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サッカーの地平線を広げる-6日目〜9日目-

岡部惇貴(3年/MF/武蔵高校) 6 日目 起床。バイト。 ゴシック地区探索。ここはスペインの渋谷らしい。少しスペインに慣れてきて、写真を撮ることはなくなっていたが、ここは街並みが特に美しい。普段の街とは異なり、歴史があり、おしゃれな店が立ち並ぶ。有名な街であるからこそ商売も多い。風船を渡され、買わされかけた。あの時の言葉わからないという演技はなかなか立派なものであったと思う。日本へのお土産はここで買おう。お土産誰にお願いされたっけ?旭、皓大、荒、志村?もう思い出せない。なんか頼まれていたのに忘れていくの気まずい。なんかそれっぽいやつ買っていくかあ。 1 週間も経たずにお土産決めるのは早い気がするけど、いいでしょう。 3 人のお土産はすぐ決まった。問題は皆さんお分かり宮川旭です。他の 3 人は趣味嗜好がわかるので、なんとなくいいなと思ったものがあった。バルセロナに旭さんに会うお土産はないのではないかと思う。残り 3 週間、この悩みを抱えるのか。夜も眠れない。昼食。ずっと食べたかったパエリアを注文。パエリアを待っている間、なぜか高校の同期から電話が来た。池袋の公園で暇な人を集めているらしい。連絡できうる人の中で多分 1 番遠いところにいるだろう。バカ話をした。 3 月のソサイチが楽しみである。パエリアはとんでもなく美味しかった。スペインで日本食と戦えるものはこいつとイベリコ豚だけだ。またバルセロナに来た時はこの店来ようかな。クリスタルみたいな名前の店員に口コミをしろと言われたので、日本語でクリスタルパーフェクト!と口コミしておいた。日本語で書いてもあんま意味なかったな。あ、思い出した。店員の名前はシェリルでした。 一時帰宅。家の鍵が開かない。犬の散歩中のホストマザーを呼び戻し、家に入れてもらった。途中で呼び戻されたであろう犬。なんか怒っていた気がする。ごめん。 競馬の負けすぎで体調不良になった、歩く外交問題石井と国を跨いで競馬の話をしながら練習に向かう。小学生年代の練習を観ているうちに他の 3 人が話し始めた。全員自分のチームだったら、みたいな話をしていた。自分は聞いているだけだった。いや聞いているしかなかった。小学生年代ですらスペインでは引き付けてリリース、出てきたところを使う、相手がきていたらワンタッチではたく、などと言った日本の小学生、中学生ではできない技術を息

サッカーの地平線を広げる-1日目〜5日目-

岡部惇貴(3年/MF/武蔵高校) 登場人物紹介 マルティン 帯同チーム先の第 1 監督。人格神。人生で 3 本の指に入る、尊敬できる人物。師匠。 ジェラール 帯同チーム先の第 2 監督。いじられ役。とにかく親切。アメリカなどでも指導していたらしい。 ハルキ君 同じプログラムに参加したメンバー。日本に帰りたいアピールしがち。 1 日目 めっちゃ疲れた。飛行機最後バリ体調悪かった。気持ち悪いし頭痛い。降りたら治った。入国審査緩すぎ。名前言ったら通った。? Okabe Toshiki? Si Toshiki!  って言ったら行けた。 なんか祭りのせいで空港から街に行く電車が止まっているらしい。そんなことある?ホストファミリーに会うのバカ緊張している。めっちゃいい人だったけど、何を言っとるかわからん。でもいい人って伝わったってことはやっぱ人は表情で第一印象が決まるのか。先に来ていた日本人のハルキくんに色々説明してもらう。水不足だからトイレをすぐに流しちゃダメらしい。日本に戻った時流さず出そうで怖い。とりあえず食事を頂く。スペイン版唐揚げみたいなやつ。中がめっちゃ赤かったけど美味しかった。やっと一休み、する暇もなくサッカーを観に行く。が、予定されていた試合が中止、やることがなくなったのでバルでジローナとレアルの試合を見ることに。ビールを呑んで、ハムをつまんだ。スペインだからってビールは美味しいわけではない。でもハムは最高だった。マジでうまい。試合を見ながら同じプログラムに参加している 3 人と雑談。ハルキくんは後 1 週間もしないで帰るらしい。日本が恋しいらしく、めちゃくちゃアピールしてきて、スペインのネガキャンをして来た。え?そんなことする?後 1 ヶ月いるんですけど。試合を見ながら眠気が来た。夕飯食べてシャワー浴びて爆睡。   2 日目 寝て起きて 9 時くらい。朝食を食べ、ドライヤーが使えないせいで、前日髪が湿ったままで寝たせいで髪がボサボサ。どうしよう。疲れが取りきれずダラダラしていたら昼ごはん。ホストマザーの友達かなんかが 2 人来た。凄まじいテンポで交わされる会話。飛び交うスペイン語。社会に出る前にここまで愛想笑いをすることがあるのだろうか。まあ全員良い人そうだったから、大人の付き合いよりはマシかな。 次は現地での初試合生観戦。コルネジャ ( 私の帯同するチーム

