができているのがすごい。 ひとえに日頃の態度の表れである。 彼の様な文章を書いたとして、彼の様に評価される人は今のア式に何人もいないだろう。
なので自分のメモ帳にも負けず劣らずの長文が眠っているのだが、いいねが伸びなかった時が辛いのであえて封印することにする。あえて。
あえて、といえば、 「日頃、意識するようにしていること」 と言われて、なにか思い浮かぶだろうか。
ピンとこない人のために例えると、自分の同期の、おそらくこのfeelingsを読んでいないであろうI君にとっては、「毎晩シャワーの後に化粧水を叩く」こと。流石の美容意識。すばら。
I君でスベっていたとして、自分には関係ないので、進みます。 自分的には 「迷ったらやる、可能な限り」 このフレーズ。
なぜなら、やった後悔より、やらなかった後悔の方が間違いなく大きい。 一度やらなかったら、だいたい次もやらないし、次やるとして、それにはとても体力がいる。 過去にやらなかった自分を否定しなければいけないから。
なので、今やれるならやる。とりあえずやっとく。可能な限り。
だから、冬オフに1週間で3個の旅行が被ったとして、その費用が口座になかったとしても、親に可能な限り頭を下げて、お金を借りる。
釣りに行くか迷ったら、天候が許す限りは行く。なるべく日の出前がベスト。朝マズメは逃せない。気持ち的には、逃さない、つもり。
そしてもちろん、引退した某Hさんに「五月祭でペンギンを探そう」と言われたら、ちゃんとついていく。 (ちなみにこのペンギン、Hさん曰く女性について行く習性があるらしく、結果として、あくまで不本意ながら、道行く女性に「ペンギン見ませんでした?」と聞いてまわらなければならない。)
だが、このことと、今自分が翌日の授業の提出課題をやっていないことは、矛盾するようで矛盾しない。
やるべき期限がハッキリわかっている場合であったり、やらなかったとして…

ブレイクスルー

気づけばもう3年生になってしまった。入部してからの2年間はあっという間だったとも言えるし、長かったなとも思う。
そんな2年間で自分が成長できたか。胸を張って「はい」とは言えない。
有難いことに、1年生の早くからAチームでプレーさせてもらって、後期には少し試合に絡むことが出来た。スタメンとして出場できたのは先輩が負傷離脱していた2試合のみで、基本はセカンドだったが、悲観はしていなかった。

そして2年生になり、チームを少しでも引っ張るつもりで新シーズンに臨んだ。しかし小さな怪我を重ね、プレシーズンは全くプレーできなかった。遼さんの下で急速に成長していくチームや仲間を見ながら、心の中で焦りがどんどん膨らんでいく。ようやく復帰できたのはリーグ戦開幕週だった。復帰すればこの焦りもどうにかなるだろうと思ったが、むしろその逆、上手くいかないことの連続でその気持ちは更に大きくなった。「まあ復帰したてだし仕方ないだろう」くらいに思っていれば良かったものを、良くない癖で真正面から受け止めてしまった。過剰な焦燥感に苛まれていた僕は、あまり調子は戻っていないのに、「試合に出なきゃ」と過度に意識するようになった。そして試合に出ることへの"近道"として僕が心掛けたのがミスをしないことだった。これがいけなかったと思う。酷く後悔している。なんやかんやで前期の後半は試合に出られるようになったが、ミスへの恐怖に支配されながら、まさに騙し騙しプレーしていた。いくつか点は取れたが、センターバックとして求められるプレーがこなせていたとは言えなくて、素直に喜べなかった。 ミスを恐れる姿勢は癖になった。悪い癖ほど簡単につく。ミスへの恐れが生み出すのは、ミスだ。分かっていてもどんどん怖くなった。通せるパスのレンジも、その精度も、見る見るうちに落ちていった。 中断期間を迎えてもそれは変わらず。そんな状態ではいいプレーができるわけがなく、何より、成長できなかった。当たり前だ。積極的なミスを繰り返しそのフィードバックを受けて一つ一つ成功体験を積んでいくことでしか成長はできない。そんな当たり前のことにも気付かぬまま、1試合を、1回の練習を、1プレーを、無駄にする日々が続いた。迎えた京大戦、酷いプレーだった。必然だった。スタメンから落ち、いよいよ歯車は狂いきった。 そのまま後期に突入し、試合に出られぬまま、チーム…

いつかきっとエモくなる

「東大に入ってまで、サッカーを続けるという選択をしたこと、ア式にいる意味を考えろ。」
ア式部員なら入部する時も、入部してからも様々な場面で聞く機会があるこのフレーズ。 私はその度に毎回、何度聞いても思うことがあって。