サッカーの地平線を広げる-プロローグ-

岡部惇貴(3年/MF/武蔵高校) プロローグ兼注意書き ご無沙汰しております。新3年岡部惇貴です。私は2024年2月頭から、2024年3月中旬までスペインにサッカーを見るために留学していました。この文章は私が滞在した33日間の日記です。この貴重な体験を忘れないように、日記にしてとっておこうと考えていました。そのため、この日記は自分のために書いています。正しくない日本語、他人に見せるにはとても拙い文章。そんな点が多々見られます。というか全てがそうです。できるだけ自分の思ったことがそのまま反映されるように、そのような形になっています。読んでいただけると、1ヶ月私が何をしていたのかが事細かにわかると思います。余りに事細かに書きすぎて、大量になってしまいました。この量を全て読み切れる人はおそらくいないでしょうね。読み切った人がいたらぜひ教えて欲しいです。よっぽど暇なのですね、その言葉を送ります。 なぜfeelingsで公開することになったのか。それはシンプルにfeelingsを書く題材が他に無かったからです。正確には無くはないのですが、気持ちが乗らなくて書けていませんでした。その点、この日記は気持ちも含まれているし、ちょうどいいかなと思いました。ずっと遊んでいると思われるのも嫌だったので。そして、ずっと私は日常系ほのぼのfeelingsが書きたいと思っていました。卒部feelingsで内容が重い文章をたくさん読んで疲れていると思うので、今こそちょうどいいですよね。そんな中で、日記というほのぼの系の境地を逃すわけにはいきませんでした。きっと外国なんてネタの宝庫でしょう。だから、サッカーのことについては意識的に避けて書きます。サッカーのことについて聞きたい人は普通に話しましょう。求めている答えが帰ってくるか知りませんけど。feelingsにするにあたって、流石に公開するならと思い、一人称を私に統一しました。気持ち悪くて仕方がないです。誰かこの問題の正解を教えてください。 また、公開時期について。新歓の大事な時期に、こんな文章を晒していいのでしょうか。そんな疑問はあります。しかし、feelings担当者の方曰く、「ア式に入ってもこんな自由にしている人がいるよ、というロールモデルになるからいいんじゃない」だそうです。確かに新入生は3月暇ですもんね。ぜひ読んでください。ア式