何を、どうやって考えようか。 待てよ?? そもそも私は、東大に入ってすらいないぞ、、? (ゆうてサッカーもしてないが)


開示って何?ALESS/ALESAとは??逆評定?同クラ下クラ??なんだそれ??
入部してからは、知らない単語をインプットしていく日々。 センター試験すら受けたことがない私はあまりにも無知で、最初の頃は話についていくだけで精一杯、今思い返すとそこに気を取られていてかなり無能だったように思います。 ごめんなさい笑

何かに夢中になりたくて。 そんな想いで入部したものの、スタートから自分だけ遅れている気分だったのは今だから言えること。
でも決して、みんながそういう風に接しているからというわけでは全然なくて、むしろその逆。 一人の学生として、ア式部員として、意見を尊重して接してくれる、それは胸を張って言えるア式の良いところ。 けど、だからこそプレッシャーでもあって。 何か失敗してしまったら、何か出来なければ、と考えてしまう。挑戦なんて出来なくてただ保守的に、ただ受動的になってしまう。 与えられた仕事で満足して、それ以上に踏み出せない。与えられた仕事さえ、ビクビク怯えながらする時も多かったように思います。
数少ない他大生(今や2人)だから、失敗が許されない気がしていたのかもしれない。
なんで自分がそう思ってしまうのか、自分の小ささに嫌になることは何度もあったけれど、やっぱり拭うことは出来なくて。 自分ってこんなに卑屈だったっけと悩んだこともあったりして笑

ア式にコミットすればするほど痛いほど分かるのは、ア式にいる人たちは本当にすごいということ。
努力、を知っている人たちだから。 その努力を、結果に繋げた人たちだから。 正直、怖かったのも事実なのかもしれない。 同じ目標のもと、その目標に向かった全力を同じ熱量と力量で注ぐことが、果たして自分に出来るのだろうか。
他大学のスタッフになるという選択肢は正しいのだろうか。
悩んでも悩んでもまだ分からないし答えは出てこないけれど、せっかく回ってきたFeelingsだから、正直な私のfeelingを書こうと思います。

その答えを、断言することができないのが今の…

intersection of football and technology

今となって少し黒歴史であるが中学生の頃はスティーブ・ジョブスにめっちゃ憧れていた。ジョブスは言わずとしれたAppleの創業者の1人である。大学生になった今はキラキラした感じがあまり得意で無くなってしまったので違うが、昔はそのカリスマ性とか世界を変えたみたいなところに惹かれていた。

中学生の自分はiPhoneやMac Book Airなど当時のお小遣いでは手も足も出ないApple製品をインターネットで探してはそのかっこよさに惚れていた気がする。懐かしいものでMac Book Airの発表会の封筒から取り出すシーンとかは何回も見た。中2くらいでジョブスが亡くなったというニュースが流れた。

その後伝記が発売される。伝記にはintersection, 和書においては「交差点」という単語が数多く載っている。ジョブスはintersection of liberal arts and technologyを一つの哲学としており、AppleやPixarでそれを実現してきた。技術のみでは意味がなく技術を他の何かと組み合わせてこそ人の心を動かすことができると言っている。

今現在当たり前のようにスマホでサッカーの中継見ていることを考えると12年前にiPhoneを作ったジョブスはマジで凄いし偉大だと思う。

ジョブスは21世紀はintersection of biology and technologyになるだろうと言った。biologyというのは健康なりスポーツとかを含むと勝手に思ってる。現に近年のAppleの新商品であるWATCHを見てもらえば分かるが心拍数を記録したり事故に遭ったときに自動で救急を呼ぶなどの機能がついている。

また2018年の9月のAppleの新商品発表会で紹介されていたHOMECOURTというバスケ向けのアプリがある。デモの動画を見てもらえば分かると思うのだがこれが凄くおもしろい。3脚にiPhoneを固定してアプリを起動すればシュートをどこで打って入ったか否かを自動的に判定してくれるというものである。


サッカーにおいても、これから更にテクノロジーとの融合が進むのは間違いないことであろう。

自分は部内で「入力」という試合を観てポチポチパソコンをいじる仕事しているのでサッカーのデータ収集について少し話したいと思う。

サッカー界において今現在何ができているかというと、「機械的に見たらわか…

受験肯定論

弱冠20歳を迎えたばかり、人生まだ1/4も終わっていなさそうではあるが、“受験勉強”はおそらく僕の人生の中で一つの大きなターニングポイントになるのだろう。 海外の大学進学制度と比較されるなどして、また受験勉強は“役に立たない”などと言われて、何かと批判されてしまいがちな大学受験であるが、僕にとっては自身を変えるきっかけになった非常に重要でかつ充実した時間だった。 故に、今回このような”受験生向けfeelings”なる企画の記事の執筆を頼まれた時、読者として想定されている受験生(そうでない方もいらっしゃるだろうが)に向けて、受験の魅力と言っては何だが、受験が皆さんにどのような好影響を与えうるかを伝えたいと真っ先に考えた(ここでいう受験生は、無論東大受験生以外をも含む)。 僕の体験談という形にはなるが、これを読むことで皆さんの受験へのモチベーションが少しでも向上すれば、もしくは受験もそんなに悪くないものだと思っていただければ、目標は達成されたことになる。 少し長くなるかもしれないが、時間がある方は最後までお付き合いいただきたい。 さて、本題に入るが、受験を通してのもっとも大きな変化の一つは、単純に”勉学”に対する向き合い方、換言すれば“学び”と僕の関係である。 とはいえ、別に中学、高校と、不真面目に勉強に取り組んでいたわけではない。 ご縁があって柏レイソルU-15に入団し、週6でサッカーに打ち込んでいた中学時代は、普段から着実に勉強をすることは体力的にも精神的にも困難だったが、テスト前には必要な量の時間を確保して勉強し、学年一桁に入るぐらいの点は取っていた。 高校進学の際も、ユースの活動を続けつつも勉強は疎かにしたくないという思いと、学校行事にもしっかり取り組みたいという思いから、行事の盛んな地域では(一応)トップクラスと言って良い高校を選んだ。 入学当初は、高校の偏差値の高さにビビって、また果たしてちゃんと授業についていけるのかと思って、必死に勉強したこともあり、それなりの点は取り続けていた。 ただ、ここで何か目標があって勉強していたわけではなく、なんとなくサッカーだけになって勉強の方が疎かになるのが嫌だ、という思いのみから勉強をしていたと思う。 勉強が楽しくなかったわけではないのは事実であるが、本当に自分の興味で勉強をしていたわけではなかったし、まして東大のような難関と言われる大学に…

今という時を大切に

自分が生まれてから19年かけてたどり着いた先は東京大学に入学し、ア式蹴球部に入って勉強やバイト、友達と遊ぶことなどをしつつもサッカーを中心とする現在の生活であった。 自分が“今ある自分”になったのはなぜだろう。 サッカーは父や仲の良かったいとこたちの影響もあって幼い頃から大好きで、幼稚園の頃からほぼ毎日ボールを蹴っていたと思う。やめようと思ったこともなく、本当にサッカーが好きだったからサッカーを続けることができる環境が有る限り、いくつになっても真剣にやり続けるだろうということは想像していた。 一方で勉強に関しては、日本一の大学である東京大学に入学するということは4、5年くらい前までは想像もしていなかったどころか、あそこに行くことができる人は選りすぐられた一握りの天才であって、自分は到底行くことができるはずはないとすら考えていたように思う。 そんな自分が東京大学に入学するに至ったきっかけはなんだろうかと考えてみると、それは中学に入って最初の1学期中間テストであっただろう。中学は公立の中学に通っていたのだが、自分が住んでいた地域は小学校の頃から中学受験をする人も多く周りには頭のいい人たちも多くいた。そんな環境の中で、中学の定期テストは初めて校内での順位も出て他人との実力差が数値という形ではっきりと目に見えるということで、「自分は何位くらいなのだろう」と漠然と思いつつ、高いモチベーションで臨んでいた。 「1位だよ」 先生から順位が告げられた。初めてのテストで1番をとることができたのだ。まさか自分が、とは思ったが自分にはそれだけのポテンシャルがあるということがわかり、それ以降のテストは「絶対に負けたくない」「1位は誰にも渡したくない」と思うようになっていた。このように割と高いモチベーションで勉強に取り組んでいた影響もあって、受験時にはある程度レベルの高い学校に進学することができる状態にあった。高校はどこに進学しようかと考えた時、自分の中での条件としてサッカー、勉強ともに高いレベルで取り組むことができる環境が整っているということがあった。そして、その条件にぴったりと当てはまったのが渋谷幕張高校だった。 勉強面に関して、渋谷幕張では多くの人がとりあえず東大を目指してみるという人が多く、学年の半分くらいが東大を第一志望としていた。高校に入った時点で、自分はここの大学に行きたいというような意志…