常識

F(4年/MF ) 常識を打ち破れ。 (2024年度、ア式蹴球部女子の新歓キャッチコピーだそうだ) 引退して数ヶ月、後輩たちが新歓に向けて動き出しているのをみて、時の流れの早さを実感している。 4年前、サッカーを大学から始めるなんて遅すぎると思っていた。 中高生の頃、部活やクラブチームは身近になくて(より正確にいえば、練習場所や時間を選ばなければ入れるチームはあったのかもしれないけれど、本格的に始めてもいない競技をいきなり優先順位のトップにおいて物事を取捨選択する覚悟はなくて、)いつの間にか、サッカーをしたかったこと自体を忘れていた。 それでも、いつかの欲求は消えていなかったらしい。大学の部活動一覧に女子サッカー部を見つけてから連絡するまでは一瞬だった。 入部した時の部員の構成は経験者、初心者半々くらい、中には高校まで運動部に入ったことがない先輩もいた。 ーサッカーって誰がやってもいいんだなと思った。 週4回のうち2回は文京LBレディースという地域チームと一緒に練習している。そこには、私の親世代くらいの、しかも、大人になってからサッカーを始めたという選手が何人も所属していた。 ー始めるのに遅すぎるということはないのだと思った。 私の祖父母世代くらいの方もいるLB会シニアチームと女子部で交流戦をしたこともあった。 ーサッカーは、文字通り、生涯スポーツになり得るんだなと思った。 大学女子サッカーはまだまだマイナーで、強豪校を除くと、競技人数を揃えるので精一杯のチームも少なくない。そんなチームでも公式の大学リーグに参加できるようにつくられたCiEリーグ(先輩方が立ち上げに関わったという)にア式女子は2020年度から参加している。 ー場がないならつくればよいし、枠組みも絶対ではないんだと思った。 サッカーは、男子の、若者の、スポーツ万能な人のための競技だろうか??? ーそんなことはなかった。 大抵の場合、常識を一人で打ち破ることは難しい。そこに場があること、同じ想いをもった先人が可視化されることは大きなエンパワメントになる。 ア式女子は、私にとって、そういう場であった。 _____ さて、そんな場で過ごした4年間の中身はどうであったかということについて。 自分の技術を上げながら、チーム全体のことも考えるのは簡単ではなかった。 だからこそ、チーム全体が上手くなっているのを実感

チャンスは必ず巡る

加藤彩花(女子部4年/DF) 男子部の同期の皆さんは、feelings担当の後輩の催促があって、卒部feelingsをなんとか書き上げたようだが、女子部は担当者が私のままだったので、卒部式直前まで先延ばしにしてしまった。流石にそろそろ書こうと思う。 ここで卒部feelingsによくある言い訳をしておくと、本当は2月に一度書き終えていたのだが、入部から時系列で振り返るパターンになってしまい、冗長になってしまったので、書き直すことにした。印象に残ってる試合とか、そういうのもつらつらと書いたけど、自分のためだけに残しておけばいいと思った。 ということで何を書くかだが、引退するにあたって最近考えていたことを書いておこうと思う。 私は引退しなくてもよかった。入学年度では4年生だから卒業だが、関東大学女子サッカーリーグCiEリーグの規定では、卒業後2年間は出場できるし、なんなら私は転学部で留年したので来年も大学にいる。後輩たちのことは大好きだし(もちろん残ってる先輩と同期も)、コーチたちにも恵まれてるし、サッカーするのは楽しい。引退するか決めてなかったから、後輩たちには引き止めてもらいもした。 だから私が引退することを決めて、後輩たちは少し失望したかもしれない。私が素敵な先輩かどうかの問題以前に、部員が多くないのに辞める理由なんて想像できなかったと思う。私は私で、最後の試合が終わって、今後の身の振り方をお風呂でずっと考えてたが、引退するもっともらしい理由はなかった。 正直、みんなに伝えた時は直感的に、自分は引退すべき人間だと思ったから引退を選んだ。このチームの中で私にできることはなくなったと思った。東大にはもっと部活に全力で取り組んでいる人は当然たくさんいて、自分もそうすべきだったのかもしれないが、自分の大学生活のバランスの中で、部活動には後悔のない水準で取り組んだと思っている。そして、チームのことも大体やってきた。入部して割とすぐに主務をやらせてもらったし、その後も「先輩」として1年間チームにいさせてもらった。だから、やり切った気持ちが大きくて、心の底から後悔しているようなことは何もなく、後輩に道を譲ろうと、そんな気持ちだった。 卒部feelingsとしてこの文章をアップすると、たまたまたどり着いた新入生に勘違いされて敬遠されてしまう危険性がある。だからここで弁解させていただ