文武両道を目指す君へ

「二次予選まで勝ち進んだら残る?」 高3の7月中旬、神奈川県の選手権一次予選が始まる時期に同期と交わした会話だ。 僕が通った浅野高校は県の二次予選(ベスト64)に行けるか行けないかの瀬戸際にいる高校で、二次予選に進出することを目指してサッカーをしていた。同時に神奈川御三家の(ギリギリ)一角を成している進学校でもあるので、受験に対する熱量もそれはそれは相当なものだった。二次予選に進出すると引退が9月以降になってしまうため、二次予選進出を目指しているにもかかわらず、二次予選に進出する場合は部活を続けるかどうか悩む状況にあった。 この記事を読んでくれている高校生の中で、このような環境に置かれている高校生の割合は結構高いと思う。いつが引退時期かはそれぞれだが、高校側か、あるいは自分たちの伝統として引退時期が決まっている。それを目指してサッカーをする。けれどもそれ以降も続けるかどうかは悩みの種。 僕は二次予選に進出するどころか、情けなくも一次予選の一回戦で格下にPK戦にもつれ込んで負けてしまったので、この心配は杞憂に終わった。 でも、今まさにこの問題で悩んでいる人、この先悩むことになる人、あるいはもう決断をして後悔をしている人がたくさんいるはず。この大きな問題に立ち向かう君に、エール代わりにこの文章を送ります。 「文武両道を極めたア式部員のみなさんに質問をできる機会があるなんてなかなかないぞ」 高校生向けのア式説明会で、顧問の先生が高校生に向かっておっしゃった。高校生のリクルーティングに携わってよく聞く形容詞「文武両道」。 ア式部員は高校生、あるいは先生から見たら文武両道を極めた存在かもしれない。確かに、東大に入学し、数多ある選択肢から部活に励んでいる部員たちは高校生にとって憧れの対象になるのは納得できる。しかし、いつも引っかかる。 俺たちは文武両道になろうとして東大に入ってア式でサッカーをしているわけじゃない。 ただ、大学で何でもできる可能性を捨てるくらいにはサッカーが大好きで、高校で厳しい受験競争に耐え抜くくらいには勉強が好き(得意)なだけだ。 僕は昔から体を動かすのがすごく好きで、父の影響もあって4歳くらいからボールを蹴っていた。小学2年生の時に近所のサッカークラブに入って、気がつけばボールを追うことに夢中になっていた。学校から帰るとボールを持って近所の公園に行って、日が暮れるまでずっとボ…

断片

最後のfeelings、書きたくなくて逃げていましたが、とうとう捕まってしまいました。今までのfeelingsは頑張るぞ宣言として張り切って書いていましたが、今回はどうしてもまとまらなかったので、今頭の中にあることをただ列記します。

・2018年10月28日、関カレ外大戦。 前節に惜しい試合をできていたことに加え、以降の3試合は全て強豪相手のため、この日に何とか初勝利を掴みたかった。 しかし試合序盤にあっさりと失点、そしてキーパーのまゆが負傷。今から思うと私はこの時点でパニックになっていた気がする。でも周りは怖いくらい冷静で、隣でセンターバックをやっていたまりなは気づいたらGKユニに着替えていて、抜けた場所にはOGコーチのかなさんがベンチから入り、何とか前半は持ちこたえる。 だが後半、何度かチャンスを作れる中で、絶対に失点してはいけない時間帯に自分のミスが原因で失点。0-2。このまま試合が終わる。 辛いとかショックとかでさえなく、放心してしまった。
試合後、すぐ我孫子に向かった。後に控える対戦相手の中央学院対国際武道のスカウティングのためだ。どちらも自分たちより遥かに上のレベル。試合を撮影しメモしながら、数時間前に自分たちのやっていた試合と何もかもが違うなぁ、とまた放心してしまった。
部室に戻った後、今年からコーチを務めてくださっている藤岡さんに、自分やチームのことについて弱音を聞いていただいた。途中でまりなから自分と同じような意見のLINEが来たのも拍車をかけ、最終的にギャン泣きし、藤岡さんは心底鬱陶しがっていた。
それ以降最終節まで、一人でいる時間が恐怖だった。意味がないとわかりつつも、後悔や不安が頭を占めてしまった。みんなと練習したり、サッカーについて考えたり相談したりしているときだけは、気持ちが晴れた。
その頃は絶望と希望がすごい勢いで行き来するような感覚だった。私は大学に入るまで運動経験がなかったので、引退という区切りに合わせて「納得のいくような何か」が得られるわけではないのだということを、初めて知った。
怪我で迷惑をかけてしまいつつも11月18日にピッチの上で最終節を終えられたときは、心底ほっとした。

・こんな記憶が今になっても頭にこびりついている一方、4年間を振り返ると、本当にこの部からこんなに恩恵を受けた人間はいないんじゃないかというくらいお世話になったと感じ、感謝の思…